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る。あほ(阿呆)には上から解かれてきたように温かみが含まれているという。字義から見ると呆(ほう)けるという自分を制御出来ない状態に準ずると言う意味を持つ「阿」が付いているから上の幼気ない、あるいは保護すべき存在として、許してもよい存在として、その場を収めながら、今後その行為をしないよう柔らかく注意を促すと言う意味があるのである。 それを生まれつき取得していない関東人が関西人に「アホとかアホウ」とか言われるとこれまた激しい憎悪すら感じるとか言うのである。本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その16
2025.04.10
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が出来ていない。 流れのうちにその証拠を見つけて行きたい。 それが認証出来ればこの「阿」から「亜」への意識上の流れの中に"温かみ"を含める憐れみの中に保護というか見捨てないあるいは仲間内、身内という範疇で切り捨てないものをみいだせると思うのである。 劣った行為を罵倒するのに関西では阿呆(あほ)と言い、関東では馬鹿(ばか)と言う。 ここで注意したいのはその行為であって本来はその人間ではない。 さて、関西人が関東人の「バカ」と言われると激しく反発の感情を持つとよく言われると書物にあ 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その15
2025.04.09
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弥陀仏の「阿」である。 宇宙そのものとしての大日如来ではなく、それに準ずるものとしてそのカタチがイメージとして理解される。 浄土教の流れが理解され広く認識。浸透していくことでその音と字が不即不離の関係が強固になった背景がある。 これは歴史を見つめる中で私が得た結論の一つである。 それをさら低レベル化するあるいは判りやすくいうと大衆化と言えば良いかと思う、そしていつしか準ずると言う意味を持つ「亜」の意味が附加されるようになったと思う。 これについては着想が最近降りたばかりで検証 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その14
2025.04.08
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状況を緩和させ出来れば穏便に収めるという短い表現法ながら恰も魔法のような言葉である。 別の思考をここで行うのは不遜であるし、この場にそぐわないと思うので別の場で詳考(造語)すべきだとなるのでさらりと触れておくと「阿」は日本語の五十音を整理すると図表的に冒頭に位置することと母音での中でも比較的ではあるが強い韻(ひびき)をもつ音を漢字で表すのに最適な字である。 なぜなら密教から浄土教への流れで密教の教主である大日如来の有り難みの一部分を代行というか影響する力の顕れとしての金剛界での阿 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その13
2025.04.07
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みてください。 さて冒頭の「あかんたれ」は酒場なり居酒屋で酒の上、 等での失敗を繰り返すオトナの男に対する女将(おかみ)なりママやそのサブ的存在のチーママ(小さいママ)がその失敗を庇(かば)う 時にその場の他の人にそれを許す事を乞(こ)う空気を醸し出す為の表現法と説かれる。 「あかん=許されない」に「~たれ」がプラスされると許されない状況に哀れみ(憐憫 れんびん)の情をかけ、その情けなさに思いをよせ、許すとい言う上から目線をその行為者以外を掛けさせる事によりその場の荒れそうな 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その12
2025.04.04
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ある。 この「法」は「放なり倣」つながるもので楽は分かりやすく言うと自由である。 自由は英語ではフリー(free)である。 洟垂れ小僧は幼気(いたいけ)ない幼児を指すことが多いが年長組に分類される頃になっても、自分をコントロール出来ない存在だからとしばし許される。 それが商家に入店し、丁稚になったら店の躾(仕付け)の度合いが評価されるとして一転厳しくなる。 それまでのモラトリアム期間と言えよう。 この「モラトリアム」と言う言葉については当ブログで取り上げてきたからそれらを参照して 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その11
2025.04.04
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らそれをしない。 それで得たものは少なくない。 それで良いと思うのである。 本日の言葉:その13 「~たれ」と言う言葉 考 「あかんたれ」という言葉がある。 関西地方での特有の表現方法で他にも馬鹿たれ、洟(はな)垂れ、と言う風に使う。 ものの分かった人に言わせると温かみを含んだ表意法で、「~~」になりきれてない、そのものと断定する事を避けて、そんな(哀れなと情けないとかに準ずる)意味をこめてその存在を認めながらも愛し、言外でそれを許してあげてと言うものだそうだ。 仏教用語に法楽(ほうらく)と言って修行が足らないものに 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その10
2025.04.03
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。 それは有用なのだが、それを基礎にして上の分析をして当初は受け売りでもよいから話してみるとよい。 それが出来たら自分なりの文章化を図ると良い。 私の例を参考にすれば、興味を強く引かれたことについて幾冊かの専門書・啓蒙書・新書・ジュニア向けの新書を読み通すことで本にすれば大部になるであろう24万字ほどのものをものにした。 もちろん受け売りなり、引用もありつつ、それから得たインスピレーションかあの独自の見解を盛り込んだものだがとても公表出来るまでのレベルには達していないのを自認しているか本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その9
2025.04.02
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っけものである。 話し合うことで相互の理解の度合いがわかり、それを認識する事で更なる勉強の意欲が掻き立てられるというものだ。 それから専門書に進むもよし、そこまででもよしである。 人生の残り時間はそんなに多くないから、別のテーマに移ること大切だと思うからである。 上は私が実践してきたことだから自信を持って言える。 テレビ等にお守りを委ねないで、自らを鼓舞し、難解な事象を読み解く努力をすれば、一日はあっという間に過ぎ去る。 テレビ番組で知りたいことを解説してくれるものが結構ある。 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その8
2025.04.01
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