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またまた期間が開いてしまいました。その間、PCが動かなくなったり風邪を引いて寝込んだり…ろくなことはありませんでした(涙)今回の風邪はかなりきつく周りの人に聞いていいと言われる物は食べ物であれ飲み物であれ薬であれ可能な限り試したのですが…まだゴホゴホと咳き込んでいますその中のひとつGrean beansを煮たものを飲むと解毒作用があるとか。えっ??? Grean peasじゃないの???何度も聞きなおしてもGrean beansらしいネットで調べてみたら…ありました!Grean beans!インゲン豆のことらしい。そこで疑問が…BeansとPeasってどう違うの???またまたネットで調べてみたら…Peasは植物学的にはフルーツに属すらしいで、Beansは野菜らしい野菜とフルーツの定義ってなんだろう?………………………とにかくGrean beansとGrean peasの存在確認だけはとれました♪
2007年11月04日
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先週と今週日本は3連休なんですね。日本は働きすぎの国と言われるて政府が意図的に祝祭日を作って結構お休みの多い国。ケベックのStatutory Holidayいわゆる法定祝祭日は1年間でたったの8日。なんか物足りないなぁ~新年は2日から活動開始。4月初旬 イースターフライデイ5月24日 ビクトリアデイ6月24日 ケベックデイ7月1日 カナダデイ9月3日 レイバーデイ10月第2月曜 サンクスギビングデイ12月25日 クリスマスTHAT'S IT!です。クリスマスに会社によっては2日お休みになったりするものの上記以外は会社として休む必要なし。日本よりは長期有給が取り易いもののもう少し法定祝日が欲しいなぁ~。
2007年09月23日
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最近のニュースのひとつヴェールを被ったイスラム女性に選挙権を認めるか否かヴェールといっても髪の毛を隠すだけのものではなく真っ黒で頭からすっぽり被り眼の辺りだけ編み目になったものもちろん顔の判別なんてできない確かにあんな格好をしていると中に男性が入っていても誰も気づかないだろう本人確認なんてできる訳がないどうして今まで問題にならなかったかのか不思議である彼らは宗教の自由だと言うけど…自分達の国を出てカナダに来た時国境でどうしたのだろう?パスポートに載せる写真はどうやって取ったのだろう?他の国で住むと言うことはDo as the Romans doDo as you do in your own countryのバランスが必要なんだろうね
2007年09月12日
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仲良くしていたイタリア人夫婦が今月末モントリオールを去ります。イタリア政府から派遣されモントリオールの大学で伊文学を教えていたのだけれどもそのポストが急になくなりクロアチアへ派遣されることに。二人ともモントリオールが大好き。将来移民まで考えていたのでショックを隠し切れない様子。2年後政府との契約が切れたら移民して戻ってくると約束して彼らの大切にしていた植物やお気に入りのランプを預かります。この二人は約束したことは守り時間にもきっちりしていて私の中のイタリア人のイメージをすっかり変えてくれました☆ラッキーなことに今はネットが世界中どこにいても繋いでくれる。こういうお友達とはこれからも長いお付き合いをしていきたいです。
2007年08月19日
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IranとIraq…日本語でも英語でも一字違い。この2つの国はお隣同士。昔、長い間戦争してたよね。イランでは『おしん』が大流行。とっても親日派の多い国。イラクは…戦争のイメージしかない。だけどこの二つの国似ていて全く違うんです!イランはペルシャ人の国。イラクはアラブ人の国。ペルシャとアラブはどう違うの???ペルシャ語とアラブ語も見た目良く似てるけど…ペルシャ語はインド・ヨーロッパ語族アラビア語はアフロ・アジア語族良くわかんないけど…全然ルーツが違うらしい。最近この2つの文化の違いにちょっと興味を抱いています♪
2007年08月14日
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この週末、天気も良かったのでちょっと遠出してきました♪街中からバスに乗ること1時間のんびりとした小さな町に到着ちょっと前まで知らなかったけどカナダの歴史的観光地区として登録されているらしい1800年代に建設された運河の町セントローレンス河の交通の要所今は・・・小さな田舎町。川沿いのレストランには観光客。運河沿いの遊歩道から見ると順番待ちをしてるレジャーボート。空が青く、広くて。夏の陽射しを浴びてのんびりと素敵な午後を過ごしました♪
2007年08月06日
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10日程前まで知らなかったんだけど…1970年に法律で決められた7月の後半の2週間、建設業界の為の夏休み。この時期、建設業界以外でも夏休みを取る人が多いんです!今年もこの夏休みの初日アメリカとの国境に長蛇の列。何千人ものケベクワが国境を超えバカンスに出かけたそうです。そう言えば最近地下鉄が空いてるなぁ~と思ってたんだよね。私はというと…Construction Holidayに関係なく毎日働いております!!!この時期、仕事もあるし学校もあるしどうせ休み取っても何処もいけない。だから夏の間は働いてクリスマス+ニューイヤーに3週間のお休みをもらうことに。日本じゃ考えられないっ!まだまだ先だけど楽しみ~♪
2007年08月04日
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ちょっと前にケベクワの友達と『なんで?』と思うことが立て続けに起こりました。4年以上も住んでるのに今更カルチャーショック???ちょっと凹んだかも…ここで生まれ育った人でも英語系と仏語系は水と油。同じフランス語系でもヨーロッパとケベックではこれまた水と油。共通点のかけらもない日本人。理解できないことがあっても仕方ないことだよね~。ある意味『文化の違い』って人間関係スムーズにするひとつの手段かも?でも・・・『文化の違い』を感じる度にまだまだ異邦人だなぁ~と考え込んでしまうかも。
2007年08月02日
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1年以上放置状態だったこのブログ。放置期間中に遊びに来てくださった方・・・ごめんなさい・・・1年間バタバタと過ぎていきようやくちょっと一息つけそうな予感。なので…ここのブログも復活させようかなぁ~と。背景も変えて気分一新してみました♪ところが・・・放置期間中に機能がたくさん増えててまたまた一からの出直し・・・ llllll(-ω-;)llllllガーン…焦らず、慌てず、諦めず…のんびりマイペースで行きます!!!
2007年08月01日
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カナダで正式な書類を提出する際のMARITAL STATUSはかなり複雑です。日本だと未婚・既婚・離婚の3種類くらいだがカナダではSINGLE、MARRIED、SEPARATE、DEVORCED時々COMMONLAW PARTNERというのまであります。シングルマザーなんて良くあることだからカナダに来た当初、MARITAL STATUSを聞かれSINGLEといった後で「子供は?」と聞かれ「なんて失礼な!」と思ったことがありましたがそれも当然のことだったんです。カナダ人の友達と話をしていると時々「BIOLOGICAL FATHER」と言う言葉を耳にします。これって両親が離婚して今は母親の新しい旦那さんと一緒に生活しているからその人がお父さん。もともとの遺伝子をくれた人がBIOLOGICALなお父さんなんだなと思って聞いていたのですが、実は少し前までそんなに簡単な事ではなかったそうなんです。JさんとHさんは結婚していましたがうまく行かず、SEPARATEすることに。その後、女性HさんはAさんと出会い一緒に生活、1974年に女児を生みました。数年後、やはりうまく行かなくなったHさんとAさん、子供の養育権などについて争います。当時、ケベックの法律では『Father of a child with a married woman is her husband』 つまり、当時HさんはSEPARATEしていたがまだ法律上正式にDEVORCEしていない。つまり前の夫はまだHさんの旦那さん。なので、女の子のお父さんは法律上、何の関係もないJさんになってしまうのです。そしてBIOLOGICALなお父さんであるAさんは法律上赤の他人。母親が拒否すれば子供の養育権も定期的に子供に会うことも法律上許可されない。なんかすごく変な状況が発生するのです。Aさんが敗訴してから10年ほど経ち、Hさんは亡くなってしまいます。当時、子供は16歳、保護者の必要な年齢。そこで、Aさんは再び親権を求めて裁判所に訴えます。80年代後半にケベックの市民法はかなり古く、現在の社会の仕組みを反映していないと言うことで見直しが始まります。『Father of a child with a married woman is her husband』 という文言も見直され、子供の意志の確認もされAさんは最終的に勝訴。子供の親権を勝ち取ることができました。この80年代後半の市民法の改定までケベックではローマ法典を軸にして作られたナポレオン法典をほとんどそのまま改編もせずに使っていたとか。歴史で習ったナポレオン法典がつい最近までこの土地で使われていたというのは驚きです。社会の仕組みも人々のモラルも当時からかなり急激な変化をしているはずなのに…。家族のあり方は徐々に変化していて新ケベック市民法でもカバーしきれない落とし穴があるはず。そういうトラブルを避けたい為か、女性も男性もできるだけ法律上ややこしい結婚というSTATUSを避ける傾向にあるようです。
2006年06月05日
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SPRING 2006に写真を3枚追加しました。天気が良いと気温は30度前後まで上昇しますが曇りや雨だと20度くらいまで急降下。まだ夏と言うのにはちょっと早いかなと思ってSPRINGアルバムに追加です!ブリーディング・ハートこの花日本にもあるのでしょうか?モントリオールに来て初めて見てピンクのちっちゃいハート型がすごく可愛いなぁと思いました。名前が『ブリーディング・ハート』てロマンティックな響き。5月頃にしか花を見たことないのでこの時期を逃すと来年まで見ることができません。真っ白バージョンもたまに見かけますがやっぱりピンクと白のほうが可愛いかも?通勤路の並木道 仕事を始めて3週間終了!我が職場は住宅街の中にあるので地下鉄を降りてこんな感じの並木道を歩くこと6・7分。今まで雨続きだったので気がつきませんでしたが、太陽が出ると木漏れ日の中すごく心地よい散歩道になります。Convocation Day 先日、無事卒業しました!カナダでは卒業のことGraduationではなくConvocationというのですね。それともモントリオールだけ?この時期皆さんの卒業を祝ってキャンパスのあちらこちらに赤と白のバルーンの飾りつけ。どこでの紅白ってめでたい色なんですね。古い建物と紅白のコントラストがいい感じだったので撮ってみました。その他の写真はコチラへ。
2006年06月03日
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外国人の友達とメールのやり取りをしていて思うのはいわゆるチェーンメールがよく回ってくるということ。チェーンメールと言っても『何人に回さないと不幸になりますよ!』みたいなメールではなく『これを友達や家族などあなたの大切な人とシェアしてください。』的なもの。基本的にチェーンメールは嫌いなので私のところで止めてしまうことも多いのですが、中にはいいものもあってそういうものは友達に送ってシェアしていますが…。このチェーンメールも文化的背景があるなぁと思う今日この頃。英語系(アメリカ人)の友達が送ってくるものは社会を風刺したジョーク系が多いのです。娘にバービー人形を買うためにお店に入ったお父さん。いろんなバービーが並んでいます。Work out Barbie for $19.95Shopping Barbie for $19.95Beach Barbie for $19.95Disco Barbie for $19.95Divorced Barbie for $265.95「どうしてDivorced Barbieだけ高価なの?」と質問するお父さん。お店の人が即座に答えます。「Divorced Barbieには以下のものが付いてくるからです。」Ken's Car,Ken's House,Ken's Boat,Ken's Furniture,Ken's Computer and...One of Ken's Friends.それに引き換えフランス系(ケベック人)の友達が送ってくるのは人生どんな風に素敵に生きるかというモラルベースのものが多い。少し前に受取ったメールの中に素敵な表現がありました。『Aujourd'hui est un cadeau, c'est pourquoi on l'appelle présent.』(今日というのは贈り物である。だから『今』のことを『PRESENT』と呼ぶのだ。)この語源が本当かどうかは別として『今』を大切にしなければと再認識させてくれる素敵な言葉です。「なるほど~」と納得してしまいました。どっちのタイプのチェーンメールが好きかということになると… 真剣に人生を考えるのもよし、笑ってストレス解消するのもよし。その日の気分次第かも…。
2006年06月02日
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子供の頃から本を読むのは好きだ。物心ついた頃から『うさこちゃん』や『グリとグラ』、『ひとまねこざる』シリーズなどを読んでもらうのを楽しみにしていた記憶がある。小学校の頃にはもらったおこずかいをつぎ込んで『世界名作集』やら『シートン動物記』『赤毛のアン全集』などを読み漁っていた。中学・高校とかなりハードなクラブ活動で週末も練習やら試合続き、読書の時間など取れる筈もなく自然と読書から遠ざかっていった。大学に入学してからは少しずつ読書にさける時間ができ読書生活が復活。数週間前に日本の友達から荷物が届いた。その中に私の大好きな作家宮本輝さんの本が入っていた。日本にいる時には彼の新作が出るたびに文庫本を買って読んでいたが、ここでは日本の本など買える事もなく最近の彼の作品は長い間読んでない。去年の夏に同じ友達が送ってくれた『星宿海への道』と今回の『森のなかの海 上下』だけ。このふたつともとてもいい作品で寝る間も惜しんで読みふけってしまいました。今回の『森のなかの海』は上下を合わせて約1000ページの大作。金曜の夜からまる一日で読破してしまいました。宮本輝さんの本に始めてであったのは『ドナウの旅人』。当時、ドイツに興味のあったわたしはドイツ関係の本を見つければ買って読んでいました。その後、縁があってドイツに1年間滞在。なかなか長期のお休みは取れませんでしたが時間が許す限りドナウ川に沿って旅をしてみました。ドナウの発祥地として有名なドナウエッシンゲンというところにあるお屋敷を訪ねたのはもちろん、そこから更にバスを乗り継ぎそこから小一時間歩き地下から2つの源流の水の湧き出す所まで遡ったり。約3000キロにわたってヨーロッパを横断したドナウ川が黒海に注ぐドナウデルタまでいろんな国を流れるドナウの表情を見てきました。私のHNである『sulina』というのはドナウ川流域の最終の町、というか村。宮本輝さんの本の中でも終着点になっているところ。どうしてもそこへ行きたくて電車を乗り継ぎ、最後は船でドナウデルタを渡り到着したところ。人的なものはほとんど何もなく、ホテルもたった1軒。あとはぽつりぽつりと建つ人家があるだけ。広大な湿地の中には数多くの野生の動植物が生息していて人間の存在がなんて小さいものなんだろうと気づかせてくれるところです。4人が乗ったら半分沈みそうなモーターボートに乗って『Unde este Pelican???』 (ペリカンはどこ?) と唯一教えてもらったルーマニア語を口にしながら野生のペリカンを見に連れて行ってもらいました。言葉が通じなくても人々の素朴さと暖かさに触れ、自然の偉大さを教えてくれるところ。すごく気に入ったので勝手にHNにしてしまいました。基本的に一度読んだ本は二度と読み返すことのない私ですが、この『ドナウの旅人』だけは忘れた頃に本棚の奥から引っ張り出してきて読みたくなる本。初めて読んだ時から10年以上経ち、その間に3回は読んだような気がします。今回のカナダ行きに持って来れなかったのは残念ですが…。その分他のいい本に出会えるかも?最近では語学の勉強も兼ねてフランス語の読み物が増えてきました。ありきたりですが『星の王子さま』の良さを再発見したり…。「次はどんないい本に出会えるだろう?」と思いながら、まずは時間をうまく使って読書の時間を捻出しなくては…。
2006年05月28日
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先週の金曜日、『The Da Vinci Code』が全世界一斉封切されました。この映画、カナダではかなりの話題になっていてかなり前からいろいろなところで話題にのぼっていました。先週、木、金曜の二日間に渡って朝の情報番組でロンドン、パリから生中継。教会関係者、一般市民の反応、舞台となった場所などを大特集で紹介していました。地下鉄で手に入るフリーの情報誌では数ページに渡って大特集。賛否両論をよんでいます。金曜の夜のニュースではモントリオールで映画を見た人たちにインタヴュー特集。モントリオーラーにはかなり評判のいい映画のようです。モントリオールはもともと敬虔なカトリック教徒のフランスによって建設された街。今でもダウンタウンの中心で初期に街が建設されたあたりは『Villa Maria』(マリアの街)と呼ばれています。それから数百年の間、カトリックはケベックに住む人たちの生活の中心。20世紀の半ば頃に人々の教会離れが始まったそうですが、1970年代前半にモントリオールの郊外に生まれた人たちは小学校などで宗教教育があり、毎週のように教会へ連れて行かれキリストの生涯の話などを強制的に聞かされたそうです。当時、クラスに一人いた7歳のユダヤ人の子供は『ユダヤがキリストを殺した!』という牧師さんの話で登校拒否を起こしたとか。それほどカトリックの力が強かったのです。どこの国にも罵り言葉というのは存在しますが、それはその国の文化と密接に関わりあっています。ケベック語はフランス語ですがもともとのフランス語とは全く違った罵り言葉が存在します。TabarnacleとCalise。フランスでこの言葉でののしっても誰も意味がわからないそうです。ケベック特有の言葉。毎日のように耳にするこの言葉、実はカトリック教会と密接な関わりがあるのです。私はカトリックではないのではっきりとはわからないのですがこの2つ、どちらもカトリックのミサの時に使われる道具だそうです。カトリック教会に反発した人たちが、教会内で使われる神聖な道具をいまわしいものの対象として使い始めたのが罵り言葉として発展したとか。私はまだa,b,cもよく覚えていない頃に言語好きなケベック人の友達に言葉の歴史として教えてもらったのですが、現代の若いケベック人たちはこの言葉のもともとの意味を良く知らないで使っているらしい。1週間ほど前に若者達が毎日使っている罵り言葉の元の意味を教えようとモントリオールのカトリック教会連合が教会の壁に大きな垂れ幕を張ったそうです。『Tabernacle=n.m. : petite armoire ferment à clé, qui occupe le milieu de l’autel et contient le ciboire畜生!(聖櫃)=祭壇の真ん中に備え付けられ聖体拝領のパンの器を入れている鍵のかかった小さなキャビネット』こういうモントリオールの文化的背景が、カンヌでかなりの悪評を得た『The Da Vinci Code』を単純にエンターテイメント映画として受け入れられたのかもしれません。久しぶりに面白そうな映画。私も時間が出来たら映画館に足を運んでみようかなと思っています。
2006年05月21日
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ブログを初めて既に1年半以上。(ラクテンさんではまだ半年弱ですが)ネットを通じて世界中の人と意見の交換ができたり、新しい発見をしたりネットの力って偉大だなぁと思うことが多いのですが、中にはマナーを守らない人っているんですよね。残念なことに…。私はラッキーなのか今までに個人的に中傷されるようなコメントをもらったことはないのですが(あってもきっと無視するのでそれを見越して誰も書いて来ないのかも???)今までに二つほど嫌な経験をしたこと(していること?)があります。一つは同じような経験をされている方が多いと思うのですがアダルト系サイトからのトラックバック。特にここ1ヶ月ほど記事を書くたびにすごい数のトラックバックがされてくるんです。もうひとつのブログの方でも以前毎回のようにトラックバックされたことがありかなり怒って『常識持てよ!』という記事を書いたのですがなんとそれにまでご丁寧にトラックバックして来られたアダルトサイトがありました。大マヌケです!最低限のルールとしてトラックバック先のブログの内容くらいは読むべきです。もうひとつのブログサイトは某社長が逮捕された会社なのですが去年末くらいから(?)アダルト系トラックバック禁止設定というのを作ってくれてそれの設定をやって以来二度と困ったトラックバックは入ってこなくなりました。できれば楽天ブログでもIPアドレスだけでなくカテゴリーとしての禁止設定を作って欲しいですね。二つ目の嫌な経験というのは著作権の問題。アルバムに出している写真にすべて『©sulina』というCopyrightを入れているのですが実はこれも去年盗作された苦い経験からです。ネット上のフォトアルバムを使っていたのですが、2日ほど前に登録したはずの写真が数枚たまたま偶然にインした時に最新写真としてトップに出ていたのです。写真の順番もそのまま。2日間も誰も写真をアップしないなんてあるのかなぁと思いながらその写真をクリックするとなんと全然知らない人のアルバムに飛んで行きました。そのアルバムに入っているのは見覚えのある私の撮った写真だけ。そこで素直に何もなかったように帰って来れない性格なので口調は穏やかに『ここにある写真、私が撮ったものだと思われるのですが…』と残してきました。その方たまたま同時期にインされていたようで5分もしないうちにアルバムごとID消滅。で、足跡機能というのは便利なもので10分もしないうちにその方がID変えて新しいアルバム作ったとこまでつかんじゃったんです(笑)その後、少なくとも私の写真は盗作されなかったので深追いするようなことはしませんでしたが…。私も自分の視点から見たことを好き勝手に書いているので他人を傷つけたり、嫌な思いをさせたりしていることもあるかもしれません。また言葉って文章にしてしまうと書き手の意志が読み手にうまく伝わらなくて誤解が生じたりということもありますが…。でもせっかくの楽しい交流の場なので最低限のマナーは守ってできるだけみんなが嫌な思いをしないよう環境になって欲しいですね。PS もうひとつのブログはここよりもっと地でいってるので聞き苦しい言葉使いがあればすみません。
2006年05月12日
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昨日ブログ再開を決心しましたが、前から考えていたフリーページに写真アップを半分ほど完了しましたのでお知らせします。91年のヨーロッパ旅行の時から写真に興味を持ち始め、帰国後頑張ってお金を貯め一眼レフを購入。当時はデジタルカメラではなくフィルム代もバカにならなかったのですがそれでも1年間のドイツ滞在では1千枚以上の写真を撮りまくりました。今回のカナダ滞在は漸くデジタルカメラを買ったので時々時間があれば思い出したように写真を撮って楽しんでいます♪貧乏学生なので安物のデジタルカメラ。それでもモントリオールの景色をみなさんと分け合えたらなぁと思い去年からの写真を徐々にアップしていきますね。そのうちスキャンができるようになればヨーロッパの写真も載せたいんですけどね (^-^ ) それではHOMEの日本語→アルバム、ENGLISH→PHOTOSまたはこちらからどうぞ。
