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信用できる言葉は飾り気がない。しゃれた言葉は信用できない。善人は口数が少なく、ベラベラしゃべるのは善人ではない。真の知者は博識である必要はない。博識をほこる者は、真の知者ではない。聖人はものごとをため込まず、全て人のために使い果たすが、かえってますます得るものが多くなる。天の道は万物に利を与え続けるが、害することはない。聖人の道は、ものごとを人のために行い、利を奪い合うことはしない。読了!
2024.11.22
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人口が少なくて小さな国がいい。たとえ有能な人材がいても活躍する場がない。国民は日々の暮らしに満足し、外国に移住しようなんて思わない。舟はあっても乗ることがない。軍備は整っていても使うことはない。人はいろいろ知識を得るが、それをひけらかして使うことはない。日頃の食事を美味しいと思い、普段着こそが美しいと思い、庶民の生活を楽しむ。すぐ隣の国から様々なうわさが聞こえてくるが、興味はない。年老いてから死ぬまでこの国を出ることはない。これが私の理想とする国だ。
2024.11.22
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大きな恨みを買って、和解しても、必ず恨みは残る。常に善を行うよう心がけ、人に恨みを買わないようにすることだ。だから聖人は、約束を破った相手を責めない。徳がある者は、約束事を融通がきくものとするが、徳の無い者は、税金を取り立てるかのように冷酷になる。天は誰に対しても同じ扱いだ。常に善人の味方となる。
2024.11.22
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天下に水より柔弱なものはない。しかし、堅強なものを動かすには水が一番だ。弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが堅い物に勝つ。もはやこの道理は、天下に知らぬ者はいない。しかし、これを実践する者はいない。だから聖人は云う。「国の汚い部分を背負う、これを一国の主という。国の弱さの責任を負う、これを天下の主という。」正しい言葉は、常に常識とは反対の言葉だ。
2024.11.22
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天の道理は、弓を張るのに似ている。長い弓をたわませ、短い弦を広げる。余っているものは減らし、足りないものは補う。ところが人間社会は違う。足りないものを減らし、余っているものを増やす。これじゃ、余っているものをだれが天に返すというのだ?それは天の道理に従う者しかない。だから聖人は、過去の実績に頼らず、地位を得ても長居せず、まわりから賞賛されたいとは思わない。
2024.11.22
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生きている人間は柔らかくて弱い死んだら堅くて強い。草木だって生きているうちは柔らかくて弱い。枯れたら硬くて強い。堅くて強いものには死がとりついている。柔らかくて弱いものは生が宿っている。兵も強すぎれば、意外と脆い。木だって、しなやかさがないものは折れやすい。だからいつだって堅くて強いものは下にあるのがよいし、柔らかくて弱いものは上にあるのが良い。
2024.11.22
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国民が貧乏なのは、税金が高すぎるからだ。これじゃ生活できない。国民が暮らしにくいのは、政治が余計なことばかりやらせるからだ。そのうち不満が爆発するぞ。国民がよりよい生活のためにがんばって働こうという意欲がなくなるのは、政治家が私利私欲をむさぼるからだ。まじめに働くのが馬鹿らしくなる。私利私欲をむさぼらない政治家はいないものか。「国民が大切だ」などと口先だけの政治家よりも、よほど優れた政治家だ。
2024.11.22
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死刑について考えてみよう。国民が自分の命を大切にしないとき、君主としては何ができるだろう。死刑があるのは、国民を恐れさせて罪を犯さないようにするためだ。しかし、国民が自分の命を大切にしないならば、自ら進んで犯罪を犯していくだろう。こうなったら、君主として何ができるというのか?罪人には、君主や役人が手を下さなくても天罰が下る。しかし、君主や役人が罪人を殺すというのは、素人が大工の真似事をして木を切るようなものだ。罰を下す君主も役人も無傷ではいられない。君主が人の命を大切にしなければ、どうして国民が自分の命を大切にするというのか。
2024.11.19
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戦いにおいて、勇んで空回りする奴は殺される。やむを得ず戦わざるを得なくて、勇気をふりしぼって戦う奴は生き残る。しかし、いずれにしても利害関係にこだわる奴は殺される。まあ、天の采配なんてだれにもわからないのさ。聖人だって、ほんとはよくわかってない。天の道は、争わない者が勝ち、何も言わなくても上手くいき、招かなくても来るものは来る。あれこれ画策しなくても、結局は整っていく。天の網は粗いが、取りこぼしはない。
2024.11.12
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昨日の稽古日誌を書きます。昨日の柿崎のお天気は晴れ。秋晴れのよいお天気でした。気温はかなり低くなってきましたが、未だカメムシ君は元気に出歩いています。今回のメンバー4人。N師範、O大師兄、S君、私。最初は基本の定歩崩拳、馬歩穿掌、握拳。次は太極拳対練。最初は行気から打擠。行気は相手の右上段突きを両手を上げながら時計まわりに受け流す。こちらは右手で相手の右手首に接触するが、左手は相手の肘の外側から上腕外側に接触する。こうすると相手は身動きが出来なくなる。左手の接触は相手に衝撃を与えるような力を使わず、相手をいたわるような接触のしかたをする。空間を支点にして左肘を曲げる。これによって自動的に左前腕は直立する。このようなテクニックで相手の肘もしくは上腕外側に接触すると、自動的にこちらの体幹が回旋し、左半身となる。この時の腰の回転する力で相手の上半身を固定する。すなわち身動きが取れないようにする。相手は、こちらの右手が自分の攻撃した右手首に触れているので、それで受け流されたと思うが、実は左手で体幹の動きを止められているこのに気付かない。だから、受けられただけで、からだが金縛りにあったような感じになる。こちらが、左手を緩めると、相手は動けるようになり、左中段突き。こんどは、その突きを左手で左に受け流す。この時も右手は左手と並んで同じ軌道を動く。この時は、右手首内側で相手の左上腕外側を押さえる。押さえるというか触る。腰は左に回旋する。こうすると、相手の体はねじられ、ツイストドーナッツもしくは、絞られた雑巾のようになる。これで相手はドーナツになったまま、身動きができなくなる。次にこちらは右手をゆるめてあげると、相手は右上段突き。こちらは相手の右手首を、右手で後方に受け流し、左前腕を直立させて、その場でぶれないように、歯車を回転させるように動かす。こうすると相手は釣り上げられた魚のように浮き上がる。これも、相手の注意はこちらの右手にあるが、実は左前腕が歯車で受け流しているのがわからない。したがって、なぜか釣り上げられている感じになる。次は左手を相手の右手首に当て左足を進めながら発勁する。相手は右腕が伸びきったところに右手首にこちらの右手首背側を当てられて一気に下へ落とされ棒立ちになったところを発勁されるので、吹っ飛んでいく。この技は、相手の意識を騙す技だ。攻撃する側はどうしても、受けられた手の方を気にするが、実は、反対の手で体の自由を奪われている。心理をついた巧妙な技だと思う。次は琵琶勢。化勁を使うと簡単に技がかかってしまうので、化勁を使わずに肘関節を極められるかが、当面の課題であったが、ようやく答えが出た。相手が右中段突きでくるのを、こちらは右半身になって相手の肘と手首に触る。次に、相手の手首と肘の位置が、あたかも空間で固定されて動かないイメージをしておいて、左手で相手の左手首を内旋させる。これと全く同時に相手の左肘も、こちらの右手で内旋させる。これにより瞬間的に肘が極まる。あとは重心を落とせば、相手は関節を極められながら、下に潰れることになる。この時、大切なのは自分の右肘の動きだ。こちらの右手で相手の肘関節をひっくり返すのだが、この時、自分の肘の位置が動かないこと。おさえつけようと思ってやると、肘が外に向いたり、上に向いたりしてしまう。そうすると支点がずれるので、関節が極まらない。肘を下に落としたまま、相手の肘を返しながら、垂直に落とす。また、この時に本当に同時に相手の左手首を返さないと、これもまた極まらない。しかし、これが成功すれば、相手はどこにも逃げられず、かつ踏ん張る事もできずに技にかかってしまう。これで、化勁なしの琵琶勢の完成!しかし、これは相手が真っ直ぐについてきた場合に功を奏すが、相手がフックのように回して打ってきた場合には、かからないことがわかった。まあ、回して打ってきて、その拳がこちらに当たるのを待っている必要もないが、ここはあえて待ってあげて、技をかける。これは、本当に上手くいかない。しかし、化勁を使えば、片手一本で技はかかる。しかし、ここからまた研究しようと思う。まだ、化勁なしで掛ける方法の研究は続く。次は左右搬攔。相手の右中段突きを体をかわしながら、両手でネットをかぶせるように柔らかく押さえる。次に相手は左上段突き。これに対していろいろ試みてきたが、今回は手首に焦点を当てようと思う。相手が突いてくるとき、肘がの伸びる。腕が伸びる。この時、突然、その手首に鉄球が載れば、上体はガクンと前に落ちてしまうだろう。この原理を利用する。相手が左上段突きをしようと、肘を伸ばしかけた時、自分の左前腕は相手の左肘の下あたりに存在する。そこから、こちらの左前腕は上に立ち上がり、相手の左肘付近に接触する。そこから手首まですべらせて、その手首を垂直に落とす。これで相手は強制的に深くお辞儀をさせられたように身体が二つ折りになる。そこで余裕を以って、相手の後頭部に右掌を打ち付ける。次は提手上勢。相手の右上段突きを右手で右横に受け流す。同時に右足を斜め前方に踏み出すと、相手はまたツイストドーナッツのように体を強制的に捻じられる。このままではかわいそうなので、右手を緩めてあげる。そこで相手は左中段突き。こちらは左半身を後方に引きながら、右前腕で相手の突きを懐に迎え入れる。相手は前のめりに崩れ身動きが出来なくなる。またこのままではかわいそうなので、右手を緩めてあげる。こうすると相手は、右上段突き。そこで、こちらは左手で猫が顔を撫でるように、相手の突きを巻き落とす。自動的に顎が前に出てくるので、下から右手背で打ち上げる。相手はエビぞりになって空を見上げたまま動けなくなる。この技は相手が抵抗してくれればいいが、抵抗のしようがないので、技がかかってしまう。しかたがないので、これらの動きを人差し指一本でやることにした。当然、相手の突いてくる手首にこちらの人差し指の圧力がかかるし、指の当たる面積は小さいので、青手はそこを頼りに力を発揮することができずに振り回されることになる。よって、人差し指一本でこの技は完成する。次は、もっと単純な技にした。相手は右上段突き。それをこちらは右手で内側から受け、化勁で相手を手前に引き出す。そのまま右前腕を相手の右前腕にまとわりつかせて垂直に落とす。これで相手は、右手首を外旋させられてひねり落とされる。膝にも勁が到達するので、両膝から崩れ落ち、下に潰されたまま身動きができなくなる。