柴楽日記

柴楽日記

2019.05.16
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カテゴリ: グルメ・旅
前回の続き。
尾道より国道2号線を経由して福山の鞆の浦へと足を伸ばしてみました。

豊後水道と紀伊水道双方からの海流が合流する瀬戸内海の中央にあたる鞆の浦は古代
より潮待ちの港として繁栄した場所です。

その街並みは現在も江戸期の町絵図とほぼ一致する区割りとなっています。

石畳の街路を進むにつれ、何処か懐かしい感覚に包まれていく様な気がしてくるのも
こうしたことに起因しているところがあるのかもしれないですね。

こちらは太田家住宅。
古くから海上交通の要衝として多くの人々が往来したこの場所で江戸期に藩の宿泊施設


江戸初期に大阪からここに移り住んだ漢方医のルーツを持つ中村吉兵衛が16種類に及ぶ
生薬を使って保命酒を醸造し、後に福山藩より醸造販売の独占権を与えられることとなり
お上のお墨付きを得た保命酒はその名が広く世に知られることとなっていきます。

太田家住宅の店土間には醸造に使用されている生薬の展示と解説がなされていました。
この住宅での製造は1901年(明治34年)に中村家の廃業により終了することとなります
が、現在も鞆の浦の4軒の酒蔵でその製造が行われています(当住宅は翌々年に太田氏が
所有することとなり、平成3年に重要文化財の指定を受け、その後6年にわたる保存修理
工事を経て江戸末期~明治初期の住宅の姿へ整備され一般公開されることとなったそう
です)。

太田家住宅の隣にある保命酒屋(鞆酒造)も保命酒を醸造・販売するお店のひとつです。

甘みがある口あたりの良い薬味酒で、旅のお土産とさせて頂くこととしました。



沿岸部とその周囲の島々が鞆公園として国の名勝そして国立公園に指定されている鞆の浦。
そして2年ほど前には文化財保護法144条に基づく福山市鞆町伝統的建造物群保存地区として
港を含む8.6haのエリアが重要伝統的建造物群保存地区としての指定を受けるに至ります。

産業革命の波がこの国にも押し寄せた明治期から大正、昭和、平成と時代を経るにつれて
社会の変化のスピードは益々勢いを増している様にも感じられます。

予想される昨今、一方で普遍的な価値を持つものを保護し後世へと伝えていく責任もまた
これまで以上に求められる時代となってくる様な気もするこの頃です。





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最終更新日  2019.05.29 22:18:36
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