2006年05月08日
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長い間楽天ブログお休みしてしまいました。その間にこれは書いたら面白いだろうというネタ集めだけはしていたのですが、しばらく文章を書かないと書き出すのが億劫になってしまって…。このままだと放置状態になりかねないので思い切って書き始めることにしました。集めたネタは少しずつ小出しにしていきますね。とりあえず今日は近況報告を。4月に学校のファイナル試験を終了。ひとつどうしても興味がわかず、勉強する気にもならずとりあえず落ちてもともとと思って受けた試験(中間はかなりひどいできだったにも関わらず…)が無事パスしておりました。これで5月31日に卒業です!ただ、ちゃんとしたタイトルを取る為に国家試験を受けようと思っているのでそれに必要なコースをいくつか取らなければならず、今も週3日学校に通っています。これは結構興味がある内容なので、頑張れるかな?以前にコースを一緒に取った友達と一緒だし。勉強はやっぱりお互い励ましあってやらないと気力が続かなくて…。学校が一段落したので、正式に職探しを始めました。簡単な会計の知識とExcelの知識を調べるテストをコンピューターを使ってやらされるとこが多く・・・。結果はかなりいい結果で驚かれるんですが、次に出る言葉は『カナダの職経験がないですからね~』。そんなことを言ってたら一生カナダでは働けないってこと??? で、先日はエントリーレベルの職に応募してきました。ここでもExcelのテストはなかなかいい結果。人の履歴書を見た後でインタヴュアーの言葉。『かなりの職歴も学歴もありますがここの仕事では満足しないのでは?どうして応募されたんですか?』さすがに、『ただ単にカナダでの職務経験が欲しいから』とは言えず…。確かに、この職種ではかなりの経験を日本で積んでいます。なのに、カナダの職務経験ゼロ。カナダの学歴もなし。これでは仕事見つからないよと言われ、いやいや2年以上の学生生活に戻ったのに…。経験がないと言われたり、職歴、学歴がありすぎだと言われたり。そろそろ貯金も底をついてきたし…さて、どうすればいいのかな?最後にモントリオールにも少し前から漸く春がやってきました。カフェやレストランもテラスをオープンし始め、街には観光客も増え、みんな半袖、ノースリーブ、サンダルで歩いています。今日は雨で少し肌寒いですがもうそろそろ冬物を片付けても大丈夫かな?先週から少しずつセーターを洗って片付けています。野菜やフルーツも数が増え、値段もお手ごろになってきて…。今が一番過ごしやすい季節です♪
2006年05月07日
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カナダもかなり暖かくなってきました。コートを脱いでフリースだけでも昼ならOK。といってもまだ気温は10度前後ですが…。日本ならまだ冬ですよね。最近、カナディアン化してきたのでは?と少し恐れています(笑) この時期になると増えてくるのが日本からのワーキングホリデービザを持ってやってくる若者たち。今年は約5000人がこのビザの発行をしてもらい、1年間カナダで仕事をしてもよし、勉強をしてもよし、と言うことでやってくるそうです。年齢制限、30歳まで。なかなかいい制度ですね。最近はドイツやフランスでも日本人に対してワーホリビザを出してくれるらしく。。。羨ましいかぎりです。カナダといえばバンクーバー、トロントというイメージが強くモントリオールはあまり知られていないのですが、いったん西に入ったワーホリの方がモントリオールに着いて驚くことがいろいろあるようです。その中でもダントツなのが「え?英語が通じないの?」ということ。確かに、ガイドブックなどにはバイリンガル都市モントリオールなんて書かれていますがオフィシャルランゲッジはフランス語のみ。モントリオールでは英語はオフィシャルランゲッジではありません。断言!マクドナルドやSUBWAYでもメニューはフランス語のみのとこもたくさんあります。運がよければ小さい文字で英語が書かれていますが。ダウンタウンでは基本的に英語・フランス語どちらも通じますが、そこから東へ行くと基本的にフランス語エリア。家賃の交渉もグローサリーの買い物もほとんどフランス語のみと考えた方がいいでしょう。逆に、ダウンタウンから西へ行くとアングロフォンの数が増え、また移民者で英語のみしか話せない人たちが多く住んでいるので、かなり英語が通じるとこも増えてきます。こういう情報って家探しに必要なんだけどガイドブックには載ってない。なので、初めてモントリオールに着いた人たちは苦労するんですよね。フランス語を勉強してモントリオールにやってくる人達もかなりショックを受けます。「フランス語が全くわからない。こんなはずじゃないのに。。。」と。私はケベック以外でフランス語を勉強したことはないのですが確かに学校で習う言葉とお店や道で聞く言葉にはかなりの隔たりがあります。はっきり言って全然ロマンティックじゃない。ちょっとドスが聞いてて下品です。(笑) これがいわゆるケベックワ。発音も使っている単語も標準フランス語からはかなり遠いです。フランス人がケベックにやってきてこのケベックワをほぼ100%理解するのに丸1年かかったというのですから…納得。標準フランス語を第二外国語として習ったものにとっては全く理解できないのも当然。ケベックワについては後日改めて書いてみようかなと思ってます。この基礎知識をもってモントリオールに来れば、それほど大きなショックを受けることなく自然に街に溶け込めるのでは?街自体は北米にあってヨーロッパ調のたたずまいを残していて私は大好きです。これから夏にかけていろいろなフェスティバルが盛りだくさん。楽しめること間違いなし。最後に一つ忘れていました。カナダって涼しいイメージがありますがモントリオールの夏は暑いです。35度くらいまで気温は上がります。冬はマイナス20度、夏は35度。気温差50度以上。人間の住むとこじゃないですよね。(笑) 日本と比べると真夏日の期間は短いですが。。。暑さの苦手な私にはこれは大きな誤算でした。
2006年04月11日
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アメリカとカナダの国境越えがまた一段と難しくなりそうです。記事はコチラ。9.11のテロ以来アメリカが国境警備に力を入れているのはよ~くわかりますが何も周辺のメキシコやカナダのせいにしなくてもいいんじゃないの?!と物申したい。2004年の夏にバスで国境越えNYCまで遊びに行ったのですが、その頃からかなり国境警備が厳しくなっていて日本人にもビザがいるとかという噂が巷に流れていました。で、アメリカ領事館に問い合わせようとしたところかなりアメリカ的なサイトなんですよね~。私が確認したかったのは週末だけNYC滞在にビザがいるかどうかということだけを確認したかったんですがとにかくそんな情報は載ってない。で、それ以外の用件についてはここへ連絡をと電話番号が載っているんですが法外な金額をチャージするんです!ちなみにカナダでは市内通話は基本料金を払えば何分、何時間かけようともチャージされません。どうせ電話したら音声案内でかなり長時間待たされかなりの金額をチャージされるのが想像されるので日本領事館に確認することにしました。そのときの話によると、ここ1・2年の間にバイオメトリックの情報の入ったパスポートを持っていない人間すべてにVISAを要求するとの事。2004年の段階ではその技術があるのは英国、日本のみ。但し、この2カ国でもすべてのパスポートのバイオメトリックへの移行するのに費用的にも時間的にも無理ではないか?とのことでした。そうなるとどうなるのか?急にビジネスでNYCへという事になってもビザの申請に数週間待たなくては。。。という状態に。いくらバブルの頃から比べると日本人観光客が減ったといってもまだまだNYCでショッピングで大金を落としていくのは日本人らしい。その観光客がビザの為にヨーロッパなど他の国へ移っていったら。。。ちなみに現在では日本で発行されたパスポートは機械読取式でそれを持っているとビザなし入国可能。もし海外などでパスポートを更新した場合は機械読取式でないのでビザの申請が義務付けられています。私のパスポートは機械読取式なのでビザは要りませんが日本とカナダの往復の為アメリカの航空会社を使いアメリカ国内で乗り継ぎというだけなのに指紋押捺、写真撮影がなされます。犯罪者扱いか?なので、必要最低限しかアメリカには足を踏み入れたくないというのが正直なところ。今回、アメリカはこの制度をNAFTAで友好国であるメキシコ、カナダにも要求してきたんですね。それでなくてもここ数年、国境警備がきつくなり、今までは10分ほどで通過していた国境周辺には長い列ができ1時間も待たされることもザラに。かなり不満の声が上がっています。はっきり言ってカナダ人もカナダ在住の各国からの移民者もアンチ・アメリカの人って多いんです。そうなるとわざわざ面倒くさい手続きまでしてアメリカに遊びに行こうと言う人はどれくらい残るのか?今後のアメリカの観光業の推移を見るのが楽しみです。逆に言えば、観光業が大部分を占めているモントリオールでもアメリカ人の観光客が減るのは目に見えてるかも?どっちの国にとっても利点はなさそうでス。ちなみにアメリカ人が日本や他の国を訪問する時って同じようにバイオメトリック情報入りパスポートを持ってくるんでしょうかね?もちろんそうじゃないときはビザを申請して。。。そんなことはありえないと思うのは私だけでしょうか?これもパワーポリティックスの賜物と諦めなくてはいけないのでしょうか?
2006年04月02日
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今日は4月1日。エイプリルフールです!朝から雨がしとしとと降り暗い一日。昨日から気温が急激に上昇し15度を軽く超えています。部屋の中はこれってなんかのトリック?と思うほど暑いです。窓を開けているのに半袖一枚で暑い~と思うくらいですからエイプリルフールで急に暖房が入ったのか?ところで、このエイプリルフール、フランス語ではPoisson d’avril (4月のお魚)といいます。もちろん初めて聞いたときはなんで?魚なの?と思い何のことだかさっぱりわかりませんでした。その後何度かこの時期になると色んな人に聞いてみるのですが未だにちゃんとした回答を得れずじまい。フランス語の先生に聞いてもわかりませんでした。で、芸術学部の生徒である一人のカナダ人の話によると。。。中世ヨーロッパでは現在とは異なるカレンダーを使っていたらしくそれによると新年は4月1日に始まっていたそうです。これって今の日本の年度の考え方にあっているのでもしかして日本もこのカレンダーの影響を受けていたのでしょうか?で1565年1月からグレゴリウス暦の導入により新年1月1日が始まることになったそうです。ただ、習慣と言うのはなかなか変えることができないもので翌年になっても4月1日にお祝いする人がいたのでその人たちをからかいはじめたのが起源だとか。日にちについては納得ですが『お魚さん』の由来は?これはいろいろな説があるようです。当時、カトリックの支配下にあったフランスの宗教的風習から金曜、日曜は肉ではなく魚を食べなければならなかった。という風習と関係があるのではという説。この時期、フランスでは魚の繁殖期になっているため漁師たちは魚を取ることが禁じられていた。川にニシンを放流する漁師たちいたずらをしたのが始まりとする説。ホロスコープでこの時期にうお座からおひつじ座へと移行していくからという説。などなどの説がありますがどれもいまいち説得力に欠けているような気がしますが。子供の頃から慣れ親しんできたエイプリルフール。もともとはグレゴリウス暦の発祥の地フランスが起源だったんです。イギリスやアメリカに普及されるのはその後徐々に広がっていったんですね。日本には多分アメリカからの西洋文化として入ってきたのでエイプリルフールという言葉が使われているので、てっきり現代にアメリカで始まったジョークの日なんだと思い込んでいました。こういうのってアメリカ人好きそうですものね。4月1日も残すはあと数時間。今年はなにか気の利いたジョークができるでしょうか?
2006年04月02日
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昨日から小春日和が続いているモントリオールです。少し前の新聞の記事で春の大掃除にモントリオール市が10millionsかけると言う記事が出ていましたが、こちらでは年末の大掃除より春の大掃除の方がポピュラーです。と言うことで私もここ何年もたまりにたまった紙類の整理を少し始めたのですが3年前にここに引っ越す前から持っていた英語関係の書類、はっきり言って3年以上一度も見ずに埃をかぶっていたので、思い切って半分以上捨てました。その束の中から発見した英語についての面白い詩をご紹介します。Spelling and Pronubciation in English - Help!(Just for Fun!)When the English tongue we speakWhy is break not rhyme with freak?Will you not tell me why it's trueWe say sew, but likewise few?And the maker of verse,Cannot rhyme his horse with worse?Beard is not the same as heard,Cord is different for word.Cow is cow, but low is low,Shoe is bever rhyme with roe.Think of hose and dose and lose,And think of goose and yet of choose.Think of comb and tomb and bomb,Doll and roll and home and some.And since pay is rhyme with say,Why not paid with said I pray.Think of blood and food and good;Mould is not pronounced like could.Wherefore done, but gone and lone...Is there any reason known?To sum up all, it seems to meSounds and letters don't agree.イタリック体で書かれているものは同じ綴りなのに全く発音が違う。それに引き換え2行ずつセットになっているんですがそれぞれの最後の単語は綴りが違うが韻を踏んでいる。英語の発音は難しいなぁ~ということですね。全くもって同感です。
2006年03月26日
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3月も半ばを過ぎ暦の上でも春になりました。日本にいると立春などといって暦の話がたまに聞かれるのですが、ここモントリオールでもケベック人はよく暦を使います。11月になると急激に気温が下がり雪が降り始め『寒い寒い。』と文句を言うと『暦の上ではまだ冬は来てないから』と言われ、3月後半のこの時期まだ気温がマイナス5度前後を行ったり来たりしているのに『春はもう来た。暦の上ではね。』と言われたりします。寒けりゃ「暦の上では」に関係なく冬だと思うのですが。。。ところでカナダのお土産と言うとメープルシロップ。このメープルシロップはカナダ全土で取れるのではなく紅葉で有名なメープル街道(ケベック州からオンタリオ州の一部にかけて)に沿っての地域がメープルシロップの故郷なのです。みなさんはこのメープルシロップに旬の季節があるってご存知ですか?メープルシロップはケベックの人たちにとっては大切な春の使者。その昔、開拓時代にやってきた人たちは長い厳しい冬の間、食べるものと言ったら保存のきく根菜類ばかり。ようやく春の足音が少しずつ聞こえるようになってくるこの時期、シロップの収穫を祝して盛大なお祭をしたのです。現代でこそ、冬でもレストラン美味しいものを食べたり、スーパーで高めの野菜を手に入れたりできるようになったのですが、それでもこの春のお祭りを楽しみにしている人は多いらしく、会社、学校、その他の団体などがこぞってSugar Shack(Cavane à Sucre)を企画します。この週末にSugar Shackに誘われました。残念ながらすでに別の予定があったので断りましたがモントリオールに来た年はもちろん参加しました。ダウンタウンから車で1時間ほど走った郊外には未だにたくさんのメープルの林が立ち並び、そこに文字通り小さな小屋がぽつんと立っています。そこがメープルシロップの精製場であり、このSugar Shackの舞台なのです。小屋の中には木製の長いテーブルとイスがずら~っと並べられていてそこに順次座り伝統的ケベック料理を民族音楽を聴きながら楽しむという簡単なもの。伝統的ケベック料理といってもオムレツやジャガイモ、ベーコン、ハムと言った質素なもの。それら全部に取れたてのメープルを心置きなくかけて頂きます。個人的にはベーコンやハムなどの塩味系はメープルなしが好みです。楽しみなのはTire de l’erable。氷のテーブルの上に温められたシロップを流し込み急激に冷やされて水飴状態になったものをアイスキャンディーの木の棒のようなものでクルクルと掬ってペロペロと頂きます。食事も一段落すると音楽に合わせて踊りだしたり、アルコールが入って話に花が咲いたり。いたって単純明瞭なお祭です。この時期、街中でも期間限定メープル商品が登場します。その中でもとても楽しみにしているのが某アイスクリーム屋さんのTire de l’erable入りアイスクリーム。一年を通してメープル味のアイスクリームはどこへいっても食べられるのですが、ここの期間限定はトロ~としたメープルがそのまま入ってるんです。モントリオールでは1年中オープンしているアイスクリーム屋は1件もありません。このお気に入りのお店も例外ではなく冬の間はお休みですが春の使者が到来すると冬眠から目覚めるんです。ガイドブックには載ってない民家の中に立っているこのアイスクリーム屋さん。モントリオールに住んでいる人で知らない人はいないというほど有名なとこで。ここを教えてくれたケベックのお友達と毎年この時期一緒にアイスクリーム食べ初めをするんです。早速今日にでもメールでお誘いしてみようかな?
2006年03月22日
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3月17日はSt. Patrick’s Dayです。St. Patrickとはアイルランドにキリスト教をもたらした聖人でアイルランドの守護聖人として慕われています。この守護聖人の命日3月17日は全世界に散らばっているアイルランド人の子孫たちがそれぞれの地でアイルランドの国に思いをはせながらお祝いする日なのです。モントリオールではフランス系につぎアイルランド系の人口が多いので盛大なお祭が行われます。モントリオール市の旗の構成を見るとモントリオールの歴史的ルーツが見て取れます。赤の線で4等分されたスペースの中にフランス・ブルボン王朝の紋章Fleur de lys (百合)、アイルランドの国花であるShamrock (クローバー)、イングランド・ランカスター家の紋章 Rose (薔薇)そしてスコットランドのThistle (あざみ)が描かれています。3月17日に一番近い日曜日にダウンタウンのメインストリートを通行止めにして大規模なパレードが行われます。今年は19日です。パレード自体はアイリッシュ系の子孫たちによって進められゲイ・パレードなどと比べると派手さに欠けますが、この日一日は街中アイルランドグリーン一色。パレードを見に来た人もこの日だけは緑を身にまとい一日アイルランド人に変身します。そのために1Dollarショップなどでは1ヶ月ほど前から派手な緑のシルクハットやシャムロックを象ったグッズがいろいろと売られています。こういうパレードを見に来た人の格好を見るほうが楽しかったり。で、パレードが終了するとアイリッシュバーへ直行。なんと緑色のビールまで出るそうです。お味のほうは。。。まだ試したことないのでわかりませんが。少しグロテスク?モントリオールと並んで北米ではNYC、ボストン、トロントなどのSt. Patrick’s Dayはかなり有名ですが、最近では日本でもパレードが開かれているようです。日にちは地方によってまちまちで規模もかなり小さいようですが、天気が良くて興味があれば一度覗いてみても楽しいかもしれませんね。各地のSt. Patrick's Dayの情報はコチラから。http://www.inj.or.jp/stpatrick.htmlおまけ-Shamrockについてヨーロッパでは三つ葉のクローバーは三位一体のシンボルとしてキリスト教と深い関係があります。そして数は少ないけど四つ葉のクローバーは十字架を表わし、日本でもよく知られているように幸福のシンボルでもあります。
2006年03月17日
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先週の土曜日、カナダに来て以来2度目のERのお世話になってしまいました。土曜は仕事が押していたので休日出勤。一緒に仕事をしていた人が食後急に嘔吐と下痢を繰り返し病院へ付いていくことにしたところが。。。病院についてしばらくすると同じ症状が始まり立っていることもできなくなりそのままストレッチャーの上で6時間点滴を打たれながら過ごすことになってしまいました。同僚は私より症状が軽かったのですが4時から受付をし看護婦さんに簡単な問診をしてもらいドクターに会ったのは午後9時過ぎ。もちろん彼もER扱いだったんですが…。ケベックで移民のステータスを取ると健康保険カードのようなものをもらえてそれを使うと一般の病院のサービスがタダで受けられるのです。2年前に初めてのER経験をした後も血液検査、レントゲン、エコー、CTスキャン、MRIなどのサービスをすべて無料で受けることができました。素晴らしいサービスでしょう?但し、『Patient should be patient!』なのです。つまり『患者は忍耐強く待たなくてはならない』のです。レントゲンを取ることになって予約を入れると半年先。で、レントゲンの検査の結果が出たらエコーもしましょうということになりまた。予約に半年待ち。その後のMRIでまた半年。そんなに待っていると体の状況もすっかり変わって回復しているか取り返しのつかない状態になっていることもあるのでは?以前に友達の奥さんが腹痛を起こし、掛かりつけの医者に電話をしたところ1ヶ月先に予定を入れられたという話も聞いたことがあります。何故こんなことになるのか?医者が不足しているのです。カナダにも医学で有名な大学はあります。ただ、こういう大学を出た優秀なドクターは給料のよりよいアメリカへ行ってしまうのです。誰でも同じ仕事をするなら給料がいい方が魅力的ですから。それに加えて、ケベック州でドクターとして働く為には英語・フランス語のバイリンガルでなくてはならないというのも大きな理由。中国からの移民者で神経学科卒業、その後モントリオールの英語系の病院で1年インターンシップとして働いていた女性とフランス語のクラスで一緒だったことがあります。彼女はレベル3で学校を去り、旦那さんのオープンしたレストランで手伝いを始めました。彼女曰く「フランス語は難しすぎる」とのこと。モントリオールのタクシードライバーの多くは自国で医者や弁護士などの専門職の方が多いという話も有名なこと。言葉と金銭的な問題からやりたかった職業を捨ててしまった方が多いんです。一方では医者を諦めざるを得ない人が居て、一方では医者が不足している。なんか皮肉な状況です。サービスを受ける側としてはバイリンガルの医者なんて必要ないんです。フランス語系の大学の傘下にあるCHUMと英語系の大学の傘下にあるMUHC。患者が自分の話す言葉に基づいて行く病院を決めれば問題ないこと。救急で病院へ行きバイリンガルのドクターに診てもらうのに5時間待たされるより、英語オンリーのドクターに(もちろんちゃんとした資格は必要ですが)1時間待ちで診てもらう方が良いと思うのは私だけではない筈。現状では誰も満足できていない状況。近いうちに改善されるといいのですが。余談ですが今回のER体験の後に教えてもらったのですが、Walk in Clinicというのが各地区にあるらしい。そこならもっと早く診てもらえるということを聞きました。但し、週末、休日にやっているのかは不明。そして病院のように場所がはっきりしておらず、検索しにくいのも問題のひとつ。元気なうちにこういう情報は調べておいた方が良さそうですね。