これは、ただ、相手の右上段突きを受けただけでは、当然、すかさず左突きが飛んでくる。化勁なんて呑気なことは言ってられない。相手が突こうと思って一歩前に踏み込んだら、こちらは同時にさがるのだ。これだけで相手の攻撃は当たらなくなる。しかし、相手は突いていく途中で相手に下がられると、無意識に追いかけたくなる。重心が前に行く。次の左上段突きを繰り出すためには、一瞬重心を戻す必要がある。この戻す間に相手の右腕を巻き落としてしまうのだ。この巻き落とす原理は、例の手首に突然鉄球を載せるやり方を使う。このとき、この巻き落としが成功する条件としては、肘は回転するが、肘の位置は横にぶれないようにすることだ。肘に位置を自分の正中線上に置いて、そこから外側にずれないようにする。ずれないようにしながら、正中線上に垂直に落としていく。これができるかどうかが問題だ。これができれば、相手は突いて行った瞬間、真下に潰されて身動きができなくなる。次は、相手が右上段突き。こちらは相手の拳の外側から右手で受け、そのまま下に振り落とす。相手は下に潰れて身動きが出来なくなる。これも手首に鉄球の原理を使えば容易にできるようになる。大切なのは、相手の手首を握らないこと。握ってしまえば、そこで相手の動きにブレーキがかかり崩れない。しかし、握らなければ、相手は体ごと下に振り落とされて潰れてしまう。手首掌側の中央が、鉄球の役割を果たすこと。そして、この技も肘が垂直に落ちていくこと。そこから右腰に相手の右手をくっつける。これで相手はジェットコースターに乗ったように振り落とされる。特別な技のようであるが、毎回やっている馬歩穿掌と同じ動きにすぎない。基本であるが、すざまじい威力を発揮する。やはり、基本は大事だ。次は行気の応用。相手が右上段突き。こちらは相手の右外側に進みながら左右の手を時計廻しに動かす。相手の攻撃は右に流れる。そのままこちらは右腕を下方に回す。こうすると相手はすれ違いざまに右腕を後方に持っていかれる形になり、仰向け気味に後ろへ崩れる。こちらは右腕を相手の肘の内側に当てて垂直に立てる。こうすると相手の右肘は屈曲して、ちょうど上下逆さになった「L」字に曲がる。こちらは取って返す形で右足を相手の右前方に進める。同時にこちらの右前腕を右へ回転させて下に落とす。同時に左手で相手の右上腕を斜め下方に押す。こうすると相手は肩、肘の関節が極まって前のめりになって潰れる。これを防ぐためには、肘が曲がらないように力をいれて踏ん張ることだ。しかし、踏ん張った瞬間に相手はこちらの打撃技に無防備になり、結局は技がかかってしまう。しかし、それでは面白くない。突き蹴り無しで技をかけるにはどうするか?とにかく相手の肘を逆L字に屈曲させればいいのだから、自分の腕を相手の肘の内側に思いきり突きあげるように当てることだ。しかし、これで相手の態勢も起き、自分の重心が浮き上がるようでは、関節技はかからない。支点がずれるからだ。そこで、次上げるのは上ではなく、右斜め上横に向けて突き上げることにした。自分の重心は上にではなく、右斜め横に移動させる。イメージで言えば腕は斜め上に突きあげて、腰は水平に移動する。こうすれば、力の合成が起こり、相手は肘を逆L字にさせられたままさらに後方に引かれて、自分の重心バランスを保つことができなくなる。そこで取って返して、足を相手の右斜め前に踏み出して、同時に自分の重心を垂直に落とす。こうすると肩、肘の関節が極まって下方に潰れていくことになる。これを相手が破るには、逆L字にさせられた前腕、これは真下に向いているのだが、これを前方に力を込めて自分の拳を振り出すようにすると、関節は極まっても体は潰れず立ったままでいることができる。こちらがそれでもかかるようにするためには、相手が前腕の角度を変え、拳を前方に振り出すことができないようにすればいいので、単純に左手で相手の右手首を押さえれば、動かせないのでそのまま技がかかる。先生はこの左手で相手の右手を固定するのに、自分のお腹を使ってやっていた。つまり、相手の前腕の角度を変えさせないために、相手の右体側と自分のお腹のあいだに相手の右前腕を挟んで入れておくようにして技をかけるのだ。これが熟達すれば、右腕一本でこの技をかけることができる。しかし、お腹が出ていなければ、それは不可能だ。お腹がポッコリ出ていてはじめて使えるテクニックである。残念ながら、私はできないので、両手でやるしかない。それでも、右腕一本でやる方法は探っていきたいと思う。次はまた行気の別の応用法。相手が右上段突き。こちらは行気と同じ動き。左右の手を時計回りにまわしながら、相手の攻撃を下に回し落とす。同時に相手の右外側に歩を進める。相手は前方につんのめるように巻き落とされる。こちらは相手が踏ん張って態勢を立て直すのを待ってあげる。その態勢を立て直そうと前足が床を踏んで上半身が起き上がろうとする瞬間をとらえて、右手で相手の右肘外側を右斜め前方に押す。こうすると相手は左斜め後方に吹っ飛んでいく。この時大事なのは、相手が態勢を立て直す瞬間に発勁すること。これが遅れたり速かったりすると相手は吹っ飛ばない。あとは、相手の体の正面を推すのではなく、相手の体の右側面を推すこと。こちらの体の角度は相手の体の角度と一致し、直線で斜め右45℃の角度でつながること。つまりこちらも右半身、相手も右半身。こちらの右半身を相手の右半身にぶつける要領で腕を推す。この時、自分の腰にひねりが入ったり、相手との角度が直線的にならなかったりすると、この技はかからない。ちょうど、子供のころに遊んだクラッカーのようなイメージだ。糸で下に垂れ下がったボールが、隣のボールに打ち付けられる。そのボールは横に振られる。しかし、この糸が途中で曲がって固められていたら、うまく相手のボールの芯をとらえられずに大きくは振られないだろう。同じ原理だ。以上で午前中の稽古は終わり。秋晴れのさわやかな一日でした。とても気分よく稽古できたと思います。みなさん、お疲れ様でした。
2024.11.04
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国民が君主を畏れていないなら、その君主は最高の君主だ。偉そうにしたり、無理やりいう事をきかせたりするような君主は最低レベルだ。国民に畏れられ、それで満足しているような奴は、君主になるべきではない。国民がどこに居たがるのかを軽視してはならない。国民がどう動くのかを軽視してはならない。国民の動静や言動を軽く視てはならない。聖人は、自分のことを良く知っているが、まわりに良く見せようとは思わない。自分のことを愛しているが、まわりが大事にしてくれることを望まない。
2024.11.02
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自分が物事を知っているつもりになっているということを、知っているのは真の知者だ。自分が物事を良く知っていると自慢げにしている奴は、ちょっとヤバい。自慢しなくても、自分のことを本当に物知りだと思っている奴は、マジヤバい。真の知者は、そういう奴を見て、ほんとに何も知らない奴だなと思う。聖人ともなれば、真の知者であり、何も知らないという者をヤバい奴だと思わず、なんでも知っているという奴をヤバい奴だと思うだろう。聖人は、知っているということほどあやういことはないと知っているからだ。
2024.10.26
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昨日の稽古日誌を書きます。きのうの柿崎のお天気は曇り。日中の気温は20℃くらい。カメムシが大量発生していました。今回のメンバーはいつもの4人。N師範、O大師兄、S君、私。最初は基本の定歩崩拳、馬歩穿掌、握拳。続いて太極拳対練。最初は行気から打擠。肘に手がついていて、前腕が武器で手でそれを持っている感覚で行った。前回はこのイメージに慣れていないので、肩に力が入った。今回はだいぶ慣れて肩の力が抜けてきたが、肩の抜きをイメージすると、指先が死んでしまう。肩の力が抜けて、指先が生きているのが目標だ。もちろん、このようなイメージをしなくても化勁・発勁はできるのだが、先生の動きを再現するには、このイメージが必要だ。これができれば、また新たな世界が見えてくるに違いない。何回も繰り返しやったが、指がまだ死んでしまうので、まだまだ稽古しないと・・・・。次は、琵琶勢。これもなかなか指先まで意識がいかない。しかし、そればかりにこだわっていると、稽古が進まないので、いつもどおりにやっておいた。相手の攻撃を上に受け流し、下に落として関節技を極める。相手の攻撃を後ろに受け流し、下に落として関節技を極める。相手の攻撃してきた手首を親指と人差し指でつまんでひっくり返し、もう片方の手の人差し指と中指で肘を押さえて極める。相手の腕を拗歩になりながら、こちらのお腹に密着させ、下に崩して関節を極める。化勁を使わず、相手の腕に触れていて、相手が逃げようと動くのを待つ。動く瞬間に相手の肘を下方に屈曲させ、同時に手首関節を極め、肩甲骨を浮かせて釣り上げる。さらに逃げようとして振り返るので、こちらはもう一方の肘で相手の体幹が回旋するのを押さえつけ、顎を下から突き上げる。次は左右搬攔。相手の突きを半身になりながら下から受け、そのまま相手の重心を浮かせて、巻き込み落とす。相手はマリのように丸まって、顎が出るのでそこに思いきり拳を打ち込む。受け流すときに肘を中心に全身が渦を巻くように動くこと。浪が相手の突きを浮き上がらせ、渦となって飲み込むように・・・・・。次は提手上勢。相手の右上段突きを、右足を斜め前方に進めながら、右手で受け流す。受け流すとき、相手と接触しているのは右手だが、右肘で相手の腕ごと牽引する要領で受け流す。こうすると、相手とこちらの体幹が平行に並ぶ。しかし、相手は自分の腕が邪魔をして、こちらが見えない。こちらは左手で相手の体を好き勝手に攻撃することができる。続いて、相手は一回さがってから、左中段突き。こちらは半身になりながら右前腕で迎え入れる。瞬間的に、こちらの左半身を消すので、相手の突きはそこに吸い込まれる。相手は、態勢を崩したまま右上段突き。こちらは左前腕で窓を拭くように、下へ払い下げる。相手は前のめりになって顎が出る。そこへ右鉤手で下から思いきり相手の顎を打ち上げる。次は雲手。相手の右上段突きを右足を横に移動させながら、右手で横に受け流す。これも肘で誘導するようにする。しかし、受け流す動作のおわりに力が入って相手に伝わってしまうと相手は崩れない。右肘で横に牽引するように横に受け流す。その動作のおわりに自分の力が相手に伝わらないように注意する。イメージとすれば、雲が横にたなびくイメージ。こうすると、相手は棒立ちになったまま、横に崩されて身動きができなくなる。しばらく相手が態勢を立て直す間まで待ってあげる。相手は気を取り直して左上段突き。それを左鷹手で上に摺り上げ、右手刀を相手の左わき腹に打ち込む。このときの鷹手も肘で前腕を上に持ち上げるイメージが必要だ。これにより相手は釣り上げられた魚のように上に釣り上げられる。次は八卦掌対練。相手は右上段突き。こちらは左足前で立っていて、右手で手前に吸い込む。すかさず、相手の右手首を左跳手で跳ね上げ、左足を相手の右横に進めながら右掌で相手の左胸を軽く押す。相手はのけぞりながら、こちらの左前方にひっくり返っておちる。外から見れば相手の攻撃を受け、掌で相手の胸を打ったら、相手は斜め下にひっくり返ったということになる。普通、掌で胸を推せば、後ろへ押される形になるが、この技を使うと、斜め下に投げ落とされる形となる。この外見ではわからない不思議さが八卦掌の特徴だ。次は相手の右上段突きをさっきと同じように、右手で手前に吸い込む。左足前、右足重心、上に伸びていくように立っている。そのまま体幹を一切動かさない。右手だけ動かす。相手の右手首を右手で軽く掴んで、下に引くように右腰に持ってくる。相手は前のめりに崩れて、こちらの手前に落ちる。そのまま左手で相手の肘関節を下方に押さえ、左足を前方に進めると、肘関節を極められながら、相手は吹っ飛んでいく。後ろ足重心でいることと体幹を動かさないということが大切。これも外から見ていると、こちらは棒立ちのまま相手の攻撃を受け、その手を一振りしただけで相手が潰れ、吹っ飛んでいくように見える。これも八卦掌のマジックだ。続いて、柔術。船底。この技は相手の親指に関節技を掛け、最後は手首を小手逆に極め、相手を下方に押して極める技だ。小手逆に極める時、いままで左右人差し指以外のの四指を全て使っ極めていたが、先生は小指と親指の二指だけで極める。最近になってこれに気づき、真似をっしてみた。二本指だけでは、握力が使えないので、体全体の動きで関節を極めようとする。こうすると、こちらの体全体動きと重みが、相手の手首を伝って、相手の体全体に及ぶ。相手は、逃げることもできずに下に押さえつけられて、動けなくなる。握力を使わないのではなく、使えないようにして動く。これが相手の皮膚感覚を狂わせ、抵抗できなくする。指一本でも技がかかる稽古をしたいと思う。午前中の稽古はこれで終わり。みなさん、お疲れ様でした。まだ肘と指の課題はクリアされていないが、クリアできるのを楽しみに稽古していきたいと思う。
