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されるならそれに従い人間性が富んでゆくようなプラス思考へと導かれる感覚になる。 そうであれば時代の流れに逆行はしないまでも、アナログ感覚に浸るが如く、いわば羊水中に浮かぶ胎児が感じるであろう、そこはかとない包まれ感にある安心感がそこにある。 しかし胎外へ出る際には四足動物とは異なり人類はその誕生の際が初めての大試練であると言われる。 二足歩行への移行に伴いお産する女性のみで出産する事は困難となり、さんばさんというお産に特化した介助者にお願いして胎児を取り上げてもらう必要がある。 本日の言葉:その16 卑語 その6
2025.08.23
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関係者となった人がいてそれを見過ごすことでその立場を保存するために忖度する。 それが将来その組織を危うくすることに気がついていたとしてその個の立場を優先する人間がその上司に尊重され、可愛がられる。 本来の意味での正しい組織を持続させると言う目的なり存在意義はもはやそこにはない。 本日の言葉:その17 みそぎ ということ 人生や人々が歴史を経てくると積み重なるというか不可逆的な方向や本来的でないにしろ、増加する、即ちそれが善なるものであれば、幸福感が大きくなり、自分にそれが吸収 本日の言葉:その16 卑語 その5
2025.08.22
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い場合があり、持続してきた組織を危うくする人物がその組織の中枢に多く巣くうようになる。 その人々の好きな言葉が冒頭にあげた"清濁併せ呑む"とか"水清ければ魚棲まず"とかの品格の欠片を貶めるものである。 不正なり、小手先に走ることを重要視し、目先の小さな利益を得ると言った本来の大道から外れたという本来の志を失した輩がムダを排除出来ないときにその言葉を発する。 そのことを極小化する目を有することが大人物となった証と自ら言い聞かせることでそれに眼を瞑る。 その関係本日の言葉:その16 卑語 その4
2025.08.21
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がその人物に向後を託すのである。 そしてある程度の存在感を残しながらその人物の改革に力を添える。 それが出来ない組織は衰微の一途を辿る事になる。 それが芸術とかカタチのないものであれば尚更である。 それがなくとも困る人が少ないのである。 影響力のある組織であればそれなりのそれを支える人物を育てているであろうし、主体に匹敵する技能なり才をもつものもいる。 それに託せなくなったから外部からそれを出来る人を招聘する。 それで組織が保全されれば大丈夫となる。 ところが得てしてそうでな 本日の言葉:その16 卑語その3
2025.08.20
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呼ばれ、それが有識者の目に触れることを経て名声が喧伝される。 しかしそれを見出す側の見識が高くなければゴッホのように惨めな生涯となる。 これが蹊なのである。 この小道を大道にするために自ら動きその関連個所に身を置き、活動するそしてその働きが認められるようになると一定の指導者の見習いのような役割が与えられるようになる。 これが古来からの指導者の育成法の一つであった。 これはどの世界でも同様であったと思われる。 行き詰まりをその組織なり世界が見せるようになる時、それを打開する人物本日の言葉:その16 卑語 その2
2025.08.19
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だとされる人物の一人として特に賞揚されているほぼ同時代に生きた人物と言われる。 言葉の意味は上に述べたようだが、注目したいのは蹊(こみち)と言う語である。 果実をつける樹木は多くて数百個のそれを成すとか。 その実の一つ一つを作品(成果)とみるかそれを慕う人と見るかその果実を食する人と見るかで一つの物語が出来そうである。 それはその才が有る人に任すことにしたい。 成果と見れば実績を重ねているのであり、その中の幾つかは会心の作が見出せることもあろう。 それはマスターピース(名品)と 本日の言葉:その16 卑語 その1
2025.08.18
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"清濁併せ呑む"とか"水清ければ魚棲まず"とかの格言なり言い回しがある。 前者は大人物の度量の大きさを表す言葉として知られている。 功成り名を遂げたと言われる人は自ずから蹊を成し、その成功に肖(あやか)ろうとしてその教えを請うためにそれなりの志なり技能を有した人が集まるのだという。 「桃李不言、下自成蹊」即ち"桃(とう)李(り)言(い)ものいわざれども、下(した)自(おのず)から蹊(こみち)を成なす"という名言がそれである。 この言葉は司馬遷の著した古代中国の本格的歴史書である『史記』の中で他人の才能を尊ん本日の言葉:その14 『無量寿経』から:「五劫の擦り切れ」その4
2025.08.17
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レッシュするわけです。 その様子をのぞきたいとする輩はいないでしょう。 仏門に入る際の戒めの一つが妄を払うことなんですね。 一般人の生存は苦であり,その苦の原因は妄執によって起るのであるから,妄執を完全に断ち切れば完全な悟りを得ることができると考えるのです。 その状態に到達するための修道法として説かれた8種の正しい実践を八正道という。 すなわち,正しい見解 (正見) ,正しい思惟 (正思) ,正しい言語行為 (正語) ,正しい行為 (正業) ,正しい生活 (正命) ,正しい努力 (正精進) ,正しい想念 (正念) ,正しい精神統一 (正定) の8つをいう。本日の言葉:その14 『無量寿経』から:「五劫の擦り切れ」その2
2025.08.16
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億年といわれています。 ですので、「五劫」はその5倍、永久に近い長い長い時間のことをいいます。 それくらい長い時間をかけた思惟。そして阿弥陀へ。 さて、天女の仕事はよく知られているのが浄土において妙なる調べを奏でることでしょう。 浄土においては雨のように甘露水が時折降るので、それにより食事も摂らないでよいのです。 健康そのもの生活なんですね。 それでも如来でもない身ですから奉仕を続けてゆくと精神的な疲労が溜まってきます。 そこでそこはよくしたもので定期的に湯浴みをすることでリフ本日の言葉:その14 『無量寿経』から:「五劫の擦り切れ」その1
2025.08.15
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『無量寿経』の中に時の話題がある。 短い落語の一つに「寿限無」があります。子供にめでたい意味の言葉を全部つけてしまったため、それを言うだけで時間がかかり井戸に落ちたのを助けられなかったと言う皮肉な噺です。 その中の言葉が、「五劫の擦り切れ」です。 正しくは擦り切れずとか。 「一劫」は、天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減っていき、その繰り返しでその岩が無くなってしまうまでの期間を言います。 その期間は約40本日の言葉:その13 オマージュ
2025.08.14
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オマージュという言葉を聴いたのは、私の半世紀以上になる人生の内でたかだか10年ほど前であろう。結構沢山の本を読んできたので、その間にそれを目にしたことは一再ならずあったはずだが、意識を強く持ち出したのは上記のようである。口さがない人に言わせると、模倣にすぎないと切り捨てる。 贋作だと騒ぎ立てる。 本物を価値あるものと万人が認め、その価値観を共有したい、あるいは同じ水準の技法を獲得する手段として叶うことならそっくりそのままと見紛うばかりのものにしたいのは憧れと尊敬の念からも当然と言えよう。そうなった作品が出来れば、それと宣言して人前に披露できればよいと願いたくなる。 その機会を得て、披露できたら、それは習作と呼ばれることで認知され、一個の作品としても認知される。本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その18
2025.08.13
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