戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年11月01日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
連休初日の本日。
今日は出かける予定を立てていて、それだけを楽しみに
ストレスの溜まる1週間をどうにか過ごしてきたのですが、
体調が悪かったのと雨の予報で気が重くなったので延期としました。

そういや、ちょうど1年前のこの連休は 試験が終わった翌日
うっぷん晴らしに寛永寺から湯島まで歩いたんだっけか。
「上野第三編(1)」 以降参照)


ブログで歴バナを書く副作用として「時差ボケ」がひどいと
2012年の総括の記事 に書いたことがありますが、
まだあの頃は戦国期を中心に書いていたので、4~500年程度の時差だった。

ところが今年は天平の歴バナと本シリーズで1200~1300年ほど
飛んでおりますので、時差ボケひどいどころの話じゃない。
4~500年の時間旅行なんて可愛いもんだと思ってしまうんだから、
慣れってのは恐ろしいもんです



さて、前回延暦17年(798)の続きですが、桓武のお小言以外にも
当時の仏教界の状況が見える記述が9月16日にあります。

法相(ほっそう)宗は玄奘にもかわいがられたというあの 道昭 さんが持ち帰ったもので、

もう一方の三論宗は龍樹の説を戴く宗派で、日本には3つの系統があるようです。
(世親と龍樹は 「叡山攻め(16)」 を参照)

法相と三論が車の両輪のように並び立ってこそ仏の功徳があまねく世間に及ぶものなのに、
この頃は法相の勢いに押され、三論は風前のともしびのような状況にあったようです。


三論宗の「法将」と呼ばれていた大安寺の僧・善議(ぜんぎ)のプッシュに
よるもののようです。
「法将」とは「仏法の大将」という意味らしい。
延暦17年の時、善議は70歳だったらしいんだけど、仏法大将ってすげえな・・・(笑)。

三論と法相の争いについては少し記憶に留めておいてください。


で、11月には最澄が法華十講(ほっけじっこう)の法会を初めて主宰してます。
これは「法華経」など3つのお経の10巻について講義をしたもので、
法華経8巻のほかには「無量義経」1巻、「観普賢菩薩経」1巻で計10巻。

法華経は天台宗の根本経典。
無量義経は法華経の開経、観普賢菩薩経は法華経の結経と天台大師・智ギが定めたもので
この3つをもって「法華三部経」といわれるものです。

ちなみに、観普賢菩薩経はどうも法華経の中の「普賢菩薩勧発品」をベースにして
書かれたもののようで、無量義経とあわせて中国での撰述と見られているようです。
つまり 偽経

だからどうだという訳じゃないんですが、法華経の成立時期には諸説あるものの、
大乗経典だからどのみちお釈迦様の死から相当の年数が立って成立したものではあるし、
仏教と訳経の歴史を知った上で日本仏教の歴史を見ると、
色々な感情や感慨が浮かんできますね~。

ところで、わたくしのお経暗記はまだ新しいステップへ踏み出せません。
もう完全に覚えてはいるのですが、「覚えた」レベルじゃダメで、
これが糖分やコレステロールなどと一緒に血液に乗って体内を流れるくらいにまで
覚え込まないと、次のお経を覚えても古いお経を忘れてしまいます。

ので、今は通勤の際にこれまで覚えたお経をまとめて唱えて消化に務めていて、
わたくしの通勤は完全に「お勤め」の時間となってますが
最新のお経「如来寿量品」は法華経の中でもメジャーなお経であり、
おそらく法華経の中核をなす一節ではないかと思います。

で、大体の意味は押さえているものの、毎日ぶつぶつと頭の中で唱えていると
不思議と琴線に触れる時もあるもので、お釈迦様の「死」というのは仮の姿(=方便)で、
実はいつも私たちのそばにおられるし、個々の人間がどういう行いをしてるかも
ぜ~んぶ知ってるし、どうやったら全員を成仏(成就仏身)させてあげられるのか、
お釈迦様はいつも考えておられるんだよ~・・・
という如来寿量品で説かれるお釈迦様の限りない慈愛をお経の中に感覚として読み取る時、

「確かにこれはいいお経だわ~」

とも思うし、

「これこそ大乗の真髄だよな~」

とも思ったりもします。

宗派によって若干の読み方の相違はあるものの、日本で使われているお経は
漢訳のものそのままなので、最澄や空海がわたくしと同じものを読んだのはもちろんのこと、
多くの中国人も救ってきたのかと思うと何とも言えない気持ちになりますね。

如来寿量品のあとは金光明最勝王経にチャレンジしようかとも思いましたが、
このお経がなかなか良かったので、このまま法華経コンプリートを目指そうかとも
思ってます。


激しく話がそれましたが、最澄の法華十講は智ギの定めた法華三部経の講義であり、
その日程は11月14日~23日の10日間。
そしてその翌日、11月24日は智ギの命日で智ギの供養を兼ねた法要が行われたそうな。
つまり、天台一色の法会だったようです。

これまでにも書いてきましたが、法華経や天台自体は最澄以前から日本に入ってきてました。
聖武天皇の命によって始められた国分尼寺の正式名称は「法華滅罪之寺」だったし、
渡来僧の多くが天台の流れを汲んでいることも紹介してますね。

が、天台カラーを前面に押し出して初めて大々的に法会を行ったのが最澄。
現代でも11月24日には霜月会(しもつきえ)と呼ばれる智ギへの法会が
ほとんどの天台寺院で行われているが、延暦寺の場合は年ごとの法会に加え、
5年に1度、霜月会と最澄への法要「六月会」、そして「広学竪義」という法儀の
3つをあわせて一山あげての「法華大会」という大法儀が行われている。

この法華大会は康保3年(966)から毎年行われてきた歴史ある勅会だったが、
現在の5年に1ぺんスタイルに変えたのが天海で、今でも法華大会には必ず
天皇のお使いが参加するそうな(延暦寺発行『比叡山』より)。
法華大会を含む霜月会の始まりが延暦17年の法華十講。
初めての華々しく大々的な天台法会だったから、
日本天台宗の中では重要視されているようです。


それから、月日まではわかりませんが、この年は道忠のもとで出家した円澄(えんちょう)が
叡山に入って最澄の弟子となったようです。
円澄の弟子入りについては前回ウィキと佐伯氏の推測の2つを紹介してますが、
道忠が畿内周辺にいたならともかく、関東からわざわざ叡山に行ってるあたり、
道忠と最澄のキューピッドとなったのが円澄なのではなく、
大安寺から起こった風に押されて道忠が円澄を送り出したという佐伯氏の推測の方が
妥当な気がしますね。

円澄はのち、第2代の天台座主となります。
初代座主は最澄と思われがちですが、最澄は天台座主にはなりませんでした。
青・壮年期に華々しい活躍をした歴史上の人物で晩年陰りが見える方は多いですが、
最澄も後半生は色々苦労してます。
本シリーズでそこまで書くかはまだ未定ですが。


●延暦18年(799)

法均(和気広虫)が死去 。享年69歳。
2月、美濃・備中・大和で飢饉。
2月15日、 春宮亮・大伴是成と大法師位・泰信らを淡路へ遣わし、早良親王の霊に
幣帛を捧げ謝罪する。

2月21日、 和気清麻呂が死去。 享年66歳。

3月、近江・紀伊・伯耆・阿波・讃岐で飢饉。
3月1日、民部省の米倉が震動する。
3月8日、出羽の山夷(狩猟を糧とする蝦夷)への禄を停止し、田夷(農耕を主とする蝦夷)と
山夷とを問わず功績のある夷人へ禄を支給することにする。

4月、河内で飢饉。
4月9日、何日も洪水が続いて稲の苗がダメになってしまったので、山城・河内・摂津等の
国に実態を調査させ、貧乏人へ国衙の蓄穀を支給させる。
4月15日、左右京の貧民に物を施す。
5月、淡路・讃岐で飢饉。
5月19日、諸国の国司と講師に国分寺の僧侶を監督させることにする。
5月28日、使者を使わして伊勢神宮の正殿の改築をさせることとする。

6月、越中・丹後で飢饉。
6月4日、法華寺の尼をゴーカンした罪で雀部広道を捕らえ杖一百の刑に処した。
6月5日、王者が国を治めるにあたっては徳政を先とし、皇帝が人民を養うには良い穀物を
根本に据えるものである。朕は朝から晩まで民のために頑張っているが、自然の運行は
順調ではないし、去年は穀物が実らず農業が被害を受けた。昨年の不作は朕への咎めの
兆しだろうから、人民に豊かな恩恵を施しこれに対処しようと思う、として被害の大きかった
11国の昨年の田租を免除する。

6月12日、僧侶の中には勝手に本寺を離れて山林に隠れ住み、人の依頼を受けて怪しげな
行為をする者が少なくない。そこで国司に命じて管轄内の山林の道場とそこに住む僧と
在家の信者を調査し、漏れのないよう報告せよとする勅を出す。
6月15日、神を祀るにあたっては恩徳と敬虔の気持ちがなければならないのに、大和国司は
これを怠り、雑任を遣わして祭祀に奉祀させている。祭礼を行っても応報がないのは
このためで、今後は守ないし介を遣わすよう命じる。
6月20日、昨年の不作により民が食料不足なので、私出挙を再度禁止する。
6月23日、京中の巡行の際見かけた囚人が働く姿を見て哀れに思ったので、
現在刑役に着いている者と未決囚のすべてを赦免する。
ただし、殺人犯や貨幣偽造犯などは赦免の対象から除く。
6月27日、僧300人と沙弥50人を宮中に呼んで「大般若経」を読経させる。



この年は面白い記事が多くて困ります。
ので一旦ここでストップして見てみますが、6月4日のニュースはつい・・・(笑)。
レイプ犯に百叩きは甘かろう。

しばらく戦争の影は見えませんが、帰服した蝦夷への慰撫はまだ続けられてます。
前年の不作が響き、朕の不徳の致すところとして囚人の解放や田祖の免除など
懸命に徳を積もうとしてますが、その一方で祭祀の成果が上がらないのは
国司のせいだなんて言っちゃってます。

伊勢神宮の改築なども行って神様のご機嫌を取ろうとしてますが、
やはり大もとに働きかけなきゃダメだと思ったようで、地位のある僧侶を遣わして
再々早良親王へ陳謝してますね。

大体、犯罪人が死んだのなら謝罪なんてことはしないハズだし、
早良親王への陳謝はこれで何度目でしょう。
完全に「負け」を認めて、6月5日の勅でも「昨年の不作は朕への咎めの兆し」と
大っぴらにしてますね。
それでもまだ桓武の苦悩と恐怖は続くのです。


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最終更新日  2014年11月01日 22時50分03秒


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