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昭和9年 に アメリカから ベーブルース、ゲーリック等の 大リーグの大物が来日し、日本人の前で 本場の野球を披露した。私の高校時代の先生で、巨人軍で沢村選手と一緒に野球をやっていた前川先生という名物先生がいた。その先生は国語の先生であったが授業の楽しみは 野球の話を聞く事だった。その前川先生が ベーブルースなどの大リーガーを みてとにかく 化け物のようで すごかった。 日本人は まさに赤子のようだったそうだ。その 日本野球が 世界の頂点に立った日本中が 歓喜に 溢れたはずである。この時 大リーガー達が来日して以来 日本にもプロ野球の産声が上がった。戦時中は 英語禁止で野球をするなど 日本らしいこだわりがあったりもしたが基本的に 日本人は 野球が大好きだ。日本人が 大好きなのが高校野球である。私も 堀越学園の出身で 僕が高一の時に我が校は 甲子園に行っている。同窓生の半分が野球部だったから学校生活は 大いに彼らの影響を受けていた。私は 高校時代から ナショナルチームに入り日本代表にもなっていたから 成績は抜群であったはずだが、 クラスの中心は野球部だったので いつも 端のほうで小さくなっていた。彼らには逆らえない。しかし 彼らの野球の練習は半端ではなかった聞くだけで 俺には出来ない。 というようなものすごく厳しい練習を積んでいた。しかも 徹底した自己管理のもと凄まじい精神力と 体力 を持っていたあれだけ やっても 西東京の代表になれないのである。 高校球児というのは そういう意味では日本独自の世界ではあるが 世界に誇れる世界であると私は 思う。 武士道の名残が 高校野球には在る。春と夏の風物詩 甲子園を観て 彼らの涙に見る人がみんな感動する。応援席の涙にも感動する。そんな 素晴らしい世界である。彼らがグランドに流してきた 血と汗と涙の結晶が違う形で ものすごい 成果を生んだ。プロ野球も 日本人にとって 大きな活力源となってきた少し前までは 夜といえば ナイター中継を観るのが日本の家族の定番にもなっていた。さらに 好きな人たちは 夜に プロ野球ニュースを観る。どこが優勝するかで 景気が大きく影響されるらしいそれは ファンの社長や幹部が 優勝に気を良くして大いに投資が促進されるからだそうだ。実際に 経済効果がある 以外の効果が大きいと 聞いた事がある。高校 大学と 私は 後楽園に会社があるラケットメーカーを使っていた。その時に 私がお世話になっていた 担当者が本当に経験した 話だが広島に出張していて タクシーに乗っていたらしい外は 夕立の様な 大雨だったそうだそして 仕事の話になって 後楽園の関連会社であることを 運転手に告げた時その運転手は 突然車を止めて 「 金は いらないから 降りてくれ 」 と 言って 大雨の中 本当におろされてしまったそうだ。 後楽園といえば 巨人 その 憎き敵の下っ端を 乗せるわけにはいかない。と 金も貰わずにおろしてしまうひどい 話だと思うかも知れないしそれを聞いたときは 憤慨もした。しかし その運転手は それが 儲けに繋がらなくともまた もしかしたら 後で ものすごい クレームになるかも知れなくとも 自らの信念を貫いた。野球が好きで それが 大きく 仕事を 犠牲にした。そんな ファンが 野球を支えている。万年ビリ と言われてきた 阪神が 星野元監督の力もあって 優勝したときは やはり みんなが感動した。そうやって 野球は 日本の文化となってきた外国の文化や こだわりとは 違うほどに深い 強いのだ。ベーブルースの野球に 度肝を抜かれ赤子のように遊ばれた 日本野球が世界一に輝いた。素晴らしい 快挙である。まさに 日本人の悲願であり今まで グランドで汗を流してきた 全ての野球マンの 努力の結晶として 手に入れた栄冠である。そして 野球を愛する 多くの日本人のその 思い 祈り 願いの結晶でもあると思うのは 私だけであろうか・・・この前 トリノオリンピックで荒川静香選手が 金メダルを取ったときも日本人の 集団的潜在意識は 大きく浄化された 日本中に 快 を 生み出したからだしかし この 日本野球 世界の頂点に立つはそれとは 比べものにならないくらいに大きな 勲章だと言える。野球を愛してやまない 人々 全ての栄光だと言っても良いのだ。 それだけ 日本の野球は 根深く 国民に根ざしているおめでとう 日本 !!!おめでとう 全ての 野球マン!!!そう 心から言いたい気分だ。王さんもうれしいだろう。先のオリンピックで 朋友 長嶋さんが倒れて 志 一歩届かず 金を逃した。長嶋さんの分まで頑張ろうというのがあったはずだ。イチローも めちゃくちゃ 頑張ったみんな 一つになって頑張った。あの 屈辱の誤審 から 目の色も変わった。韓国の国民感情に火がついて二連敗したが さすがに三度目の正直で 日本の意地を見せた。そして 断崖絶壁に落ちるところにアメリカがメキシコに負けるという神風が吹いた。神風とは 當に 日本らしい勝ち方である。昨日の優勝の瞬間 私は たまたま野球にとっても深い関係の人と観ていたその人は プロ野球にとっても深い人縁を持っていると聞くその人は 大声で 万歳三唱した。みんなも 万歳した。わたしも 思いっきり万歳をして心 まことに 爽快であった。うれしい とにかく うれしい私も 子どもの頃は 王 長嶋に憧れた野球少年だったのだ。 最高の一日だった。少年の頃に 戻れた 気がした。
2006.03.22

2月28日 トリノオリンピック 日本選手団が帰国した。記録的な 900人が出迎えたそうだ。荒川選手のお陰で トリノは フィーバーとなった。もしも 荒川さんがメダルを取れなかったならば日本は メダルゼロの十字架を 4年後まで引きずらなければならないし少なくとも 2年後の 北京までオリンピック好きな 日本国民は敗北感の中にいなければ ならない。戦後は終わったというふうにいう人もいるがしかし 日本人の集団的潜在意識にはしっかりと 敗戦の 記録が刻まれている。だから 西欧諸国に対する コンプレックスはそう簡単に ぬぐい去れるものではない。その中で メダルゼロの烙印は選手だけが 背負うのではなく日本全体が 背負わなければならない。集団的潜在意識には それが刻まれてしまう。たかが オリンピックだがしかし 皆が 等しく 熱中するからこそしっかりと それは 刻まれるのだと思う。今回 そのがけっぶちから 荒川選手が大逆転の金メダルを取ったが故に、ゼロも一個も 数学的には そんなにかわりないがしかし 元来 金は難しいとされてきたフィギュアーで ロシア アメリカの強豪を抑えて金メダルを取ったことで 日本人は我を忘れて 金メダルの 快に浸った今 日本人の 集団的潜在意識は 非常に活性化されているそして 過去のコンプレックスも 大きく浄化されていると思う。荒川選手に 心から 感謝したい。さて 昨日 2月28日に 荒川選手は 凱旋帰国したがここに 妙な奇縁を感じた。昨日の 2月28日は 34年前に やはり 日本が一つになった日だった。それは あさま山荘事件の 人質救出 強行突入の 日であった。あさま山荘事件は 連合赤軍という過激派が 長野県軽井沢にある河合楽器保養所である あさま山荘に籠城。同保養所の 管理人 牟田泰子さん が人質になった事件である。人質 絶対救出を 絶対使命として 1600人を越える 警察官が 送り込まれそして 事件勃発から 強行突入まで 10日間この時 交通事故は 激変 窃盗事件も激変とにかく 日本中が テレビに釘付けになった。強行突入の日の テレビ視聴率は 日本史に燦然と輝く 89.7% ほぼ 日本人 全てが 人質救出を願って テレビに釘つけになったこの時に 日本は 一つになった と いえる。まさに オール・フォア・ワン である。強行突入に際して 大きな鉄球が 建物を壊すのに皆 一喜一憂する。