2024.10.21
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私の言うことは単純なことだ。誰でもすぐに実行できる。しかし、世の人々は理解できず、それを行う者もいない。私の言葉は物事の法則を説明するものだ。何事にも主たる法則があると言っているのだ。それをわかろうともせず、信用もしない。私の言うことを理解する者はまれであり、私の言うことに従う者は貴重な存在だ。飾り気のない言葉の中に貴い真実がある。みすぼらしい服を着ていても、心には真実を抱いているのだ。
2024.10.17
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戦争に勝つためのコツとしてこんな言葉がある。「こちらから仕掛けてはならない。あえてこちらは受け身でいて、わずかに進んでは大きく退く。」これを進まない行進と言い、見えない腕を振るうと言い、見えない体を敵に付けると言い、見えない兵士を使うと言う。戦争に負けるのは、敵を軽んじるからだ。敵を軽んじれば、どんな戦いにも負ける。だから兵力が拮抗する相手には、手を出されてしかたなく戦う方が勝つ。
2024.10.17
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真の武士なら、武力は使わないものさ。真の兵士なら、怒りに任せて戦うことはない。人を良く使う者は、いつもへりくだっている。これを争う必要がない人と言い、各人の能力をわきまえて使う人と言い、天の法則に従っている人と言う。
2024.10.17
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最近、武術における本当の強さとは何かと考えています。今のところ、発勁と化勁に頼らなくても相手を制することだと思っています。一つの体系化された技術に頼ると、それがなんらかの理由で使えなくなった時、もろくも敗れ去ってしまいます。戦いにはどんなこともあります。力を使わずに相手を制する。そのために発勁と化勁を使う。得てしてこれが執着を生み、自由な発想を阻害してしまう可能性がある。全ての枠組みから逃れて、自由な視点や発想を持ち続けること。これこそが武術の強さだと思います。
2024.10.16
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こないだの日曜日の稽古日誌を書きます。この日の柿崎のお天気は曇り。気温もさがって秋らしくなってきました。今回のメンバーは4人。N師範、O大師兄、S君、私でした。最初は基本の定歩崩拳、馬歩穿掌、握拳。続いて太極拳対練。今回の私のテーマは、「肘が全てを導く」。肘の動きによって膝が回転し、腰が回転し、背中がひねられ、手首、指へと勁が螺旋状に昇っていく。これは先生の動きの核心的な部分だと仮定して稽古する。最初は行気から打擠。相手の攻撃を両手で時計回りに回転させることによって受け流す。これは、手よりも両肘が時計回りに回転するとイメージした。相手はこれで大きく崩れる。次に相手の右上段突き。これに右穿掌であわせて目に突きこむ。右肘で空間を下方から上方に削り取るように動かすと、こちらの左半身が相手の目の前から消える。したがって、相手がわざとこちらの腕に押し付けるような突きをしても空を打つことになる。もちろん、肘の動きを大きくすれば、相手はその螺旋のうごきのままに上半身ごと揺らされて崩れる。もう、これで身動きができなくなるが、それでは面白くないので、穿掌を緩める。こうすると、相手は左上段突き。この拳先をこちらは左手で吸い込んで、ついでに右肘を歯車のように内旋させると、相手は前のめりのまま身動きができなくなる。そこに擠を打つ。相手は身動きができないまま吹っ飛ぶ。次は琵琶勢。かねてよりの課題。化勁を使わずに相手の攻撃を受け、相手が肘を曲げて踏ん張っているところにあえて肘関節を極める。これは四苦八苦してなかなか答えが見つからない。しかし、琵琶勢を拗歩でやると関節技が極まることがわかった。拗歩では腰のひねりがその場で起こるため、支点がずれない。こちらのおなかが歯車のように回転して、相手の肘を巻き込んでいく。しかし、琵琶勢は、本来順歩でやるものだ。それを拗歩でやること自体が逃げであり、自分をごまかしていることになる。色々考えてきたが、もうこの辺が限界なのかもしれない。次は攬雀尾。これは肘を螺旋状に下方から上方にえぐり出すように穿掌を使うと簡単に指先を目に突っ込むことができる。相手が意図的に押し付けるような突きをしてきても、腕にはりついて崩すことができる。次に相手の上段突きを後方に受け流し、擠を打つ。これは行気から打擠の時の肘の動かし方と一緒だ。次は左右搬攔。相手の右中段突きを上からネットをかぶせるようにしっとりと落とす。続いて相手は左上段突き。こちらは、それを胸元まで迎え入れて、さらに後方へ受け流し、相手が案山子のように片足立ちで崩れるので、手と背中を同時に押して吹っ飛ばす。相手の左上段突きを左手で迎え入れるのだが、この時は、自分の前足の膝の上空から腕が立ち上がり、相手の腕と接触することが大切だ。そのまま相手の手に貼りついて、自分の胸の前ぎりぎりまで誘導する。この時点で相手は前のめりで崩れる。さらにその左手を後下方に円を描きながら受け流すと、さらに崩れて、台風のあと、やっと立っている案山子のように崩れる。次は、提手上勢。相手の右上段突きに対して、右肘を下方にえぐりながら前腕を立てて受ける。そのまま右足を右斜め前方に踏み出しながら、右肘を反時計回りに回転させ、右前腕が水平になったで止める。これによって相手は腕を横に振られ、こちらに背を向けることになる。相手はもう身動きができないので、こちらは相手の背中であろうと後頭部であろうと自由に攻撃することができる。しかし、ここで終わっては面白くないので、右手を緩める。相手は態勢を立て直し、左中段突き。こちらは完全に右半身のなりながら、右肘を正中線上につけ、前腕に螺旋を掛けながら、前方に置くと、相手は吸い込まれるように手前に崩れる。ここですでに相手は身動きが出来なくなるが、態勢を立て直すまで待ってあげる。相手は、右上段突き。左肘を時計回りに回して、相手の右手を下方に巻き落とし、相手のお腹にくっつける。相手は身動きができず、こちらの顔の前に顎をさらすことになるので、、その顎に向けて下から右手背で打ち上げる。相手はのけぞったまま動けなくなる。次は柔術。最初は船底。相手がこちらの右手首を左手でつかむ。こちらは、右肘を下方から上方に向けて削り上げるように回転させる。相手は、手首と肘を返されて、下方に崩れる。そのまま、相手の左親指をこちらの右首で前下方に圧迫すると頭から床へ突っ込む形で崩れる。そこでこちらは両手で相手の手背のツボを圧迫しながら、両肘を斜め下方に伸展させる。こうすると、相手は手首~肘~肩の関節が極まり、完全に身動きが出来なくなる。そこへこちらは相手の脇腹に蹴足を入れて極めとする。これに対し、相手は最初からこの技がくるとわかっていれば、相手の手首を掴むときに思いきり自分の手首が回らないように中間位で力いっぱい固定し、そこにさらに体重をあずければ、この技はかからなくなる。しかし、ほかの部分は無防備になるので、顔や脇腹などに当身を入れ、相手の気をそらしてから掛ければ簡単にかかる。しかし、それでは面白くないので、あえて当身は使わないようにする。相手がどれだけ力づくで頑張ったとしも、技の形を変形させることなく掛かるようにしたい。まず、相手は自分の手首が曲がらないように精一杯力んで掴む。そこで、右手首の位置を空中で固定させる。同時に右肘を下方に回転させる。このときに重心を前足から後ろ足に移すこうすると、一瞬にして相手の手首の力と握力が抜ける。相手は、こちらの踏ん張って対抗しようとしているところ自分の支えとして頑張っているので、こちらの重心が移動してしまえば、支点がずれてしまうので、力が入らなくなる。そこで一気に肘を回転させ、手首を極める。そこから先は、相手の抵抗が無くなり技がかかってしまう。次は船底裏。相手がそれでも頑張って手首が返らないようにした場合、こちらは肘を逆に回転させ、掴まれた手首で相手の掴んだ手首を掴み返す。この時螺旋状に巻き落とすように前下方に落とすと、相手は仰向けにひっくり返る。これも、肘を下方に回転させると同時に後ろ足に重心を移動させる。肘と手首で巻き落とす動作にあわせて、重心を前足に移動させる。肘の動きで、勁が後ろ足から手首に昇ってくるような感覚になって、なかなか面白い。次は相手の右上段突きを右手で下から掬い上げて、相手の腕を棒のようにする。そのまま歩きながら押していって押し倒す。これも、相手はわざと回って逃げたり、肘を曲げ伸ばししたり、あるいはその場に踏ん張ったりして掛からない。もちろん、相手は自分の腕が伸びきらないようにしているだけで、当身や蹴足はいくらでも入れることができる。でも、それはあえてしないで、こちらは相手の腕が棒のように真っ直ぐになってしまうように工夫する。まず前方に進むときに相手に向かって進むのではなく、相手の肩に向かって進む。これにより、相手はこちらの進行方向を予測しにくくなる。こちらは相手の中心に向かってすすんでいるのではなく、相手の肩に向かって進んでいるので、予測から数十センチ横にずれている。これによって相手の体のつっぱり力は減る。さらにこちらの右手は相手の正中線を攻めているのではなく、その肩を攻めているので、相手の腕のつっぱり感は減る。そのまま何かをこぼさないような歩き方で進めば、相手の腕は棒のようになり、体も後方に押され、押し倒される。午前中の稽古は、これでおしまい。今回は、肘の動きで全身の動きが変わることを実証しました。有意義な稽古になりました。みなさん、お疲れ様でした。
2024.10.08
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世の中の人は私の教えを間抜けな話で、取るに足らない話だという。道はただひたすら大きい。あまりにも大きいので、わかりにくいだけだ。本当に間抜けな話なら、すぐに世の中から消えてしまうだろう。でも、いまだに人々の間に伝わっているではないか。ところで私には三つの宝がある。一つ目 慈しむということ。二つ目 質素で控えめであること。三つ目 あえて先頭に立たないこと。慈しみがあるから勇気が湧いてくる。質素で控えめだから窮地に陥ることはない。あえて先頭にたたないので、かえってリーダーになる。もし、慈しみの心を持たずに戦争をし、質素であることを捨てて、贅沢三昧に好き勝手し、我が我がと先頭にたって突っ走れば・・・・・・死ぬよ。なかでも慈しみの心って大事。慈しみの心を以って戦争をすれば必ず勝つ。守りが固められるからね。天も万物を慈しみのこころで守っているんだ。これでも私の話はまぬけだと言える?
