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本日13時23分ごろ、笠寺駅をドクターイエロー(のぞみ 下り)が通過しました。
2017年06月27日
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さて、宝塚記念もキタサンブラックが簡単に勝ってしまうのでしょうか? 早速占ってみた所・・・・天沢履 の四爻の卦を得ました。 虎の尾を踏んでしまった以上は、食われぬように細心の注意を払っておく。これが今回のレース現象だとすれば、虎は大本命のキタサンブラック。それを慎重にピッタリとマークするのは天皇賞(春)でキタサンに迫ったシュバルグラン。そしてもう一頭。虎視眈々と虎狩りをしようとしているのがゴールドアクターだ。 昨年の有馬記念ではサトノダイヤモンドに苦杯をなめたキタサンに半馬身差詰め寄った実力があります。ズバリ、三連単はゴールドアクター・キタサンブラック・シュバルグランで決まりだ!
2017年06月25日
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赤飯弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、別れの1年生教室2年生の始業式の日、木造校舎の中庭に貼りだされた新クラス分けは、新たな出会いと別れが記されているわけですが、お転婆貴婦人不思議少女Sさんは別のクラスへ、Sさんの親友Iさんは私と同じクラスとなり、私の親友H君は隣のクラスへと移りました。数日後、SさんはIさんを通じて私の渡したレコードを返却してきましたが、「それは貸したのではなくプレゼントなんだよ」とIさんに告げ、もう一度Sさんへとレコードを渡してくれるよう頼みました。クラスが変わったことで親友Hくんとも段々と疎遠になり、1年生時代を振り切るまでには数か月かかりまして、最初の数週間は本当に憂鬱で、同じ気分の旧クラスメイトが放課中に教室に来て「1年生の頃が懐かしくて、今の教室に馴染めないわ~」と不満をもらしたりして慰め合ったものです。Sさんは夏休み中に引っ越されたようで、その数日前に道端で偶然に出会ったりしましたが、言葉を交わすことはありませんでした。授業中も1年生時代が終わってしまった事を悔やんで集中できなかったんですが、サイモン&ガーファンクルの曲や音楽授業で習いはじめていた「花の街」(江間章子作詞・團伊玖磨作曲)という唱歌を歌うたびにSさんの事が思い浮かび、そして1年生時代が思い浮かぶのでした。
2017年06月23日
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フランクフルトと卵焼き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、別れの1年生教室終業式の日の1年クラスお別れ会は女子中心に始まりまして、廊下でウロウロしながら教室に入るかどうかしばし躊躇してから、目立たぬように教室に入り、何気なくお転婆貴婦人不思議少女Sさんにレコードを手渡したのです。「これ、好きな曲だと言ってたから、あげます・・・・」と、レコードを差し出したんですが、こっちの気持ちは薄々感付いていたであろうSさんとしては、対応に困ったんでしょう。うつむき加減でなかなか受け取ろうとしませんでしたが、「どうぞ」という幾度かの催促に無言で受け取ってくれたのです。手渡すことが出来ればその場には用はなかったので、さっさと退散して教室の向かいにある体育館で体操部の練習に入りました。練習をしつつ時折教室の方を窺ったりしておりました。彼女らが何時頃お別れ会を解散したかは覚えていませんが、彼女らの中の一人がこっちに教室から声をかけてくれたりして、清々しく優しい瞬間をしばらく味わう事が出来ました。
2017年06月22日
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うな重弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、別れの1年生教室終業式の日に私のクラスは女子中心のお別れ会を開きました。その場でお転婆貴婦人不思議少女Sさんに渡すべくレコードを持ちながら、教室の前をウロウロしておりました。そのレコードはサイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」という楽曲で、当時の民放ラジオ放送のベストテン番組では彼らの「冬の散歩道」が1位を獲得しており、それ以前に発売された有名な曲「明日に架ける橋」が教室の数人の間で話題となっている時に、Sさんは「明日に架ける橋? あんなのより冬の散歩道の方が良いわ」とポツリと言ったのです。私としては「明日に架ける橋」の方が好きで、この曲を渡そうと思っていたんですが急遽変更して「冬の散歩道」を選んだのです。1966年発表。1967年と1973年1月に日本で発売。
2017年06月21日
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赤ウインナー&油揚げ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、別れの1年生教室終業式の日に私のクラスでお別れ会が催されたのですが、参加が女子だけしかおらず教室に入るかどうか迷っておりました。しかし、3学期当初にお転婆不思議少女Sさんが担任に「2年生の夏に引っ越すので・・・・」云々の発言をしたので、お別れ会を利用して何か渡さなければと考えていた私は、手にレコード盤を持っておりました。生まれて13年間、これといった「別れ」を経験してこなかったせいか、これから仲良くしていける希望を持っていた私としては、初めて経験する大きな喪失感でした。
