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公務員制度改革は自民党も民主党も掲げながら、一向に
進まない。特に民主党は「官=行政の徹底的な無駄の排除」
を訴え、大衆受けする「事業見直し」までやっているが、
公務員制度改革は自民党時代よりも大きく後退している。
ずっと書いているように労組が支持母体の民主党に公務
員制度改革は無理だと思う。参議院議員選挙で、一定の支
持を獲得した「みんなの党」に期待がかかるが、数の削減
だけ言っていて、どこをどうという思想がない。これでは
公務員制度改革はできない。
公務員制度改革は難しいとよく言うが、それは嘘である。
これまでの改革がうまくいかなかったのは、本質をついた
ものがなく、数合わせ、僅かな数の削減というようなこと
で終わってきたからである。
公務員制度を改革しようとする時に、根本の思想が大切
である。それは公務員を「身分」から「職業」に転換させ
ることである。「公務員が身分?」と驚く人がいると思うが、
身分なのである。
(法律で守られている身分)
身分を守っているものが2つある。1つは法律で身分が
保証されていて、殺人事件や大きな横領でもしない限り、
首にはならないということである。普通の会社なら、成績
があがらないと、事実上解雇とか、会社を辞めないといけ
ないことはいくらでもあるが、公務員にはこれがない。
だから、どんなに無能でも、ひどい行政をしても首にな
らないのだ。この身分保証はどこから来ると言えば、2つ
ある。1つは歴史的に、日本の官僚は政治家よりも身分が
上で、給料も権限も多かったということである。
江戸時代の老中、若年寄、勘定奉行などの幕府の要職は
官僚である。徳川家康、秀忠の親子は、幕府の要職には、
徳川譜代の重臣を据え、石高はそれほど大きくないが、権
限を与え、政治を行わせた。自分よりも遥かに石高の高い
大大名が異論を言っても、通らず、官僚である幕府の要職
にいる人間の方が強く、国を管理していたのである。
ところが、平和な時代が続き、譜代の重臣たちやその子
供たちが戦さなどでの試練、切磋琢磨や能力の見極めがな
くなってくると、その家に生まれた者は親の要職と同じよ
うな重職を継ぐようになり、幕府はどんどん無能化してい
ったのである。
明治維新後の政府では、大久保や西郷、伊藤博文、山県
有朋などは下級武士の出身で、庶民の生活や苦しみを知っ
ていた。その人が政府の要人になり、天皇と協議をして、
政治を行っていったので、大きな改革ができた。
これら維新の重臣たちは自分たちの後継者作りを考え、
現在の東大などを作った。つまり、政府の中心官僚の育成
学校として、帝大ができたのである。ところが、ここの入
ってくるのが、どうしても、親が身分の高い人ということ
になり、身分が固定していった。
育ちがよく、苦労をしないで育ち、かつ、大きな試練も
あまり体験しないこれらの後継者は、庶民感覚からどんど
ん離れていき、混乱していった。それに不満を持つ、貧し
い家の出身者も多くいる軍部との間での対立が大きくなり、
ついには、無能が政府がコントロールできずに、軍部官僚
が暴走し、破滅の戦争へと突入していったのである。
(スト権がないことの代償の大きさ)
こうした流れを脈々を受け継いでいる日本の戦後の官僚
たちは、戦後になっても、身分は政治家よりも上だった。
吉田内閣で、佐藤、池田という官僚の局長、次官クラスが
政治家になることを吉田に要請された時に、「身分も給料も
下がる」と言ったのは有名な話である。
この流れを助長したのが、戦後、政府が公務員のスト権
をなくしたことである。公務員からスト権をとりあげる見
返りが身分の保証であった。スト権がない代わり、給料は
毎年見直して上げていく、犯罪でも犯さない限り解雇され
ないということになったのである。
日本の公務員からスト権を取り上げたのは、戦後、公務
員の組合の力が強く、かつ、社会党、共産党の強力な地盤
で、スト権を与えると、政治の大きな影響を与えるという
ことを時の政府が恐れたからである。そして、その見返り
が身分保証だったのである。
しかし、スト権がないことについては、長くILO(国
際労働機関)から、是正を強く求められていて、世界の常
識からは逸脱している。公務員にスト権、労働争議権を回
復させることは重要である。ただ、この時に必ず、身分を