2024.09.27
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安定したものは使いやすい。もろいものは砕けやすく、バラバラになってしまえば、風に吹かれて散ってしまう。一抱えもある大木だって、毛ほどの小さな芽から始まる。高いビルだって基礎工事から始まる。長旅の始まりも、足元の一歩から始まる。始まりを無視していきなり成果だけを得ようとする者は、かえって敗れ、失う。どんな成果を得ようと、無為によって始めたことを忘れなければ、失うことはない。だから聖人は、世俗的な欲望を捨てたいと思い、金銀財宝を貴ばない。学ばないということを学び、世間の人が通り過ぎていくような所に居る。すべてのものが自然であるように手助けし、けしてコントロールしようとしない。
2024.09.25
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何もしないということを行い、何事も起きないことを出来事とし、味の無いものを味わう。大に対して小、多に対して少、怨に対して徳で報いる。難しい事は大雑把に考え、大きいことは細かく分けて考える。この理を以って聖人は、終生大きなことはやらずに、小さな事をやって大事を為す。安請け合いはしない。安請け合いは不信を招くだけではなく、面倒なことが起きるものだ。だから聖人は、カンタンな事ほど難しいとみなす。だから終生無難に生きられる。
2024.09.25
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昨日の稽古日誌を書きます。昨日の柿崎のお天気は雨。私の地元の見附市はそれほど強い雨は降りませんでしたが、道場に行く途中、柏崎市内から柿崎にかけての海沿いの国道線、ものすごい雨でした。車のワイパーを高速で回しても、前が見えないくらいの豪雨でした。幸い、柿崎の山の方に入っていくと雨は小ぶりになりました。今回のメンバーはいつもの4人。N師範、O大師兄、S君と私。最初は太極拳対練。雨のため道場に到着するのが遅れたので、基本は省いた。)行気から打擠。相手の上段、中段の連続突きを両手で回しながら受け流す。この時、貼粘勁を使うと相手はフラフラになる。続いて相手の上段突きをポン勁で受ける。肘の動きに合わせて重心を後ろにもっていく。その重心を前足にもっていく過程で、肘を斜め前に切り上げると、必然的に掌に勁が昇る。相手は釣り上げられてのけぞる。ここで少し遊んで、相手の腕と接触したままポン勁を波状に繰り返す。こうすると、相手は重心が浮いたまま、頭を振られてフラフラになる。次は琵琶勢。これは、相手の右中段突きを右前腕で受け流す。この時、肘を返す動作に、重心の前後移動を加えると、相手重心を操作されて身動きができなくなる。そのまま同じ手で首筋に手刀を打ち込む。あるいは顎をかちあげる。しかしこれだと関節技を使う前に相手が負けてしまうので、普通に受け流すことにした。こうすると、相手は態勢を立て直して左上段突き。こちらは、それを挟んで受け、続いて肘関節をひっくり返して極める。化勁を使うと関節技が極まってしまうので使わない。相手に充分踏ん張らせておく。肘関節もしっかりと曲げて腕全体を固めてもらう。このとき、相手はこちらの打撃技に対して完全に無防備になるので、こちらは軽く相手にビンタをいれる。こうすると、いやでも相手の意識は自分の肘から自分の顔に行く。このときを狙って肘関節を極める。しかし、これだとカンタンに極まってしまうので、これもやめて、左手で相手の手首を軽く握り、相手の肘をこちらのお腹に密着させ、お腹で肘関節を返す。これは、カンタンに極まる。しかし、これでは面白くないので、次の手を考えようと思う。次は左右搬攔。相手の右中段突きを上からネットをかぶせるように押さえ受ける。続いて相手の左上段突き。これを立円単推手の要領で自分の後下方に流す。相手はこれで完全に下に崩されるので、その手と肩を軽く押す。相手は吹っ飛ぶ。これは、前足の重心を後ろ足に移す過程で手に勁が昇ってくるので、その勁を柔らかく使って、全身を使って相手を崩す。肘の動きに重心移動が付いていく感じが大切だ。次は提手上勢。相手の右上段突きを左手で上に受け流しながら踏み込んで、右手の指先で相手の脇腹を刺す。相手の突きを受け流したあとの前腕は空間に浮かんでいる。この前腕を浮かべることができれば、相手は上方に釣り上げられたまま身動きができなくなる。相手は身動きができないので、こちらは、相手の右わき腹、正面、左わき腹と順番に刺して遊んだ。次は浮きを解除してあげると、相手は左中段突き。これに対しては半身になりながら懐に迎え入れる。こうすると相手は前につんのめり、顎をこちらの目の前に突き出す形になる。そこを目がけて、右手背で顎を突きあげる。相手はのけぞって倒れる。次は雲手。相手の右中段突きを、右手で雲がたなびくように右へ受け流す。この時、肘の動きに合わせて螺旋状に勁を発動させると、相手は釣り上げられたまま身動きができなくなる。次に踏み込んで、相手の右わきにこちらの肩を下から密着させ、右手で相手の右肘を軽く押さえると、相手身動きができなくなる。これでは面白くないので、右手で相手の右突きを受け流し、相手の動作を封じ込めるとき、わざとそこで勁を止めて相手が自由に動けるようにしてあげる。こうすると、相手はすかさず左上段突き。これを左前腕を垂直に立てるように受けると、また相手の重心は浮き上がる。そこで右手刀を相手の左わき腹に食い込ませるように打つ。相手はもんどりうって吹っ飛ぶ。次は抱虎帰山。相手の右中段突きを右手で押さえる。この時、右肘の動きに合わせて重心を左足から右足に移動させる。この時、自動的に勁が右手に上がってきて相手の肘を押さえる。こうすると、相手は身動きができなくなる。勁を解除してあげると、相手は左上段突き。こちらは、これに合わせて左穿掌で相手の目に突きこむ。相手はこれをさけるためにのけぞる。そのすきに相手の腰を右手で抱え、左手で相手の手首を軽く掴んで前方に押す。手の動作に合わせて重心を垂直に落とす。これで相手は仰向けにひっくり返る。手の動作と重心の垂直落下が同時にいかないとこの技はかからない。以上で午前の稽古は終わり。今日も太極拳教室は休みなので、午後からの稽古にも参加した。昼食タイムが終わって、稽古再開。まず、八卦掌の用法。相手が右上段突き。こちらは右掌っを外旋させて受け、すかさず左跳手で跳ね上げそのまま相手の横に歩を進めて右掌で相手の胸を推す。相手は身体は左にひねられながら仰向けにひっくり返る。相手の胸を推す掌は柔らかくしておき、肘を下方にしっかりと落とすこと。左手は相手の右腕を下に落とし、少し右に振ること。これらが同時に行われると、相手は体を捻られながら仰向け倒されることになる。はたから見れば、掌で真っ直ぐ押しているのに、その場でひっくり返されて倒されてように見えるだろう。このへんが八卦掌の曲者たるゆえんだ。次に太極拳の野馬分鬃。相手が右中段突き。こちらは含胸抜背で相手の攻撃が当たらないようにしながら、ぎりぎりまで引き付けて右手で受け流す。このとき右肘が外側から自分の正中線にむけて、下をえぐるように移動する。この動きに合わせて右足から左足に重心を移す。次に右肘が正中線から右後方に移動する。肘は内旋し、掌は相手の右手を後方に誘導する。この時、肘の動きに合わせて左足から右足に重心を移動させる。この手足の一連の動きで、勁はこちらの体を螺旋状に移動し、こちらの右腰に蓄積される。この時点で相手の右肘は何の抵抗感もなく引き伸ばされ、一本の棒のようになっている。重心は引き出され身動きはできない。次に相手の棒になった腕を壊さないように水平に移動させる。この時右腰にあった勁は前方に発動し、相手の体は吹っ飛ぶ。重心の移動は、あくまでも水平でなければならない。腰は捻らない。こちらの重心は水平に移動しかつ、相手の腕と平行に移動しなければならない。腰をひねったり、後ろ足で踏ん張ったりすれば、相手も踏ん張ってしまい飛ばすことはできない。次は柔術。相手が両手でこちらの両手を掴む。その場で肘を返し、指先を相手の顔に向ける。合気は使わない。しかし、相手は少しのけぞる。続いて、左右の手でボールをもっている形を作る。その時、相手は捻り倒される。これは速くやると相手が途中で手を離す。遅くやると、なんとなく相手は手を離さない。速くやっても手が離れないような工夫が必要だ。今後の課題としよう。船底の応用。小手先だけで技をかける。相手が左手でこちらの右手首を掴む。こちらは自分の膝の上に自分の手首を浮かべている。つかまれたまま、肘を正中線上に持ってくる。この時重心は右足から左足に移動する。次に肘で船底を削るように横に振る。これと同時に相手の手首を返す。相手は親指、手首、肘、肩を同時に決められて、頭から床に突っ込むように崩れる。こちらは、右手首で相手の左親指を前は下方に圧迫したまま、左手で相手の左手首を掴む。そのまま両手で相手の手首を下方に圧迫すると、相手は床に押し付けられて身動きができなくなる。そこで相手のアバラに左蹴足を入れる。重心の移動は足を動かさずに行い、手首の位置も動かさない。これによって技は鋭く小さく極まる。次にこの技がくるとわかっていて、相手が手首を強力に固めて返すことができないようにした場合。2回ほど、技をかけようとして、相手が手首を掌屈気味に抑えつけてきたとき、こちらは肘を正中線上に船底の逆をなぞるようにもってくる。この時、重心は右足から左足に移動する。この左足から勁を外旋させて自分の体内で移動させ、右手首も外旋させる。この外旋の動きが相手の体を巻き込んで、投げ落とす。相手は渦に巻き込まれるようにひっくり返る。これも足を移動させず、重心の移動だけで相手を投げる。肘の動きに重心移動を合わせるのがコツだ。ここで先生から缶入りサイダーの差し入れがあった。「お~い、どうかね冷たいもんでも飲みなさい。」こ、これは懐かしい!三ツ矢サイダーだ。みんなでおいしくぐびぐびいただきました。次に突きに合気をかける技。相手の上段突きにこちらは下から掬い上げるように受け、相手の腕を棒のようにする。その棒で相手を押し込んで歩いて行き、ひっくり返す。これは前回、相手がこちらの押す力に抵抗して、自分の突いた手を左右に振ってみたり、肘を曲げて伸びないように頑張ったり、あちこちに逃げ回ったりすることで技がかからなかった。今回は妻の提言どおり、相手の正中線ではなく、相手の肩に向けて押すようにした。こうすると不思議なことに、こちらは相手の手首を、ほんのわずかな力ではさんでいるだけで、強くも推さないのに相手の腕は棒状になり、相手は自らの腕に押し込まれて後ろへ下がっていく。これは、すごい!こちらの力感もなく、相手の抵抗感もない。ほとんど力みなく、相手を押すことができた。妻には感謝している。次は、相手が抵抗して踏みとどまった場合。(実際に合気がかかると踏みとどまれないが…。」こちらは左半身になり、相手の右肩との間に、相手の右肘を屈曲させて落とし込む。相手は右半身にされて下に崩れる。そこへ両手で軽く相手の右腕を前方に押す。このときもこちらは左半身を崩さない。こうすると相手はひっくり返る。これもほとんど相手の手を掴んでいない。掴まないで触っているだけでひっくりかえるのが面白い。ここでまた先生が登場。「お~い、そろそろもう3時になるぞ。うちのほうは何時でもいいんだけどね。石月さんなんか帰ったらもう5時半だろ?5時半って言えばもう結構暗くなるからさ。」今3時10分前。「先生、3時までやらせてください。」と私。「おう、そうか、無理すんなよ。O君なんか10時前にきて稽古してんだからさ、O君、疲れたろう?」「はい、先生、もうくたくたです。」とOさん。「そうだろ?これ以上やるとケガするぞ。」「わかりました。ではこれで終わりにします。」ということで、今日の稽古は終わりにした。雨がかなりひどい状態が続き、一時はどうなるかと思ったが、午後になっておだやかになってきたので、よかった。今日も充実した稽古ができました。みなさん、お疲れ様でした。
2024.09.23
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大国は川の下流のようであれ。下流は支流の水が集まってくるところだ。常に集まってくるものを受け取るから、女性に似ていると思わないか?女性は、いつも受け身でいるが、たいてい男より強い。受け身でいるがゆえに男は勝てないのさ。この女性の性質を使って国盗り合戦をしよう。大国が小国を取るには、受け身を守り、追い詰めずに和睦に持ち込む。こうすれば取れる。小国が大国を取るには、受け身を守り、相手に従いながらその中枢に入り込み、実権を握る。そうすれば取れる。大国は人民を養おうとし、小国は人民に仕えようとする。こういう心構えで受け身を守り、人民に従えば、それぞれの望みは叶うだろう。女性の性質を使う策略は、真に役立つ。できる女は、受け身を守り、男に従っているようにみせて意のままに操る。ようくおぼえておくように!
2024.09.18
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こないだの日曜日の稽古日誌を書きます。この日の柿崎は午前中曇り、午後からかなり強めの雨が降りました。今回のメンバーは4人。N師範、O大師兄、S君、私。最初は太極拳対練。行気から打擠。いまのところ、この技をこらえることができる人がいないので、さっと流して稽古した。次は琵琶勢。これはいろいろやって、相手が踏ん張っても、逃げてもかかるようになったが、相手が肘関節が極まらないように最初から肘を曲げて突いてくる場合は、化勁を使わないと関節技が極まらない。化勁を使わないで、なんとか、相手の重心が安定し、肘を曲げて踏ん張っている状態で関節を極められないかと考えてみたが、なかなか難しい。さしあたってできるのは、お腹で肘関節をひっくり返して肘を極めるやりかただが、もうすこし、スマートに美しく極める方法がないか?また壁にぶち当たってしまった。琵琶勢は、あらかじめ関節技がかからないように準備しておけばかからない技だが、それでも体の使い方を工夫してなんとか乗り越えてきた。その結果、飛躍的に技の次元が変わってきた。また、今回の壁も乗り越えるのが楽しみだ。次は攬雀尾。これは、技の動きが流れ出すと、だれにも止められないので、これもサラっと流した。次は左右搬攔。これも普通にやると技がかかってしまうので、化勁を使わないでやってみた。相手の右中段突きを体を横にしながら左右の前腕を開くようにして、上から受け落とす。受け落とすといっても、強く打ち落とすのではなく、上からネットをかぶせるように受ける。次に相手は左上段突き。こちらは左手で後ろへ化勁。相手は前のめりになって崩れる。そのまま両手で前方に押すと、相手は吹っ飛ぶ。化勁の方向を手前に円を描くようにすれば、相手は水平に上半身を回転させられて、そこを押されると吹っ飛ぶ。化勁の方向を下にすれば、相手は背中を丸くして下に崩れおち、ゴムまりのように跳ね上がる。このように化すれば、技がかかってしまい、面白くないので、化勁を使わないで、相手の左上段突きを下の落とし、その上腕を外側から、こちらの左脛で押さえる。このときこちらの左足裏は相手の膝に触っている。つまり、こちらはサイ脚の形で右足一本で立っている。これによって、相手は腰と右肩の動きを封じられるので、身動きが出来なくなる。こちらは、相手がすこしでも動けば、どのような攻撃でも加えることができる。もし、後ろへ逃げようとすれば、相手の膝に触れているこちらの左足が、そのまま膝を踏み折るか、下腹部に蹴りが入るので、逃げようがなくなる。次は提手上勢。これは肘と膝を合わせて前進をボールのように回転させれば、化勁を使わなくても技がかかるので、これも流して稽古した。次は雲手。これは薄くたなびく雲のように化勁を使うと相手は崩れたまま身動きができなくなり、わかっていても踏ん張れないので、これも流して稽古した。ここで、お昼になったので午前中の稽古は終わり。いつもなら、午後から太極拳教室をやるので、私はここで帰るのですが、今回は休みなので、午後からの稽古にも参加した。昼食を食べ、休憩してから午後の稽古。先週、私が帰った午後から先生が新しい技を教えてくれたというので、それをN師範から習った。相手がこちらの前に出した両手首をそれぞれ掴む。こちらは、手の平を返して相手の顔のほうに押す。そのまま前方に歩く。このとき、こちらは手の平を返すと同時に指先を相手の目に向かって軽く突きこむようにする。こうすると、相手は後方にのけぞる。そのまま、こちらは前方に歩いていく。もちろん、合気がかからなければ、相手は崩れもしないし、こちらが進むこともできない。相手に掴まれたら、肩甲骨を縦に後方に回転させ、それと同時に手首の動きも同調させて、相手の目の方向に突き出せば、合気はかかり、相手はのけぞる。しかし、肩甲骨の回転や手首の回転の連動を使わないで、ただ手の平を返すだけで、相手がのけぞらなければいけない。これはかなり至難の業だ。まず、手の平が返るときに両肘がその位置のまま移動しないということ。肘の予備動作なしで、空間上の一点の静止しながらいきなり前方に動き出すということ。そして、相手の目に指先を向けるので、結果的にこちらの前腕は平行から内側に向けて前方に突き出されるということ。この2点が正確になされることにより、相手は瞬時に後方にのけぞることになる。次にそのまま前方に進んでいくのだが、この時、腕や肩に力が入ると、相手はそこを力の拠点として、態勢を立て直すので、進んでいくことができない。従って、「腕の力を抜いて丹田で進んでいく」とN師範は言う。何回かこれを稽古した。そのあと、N師範が照れくさそうに言った。「あ、これ進んでいくの、おれが考えたんで、先生は歩かないでやったんで、でへへへへ!」いや、でも、勉強になったので、N師範に感謝です。次は、歩かないで、そのままの態勢でこちらは左右の手を上下に回して、胸の前にボールを持ったような形にする。こうすると、相手はひっくり返って倒れる。これも上手く同時に左右の手を操作しないと、相手は手を離してしまう。こつは、上になっている方の右手指先が相手の目に向いていること。相手の目にこちらの指先を向けるのではなく、相手の目がこちらの指先に向かってくるように仕向けること。これが成功すれば、相手は掴んだ手を離せなくなり、丸いボールに引き込まれるようにひっくり返る。ここで先生が出てこられた。「お、石月さん、今日はどうしたの?帰らなくてもいいの?」「はい、今日は太極拳教室休みなんで・・・。」「おうそっか、めづらしいな。まあ、ゆっくりやっていきない(上越弁でゆっくりやっていきなさいという意味かな?)。」次に稽古したのは、柔術。最初は四方投げ。これは、できるだけ足さばきを少なくした。前足を踏み込んだら、そのまま踵を返して、後ろに振り向きざま相手を倒す。ちょうど刀を振りかぶり、振り向きざまに振り下ろす要領だ。次は船底。相手はこちらの手首を掴む。こちらは、掴まれた手首を船底を削るように下から横に振り、それに合わせて外側の足を横に移動させながら重心を下から横に移動させ、すかさず手を返す。こうすると相手は手首、肘、肩を捻られて下方に崩れる。すかさず、相手の親指をこちらの手首で圧迫すると、さらに下方に潰れる。そこにダメ押しで、両手の親指で手の甲のツボを押さえながら小手を極める。相手が潰れて身動きができなくなったところに、アバラに蹴りを入れる。それを見ていた先生が一言。「君ら、そんな面倒なことしなくたっていい。じゃ、先生の手首掴んできてごらん。」O大師兄が左手で先生の手首を掴んだ。「ふん。」と、言いながら先生が掴まれた手首を小さく内旋させた。その瞬間、Oさんは、肩、肘、手首をひっくり返されて、頭から床に突っ込んでいくように崩された。「ね、これでいいんだ。それをさ、みんなんの見てるとさ、たいそうに、こんなことして、こんなことしてやってんけれどもね、こうやって手首をキュキュキュっと返せばいい。こんで充分なんだからさ。」もういちど、今度はN師範が先生の手首を掴んだ。また先生が手首をくるっと返すとN師範はもんどりうって潰された。先生は、私にもS君にも同じことをやって見せた。ほんの一瞬のできごとだった。手首をくるっと返されただけで、全てが終わってしまった。身動きが出来ず、床が目の前にあった。「こうすっとね、O君なんか生意気に、ぐっと頑張っておさえようとするだろ、こんなふうにグッとグッとといくとさ、いかせないように押さえつけるだろ?」先生はOさんに手首を思いきりつかませ、いかにもこれから手首かえすぞ!という動きをして、「ほら、ほら、いかんだろ?あらかじめわかっていれば、こんんもんだこてさ。そういう時はね、グッとこらえさせておいて、クルッと返す。」先生はさっきと手首を逆に回転させ、すなわち外旋させると、Oさんはいきなりひっくり返った。「こんなの、ㇰっと、ㇰっとがんばらせておいて、くるっとひっくり返す。そうせば終わりだこてね。」またこれもみんなに技をかけてくれた。「手首から先で技をかけるということね。やってみてね。」すごい技のようだが、これは考えようによっては掛けやすい技だ。足を移動させたり、掴まれた手首を移動させたりするれば、相手はその動きの起こり際を押さえつければ、こちらの動きは止められてしまう。実際にこの技は、相手がこちらの動きをあらかじめ知っていて、力づくで手首を掴んで押さえつければ掛からない。そこで、相手の力の支点を作らないように足を外側に移動して着地するまでの間に手首を回転させてしまう。こうすると掛かる。しかし、この手と足の動きのタイミングがずれると、相手に思いきり押さえつけられてしまう。そうでなければ、途中でつかんだ手を放してしまう。掴まなければ技のかけようがない。ところがこの、手首の動きだけで技がかかれば、相手は押さえつけるきっかけをつかむことができない。体は動かない。足も動かない。肘も肩も動かない。手首だけが動くが速すぎて対応できない。そのうえ、掴んでいる手を離すこともできない。こちらの予備動作が見えない状態で手首を返されると、何も対応できないまま技にかかってしまう。大切なのは、つかまれたほうの肘が膝の上に位置すること。こうすると、相手にこちらが働きかけなければ、相手の掴んだ手とこちらの掴まれた手首が支え合わない空間が生まれる。そこで、力みなく一瞬で手首が返れば、相手は放すこともできないまま、その動きに巻き込まれて、頭から床に突っ込むことになる。手首を内旋させれば相手は頭から突っ込む。外旋させれば、ひっくり返る。いずれにしても掴まれた手首を空間に浮かべて予備動作なしに回旋させることだ。これはみなさん、あまり苦労せずできるようになった。「あと、なんかわからんとこ、あっかね?」と先生に言われたので、「あと、突いて来た手を掴んで押す技、あれがどうもうまくいかないんですが・・・」と言ってみた。「お、そんじゃ、まずやってみて。」と言われたのでやってみた。相手が上段突き。これを片手で掬い上げて掴み、そのまま押していく。これで相手はだんだん後ろに崩されてた倒れる。しかし、あらかじめわかっていると、肘を曲げて踏ん張ったり、こちらが押す方向をいなして、推されないようにしたり、後ろに押されるのがいやで、横ににげたりする。もう、グズグズの状態になった。これを見た先生が言った。「この技の設定としては、相手が本気で当てるつもりで突いてくるのを、こちらは下から掬い上げて、推していくというもんなのに、当てる気もない、踏み込まない、届かない拳を突き出してその場で、さあ、技かけてみろなんて、かからんわね、そりゃ。そんなことじゃなくて、相手に向かって、ほんき出して突いてくるもんに掛ける。そうしんきゃ、何技なんかかかろうばね。」まあ、確かにそうだ。先生の言う通りだと思う。相手が思いきり突いてきたその瞬間に技をかければ問題はない。しかし、それはみんなできる。できてしまうものには、面白みがない。これは私の性格なので、どうしようもない。相手はこちらがどんな技をかけてくるか知っている。それにそなえて肘を曲げ、手足を突っ張り踏ん張って絶対くずれてやるもんかと突いてくる。充分頑張らせておいて、なおもそこに技がかかってしまう。これが私の理想なので、そこにこだわりたい。でも、私は先生の動きの中にそれが実現できるヒントが隠れていると思う。他の技でもそうだった。動画などで他の人の動きを真似して、その問題を解決するのではなく、本などでめずらしい理論をさがしてきてくっつけるのではなく、先生の動きを細かく分析して検証していった結果として問題を解決してきた。この技を行う時の先生の動きの中に、普通でない動きの仕組みがあることはなんとなくわかっている。それがわかれば、相手がどんなに踏ん張ろうが突っ張ろうが、技はかかるはず。これは私の勘だ。この勘は、今まではずれたことはない。先生が説明しないなにげない動きの中に、ダイヤモンドのような宝石が埋もれている。私はいつもそんな眼で先生の動きを視ている。そうこうしているうちに午後3時をまわった。雨がかなり激しく降り出した。「おうい、そろそろどうかね?3時まわったし、みんな熱心だからね、こっちはまだやってってもらってもいいんだけど・・・。」と先生が言った。雨も気になってきたので、これで今回の稽古は終わりにした。みなさん、汗びっしょりになった。お疲れでした。気分もすっきりして、体もれフレッシュできた。しかし、最後のあの技、もっと何か工夫できないかどうか、帰宅してからも考えた。そのことを妻に話した。妻とは以前、西忍寺で一緒に稽古をして知り合い、結婚した。今は稽古はしていないが、武術が大好きだ。そうすると彼女からヒントをもらった。「相手の突きを下から掬う時、賢一さん(私)の腕と相手の腕が一本の棒のようにつながればいいのよ。」なるほど、それだ!と思った。確かに先生の腕が相手を押すとき、肘が伸びきっているのを思い出した。いつも先生は肘が伸びきってはだめだ、と言っているのに、この技を掛けるときは、思いきり肘が伸びきっているのだ。そして、相手の肘も先生が歩き始めると伸びきってしまう。まさにお互いが一本の棒のようになってつながる。これにより、相手は自分の棒のようになった腕に押し込まれてひっくり返る。こちらの伸びきった棒のような腕が、相手の腕を棒のようにする。これができれば、この技はどんなに踏ん張ろうがかかる。坐った状態で妻相手にやってみたが、なるほど上手くいく。これがN師範やOさん、S君のような腕力のある男性だとまだまだ難しいところもあるが、問題を解決する手掛かりになることは確かだと思う。妻に感謝!またいろいろと試行錯誤していきたい。
2024.09.17
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大国を治めるには、小魚を煮るようにする。道に従って天下を治めるならば、鬼神も人を傷つけるほどの霊力を発揮しない。君主もまたこれ見よがしな政治力を発揮しなければ、国民を傷つけることはない。鬼神も君主も、いきすぎた力を発揮しなければ、その徳は国中に行き渡るだろう。
2024.09.14
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政治を行う所と国民が生活する所には、それを仕切る生垣が必要だ。垣根ではなく生垣だ。生垣なら隙間が多く、人民の生活ぶりを見ることができる。壁ではだめだ。そんな仕切りは必要ないというのは、愚かな考えだ。政府と人民がお互いによく目を光らせていれば良いなんてことはない。特に政府が、あまりにも細かく国民を監視し、政策や法律などで縛るようなことになれば、国民は安心して生活できない。だから、隙間だらけの生垣から国民の生活を視るくらいがちょうどいい。この生垣は、どっしりとして揺らがないものがいい。地中深く根を張り、いつまでもそこにあり続ける。この垣根は国の母である。国の母を守れば、国は長く保つことができる。
2024.09.13
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政治家どもが、悶々と悩んで何も手につかないほどであれば、国民は活き活きと生活できる。政治家どもが、あれこれと法律で規制し、禁止事項を増やせば、国民は悶々として何も手につかなくなるだろう。禍は福が育つ場所、福は禍の寝床なり。しかし、何をもって禍とし、何をもって福とするか?それはだれにもわからない。正しいことは正しいがゆえに悪となり、善い事は、善い事であるがゆえに妖しくなる。かくして人の悩みは未来永劫続く。これをもって聖人は、きちんと割り切るが例外は認め、正義は行うが冷酷ではなく、まっすぐに進んでも頑固にはならず、成果をあげてもアピールしない。これが聖人の政治というものだ。
2024.09.10
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こないだの日曜日の稽古日誌を書きます。この日の柿崎のお天気は曇り。あいかわらず暑い日続きます。今回のメンバーは4人。N師範、O大師兄、S君、私。最初は基本の定歩崩拳、馬歩穿掌、握拳。次は太極拳対練。今回の私のテーマは膝の上に肘を置くこと。相手の攻撃を受ける手はこちらの膝の上から立ち上がるようにすること。肘と膝の回転を一致させること。最初は行気から打擠。これは肘と膝の回転により、相手を大きく崩すことができた。次は琵琶勢。これは、もはやどうやっても関節技がかかってしまうので、関節を極める手前で待ってあげて、そこから自由の攻防を繰り返した。やはり膝の上から手が立ち上がってくると、相手の攻撃が自分に届くはるか手前で受け流すことができるので、余裕ができた。次は攬雀尾。これは肘関節を極める時、左右の肘の回転と左右の膝の回転を一致させると、相手は歯車に巻き込まれるように大きく崩れることがわかった。次は左右搬攔。これはあ左右の膝の上に左右の肘を位置させ、それを同時に回転させることにより、相手を縦横下に自在に崩すことができた。次は提手上勢。これも左右の肘と膝を一致させると、自分の体が大きなボールのようになり、相手はその回転に巻き込まれてフラフラになることがわかった。次は雲手。これも提手上勢と同様。自分の体が大きなボールのようになって、相手を崩し、吹っ飛ばすことができた。ついでに、相手に触れないで相手の攻撃を受け流し、相手の肘を片手で押さえることにより、相手の動きを封じてしまうやりかたも稽古した。次は行気のみの用法。相手の右上段突きを、右手で時計回りに円を描いて受け流す。このとき、相手と完全にすれ違う形で相手の右横に真っ直ぐ進む。そうすると、相手は右腕だけを後方に持っていかれるので、腰が右に捻られて反りかえる。そこで足を横に進めて相手の肘関節を極め、もう一方の手で軽く相手の肩を下方に押す。こうすると、肘、肩の関節が同時に極まって、つぶれてしまう。次はまた琵琶勢。相手の肘を折りたたませてのけぞらせ、仰向けに倒す。歩法を2種類稽古した。相手の外側に向かって真っすぐ進むやりかたと、相手の内側に真っ直ぐ進むやりかた。みなさん、上手くできるようになった。次は相手の突きを下から受け、同時に相手の腕を棒のように硬直させ、その棒で相手を推してひっくり返す技。これがいまだに上手くできない。少し上手く行っても次には相手はあらかじめ準備してかからないようにしてくる。肘と膝を合わせることで、少し解決策が見えてきたような気がするが、まだ当分、悩まないと答えは出ないと思う。以上で午前中の稽古は終わり。みなさん、お疲れ様でした。
2024.09.10
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正義を以って国を治め、奇策を以って戦争に勝ち、被害少なく天下を治める。これが理想だ。しかし、なかなかこれが上手くいかない。やたら法律で禁止事項を増やせば、国民はますます貧乏になる。ITとかSNSとか発達してくると、国民はますます不安になる。それらを巧みに操る奴らが増えてくると、奇妙な事件が増えてくる。法律が細かく明文化されればされるほど、それをくぐって一儲けしてやろうなんて奴らが増える。だから聖人はこう言うのさ。私が特別なことをしなければ、国は自然と治まる。私が、日々の仕事を淡々ここなしていれば、国民は正しく生きる。私が、よけいなことをしなければ、国民は豊かな生活を送ることができる。私が、無欲であれば、国民は正直に生きる。国民が私の存在を忘れるくらいにするのが、理想の政治だ。
2024.09.09
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徳の有る者は、無邪気な赤ん坊といっしょだ。ハチ、サソリ、トカゲ、ヘビなど、陰険な奴らは、狙おうとしない。虎やライオンやクマとかの猛獣は、襲い掛かったりしない。鷹や鷲みたいに高いところから奪い去っていく奴らも、奪おうとしない。骨は柔らかく筋力は弱くても、自分の本心を手放すことはない。自分のやりたいことをやるので、いつでも元気いっぱいだ。一日中頑張っても、気力は衰えない。自分の本心にいつでも従う。これを「平常心」という。世間では、まわりを押しのけて自分だけが得をすることを「めでたい」と言い、そのやり方が上手い奴のことを「有能」と言う。しかし、それを生涯続けることはできない。だれでも、やがては老いるからだ。そんことも知らないで調子に乗っていることを「不道」という。「不道」はけして長続きしない。
2024.09.07
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しっかりと地中深く建てた柱は抜けない。しっかりと隙間なく抱いたものは奪えない。子孫に自分の徳にもとづいた生き方を伝えれば、長く語り継がれるだろう。自分の身に備わった徳を発揮すれば、本当の生き方ができる。家に備わった徳を発揮すれば、生活するのに不自由はない。村に備わった徳を発揮すれば、村は長く存続する。国に備わった徳を発揮すれば、国は豊かでいられる。天下に備わった徳を発揮すれば、天下は広く安泰である。では、徳とは何か?直の心で行うこと。素直な心で観て、それを行うこと。ゆえに自分の心で自分をよく観る。家の心で家をよく観る。村の心で村をよく観る。国の心で国をよく観る。天下の心で天下をよく観る。天下のあるべき姿とは何か?天下の心で天下をよく観ればわかる。よく観て行えば、邪心の入る隙間はない。
2024.09.05
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おおいなる人生の道を歩むとき、人はあれこれと知恵をつけ、自分だけが損をしないように歩む。人生の道は広く、一本道ではあるが、人はあれこれと近道を探したり、寄り道をしたりする。王宮が立派なものになれば、田畑は荒れ、倉庫は空になる。きらびやかに着飾り、宝剣を帯び、贅沢な食事と有り余る金銀財宝。これは、国を治める者の姿ではない。盗賊の親分の姿だ。極悪非道の大泥棒だ。
2024.09.05
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こないだの日曜日の稽古日誌を書きます。この日の柿崎は晴れ。気温はあいかわらず高く暑い日でした。しかし、境内を吹き渡る風は幾分涼しさを感じるようになりました。今回のメンバーはN師範、S君、私の3人でした。最初は基本の定歩崩拳、馬歩穿掌、握拳。次は太極拳対練最初は行気から打擠。これはいつものとおり化勁、貼粘勁で相手をぐらぐらにして擠を打った。次は琵琶勢。今回はOさんがいないので、普通に化勁を使って崩し、肘関節を極めた。Oさんがいると、技がかからないようにいろいろ工夫してくれる。今回は少し寂しい感じだ。次は攬雀尾。これも化勁を使って大きく崩し、やじろべえのようになった。これだけでは面白くないので、相手が態勢を立て直すのを待ってあげた。待っているあいだ、こちらは、相手を崩したときの手の形や位置をそのままうごかさないようにした。相手が反撃する瞬間、空間にそのままにしておいた手が至近距離で相手を打つ。これは、どんなに素早く受けようが逃げようが、当たってしまう。結局、大きく崩された時点でこちらの攻撃は防ぎようがないということ。もし、態勢を立て直しても、こちらの空間に置いた手は、相手より速く相手を襲う。次は左右搬攔。相手の右中段突きを上からネットをかぶせるように受ける。次いで相手の左上段突きを左手で真下に落とすと、相手の背中はボールのように丸くなって真下に落ちる。もちろん、手だけの操作では、相手の背中は丸くなって落ちない。しかし、手の操作に合わせて丹田を下方に落とせば、相手は背中を丸めながら真下に崩れる。これを勢いよくやれば、地面にゴムボールを叩きつけたときのように、相手は弾みながら飛んでいく。次は提手上勢。これは相手の右上段突きを右手で横に受け流す。この時、両手で大きなボールを持ち、相手の突きと同時に、相手の右わきの下にボールをはめ込むようにすると、相手の重心は浮き上がって大きく崩れる。次に相手の左中段突きを右半身になりながら、右手で懐に引き込む。こうすると、相手は大きく前のめりになる。そこを下から顎を打ち上げる。次は雲手。相手の右上段突きを右手で横に受け流す。この時、自分の右手の下に自分の頭を運ぶようにすると、相手は大きく崩れる。次に相手の左上段突き、左手で下から摺り上げるようにして受けると、相手は上方に大きく釣り上げられる。その隙に潜り込んで、右手刀を相手の脇腹に打ち込む。次は相手の右上段突きを後方に受け流す。このとき、雲手の動きをするが相手の腕には触らない。触らなくても、相手は前方に崩れる。そこを右手でそっと相手の右肘を押さえる。これで相手は身動きができなくなる。次に行気。最初に套路の最初に行う行気の関節技への応用。相手の右上段突きを時計回りに手を廻し乍ら受け流す。そのまま右腕を相手の右腕に粘らせて下へ崩す。足は右足を相手の前に出ている右足の斜め横に踏み込む。こうすると、相手は肘を持っていかれるので、足を個定させられたまま、腰を右旋させられ、背中が反って顎が上がる。すかさず、こちらは右足をもどしつつ、今度は真横に進める。同時に相手の肘関節と肩関節を、右肘を屈曲させたまま右前腕を上方に少し上げ、右前腕を外旋させながら下方におろす。つぎに左手で相手の肩をしっとり押す。こうすると相手は肘関節と肩関節を同時に極められて、下に潰れる。次に再び琵琶勢。相手の突きを受け流しながらそのまま肘を屈曲させて、相手の胸にくっつけ、腰を去らせて仰向けに倒す。歩法は、左足を相手の外側に進めるやりかたと、内側に進めるやり方を稽古した。みなさん、上手くできるようになった。続いて、肘をつけるだけではなく、手首をつける、上腕をつけるやりかたも稽古した。次は相手の突きを受けながら合気をかける。これがかなり、今、悩んでいる。前々回は、N師範が指先を相手に向くと、相手は抵抗できないことを発見した。しかし、これは慣れてくると、相手は最初から腕を挙げてしまい、かからなくなる。今回もN師範は、こちらの肘が少しでも外側を向くと抵抗感がうまれるので、肘を真下に向けることで抵抗感が少なくなることを発見した。しかし、これも慣れてくると、相手は肩関節に最初から力を入れて突いてくるようになり、かかりが悪くなってしまった。いろいろ工夫して、そのときは技がかかるのだが、慣れてくるとだんだんかからなくなる。相手が、あらかじめ準備して対応するからだ。しかし、準備しても対応できないのが、技なので、さらに工夫が必要だ。私が今回、考えたのは足の進め方だ。足を肩幅に開いたまま、あいての正面に進むのではなく、相手の外側から真っ直ぐ進んでいく。手の方は当然、自分の正中線からはずれるのだが、はずれたまま、あいての正中線を攻めていくと、抵抗感がかなり弱まるのを感じた。しかし、まだまだ、何かが足りない気がする。今回の午前中の稽古はこれで終わり。みなさん、お疲れ様でした。
2024.09.04
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天下が始まったのは、天下の母がいたからだ。天下の母の存在を知り、その子を知って、母の偉大さを知り、尊べば、死ぬまで安泰だ。お前さんという家の窓をふさいで、その門を閉じ、家の灯かりを外に漏れないようにすれば、無理のない生涯を送ることができる。逆に、窓を開け放ち、門を開いて、灯りが駄々洩れになってしまえば、一生救われないだろう。耳をそばだて、キョロキョロ目を動かして右往左往しても、恐れや不安が消えることはない。その小さな家の灯りを守ること。そして常にその穏やかで柔らかな灯りを保つこと。これを称して「明らかに強い」という。常に「明らかに強い」者であれ。お前さんは、道という母の子であることを忘れてはならぬ。
2024.08.31
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道の働きが徳である。徳は全てのものに生命を与え、成長させ、生きさせる。道がなければ、徳はない。徳がなければ、お前も存在しないし、世の中も存在しない。道や徳のありがたさをもっと感じてみることだ。道も徳も、だれに命じられたわけでもなく、あらゆるところに存在している。徳の働きをもう一度言おう。道は無から有を生み出し、徳がこれに生命を与え、これを育て、これを生かし、これを衰えさせ、これに死を与え、これを無に帰す。これほど貴いことがあろうか。道は無から有を生んでも、自分のものにせず、その力をあてにせず、支配して操ることもない。これが道そのものの徳である。おまえも何かを成し遂げて、皆が賞賛しても、その功績を自分のものにせず、見返りもあてにせず、長くその地位に居座らないようにしろ。そうすれば、皆がお前の徳を讃えるだろう。それが道の徳に従った生き方だ。
2024.08.30
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聖人の政治にマニフェストなんてない。国民の意向に従って政策を行うだけだ。国民が善いと思うことは、聖人も善いこととする。国民が悪いと思うことは、聖人も悪いこととする。国民が信用していることは、聖人も信用する。国民が信用できないことは、聖人も信用しない。聖人は、いつでも国民の意向にそえるように日夜心を砕いている。その動向を国民は注目している。しかし、やがては聖人の存在すら忘れてしまう。なんの抵抗感もないからだ。1歳の赤ん坊に総理大臣の名前を訊いてもわからないように、20歳のアイドルに総理の名前を訊いても答えられない。そんな存在感のない、抵抗感のない政治。それが聖人の政治である。
