草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2025年01月21日
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夕霧は辺りを見回して、のう、懐かしい、さっきから抱きつきたくてどうしようもなかった。縋り付いて

泣いたところ、伊左衛門も走り入ってきて思わず知らずやれ、可愛の者や、と抱き付くところを源之介は

飛びのいて、やい、駕籠舁きめ、むさい形(なり)で侍に抱き付き慮外(無礼)者めと脇差に手を掛け

る。ああ、申し、真っ平、真っ平御免なさいませ、私の倅にちょうどお前様程の子がおりましたが、小さ

い時から人の手に渡し、見たい会いたいとばかり思っていましたので、お前様を見かけてどうにも我慢

が出来なくなりました。心が乱れてしまい慮外の行動、御免遊ばして下さりませ。この上、厚かましい申

し出ではありまするが御侍の御慈悲にて父(てて)かと言って私に抱き付いては下さらないか。額を畳に

擦り付け手を合わせてぞ泣いている。

 何でお前などを父と呼んで溜まる物かと、俺は父様に言いつけてくるぞと奥に駆け入ろうとするところ



所、乳母が言う事ならば聞いてやろう。父(とと)様ねえ、と抱き付けば、おお、忝いぞ、父じゃ父じゃ

と嬉し泣き、夕霧も羨ましくなって、ついでに私も母と呼んでくださいなと抱き付けば、おお、謂うてや

ろう母(かか)様、おお、私の子じゃ、二人が仲の思い子愛子(まなこ)、親子夫婦の寄り合いは二度と

再び今生では叶わない最高の幸せの時じゃと、泣いたり笑ったり様々に寵愛するのは実に道理であるよ。

 奥から佐近の声がして、藤屋伊左衛門、藤屋伊左衛門、と呼ぶ声がする。しまった、さあ大変だ、南無

三宝(驚き怖れ、又は失策した時などに、仏・法・僧の三方に呼び掛けて駕籠を求めた所から出た語)と

逃げだすと後から直ぐに続いて左近が走り出て、袖を取って引き留めた。

 これ、いにしえに参会した阿波のお大尽と異名を呼ばれた平岡左近だ、そなたに恨みはないけれども夕

霧には言いたいことがあるぞ。其処でよく聞かれるが好い、がばとばかりに伊左衛門を突きのけて、涙を

浮かべ、ええ、偽りの多い遊女の習いで驚くほどの事ではないが、これ程までもよくも、よくも、この左

近を見くびって呉れたな。この子が伊左衛門の倅であることは先年死んだ遣り手の玉の話で早くから耳に



ないと考えて、またこの子も我々夫婦を実の親と思い、睦まじく、不憫さも増すので、これも因縁と言う

物であろうかと諦めて深い因縁があって連れ添った妻にも深く包み隠して、夕霧が生んだ自分の実子だと

偽っていたが、さすがに女房は心優しく夕霧の心を憐れんで乳母と名付けて此の内に呼び取ったのは、み

なこの倅が可愛い為だ。それを何だ、浅ましい體(てい)で忍び入って親よ子よと名乗り合って知らない

でいる子供に智恵をつける。やれ、幼くともこの子はな、馬に乗り、鑓を突き、ゆくゆくは立派な武士に



を与えて武士の身分を捨てさせようと言うのか。色に迷い馬鹿を尽くしたその挙句が妻に対しても面目が

立たないぞ。ええ、是非もない、倅を返すから連れて帰れ。町人の子に刀や脇差は無用であるぞと引き寄

せて、無理やりに取ろうとするところに奥が走り出て来て、のう、情けないことですよ。此の子の事は私

も夕霧と伊左衛門から直接に聴いたけれども調査などしては御侍の面目・一分がすたると思案して確かな

契約のもとに貰い受けたのです。今返しては武士が立たない。一寸も離さないと抱き上げたのを、無理に

引き離して、身を立て、名を立て、一分を立てると言うのもみな子孫の為だ。実子を持たないこの左近が

誰の為に身を惜しもうぞ。武士の体面も捨てるつもりだ。覚悟を決めたぞ、大小をもぎ取って突き出す。

 いやいや、たとえこなたは返しても、契約して子にしたからにはこの雪が返しませんよ。夕霧も戻さな

いと取り付くのを引きのけて、縋り附くのを引き離し、夫に逆らうのは見苦しいぞ。奥方を引っ立ててか

ら玄関をはたと戸さしして入りにけり。

 伊左衛門も夕霧も前後の分別もつかず、途方に暮れ、源之介は泣き出して、これ、父様、母様、いぞ。

俺は駕籠舁きの子供ではないぞ、傾城の子にはなりたくもない、父(とと)様の子じゃわいの。此処を開

けてくれや、侍共、開けてくれよと泣き叫び玄関の戸をとんとんと打ち叩く。楓の様な小さな手、に対し

てほんの少しも応える者とてないのだった。

 夕霧は息絶え絶えに、これ、源之介や、よく御聞き、真実にそなたは左近殿の子ではないのじゃ、母こ

そ此の夕霧で父(てて)御はそれ藤屋伊左衛門、さもしい人と思うでない。江戸までも知られて左近殿よ

りも大身の武家に親戚もいるのだよ。母故の御浪人の身、そなたにも憂き目を見せまいと、左近殿の子と

言ったのだがまことの親と仮の親とでは心はあんなにも違うのであろうか。左近殿もよもや其方の事を憎

うはあるまいが、我が身の無念、一時の腹立ちで愛しいそなたを捨てられた。あの父様(とっさま)やこ

の母は今の如くに人前で足で踏まれるように恥をかき、くさされても、侮辱されてもそなたを抱くのが嬉

しいぞ。会うのが嬉しい血を分けた本(ほん)の子はこうも愛しい者かいな。母の今の病状では今後再び

会うことは難しいだろう。母の死後は父様(とっさま)の事は頼みましたよ。せめて一年間だけでもしっ

とりと一緒に寝る様な暮らしがしてみたい。そう掻き口説き、しみじみと真実に涙ながらに心情を明かす

夕霧である。

 源之介は聞き分けて、こなたが本当の母様(かかさま)か、父(とと)様はそなたか、傾城でも駕籠舁

きでも本当の親が愛しいぞ、と涙交じりの笑い顔。血筋の続いている事は争えぬことである。

 おお、出化した、よく言ってくれた。侍だからと言って尊からず、町人とても賤しからず、尊い物はこ

の胸ひとつ、心がけが大事だ。気遣いする必要はないぞ、伊左衛門が妻子よ。憂き目は見せない。力落と

すな、力落とすな、言うのだが自分も力が無くて、ただ茫然となるのだった。

 吉田屋喜左衛門は駕籠舁き雇い、仕方がないとも、お笑止とも、関わり合って我らの迷惑、外の事なら

ば何とも思案をするところであるが、何といっても夕霧は親方がかり、殊に病中大事の身、先ずは連れ帰

って扇屋に手渡ししなければ夕霧様の御為にも悪かろう。いざ、御乗りなさいなとかき寄せる。

 それでは子供と別れて再び廓に戻るかやと、はあう、とばかりにかっぱと伏し、既に息も絶えんとする

気配。伊左衛門が抱き起して、吉田屋は印籠の気付薬を飲ませて様々に看病し、やっとのことで正気を取

り戻したのだが、昔から何人がこうした遊女としての憂き身、難儀、話には聞きつれどこれ程の辛いこと

は重なれば重なる物だ。今会って今別れる、あの子をせめて相駕籠でと、いざ、おじゃれと抱き寄せた。

 それを無理に引き離し、それは喜左までが迷惑だ、これ、世にも人にも恨みなし。左近の言い分もいわ

ば尤も至極だ、左近の妻の情けと言い、誰一人として親子三人に仇をする者はいないけれども、親に逆ら

い財を費やし身を奢ったその報い、あれ、あの天帝(天地を支配する日輪)にも睨まれて、何事も上手く

行く筈がない。百里来た道は百里帰ると諺に言っている通りに、自分が犯した罪は自分が償わなければな

らないのが道理だ。昔の栄耀栄華程に死ぬほどの憂き目を見なければ己の重い罪は消えないだろうよ。夫

故の苦労と思って帰ってくれないか。と泣きいさめ、賺して駕籠に乗せれば夕霧は、弱弱しく、言いたい

ことは散々あるが急き来る涙、急き来る胸。命があるうちにもう一度顔をば見たい、逢いたい、末期の水

をあの子の手から頼みたい、たのみたいと、言う、それではないが夕霧の名に立ち替わる夕霞の中を見送

り、見送りする家々の門松の、松に大夫の面影を残し、別れて帰ったのだった。


          下 之 巻

 夕べ朝(あした)の鐘の声、寂滅為楽(涅槃経の語で悟りの境地にこそ真の楽境があるとの意)と響け

ども、聞いて驚く人もなし。野辺よりあなたの友とては、血脈(けちみゃく、法門相承の略譜を記したも

の。死後に棺の中に入れ葬る)一つに数珠一つ、これが冥途の友となる。

 ええ、物貰いでも少しは目はし利かすがよい。これ程に医者の出入りやら、神子(神に仕えて祈祷・口

寄せなどをする女)やら御符(ごふう、神仏のお守り札)と屋内がごった返している、七草囃す(正月の

六日の夜に七種の菜を俎の上に置いて呪文を唱えながら叩き刻む行事。翌七日の粥に用いる)間もない程

に忙しいのが目に見えないか、通りゃ、通りゃ、行ってしまえと追い払われた所に梅安往診の急ぎの四人

で担ぐ駕籠が到着して降り立った長羽織姿の医者は奥へと通ったのだ。

 伊左衛門は編み笠を傾けて小声になって、やれ、源之介、母親の病状が重いようだ、命のうちにま一度

見せたくてこの姿で来たけれども、もはや見せる事も見る事もなるまい、と囁けば、源之介は早く母者に

会いたいと父に縋って泣きじゃくる。伊左衛門親子が物乞いの姿で夕霧のいる扇屋に様子を見に来たので

ある。

 梅安様のお帰りと、表に出れば遣り手の杉や家内の上下の者がついて出る。病気はどうで御座いますか

と質問すると、梅安は頭を振って、ギ婆扁ジャク(共に印度と中国の名医)でも手当は不可能、たとえて

言えば干上がった土器に燈心一筋を点して風吹きに置くようなもの。今日の日中か、遅くても初夜(しょ

や、午後の八時)限りだ、もはや毒も何もかまわずに気任せにしてやるがよい。ああ、惜しい人じゃ、夕

霧よ、夕霧と言って親方に大層な金儲けをさせてやった女郎じゃ、達者なうちにこの梅安、あの人を一年

でも女房に持てば今頃は匙を持たなくとも楽できたものを。むざむざと大金をあの世に送り出す様なも

の、これが本当の来世金(死後の冥福を祈る為に仏に捧げる金)じゃと言い捨てて帰れば、扇屋一家はう

ちしおれて返答をする者もいない。

 やれ、源之介や、医者の言い分を聞いたかや。もう面会は出来ないぞ、思い切れ。ああ、悲しや、どう

ぞ母(かか)様が死なぬようにして下されい。と父親に取りすがり泣き付き嘆くのは実に哀れであるよ。

 扇屋の了空夫婦は涙ながらに片手で蒲団を手づから主婦の居間に敷き、さっきの相の山節が奥に聞こえ

て大夫が慰めに聴きたいと仰る。此処へ入って面白いこと唄って下されい。あっ、と応じて親子が奥を見

遣れば夕霧は芙蓉(蓮の花)の様に美しいまなじりを衰えさせて、夕べを待つ間の玉の緒(命)の今まさ

に切れようとしている息遣いである。遣り手や禿に手を引かれて肩にかかったその姿、親子は目もくらん

でしまい、胸が塞がる、涙が漏れ来る。

 夕霧も、それと見るより飛び立つが如くに逸る心をじっと抑えて、畳んである蒲団の上にがっぱと身を

伏せ、迫る思いを口には出せずに涙で示して、人目の関を憚ってただ咳いるだけであるのも実に哀れであ

るよ。さあ、さあ、相の山節を早く、早く、と言ったところ、はい、と答えて涙の玉筅(ささら、竹の先

を細く割ったもので刻みのある木竿に擦り付けて音を出す。相の山節はささらを摺り、三味線を弾きなが

ら唄うので言った)、歌う声にも血の涙、子は安方(やすかた、謡曲の「善知鳥・うとう」による修辞。

うとうは奥州外が浜に住む水鳥。砂浜に産み付けた子を母鳥の鳴き声のうとうを真似るとやすかたと答え

て這い出るところを捕らえる。それを母鳥は空から見て血の涙を流すと言う)の囀りさながらなのだ。





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最終更新日  2025年01月21日 11時48分10秒
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