そして 殉職者が出た 多くのけが人が出た一体 どうなるのか 泰子さんは 生きて救出できるのか。みんなが 生きての救出を 願い 祈った。私も この時 小さかったが テレビの前に座り込んで ことの成り行きを 固唾を飲んで見守った。そして その時は 来たあたりが暗くなった 5時30分すぎ警察は 最後の 勝負に出た。犯人達が立て籠もる ベッドルームに延長放水で 壁を打ち破り 決死隊を先頭にして 弾丸が飛んできても どうなっても犯人 一斉検挙に 皆が突入する。まさに 命を張っての 大勝負であるこの時点で 人質の 泰子さんの安否は 分からない。午後5時40分 過ぎ 突入の成功が告げられた。そして アナウンサーが 牟田泰子さん 救出の 一報を 叫ぶ。この時 日本中が 泰子さんの無事を 自分の事の様に喜んだ 感動した泰子さんのことを 心から心配したのだ。そして 連合赤軍に 皆で勝利したようなそんな 感動を味わったのだ。勝利に酔った。皆 よかった よかったと 歓喜した。この時 日本は 一つになった無条件に 一つになった。無心になった 泰子さんの生存を祈っていたからだ。まさに この時 日本の集団的潜在意識が 大浄化されたと言って良いと思う。顕在意識でも 潜在意識でも そして集団的潜在意識でも 日本は 一つになっていた崖っぷちから 生き返るのが 日本である。今回の トリノオリンピックの 荒川選手もしかりあさま山荘事件では 殉職者二名を出しての 崖っぷちからの大逆転であった。2月28日は そんな日であったことを 忘れないでいたい昨日の夜 密かに 私は このあさま山荘事件の映画 「 突入せよ!! 」 を 見て 感慨にふけってしまった。今 牟田さんご夫婦は どうなさっているのだろうか?その後 絶対にマスコミにもでずに ひっそりと 生きてこられたと聞いている。 泰子さんも 忘れようとも 忘れ得ぬ この事件の事をどのように 思い出すのだろうか?その後 どの様に この事件を 背負って人生の道を 歩まれたのであろうか。それを思うと とっても複雑である。しかし 一人の日本人として今回の 荒川選手の金メダルも 皆と共に喜び。そして 34年目の今日も 日本選手団の帰国の様子をテレビで見たのだろうか?もはや 人々の記憶から 遠のく228だがその時 日本は 確実に 一つになって泰子さんの無事を祈った。 それだけは事実である。その事実は 確かに 泰子さんにとって大きな負担になったに違いない。是非 健康で 長生きして 貰いたい。そう 祈るばかりである。日本における 集団的 快を生んだトリノオリンピックの 荒川 金メダルそして 34年前の あさま山荘事件牟田泰子さん 無事救出 勿論 この二つだけではないはずだ。しかしあえて 昨日は その不思議な巡り合わせを 考えてしまった。この時検挙された 連合赤軍の 犯人達はその後 過激派によるハイジャック によって人質交換の条件として この あさま山荘事件の犯人との交換が為された。時の総理大臣 福田さんの言葉が「 人命は 地球より 重し 」だった。未だに 犯人達は どこかで 生きている。罰を受けることもなく。そういう 意味では あさま山荘事件は34年経っても まだ 終わっていないといえるかも 知れない。又 2月28日には 銀座のスエヒロにあさま山荘警備に関わった 警察庁 警視庁の 戦友が集まって この時に殉職した 内田、高見両殉職者への代表墓参と 遺族の近況報告を行い。 そして会の始めにお二人の御冥福を祈っての黙祷を捧げる。その追悼行事を行っているそうだ。 昨夜もそれは行われたに違いない。 又 長野県警のほうでも 旧友会 とよぶ会を作って228に会合を催しているそうだ。最後に 謹んで この壮絶なる あさま山荘事件で 殉職した 故 内田尚孝警視長 故 高見繁光警視正お二人の勇気を称え 心より 御冥福をお祈りします。
2006.03.01
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