新潟県武術連盟ホームページ

新潟県武術連盟ホームページ

2世伝人 王樹金老師


移動: 案内、 検索 王樹金(おうじゅきん、英: Wang Shu Jin、1905年‐1981年)は、中国河北省天津出身の中国武術家。

教義に仏教思想をも内包する道教系新興宗教、「一貫道」(天道)の幹部信徒(第三位階)、菜食主義者であった。日本において初めて公式に中国武術の本格的指導を行った真のパイオニア的人物(合計21回来日)。 太極拳・形意拳・八卦掌を教授した。

初学は河北派形意拳の大家として知られる、八卦掌の開祖・董海川の最晩年の弟子であった張占魁に就いて関門弟子(最後の弟子)となり、形意拳及び八卦掌を教授される。張の紹介により1934年(民国23年)王向斉から「大成拳樁法」を教授される。張占魁は晩年に弟子達を当時天津在住中の王向斉の下でも学ばせた。その中には心会掌創始者・趙道新や銭樹樵もいる。 王樹金は王向斉より形意拳の指導を受けたという人もいるが、1934年当時はすでに趙道新、韓星橋、韓星垣等が大成拳の指導を受けていた。 また、王樹金は王向斉より張占魁の没後に指導を受けたという記述も見られるが、この当時張占魁は健在であった。

1939年(民国28年)には、張占魁の薦めにより、当時天津にあった第一国術館の八卦掌教官だった蕭海波に指導を受け、八卦秘掌を伝授される。 共産党による南京制圧間際の1949年には、信仰上の理由から台湾に布教活動に渡り、台中市に「誠明国術館」(現在の「中華武術国際誠明総会」の前身)を設立。この頃の王は台湾の武術家を相手に積極的に比武を行ったと言われている。また、誠明太極拳(王樹金と交流の深い陳泮嶺が制定したとされる双辺太極拳または南京中央国術館式太極拳、九十九式太極拳、王式太極拳とも言われている。)に近い太極拳、形意拳、八卦掌などの武術を指導した。 台湾では、主に陳泮嶺や張俊峰と交流が深かった。 1958年(昭和33年)に蒋介石の国民党政府の要請により渡日、合計21回来日し、中国武術の教授を行う。 1960年に陳泮嶺が設立した「中国太極拳倶楽部(台湾政府直轄の太極拳団体である中華民國太極拳総會の前身。)」に韓慶堂や中国国民党・蒋介石の総統府侍衛隊の武術教官であり武壇国術推広中心代表だった劉雲樵らとともに参加した。

王の教授した門弟は多数に及び、現代においても日本の武術・武道界に巨大な影響を残している。 我が国において王の技は1958年(昭和33年)に佐藤金兵衛が広めた。現在では、王樹金後継者の王福来(中華武術国際誠明総会)、地曳秀峰(全日本柔拳連盟)や、拝師弟子の河野義勝(義誠国術館)、中華武術国際誠明総会の日本人教練達の手によって後進に教授され続けている。





© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: