マクロビ・ヒーリング・サロン【さろん楓・ふぅ】@白金台

マクロビ・ヒーリング・サロン【さろん楓・ふぅ】@白金台

PR

×

Calendar

Profile

zzzebra

zzzebra

Comments

zzzebra @ Re:わ~!(11/22) megさん コメントありがとうございます…
meg@ わ~! 素敵ですねぇ!! 消えたってのがまたいい…
zzzebra @ Re[1]:☆パソコンに向かう姿勢を変えてみる3つの提案(09/24) アンコール♪さん コメントありがとうご…
アンコール♪@ Re:☆パソコンに向かう姿勢を変えてみる3つの提案(09/24) こちらではお久しぶりです。仙台、曇りの…
zzzebra @ Re:最初の誕生日(09/18) takaさん モノにもストーリーがありま…
2007.09.25
XML
カテゴリ: 我、想う

あまりに想いが強すぎて、レポを書くのに一ヶ月もかかりました。
・・・というのは半分本気、半分冗談ですが。




橿原神宮駅から、朝、一番の特急で吉野へ。
その特急列車で吉野駅に降り立ったのは、私一人でありました。

うーん、なんというプレミア感。
夏の終わりの太陽が降り注ぐ山間の駅。
8月の最後の週。余命少ない蝉が力の限り鳴いています。


吉野が近づくにつれ、心沸き立っていました。
うっすらと幾重にも重なる山並みがそれはそれは美しくて。
車窓から、吉野川の流れを見て感動したり。
子どもの頃から、地図好き、地理好きだったので
憶えていた地名、山や川を実際に見ると異様な感動があるのです。

そして、迎えにきてくれた友人の車で急な坂道をぐんぐん登っていきます。
「ご縁」とは本当に不思議なものです。

この奈良への旅、そもそもの目的は、
橿原神宮で開催された藤井フミヤ氏ライブに参加するためでした。
なぜ、神社でライブ?という疑問もあろうかと思うのですが、
それはまた別の機会に譲ります。


結局のところ、単身で行くことに。

そのとき、橿原神宮まで行くのなら、
絶対に吉野まで足を伸ばそうと心に決めていたのです。
それを、ファン限定SNSに書いたことから 「ご縁」 は始まりました。


ネットを通して見知らぬ誰かと友達になるなんて体験は初めてのことでした。

そのご縁もさることながら、
いざ会ってお話してみたら
初めて会ったとは思えないような、
なんだか昔から知っているような不思議な感覚があったのです。

だから、私にとって吉野という地は、
この 「ご縁」 を抜きにして語ることはできないわけなのです。

吉野といえば、桜の名所。
桜の木が連なる山道をぐんぐん登る。
これがすべてピンクに霞んでいる世界はどれほどのものかと想像しながら。

そして、辿りついた奥千本。
この時、その後に忘れられないような素晴らしい充実したトレッキングタイムを過ごすなんて、私も友人も想像さえしていませんでした。

友人は吉野在住ですが、そこまでは行ったことがなかった、とのこと。
これが人とコラボする楽しさですね。

下界はかなり気温は高かったですが、相当涼しいです。
歩いていて非常に気持ちいい。
私たち以外に人は全くいません。

吉野杉がまっすぐに天へ向かって伸びています。
耳に届くのは鳥のさえずりと風の音。
なんと、この時点でまだ朝の9時なんです。
だから、朝の爽やかさがまだまだ残っている。
午前中の木漏れ日は、穏やかで柔らかで、それがなんとも美しい。

吉野・奥千本 には、歴史的に隠れ家にされたスポットが点在してます。
源義経の隠れ塔然り、西行庵然り。

西行庵はなんとも印象に残る場所でした。
平安時代の放浪の歌人、西行法師は都での生活に疲れ、
3年の月日をここで過ごしたと伝えられます。
どんなことがあって、世を儚んで、隠遁生活を送ることを決めたのか、
その細かな心情はわからないけれど
でも、その場所は、自然の精霊が見守ってくれるような雰囲気さえありました。

さらにその近くには、西行がたびたび足を運び、
歌にしたという「苔清水」が。
まさに苔むした岩場からちょろちょろと溢れ流れ出る清い水。
飲んでみたら、それほど冷たくはないけれど
すっと何の抵抗もなく喉を通り体内に吸収されていく気持ちのいい水でした。
東京に帰ってからも、もう1ヶ月ほど経つけれど
あの清らかさは何度でも思い出すことができます。

後世になって、こうした西行法師の足あとを松尾芭蕉が辿ったといいます。
だから、ここかしこに芭蕉の句が掲げてありました。

そうして、何とも入り組んだ道を歩き続けていたら
なんと修験道の道を歩いていたらしい。
メインストリートに戻ったとき
明らかに「戻ってきた」という感覚がありました。
そう、シャバに、現実に戻ってきたという感じ。
確かに、俗世とは違う空気が流れる場所でした。

歴史を振り返れば、
南北朝時代に、後醍醐天皇は朝廷を吉野に置くことを定めました。
歌人・西行法師も華やかな都を捨て、ここに隠棲しました。
兄頼朝に追われた武将源義朝もここに逃げ隠れました。

今のような詳しい地図も情報もない中で
どうして人々はここに辿り着いたんだろう???

気がついたら、約1時間も歩いていました。
かなりの山道ですから、もう早朝トレッキング。
なんともすがすがしかったのです。

その後は、世界遺産に指定された神社や
千利休がデザインしたという庭園を訪れながら
吉野山を下っていって、友人オススメのお店 「八十吉」 で生くずきりを食しました。
注文を受けてから作るというこの味わいも忘れられません。

そして、車中の共に柿の葉寿司を買いました。
そう。吉野に滞在できたのは、実は午前中のわずか数時間。
昼過ぎの列車に乗って私は東京に戻るのです。

柿の葉寿司は東京でも買えます。食べられます。
でも、全く違いました。
柿の葉すし「たつみ」では、
目の前で寿司メシと鯖、鮭を柿の葉にくるみ、ぎゅっつと押してくれます。
杉の香りのする木箱。
帰りの近鉄線の中、感動しまくりながら食べましたっけ。

・・・我が家からは、品川や芝浦方面の高層ビル群が見えます。
これはこれで綺麗です。
でも、それを眺めながらも、
同時に私のスクリーンには、奈良のあの柔らかな山並みも同時に映るのです。
今、それがなんとも幸せです。

大好きな写真家、星野道夫さんが
かつてこんなことを本に書いていました。
「自分が日本の満員電車に揺られている同じ瞬間に
アラスカでは、カリブーが大地を移動し
海では、くじらが潮を吹き上げている。」と。
(記憶の中にある文章なので正確ではありません。あしからず)

私はそんなふうに世の中を捉えられるようになりたいと
ずっとずっと思い続けていました。
20代の頃の私は、いつもいつも目の前の何かに翻弄され続けていましたから。
自分の日常の中に吉野の山並みが映る今
少しはそんな境地に近づけたのでは、と思えてすごく嬉しかったのです。

帰りの近鉄線の中から見えたのは、澄んだ吉野川の流れ。
電車の中からでさえ、川底がきれいに見えます。
そして、その浅瀬で遊びまくる子どもたちの姿。
それも美しい光景でした。

私の日常にそんな世界が存在していないことを憂える気持ちももちろんあります。
一人の親として、子どもにそんな日常をあげたいという思いももちろんある。
でも、それは、自分の利益・不利益も関係なくなってしまうぐらい圧倒的に美しい光景でした。
自分がもってなくても、自分の周りになくとも
こんな場所がこの世にあるだけでいいという感じでしょうか。

1ヶ月経った今もこうやってその風景が
心の中で生き続けていることが本当に不思議です。

藤井フミヤさんも、今回橿原神宮で歌うことになったのは 「ご縁」 だと話していましたっけ。

「ご縁」 という見えない糸。
思えば、今関わりのある方、モノ、場所すべてが 「ご縁」 なのですよね。
その存在に敏感でいたいと改めて思いました。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.09.25 22:46:59
コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: