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今日、今年初めてのゴスペルクラスがあった。一年前、このクラスを始めた頃は、苦労の連続で、人も集まらず、先生と、私達夫婦と、あと一人を足して合計4人で歌ったこともありました。でも、そのゴスペルクラスも、回を重ねるごとに形になってきて人数もそれなりに与えられて、本当に楽しく、心から歌えるようになりました。今日は歌いながら、そんな一つ一つの事を思い出しながら涙が出そうになりました。そして、心から、ここまで忍耐強く教えてくださったM先生と支えてくださった他のメンバーにありがとうと言いたくなりました。本当にみんなありがとう!そして、これからも楽しく歌おうね!!!
Jan 28, 2005
最近は、思想においても宗教においてもやたらに「寛容」が叫ばれる。しかし、最近つくづくと思うのですね。事実はそんなに単純じゃないって。だって「多元主義だ!多神教だ!寛容だ!」と目くじらを建てて言う人に限って絶対的な価値観を持っている人を決して受け入れようとしないし一生懸命排除しようとするでしょ。それは、「不寛容な寛容」ではないのかなぁ・・)?(寛容の仮面をかぶった排他主義ともいえる)なんだかそんな嫌な雰囲気が今の世界を覆っているな。。。私にとってはブッシュのネオコン思想(保守)も怖いが逆の寛容信仰(リベラル)も同じくらい怖い。
Jan 24, 2005
私は最近の朝日新聞の連載に心を痛めています。その理由は、以下の通りです。 イラク戦争が始まってから今日まで、アメリカの政治とキリスト教保守派の関係について、連日のように連載されている。もちろんそのこと自体は喜ばしいことであり、そこに問題があるならば、私たちは真実を知る必要がある。しかし、最近の記事は、いささか公平性を欠いてはいないだろうか。 その連載の内容は、・中絶に反対する(神に与えられた命だから)・神がこの宇宙を創られた(創造に関与された)と信じる・クリスマスを伝統的に「キリストの誕生日」として祝う保守的なキリスト教に向けられ、まるで彼らが狂信的なカルト教団だといわんばかりである。しかし、彼らがそういった信仰を持つこと自体に罪はないし、それに基づいて発言しても許されるはずである。そもそも、そういった意見を一方的にバッシングしても良いのだろうか…。 もちろん朝日新聞がいいたいのは、そういった信仰を持つこと自体ではなくて、そういった考え方を押し付け、政治に圧力をかけることを問題視しているのだろう。しかし、それにしては、その辺の線引きがあいまいである。 また、もしこういった問題を、本当に公正な目で批判するなら、日本の政治については更に熱心に論じるべきである。日本の与党には公明党が入っており、その支持基盤はいわずとも知れた特定宗教団体である。その「教祖」が絶大な発言力を持ち、日本の政治に深い関係を持っている以上、その教団の信仰が、政治にどんな影響力を持っているのか、これこそ徹底的に暴くべき問題ではないか。 しかし、朝日新聞をはじめ、世のメディアもなかなかそれをしない。相手を恐れているのだろうか。だから対岸(アメリカ)のキリスト教だけをたたくのか…。 いずれにしても、憲法によって信教の自由が許されたこの国で、個人的な信仰を、このような形で傷つけられることは大変遺憾である。もし書くならば、せめて、私と同じく日本にもたくさんいるクリスチャンの方々に、これ以上の苦痛を与えないためにも、「アメリカの国内外には 全く異なった違った意見を持つ教派もあります。 この記事はキリスト教全体を 非難するものではありません。」と何らかの但し書きを掲載すべきではないだろうか。
Jan 21, 2005
時が経つのは本当に早いもので、12月9日に生まれたわが子が先日、一ヶ月検診を受けてきました。51センチだった身長は56センチに3200グラムだった体重は4300グラムになっていました。抱っこをしながら沐浴をさせながら、その成長ぶりに思わず目じりが下がります。親になってはじめて分かりました。こどもは実に色々なものを吸収しながら成長していくのだと。もちろん、お母さんのおっぱい。2~3時間おきに実によく飲みます。それに伴う両親(特に母親)の時間と労力。そして何といっても愛情。。。たとえおっぱいをたくさん飲んでも十分な愛情がなければこどもは健全に育たないでしょう。そんなことを思いながら今晩も寝る前に娘の頭に手を置き神様の加護を祈りどんなにお父さんが愛しているかを言葉にして伝えました。すると不思議、まだ分かるはずもないのに娘がニッコリと笑いました。~~~聖書の言葉~~~私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。1ヨハネ4:16
Jan 13, 2005
今朝の朝日新聞にこのような記事が載っていました。「キリスト教には一神教に特有な 排他的な面がありますが 排他性はカトリックよりも プロテスタントのほうが強い。 それが原理主義につながって 好戦的思想となり、 イスラム教とぶつかり合っている。」「一神教の排他性が戦争を起こしている今、 寛容な多神教の意義を もう一度見出すべきである。」たいへん分かりやすい、おもしろい、でも、なにかがおかしいぞ…。そんな印象を受けました。この記事は、靖国問題も続きました。「第二次世界大戦中、日本は国家神道を掲げて アジアの国々を侵略しました。 そして、アジアの人々が靖国神社のほうを向いて 深々と敬礼していたのです。 そして、今日も小泉首相は そのことに対する反省も曖昧なまま 各国の批判を押し切り、公式参拝を続けています。 これはいけません。」(要約)なるほど、きっとこの記事を書いた梅原さんはこう言いたいのでしょう。「私は多神教の意味をもう一度見直すべきだと思う。 でも、第二次世界大戦中の『神道』は、 欧米の影響を受け、天皇を中心とした、 一神教化した『神道』でした。 だから、それ以前の、素朴な多神教に 戻るべきだと思うのです。」とでもだとしたら、今日の原理化したキリスト教も、本来の姿を失い、一部の人々によって捻じ曲げられ(利用され)ているとはいえないでしょうか…?本来のキリスト教はもっと素朴なものです。それは「神と隣人を愛する教え」です。罪深いのは、わたしたち「人間」です。わたしたちは「自分の思い通り」にするためなんでも利用しようとする。ブッシュはキリスト教会を利用した。そして多くのアメリカのキリスト教会は利用された。そして尊敬を失った。これは宗教一般についても言えることかもしれない。今日、多くの宗教は、欲深い人間の道具となってしまった。多くの人々は、それを見抜き、宗教そのものに見向きもしなくなっている。でも、でも、こんな時代だからこそキリストご本人の教えは、ますます、その重要性を増しているのだと思う。イエス・キリストはいいました。「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、 わたしのために自分のいのちを失った者は、 それを自分のものとします。」マタイ10:39私達は、自分の心の中にもある「自分の思い通りにしたい」という思いから目をそらさず、絶えず監視すべきです。そして自分に対する批判の目を失うことなく自己否定(悔い改め)の道を歩むべきなのです。
Jan 7, 2005
いつもブログを訪問してくださる皆様旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。今年は家庭に一人加えられ、新たに3人での出発となりました。この年、与えられた御言葉は「土台」に関する言葉でした。 私は賢い建築家のように、 土台を据えました。 その土台とはイエス・キリストです。 1コリント3章10-11節家庭においては父親として自覚を求められ教会においては牧師としの責任が増しています。この変わり目となる大切な年何よりも、まず、確固たる土台を築きたいと願わされています。個人的には、この「土台」を「イエスキリストとの豊かな交わり」と捉えています。そこでこのブログでも、御言葉に関するエッセイをまるでイエスキリストと会話するかのように自然な形で書いていけたらいいなぁと思っています。地道にアップしていきますので、ぜひ、また遊びに来てください。この2005年が皆さんにとっても祝福に満ち溢れた年となりますように。。。God bless you!Shinzy
Jan 1, 2005
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