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本日の弁当は「おにぎり」 さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃近所にはドブ川より少しマシな、それでも中に入れば泥だらけになる川には、おたまじゃくしやザリガニなどが多く生息しておりました。ちょっとした溜池や貯水槽にはタガメやヤゴなども観る事が出来たのです。自宅長屋の側溝、ドブにはヒルまで居たのです。ヒルは動物の血を吸い、一度吸い付くと剥がす時は相当痛い想いをすると聞いて恐れていましたが、いつの間にかタガメもヤゴも、ヒルまでも見かけなくなってから、下水道工事が始まってドブもなくなりました。
2013年01月31日
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本日の弁当は「卵焼き&野菜炒め」 さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃見晴らしの良い環境だった幼少時代は、近くの川にもよく遊びに行きました。中学時代の頃は川底にヘドロが溜まって、悪臭が漂う川に成り下がっていましたが昔はシジミが採れるほどの、磯の香りまで漂う川だったので、おにぎり持参で出かけたものです。晴れた空にヒバリがさえずりながら舞い上がって、土手に空いた小さな無数の穴から蟹が出てきて散歩してました。
2013年01月30日
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本日の弁当は「卵焼き&ソーセージ」 さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃自宅長屋の玄関前と裏庭前には子供が遊ぶには充分な広さの空き地があって、南北を窓から眺めれば遠くの山波が窺えたのでした。雷が鳴れば空を駆けめぐる稲妻を楽しみ、晴れた日の白い雲の流れを長閑に眺める事が出来たのです。夜明け近くになると、我が家の鶏、近所の鶏が競って雄叫びをあげていたのです。
2013年01月29日
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本日の弁当は「焼きたらこ&豆」 さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃小学校の校庭でソフトボールを独りでノックしたりして遊んだのは、自宅前の空き地に倉庫が建てられてしまい、遊ぶ広場が無くなってしまったからです。それが建つまでは見晴らしも良くて、自宅の窓から雷鳴轟く空の様子がよく観察できた物でした。夏も風通しが良かったのに、それも自宅長屋の前後にふたつも同じ様な倉庫が建設されたので温室状態でした。その割に冬が良かったというわけでもありません。冬の僅かな日光をも妨げられていたからでしょう。
2013年01月28日
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本日の弁当は「野菜炒め(キャベツ、にんじん、玉葱)&卵焼き」 さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃暇になると自宅前の小学校の校庭で独り遊びをよくしました。ソフトボールと木製バットを持って塀を乗り越えて、バックネットまで行きます。そこから校庭内の端にあるプールに向かってノックをするのです。バックネットからプールまでは50メートル以上もあり、プールの柵は高くて地面から3メートルぐらいありましたから、良い当たりの打球でも柵に阻まれてしまいます。その柵を越えてプールに打ち込む成り、そのまた塀をボールが乗り越えでもすればホームラン気分が味わえたのです。
2013年01月26日
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昨年暮れのおやつは「お好み焼き」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃幼稚園の6歳の頃、真冬の防寒具として流行っていた物がありました。厳密には本当に流行っていたかどうかは定かではないのですが、私達幼児が好んで真冬に被っていた物があったのです。それはゼロ戦パイロットが被っていたようなゴーグル付きの耳まで覆う帽子です。 こんな様な形状の帽子に薄いプラスチックで作られた色眼鏡が付いていたものを、私ら幼稚園児は好んで被っていたのです。子供の頃は帽子が嫌いで、幼稚園用の博士帽や夏用の麦わら帽子は殆ど被りませんでした。小学一年時に強制的に着用を義務づけられた黄色い帽子も被りませんでしたが、このゴーグル付き飛行帽は気に入って、おそらく戦争ごっこをして遊んだと思います。
2013年01月23日
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昨年暮れのある日の食事は「ピラフ」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃節分の頃が一番寒い季節だと個人的には思いますが、やはり子供の頃は2月頃に良く風邪をひいたものです。当時は風邪をひいて熱が出ると、必ず近くの診療所へ連れて行かれ、お尻に注射を打たれて帰ってきます。熱が引くまで風呂へは入れず、冷たい物を飲食することは御法度という時代でした。今でしたら熱が出て食欲が無くてもアイスクリームなら食べられると思ってガブガブ食べますし、寝込んで汗くさくなると熱い風呂に入る事も多いです。その方がスッキリしますし栄養も摂れますから理に適ってます。当時はスポーツで汗を掻いても水分補給は許されないような、デタラメな常識がまかり通っていましたね。
2013年01月19日
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昨年の秋頃から無職の身なので、暇を利用して山登りしてきました。山と言っても標高170メートル級の丘のようなものです。それでも頂上まで辿り着くまでに、運動不足の所為か幾度も一呼吸を入れ、心臓を休ませつつの登山でした。場所は愛知県額田郡幸田町にある「京ヶ峯」という山で、今のところは山の周辺で工事が行われていて、どこから登って良いのかウロウロ。雑木林の中に迷い込みそうだったので一旦路上に戻りました。山の周辺道路を走っていると、駐車場らしき物に遭遇したので、そこへ止めとにかく上に向かって歩けば頂上に着くだろうと歩き始めます。途中で見かけた説明碑ですが、かつては雲母を採掘していた山だったようです。どうにか、こうにか頂上に辿り着きますと、小さな祠が祀られていまして、三村神社奥宮と彫られた石碑が建っています。ふもとの町の様子の見晴らしも絶景です。岡崎市街も見晴らせる見晴台も近くにあったので、そちらにも登ってみました。1月とはいえ、それほど寒さも感じなくて、小春日和の中の軽い登山を楽しめました。幾度か斜面に積もった枯葉の上で転び、尻餅を付いたりしましたが、これも良い運動となったでしょう。
2013年01月17日
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昨年暮れ頃の昼食及びおやつは「おにぎり&お好み焼き」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃正月は現在よりは外で遊ぶ子供がチラホラいたもので、私も凧上げや独楽回しをして遊びました。中には器用な輩が居て、チューブ入り歯磨きの小さなキャップに独楽を投げ入れて回して見せられ、それらに気負い負けして興味を消失させていった覚えがあります。凧上げも同様に不器用だったせいか私はすぐにしなくなりました。それからはH君という仲の良い友人宅へ正月3日間毎日遊びに行ったんです。工場経営のH君の自宅は遊ぶ空間が豊富で、社員寮の空いた部屋がH君の部屋。そこでH君趣味のプラモデル造りやレコード鑑賞などをして楽しみました。今では出不精な私が、なんと子供の頃は外出ばかりしていたのが不思議に思えます。
2013年01月03日
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