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今日は誕生日でした。いくつになってもお祝いしてもらうと嬉しいもので。数日前に友達のエレンから電話。誕生日ディナーに招待してくれました。何でもリクエストしてくれていいよと言ってくれたのでケベックの代表的家庭料理のひとつパテ・シノワをリクエストしてみました。有名なので名前は聞いたことがありましたが、実際に食べるのは今日が初めて。結構簡単にできそうなのでしっかり作り方を聞いてきました。材料玉ねぎ 小 1個牛ミンチ 500gコーン缶 小 クリームコーン缶 小ジャガイモ 大 4~5個バター 少々塩コショー 少々チーズ(お好みで)1. 玉ねぎをみじん切り、弱火で色が透明になるまでお鍋でゆっくり炒めます。(約10分)2. 1にミンチを加えゆっくり炒めます。醤油を入れて味を調えます。(ここがエレン風)3. ジャガイモを茹でてピューレにし、塩コショーで味付けをします。4. 耐熱容器に牛肉、コーン(汁も一緒にかけて)、クリームコーン、ジャガイモのピューレの順に入れます。5. お好みでトップにバターかチーズをかけます。 (今日食べたのはバターでした)6. 325Fのオーブンに入れて約1時間で出来上がり!Pâté Chinoiseの名前の由来もついでに聞いてみましたがわかりませんでした。でも中国とは全く関わりはないようです。中華料理でこういった料理は見たことないですし(笑) わたしは実際に食べたことは無いのですが英語で言うSheperd's Pieのに似ているとのこと。どなたかSheperd's Pieをご存知の方がいらっしゃいましたらコメントよろしくお願いしますね~♪
2006年01月25日
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毎日のことに追われてすっかり忘れていましたが、1月17日は阪神大震災の起こった日。ある意味、私の人生において大きな転換となった日です。1994年の9月、1年間のドイツ語学留学から帰国。翌年からのドイツ大学入学に向け一旦帰国。運よく、11月から年末年始のアルバイト先をゲット。約2ヵ月半のアルバイトを終えて3連休。のんびり過ごしたとこでした。午前5時46分、いきなりの揺れで目を覚まし、消えているはずの電気が頭の上で火花を散らして揺れていました。ベッドの上に起き上がることもできずただただボ~っと揺れている電気を見ているだけがやっと。漸く揺れが一時的におさまった間に外へ避難。その後、1週間を体育館で、その後1週間を知り合いの家で雑魚寝。そして漸く新しい住処を見つけて移り住みました。不幸中の幸い、後日全壊の認定を受けた我が家の家族は誰一人かすり傷一つせず、友達や知り合いなど近しい人たちもみな無事でした。当時、無職だった私は一日に一度回ってくる給水車へ水をもらいに行く係り。そうこうしているうちに3月になり、職も決まりました。この会社、はっきりいってすごく居心地の悪い、二度と戻りたくない会社でした。人間関係ギスギスし過ぎている。プライベート、コンフィデンシャルなことを何故かみなさん知っている。入社して6ヶ月もしないうちに「絶対に辞めてやる!」と思わせてくれるような会社でした。一方で、学んだこともあります。英語の大切さ。会社での嫌な人間との付き合い方など。もし、地震がなかったら、4年間ドイツの大学に行っていたでしょう。その後は…どうなっていただろう?もし、地震の後に入社した会社がそれなりに居心地のいい会社であれば今もまだそこで働いていたでしょう。そして、もちろんカナダに住むなんて考えなかったでしょう。『もし』ということを考えても仕方がない。今が前より、未来が今より少しでも良くなっているのならそれでいいのかなぁと思いながら現在カナダで奮闘中。震災後11年、まだまだ完全に元に戻ったわけじゃない。神戸の街並みが、神戸に住んでいる人たちの生活が少しでも早くもとどおりに戻ることをお祈りしています。
2006年01月18日
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今年の私の目標、どこにも書きませんでしたが『ひと』がテーマ。ここ2年ほど学校がかなり忙しかったので人間関係がかなりおろそかになっていました。夏休みとクリスマスシーズンにはかろうじて2・3週間の休みがあるもののそれ以外はほとんど休みなし。グループワーク、宿題などで週末が潰れたりしていたので、1年に1回しか会えなかった友達なども数多く、時には2年ぶりの再会なんてのも。同じ街に住んでいて…良くないですね。今期から授業数も減ったので、今年は今まで以上に人間関係に重きを置こうと思ったんです!まずは旧交を温めようと…。そう思い始めると偶然に道でバッタリ2年ほどあってなかった人に遭遇したり。1年ほど前に同じクラスで同じグループで苦しんだメンバーに会う機会ができたり。久しぶりに会って話すのは楽しいですよね。時間を忘れて話し込んでしまいます。それぞれに自分の道を歩いていて私も頑張らなくてはと大きな励みになります。そしてもうひとつの人脈拡張作戦。新しい出会い作りです。これも不思議なことで、まだ新年始まって2週間あまりですが数日前に偶然ある日本人女性を知り合いになりました。実は同じアパートの上階に住んでいたらしいのですが。今までほとんど家に居なかったのと時間帯がかなり一般の方と違っていたので会わなかったんでしょうね。その日本人女性のおかげであっという間に新しい人脈が広がり7人ほどのお友達ができてしまいました。それもみなさんうちから徒歩5分圏内に住んでおられます。年齢、性別、国籍などに関わらず、いろいろな人に出会えるのは学ぶことも多くて楽しいです。ということで最近忙しく出歩いています。学校ではないので楽しみながら、時間を忘れて、時には体に鞭打ちながら…。連チャンだとかなり辛いときもある…(笑)もちろん、週2回の授業をこなしながら、職探しの準備もしながら…。なので、このブログの更新もペースダウン気味。『日々のお話』は今までと変わらず、できる限りディリーベースで頑張っております。
2006年01月16日
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今月23日はカナダの選挙です。数週間前から数回四大政党の党首が集まってTVで討論しています。現政権はLiberal。2・3年前に現政権の金銭スキャンダルが持ち上がり、それ以来2回目の選挙になります。第一反対勢力は保守党。それ以外にNDPとBLOC QUEBCOIS(ケベックの利益を第一に考える党)があります。日本にいるときもそうですが、わたしは政治家というものはどこでも一緒だと思っていて政治自体にはそれほど興味はないのですが面白かったのは言葉と態度の関係に関して。Liberalの党首は現カナダの首相。もともとケベック出身でイギリス系の名前ですがバイリンガルの環境に育ち完全なバイリンガル。BLOCの党首はもちろんケベック人。英語を話すと少しアクセントがあります。NDPと保守党の党首は完全なるイギリス系。NDPの党首はかなり綺麗なフランス語を話します。もちろんネイティブだとは言い難いですが。問題は保守党党首。前回の選挙ではいいところまで行っていたのにケベックでの得票数が少なく結局第一党にはなれませんでした。これは政策にもよると思うのですが当時の彼のフランス語はひどい!これはケベックでは致命傷なことです。前回の選挙後、保守党党首は『フランス語を勉強しなければ』とコメントをしていましたが、本日の討論ではかなり頑張っていました。アクセントは減っていたし。ただ後の3人と比べるとやはり見ていて危なっかしい。英語の討論では自信満々、アグレッシブに首相を攻めていたのに、フランス語では少し逃げ腰?(見た目が)討論での内容は深くまで理解できなかったのでなんとも言えませんが、見た目だけではこんな頼りない人には政治を任せたくないなぁという感じでした。これは当然と言えば当然のこと。言葉に自信がないとどうしても無口になったり、消極的な態度に出てしまうもの。私もそうです。1対1ならまだしも、ネイティブの中にひとり入ってしまうと口を挟めなくてどうしても聞き役になってしまう。で、意見を求められると簡単なことでもすごく緊張して話せなくなってしまう。あとプレゼンテーションとかもそうです。大勢の人の前だとたとえ日本語でも緊張して頭が真っ白になってしまう。こういう経験って誰でもあるのではないでしょうか?私だけ?去年、日本人はセルフ・エスティームが最も低い国民という記事を読みましたが、特に日本人ってこういう人が多いのではないでしょうか?でも周りを見てみると中国人やラテンアメリカ人などはそういうのを気にしないで自己主張する人が多いんです。時には、やりすぎじゃない?と興ざめしてしまうこともありますが、語学を学ぶのにはこういう態度も大切なのかもしれませんね。無理して自分を良く見せる振りをしたり自惚れを持つ必要はないけど、自然に自信を持てるようになれば相手が誰であっても、何人であっても自分のペースで話ができるんでしょうね。余談ですが、発音や文法などややこしいことを何も考えずスラスラと外国語が話せるって思う瞬間って怒って文句言っている時なんですよね。自分が正しいって信じきっているからかしら?
2006年01月11日
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日本人でありながら日本の行事について聞かれて困ることがあります。「日本で一番大きなフェスティバルは何?」と聞かれたら迷わず「お正月!」と答えると思うのですが、正月三が日の後に続くさまざまな行事についてみなさんは説明できますか?恥ずかしながら私はよく知りません。先日も友達とチャットしていて「しめ飾りはいつ片付けるんだろう?」と言うことに。いくつかポイントになる日にちは分かるもののいったいいつなんだろう?ということで調べてみました。以下は地方によって日にちがずれる場合がありますが一般的に知られているお正月に続く行事です。1月7日-七草粥。七草全部言えますか?私は…無理でした。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七種だそうです。お正月に美味しいものをたくさん食べた後少し疲れた胃腸を癒す為にこれらの春の七草を入れてお粥を食べ、無病息災を願うんですね。1月11日-鏡開き。お正月の間飾ってあった鏡餅を手で割ったり、木槌で叩いて小さくしお雑煮にして食べ、一家円満を願う行事。もともと武家政治の時代に始まったので切ることは『切腹』をイメージしよくないことから『鏡開き』または『鏡割り』と呼ばれるようになったらしい。1月14日の夜または15日の朝-どんと焼き。長い竹を組んでお正月の間飾っていた門松やしめ飾り、そして書初めなどを焼くんですね。書初めや筆を焼くと字が上手くなる、その火で焼いたお餅を食べると1年間無病息災になると言われています。竹の倒れる方角によって今年の良い方向を決める。最近ではやらなくなったところが多いらしいですが私が中学校の頃は学校でやっていました。さて上記の3つの中にしめ飾りを取り外す日が入っているのですがいつでしょう?実は七草粥の1月7日だそうです。鏡開きがお正月終わりというイメージがあったのでその日まで門松、しめ飾りは飾っておくべきだと思っていましたが…日本人として失格です。ちょっとしたチャットの会話から日本の伝統行事を見直すいい機会が出来ました。
2006年01月09日
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最近良く耳にするのがReferendum。友達との会話、TVなどで時々話題となっています。このReferendumはケベックの政治を語るのにとても重要なものです。ケベックの歴史はイギリス系移民とフランス系移民との関係が非常に重要な役割を果たしています。この問題は言葉だけでなく文化、経済そして政治にまで発展しています。Referendum-ケベック州がこのままカナダのひとつの州としてとどまるか、カナダ国家から独立するかを問う投票です。今までに2回のReferendumが1980年と1995年に実施されています。連邦残留派はFederalist、独立推進派はSovereignistと呼ばれています。1980年のReferendumでは残留派60%、独立派40%。1995年には51%、49%という僅差で残留派が勝利。かろうじてケベック州はカナダ国内にとどまっている形です。詳しい日程については未定ですが、ここ数年内にケベック州知事の選挙があるらしい。この選挙の結果次第では第3回Referendumが行われるのではという噂が囁かれ始めているのです。現時点では極独立推進派1/3、極連邦残留派1/3、どちらにも決めかねている人たちが残りの1/3だそうです。この中間の人たちがケベックの将来を握っているんです。私はこのReferendumを経験したことは一度もありません。聞いたところによると、カナダの経済・文化の中心都市であったモントリオール、1995年のReferendumの際に、多くのイギリス系あるいはグローバル企業がケベックの独立を危惧してトロントへと移って行ったそうです。その結果、現在ではモントリオールはトロント、バンクーバーに続く第3の都市に格下げ。夏のフェスティバル、秋の紅葉の観光以外に主要産業がなくなってしまいました。今までにトロント、バンクーバー、カルガリー、シャルロットタウンなどカナダの都市を回ってきました。その中でモントリオールを選んだのは街の雰囲気がとても気に入ったから。ヨーロッパ調の街並みに各国からの移民が持ち込んだ多種多様な文化が融合しあって独特の雰囲気を醸し出しています。生活のコストが同じような大都市に比べてかなり低めであること。そして生活のリズムが私の波長に合ったから。もし、ReferendumでSovereignistが過半数を超えたらどうしよう?それでも私はケベックにとどまるのだろうか?それともどこか他のプロバンスに移るのだろうか?カナダという大きな国家の下で安定しているケベック州。もし、そのカナダから独立したら……??? 不安定な将来しか見えてきません。まだ数年先にそれも実際に行われるかどうかも確定していないReferendum。考える時間は充分あります。でも『もし』ものことをそろそろ考え始めたほうがいいのかも知れませんね。
2006年01月07日
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10代過ぎて新しく外国語を習う人にとっては完全に母国語のアクセントを失くして話すのは不可能なのかなぁと思います。各自の努力や才能によってある程度ネイティブの発音に近いものを出すことは可能になっても100%は無理なようだ。私の友達の台湾人は高校時代にアメリカへ移住。以後、人生の半分以上をアメリカで過ごしている。中国語で話すよりも英語のほうが楽だと言う。私からすると彼女は完璧な英語を話す。語彙も発音も。しかし、ネイティヴの友達はまだ彼女の英語の中に微かなアジア系のアクセントを聞き取るらしい。日本語を話す人にとって外国語の発音は決して容易ではない。日本人の話す外国語はわかりにくいと良く言われる。これにはいくつかの理由があると思う。他の外国語に比べ日本語は極めて発音のバリエーションが少ない。母音はたったの5つ。フランス語では鼻母音も含めて16の母音があると言われている。たった5色の絵の具を使って16色の決められた色を全く同じ色に再生するのは難しい。時には薄くなりすぎ、また濃くなりすぎる。そして、子音。日本語には子音だけの音というのがない。常に母音とくっついてひとつの音を形成する。これが外国人にとっては非常に聞き取りにくい音になっているらしい。それに日本語にはない音の区別LとR、VとBができない為、すごく不可解な音を発しているらしい。次に発声法。日本語は口先だけであまり抑揚をつけずに話してしまう。あと文化的なこともあるが大声で話すのは下品だと感じる人も多いので自然と声が小さくなってしまうので聞き取りにくい発音がさらに相手に伝わらなくなってしまう。今までにいくつかの言語を勉強したがよく言われるのは口を大きく開けて奥から発声すること。つばを飛ばすぐらいにやってごらんと。日ごろ日本語を話す時に使っていない口の周りの筋肉を鍛えてやらないといけないらしい。初めて会話として本格的に習ったのはドイツ語。といってもかなり遅咲きのデビューだったのでかなり苦労しました。そのときの発音の先生がとてもよい方でした。白髪のかなり年配の女性でしたが経験が豊富で日本人の悪い癖を良く知っていて私を含め日本人対象にいろいろやってくれました。あるときはペンを口に挟んで、あるときは鏡を覗き込みながら。そのおかげでかなり日本人的発音を取り除くことができたような…。カナダに来て数年、よく言われて嬉しいのは「日本人にしては発音綺麗ね。」「日本人だと思わなかった」。もちろん未だに前述の台湾人の友達には私の発音するWORKとWALKの違いが分からんとからかわれていますし、ネイティブのような綺麗な発音をしているわけではありませんよ。トロントから来たカナダ人に「あなたの英語はフランス人のアクセントがある」と断言されたこともあるし。電話などだと絶対にネイティブだと思ってもらえませんもん。ただ、ちょっと嬉しいのは本来の母国語のアクセントを少しずつでも取り除けていること。努力が無駄じゃなかったんだなぁって。もうかれこれ十数年前、忍耐強く教えてくれたドイツ語の先生に感謝です!先日ケベック人の家に遊びに行って今まで出来なかったフランス語(ケベック語)の発音が一瞬できたんです。間髪いれず友達が「お~!ケベック語の発音うまいじゃん!」 こうやっておだててもらいながら今後も一歩一歩ネイティブに近づく努力していきます。
2006年01月05日
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ケベック州は北米の中で唯一フランス語のみがオフィシャルランゲッジとして法律化されている州。カナダのニューブロンズウィックではフランス語は英語と共にオフィシャルランゲッジとして定められています。ケッベク州では英語はオフィシャルランゲッジではないのです。フランス語のみ。これには英国とフランスの間の長い歴史的な関係があるのですが…。(今日はこれには触れません。長くなりすぎるので)ケベック州政府のフランス語第一主義はかなり徹底していて公共の場で表示を出すにはフランス語を他の言語より大きく表示すべしという法律があります。かなり以前に中国系の病院で中国語表示がフランス語より大きかった為法律に違反、すべて表示を書き換えろということがニュースで取り上げられていました。病院側曰く、中国語だとフランス語と比べて短いのでバランスを取ろうとすると文字が大きくなってしまうということ。すべての表示を書き換えるのにはかなりの費用がかかるんだが…と嘆きの声が。トロントから初めて列車でモントリオールに着いたとき、駅のSUBWAYで何かを頼もうとして困ったのを思い出します。フランス語でa,b,c…をどう発音していいのかもわからない状態でお店に入ったのですがメニューはすべてフランス語。世界各国からの観光客が来る可能性のあるVIA(国鉄)の駅でですよ。お店の人はかなりクセのある英語を話すし、私の英語力もたいしたことないのでコミュニケーションに困ったぁ。思わず、『どうして英語の表示ないの?』と文句言ってしまいました。そのとき返ってきた言葉が『法律だからしょうがないんだ』のちにフランス語を習ってフランス語ではhは発音しないと知って『Are you angry???』は『Are you hungry???』のこと、よく耳にする『ear』は『here』または『hear』のことと分かりましたが。英語が世界中に溢れているのは周知のこと。日本語の中にもカタカナに姿を変えて入ってきた英語は無数にあります。中には意味が良くわからないまま使われていたり、元の意味と異なったニュアンスで使われている単語も多いのでは?それが決していいことだとは思いません。でも自国の言葉を守りたいが為に生活をスムーズに送れないような馬鹿げた法律を作って取り締まるのもどうなのかなぁ。そうそう、もうひとつ馬鹿げた法律というと両親のうち少なくとも一人が英語系の学校を出ていないとその子供たちはフランス語系の学校に行かねばならぬ。つまり両親移民者の子供たちは自動的にフランス語系の学校送りです。このようなフランス語第一主義のせいか、バイリンガル都市であるはずのモントリオールで完璧なバイリンガルの人間を探すのってとても難しいんです。子供の頃からバイリンガルに慣れるべき環境にいながらもったいないなと思っているのは私だけじゃないと思うんですが…。
2006年01月03日
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カナダの-ケッベクの-お正月は普段のお休みの日とそれほど変わらない一日です。移民の国と言ってもやはりキリスト教人口が多いのでクリスマスは盛大にお祝いしますがお正月はあくまでもその続きという雰囲気。友達や親戚などにもクリスマスカードに新年の挨拶も添えて…もちろん年賀状なんてありません(笑) 会社や学校も早いところは3日から始まり、お正月ののんびりした雰囲気を味わう暇もなし。ニューイヤーズ・イブの夜、若い子達は友達と連れ立ってバーやイベント会場へ行きカウントダウンを楽しんで帰宅。1日はお昼頃にゆっくりと起きだすといった具合。結婚した若いカップルや両親が離婚した子供たちは、クリスマスは片方の親の所で、ニューイヤーはもう一方の親の所で過ごす人も多いらしい。クリスマスパーティーが2回って感じですね。2回とも伝統的なクリスマス料理のターキーを食べるんでしょうかねぇ?スーパーマーケットなども普段よりは営業時間は短いけれども朝から夕方頃までは開いているので特に年末の買出しをする必要もない。もちろん2日も開店します。おせち料理もないので大晦日に朝からバタバタと準備必要もない。日本のように年末の大掃除なるものも存在しないようだ。確かに外がマイナス10度だと窓を拭いていると凍り付いてしまうかもしれない。そのためか、ここではスプリング大掃除といって雪が溶け始めた頃の掃除が一年の中で重要な行事のひとつになっている。日本の年末の大掃除の変わりかな?TVも日本と違って年末年始特番のようなものは少ない。個人的に日本の年末年始特番はろくなものがなく、最後に日本で過ごしたお正月数年はいつもビデオを借りて楽しんでいたけれども、子供の頃は大掃除、おせちの準備が終って年越しそばを食べながらレコード大賞、紅白歌合戦を見てゆく年来る年が始まるとお風呂に入り、除夜の鐘を聞きながら布団に入ったもの。お正月3ヶ日は新春かくし芸大会をおこたに入ってお菓子やおせちをつまみながら見たもんだ。今年はそれなりに日本的な年越しをしたいなぁと思い、年末に大掃除を始めた。始めたのはいいがまだ年が変わっても完全に綺麗に片付いたわけではないが…(笑) 大掃除の合間に年越しそばを作って食べ、元旦には我が家の伝統のお正月のお雑煮-白味噌に大根を入れたお雑煮を味わった。歯ブラシ、タオルなど新年用に新調し、それなりに日本的な新年の迎え方を準備したはずなんだけど、やっぱり年を越したっていう実感がしない。何かが欠けてるきがするなぁ。
2006年01月02日
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明けましておめでとうございます日本ではもう新年の朝。こちらはまだ2005年。必死に追いつこうと大掃除に励んでいます。でもやはり14時間の時差は大きい。新年を迎える準備が整っていないので私にとってはラッキーなのですが…(=^^=) BLOG歴は約1年。日々の出来事はENTERから入って『日々のお話』に綴っています。こちらのBLOGでは今まで以上のことが出来そうなので移ってきて「1月1日に開設するぞ~っ!!!」と豪語してしまった為、まだまだ不備な点はありますがとりあえず記念すべき2006年元旦に見切り発車してしまいます。まだまだ初心者の域を脱していないのでアドバイスなどあればよろしくお願いします。そろそろ大掃除の休憩時間も終了!Eカードも出し終わっていないのでこれから頑張ります。夕方からはお食事会だというのに…きれいさっぱりで新年を迎えられるのだろうか? (・ ・;))。。オロオロ。。''((;・ ・)2006年が希望に満ちた素晴らしい年になりますように。
2006年01月01日
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