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久しぶりにTHE YELLOW MONKEYを聴いている。全てが別れの歌に聞こえて切ないったらありゃしない。吉井が昔、「僕らの歌は全て、ファンと僕らの関係を歌っている」というような事を言っていた。THE YELLOW MONKEYには、セックスを想起させる曲が多いが、吉井はライブのMC等で、ライブをファンとTHE YELLOW MONKEYのセックスに例える事も多かった、と記憶している。(メンバーとの、ではなくて、『THE YELLOW MONKEY』との、というニュアンスだった。当たり前か。)そんな事を思い出しながら聴くと、全ての曲が、彼らからの別れの言葉に聞こえてくる。これが嫌で、解散からこっち、CDを手に取るのがためらわれる。話は変わって。THE YELLOW MONKEYには、セックスを想起させる曲が、本当に、多い。直接的に性的な言葉を使っていないのに、セクシャルな事を想像させられるのが、私は結構好きだ。よそでもよく使われる手法なんだろうか。他のアーティストの曲については余り追究した事がないので良く分からないけれど。私がTHE YELLOW MONKEYを好きになった理由の1つは、そういう叙情のあるエロイズムだった。まぁ私が「これはセックスの歌だー」と思っていても、他の人はそうは思わなかったりもするかもしれない。単に私の脳みそがエロいだけだったりして…(苦笑。吉井の歌い方がエロいだけとか…。CDが一巡りした。『FOUR SEASONS』にしておいて良かった。出かけて来よう。
2004年12月18日
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コンテンツが幾つか表示されなくなっているのに気が付いた。登録し直したらすぐ元に戻った。なんで白紙みたいになってたんだろう?最近読んで面白かった本。中坊公平『罪なくして罰せず』『話の聞けない男、地図の読めない女』両方とも古本屋で100円で入手した事を考えると、めちゃくちゃお得だった。こんな面白い本が100円で読めるなんて、ブックオフは、本の価値分かってないと思う。まぁおかげで大節約生活中の私は大助かりだけれど。感想を早く書き上げてしまいたいのに、なかなか進まない。中坊公平氏の方は自伝的なエッセイのような体裁。たぶん私の心を揺さぶった本ベスト10の中に食い込む勢いで、考えさせられた。久しぶりに『社会貢献』という事について思いをめぐらした。『話を聞けない男…』の方は、ヘテロセクシャルの人間は知識として知っておいて絶対に損は無い内容ばかりだった。異性と恋愛したり結婚したりしている人、する予定の人は絶対読むべき本だった。古本屋に流通してくれてて助かった。危うくこんな大事な本を読まずに結婚生活送り続ける事になる所だった。
2004年12月09日
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6日に書いた内容が中途半端なままなのが気にはなりつつ、今日は私が教師をやめた理由を書く。こんな事を書けるようになったのは、私にとってその問題が昇華した、という事なんだろうか…。それともただの自己顕示か。それはさて置き、本題。教師になりたての頃、同じ学年の同じ教科に、目標にできるような、年も近く、身近で、なおかつ教師として尊敬できる女性がいらっしゃった。自分が教師をやめた事に思いを馳せる時、彼女に対してとても恥ずかしい気持ちになる。私の事を買って下さり、応援して下さっていたから。彼女の他にも、私に「がんばれ」と言ってくれた先生は沢山いらっしゃるけれど、誰よりもまず彼女に対して「頑張り続けられなくてごめんなさい」と頭を垂れる気持ちになるのは、最初に私をいちばん近くで面倒見て下さったその方が、いちばん長く私を支えて下さった事にもなるからだ。彼女には「教師魂」みたいなものがあった。私は彼女のその「魂」に触れる度に、心を鷲掴みにされ、彼女のその「教師とはこういうものだ!」という思想に、すっかり染まっていったと思う。彼女の思想の一端を示す言葉の幾つかは、教職からすっかり離れた今でも、私の心に残って消えない。「裏切られるのが仕事。 何度裏切られても諦めない。」「嫌いだと思った生徒は1人もいない。 生徒を嫌いだと思ったら終わり。」「生徒と刺し違える覚悟はできている。」こうして羅列しても、その裏にあるその先生の思いは、うまく伝わらないのかもしれない。要約できるようなものじゃないけれど、あえてその底辺に流れていた心を表現させて貰えるなら、親の、我が子に対する、厳しくて熱い愛情と、酷似している、という気がする。大げさではなく、彼女は、教職に命を賭けていた。そうして、私はそれを追究する事を、たったの3年で放棄した。これらの言葉を彼女から聞いた時には、「おぉ、すげー。 私もこの先生の心意気に負けないようにがんばるぜ。」と、無邪気に燃えていた。すぐに、それがどんなに難しい事なのかを思い知らされる事になったのだけれど…。「嫌いだ」と思わざるを得ない教え子にも出会ってしまったし、「こいつらに殺されたら堪らない」と内心びくびくしながら指導をした。教壇では嘘はつけない。心の柔らかな子供たちには、私の心の中身はバレていたと思う。それでも必死に、自分で自分に嘘をつきながら、闘おうとは試みてみた。もちろん、辛い事ばかりだった訳ではなくて、思い出すだけで嬉し涙が出そうになる出来事もあったし、私を慕ってくれる生徒も沢山いた。けれど、どこまでいっても、生徒より自分の方が可愛い。それが当たり前だと言われるかもしれない。私は、自分で自分を追い詰めたと思う。でも、「教え子と刺し違える覚悟」はどこまでいっても持てそうにない、そこまでの覚悟が持てないなら、私は続けられない、と思ってしまった。思うに。「生徒より自分が可愛いのは当たり前」と思える気楽さか、「たとえ自分の命を奪われても、 生徒の為と自分が信じる教育を貫く」という信念を持ち続けられる強靭さ、どちらかが無ければ、教師でい続ける事は困難だ。私にはどちらも無かった。要するに、中途半端な人間な訳だ。で、『めだか』だ。主人公の「めだか」は、まだまだ中途半端な部類の教師に見える。そこに私はつい、自分を重ねて見ては苛立つのだ。「めだか」の中途半端さより、強さがより感じられるようになった所で、最終回にして欲しい。「めだか」の中に私を見たくない。これは私の逃げなんだろうか。とっくに教職から尻尾巻いて逃げ出した私が、今更、何から逃げているんだろう。教え子の顔がちらつく…。あんた達に恥ずかしくないような生き方、しなきゃならない。お世話になった先生方の期待を裏切った事も申し訳無いと思うが、何より、一段高い所からあいつらを見下ろして打った、生き方がどうとか、努力がどうとか、成長がどうとかいう、私自身の言葉の数々を、裏切るな、私。
2004年12月08日
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めだか、というドラマが私の神経を逆立てる理由が分かった。あれは、かつての私だからだ。理想ばかり高く、能力の無い、若さだけが取り柄の。
2004年12月07日
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付き合い始めてから数えると、夫との付き合いは3年余り。これだけ付き合っていても全然飽き足りるという事がない私に、時々夫もあきれるみたいだ。どうも私はドーパミンの分泌量とか分泌の仕方が人と違うような気がする。昔何かで読んだ話では、ドーパミンっていうのは「異性に惚れる」という感情に大きく作用を及ぼしていて、でもそれは1つの対象に対しては3年くらいしか続かない、というような事だったと思う。私は結構惚れっぽい。そのくせ飽きっぽい、というのはよく聞くような気がするけれど、私は好きになった男に対して「飽きる」という事がない。しかも今の旦那に出会うまで好きになった男性達には、飽きるどころか、「足りる」という事すらなかった。分かりにくい表現だな。もう書き飽きた言葉で、甘ったれているから我ながら嫌だけれど、要するに「もっと愛されたい」とか「愛されていない」っていつも思っていた。今は夫が良くしてくれるので「もっと愛されたい」「愛されていない」とは思わない。でもたぶん、今までの「愛されていない」と思っていた時間が長すぎて、夫の愛をむさぼっている、という気がする。これがまた私の夫という人は不思議な男で、ふつうこれだけ女に寄り掛かられたらうざったいだろうと思うのだけれど、そういう感覚がないらしくて、おかげで私は3年余りもこの人の愛をむさぼり食っている訳だ。私が逆の立場だったら絶対しんどくて放り出してるだろう・・・。こんな関係だから、とても対等とは言い難い。少し、夫と自分の関係について考えてみたい。とか書いている内に、いい加減ご飯を作らなければやばい時間だ・・・。今日はこれまで。
2004年12月06日
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