保証している現在の法律を改正しないといけない。
(身分を保証している試験制度)
公務員が職業ではなく身分にしてしまっているもう1つ
の大きな原因が公務員試験である。エリートの国家公務員
になるためには、上級公務員試験に合格しないといけない。
これはかなり難しい試験だが、これに合格した人は優秀な
人で、イコール、仕事もできる人という間違った観念がで
きあがってしまっている。
公務員試験制度は中国の科挙の名残だが、科挙は失敗だ
ったのが、歴史の教訓である。理由は簡単で、難しい試験
に受かって公務員になってきた人は、自分に絶対的な自信
を持ち、受かっていない人の言うことを聞かなくなる。し
かし、試験に受かる人は勉強バカというような人が多く、
世の中の実態を知らない。
だから、前例にこだわり、改革や時代に合わせてことを
しようとすることにとても抵抗する。時として、改革をし
ようとすると、世の中の実態を知らないのだから、トンで
もないことを始め、国民に大きな迷惑をかけることになる。
上級公務員には、勿論、法律や経済などの専門知識を必
要とする部署は確かにある。企業で法務担当者が必要なよ
うにである。しかし、これが全員である必要はない。これ
からの公務員はむしろ、時代を読み、新しいアイデアを出
せる人が求められている。
従来の上級公務員試験で合格させる人を全体の1割位に
して、彼らはエリートではなく、企業の法務担当者のよう
に、法律を作ったり、何か問題が起きた時のチェックをす
る担当者とすべきである。この発想の転換ができれば、上
級試験に受かった人=優秀という間違った認識がなくなり、
公務員制度改革が容易になる。
(幹部は政治任命制に)
公務員を「身分」から「職業」に変える仕上げは、大臣
に幹部の任命権を与えることである。官僚が政治家の言う
ことを聞かないのは、逆らっても首にならず、大学の成績
だけで出世していける、今の時代では考えられないような
仕組みになっているからである。
これを変えて、局長、審議官、部長クラスはもとより、
局の筆頭課長クラスの任命権を政治家に与えるようにすれ
ば、官僚は政治家の言うことを聞くようになる。これで官
僚は暴走しなくなる。
課長というと、企業の権限のない課長を想像するが、国
家公務員の課長クラスは、企業の課長よりも遥かに大きな
権限を持っている。課長全体でなくてもよいが、少なくて
も、筆頭課長は政治任命にすべきである。
また、国家官僚は省庁ごとの採用である。これが省庁間
の軋轢、権力闘争や、無駄な省庁間のダブリを生んでいる。
前から言われていることだが、採用を人事院に一本化する
ことがまず重要である。そして、配置された省庁で仕事を
した後、課長に昇進する時は、別の省庁に行く。更に、局
長になる時にも、平時代や課長時代と異なる役所でないと
いけないというルールを作ることである。
こうすれば、役所の局長クラスの幹部は少なくても3つ
の省庁を経験しており、役所の間の無駄、権力争いは大い
に少なくなる。現実に、財務省の局長クラスが防衛省など
の局長や次官に異動しており、難しいことではない。
(天下りをなくす方法)
最後の公務員制度改革できちんとしないといけないのは
天下りの問題である。天下りはなぜあるかと言えば、同期
のトップを走っている人間が局長や次官になると、その他
の人間はその役所を辞めないといけないという慣習が天下
りを生んでいる。
また、エリート公務員は若い時に給料が安く、同じ年齢
で民間大企業に行った人に比べると年収は半分とか、3分
の2くらいである。この不足分を天下り後に、取り戻して
いるのである。
天下りを単にけしからんと言っても、この根本を解決し
ないと、天下りはなくならない。これも解決は簡単である。
定年制度を民間企業と同じに60歳とか、65歳として、
自発的なものはともかく、役所の都合での早期退職をなく
し、同期や後輩が出世しても、辞めずに、職にとどまるよ
うにすればよいのである。
また、全体の給料水準の見直しをすることである。ただ
全員の給料を上げるのではなく、能力評価制度を採り入れ、
優秀な人間、仕事をした人間には多く払い、仕事をしなか
った人間、できない人間には減らすというようにするのだ。
(文中ーーローマ数字が表記できず、また、1種ではおかしい
ので、上級公務員という旧の表記としました)