異論・極論・直言――マスコミが言わない解説、提言

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2014.12.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
(高校で7割以上が落ちこぼれる日本の数学教育)

 数学、算数で、小学校で2割が落ちこぼれ、中学で5割が落ちこぼれ、高校で7割が落ちこぼれるという話である。7.5.3と言われて久しいが、数学、算数の教育内容は、どんどん詰め込み、概念の抽象化が進んでいて、現在ではこの比率が小学校で5割、中学校で7割、高校だと8、9割という感じではないかと、現在、小中学校の子供たちを教えていて感じる。
 1970年代に数学の世界で有名な先生だった遠山啓さんが、「文部省の数学教育は間違っているし、改定の度に、どんどん悪くなっている」という文部省の数学の指導要領を批判する本を書き、関係者の間では少し話題になったが、彼がそう言って40年以上経ち、文科省による改悪は更に進んでいる。
 中央官庁を記者として取材した経験から言うと、日本の役所は縦割りで、他の省庁が企画立案してものは、自分たちに大きな利害が関係なければ、他の省庁から意見は言わないようになっている。同様に、1つの省庁の中でも、他の局のことは多局は口を挟まないし、同じ局でも、担当課が違うと、他の課の人は意見を言えない仕組みなっている。
 文部科学省の場合、同じ初頭教育担当でも、国語と数学担当者は担当が全く違うので、他の担当は専門外で、財務省や経済産業省の同じ課の中で、意見を出し合い、案を修正していくようなプロセスがほとんどない。その結果、1人、2人の専門家が自分の思うままに案を作り、それが文部科学省、ひいては日本全体の案になって、子供たちに押し付けられているのである。

(数学ができないで、人生、勉強に挫折)
 どんな決められ方をしようと、それが結果的に良いものであれば良いが、今の小中校の学校で行われている数学、算数教育の指導方針、指導内容は最悪である。
 筆者にとって小中学生は孫のような年齢なのだが、ボランティアで東京の区立の中学校の放課後教室で多くの子供の勉強を見ているし、頼まれて、知人の小中校のお子さんの勉強を見る機会が多いので、今の教育がどういう内容になっていて、子供たちがその理不尽とも言える内容に苦しみ悶えているのを日々接している。

 いち数学の問題ではなく、多くの生徒の心に傷をつけているのが、今の数学教育の実態なのである。
 それだけに何とか改革をしないといけないと思うのだが、役人のシステムから言えば、文科省が自律的に変わることはまず期待できない。とすれば、政治が変えないといけないが、力のある政治家にとって、小中学校の教育は孫の世代の話で、どんなのひどいことが行われているか、知りようがないから、話題にもならないのである。

(数学が好きな人は全体の2、3割を理解できない文科省の担当者)
 何がどう悪いかと言うと、基本となる教育概念、姿勢、考え方が間違っているのである。
 文科省で数学、算数を担当する人は数学が好きで、自分も学生時代に得意としてきた。だから、彼らにとって、数学は楽しいものであり、数学の世界の面白さ、数の不思議さを少しでも多くの人に知って欲しい、そうした考えで、企画立案されているとしか思えない内容である。
 筆者も生徒、学生時代数学は好きだったし、数の不思議などにわくわくした人間なので、担当者のその気持ちはわからなくはないが、実際は多くの人にとって、数学は苦手だし、嫌いであり、数の世界の不思議さを聞かされても、「それがどうしたの」という世界なのである。
 その嫌い、苦手な人、数学に感動しない人に、「ほら、数学はこんなに楽しく、面白いのだよ」という発想で、苦痛以外の何物でもない内容を押し付けているのである。
 こういうと、「これから日本が生きていくには技術立国にしないといけないから、理系教育にはもっと力を入れないといけないのだ」という反論が返って来そうだが、これも、担当者の自己弁護の論理で、技術立国にするにせよ、それを担当する人間はせいぜい1、2割であり、それを10割全員に押し付けて良いということにはならない。

(知らないといけない2.6.2の法則)
 どんな世界でも、どんな物事でも、2.6.2の法則というのがある。これは人事を少し担当したことがある人なら知っているが、物事を理解し、どんどん手際よくさばいて行き、全体をリードする人は2割、そのリーダーの指導の下で、与えられた仕事をとりあえずこなして行く人が6割、残りの2割はいわば落ちこぼれで、他の人のサポートでどうにか、他の人に迷惑をかけないようにしていくかというタイプである。
 学校の成績で、相対評価だと昔から、5段階評価で5をもらえる人は全体の5%、4が15%、3が60%、2が15%、1が5%というようになっているが、これは、2.6.2の法則とも符合する話である。
 だから、学校教育では、筆者が学生、生徒の時代は教師は真ん中の6割の人を授業の標準にし、上位2割の人には進んだ別の課題を与え、下のできない2割の人には補講をするなどして、どうにか落ちこぼれないように対応してきた。
 ところが、今の文科省の数学、算数の教育の指導要領の基本スタンスは、上位2割の人対象にするような教育を行うような姿勢で全員に接しているのである。

 その結果、多くの子供が小学校3、4年から既に落ちこぼれとなり、そのまま、中学、高校と進むので、ますますわからなくなって行き、英語や国語、社会で早稲田、慶応のトップ私大を受かるレベルの文系の学生でも、「数学は大嫌い、大の苦手。高校2年でなくなって、せいせいした」という人がかなりの割合を占めるようになってしまっているのである。

(「腑に落ちさせる」ことが大切。「この通り覚えろ」はダメ)
 筆者が学校の授業に落ちこぼれている生徒、児童に数学を教える時、まず、することは小学校の基礎に返り、かつ、それを絵や図を使って、色々な角度から説明し、まず、「腑に落ちさせること」に努力をする。できない子、落ちこぼれ、自信を失っている子にとって、この「腑に落ちる」ということがとても大切なのである。
 腑に落ちると、それまで苦悶に満ちていた子供顔がパッと明るくなり、見るのも嫌だった問題に自分から取組ようになってくる。だが、文科省の指導方針も、それに基づいて作らている教科書、問題集、参考書に、この「腑に落ちさせる」という発想が極めて乏しいのである。
 また、数学、算数の教育で大切なことは、「具象から抽象へ」といかに丁寧に説明し、教えるかである。
 数学が苦手な子でも、具体的なものを見せて、説明すれば、ほとんど全員が理解できる。この具体的なものを見せての説明から入り、次にそれを黒板に絵を書いて説明し、次第に数字だけにしていく。これが「具象から抽象へ」であるが、今の教科書、参考書にはこの部分でも、親切さが微塵もないのだ。

 これは教師の能力や責任ではない。2割の生徒しか理解できず、ついてこれないような内容を詰め込み、教えないといけないとなれば、教師はそうするしかないのである。教師も文科省の指導要領の犠牲者だと言える。
 現場の教師がもう1つ大変なのは、同じクラスの生徒の理解度が、1つのクラスでまとめて授業をするのが困難なくらい大きく開いていて、教師の努力ではいかんともしがたいレベルになっていることである。
 また、今、今の現場の教師は自分たちが生徒の時に、「この通り覚える」と教わって来た人たちであり、しかも、自分が好きだから、数学の教師になっているので、できない子供の心理、納得がいかに大事かがわかっていないという面もある。
 野球の名選手が必ずしも名監督、名コーチになれないということが言われている。
 名選手と言われる人は子供の時から、野球をしているので、頭ではなく体で覚えている。だから、それを頭で整理し、理屈で他の人に説明することは苦手な人が多いのである。数学の教師に同じことが言えるのだ。数学が苦手で、自分の努力でそれを克服してきたような人に数学の教師をしてほしいと願う。

 今の小学、中学の数学、算数の教育の内容の具体的な問題点はどんなことで、それをどう改革していくかは、長くなったので、次回、書くことにする。





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Last updated  2014.12.23 11:41:02
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