2006年03月15日
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KIRPANとはインドのシーク教徒の男性が腰にいつも携えている短刀のこと。これはシーク教徒が頭に巻いているターバンと供にシーク教徒の5つあるシンボルの一つだそうです。今まで知りませんでしたがかなり立派な刃渡り20センチくらい(写真でしか見ていませんが)で少しカーブのある立派な武器の一つです。今まで名前さえ聞いたことがなかったKIRPANが先週の新聞の一面を飾りました。今から4年前、モントリオールのある学校が12歳のシーク教徒の男子生徒がこのKIRPANを携帯しているという理由で通学拒絶。この男子生徒はその後私立学校へ転校したそうです。似たような議論はシーク教徒の多いBC、オンタリオ、アルバータなど、またアメリカでもカリフォルニアで問題になっているそうです。この事件が裁判になり先日カナダ最高裁判所の判決がでました。結果は宗教の自由、マイノリティーの人権尊重などの理由により学校側の敗訴。これからは正々堂々と学校へもこのKIRPANを腰に携えて通学可能になったそうです。移民の国として、宗教の自由、マイノリティーの人権尊重は重要問題のひとつ。基本的にカナダはマイノリティーに対しておおらかで人種の多様性を誇りにしている国。それぞれの文化を守りながらうまく融合してカナダ人となっていくケースが多いようです。そこがカナダの好きなところなんですが。但し、全く人種差別がないとは言い切れず、やはりユダヤ人学校が荒らされたりといったHate Crimeもここ数年何度かニュースで見ました。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も元を正せば同じルーツを持ったもの。途中から枝分かれし3大宗教に発展したもの。問題なのは他人種、他宗教への知識と尊敬の欠如。自分たちが一番と思い込んでいるところでしょうか?周りにはユダヤ、ムスリム、カトリック、プロテスタントなどいろんな人種の人たちがいます。無宗教の私は他人が何を信じようが全く構わないのですが、他人を尊重せず、自分たちの考え、慣習を押し付けてくる人とはやっぱり付き合いがたいです。宗教の自由、マイノリティーの人権尊重は大切ですが、それはあくまでも一般社会の秩序を乱さないことが条件。当然といえば当然ですが、先に述べたKIRPANも武器の一つになるのでさすがに飛行機に乗るときには持ち込み禁止になっているそうです。ティーンネージャーが刃物を持って登校。傷害事件が発生しないといいんですがね。
2006年03月06日
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Someone who is not officially a wife or husband but is considered to be one because she or he has been living with their partner for a long time(Cambridge Dictionary)The person of the opposite sex or of the same sex who had been living in a conjugal relationship with you at least 12 consecutive months… was living in a conjugal relationship with you and was biological or adoptive parent (regally or in fact) of a child of whom you were also the parent. (Canadian Tax Act)カナダでは、特にケベックで多いように思うのですが、一般に法律上結婚するということを避ける傾向が多いようです。私の予想だと20から30年前までかなり厳しいカトリックの統治下にあったにも関わらず、かなりの高離婚率のケベック州。ケベック人の友達で両親揃っているという人は「誰がいたっけ」と考え込むほど希少価値があります。一旦結婚して離婚すると複雑かつ高額な補償問題がでてくるということでDivorceよりはSeparate、それならはじめから結婚しなくてもいいではないかと考える人が多くこのCommon-Law Partnerの考えが広がったと思われます。ちょっと余談ですが、移民申請の折、Marriage statusの質問でSingleだと答えると次の質問が「子供は?」というので驚きました。それだけSingle Motherも多いんですね。Common-Law Partnerとは簡単に言えば、『二人の人間が12ヶ月以上婚姻状態で生活していると税法上この二人は婚姻関係にあるとみなされる。』ということなんですが、移民希望者たちは自分たちに都合のいいように『1年以上一緒に住んでいれば結婚したと認められる。』=『ビザがおりる』と考えている方たちが多いようです。ここで問題なのは「二人の人間」「婚姻状態」「税法上」の3つです。まず、去年同性間の結婚が合法的になったので「二人の人間」は必ずしも異性とは限らないこと。男性同士、女性同士でも構わないのです。ただ、日本と異なり部屋のシェアなどが普及しているモントリオール。同性、異性に関わらず、二人または数人でアパートをシェアすることって日常茶飯事なんです。そこで問題になってくるのが「婚姻状態」があるかないかの判断。これは難しいですよね~。周りの人たちが、「彼らは恋人同士だ」と証言して「はいそうですか」とはいきません。ちゃんと正式に書面で証明できるものが必要なんです。かと言って、「この二人は何月何日から結婚はしていませんが婚姻状態で生活しております」という書類にサインするのではなく。。。たとえば部屋を借りている場合、二人の連帯名義で借りてる?とか電話や水道代の請求書が二人の連名宛になっている?と言うことで判断されることが多いそうです。でも一番良いのは二人で生活を始める時に二人の連名で口座を開き、そこから家賃や光熱費などの支払を行うこと。確かに、赤の他人とは共同口座なんて決して持ちたくないですものね。ここまでうまく証明できたら、二人のCommon-Law Partnerの関係は立証されます!ただし。。。これはあくまでも税法上なんです。つまり、毎年4月末までに報告する税金申告の際に法律上正式に結婚している方たちと同じような優遇処置をしてもらえるということなんです。言い換えると、移民法上はやっぱり赤の他人なんですよ、正式に結婚するまでは。たとえ、Common-Law Partnerの座に1年居ても5年居ても『ビザがおりる』ということは永遠に来ないんですね。MarriedとCommon-Law Partner、まったく同じ権利を主張できるのでしたらわざわざ分ける必要ないですものね。
2006年02月27日
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前回はフランスがイギリスに負けケベックがイギリスの支配下に置かれたとこまで書きましたが、いつの時代も降伏した方には試練が待っています。宗教的にもカトリックと新教であるイギリス国教会など様々な違いのある中フランス系移民は宗教、言語の禁止などかなり虐げられたようです。そんな中、イギリス系の中でも分裂が起こります。英国国王支持派と反対派。反対派は現在のアメリカの地に残り支持派は現在のカナダへ。その際に国王支持派は反対派と対立する為にフランス系住民に宗教、言語などの自由を認めるというQuebec Actというものを発行しフランス系と和解します。アメリカは完全に大統領制の独立国家ですがカナダには現在でも連邦国家の役職の中にgovernor(植民地時代の)総督というものがあります。いわゆるイギリス国家のカナダでの窓口とでも言いましょうか。つい最近までは中国系女性がこの役を勤められており、少し前に初めての黒人のgovernor誕生と話題になっておりました。何故かこの方も女性です。カナダの20ドル札とコインの裏には今でもエリザベス女王の顔がはっきりと載っています。余談ついでに、エリザベス女王は定期的にカナダをご訪問されるらしいのですが、60年代にケベック州をご訪問の際、いわゆるケベック独立派の人たちにひどい出迎えをされたらしくそれ以来ケベック州には二度と足を踏み入れないとの話を聞きました。この英国国王支持派と反対派の争いに一応の決着がついたころ、カナダはアッパーカナダ(ケベック)とロウアーカナダ(オンタリオ)に区分され統合されます。しかしケベック内でPatriotという愛国者たちが現れ更なる自由の為に戦います。メル・ギブソンの『The Patriot』という映画はまさしくこの戦いを描いたもの。ケベックでは人気の映画らしく(当然ですよね)何度かTVで放映されているのを見ました。この戦いの後30年ほど経った1867年のConfederationによってカナダは連邦国家として成立します。当時会議に参加した州はOntario、Quebec、New Brunswick、Nova Scotia、Prince Edward Island(連邦参加は1873年)の5州でした。赤毛のアンで有名なPrince Edward Islandの州都Charlottetownで会議が開かれ現在、Prince Edward IslandとNew Brunswickをつなぐ約13キロの世界一長い橋はConfederation Bridgeと呼ばれています。一度渡りましたが本当に長い長~い橋でした。その後、Manitoba(1870)、British Colombia(1871)、Prince Edward Island(1873)、AlbertaとSaskatchewan(1905)、Newfoundland(1949)の順に参加これに3テリトリーを加えると現在のカナダ連邦が完成します。
2006年02月20日
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ステレオタイプとは-紋切型と訳され,先入観と同じ意味に用いられる。周りのうわさやマス=メディアを通じて,根拠があいまいなまま形成されていくものであり,一つの文化にかなり共通性がみられることが多い。社会一般に慣習とかしきたりのような安定した共通の行動基準がつくられるというプラスの面もあるが、一方では対人認知に誤解が起こり,偏見を生む素地にもなりかねない。外国人が持つ日本人に対するステレオタイプとはカメラを首から提げてグループで大移動。写真を撮りまくる。確かに一昔前はそうでしたが今では中国人、韓国人の旅行者の方がこういう人多いんですよね。まあ西洋人にとってはみんなひと括りアジア人なので仕方ないですが。ふたつめは最新技術に囲まれて生活している。つい最近までUSBキーを知らなかった私は友達に「オマエは本当に日本人か?」と言われたくらい。あと本にもありましたが『NO』と言えない国民と思っている人も多いです。曖昧な文化、人との関係を大事にする日本特有の文化ですね。未だにときどき物事をうまく断れなくて困ること多いです。友達同士ならこのステレオタイプを逆手に取って「私は典型的な日本人じゃない!NO!!!」って言えるんですがね(笑)そして最後は勤勉=よく働く。これは「確かに当たってる!」と思いますが、最近ではこの勤勉さも失くしつつあるような気がしますが。さて外国人が日本人女性に持っているステレオタイプとは…。残念ながらイエローキャブ的イメージが定着しているようです。最近の若い女性を見ているとわからないでもないですが(これもステレオタイプ?笑)ここまで定着しているということは昔からこういう傾向はあったんでしょう。ここケベックはカナダの中ではかなり性にはオープン。夏になるとオンタリオから若い子たちがひと夏を楽しみにやってきます。まぁ これもフランス人カルチャー(ステレオタイプ)ということでしょうか?確かにここの住人口はうまいです。冬は寒いのでとにかく早く暖かいところへと急いで歩いてるのであまり見かけませんが夏になるとみなさんナンパに必死です。それもいかにも短期滞在者を狙って。私も来た当初は「君はアジア一美女だ!」とブッと吹き出しそうなこと言われたこともありましたが、最近は年齢のせいか態度がでかくなって観光客のような初々しさがないためかこういう面白い言葉を耳にする機会がめっきり減りました(笑) カナダには毎年ワーキングホリデーでやってくる日本人女性がかなり多いです。時には初めての海外で言葉の壁や文化の違いに戸惑ってしまったり思っていたように物事が進まなかったり。そういうときに甘い言葉をかけられてついつい・・・という人たちが多いようです。金づるに使われたり、いらなくなったらポイっと捨てられたり。もちろん中には幸せに暮らしている方もいらっしゃいますが。でも悲しい話を聞くことの方が多いような気がします。確かに騙す男も悪いでしょうが、ワーキングホリデーで来ると言うことはそれなりに自己責任が持てる年齢。せっかくの機会を楽しく過ごせるように目標をしっかりもってカナダに限らず世界に出て行って欲しいですね。いいステレオタイプはそのまま残して、イエローキャブのような悪いステレオタイプは時間がかかるかもしれませんが汚名を返上したいですね。
2006年02月11日
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先日書いたケベックの歴史その1に関してJJさんから面白いコメントを頂いたのでそれについて書いてみようと思います。かなり昔、多分高校生の頃だったと思いますが似たようなニュースを聞いたことがあります。当時カリフォルニア在住の若い日本人カップルが、子供が病気になったので病院へ連れて行ったところ蒙古斑を幼児虐待と勘違い。大問題になったそうです。その話を聞いて以来、蒙古斑に関して興味を持ってしまいました。結構、奥が深いんですよ。2年半ほど前、フランス語の授業でプレゼンテーションをすることに。フランス語力のない私は難しい話はできないのでみんなが興味を持ちそうな『蒙古斑と言語』というテーマでプレゼンをしました。背景としては『日本人と中国人が全く別の人種であること。遠く離れた国だけどハンガリーやフィンランドの人たちはもともと同じルーツを持っていること。』を言語的、身体的特徴から理解してもらうこと。結果は皆さんかなり興味を示してくれました。当時、使っていたPCが潰れてしまって詳細のデーターは取れませんが以下のような内容でした。日本語はウラルアルタイ語といってモンゴルがルーツの言語。日本語に似た言葉としては韓国語が有名です。韓国人は同じアジア人だし身体的特徴もそっくり。だけど、同じアジアでも中国語は全くちがうストラクチャーを持っています。中国は英語のように主語、述語の順。その後に目的語が続きます。で、韓国人と中国人に聞いてみました。蒙古斑について。韓国人はかなり高い割合で蒙古斑をもった赤ちゃんが生まれてきます。それに比べて中国人は蒙古斑について知らない人も多い。チンギスハンが中国全土を支配したこ頃にモンゴル系の血が中国人にも混じったり、今でも偏狭の地に住む人の間にはでるらしいのですがその割合は全中国人の10%にも満たないとのこと。ヨーロッパを見て見ると…。歴史で習ったゲルマン民族の移動の原因になったフン族。彼らはもともとモンゴルの地に住んでいました。その人たちがヨーロッパへ向かい設立した国がフィンランドとハンガリー。そう言えばHUNまたはFUNって音似てますよね。ハンガリーを旅したときに昔の農夫の写真を見てビックリしたことがあります。親戚のおじさんにそっくりだったんです。ヨーロッパの国々に囲まれていることもあって言語的にも身体的にもいろいろ融合があってどう見てもモンゴル人には見えない彼らも実は蒙古斑を持った赤ちゃんの出生率は中国人よりもかなり高いそうです。で、言葉の構造を見て見るとEn Tokio ba megyek. (私は東京へ行く) EN=私、ba=へ、megyek=行くだそうです。他のヨーロッパ言語と違って前置詞ではなく日本語の助詞のようなものがあり、語順がそっくりでしょう?このプレゼンをやった後、クラスにいたハンガリー人はすごく驚いて「ハンガリー語はヨーロッパの中では特殊な言葉。周辺の諸国からハンガリー語は日本語のように難しいと言われている理由がわかった!」と言われました。北米大陸だとやはり大昔に海を渡ってきたモンゴル人がインディアンとして知られていますが、やはり蒙古斑をもっているらしい。知り合いのケベック人は3代ほど遡った中にインディアンの血が入っているらしいのですが、彼女の4人の子供の中で一人蒙古斑を生まれた子がいるそうです。インディアンは見た目もアジア系の顔ですよね。以前は映画を作るときに日本人や中国人の役によくインディアンの方たちが使われていたとか。インディアンの言葉については知りませんがいくつかの地名を聞くと日本語の音にとても似てるんです。KANESATAKE、OKA・・・。カナダもインディアンの言葉のKANATAからつけられた名前です。イヌイットの言葉には日本語特有の擬態語(ひらひら、ざーざーなど)らしきものがあるという話も聞いたことがあります。他にもポリネシアの島の中で言語的に日本語に近く、蒙古斑を持つ民族がいるそうです。やはり蒙古斑を言語、この二つには何か深いつながりがあるように思うのは私だけでしょうか?
2006年02月06日
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ケベック州を語るには欠かせないのが、英系VS仏系の対立・力関係。これは中世からの長い長~い歴史と深い関わりがあります。高校時代大好きだった世界史の知識とケベックで知り合ったフランス系の友達の話に基づいて簡単に歴史を振り返ってみることにしました。まずカナダの歴史の最重要人物、フランス人探検家Jacques Cartier。1534年に初めてカナダの土地に足を踏み入れます。この後、フランス人植民者たちがやってきて寒さと飢えと病と戦いながら毛皮の取引などをしながらインディアンと戦闘、和平を繰り返しながらどんどんと植民地を増やしていきます。この頃やってきたフランス人は男たちのみ。ということで、インディアンとの間に子孫をもうけたりしています。余談ですが、インディアンははるか昔にアジアから海を渡ってきたと考えられており日本人と同じ蒙古班があるらしい。なので、インディアンとの混血をしたフランス系の子孫の中にはときどき蒙古班をもった赤ちゃんが生まれるそうです。その後、フランス人はどんどん勢力を伸ばし、東海岸にできたアメリカ13州(イギリス系)の内陸側を五大湖周辺からミシシッピ川まですべて占拠。Detroit(デトロイト)は英語読みですがもともとは「海峡・狭くなるところ」という意味のフランス語。Louisianaはフランスルイ王朝の土地というのは有名ですが地図を良く見ると今でも沢山この地方にはフランス語の地名が残っています。カナダの東海岸に今でも残るフランス人たちのことをAcadianと呼ぶそうですが(名前の由来はよくわかりません)この人たちがイギリス人たちに襲撃された折、船に乗ってアメリカ大陸の南に到着。AcadianからCajunという風に言葉が変化したと聞きました。ケイジャンミュージック、ケイジャン料理というのは有名ですね。私は食べたことありませんが。ヨーロッパで英仏戦争が終結。敗者になったフランスは北米大陸でも領地をイギリス人に没収されます。最終的に残ったケベック州でも宗教的にもプロテスタントとカトリックと違いがあったため、イギリス人による宗教的・文化的(言語も含む)弾圧が。これが今でも英系VS仏系の確執になっているんです。現在、ケベック州の車のナンバープレートに必ず書かれている言葉『Je me souviens』(私は忘れない!)はこの当時のことを深く心に刻んだケベック人の気持ち。当事者でない私としては「ちょっと執念深いんじゃない?」と思ってしまうのですが歴史の残した傷跡ですね。ちょっと余談ですが、ケベック州ではナンバープレートは車の後方だけでOK。前方につける必要はないのです。初めて見たときは驚きました。たいていの車は前方には何も付けずに走っていますが、ここ数年、他国のナンバープレートを付けるのが流行らしくEU諸国のプレートをはって走っているのを良く見かけます。一度だけですが日本の長野ナンバーをつけて走っている車を見たことがあります。さて、ここから現代に至るまでのお話はまた日を改めて書いてみようと思います。つづく…
2006年02月04日
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以前の日記にも書きましたが今年のテーマは『ひと』がテーマ。まだ、今年始まって漸く1ヶ月が過ぎたとこですがいろんな成果が出始めました。ちょっと忙しすぎてなかなか日記も更新できずにいます。まず、1月第2週頃から漸くその気になってきた職探し。旧交を温める中でいろいろ職探しのヒントなどももらって数枚の履歴書を送りました。で、その返事が漸く1件返ってきたのですが・・・。採用担当者曰く「あなたはカナダでの職務経験はあるの?」「ありません。」「なら今まで働いてきた日本の会社の上司の連絡先教えて頂戴!こちらから連絡していろいろ確認したいことがあるから」「え。でも~。連絡取れるかどうかわかりません。仕事変わってるかもしれないし・・・。」「その裏が取れないとダメだから・・・。」まあ確かにどこの馬の骨ともわからない人間を取るのは問題があるのかもしれないが・・・。結局どうしても必要だということなのでテレホンカードを買ってきて14時間時差のある日本が朝になるのを待ち構えて電話かけました。会社での人間関係というのは複雑でたいていは利害関係が関わってくるからあまり個人的な繋がりはない人が多い。中には2度と顔も見たくないという人たちもいるが・・・(笑) 数人仲のいい人はいるがそういう人は大抵同時期に会社を辞めていて今でもメールのやり取りなどをしている。なので、久しぶりに会社に電話をするというのはあまり関わりたくない人と話すということで結構緊張するものです。でも、それはそれなりに私も大人だったので嫌な人でも仕事は仕事と割り切ってやってきた。だから、仕事に関しての評価はそれなりにいいと自負している。久しぶりに、電話をしてそれなりに近況報告してお願いをしたら快く引き受けてくれた。これで一安心。これも一種の旧交を温めたということですよね~。そうこうしているうちに、電話が鳴った。これまた1月からの人脈拡張作戦で知り合いになった方からのお仕事の紹介だった。本業とはちょっと違うタイプのお仕事だったけど前から少し興味を持っていた翻訳関係のお仕事。あくまでもパートタイムだけどよければ履歴書送ってみたらとアドバイスをくれました。私のスケジュールと合うかどうかはわからないが一つの経験としてお手伝いできたらいいなぁと思いながら早速履歴書を少し変更、送付しました。あとはお返事が来るのを待つだけ。という感じで、身辺がなんとなく忙しく動き始めました。今までちょっと燻っていましたが漸く2006年フル稼働ってとこでしょうか?もともと、時間があればあるほどダラダラと過ごしてしまう性分なので少々タイトなスケジュールの方が自分的には充実した日々が過ごせるのでいいのですが。。。ちゃんとタイムマネージメントできるのかしら? ちょっと不安は残るが・・・やってみるしかないか?!
2006年02月01日
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今日は誕生日でした。いくつになってもお祝いしてもらうと嬉しいもので。数日前に友達のエレンから電話。誕生日ディナーに招待してくれました。何でもリクエストしてくれていいよと言ってくれたのでケベックの代表的家庭料理のひとつパテ・シノワをリクエストしてみました。有名なので名前は聞いたことがありましたが、実際に食べるのは今日が初めて。結構簡単にできそうなのでしっかり作り方を聞いてきました。材料玉ねぎ 小 1個牛ミンチ 500gコーン缶 小 クリームコーン缶 小ジャガイモ 大 4~5個バター 少々塩コショー 少々チーズ(お好みで)1. 玉ねぎをみじん切り、弱火で色が透明になるまでお鍋でゆっくり炒めます。(約10分)2. 1にミンチを加えゆっくり炒めます。醤油を入れて味を調えます。(ここがエレン風)3. ジャガイモを茹でてピューレにし、塩コショーで味付けをします。4. 耐熱容器に牛肉、コーン(汁も一緒にかけて)、クリームコーン、ジャガイモのピューレの順に入れます。5. お好みでトップにバターかチーズをかけます。 (今日食べたのはバターでした)6. 325Fのオーブンに入れて約1時間で出来上がり!Pâté Chinoiseの名前の由来もついでに聞いてみましたがわかりませんでした。でも中国とは全く関わりはないようです。中華料理でこういった料理は見たことないですし(笑) わたしは実際に食べたことは無いのですが英語で言うSheperd's Pieのに似ているとのこと。どなたかSheperd's Pieをご存知の方がいらっしゃいましたらコメントよろしくお願いしますね~♪
2006年01月25日
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毎日のことに追われてすっかり忘れていましたが、1月17日は阪神大震災の起こった日。ある意味、私の人生において大きな転換となった日です。1994年の9月、1年間のドイツ語学留学から帰国。翌年からのドイツ大学入学に向け一旦帰国。運よく、11月から年末年始のアルバイト先をゲット。約2ヵ月半のアルバイトを終えて3連休。のんびり過ごしたとこでした。午前5時46分、いきなりの揺れで目を覚まし、消えているはずの電気が頭の上で火花を散らして揺れていました。ベッドの上に起き上がることもできずただただボ~っと揺れている電気を見ているだけがやっと。漸く揺れが一時的におさまった間に外へ避難。その後、1週間を体育館で、その後1週間を知り合いの家で雑魚寝。そして漸く新しい住処を見つけて移り住みました。不幸中の幸い、後日全壊の認定を受けた我が家の家族は誰一人かすり傷一つせず、友達や知り合いなど近しい人たちもみな無事でした。当時、無職だった私は一日に一度回ってくる給水車へ水をもらいに行く係り。そうこうしているうちに3月になり、職も決まりました。この会社、はっきりいってすごく居心地の悪い、二度と戻りたくない会社でした。人間関係ギスギスし過ぎている。プライベート、コンフィデンシャルなことを何故かみなさん知っている。入社して6ヶ月もしないうちに「絶対に辞めてやる!」と思わせてくれるような会社でした。一方で、学んだこともあります。英語の大切さ。会社での嫌な人間との付き合い方など。もし、地震がなかったら、4年間ドイツの大学に行っていたでしょう。その後は…どうなっていただろう?もし、地震の後に入社した会社がそれなりに居心地のいい会社であれば今もまだそこで働いていたでしょう。そして、もちろんカナダに住むなんて考えなかったでしょう。『もし』ということを考えても仕方がない。今が前より、未来が今より少しでも良くなっているのならそれでいいのかなぁと思いながら現在カナダで奮闘中。震災後11年、まだまだ完全に元に戻ったわけじゃない。神戸の街並みが、神戸に住んでいる人たちの生活が少しでも早くもとどおりに戻ることをお祈りしています。
2006年01月18日
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今年の私の目標、どこにも書きませんでしたが『ひと』がテーマ。ここ2年ほど学校がかなり忙しかったので人間関係がかなりおろそかになっていました。夏休みとクリスマスシーズンにはかろうじて2・3週間の休みがあるもののそれ以外はほとんど休みなし。グループワーク、宿題などで週末が潰れたりしていたので、1年に1回しか会えなかった友達なども数多く、時には2年ぶりの再会なんてのも。同じ街に住んでいて…良くないですね。今期から授業数も減ったので、今年は今まで以上に人間関係に重きを置こうと思ったんです!まずは旧交を温めようと…。そう思い始めると偶然に道でバッタリ2年ほどあってなかった人に遭遇したり。1年ほど前に同じクラスで同じグループで苦しんだメンバーに会う機会ができたり。久しぶりに会って話すのは楽しいですよね。時間を忘れて話し込んでしまいます。それぞれに自分の道を歩いていて私も頑張らなくてはと大きな励みになります。そしてもうひとつの人脈拡張作戦。新しい出会い作りです。これも不思議なことで、まだ新年始まって2週間あまりですが数日前に偶然ある日本人女性を知り合いになりました。実は同じアパートの上階に住んでいたらしいのですが。今までほとんど家に居なかったのと時間帯がかなり一般の方と違っていたので会わなかったんでしょうね。その日本人女性のおかげであっという間に新しい人脈が広がり7人ほどのお友達ができてしまいました。それもみなさんうちから徒歩5分圏内に住んでおられます。年齢、性別、国籍などに関わらず、いろいろな人に出会えるのは学ぶことも多くて楽しいです。ということで最近忙しく出歩いています。学校ではないので楽しみながら、時間を忘れて、時には体に鞭打ちながら…。連チャンだとかなり辛いときもある…(笑)もちろん、週2回の授業をこなしながら、職探しの準備もしながら…。なので、このブログの更新もペースダウン気味。『日々のお話』は今までと変わらず、できる限りディリーベースで頑張っております。
2006年01月16日
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今月23日はカナダの選挙です。数週間前から数回四大政党の党首が集まってTVで討論しています。現政権はLiberal。2・3年前に現政権の金銭スキャンダルが持ち上がり、それ以来2回目の選挙になります。第一反対勢力は保守党。それ以外にNDPとBLOC QUEBCOIS(ケベックの利益を第一に考える党)があります。日本にいるときもそうですが、わたしは政治家というものはどこでも一緒だと思っていて政治自体にはそれほど興味はないのですが面白かったのは言葉と態度の関係に関して。Liberalの党首は現カナダの首相。もともとケベック出身でイギリス系の名前ですがバイリンガルの環境に育ち完全なバイリンガル。BLOCの党首はもちろんケベック人。英語を話すと少しアクセントがあります。NDPと保守党の党首は完全なるイギリス系。NDPの党首はかなり綺麗なフランス語を話します。もちろんネイティブだとは言い難いですが。問題は保守党党首。前回の選挙ではいいところまで行っていたのにケベックでの得票数が少なく結局第一党にはなれませんでした。これは政策にもよると思うのですが当時の彼のフランス語はひどい!これはケベックでは致命傷なことです。前回の選挙後、保守党党首は『フランス語を勉強しなければ』とコメントをしていましたが、本日の討論ではかなり頑張っていました。アクセントは減っていたし。ただ後の3人と比べるとやはり見ていて危なっかしい。英語の討論では自信満々、アグレッシブに首相を攻めていたのに、フランス語では少し逃げ腰?(見た目が)討論での内容は深くまで理解できなかったのでなんとも言えませんが、見た目だけではこんな頼りない人には政治を任せたくないなぁという感じでした。これは当然と言えば当然のこと。言葉に自信がないとどうしても無口になったり、消極的な態度に出てしまうもの。私もそうです。1対1ならまだしも、ネイティブの中にひとり入ってしまうと口を挟めなくてどうしても聞き役になってしまう。で、意見を求められると簡単なことでもすごく緊張して話せなくなってしまう。あとプレゼンテーションとかもそうです。大勢の人の前だとたとえ日本語でも緊張して頭が真っ白になってしまう。こういう経験って誰でもあるのではないでしょうか?私だけ?去年、日本人はセルフ・エスティームが最も低い国民という記事を読みましたが、特に日本人ってこういう人が多いのではないでしょうか?でも周りを見てみると中国人やラテンアメリカ人などはそういうのを気にしないで自己主張する人が多いんです。時には、やりすぎじゃない?と興ざめしてしまうこともありますが、語学を学ぶのにはこういう態度も大切なのかもしれませんね。無理して自分を良く見せる振りをしたり自惚れを持つ必要はないけど、自然に自信を持てるようになれば相手が誰であっても、何人であっても自分のペースで話ができるんでしょうね。余談ですが、発音や文法などややこしいことを何も考えずスラスラと外国語が話せるって思う瞬間って怒って文句言っている時なんですよね。自分が正しいって信じきっているからかしら?
2006年01月11日
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日本人でありながら日本の行事について聞かれて困ることがあります。「日本で一番大きなフェスティバルは何?」と聞かれたら迷わず「お正月!」と答えると思うのですが、正月三が日の後に続くさまざまな行事についてみなさんは説明できますか?恥ずかしながら私はよく知りません。先日も友達とチャットしていて「しめ飾りはいつ片付けるんだろう?」と言うことに。いくつかポイントになる日にちは分かるもののいったいいつなんだろう?ということで調べてみました。以下は地方によって日にちがずれる場合がありますが一般的に知られているお正月に続く行事です。1月7日-七草粥。七草全部言えますか?私は…無理でした。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七種だそうです。お正月に美味しいものをたくさん食べた後少し疲れた胃腸を癒す為にこれらの春の七草を入れてお粥を食べ、無病息災を願うんですね。1月11日-鏡開き。お正月の間飾ってあった鏡餅を手で割ったり、木槌で叩いて小さくしお雑煮にして食べ、一家円満を願う行事。もともと武家政治の時代に始まったので切ることは『切腹』をイメージしよくないことから『鏡開き』または『鏡割り』と呼ばれるようになったらしい。1月14日の夜または15日の朝-どんと焼き。長い竹を組んでお正月の間飾っていた門松やしめ飾り、そして書初めなどを焼くんですね。書初めや筆を焼くと字が上手くなる、その火で焼いたお餅を食べると1年間無病息災になると言われています。竹の倒れる方角によって今年の良い方向を決める。最近ではやらなくなったところが多いらしいですが私が中学校の頃は学校でやっていました。さて上記の3つの中にしめ飾りを取り外す日が入っているのですがいつでしょう?実は七草粥の1月7日だそうです。鏡開きがお正月終わりというイメージがあったのでその日まで門松、しめ飾りは飾っておくべきだと思っていましたが…日本人として失格です。ちょっとしたチャットの会話から日本の伝統行事を見直すいい機会が出来ました。
2006年01月09日
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最近良く耳にするのがReferendum。友達との会話、TVなどで時々話題となっています。このReferendumはケベックの政治を語るのにとても重要なものです。ケベックの歴史はイギリス系移民とフランス系移民との関係が非常に重要な役割を果たしています。この問題は言葉だけでなく文化、経済そして政治にまで発展しています。Referendum-ケベック州がこのままカナダのひとつの州としてとどまるか、カナダ国家から独立するかを問う投票です。今までに2回のReferendumが1980年と1995年に実施されています。連邦残留派はFederalist、独立推進派はSovereignistと呼ばれています。1980年のReferendumでは残留派60%、独立派40%。1995年には51%、49%という僅差で残留派が勝利。かろうじてケベック州はカナダ国内にとどまっている形です。詳しい日程については未定ですが、ここ数年内にケベック州知事の選挙があるらしい。この選挙の結果次第では第3回Referendumが行われるのではという噂が囁かれ始めているのです。現時点では極独立推進派1/3、極連邦残留派1/3、どちらにも決めかねている人たちが残りの1/3だそうです。この中間の人たちがケベックの将来を握っているんです。私はこのReferendumを経験したことは一度もありません。聞いたところによると、カナダの経済・文化の中心都市であったモントリオール、1995年のReferendumの際に、多くのイギリス系あるいはグローバル企業がケベックの独立を危惧してトロントへと移って行ったそうです。その結果、現在ではモントリオールはトロント、バンクーバーに続く第3の都市に格下げ。夏のフェスティバル、秋の紅葉の観光以外に主要産業がなくなってしまいました。今までにトロント、バンクーバー、カルガリー、シャルロットタウンなどカナダの都市を回ってきました。その中でモントリオールを選んだのは街の雰囲気がとても気に入ったから。ヨーロッパ調の街並みに各国からの移民が持ち込んだ多種多様な文化が融合しあって独特の雰囲気を醸し出しています。生活のコストが同じような大都市に比べてかなり低めであること。そして生活のリズムが私の波長に合ったから。もし、ReferendumでSovereignistが過半数を超えたらどうしよう?それでも私はケベックにとどまるのだろうか?それともどこか他のプロバンスに移るのだろうか?カナダという大きな国家の下で安定しているケベック州。もし、そのカナダから独立したら……??? 不安定な将来しか見えてきません。まだ数年先にそれも実際に行われるかどうかも確定していないReferendum。考える時間は充分あります。でも『もし』ものことをそろそろ考え始めたほうがいいのかも知れませんね。
2006年01月07日
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10代過ぎて新しく外国語を習う人にとっては完全に母国語のアクセントを失くして話すのは不可能なのかなぁと思います。各自の努力や才能によってある程度ネイティブの発音に近いものを出すことは可能になっても100%は無理なようだ。私の友達の台湾人は高校時代にアメリカへ移住。以後、人生の半分以上をアメリカで過ごしている。中国語で話すよりも英語のほうが楽だと言う。私からすると彼女は完璧な英語を話す。語彙も発音も。しかし、ネイティヴの友達はまだ彼女の英語の中に微かなアジア系のアクセントを聞き取るらしい。日本語を話す人にとって外国語の発音は決して容易ではない。日本人の話す外国語はわかりにくいと良く言われる。これにはいくつかの理由があると思う。他の外国語に比べ日本語は極めて発音のバリエーションが少ない。母音はたったの5つ。フランス語では鼻母音も含めて16の母音があると言われている。たった5色の絵の具を使って16色の決められた色を全く同じ色に再生するのは難しい。時には薄くなりすぎ、また濃くなりすぎる。そして、子音。日本語には子音だけの音というのがない。常に母音とくっついてひとつの音を形成する。これが外国人にとっては非常に聞き取りにくい音になっているらしい。それに日本語にはない音の区別LとR、VとBができない為、すごく不可解な音を発しているらしい。次に発声法。日本語は口先だけであまり抑揚をつけずに話してしまう。あと文化的なこともあるが大声で話すのは下品だと感じる人も多いので自然と声が小さくなってしまうので聞き取りにくい発音がさらに相手に伝わらなくなってしまう。今までにいくつかの言語を勉強したがよく言われるのは口を大きく開けて奥から発声すること。つばを飛ばすぐらいにやってごらんと。日ごろ日本語を話す時に使っていない口の周りの筋肉を鍛えてやらないといけないらしい。初めて会話として本格的に習ったのはドイツ語。といってもかなり遅咲きのデビューだったのでかなり苦労しました。そのときの発音の先生がとてもよい方でした。白髪のかなり年配の女性でしたが経験が豊富で日本人の悪い癖を良く知っていて私を含め日本人対象にいろいろやってくれました。あるときはペンを口に挟んで、あるときは鏡を覗き込みながら。そのおかげでかなり日本人的発音を取り除くことができたような…。カナダに来て数年、よく言われて嬉しいのは「日本人にしては発音綺麗ね。」「日本人だと思わなかった」。もちろん未だに前述の台湾人の友達には私の発音するWORKとWALKの違いが分からんとからかわれていますし、ネイティブのような綺麗な発音をしているわけではありませんよ。トロントから来たカナダ人に「あなたの英語はフランス人のアクセントがある」と断言されたこともあるし。電話などだと絶対にネイティブだと思ってもらえませんもん。ただ、ちょっと嬉しいのは本来の母国語のアクセントを少しずつでも取り除けていること。努力が無駄じゃなかったんだなぁって。もうかれこれ十数年前、忍耐強く教えてくれたドイツ語の先生に感謝です!先日ケベック人の家に遊びに行って今まで出来なかったフランス語(ケベック語)の発音が一瞬できたんです。間髪いれず友達が「お~!ケベック語の発音うまいじゃん!」 こうやっておだててもらいながら今後も一歩一歩ネイティブに近づく努力していきます。
2006年01月05日
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ケベック州は北米の中で唯一フランス語のみがオフィシャルランゲッジとして法律化されている州。カナダのニューブロンズウィックではフランス語は英語と共にオフィシャルランゲッジとして定められています。ケッベク州では英語はオフィシャルランゲッジではないのです。フランス語のみ。これには英国とフランスの間の長い歴史的な関係があるのですが…。(今日はこれには触れません。長くなりすぎるので)ケベック州政府のフランス語第一主義はかなり徹底していて公共の場で表示を出すにはフランス語を他の言語より大きく表示すべしという法律があります。かなり以前に中国系の病院で中国語表示がフランス語より大きかった為法律に違反、すべて表示を書き換えろということがニュースで取り上げられていました。病院側曰く、中国語だとフランス語と比べて短いのでバランスを取ろうとすると文字が大きくなってしまうということ。すべての表示を書き換えるのにはかなりの費用がかかるんだが…と嘆きの声が。トロントから初めて列車でモントリオールに着いたとき、駅のSUBWAYで何かを頼もうとして困ったのを思い出します。フランス語でa,b,c…をどう発音していいのかもわからない状態でお店に入ったのですがメニューはすべてフランス語。世界各国からの観光客が来る可能性のあるVIA(国鉄)の駅でですよ。お店の人はかなりクセのある英語を話すし、私の英語力もたいしたことないのでコミュニケーションに困ったぁ。思わず、『どうして英語の表示ないの?』と文句言ってしまいました。そのとき返ってきた言葉が『法律だからしょうがないんだ』のちにフランス語を習ってフランス語ではhは発音しないと知って『Are you angry???』は『Are you hungry???』のこと、よく耳にする『ear』は『here』または『hear』のことと分かりましたが。英語が世界中に溢れているのは周知のこと。日本語の中にもカタカナに姿を変えて入ってきた英語は無数にあります。中には意味が良くわからないまま使われていたり、元の意味と異なったニュアンスで使われている単語も多いのでは?それが決していいことだとは思いません。でも自国の言葉を守りたいが為に生活をスムーズに送れないような馬鹿げた法律を作って取り締まるのもどうなのかなぁ。そうそう、もうひとつ馬鹿げた法律というと両親のうち少なくとも一人が英語系の学校を出ていないとその子供たちはフランス語系の学校に行かねばならぬ。つまり両親移民者の子供たちは自動的にフランス語系の学校送りです。このようなフランス語第一主義のせいか、バイリンガル都市であるはずのモントリオールで完璧なバイリンガルの人間を探すのってとても難しいんです。子供の頃からバイリンガルに慣れるべき環境にいながらもったいないなと思っているのは私だけじゃないと思うんですが…。
2006年01月03日
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カナダの-ケッベクの-お正月は普段のお休みの日とそれほど変わらない一日です。移民の国と言ってもやはりキリスト教人口が多いのでクリスマスは盛大にお祝いしますがお正月はあくまでもその続きという雰囲気。友達や親戚などにもクリスマスカードに新年の挨拶も添えて…もちろん年賀状なんてありません(笑) 会社や学校も早いところは3日から始まり、お正月ののんびりした雰囲気を味わう暇もなし。ニューイヤーズ・イブの夜、若い子達は友達と連れ立ってバーやイベント会場へ行きカウントダウンを楽しんで帰宅。1日はお昼頃にゆっくりと起きだすといった具合。結婚した若いカップルや両親が離婚した子供たちは、クリスマスは片方の親の所で、ニューイヤーはもう一方の親の所で過ごす人も多いらしい。クリスマスパーティーが2回って感じですね。2回とも伝統的なクリスマス料理のターキーを食べるんでしょうかねぇ?スーパーマーケットなども普段よりは営業時間は短いけれども朝から夕方頃までは開いているので特に年末の買出しをする必要もない。もちろん2日も開店します。おせち料理もないので大晦日に朝からバタバタと準備必要もない。日本のように年末の大掃除なるものも存在しないようだ。確かに外がマイナス10度だと窓を拭いていると凍り付いてしまうかもしれない。そのためか、ここではスプリング大掃除といって雪が溶け始めた頃の掃除が一年の中で重要な行事のひとつになっている。日本の年末の大掃除の変わりかな?TVも日本と違って年末年始特番のようなものは少ない。個人的に日本の年末年始特番はろくなものがなく、最後に日本で過ごしたお正月数年はいつもビデオを借りて楽しんでいたけれども、子供の頃は大掃除、おせちの準備が終って年越しそばを食べながらレコード大賞、紅白歌合戦を見てゆく年来る年が始まるとお風呂に入り、除夜の鐘を聞きながら布団に入ったもの。お正月3ヶ日は新春かくし芸大会をおこたに入ってお菓子やおせちをつまみながら見たもんだ。今年はそれなりに日本的な年越しをしたいなぁと思い、年末に大掃除を始めた。始めたのはいいがまだ年が変わっても完全に綺麗に片付いたわけではないが…(笑) 大掃除の合間に年越しそばを作って食べ、元旦には我が家の伝統のお正月のお雑煮-白味噌に大根を入れたお雑煮を味わった。歯ブラシ、タオルなど新年用に新調し、それなりに日本的な新年の迎え方を準備したはずなんだけど、やっぱり年を越したっていう実感がしない。何かが欠けてるきがするなぁ。
2006年01月02日
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明けましておめでとうございます日本ではもう新年の朝。こちらはまだ2005年。必死に追いつこうと大掃除に励んでいます。でもやはり14時間の時差は大きい。新年を迎える準備が整っていないので私にとってはラッキーなのですが…(=^^=) BLOG歴は約1年。日々の出来事はENTERから入って『日々のお話』に綴っています。こちらのBLOGでは今まで以上のことが出来そうなので移ってきて「1月1日に開設するぞ~っ!!!」と豪語してしまった為、まだまだ不備な点はありますがとりあえず記念すべき2006年元旦に見切り発車してしまいます。まだまだ初心者の域を脱していないのでアドバイスなどあればよろしくお願いします。そろそろ大掃除の休憩時間も終了!Eカードも出し終わっていないのでこれから頑張ります。夕方からはお食事会だというのに…きれいさっぱりで新年を迎えられるのだろうか? (・ ・;))。。オロオロ。。''((;・ ・)2006年が希望に満ちた素晴らしい年になりますように。
2006年01月01日
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現在まだ工事中のこのブログですが… ちょっと面白いものを見つけたのでご報告です。日本時間24日午後7時から25日午後5時半にかけてサンタさんが世界の子供たちにプレゼントを配る様子をNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)がウェブサイト上で追跡・報告するようです。ちょっと夢のあるお話でしょう?この企画1998年からやっているそうです。私は今年初めてその大追跡に参加してみようかなぁと思っています。このHP、6ヶ国語に翻訳され世界各地で多くの人たちがサンタさんのお仕事を暖かい目で見守っています♪皆さんも一緒にサンタさん大追跡に参加してみませんか?詳しくはコチラから。それではみなさん素敵なクリスマスをお過ごしください。Merry Christmas!!!
2005年12月24日
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ブログだけではなくもう少しHP的なものを作りたいなぁと思い始めていました。頭の中で、どういう風に作り上げていこうか構想を練っていますが、HP初心者なのでタグも良くわからず時間がかかっております。これからイベント続きのシーズン突入ですが、時間を見つけては2006年1月1日開設に向けて頑張っています♪
2005年12月19日
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