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病院で処方箋を貰ったら、たいてい病院から一番近い調剤薬局でそれをわたし、薬を受け取ることが多い。本当は地元の1ヵ所しかいかない、と決めて、カウンセリングをしてもらいながら薬を受け取るのが一番良いのだが、日本ではそういうことをすると「この薬はおいていません」などと言われて面倒になるケースがよくある。もともと病院と薬が分離されたのは、「薬のプロである薬剤師が、複数病院にかかるクライアントの既往症やアレルギーを鑑みながら、薬を処方する」というイギリス式を採用することが、国民の健康の維持に繋がると考えられたからだと聞いている。だが現実は、病人の待ち時間と手間が増えただけである。百歩譲って、今の仕組みを受け入れるにしても、私は調剤薬局で、薬を受け取る待ち時間が嫌いだ。マスクをしないで、近くの商品にくしゃみの飛沫を浴びせている人は必ずいるといっていいし、ご高齢の方は特に喉にひっかかりが多いのか、咳こんでいることが多い。湿布を受け取りに調剤薬局で待っているだけで、別の病気に感染するような気がして怖いのだ。せめて、外科系と内科系の調剤薬局窓口や待合室を分けるとかできないものか。新型インフルエンザが日本にやってくるのも間近だ。調剤薬局に同患者が来ることは確実である。起爆点となるべき場所ではパンデミック(感染爆発)を抑える措置を事前に被ることは急務である。素人でもそう思うのに、どうしてそういう指導ができないんだろうなー。
2008年01月31日
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白血球が細菌と闘って死んだときに、緑色になる。これを緑膿菌(りょくのうきん)と呼ぶらしい。昨晩、救急車で毎度担がれるのも何だと思い、自分で「トリアージ」して、タクシーで病院へ。点滴を打って、朝を待って検査して治療してもらったが、免疫が弱っているせいか、緑膿菌感染していると言われた。入院して病院に滞在すると、かえって院内感染の危険があるから、と言われ、自宅に戻っている。緑膿菌はいわゆるお年よりが「日和見感染」する原因の菌なのだそうだ。自分がそこまで弱っていると知ってとても驚いた。家に戻っていいと言われて驚いたが、下手に病院に缶詰にされても、ベッド代はかかるし、退屈だから、これでいいのかな、とも思っている。自分でどうしていいのか、少しよくわからなくなっている。いけないと思いつつ、今日は、病院の待ち時間の合間に会社や取引先へちょこちょこと行く始末。病気だから、と報告し、やっと2時間程度時間ができて、うとうとすれば携帯にすぐ仕事の電話が入る。朦朧として、半意識の中で、どこまでが現実か、そうでないのか、わからなくなってしまった。嫌になって夕方、取引先から会社に戻るとき、パブに立ち寄った。食事をしてない胃に、ギネスだけ流し込む。いけないと思いつつ、当分呑めなくなるのを自覚していたから。<お酒メモ>ギネス 生 1パイント
2008年01月30日
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エントリーを書こうと思ったのですが、免疫系統が落ちているようで、痛みが止まらないので今から病院に行きます。ごめんなさい。
2008年01月29日
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この土日は「休むぞ」と思っていたのだけれど、仕事がぽちぽちと舞い込んできて、明日まで放っておこうと固く誓っていた気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。今の職場で、仕事内容で、休もうと思うほうが間違っているのかもしれない。仕事をやる傍らで、確定申告の書類を作成した。自分で申告するようになってから数年経過したせいか、慣れたもので1時間足らずで終了した。そこで気が付いたのが「譲渡損失の繰越」の年数。「損失を出した年を含めて3年間」だと思っていたのだけれど、これって「損失を出した翌年から3年間」という代物だったらしい。つまり、ライブドアショックで新興が崩落した06年に、損失の繰越の申告をした人は、08年ではなく、09年まで繰り越せる。07年の損失は、10年まで適用できるというわけだ。また、09年以降は税制が変わって、配当と株式の譲渡益の損益通算ができるようになる。これは高配当志向派にとっては福音である。特に今は、国内市場が売られすぎて皆が臆病になっており、実利をとりたがる傾向が強くなっている。つまり、ディフェンシブや高配当への嗜好が強くなっている。配当との損益通算はこの流れに対してフォローになるのではないだろうか。なんてことを妄想していたけれど、母の株は利益が出てしまっていて税金を納めねばならない。「雑所得20万円までは申告不要」ルールを適用すべく、うまくやったつもりだったのだが、どこかで雑所得を得て、超えてしまったらしいのだ。「税金払いたくないんだけれど」「医療費の領収書なくしちゃったんだけれど」と矢継ぎ早にかかってくる電話に辟易しつつ、これから母の確定申告書類を作らなければならない。ふー。
2008年01月28日
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カリフォルニアの空気は、さらっとしていて気持ちよいと誰もが言う。海岸沿いのハイウェイを車で走れば、確かに快適かもしれないけれど、乾いた風はすぐに身体から水分を奪うし、過ごし易い温度に騙されてビーチでのんびりしていれば、たちまち紫外線が肌にダメージを与える。シリコンバレーは、世界でも名だたるIT企業やベンチャースピリットを持った人間が集まっている。アップルだってgoogleだってこの街が産んだ産物だ。近くの町にはスタンフォード大学があり、そこで学んだ人間が磁石でひきつけられるかのようにシリコンバレーにやってくる。一見、素敵だったり、居心地よさそうに見えるこの空間。でも、私はこの風が好きじゃない。表と裏のコントラストが、激しすぎるから。例えば、シリコンバレーから隣町まで抜ける山道。緑が萌え、ところどころにかわいらしい姿の住宅と「for sale」の看板が見える。デッキのあるカフェテラスも素敵だ。でも、簡単なランチを取ろうとすると、そこに突然、現実の姿が見える。一目見て、日本人なら誰もがそのボリュームの多さと、食べ物のバランスの悪さと、値段の高さに溜息がでる。「サービス料はサービスをするからもらえるものなのよ」という原則を忘れているかのように、クレジット・カードを出せば勝手に税金プラスアルファで20%弱のフィーをとっていく。乾いた風と同じように、ドライな空間。明確な基準の前に、誰もが平等だけれど、家族とごくごく小さな仲間以外は、根っこのところで信じられない空間。そういうシリコンバレーの「zeroかoneか」という二元論的ふるまい―デジタルな佇まい―が私は好きじゃない。成功するための競争率が激しいから、ここの住人は、自分が「絶対正しい」「未来を拓く」という思い込みがないと潰れてしまうのだろうということも理解している。でも、どこかしら、みんなの素敵なアイデアやビジネスモデルや事業の話を聞いていても、ほとんどが同じように聴こえるし、「シリコンバレー教」と言ってもいいのかな。新しい宗教に毒された人のように感じられるのだ。だから「シリコンバレーから来た」という人に対して私はなぜだか身構える。いくらweb2.0の素晴らしい未来を唱えられても、シリコンバレーのフェアネスを説かれても、私はあの空間からやってきた人の全てを信用することはできない。シリコンバレーの風は、私にとっては居心地が悪いから。
2008年01月27日
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年末年始に引いた複数のおみくじには、すべて同じ意のことが書かれていた。「勢いの強い時。事は成就するから落ち着いてやれ」自分でも心当たりがあるので、珍しく気になってしまう。私は結構、この「落ち着いて」が苦手なのだ。勢いが強いとき(ツキが回ってきたとき)には、基本はその流れに任せてしまう。こういった「流れ」は、神様というか、天の采配がきっと決めていることだからとなんとなく思うからだ。仏教には「南無妙法蓮華経」という言葉があるが、「南無」は、サンスクリット語で「身体も心も、全てを任せます」というという意味である。だから本当はゆるりと解けて身をゆだねるべきなのだろうけれど、私の場合、過去、どこか気をつけていないとチャンスがピンチを招いてしまった。騰勢の時というのは、人生に大きな示唆を与えてくれる機会だけれども、その分ハンドリングが難しい。ということがわかっているし、私は器用じゃないから、どうも苦手意識を持つのである。<お酒メモ>ギネス生 2パイントなんか、途中から身体が受け付けなくなってしまいました。週末は食事をかなり抜いて、酒は完全に抜いて空っぽにしようと思います。
2008年01月26日
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お恥ずかしい話なのですが・・・。大きな声では言えないのですが・・・。今日、実は・・・二日酔いみたいなのです(^^;朝からこめかみのところがズキズキしていて、夜になるまで食欲は全くない状態。アセドアルデヒドが体内に残りまくりです。今日は仕事で結構クリエイティブな作業をしなければならない日だったのに、なんだか全然アイデアが浮かばなくて、自己嫌悪に陥ってしまいました。実は、二日酔いになりにくい呑み方のコツというのがあります。●ご飯を食べてから呑む(空腹を避ける)●お酒の量と同程度かそれ以上の水を摂取しながら呑む●たんぱく質性のメニューと一緒に呑む(分解が早い)●タバコは吸わない(ニコチンが酔いの感知を鈍くさせるので呑みすぎてしまう)いつもこれを心がけているのですが、昨日はこれをほとんど破ってしまいました。仕事が忙しくて、全く食事をせず、朝ごはんが夕方に呑んだ焼酎という体たらく。みなさんは悪い酒の呑み方は真似しないでくださいね(^-^;
2008年01月25日
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資源価格の上昇に伴い、ロシアの購買力も日増しに高まっている。そんななか、ロシアマネーが狙っているものの中でも変り種は、ウイスキーやワインなど、コレクション性のあるお酒だ。特に、30年以上のウィスキーと見るや、「とりあえず買う」傾向があるそうだ。ウィスキーは、ロシア人が好みそうな、アルコール度数が高めの蒸留酒。保存もワインよりは容易い。ロシアマネーは20年超のウィスキーにも触手を伸ばしており、「品揃えが難しくなっている」となじみのバーテンダーはこぼす。この2年だけ見ても、市況価格は1年に倍近く上昇している。ウィスキーをバーで呑むのなら、10年前後のそこそこ若いものを選び、香りと味のバランスを愉しむのが一番いいとは思うけれど、時には昔ながらの味わいに触れたいもの。「いくらになるだろう」と考えながら、熟成したウィスキーをドキドキしながら頼み、ひとくち、ふたくちと口に滑らすあの興奮が好きなのだけれど、ウィスキー高騰でそういうことを楽しむ機会が減ってしまうのは残念である。家にある30年超の未開封ウィスキーも、買った値段の3~4倍になってしまって、怖くて開けられなくなってしまった(涙)<お酒メモ>鳥飼 お湯割り 1つソアベクラシコ(白・イタリア) 1/2本アルゼンチンワイン(赤・カベルネソーヴィニヨン)デキャンタで1/2ギネス生 2パイントちょっとカリラ 18y そのままで1つ
2008年01月24日
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今日は日本市場の株価がたくさん下がっていたので、フェイスを買い増ししました。まだ下がるかもしれませんが、「がんばれよ」と声をかけたくて、応援の意味で買ったのです。自分のCPも残り少ななので、ほんの少しです。以前竹田和平さんが、私にお話してくれたことで心に残っていることがあります。「誰かが自分の保有株を欲しいといったら、それを渡してあげる。高い値段でわざわざ買ってくれたのだから『ありがとう』だよね。逆に、とてもいい会社だけれど、どうしてもお金が欲しくて売りたい人がいる。自分にとって買える値段だ。だから『売ってくれてありがとう』という気持ちを持って買うのだ」と。最近、それが何を言わんとするのか、わかるような気がするんです。<お酒メモ>ヒューガルデン 生 1パイント白ワイン 1/2本(多分ドイツワインだと思う。甘め)
2008年01月23日
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今、欧州の主要指数を眺めていて、えも言えぬ気持ちになっている。DAX(ドイツ)が6%以上下落している傍らで、FTSE 100(イギリス)やスイスの4%弱のマイナスが、とてもいじらしい値に見える。背中に冷たいものが走り、すごくゾクゾクしている。マーケットから目が離せない。私の中で、何かが小さく興奮しているのを確かに感じるのだ。昔、売買注文を全く逆に出してしまって、追証まがいの事態に陥ったときや、ソニーショックでソニーを保有していたときと同じような感覚がする。自分が追い詰められるかもしれないときに感じる、感覚。頭の芯が痺れているのに、一方で脳のどこかで冷静に詰む手を考えている。そこからどう動くべきなのか、どうしたらこの状況をチャンスに変えていけるのか。株式投資はこういうスリルを私に与えてくれる。そして考える機会をもたらしてくれる。これは私にとって幸いである。日常ではなかなか得がたい経験をすることができるからだ。別に天邪鬼でこんな風に言っているわけではない。人間というのは土壇場にならないと、自分の引出しから知恵やアイデアを生み出せない生き物である。だから修羅場をくぐる回数が多ければ、多いほど、それを乗り越えれば乗り越えるだけ、己の人生は深いものになるのだと、なんとなく思うのだ。資本主義経済というのは常にon the edge(崖っぷち)である。ぎりぎりのところでいかにバランスをとるか。常に胎動するうねりのなかで、自分の体軸を意識して上手に動かしながら転落しないようにするゲームなのだ。これは投資だろうが経営だろうが、変わらないことだと思う。と、書いていたら、電話があった。金融系に勤める友人のアナリストが、会社をクビになったという。もし自分が彼の立場だったら、どうやって行動するのか。これをチャンスにするには、どういう準備をし、どういうアクションを起こすのか。眠気はもう、吹き飛んでしまった。今夜はきっと、眠れないと思う。<お酒メモ>アマンティリャード グラスで2つ紹興酒 あたためて1合
2008年01月22日
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最近、日記のエントリーをする日付けを間違えて、同じ日に2つアップしていることが多い。どうやら、昨日もそうだったみたい。ミスに気が付いて、ひとつ新しいエントリーをまたこさえたりすることもあるけれど、しょこたん(=中川翔子)みたいになかなか複数エントリーは書けないです(><)
2008年01月21日
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「医者から聞いた」という話を又聞きしたので、真偽は定かではないが・・・。人間は血糖値や尿酸値が高くなると、気力が失せるらしい。もし気力とこれらの値に因果関係があるのなら、気力がなくなってしまった人は、これらの数値を改善すべく日常で摂生すれば、気力が回復する可能性があるということだ。思うに、血糖値&尿酸値と気力の有無はやはり関係があるのではないか。そもそも、これらの値が上がるような食生活は、カロリー摂取過多で、脂質や糖分が多いと考えられる。こういった食事は、太りやすいし、身体が重くなれば動きたくなくなる。動くことが面倒になれば悪循環を招き、そのうち「痩せたい」とか「外出したい」と思わなくなる。「気力を失う」のも当然だと思う。年上の人と話をすると、決まって健康談義がはじまる。やれ「××が悪い」だの「△△が痛い」だの「○○の数値が高い」といった話題が続く。自分がそういう人たちと同じような年になったときに、少しでも健康な値の範囲内で、健やかに生活できればと思う今日この頃である。
2008年01月20日
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週末は出かけて、乗馬をしてきた。今までちゃんとした乗馬はしたことがない。馬自体も、1年位前に、老いたポニーに乗って、先導してもらったくらいしか経験がない。けれど、今回は本格的な乗馬。天然記念物に指定されている与那国馬という高さの低い馬にちょっと乗って、バランスをとる練習をしてから、鞍をつけた純アラブ馬(耐久性に優れる)に騎乗した。「国際大会で完走した馬で、賢く大人しいから大丈夫だよ」といわれたとおり、超初心者の私にも乗りやすい馬だったと思う。本当はインストラクターか誰かに自分が乗った馬ごと引いてもらいたかったのだが、馬のオーナーはそれを許してくれなかった。馬に乗るときには脱力して、と言われたので、脱力はしたものの、体を足で蹴って、小走りに走らせたりしているときに油断すると、馬から落ちそうになることが何回かあった。怪我するリスクを犯してまで、どうしても馬を乗りこなしたいという強い気持ちがないせいか、楽しかったのだけれど「ハマる」という感じにはなれなかった。馬が好きな人は、乗馬が一番やりたいことなのだろうけれど、個人的には馬房をお掃除したり、馬にブラッシングしたりといった「雑用」をしているときが一番楽しかった。どうも自然と触れ合うのなら、花や緑をいじったり、田畑をやるのが性にあっているみたいである。<お酒メモ>土曜日アサヒスーパードライ 生 グラス1つ亀雫 極(芋焼酎) グラスでそのまま1つローズウッド 1990Y グラスのふちまでたっぷりひとつ。そのままでイタリア ビアンコの白ワイン グラスで2つ喜久酔 純米大吟醸 1合ちょっと
2008年01月20日
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最近お酒をなるべく連投で呑むことを避けている。誤解されていることが多いのだが、私はアル中ではない。一度にたくさん呑んでしまうだけなのだ。だから別に毎日呑まないと「死んじゃう~」という感じでもない。というわけで中1日、できれば中2日くらい空けることを意識している。企業経営者とか、役員さんとの酒や接待など、仕事がらみのやむを得ないものは連荘でも行くけれど、体調が少し思わしくないと思ったら、友人の呑み会は悪いと思いつつ、大事をとってキャンセルすることもある。体調がよくないのに酒を呑んで、翌日身体と頭のキレが悪くなって、それをやり過ごしながら仕事をするというライフサイクルに陥りたくないからだ。そうやって無理したって、疲れきった顔で出ていっても、結果的に相手に不快感を与えるだけだと思う。と偉そうなことを言ってみたが、昨日一昨日呑んで、今日も接待で呑んで、明日は出かけ先で呑んで...。うーん再び「お酒の輪廻」に嵌りかけているゾ(ーー;<お酒メモ>天明 純米 亀の尾 半合フェット・アン・ビュル・ペティヤン・ブラン/ランジュ・ヴァン グラスのハーフロワール地方の。シュナン・ブランという葡萄。ちょい甘発泡 ヴィーニャ・デイ・アッキーレ ハーフ グラスのハーフカーゼ・コリーニの・ピエモンテ地方のネッピオーロ、バルベーラを使用。タツィオ・モスカート/イル・ブオンヴィチーノ グラス1つピエモンテのモスカート
2008年01月19日
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なじみの投資家数人から、今朝メールが入っていた。彼らはみな、投資経験が30年とか20年とか10年とか、まぁ二桁で、私なんかよりよっぽど相場に長くその身を委ねている。なのに一様に「樹海のグリーン」だの「今日下げたら樹海です」だのという文章が踊っている。私もここのところでベンツSクラス(で正しいのかな?)を1台ばかり飛ばしている勘定だけれど、別に普通に生活している。どうしてみんな「樹海」っていうのかな、と考えていたら気が付いた。そう、私と彼らの最も違うところは「信用口座」を用いていないという点である。現物は家まで、信用は命まで持っていかれるというが、こういうときの現物派はストレスがほとんどないから気楽である。ただ、相場を長く張って、生きている人が、今のポジションを「きつい」というのだから、今回の波は本当に凄まじいのだと思う。私も慎重に残りの資金で株を買っていかなきゃな、と感じた。ちなみにもーちょっと今日は下げるかと思って指値を入れてたのですが、ダメでした(^^;夜はなじみの店に最後の「ご挨拶」に伺った。社会人になってから度々お邪魔していた銀座のお店なのだが、このところの急激な景気の悪化で、店を閉じることになったらしい。もうすぐ開業10周年を迎えるところだったのに残念である。私も顔を出すようになって6年くらい。そこに、セミプロのダンサーや歌手がいない日は、何曲か歌って、お客さんから自分の席代や酒代をカンパしてもらっていた。振り返れば、そのお店では殆ど勘定を払ったことがない。私も仕事の息抜きで歌を歌い、お酒も少しだけいただけて、いろんな業界の話がきけたから、貴重な情報の場だし、愛着のあるお店だった。思えば、株価の調子がよかった2年前はお客さんが入れ食いだった。初めて会うお客さんも株の話をしていて、振り返れば「プチバブル」だったのかもしれないな、と思う。しかし、最近では客が減り、接待で使う数も企業の交際費の締め上げで結構減っていたらしい。そこで、出すお酒や食べ物を少しレベルアップして客単価を上げて凌ごうとしたのだけれど、それが裏目に出て、お店が回らなくなってしまったと、帰り際ママが私に言った。表情は思いのほか明るく、サバサバとした感じだった。こうして考えてみると、10年同じことを続けるのは本当に大変なことだ。私もあと1年で、投資を始めて10年になる。気を抜かないようにしなければな、と思った。<お酒メモ>アマンティリャ―ド 1つSCAPA 14Y 2つ佐藤黒(芋焼酎) ロックで1つその他ウィスキーの水割りを2つくらい。
2008年01月18日
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仏教の世界には小乗と大乗という考え方がある。小乗と言うのは現在では上座部と言い換えられるのが一般的だが、解かり易く言うと「修行をして鍛錬を積んだものだけが救われる」という考え方である。大乗はそれと対照的に全ての人を救うことを目指す。相場とは、短期的には小乗で、長期的には大乗を「志向する」ものなのだと思う。多くの場所で「長期投資」という言葉を耳にするが、その人たちがいう「長期」がどれくらいのものなのか、よくよく聴いてみると面白いな、と思う。また、幾人もの投資家と会って思うのだが、長期投資は胆力、あるいはある種の鈍感さがないとできない。結果、隣の芝生を伺うような人にはむいていない。誰にでもできるように見えて、実はよっぽどの変わり者じゃないとできない。こう考えると、長期投資家の要件は「小乗的」なのかもしれない。そう捉えると、正直、こういう感想が自分の中に生まれる。一見、長期投資を標榜している人のことは、カッコ良く見えるかもしれない。自分もなってみたいと思う人もいるだろう。でも、耐えるのが辛いのなら、早く降りたほうがいい。世の中の大多数はそういう「気丈さ」を持てないからだ。ある時期の株価の下落が心理的に影響して、お仕事に手がつかなくなったりするくらいなら、ETFだけにして、じっくりと家族や、仕事の充実を図ったほうがいい。株、ひいては企業というもの、は人々が日々生み出す生産物や、消費という実需によって支えられている。そこの充実が図られなければ、土台、成り立たないものだから。<お酒メモ>翠露 純米吟醸 1合九頭龍 お燗で 半合ギネス 生3/4パイントアイリッシュコーヒー 1杯弱
2008年01月17日
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そろそろ確定申告のことを考えなきゃなーと思っている矢先、あることに気が付いた。源泉徴収票をもらっていない。いつもこの時期にはすでに手元にあるはずのものが、ない。私の心は焦った。株の件でも、医療費の件でも、今年は必ず申告しなきゃいけないのに。会社で同僚に聞いたらやはりすでに貰っているということ。焦って総務部に駆け込んだ。もし、源泉徴収票を(本人ではない人間が)紛失したとなると、個人情報保護法の施行後は、法人としてそういう「情報紛失」があったということを申告しなければならないらしい。面倒なことになるのが嫌なので、自分でなくしたことにしようかなと思ったけれど、変に嘘をついてもこじれるだけだと思ってやめた。と早速、総務から直属の上司に報告が行き、上司が私に言った。「どうして源泉徴収票を受け取ってないということが発覚したんだい?何に遣うの?机とかに置いておいたりしたかも」といわれて、思わずムッとして言ってしまった。「失礼ですが・・・源泉徴収票は確定申告に必ず必要なものですし、お金みたいなものです。年収も記載されています。本来ならば直接本人に手渡すべきものでしょう。自分がその立場だったら、そうします」だいたい何に遣うかなんて、何故聴くのだろう。そんなデリケートな質問は普通しないだろうと思ったのだ。その質問をされるくらいなら、「ぶさいく」だとか「貧乳」とか「どんな男が好みなの?」などといったセクハラを言われたほうが数百倍ましである。と、友人に電話で話したら「怒るスイッチがずれてる」と言われた。そうかなぁ。。ちなみに、源泉徴収票は基本、再発行してもらえる書類です。
2008年01月16日
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3連休の最終日は成人の日。でも今日は本当に寒い一日で、新成人を迎えた人は大変だったのではないかと思う。私も大分前だが、成人式の日に振袖を着た経験がある。でも本人は最初まったく興味がなくて「お金の無駄だよ」と言った記憶があるのだが、「親や祖父母のために着るのよ」といわれ、しぶしぶ呉服屋に足を運んだ。親は赤とか青とか華やかな色を望んでいたみたいだけれど、私が選んだのは「黒振袖」だった。黒振袖は大正時代から昭和初期の花嫁さんの婚礼衣装として用いられていた。白無垢よりもオールドスタイルなのである。赤や青といった華やかな色振袖よりも、渋いし、和装を知っている人が見たら、こちらのほうがカッコよいかなとも思ったのである。学生時代に渡世上の義理で、色モノの格好をさせられたときに、ウェディングドレスを着て写真に収まっていた。というわけで、まぁ成人式に黒振袖を着れば、若い頃に婚礼の和装も洋装も写真に残るので、一生「ご縁がなくても」親は許してくれるのではないかと、当時は浅薄なことを考えたわけである(←ばか)。で、振袖は結局2回着た。成人式に着ただけでは勿体無いからと、秩父宮で行われていた大学ラグビーを振袖で観戦しに行ったのだ。前日に雪が降り、当日もちら舞う状況で大変寒かったのだけれど、寒いながらにカイロ1つを携帯し、ババシャツは着ず、下着もはかず(これが正装なのです)、振袖で出かけた。ものすごく寒かったけれど、結局風邪ひとつひかずだった。成人式になるとそのことを思い出す。今だったら間違いなく風邪をひいているわけで、あの頃は本当に若かったなと思いながら、おこたで日がな仕事をする1日であった。蛇足だが、夜になり、なまこ7匹とやりいか(静岡産)5ハイを捌いていたとき、なまこの内臓といか墨をうっかり身体に浴びてしまい、今日は真っ黒になってしまった。(格闘後、それぞれ、なまこ酢とパスタ<やりいかとつぶ貝>に化けたのだが)同じ黒なら、振袖がいいなぁと思ってしまった。
2008年01月15日
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先日、ひとりで、知らない街をぶらぶらと歩いた。ガイドブックや地図の1枚も持っていなかったので、駅がどの方角にあるかということを確認してから、いくつかの場所を訪れた。地元の人らしき人に道を尋ねたり、道端の地図で現在地を確認して歩く。あちこち迷って、500メートル先の目的地に行くのに、30分以上かけたりすることもあった。知らない街を、一人で歩くのは恐怖感よりもワクワクが先に来る。何かを目印にしてあるかなくてはならないから、道を曲がる度に角の建物の看板や、歩いている通りの名や国道の数字などを覚えていく。ヘンゼルとグレーテルや『蜘蛛の糸』のカンダタではないが、帰路がわからなくならないためのヒントを覚えて歩くことが、頭の体操と気分転換になるのだ。あとは、普段目的地に向かって「いかに短い時間で到着するか」ということばかり考えて回りの景色を見ていないことが多い。だから知らないところをプライーベートな時間に歩いていると、どうしても木々や花に目が行く。特に花は、見るたびに「花言葉はなんだったけ?」と考えることが多い。この日は昼食に鮨をつまんでいた。そこのカウンターに赤い実をつけた切花と水仙が飾られていた。赤い実は多分南天だったと思う。福寿草と一緒に飾れば「災い転じて福となす」の縁起飾りになるが、南天単体の場合は、「私の愛は増すばかり」という意味になる。水仙がナルキッソスの神話から「自己愛」という意味を持つから、正直意味深なコンビネーションだと思った(^^;本来正月の花は南天と同じく赤い実のセンリョウを飾るところが多い。これは縁起物で「千両」、転じて裕福という花言葉になる。また、この日歩いた道には種苗屋さんがあり、そこの入り口の切花がとても美しかった。鮮やかな色で咲くリンドウやチューリップ、カーネーション、菊などのアレンジメントがとてもきれいだったので、思わず花を買い求めた。買ったのは愛らしく色をつけたピンクのチューリップが入ったもの。チューリップはカーネーション同様、色によって花言葉がくるくる変わる。そのせいか、なかなか思い出せなかったので、あとで調べようと思い、手向けた後まっすぐ帰宅した。で、あとで花言葉を調べてみたら、柄にもない花を選んでしまったなぁと、ちょっと恥ずかしい気分になった(^-^;<おまけ>誕生日ごとの「誕生花」を教えてくれるサイトがあります。調べてみてはいかがでしょうか?<お酒メモ>オフ会にお邪魔。プロの話と料理に舌鼓を打つ。地方、海外からも数人来ていて、うーん、ワールドワイドでした。。シャンパン グラスで1つ赤ワイン タンニンがほどよい、やや重口 グラスで1つシャブリ(だと思う。多分)2005 グラスで1つギネス 生 パイントで1つバスペールエール生 パイントで1つ
2008年01月14日
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最近の下落相場を見て、ぼんやり思うことなのだけれど、投資スタイルというのは乱暴に分けると投資トレード投機の3つがあって、上から下に行くに従って保有期間が短くなる傾向があるものだと思う。自分の金で売買するのだから、どれを選ぶかは人それぞれ自由だろう。けれど、手持ちの銘柄を最初に買い付けようとしたときに、上記の項目の「どれ」に近い感覚で買ったのか、ということだけは忘れてはいけないと思う。相場が自分の見通しと違うときほど、怖くなって処分してしまいたくなるけれど「なぜこの株をこの価格で買おうとしたのか」「どういうイメージ(理由)で買ったのか」を考えたほうがいいと思う。会社に対して夢を持ったり、何らかの投影をして買ったのならば、それが壊れていないかぎり持つというのが、投資(※旦那的、エンジェルみたいな意味合い)なのではないだろうか。数字で買ったのなら「トレード」だろうから、機械的に売買すればいい。投機だったら、言わずもがなである。思うのだけれど、「入り口と出口の理由が大きくぶれるのが、一番良くない」。
2008年01月13日
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木曜日に夕餉を取った後、仕事を片付けてようやく眠りにつくと、夜中に気分が悪くて目が醒めた。地面がぐらぐら揺れていた。どうやら胃腸の風邪をひいたらしい。慌てて病院へ行くが「過労による胃腸炎の風邪だろうね」と言われ、(地面が揺れていると言ったから)酔い止めだけ処方された。私の信用している医者は、むやみやたらに抗生物質とか解熱剤とか処方しないのである。で、金曜日は休もうかと思ったのだが、仕事もどっさりあったので、午後から出勤。でも寒気はするわ、関節は痛いわ、耳はキンキンしているわで電話一本受けるのも辛い。翌日の土曜日はサロンFUJIYAMAの日だったけれど「これはいけないかも」と思って早々に帰宅。21時頃にはおうちに戻ってしまった。熱を測ると39度超。脈拍も横になっているのに100近かった。どおりで苦しいわけだ。医者にも言われたが「体調が悪い時は、水分だけ取って食事はやめなさい。ひたすら休みなさい」という鉄則を守って、眠ることにした。幸い、何も食べていなかったので、まず冷えた身体を温める。こたつの温度を熱めにして、厚着をして、1時間くらい眠る。そのあと、手ぬぐいを首に巻いて、布団をたくさんかけて昏々と眠る。「ばたんきゅー」という感じですぐに意識は落ちていった。蛇足だが、首にタオルを巻いて寝るか巻かないかで熱の下がり方は全く違う。また、食事をしないのは、食事をエネルギーに変える時に、体力を消耗するから。実は食事というのは、人間が一番体力を使う行動なのである。だから、病気の時に無理して食べると反って長引くのだ。早く治したい人は一度試してみても損はないと思う。こうすると、だいたい翌日2度くらい下がることが多いのだ。朝起きてみると、布団は汗ぐっしょりになっていた。関節の痛みも収まっていて、脈拍も70くらい。熱も37度を少し下回るくらいだった。というわけで、本日は無事サロンFUJIYAMAに出席。お陰様で満員御礼でございました。今日のゲストは日経新聞やテレビなどで度々登場している東京海上アセットマネジメントの平山賢一さん。度々メディアに登場している事もあって、時間内にわかりやすく、かつうまくまとめてくださって、非常に勉強になりました。個人的には数十年の軸で訪れるインフレとデフレの波において、どうやって売買のリズムをとるべきか、といった話はとても参考になった。<お酒メモ>生ビール ジョッキで1つ喜久酔 半合ふぐひれ酒 あったかいの1つ鳥飼(米焼酎) ロックで1つ半焼き芋(芋焼酎) そのままで1つまろやか酵母(ビール) 小瓶半分
2008年01月12日
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今年はじめて羊を食べに行った。昼からビールと羊を無性に摂取したくて仕方なかったのである。仕事を一時中断して、お友達と羊屋で「羊初め」。21時半すぎにお店に入ると、某投資家さんが、連れ立って羊屋に来ていて、楽しそうに出来上がっていた。昼間、その某投資家さんからの年賀状を眺めていたところだったので「奇遇だな」と思った。お店の人は「雅ちゃん、一緒に合流する?」と何度も聴いてくれたのだけれど、私の知らない人と一緒だったし、「邪魔しちゃいけないな」と思ったので、挨拶だけ簡単すませて、自分の予約した席に戻った。けれども、彼が帰りがけに、わざわざ立ち寄って声をかけてくれた。なので「一杯(いっぱい?)一緒にどうですか?」と声をかけ、結局一緒に呑んだ。最後に呑んだのは半年くらい前だったので、久しぶりだったし、なんだかひどく楽しかった。今はまた仕事に戻っているのだけれど、今日は深夜残業がなかったら、もっと一緒に酒を呑みたかったなぁと思った。いい店は、いい食べ物と、酒と、出会いを偶然に運んでくれる。<お酒メモ>レーベンブロイ 生 グラスで1つソアベクラシコ グラス3つ
2008年01月11日
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今日は接待だった。久しぶりに上司がいたのですごくやりずらかった。多分、今の上司と同席しての接待は初めてかもしれない。私の横で上司の顔が歪むのを何度も見た。私はおべんちゃらが好きじゃない。だから接待でも、相手に対して本当に・素敵だなと思うこと、・こうしたほうがいいと思うこと(これはBSやPLの数字を伴った上で話をする)は、きちんと話すようにしている。課長とか、部長クラスが相手の時は、八方美人じゃない人、本当に会社にとってよいことをしようと思う人は、親身になって聞いてくれる。でも、そうじゃない人は、私が言ったとたんに目つきや表情が変わるから解る。もう一度言うが、私はおべんちゃらが好きじゃない。だから接待で、相席している人がおべんちゃらをいいながらやんわりと食い込もうとしているのを見ると、少し切ない気持ちになる。中間管理職は、それなりに得意な「政治ごと」のパターンがあるだろうが、どうも自分の肌に合わないことを言っているときは、自分の顔が(それを聴いて)歪んでいないかどうかが不安になるのだ。私みたいに切り込むやり方を、喜んで受け入れてくれる人は、懐の深い人だと思う。でも、それを解って聴いてくれる人は、上層部でもたまにしか居ない。それも知っている。けれども、そういうことを敢えてするのは、そういう私を受け入れる人はちゃんと人の話を平等に聴く人だし、仕事をまじめにやる人だし、何しろずっとお付き合いが続くことを経験則で理解しているから。わかってくれる人たちがたまにふらりと連絡をくれて酒を交わすときはとても嬉しい。そうして、たいてい彼らは会社の階段を着実に登っている。それも嬉しい。私にとって接待は「仕事くれ、カネくれ」ではない。かけがえのない人間関係を紡ぐ場でもあるのだ。<お酒メモ>SCAPA 14Y そのままで。たっぷりグラスで1つシャンパン(フランス) グラスで2つ白ワイン(ブルゴーニュのシャルドネ) 辛口 グラスで2つ赤ワイン(ブルゴーニュの。2種類) 辛口 グラスで4つ貴腐ワイン 1つ
2008年01月10日
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昼間、初対面で、同世代の女性に会った。私は常時「男スイッチ」が入っているせいか、初対面で、しかも大人しい女性に会うと、どうも緊張するのである。いろんなジャンルの話を振ってみるのだけれど、なかなか相手は乗ってこない。どうやったら相手が「リラックスするかなー」と思っていると、彼女が質問してきた。「雅さんの好きな本ってどれですか」私はそれに「キルケゴールの『死に至る病』です」と即答していた。キルケゴールは19世紀の哲学者。本は「うん、うん」と頷ける部分もあるのだが、この人は本当に生涯を見ると、本当に勝手な男だと思う。傍目にはまったく同意できないくらい、煮え切らない人生を送っている。キルケゴールは裕福な中産階級の末っ子として産まれた。両親は敬虔なクリスチャンで、非常に愛くるしい子だった。だが、「せむし」だったと言われている。しかし10代のときに恋をした。17歳で求婚し、彼女はOKしたのに「俺は彼女に相応しい男ではない。自分の職業の道もまだ志半ばだ」と思ったらしく、一方的に婚約破棄をする。彼女がせっかく「考え直して」とチャンスを与えてくれたのに彼はそれも断る。だが、その彼女が結婚すると、何を思ったのか彼女のダンナに「彼女にした彼女への非道を謝りたい」という手紙を送る。しかし封は開けられずキルケゴールの手元に送り返され、彼女はダンナとともに海外赴任してしまう。そうして、彼女に永遠に会えず、32歳で野たれ死ぬ。まことに「茨の道を好きこのんで歩んで、大切なものを失う」の典型なのであり、まるで「昼ドラ」と思しき世界である。という話をかいつまんでしたら、彼女は笑っていた。少しホッとした。ところで、キルケゴールの場合は「一途」だったけれど、有名な哲学者で偉そうなことをいう人ほど「私生活」は乱れていることが結構多い気がする。例えば『社会契約論』を唱えたJ・J・ルソーは、若い頃イケメンで、年上マダムの「ツバメ」をやっていたし、『共産党宣言』を唱えたC・マルクスは愛人も隠し子もいたし、自らはプチブルだった。さらに、自分が書いた原稿はいつも「文章としてはぐちゃぐちゃ」だったので、エンゲルスや自分のカミさんにリライトさせていた。そして出来上がったものを「自分の本だ」といって印税をもらっていたのだからたまらない。素晴らしい「社会のあり方」を唱え、ご高説をたれている割にはリアルな生活は「おいおい・・・」というのが多いのは何故だろうか?暇じゃないと、哲学ってなかなか考えられない代物なのか?ということを続けて話すと、彼女はお腹を抱えて笑っていた。そして言った。「雅さんって面白い、酔ってるんですか?」・・・酔ってなんかない!(ーー;
2008年01月09日
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日本では厄年という「イケていないことがおこりやすい」と言われる歳がある。本厄は男性がは25歳、42歳、61歳。女性は19歳、33歳、37歳。特に男性の42歳と女性の33歳は大厄と言われ、人生で最も災難が降りかかりやすい年齢だと言われている。また、厄年の前の年は「前厄」、厄年の翌年は「後厄」と呼ばれて、これも注意しなければならない時期だそうだ。厄年の数え方は「数え年」である。数え年は、生まれた日に0歳ではなく1歳と数える。そしてその子が初めて正月を迎えた日にまた一つ歳をとる。だから12月31日生まれの人は、生まれた翌日に2歳になるし、1月1日生まれの人は365日後の自分の誕生日に2歳になる。この厄年、本当だったら怖いのだけれど、よくよく見てみると「?」と思うことがある。女性は33歳と37歳が厄年。つまり30代の女性は、10年の大半を「厄」を抱えて過ごすことになる。厄の概念ができた当時、ホルモンバランスの変化や、社会的に子育ての時期云々で、この歳があてがわれたのだろう。だから私はあまり気にしない。概念が出来たときと今のライフスタイルは違うから。ただ、身体の健康だけは留意しようと思う。というわけで、母に以前「厄年というのは身の回りにいろんな変化が起こることでしょ。その変化に対応して自分が伸びればハッピーじゃない。なんでも『嫌なこと』だからといって、毛嫌いしたり回避しようとするのは、人生においてあんまり幸せな考え方じゃないと思う」と言ったのだが、「あんたは・・・」とため息をつかれてしまった(^^;「気持ち」は運気に作用する一番の要素だと思う。だから、厄を意識しすぎないほうがいいんじゃないかな、と個人的には感じている。<お酒メモ>アマンティリャード(シェリー) 2つSCAPA 14Y 1つ天明 純米酒 熱燗で半合SOL(ハニーなワイン) グラスで1つクローブ、シナモン、オレンジジュースの入ったホットワイン 赤 1つ
2008年01月08日
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今年は白菜が安い。だから丸のままちょくちょく購入している。葉物のお野菜が好きなものの、日持ちできないものが多いため、普段はあまり口に出来ない。だが、この季節になると、日持ちできる白菜が店頭に並ぶので、いろんな白菜料理をあれこれ考えたりする。買うときには、白菜の白いところにごまみたいな黒い点のあるものを買う。あれは白菜の内部にあった糖分のしるしなので、「おいしい」という証拠なのである。使うときには外葉から1枚1枚はがして使う。そして使っていない丸の白菜は新聞紙に包んで、日が当たらないところにおいておく。こうしておくと、カットされた白菜よりもずっと日持ちするのである。そういえば白菜は日露戦争のときに日本にもたらされた外国野菜だといわれているけれど、戦争で日持ちする食料として注目されたことが輸入のされた一要因なのだろうか?
2008年01月07日
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訓練をつんだ医者は、胸部X線写真を眺めただけで、そこにわずかな結核の手がかりやあるいは早期ガンを疑うに足る陰影を認めることができる。私たちが同じものを手にしても、そこにはぼんやりとした雲やかすみのような白い広がりが見えるだけだ。実は、医者がX線写真をライトにかざすとき、彼が診ているものは、胸の胸像というよりはむしろ彼らの心のうちにあらかじめ用意されている「理論」なのである。 ――福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)より人は普段「ものが見えている」と当たり前のように思っているが、本当はちゃんと見えていない。人は見たいものだけを見て、記憶しているのである。投資でもビジネスでも、そして人間関係でも同じことが言える。悪い情報を知っても、対象物を信じたいという気持ちがあれば、それを「折込済みだ」とか「すでに知られていること」として気にしない。逆に自分のやっていること、置かれている状況に対して不安があれば、その情報は「とるに足らない」ことであっても、ものすごいこととして捉えられるだろう。そう、古びた病院の天井の紙魚(しみ)が、ただの黒い点なのか、それとも今は亡き愛した人の顔に見えるのかは、その人次第なのである。人は見たいものだけ見ようとする。つまり、自分の内面にある、自分の本当の気持ちを強化すための情報をたくさん取り入れようとする生き物なのだ。私はこれを悪いと思っていない。なぜなら、そうやって自己の考え方を肯定していかなければ、自分が生きていることや、そのためにしていることの正当化が図れなくなってしまうからだ。毎日やっていることが「いいことだ」と信じる、あるいはもしかして「無意識に信じようとしている」からこそ、人は明日を生きることができるんじゃないか、と思う。
2008年01月06日
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日本におけるカジノ構想がまた盛んになってきている。前回は2001年ごろに石原都知事の音頭で盛り上がっていたが、過去何度もポシャッている。今回は、カジノ議員連盟の会長である政治家の野田聖子さんがオーストラリアのカジノの事業家を日本に何度も呼んで、事業者向けに講演会を開くなど、そのノウハウを一所懸命導入させようと必死になっている。個人的にはカジノがあってもいいと思う。日本ではもともと賭博文化があった。それは、親分子分関係を伴うことから、乱暴に言ってしまえば、次第に、ヤ○ザの一事業にとしての側面ができてきたのである。テラ銭を稼ぐ博徒は「見てみぬフリ」で江戸では隆盛を極めたし、的屋や香具師は享保時代からお上の公的な認証を受けていた。ギャンブルや盛り場という地場の収益を安定的に確保するためもあったのだろう、ヤ○ザは地域で揉めたときの「仕切り」や自警団として活動することもあった。あんまりおおっぴらな勢力になることは好ましくないが、正直に言えば、社会にとって必要悪な存在なのだと思っている。しかし、上下関係が厳しいことから今はヤ○ザのなり手はなかなかいないという。また取締りが厳しくなり、収益を確保するためにドラッグなど、よりリスクの高い「ヤバいビジネス」にシフトしてきている。上場前の企業に資本注入して、上場前に株を貰い、IPOで売り抜けるなんていう技も出てきている。詳細は省くが、証券化を使ったアイデアである。より巧妙、複雑になってきているのである。こうしたシノギがきついからこそ、時に起こる跡目争いの抗争も以前より、より辛らつになってきるのではないだろうか。このヤ○ザたちが、裏で活躍するのではなく、表でビジネスを張るひとつの機会になるのがカジノではないか。合法的にある程度の収益が確保でき、組織が肥大化しないような縛りを作る。そして、ヤ○ザが担っていた社会の「アヤ」もある程度働くようにする。彼らは頭がよい。その中の何人かは、足を洗えるチャンスがあれば、そうしたいし、表舞台で「認められたい」と思っているだろう。その一里塚が日本のカジノ合法化ではないかと思っている。コンプライアンスが叫ばれる時代に「何を」と笑われるかもしれないが、縛りがきつくて日本経済が疲弊している昨今、こういった発想がなければいけないと私は思う。ここで思い出すのはエリザベス1世の施策である。当時のイギリスは弱小国家で財政難、栄華を極めていたのはスペインだった。そこで民間の海賊たちに掠奪許可証を発行して、植民地からの積荷を乗せたスペイン船を襲わせていた。これに業を煮やしたスペインが1588年英西戦争を起こすのだが、このときも海賊であったドレイクを提督にした。「ならず者」と言われていた人間が突然国王から「公的な地位」を与えれば誰でも発奮する。変な言い方だが規制に縛られず徒手空拳で生き抜いてきた人間はやはり土壇場に強い。結局ドレイクはスペイン無敵艦隊を破ったのである。ピンチはチャンスである。土壇場でドラスティックなアイデアを出し、行動することが突破口になる。暴論かもしれないが、日本経済の活性化のために、カジノが日本にできてもいいと思う。カジノができれば、ギャンブル好きの外国人もカネを落とすから、内需拡大に貢献する。さらにパチンコをやっていた日本人もある程度の数はカジノに流れる。そうすれば既存のギャンブル資金の「行き先」も変わるかもしれない。これは日本の保守が外交面で「望んでいる」ことにつながるのではないだろうか。
2008年01月06日
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仕事があるにはあるが、なんだか会社に行きたくなくて、お出かけをしてきた。なんか、最近良く眠れないのだ。少しの物音で目が覚めて、もう眠れなくなってしまう。昨日もブログを書いて床についたのだが、40分後に近所の台所のイスが動く音で目覚めてしまった。そうしてもう、目がさえてしまった。いつも生真面目に会社へ通う人間が、ある日突然ぱたりと来なくなってフェードアウトしてしまう。そんな光景はどこの会社でも一度は見たことがあるだろうけれど。私もこのまま仕事を続けていたら、いつかそうしてしまうかもしれないなーと思った。だから、仕事を少しだけ放り出して、明け方電車に乗った。真っ暗なうちから始発に乗って、鈍行でどこまでもどこまでも。電車の中で、疲れて眠れるかと思ったのだけれど、やっぱり一睡もできない。だから夜明けの景色を、車窓からずっとながめていた。真鶴あたりで水平線から燃えるような朝日を見たとき、函南をすぎて、くっきりと姿を表した富士をみたとき、ローカル電車の旅もいいものだと思った。今日は、そうやって出社拒否して蒸発してしまう人の気持ちがよくわかる。天気がものすごくいいと、なんだか今の生活を放り出せそうな気持ちになるから。今日は悲しいほどお天気。<お酒メモ>ひる新政 純米酒 半合佐藤 麦焼酎 あたためて1合くらい。宗玄 日本酒原酒 2合まろやか酵母 ビール 小瓶半分焼き芋 芋焼酎 そのままで1合半くらい。よるサッポロビール 中瓶半分紹興酒 1合 そのままでグレンフィデック そのままで2つレッドブレスト そのままで1つ
2008年01月05日
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新年に入ってから全くお酒を身体に入れていなかったので、今日は呑み初め。ギネスを呑みに出かけようとしたのだが、あまり食欲もなかったので、家で呑むことにした。酒の肴を用意して、ちーっと呑んだあと、以前からやりたかったことを実行(^o^)/そう、湯船で1杯。わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪年寄りになったら、血圧がどうのとか、酩酊したときの危険だとかがつきまとうので、今のうちにやっておきたかったことのひとつである。酒のつまみは・丹波黒豆煮・すぐき(京野菜)の漬物・炒り銀杏すぐきは葉の部分と実の部分をそれぞれ一口サイズに切って器に盛る。銀杏は殻をペンチで割ってから、ゆっくりとフライパンで炒ってみた。これを食べ終わったあと、おちょこと酒器を木盆の上に載せ、おちょこと酒器をお風呂場へ持っていく。湯桶の湯はいつもよりも少なめにして、半身浴くらいの湯を張る。そうして湯気の中でちょこちょこ呑むお酒は口に入ったときの温度とか感触がいつもと違う。暫くすると汗がいつもよりも出てくる。お風呂に日本酒を入れると、代謝がよくなるのだけれど、呑んでも同じ効用が得られる気がした。おかげで、いい感じで、少ないお酒でいい気持ちになることができた^^さぁ、あと7時間ちょっとで大発会。今年も頑張ります(^o^)/<お酒メモ>くろさわ 柱焼酎仕込み 1合
2008年01月04日
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個人的な都合により、年賀状が出せなかったときに送る寒中見舞い。多くは喪中のときのご挨拶や「松の内」と呼ばれる1月7日までのめでたい時期に年賀状を返送することができなかったときに出す便りを指す。端的に言うと、1月8日から2月上旬の立春の前までに出すご挨拶が「寒中見舞」なのである(※細かいことを言えば、昔は二十四季節の小寒から立春までの挨拶なので1月5日からだった)。これは通常、普通の葉書で出すものだ。年賀葉書で出したらそれは「礼を欠く」ことになる。けれども、昨年10月に民営化した日本郵便は、何を勘違いしているのかこの「寒中見舞い」に「年賀葉書を使おう!」という営業施策を内部で敷いているそうだ。「年賀状の発行/売上枚数実績をできるだけ伸ばしたい」「15日までなら、お年玉くじもついているし、いいじゃないか」といった理由があるとは思う。だが、「品格ブーム」が続く昨今、礼節を無視した戦略はちょっとKY(=空気読めない)じゃなかろうか、と感じるのだ。私は年によっては年賀状が遅れて「寒中見舞い」を出すこともある。ただ今年は年内にあらかた送ったので大丈夫かな、と思う。少し余裕ができたので、自宅でウィーンフィルの『美しく青きドナウ』をテレビで視聴したり、ブルックナーのモテット(貸していただいた)やバッハを聴きながら、ごそごそと仕事の企画書や提案書なんかを書いている正月である。
2008年01月03日
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新年に実家を訪れたら、珍しく親戚の子どもがいた。親戚の子2人(♀)は、まだきちんと喋れないくらい幼い年齢なのだが、お年玉はあげなくてはならない。というわけで、2つのポチ袋を用意した。・500円玉をひとつ入れ、キティちゃんの袋・100円玉を5つ入れ、和柄の袋どちらも女の子に受けるべく、ピンクをあしらったポチ袋だったが、キャラクターがついているキティちゃんのほうを女の子だったらとるに決まっている。だが、和柄の袋にたっぷりお金(=玉)がはいっていると見た目にわかるようにしたら、どういう行動をとるか見てみたかったのだ。見た目をとるか、実(がありそうに見えるほう)をとるか。昔話『舌切り雀』の「つづら」の応用である。しかも、入っている金額は結果的に同じ。意地が悪いと言われても仕方がない。・・・私も同じようにして、お年玉で「金銭教育」されてきたからだ(^-^;というわけで、上の女の子にまずどちらのポチ袋が欲しいか選ばせる。その子はじっとポチ袋を眺めるだけで、なかなか選べない。そこへ、下の子がさーっとやってきて、キティちゃんの袋をかっ攫っていった。それを見た、上の子がわーっと泣き出す。「あのね、雅。同じ袋じゃないとケンカするでしょ。同じ袋じゃなきゃダメなの。どうしてそんな意地悪なことするのよ」と母が諭す。それに私は答えていった。「みんな『横並び・同じ』なら、親は子どもが泣くこともないし、楽かもしれないけれど、それは本当はよくないこと。どちらがいいか、子どもなりに一所懸命頭を働かせて、どちらが自分にとっていいか学ばせる機会を持たせたあげたほうがいい、と私は思っているの」母親は「ふう」とため息をついてそれ以上言わなかった。でも、私がやっていることはまだ「甘い」と思っている。小さい頃の私の「お年玉バトル」はいつも熾烈だったからだ。年末はいつも親の田舎にいて、正月になるとよく遊んでくれた近所のお兄さん・お姉さんのところに行っては、お年玉をおねだりしていた。そのお兄さんのうちの隣に、S君とJ君、かよちゃんという地元の3兄弟がいた。みなほぼ同年代だ。私は田舎へ行くたび、いつも彼らと遊び、正月は一緒にお年玉争奪戦に参加していた。野山に分け入って、それはまぁ当時いろんな悪さをしたから「悪ガキ」扱いされていた。当時はバブル全盛期。お年玉をくれるお兄さんたちは社会人だったから、それなりに「財力」はあったけれど、正直この悪ガキ4人にたくさんお金をあげたくないと思っていたに違いない。そこで、いつもお年玉の金額を決める、いろいろな「条件」が言い渡された。ある年のお年玉は「目の前の干し柿を食べて、中に入っていた種の数×1000円」というものだった。私を含む悪ガキ4人は皆、最低3000円を狙っていた。一番年上のJ君が、お兄さんが「条件」を言うなり、お兄さんに向かって「食べてみろー」と叫んだ。私も続けて「その干し柿には種がはいってないんでしょ!」と言う。S君もかよちゃんも「そうだ、そうだ!」と応援の手を入れる。「お前ら、可愛くないなぁ。スポンサーにそういうこというか?」と言いながら、お兄さんは干し柿をひとつつまんで食べた。しばらく口をもぞもぞさせて、口から種を吐き出す。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・結果的に4つの種がテーブルの上に敷いたティッシュの上に並んだ。「おぉぉぉーー」私たちは一同に声をあげた。「ほら、種はあるだろ?じゃぁ、自分たちで1つだけ選んで食え」とお兄さんは言った。そこからは干し柿のとりあいだった。「おい、それをよこせ」。私の手をS君がひっかく。さながら戦争状態である。大きい干し柿には種がたくさん入っているに違いないと、誰もが思い、一番大きい干し柿を真っ先にとろうとして譲らなかったからだ。ただ、かよちゃんだけが、いつになくしょんぼりしている。皆が干し柿を獲りおわった後、お兄さんがかよちゃんに向かって言った。「ほれ、かよ。お前も早う、選ばにゃ貰えんに」かよちゃんは、半べそになっていた。「かよ、かよね・・・干し柿食べれんの・・・嫌いなんよ」お兄さんは急ににやりと笑って「かよ、干し柿食わないと、お前だけお年玉はナシじゃ」湘南爆走族(←古いか)風の髪型をしたそのお兄さんが急に悪人に見える。しばらく考えて、かよちゃんは泣きながら一番小さい干し柿をひとつつまんだ。「よーい、スタート!」お兄さんの掛け声でいっせいに悪ガキ4人が干し柿を食べた。せんじ君が種2つ、しょうじ君と雅がそれぞれ種3つ、という結果がすぐに出て、あとはかよちゃんが泣きながら食べているのを見守るばかりだった。私はその時の光景は今でも忘れられない。ぐじゅぐじゅとした干し柿の具と、かよちゃんのぐしゃぐしゃになった表情が相まって、かよちゃんの様子は本当に地獄絵図だった。しかし、口から種が次々と出てくる。ひとつ、ふたつ・・・。みっつ目をすぎてから、かよちゃんの涙が止まる。よっつ、いつつ・・・。最終的に5つの種が出てきたのだ。「5つもあったのか?しょうがねぇなぁ。でもかよはちゃんと食ったからなぁ」とお兄さん。漢である。有言実行、ちゃんと全員に種の分だけお年玉が配られる。かよちゃんは笑っていた。今度は2000円しかもらえられなかったS君が泣き出す番だった。こんな感じで、毎年お年玉を頂戴していた。それでも夜、大人から貰ったはずのお年玉を全額巻き上げられることも時にあった。自分がお金をより多く受け取るためには、どうやったらいいか、どういう駆け引きが必要なのか、そして巻き上げられないためには(あるいはもっと増やすためには)どうしたらいいのかを、子ども心ながらに必死で考えたのだった。当時は(お金をくれた人たちには本当に失礼なのだが)ひどい大人たちだと思っていたのだけれど、振り返ってみると本当にありがたい勉強をさせてもらったと思っている。ここに私の「お金」に対する執着の原点がある。というわけで、親戚の子どもたちにはこれからもちゃんと(?)「金銭教育」をしようかな、と思う次第であるo(^o^)o
2008年01月02日
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みなさま、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。年末の31日に、お年賀の準備をした。要するに、親への「お年玉」である。2007年は年収が減ってしまったけれど、親に包む金額を増やした。今までは母に渡していたのだが、今年は別々の袋に入れて、それぞれにお年賀を渡すことにした。用意していた真新しい新券(ピン札)と一緒に、したためた一筆箋を入れる。母には包み隠さず、今年自分がやったことを列記した。ちゃんと伝えようとしたのは、初めてかもしれない。両親は会社でやっている仕事や、それを離れたところの活動については殆ど知らない。知らせたことがないからだ。親には自分の行動を知らせることは昔からしなかった。年末に『イカ天』の特番を見て思い出したのだけれど、私はあの時代、短い期間だがテレビに出ていたことがある(H系ではないです^-^;)。親に気づかれないように、こっそりと早朝に出て行くのが大変だったなぁとか、学校で同級生が「お前、『××』の番組に出てなったか?」と聴かれたので、こっそりと「うん...でも何で見てるの?」と問い返したこととか。懐かしい思い出である。うっかり脱線してしまった。そうして、母への手紙を書いたところで、今度は父宛ての番となった。何を書いていいか、わからない。しばらくぼんやりと考えて、「坊さんの講話」系にしたためてみた。こんな風に。*******************退職して3四半期が過ぎようとしていますが、生活には慣れましたか。少しばかりですが、お年賀をお贈りします。古来、日本ではお金のことを「お足(おあし)」と呼んだそうです。足は自分の行きたいほうへ、望む速度で己を導いてくれる道具です。昔の人はなるほど、うまく言ったものだと思います。お渡しするお金が、お父さんの願うことが叶うための一助になればと祈っています。身体を大切にしてお母さんを永く支えてください。雅***********どうか安酒に化けず、有意義に使ってくれますように、と思い、あえて説教風にしてみた。この年賀をさきほど持っていったのだけれど、父に直接渡す機会がなかった。さっさと自宅に戻ってしまったけれど、どんな気持ちで受け取ってくれるのかな。<お酒メモ>大晦日渓流 どむろく(長野のどぶろくです) 1合ちょっとリーフマンス・グリュークリーク(ベルギーのホット用ビール) あたためて。瓶1つ
2008年01月01日
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