2024.08.28
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そりゃ、いくつになっても勉強するって大事なことに決まってるじゃないか!でも、勉強ばかりしてると、自分ってもんがいなくなるの知ってた?結局、今まで勉強してきたことって、ほんとにお前の役に立ってる?もちろん、資格とか取るのにだって勉強は必要だし、仕事に必要な知識や技術を得るためには、やっぱ勉強は必要だ。でも、それってお前が何者かであるための勉強であって、お前がお前自身であるための勉強じゃないよね。結構、みんな勘違いしている。お前の職業、お前の役人としての役割、そんなものは社会が決めたもので、いつでも消えてなくなるものだ。だが、それをお前は、お前自身だと勘違いする。結局、どうやったら出世するか、どうやったら役人として立派に生きられるか?そして、悩み悩みぬいて、いつでも浮かない顔をしている。お前はそんなことで悩むな。そんなことばかりしていると、お前の存在が天下からいなくなる。ビジネス本、自己啓発本、哲学書、そんなもの捨てろ!お前の目論見、企て、戦略、全部捨てろ!捨てて、捨てて、捨て去ったとき、はじめてお前という人間が、天下に姿を現す。そして、そのお前がやることは全て正しい。
2024.08.27
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昨日の稽古日誌を書きます。きのうの柿崎のお天気は曇り。今回も気温30℃を越え、とても暑い日でした。暑くても、お寺の境内には心地よい風がときおり吹くのですが、この日は無風でした。よけいに暑さが身に沁みました。今回のメンバーはいつもの4人。N師範、O大師兄、S君、私。最初は基本の定歩崩拳、馬歩穿掌、握拳。次は太極拳対練。最初は行気から打擠。右手で貼粘勁を使うと相手は大きく右に崩れ、左手で貼粘勁を使うと前方に崩れ、単純に化勁を使えば、相手の力は抜ける。ランダムに使っていくと、わずかに触れるだけで、相手はグラグラに崩れてしまう。次は琵琶勢。これは普通に化勁を使うと肘関節が極まってしまうので、化勁を使わずに肘関節を極める工夫をした。左手で相手の手首を掴んで捻り、右手で相手の肘関節をひっくり返す。当然、化勁を使っていなければ重心が安定しているので、肘を曲げ、上腕二頭筋に力をこめれば、肘関節を極めることができない。そこで、右手を肘関節ではなく、相手の肩に乗せる。相手が微動でもすれば、相手の左肩に乗ったこちらの右手は、最短距離で相手の左頬を打つ。こうすると一瞬重心が崩れ、肘から意識が外れるので、その隙に肘関節を極める。しかし、これは相手としても躱しようがないので、この方法は使わないで置く。次に相手が考えるのは、歩いてその場から逃げるということ。これも相手が歩けば、その足が地面から浮いた瞬間に肘関節を逆に屈曲させて極める。相手は、重心が浮いた瞬間に関節を極められると抵抗のしようがないので、歩くのをやめてしまう。顔を攻撃されないことがわかっていれば、相手は突いた形で重心を落としながら、腕に力を入れて肘を曲げながら立っているだけになってしまう。相手も動けないし、こちらも関節技をかけれない。しかたがないので、相手の目の前で相手の左手首を、拇指と示指だけでつかみ、捻った。こうすると、こちらの握力がほとんど伝わらずに皮膚に刺激だけがいくので、その違和感で相手の腕全体の力が緩む。そこで、こちらは相手の肘関節を右手でひっくり返して極めることができた。数回、ゆっくりと相手の目の前でやってみせた。今度は、相手は、こちらが2本の指を使おうとした瞬間、肘関節に力を込めて手首に意識を持っていかれないようにした。こうすると、技はかからなくなった。そこで、今度は指2本のやりかたはやめて、普通に軽く掴んで捻った。右手は相手の肘に軽く付ける・・・・・のをやめた。そのかわり相手の肘にこちらのお腹をくっつけた。左手で手首を捻るのと同時にお腹で相手の肘をひっくり返した。こうすると、相手はもんどりを打って頭から地面へ突っ込むような形になり、肘関節を極めることができた。手は左手しか使ってない。外側から見たら、左手一本で相手の肘関節を極めたような形に見えるだろう。次は攬雀尾。これは相手の上段突きをとらえて肘関節を極めるのだが、肘関節を極めないで相手の腕を棒のように伸ばさせて、やじろべえのようにして身動きができないようにする。これはさすがに化勁を使わないと無理だ。化勁は、相手の左肘にこちらの右手の甲を貼り付けて受け流すのだが、さらにその精度を上げるために、相手の肘に右親指だけを当てて、受け流しやじろべえにする稽古をした。このとき、こちらの腹筋の力が抜けていれば、一層大きく崩すことができることがわかった。次は提手上勢。これは相手の上段突きを、相手のわきの下に左右の手で作った大きなボールをはめ込むように受け流すと、相手は上に釣り上げられて大きく崩れる。続いて、こちらは相手が態勢を立て直して突いてくるのを待ってあげる。相手が左中段突きをしてきたら、こちらはふところに迎え入れながら、左半身を後方に引く。こうすると前につんのめるように相手は崩れる。そこを下から右手甲で、相手の顎を跳ね上げる。もう一つのやり方は、相手の右上段突きを右手の化勁で横に受け流す。こうすると相手のからだは捻じれ、顔を後方を向いてしまう。そこで、こちらは手を緩め、相手が態勢を戻すのを待ってあげる。相手が左中段突きをする。これを自分の後方へ化勁で受け流す。この時点で相手は身動きができなくなるので、頬へ軽く往復ビンタを入れて微笑む。次は、再び琵琶勢。相手の右上段突きを、右手の親指と人差し指の股ではさむ。ほかの指は相手の顔に向けて、歩を前方に進める。相手は自分の棒のようになった腕に押されて後ろへ下がる。そのうち立っていられなくなり、後ろへひっくり返る。これを防ぐには、相手は受けられた瞬間、自ら腕を上にあげ、自分の腕が自分のからだを後方に押さないようにする。しかし、この時点で相手の体は無防備になり、こちらとしては、どんな攻撃もできるのだが、これではつまらない。相手の腕が相手自身のからだに棒のように突き刺さってひっくり返るという、この技の美しさを体現したい。そこで、いろいろ考えて、相手の手首を親指と人差し指の間に入れるときに、その2本の指に基節骨を使って挟むようにすると、相手は腕を上の方まで上げることができずに中途半端な位置で止まる。それと同時に右股関節で合気をかけて、そのまま歩いく。こうすると、相手は棒のようになった自分の腕に突きこまれるようにひっくり返る。しかし、これは、まだ少し研究の余地があるのかもしれない。なぜなら、相手の腕はたしかに棒のようになるのだが、こちらの感覚が棒を推しているような感覚がないのだ。力感をほとんど感じないのに技だけができてしまった。何かが違う。今後の課題としていこう。次は相手がこれに対して踏ん張ってしまった場合。ここまでくると、踏ん張ることは不可能なのだが、あえて踏ん張った場合、こちらは足を止めて左半身となり、相手の右肩とこちらの左肩の間に狭い谷を作って、相手の屈曲させた肘を落とす。これで相手は右半身になりながら前方につんのめる。このとき、こちらの右手は、相手の右手首を触っていて、左手は相手の肘に触っている。次にこちらは左半身をそのまま維持しながら、両手を前に伸ばす。これで相手はひっくり返る。ここで握力を使えば、相手の肘を屈曲させることもできないし、ひっくり返すこともできない。握力を使わない。ただ触っている。これが大切だ。両腕を前に押すときの、こちらの腕の動きもできるだけ捻ったり捻じったりせず、単純に前に腕を出すだけ。こちらの動きのイメージとしては、こうだ。自分が左半身になって腰を落として前後に足を開いている。両手は肘をゆるく前に曲げて、左方に押し出すような形になっている。顔はカメラの方に向いていて、にこやかである。これをスマホで写真を撮る。これをプリントアウトする。その写真を体の線に沿って切り抜く。次に腕の部分を肩から切り離しておく。次に体の部分を壁に貼る。次に切り離した腕は貼り付けず、肩の所に小さなピンでとめる。ピンでとめただけなので、両腕は肘をゆるく曲げた形状を維持して、右から左に動く。この時の手の動きと壁微貼り付けられた体のイメージで動く。これができると、相手はふんばることができずにカンタンにひっくり返る。もちろん、ほとんど力はいらない。以上で午前中の稽古終わり。あまりにも暑くて汗びっしょりになりました。みなさん、お疲れ様でした。
2024.08.26
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道に従う聖人は、世の中の仕組みを知り、天の働きを見ている。わざわざ遠くへ出かけていってセミナーに参加したり、ネットで情報を集めたりするのは無駄だ。かえって本当のことを見失ってしまう。聖人は、情報を集めるために、あちこち騒がなくても、家に居ながらにして多くのことを成し遂げてしまう。もちろん、本人は何かを成し遂げたという実感もない。
2024.08.26
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世の中が平和なら、馬は走らないで、田舎で田畑を耕している。世の中が乱れてくると、馬は軍馬として里に現れる。欲にまみれて余計ないくさをするから、お馬さんだっていい迷惑だ。おまけに何の罪もない人達を殺せば、その罪は計り知れないものになる。だから、欲にまみれて余計ないくさはするな。今あるもので暮らしていけばいい。それでこそ、満足な暮らしができるというものじゃ。
2024.08.24
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本当の優れものは、欠点があるように見える。しかし、使ってみると、まったく欠点がない。本当に満タンになってるものは、何もないように見える。しかし、使えば限りなく使える。本当に真っ直ぐなものは曲がって見えるし、すごい技術って、たいしたことないように見えるし、本当に話のうまい人って、口下手に見える。にぎやかなものは、やがて熱が冷め、静かに止まっているものは、やがて熱を帯びる。結局、この世を正しい方向に導いているのは、純粋で静かなものなんだ。
2024.08.24
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名誉と体、どっちが大切か?体とお金、どっちがありがたいか?損するのと得するの、どっちが悩む?え?名誉も体もお金も大事で、損するほうがいやに決まってるだろうって?そんなに欲張って全部欲しがってるから、毎日へとへとに疲れてるんじゃないのか?お前がどんなに頑張って多くのものを得ても、やがては多くを失くしていく運命だ。欲張るな。必要な分だけあればそれでいい。それでお前は恥をかかずに済むだろう。欲に目がくらんで突っ走っても長続きするわけないじゃないか。時には休んで、ゆっくりゆっくり歩いていけば、長く遠くまで歩いていける。
2024.08.23
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天下のものは、どんな堅いものでも、柔らかいものが動かしている。そして、この柔らかいものは、姿が見えない。姿がないので、どんな隙間でも入り込む。なんなら隙間なんてなくても入り込む。私はこれを見て、何もしないほうが得をすることを知る。何も教えなければ、相手に自由を与え、自由に動くようにコントロールできる。何もしなければ、柔らかいものに身をゆだね、それがもたらす利益を得ることができる。
2024.08.23
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道は有を生じ、有は陰陽を生じ、陰陽は天地を生じ、天地は万物を生じる。万物もまた陰を背負い、陽を抱き、陰陽のバランスをとりながら生きている。王は自分のことを「私」とか「俺様」とか言わない。わざと自分を卑下して「孤」(孤児)とか「寡」(徳の少ない者)とか「不轂」(働かない者)とか言う。世の中は損をすれは得をして、得をすれば損するようにできている。だから王は人に偉そうにしないよう注意している。昔から伝わる教えがある。「偉そうな奴は、ろくな死に方をしない。」私はこの教えを大切にしている。
2024.08.23
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真に立派な人物は、道の話を聞くと、「なるほど、その通りだ!」と言って、道に従って生きようとする。まあまあな人物は、道の話を聞くと、「まあ、わかるような、わからないような」と言ってうやむやにする。取るに足らない人物は、道の話を聞くと、「なんのこっちゃ!」と言って大笑いする。しかし、道の話をして、笑われるようでなければ、道の説明としては不十分だ。本当のことというのは、普通に聞けば滑稽なものだ。だから、昔の人はこんなことを言っている。自分が進むべき道は、暗くて曖昧に見える。その道に進む者は、後ろ向きに歩いているようにも見える。未開の地を歩いているようにも見える。真の徳というものは、深い谷底で流れている川みたいなもんだ。広い徳というのは、みんなにとって物足りないように見える。そして、その徳を実感することがあっても、その場限りのことのように見える。いつの時代も、真実は、最初、汚れて見えるもんだ。ものごとの本質は、移り変わっていく。その場限りの狭い了見では、真実を見失う。あまりにも広くて四角い場所は、角が見えない。あまりにも大きい器は、いつまでも完成しない。あまりにも大きい音は、小さくしか聞こえない。あまりにも大きい形のものは、目に見えない。道も同じだ。あまりにも大きいので、姿が見えず、名前のつけようがない。しかし、道は全てのものに働き、ひたすら全てのことを成し遂げていく。人間のごときちっぽけなものの認識とは関係なく、確かに存在している。
2024.08.22
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えっ?結局、道って何かって?お前、ここまでわしの話をちゃんと聞いてたのか?信じられん!まあ、いいじゃろう。ここでカンタンにまとめてみることにしよう。まず、道の姿はお前には見えない。お前さんのちっぽけな脳みそでは把握できない。道の原動力は、相反するものが同時に存在することによって得られている。道の働きは、弱いものを見ていれば、おのずとわかるじゃろう。全てのものは有から生まれ、有は無から生まれる。これも道の働きじゃな。以上。チョーカンタンじゃろ?
2024.08.21
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こないだの日曜日の稽古日誌を書きます。この日の柿崎は曇り。気温は相変わらず30℃を越えて、暑い日でした。今回のメンバーはいつもの4人。N師範、O大師兄、S君、私。最初はいつもの通り基本の定歩崩拳、馬歩穿掌、握拳。次は太極拳対練。最初は行気から打擠。これはいつものとおり、左右の手で貼粘勁を使い分け、相手をグラグラにしながら打擠を行った。次は琵琶勢。これは、化勁を使えばかかるので、あえて使わず、しかも関節技を極める前に動作を止めて、どうするか考えてもらった。相手は、肘を伸ばしきられる前に、上腕二頭筋を強く収縮させて肘を曲げる。こちらは、相手が考えている間、右手を相手の肩に乗せて待ってあげる。相手がどう動こうか考えて、動こうとした瞬間、こちらは相手の肩に乗せて置いた右手で相手の左頬を打つ。相手がどんな動きをしようと、動き出しは同じだ。そこをとらえて相手の左肩から左頬まで最短距離で打つ。まず、この攻撃をかわすことはできない。相手が頬を打たれてひるんでいる間に肘関節を極める。これも逃げようがない。それで、こちらはわざと右手の攻撃をしないで、相手がどうするか待っている。相手は顔に攻撃がこないとわかれば、前方に歩いて逃げる。立ち位置が移動すれば、関節技はかからない。相手はさらに念には念をいれて、歩いている最中に肘を曲げて関節技がかからないようにする。こちらは、相手が歩きながら肘を曲げる動きを利用して、さらに内旋を加えて屈曲させ、肘関節と肩関節極める。こうすると相手の腰は上に伸びきってしまう。そこで、相手の右前足のとなりにこちらの右足を並べる。ついでにこちらは右手が遊んでいるので、相手の首を掴んで絞める。これで相手は完全に身動きができなくなる。次は攬雀尾。これは相手の左上段突きに対して、受け流しつつ肘関節をきめるのだが、当然、あらかじめわかっていれば、最初から肘を曲げながら突いてくる。これに対して、相手の肘をさらに曲げさせて関節を極める方法もあるのだが、それだと面白くないので、相手の屈曲した肘をどうすれば伸ばせるかを考えた。結論としては化勁を使うこと。化勁を使えば右腕一本で相手の左上段突きを受け流すことができ、相手は両足で立っていることができずに片足立ちでやじろべえみたいになる。この瞬間は相手の肘に力が入ってないので、容易に肘関節を伸ばしきって関節を極めることができる。次は左右搬攔。これは今のところ、この技を破る手立てが見つからないので、いつものように稽古した。次は雲手。これは左右の肘と膝の間隔を一定に保つことにより、相手の重心を根こそぎ奪うことができた。しかし、これでは面白くないので、右手の化勁で受け流したら、そのまま体を近づけ、相手の突き手を大きく円を描きながら、相手の股間に移動させくっつける。次にそのまま相手の肘を軽く押さえると身動きができなくなる。しかし、これも飽きてきたので、入身と同時に相手の突きを後方に受け流し、そのまま体を相手の体側にくっつけ、相手の突き手の右肘を軽く押さえる。相手の突き手を後方に受け流すとき、相手の腕に触れてなくても受け流すことができるようになった。次は再び琵琶勢。相手の右突きを左足を前外側に移動させて右手で受け流し、そのままその腕を屈曲させて相手の胸にくっつける。こちらは相手の右外側を直進して、その直進動作に相手の体ごと巻き込んで頭から落とす。これも、もなさん、上手くできるようになった。次は右足を前方に進めながら、右足が着地するまでの間に上記の動作を終わらせる方法を稽古した。これもみなさん、上手くできるようになった。次は右手で受け流すときに、巻き込んで受け流す方法を稽古した。相手の右突きをこちらは右手で小さな円を描いて巻き込み、そのまま相手の肘を掴んで屈曲させたまま相手の胸に押し付ける。これもみなさん、上手くできるようになった。しかし、肘を曲げさせて胸に押し付けるときに、まだ少し力みが出る。これを解決するために、相手の肘を手のひら全体でつかむのではなく、親指と人差し指だけで優しく掴む。こうすると、相手の重心はたやすく崩れ、カンタンに胸にくっつけることができる。次は相手が右上段突き。こちらは少し下がりながら、右手で相手の腕を下から軽く持ち上げる。そのまま、相手の腕を棒のようにして、その棒を相手の正中線に向けて押しながら歩いていくと、相手は抵抗できずに後方になだれ込むように下がっていき、ひっくり返る。このとき、相手の腕を棒のようにすることはできるが、相手は押される前に上に挙げてしまい、こちらが正中線を攻められないようにしてしまう。もちろん、これでも相手の体はがら空きになってしまうので、こちらは完全に相手を制したことにはなるが、それでは面白くないので、なんとか相手の棒化した腕を相手の正中線に押し付けられないものかと考えた。結局、これは合気上げの原理を使うことにした。合気上げでは相手がこちらの手首をつかんできたときに、こちらは肩甲骨を縦回転と手首の縦回転を連動させ、相手を上に釣り上げる。しかし、突きに対しては、突きを受けると同時に肩甲骨を縦回転するのは難しい。そこで肩甲骨の代わりに股関節を縦回転させることにした。すなわち相手の突きを下から受けると同時に、膝を上にあげ、足を前方に着地させる。この時、股関節は縦回転する。同時に手は相手が上に挙げようとする肘もしくは手首を掴んで相手の正中線上に引き戻す。そのまま前進していけば、相手は耐えきれずひっくり返る。たとえて言うなら、柱にねじをドライバーでねじ込む要領だ。最初はねじの頭をドライバーで押し込もうとするが、ぐらぐらしてなかなか入っていかない。それでもねじを支えるほうの手の親指と人差し指でねじを掴んで安定させながら、ドライバーでねじ込んでいくと、やがてねじの芯を捉えて、ねじ入り込んでいく。そんなイメージだ。相手は、こちらが下から手ですくうように受けると、その勢いを利用して上に挙げようとする。上げ切ってしまえば、もはやその腕は正中線から遠ざかってしまう。ところが、こちらが歩を進めながら、相手の肘または手首を親指と人差し指のみでつかみ、残りの指を相手の顔にさすように向ける。こうすると相手は腕を挙げきることができなくなる。そこで歩を進めながら行くと、相手は後方に歩かされて、ついにはひっくり返る。このとき、ただ親指と人差し指でつかむのではなく、親指と人差し指の基節骨のみで挟む。これでさらに相手は腕を挙げることができなくなり、こちらの動きに抵抗できなくなる。今回はこれが大きな発見となった。これを応用すれば、各種の関節技も使いやすくなると思った。午前中の稽古はこれで終わり。みなさん、お疲れ様でした。
2024.08.20
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昔、何かが始まった。この始まりを一としよう。始まりと同時に終わりも始まった。つまり始まりと終わりは、ひとつのものだから、これを一としよう。天はその一を得て、大気を絶妙なバランスで作り上げた。地はその一を得て、万物が安定して生きれるように、どこまでも広がった。神はその一を得て、人間たちを見えないところから導いた。谷はその一を得て、川を水で満たし、そこで生きるものたちの命を育んだ。君主はその一を得て、天下を正しく治めた。すべてのものは、その一を得て始まった。天が清らかでなければ、裂けてしまうだろう。地が安定しなければ、爆発するだろう。神が人から見えてしまえば、何もしなくなるだろう。谷が満ちることがなければ、全て枯れはててしまうだろう。君主が正しくなければ、国は滅んでしまうだろう。どんなものでも、その一を失くせば、滅びつくしてしまうだろう。だから貴い地位にいる者は、低い地位にいたときの自分を忘れてはならない。高いものは、下に支えているものがあって成り立つからだ。君主は、自分のことを「孤」(孤児)とか、「寡」(徳の少ない者)とか、「不穀」(居そうろう)とか言う。あ、そうそう、日本のサムライが自分のことを「拙者」(拙い者)とか言っていた。あれと同じだ。これは自分の身分の高さの根本には、低い地位にいたときの思いや考えがある、ということを示したいからだ。ゆえに一を得たならば、そこに数を加え、二、三、四と加えるのではなく、どこまで行っても一のままにしておく。地位や名誉を手に入れ、その身を宝石で着飾ったとしても、その宝石が、もともと石ころだったことを忘れてはならない。
2024.08.20
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レベルの高い徳は、徳があるなんてわからないけど、徳がある。レベルの低い徳は、徳があるように見えるけど、徳がない。レベルの高い徳は、徳がある行いなんかしない。レベルの低い徳は、徳があるような、まわりから褒めれられるような行いばかりする。レベルの高い思いやりっていうのは、これ見よがしに何かをすることじゃない。レベルの高い正義っていううのは、ヒーローみたいに悪者をやっつけることじゃない。レベルの高い礼儀っていうのは、相手の礼に対してこちらもご丁寧に礼をすることじゃない。みんなレベルの低いことばっかやってるから、道からはずれて、その本質を見失うんだ。だから徳って何だろう?ってわかんなくなると、とりあえずまわりに優しくしておけばいいなんて考える。しかし、本当のやさしさって何だろう?ってわかんなくなるんで、とりあえず正義の味方でいようなんて考える。でも、正義ってなんだろう?っとわかんなくなるんで、とりあえず礼儀正しくしようなんて考える。でも、そんな礼儀、形だけのもんだし、相手を大切にするとか尊重するとか思ってないんで、だんだんめんどくさくなる。そんなお前を見て上司は、「おまえ、なんかおれのこと馬鹿にしてないか?なんでいつも馬鹿丁寧にお辞儀して、なんだかわけのわからん敬語ばっかり使って・・・・。わざとらしいいんだよ!」と言うだろう。こっちにしてみれば、とりあえず礼儀を尽くしておけば、文句はいわれないだろうと思ってやってるだけだ。ただ、だんだんめんどくさくなってくる。態度悪いのに礼儀正しいって最悪だろ?だれだって、こいつ、なんかたくらんでるなって思うだろ?そこから上司のパワハラ、いやがらせが始まる。それじゃ、お前、困るだろ?そこでお前は考える。そもそも徳って何だろう?徳がわかんないから、こんなことになる。だったら徳について自己啓発の本とか読んで勉強して、知識を増やして、実践すればいい。こういうときは、こういう言葉使いがいいうとか、こういう相手にはこういう距離感がいいとか、いろいろ試してみる。挙句の果てに、自分でセミナーとか開いちゃったりして・・・・。おめでとう!愚者のストーリーの始まりだ!本当に徳の有る者は、そんな虚飾の正解に居ない。徳というものは、もともとその人に備わったものだ。外からいろいろなものをくっつけても、その人の徳が光を失うだけだ。自分の通りに生きる。結局はそれでしか、本物の徳は現れんのじゃ。
2024.08.19
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道というものは不思議なもので、何もしようとしないのに全てを成し遂げていく。国王がこれを見習うならば、国民は安心して生活することができるだろう。道の働きを無視し、私利私欲のために様々な政策を行うならば、私が、名もなき無邪気な者を使ってやめさせるだろう。この者は欲がないので、穏やかで平和が一番だと思っている。こういう人間に国政を任せれば、国は自然と治まっていく。
2024.08.17
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