2017年06月20日
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シューマイ根菜弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、別れの1年生教室3学期も終盤に差し掛かった頃に秀才S君が「なぁ、こんな楽しい1年間はなかったな。何年か後にクラス会をやろまい」と数人の談笑の中で発しました。普通、クラス会は3年生時のクラスメイトとの間で催すものだと皆は知っていたんですが、異論を唱えるものは存在せず、「うん、やろうやろう」と男女共々皆賛成しました。取り敢えず終業式の日にはクラスでお別れ会をしようという事になりまして、教室の壁に出欠表を貼りつけ、出席者各々が何を持参するか、会費はどれくらいにするか等の話し合いが女子中心に進められていきましたが、最初の頃は男子の出席予定者もチラホラあったのに、お別れ会当日になると男子が誰一人参加してこないのです。私一人が教室の外でウロウロと中を窺っていると、担任のT先生が「さぁ、早く中に入って一緒に楽しんで来い」というので、「先生は出ますか?」と聞いたかどうかは忘れましたが、先生も参加しなかったのではないかな。とうとう男子は一人だけの参加になるのですが、机を後ろに全部下げて椅子を円陣に並べるぐらいは手伝った気がしますけど、気恥ずかしくて途中で抜けたんです。
2017年06月19日
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ある日の夕食(コロッケとキャベツ) 本日のおやつ(洋菓子と牛乳)ある日の夕食(豆腐とシイタケ、しめじ、糸こんにゃく、天かすの鍋物)ある日の夕食(とろろご飯)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代年賀状は小学5,6年頃から活発に書くようになりましたが、そのピークは中学1年時代でした。お転婆貴婦人不思議少女Sさんには年賀状を出してくれと懇願した甲斐があって、お年玉年賀はがきではない普通のハガキでSさんから年賀状が1月3日ぐらいに届きました。その裏面には雀が数羽描かれた日本画があり、「約束通り出してあげたよ」とご愛嬌の添え書きがありました。彼女らしい不愛想な中にもちょっとした心遣いが感じられました。
2017年06月18日
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根菜(冷凍食品)弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆貴婦人不思議少女Sさんは、私が体操部で練習中の鉄棒落下で入院中、お見舞いに来てくれた一人です。彼女の親友Iさんではなく他の友人二人とともに三人で来てくれました。お見舞いに来てくれるほどですので気心の知れたクラスメイトにはなっていたんですね。他の二人は筆箱を用意してくれたYさん、同じ小学校出身の体格のよかったHさんですが、Sさんは赤いベレー帽を被っての登場で他の二人よりもおしゃれでしたね。でも、他のお二人は陽気な表情だったけど、Sさんは大人しくてあまり喋っていなかったかな。
2017年06月16日
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デミグラハンバーグ&いかはんぺん弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆貴婦人不思議少女Sさんは、運動会の昼休みに食べ終わって教室内をウロウロしていた私にご自分の弁当のおかずを試食するよう勧めてくれたことがあります。「卵焼き食べる? お母さんが作ったのよ」とSさんとIさんが食事しているそばを通った時に突然声をかけられました。意表を突く言葉に思わず遠慮してしまいましたが、食べればよかったと後悔していますきっと、運動会で私が意外と足が速い事で見直してくれたうえでの、おかずのお勧めだったのかなと推測しておりますが、貴重なひとコマの出来事は数秒でも忘れられません。
2017年06月15日
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おにぎり(焼き明太子)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆貴婦人不思議少女Sさんが、わたしのおでこに手を当てた事があります。「熱がありそう・・・」と、何気に後ろの席から私がSさんに言いました。するとSさんはご自分の額と私の額に手をあてがい、お互いの熱の差を測ったのです。「熱は無いな・・・・」とSさん。半年前にはフォークダンスの練習で手を繋ぐ際に見せた冷淡な態度とは真逆です。数秒の出来事であり、彼女の気まぐれだったんでしょうけど、嬉しいじゃありませんか。
2017年06月14日
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かたくちイワシ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆貴婦人不思議少女Sさんとは、何かの用事があって会話するという事は起きませんでしたのでこちらから無理に用事を作って声をかけるか、向こうから何か言ってくるのを期待するしかありませんでした。そんな中、向こうから話しかけてくる貴重な事が2つほどあります。1つは席が一日ごとに女子だけが1つずつ移動する取り決めが合った頃、Sさんの席が私の前に来たときでした。何か紙に絵を描いてくるっと振り向いて「私、小さいころ近所で絵を習ってたんだよ」と、少女が空中ブランコにぶら下がる絵を私に見せたのです。なぜそういう事を彼女がしたのかというと、テスト期間に隣の席同志になった時に、解答を書き終えて暇になった私が当時大人気だった尾崎紀世彦氏の似顔絵をテスト用紙の裏に書き込んでいたのをSさんがジッと見ていたのです。おそらく絵に興味がある事を共通点に思ったSさんが、ご自分の書いた絵を見せてくれたんだと思います。会話としては数秒の事であり、Sさんの描いた少女は胸に星が描かれており、それを私が黒く鉛筆で塗って見せました。「なんじゃこりゃ?」と彼女は反応してくれましたが、ただそれだけの事でした。
2017年06月13日
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ゆで卵&トンカツ、かき揚げさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆貴婦人不思議少女Sさんには親友Iさんという存在がありました。それは私に親友H君という存在があるように、入学当初から段々とクラスに慣れるまではコンビで行動するという心強い相棒であり、それをお互いに持っていたわけです。そのIさんは比較的大人しい女子で、親友H君の女性版とでもいうべき雰囲気があって、ホームルームで活発な意見が飛び交う中では、あまり意見を言っていなかった人だと記憶しております。それでも私を愛称で呼んでくれるフレンドリーな人で、Sさんよりは親しみがあったのは事実です。一方Sさんが私を愛称で呼ぶ事はあまりありませんでした。誰かが愛称で呼んだ時にその勢いで一度だけ「シゲ君」と言ってくれた事はありましたが、それっきりです。Sさんとしては思いを寄せる秀才S君が先頭にあり、次に我儘K君という気の合う男子には常に愛称で呼びかけており、私に対しては親しくする輩ではないと無意識のうちに一線を引いていたのでしょう。そういう私も人を呼ぶ際にはあまり苗字や愛称を使った事がなく、親友H君にでさえ苗字に「君」を付けて呼ぶという基本的なものであり、当然Sさんに対しても苗字ですら呼びかけた事は一度もなかったのです。
2017年06月12日
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玉葱と人参、シメジの炒め物さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆貴婦人不思議少女Sさんと私の会話は、1年間で非常に少ないものでした。席が隣だった事はしばしばあって、それは出席番号が私より1つ後の女子「9」私は男子「8」。入学したての頃は私の隣は女子「8」の出席番号所持者でこの生徒がいつしか引っ越していったので欠番となり、中間・期末テストになると出席番号順に席に座るので、「9」であるSさんが席を1つ繰り上がって私の隣になったのです。その他に定期的な席替えでも一日交替で席が替わってSさんと隣り合わせになったりしました。そんな時にしか話すきっかけはありませんでした。
2017年06月11日
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ご飯とサバの塩焼きさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆貴婦人不思議少女Sさんは、我儘K君のお気に入りでもありました。我儘K君はSさんと同じ小学校出身者で、何かと積極的で自己中なK君でしたが割りとSさんとは気が合っていたような感じでした。何とかしてSさんと関わり合おうとする気持ちは私もK君も同じですが、K君は果敢に挑みます。Sさんのハンカチを掠め取って「返してほしけりゃ付き合え」と廊下で問答していたのをまじかで観ていました。そこに暗さや嫌みはなく、K君独特の腕白ぶりと、アッサリとした中にも愛嬌のある態度で対応するSさんという構図は愛らしい少年少女のじゃれ合いに見えました。決してK君の想いを受け入れなかったSさん。それでもテストの点数が悪くて気落ちしていたK君を「K君ならもっと良い点数とれたと思うよ」などと慰める優しさを持っていたのです。
2017年06月10日
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スクランブルエッグ・ピーマン弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆な貴婦人不思議少女Sさんの特筆すべき性質は言葉遣いにあります。他の女子生徒には無い丁寧な言葉が語尾にありました。躾の問題でしょうが彼女の言葉の語尾にはしばしば「○○してくださいな」と大人びたものがあったのです。それが気取った言い方ではなく、やや早口で砕けた物言いから丁寧に締めくくる言葉遣いをするので、その落差もあって私のハートにはストライクでした。
2017年06月09日
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鰯缶弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆で貴婦人を思わせる不思議少女Sさんが音楽室で弾いたピアノ曲は、バダジェフスカ作曲「乙女の祈り」でした。まさに乙女が弾くに相応しい愛らしくも希望に満ちたピアノ曲であり、彼女にピッタリの曲です。それ以来、ピアノ曲がテレビやラジオ、町の界隈で流れていれば、彼女の面影が蘇えってきます。それこそ、「もしもピアノが弾けたなら」などと幾千回思った事か。 https://youtu.be/ff8vJAZwvh4 バダジェフスカ作曲・「乙女の祈り」
2017年06月08日
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ハム弁当(鰹節弁当と並び、度々登場しますが、早朝に作るには簡単がいちばんです)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代貴婦人を思わせる不思議な少女Sさん。彼女の家の前を通ればピアノを弾く音がしましたがそれ以前にある日の音楽授業前に、Sさんが音楽室のピアノを弾いていたのを見かけました。遊び心で弾いていたんでしょう。周囲に数人の女子生徒がいましたが、いきなり荘厳な前奏が彼女の腕によって奏で始められました。その曲は当時化粧品のBGMに使われており、曲名はその頃は知らなかったんですが誰でも知っている有名な曲でした。誰かに弾けと催促されたのか、思いを寄せる秀才S君に聴いてもらおうと思ったのか、それともただ単に自慢しようと思ったのかは判りませんが、私には衝撃的だったのです。
2017年06月07日
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餃子弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代貴婦人を思わせる不思議少女Sさん宅は私と同じ町内でしたので、下校の際にも見かける事があって自転車で真横をわざと通り抜けたり、夜に自宅前を自転車で何度も行ったり来たりしました。決して豪邸ではないのですが、狭い敷地に小さな庭があって、細長い二階建ての家でした。長屋住まいの私の家に比べれば、やはり裕福な感じを受けました。ピアノを習っていたらしいSさんなので、家の前を通ればピアノを弾く音が聴こえたりしました。
2017年06月06日
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たこ焼き&ショートケーキさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆で品性の高い不思議少女Sさん宅に悪戯電話をし、丁寧な言葉で抗議する彼女に謝罪して電話を切った時点では、まだ犯人が私とは気づいていなかったと思います。しかしその直後にもう一度電話をしました。彼女の親友Iさんの電話番号を教えてくれと、見え透いた嘘を言ったのです。真摯に彼女はIさんの電話番号を教えてくれましたが薄々感付いたのか、「S君とは思わないけど、さっき変な電話がかかってきて・・・・・」と苦情を言うのです。判ってるんだろうなと思いつつも「僕じゃないよ」と否定して電話を切ったというお粗末。反省どころかSさんの声質と言葉遣いに惚れ直したのでした。
2017年06月05日
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先週のダービーは予想馬が見事1位に輝きましたが、そのあとが続かずで、これも当たりとは言いにくいものがあります。さて、本日は安田記念です。気を取り直して占ってみましたところ・・・・沢風大過の五爻の卦を得ました。これは老婦が若い男に恋をして結婚するという卦だそうで、可もなく不可もなくだと言われています。 本日のレースで最年長の8歳馬が4頭出馬しておりますが、この老いらくの中で期待が持てそうなのは前走で2着だった5枠10番のクレラントでしょうか。 後は本命の対抗馬エアスピネルマイラーズSでイスラボニータより末脚が冴えていた>ブラックスピネルはエアスピネルと「スピネル」コンビで活躍しそうです。そして7戦6勝で5連勝中のグレーターロンドンも面白そうです。
2017年06月04日
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カレー弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代活発で可愛い女子生徒は不思議少女Sさんだけではありません。他にもグラマー美少女のIさんなどは色白でしたし、筆箱を用意してくれたYさんも細く整った顔立ちで臀部も迫力がありました。良く会話をしてくれたMさんは色黒でしたが一番気が合いました。背丈のあるWさんも品性があるわりにSさんとは違ってフレンドリーでした。しかし、なぜか気になったのはSさんであり、休日に親友H君宅に遊びに行った時、そこからSさん宅に電話をした事があります。当時はラジオ番組の電話リクエストなどをするために、図々しくもH君宅兼工場の事務所に設えてあるプッシュホンをよく使わせてもらってまして、いたずら電話も頻繁にかけてました。その一端として素性を隠してSさん宅に電話。出たのは彼女の弟で、しばらくは妙なことを口走って弟さんをからかってましたが、途中からSさんに電話が替わって「誰だか知りませんが、こう言う事は止めてくださいな」と叱責されました。声からして私だったと気付いていたんじゃないかな。
2017年06月02日
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ハム弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、恋する中学1年生時代お転婆で格調高い不思議少女Sさん。彼女は私と同じ町内に住んでいたので、学期末ごとにある通学分団会議には同じ教室に集まっておりました。教室内でSさんと目があったので、目で挨拶するように微笑をかけたんですが、これまたフォークダンスの時と同じようにスルーされてしまいました。その後なるべく目を合わされないようにしたのか、こっちの方を見向きもしません。「同じ町内だったのかー」というカラッとした言葉が返ってくるかと思ったんですが、まぁ、こんな調子でした。
2017年06月01日
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