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gooブログ さちこの旅のおすそ分け(新)に写真を載せました。慣れないのでどうにもうまくできません。プラハは綺麗のにそれを伝えることが出来ない。 http://blog.goo.ne.jp/sachikotakekawa
2013.10.14
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チェコの首都プラハに来ています。飛行機の中から見たプラハは、厚い雲に覆われ、寒々としています。チェコは歴史的には列強諸国の支配を受け入れることで人民の血を流さないという選択をした国だと言います。戦を回避したので、古い建造物が沢山残っています。今回はチェコの世界遺産をいくつか回り、憧れのザクセンスイス(スイスではありませんよ、チェコとドイツの国境辺りです)にも足を延ばします。プラハは確かその昔学生運動の国際拠点が有ったような記憶が有ります。友人が大学で学ばず、プラハに派遣されたと聞いたことが有ります。何となく親しみを覚える街です。昨年ウィーンに来たときプラハにも訪れようと思ったのですが、ザルツブルク等、行きたい所が多く、且つコンサート用のドレス(これは要らなかった!皆カジュアルな服装で正装はういていた)やら荷物が多く訪問を断念した街なので、今回は念願叶ったチェコ訪問です。
2013.10.12
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楽天ブログの容量が5ギガで、写真が多いからかもう85%位の容量を使ってます。もうじき満杯になって古い写真を削除しないといけないかも。gooのブログは容量1テラとあります。1テラとは確か1000ギガ?これならいくら写真載せても大丈夫かも。更に外付けのハードディスクで沢山の写真を保存する必要もなくなるかも。というわけで、今gooで練習中。下記をのぞきにきてください。http://blog.goo.ne.jp/sachikotakekawaさちこの旅のおすそ分け(新)
2013.09.30
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3大霊場の一つ 恐山 なんとなくおどろおどろしい 無料でだれでも入れる温泉を公開
2013.09.15
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海がきれいのでウニが見えています。
2013.09.15
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姉と別れて、同期の仕事仲間と下北へ。むつでは法テラスに表敬訪問。見学者があるのか?原発PR館 電車は単線宿は下風呂温泉 宿の部屋から北海道が 夜にはイカ釣り舟のかがり火がランチは大間のマグロ 私はマグロよりウニとアワビがいいのでそちら。ウニを食べ終わる頃、友のマグロを貰い、朝取ってきた烏賊のさしみを追加して満足満足大間郵便局に行き1万円入金。本州最北端のハンコを貰う。ついでに風景消印も。皆も私のまねっこして事務所にはがきを出している。下北と言えば会津藩が押しやられた辺境の地。郵便局の前に資料館があった。 松平容保公が家臣にあてた書簡等が展示してある。読めないだろうからおまけ
2013.09.15
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竜飛崎に行く途中の日本海に面した滝 7つ滝 峠越えの道 くねくねと続く坂道で、危険なときには閉鎖されるのでしょうか?ゲートが。展望台からの眺め竜飛に着きました。下のカーナビの灯台の北側にある島を歩いています。カーナビにある2本の赤い道は国道です。これをつなぐのは国道階段車が通れない国道。粋ですねぇ。竜飛岬郵便局に寄り、1万円を入金。スランプを押してもらうのが目的です。姉は友人にここから手紙を出し、風景の消印を押してもらいました。ちなみのカーナビのゴールは郵便局太宰の泊まった旅館
2013.09.15
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異なる種類のお米を植えて作った田んぼアートです。アートが終われば収穫し酒米や種もみとして利用されるそうです。
2013.09.15
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白神山地へ。岩木山が綺麗に見えるので白神も晴れているかも・・・暗門の滝入口。本日は入山禁止。前の雨の影響か?津軽峠まで足を延ばすことに津軽峠の手前にぶな巨木の道が。このままマザーツリーまで行くつもりで入ります。 最初の巨木。ぶなは普通は200年の寿命。これは400年くらい。 いくら行ってもマザーツリーは現れず。途中でどう読めばいいのか分からない道標が。この道標の右側には2本の道があったのです。どちらかわからず感で奥に入りました。永く歩いてだんだん人が歩いた形跡がなくなり、不安になり、冒険は止めようと引き返し、もう1本の道へ。すぐに大きい道に出たので最初の道が正しかったと分かったのですが再度行く体力はありません。先ずは大きい道から津軽峠へ。白神の山々が一望できます。下の看板で山の名前も。すぐにマザーツリー 山の中の展望台2か所津軽峠のブナ林白神は遊歩道も含めて核心部分には道路がなく自然が人間の手から守られていることが高く評価され世界遺産になったと本にありました。だから、ぶなの倒木を動かせことさえ許されないのです。でもその周りでは巨大な土木工事が。岳かんばの樹皮がはぎとられています。テレビで木を痛めない程度に樹皮を少し戴き造形品を作るという番組を見たことがありますが、それかな?
2013.09.15
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玉川温泉は、天然の放射線が出ておりまして、がんに効くと評判です。旅館がもつ大浴場・室内岩盤浴の他に、天然の岩場でも岩盤浴が出来ます。屋根をかけた施設もあるのですが新参者が入り込む隙間はありません。仕方ないので傘で日差しをよけて寝ころぶのは私の姉。多くの人は、タオルを顔にかけて防御しています。ここは北投石の産地。台湾に行った時、北投石のブレスレットその他を高くで売っていたけど、ここの売店では見当たらない。沢山の湯が湧き出ていますが、塩酸泉。お風呂でややこしい所が痛く感じます。姉は皮膚が敏感ですので大腿部や二の腕までヒリヒリすると言います。勿論タオルで体を洗うなんて度胸はありません。がん患者が多いので、悪い菌やビールスを持ち込まないようにということなのでしょう、行く先々で手を消毒させます。消毒の前に手を洗っていて、台所でブリーチを手に付けた時みたいに手がぬるぬるしていることに気付きました。心もち、指紋も薄くなったように感じます。万一誤認逮捕されて、悪いことをしたから指紋を消そうとしただろうと追及されたら何を言っても信用してもらえないかもと変な恐怖心が・・・宿は部屋は狭く値が高い。湯治場だから普通のリゾート地の宿のような快適さがないのは仕方ない。しかし、湯治場なのだからもっと安くできないの?ござ位無料で貸したらどうよと不満を感じるのは私だけ?自然の恵みで商売が出来るのだから、少しはがん患者に還元してほしいですね。新玉川温泉から来た人が新玉川の方がサービスはいい、15分で通ってこれると推奨していました。息子のお嫁さんががんになったので連れてこようと思うけど、自分で泊まってみないとお嫁さんを連れてきていいものか分からないので3泊お試しをするのだと言う人もいました。心根の優しい人は顔までやさしい。日本も捨てたもんじゃない。
2013.09.15
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東北の旅にでました。多くの方が台風で遊びどころでないときに、のんびり温泉です。しかし、まったく被害を受けなかったわけではありません。五能線の半分は運休でバスで代行輸送。道路は電車の線路と殆ど平走しているのですが、バスは走れるのに電車はお休み。しかも駅では運休の案内さえなく、ホテルのお兄さんが調べて、電車走りませんと言いに来てくれました。再びバスから電車に乗り換えるときには、駅のおじさんは一言もなし。普通はご迷惑をおかけしました位はいうだろうに、慣れっこなのか、あるいは天気が悪いのは俺の責任じゃないもんと思っているのか。しかし、私はわざわざ五能線に乗るために伊丹から秋田に飛んだのですよ。同じく五能線に乗りに来ていたお兄さんは、私たちが関西から飛行機で来たと聞いて腹を抱えて笑いました。笑うな!五能線で秋田から日本海と秋の実りを眺めながら北上バスからの眺めもgood!お宿は不老不死温泉 海に突き出た露天風呂は眺めのいい混浴と女子用。宿についてすぐに入ってよかったです。翌朝は入浴時間帯ですけどお湯が抜いてありました。そのあとは、台風の影響で混浴に海水が入って、女子用の露天ふろが混浴に変更。着替えをする場所がないので入れません。でもまあ、屋内の露天風呂も気持ち良かったし、人はいないし・・・
2013.09.15
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愛知県の深い山のなかに、元夫の生まれた家があります。県立自然公園の中です。夜は夏でも冬布団を1枚、毛布なしでかけるほど涼しい所です。あまりの暑さに避暑に息子と出かけました。通りから見た家家から通りの方向をみる自慢の水車 わずか10センチ位の幅のほんの少しの水で昔は米をつき、猿やイノシシを追い払うために畑や田んぼの周りに流す微弱電気を作っていた水車です。裏庭の沢にはわさびが自生しています。でも最近は鹿が毎晩食べにくるので殆ど残っていません。私が滞在中も毎晩鹿が食事に来ました。堂々とキーとおお声で鳴きます。ライトを当てると目が光ります。誰も危害を加えないと分かっているからか逃げません。父が大事にしていた築山も鹿にやられて無残。通りの向こうには集落の皆さんが守っているお宮さんがあります。集落といってもお隣まで徒歩5分。更にその隣まで山を越えて徒歩20分。お宮さんの前には沼地があり、昔馬が落ちて助けることが出来なかった事件がありました。裏山を上がると、先ずは山の神様そして皆さんが深く信仰しているお観音様。中央が11面観音。両親がとても大事にしていて、私たちも行くたびにお参りしたものです。最後が馬頭観音中央の馬頭観音は元夫のひいお祖父さんが奉納したと書いてあります。日々の暮らしの中で山の神様・水の神様・お観音様等に、祈りと感謝をささげてきた人々のなんと尊いことでしょう。家では庭を流れる小さな沢で生活用水を確保し、少しの電気まで作っていたのですが、集落全体では中部電力が電気を供給する以前はこの小さな川で水力発電をしていたのだそうです。当時は200人位の人々の生活を水力発電が支えていたと聞くと、水の国日本で、沢山の小規模の水力発電を開発すればエコなのにと、皆で話しながら家路につきました。
2013.08.17
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昨日は琵琶湖花火大会。4時頃突然スコールのような強い雨。7時半から花火なのに6時半になっても小雨。空気が濡れていて重いのか、はたまた風が弱いからなのか、花火の煙を飛ばせない。煙に追われた花火でした。 ついでに烏丸半島の蓮 蓮の花は4日で散るそうです。これは最終日。 初日 鬼バス とっても小さい花です。 烏丸半島横の湖を埋め尽くす蓮
2013.08.09
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クレアチアの隣国で一番長い国境線を接するのはボスニア・ヘルツェゴヴィナ。ユーゴスラビアからの独立の際の内乱が激しかったところです。クロアチアから陸路国境を超えますが、飛び地があるのでクロアチア→ボスニア→クロアチア→ボスニアと国境越えが3回続きます。この橋を越えると間もなくボスニア。1回目はフリーパス。2回目はバスの中に係官が入ってきてパスポートチェック。パチリ 3回目は外をうろうろしている係官をパチリ。 突然バスの中に係官が入ってきて後ろの席の人からカメラを取り上げました。問題個所を削除してカメラは無事返還かないましたが、国境で写真を撮ったらいけないんだと初めて自覚した瞬間でした。私は目立たないおばさんなので無事。ボスニアの目的地はサラエボですが、モスタルに途中下車。モスタルとは古い橋という意味だそうですが、本当に古い橋があります。世界遺産の橋です。多くの人が通行するので石がすべすべ。川の水は美しく、目を見張ります。 銃弾を浴びた建物がそのままお店として今も活躍中。 破壊されたシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)も。世界遺産なので土産物屋さんがいっぱい。トルコの影響がまだ残っていて、街にはモスクやトルコの家と呼ばれる建物も。お店の人たちは控えめで気持ちがいい。いよいよサラエボへ。サラエボはボスニアの首都。サラエボと聞くと平山郁夫さんを思い出します。サラエボの子供が戦争の悲しさを訴えているような目で見つめる絵が脳裏に浮かびます。サラエボ市内にはまだ古い建物が沢山残っていました。セルビア正教会・モスク・カトリック大聖堂・シナゴーグ・イスラム神学校等も。 この橋は以前プリンツィブ橋と呼ばれていた橋。15世紀トルコの支配下に置かれたボスニア・ヘルツェゴヴィナはトルコが衰退した後もオーストリア・ハンガリー帝国の支配下に置かれていました。1914年オーストリア皇太子がボスニアの青年に殺されたのがこの橋の前。当時英雄視されたその青年の名をこの橋に付けたのだそうです。この事件が発端となって第1次世界大戦に。 キャラバンサライの跡がそのまま保存されています。 今回の旅行で初めての雨。でもバスの中ですから。あとは飛行機に乗って日本に帰るだけ。飛行機の時間が永いのがつらいけど、綺麗なものをみるのは楽しい。プリトヴィツェ湖群は琵琶湖より綺麗し、石灰岩なのに草木が多いのも驚き。なにより湿気がないからカンカン照りでも木陰が涼しいのは過ごしやすい。わずか10日で帰るのはもったいないけど、ヨーロッパは日本と違ってホテルが高い!ソベという民宿があちこちにあったけど・・・日本はデフレで遊ぶには最適。インフレになる前にしばらく日本で遊ぼうかな・・・
2013.07.10
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スプリットの旧市街はキリスト教を弾圧したローマ皇帝ディオクレティアヌス(245~313)が退位後に住んだ宮殿。アーチ型の天井をもつ神殿、城壁、大聖堂が残る。城壁を建物の壁として取り込んでいるところもある。この大聖堂、元々はディオクレティアヌスの霊廟としてつくったものを、7世紀スラブ人に故郷サロナを追われた人々がスプリットに避難して来て住みつき、霊廟を大聖堂に用途変更したという皮肉なもの。ディオクレティアヌスの墓は処分され、今は彼が弾圧し殉死させた方が主として眠っている。地上には人々が住み、床の穴から下にごみを落とし、その結果地下室はごみに埋もれて良好な状態で保存されていたという重ね重ね皮肉な街。これは塔の上からみた大聖堂の屋根。地下道ではお店を営業中。ここは、ただ古いものが保存されているというだけでなく、今も人々が住み暮らしているということが評価されての世界遺産登録とか。洗濯物を干している建物は住居としては一番古いもの。地下で歌ってる男性だけのアカペラコーラス、クラパ。歌を聞かせてくれたのだからCDを買うべきかと思ったけど20ユーロもしたので買わずに帰りました。この人たちは何をしているのかしら?
2013.07.09
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トロギールは、島です。といっても天然の島ではなく、お濠を掘った結果島になったもの。バス停からほんの数分で島に渡る橋。橋を越えたら目の前が北門。門をくぐると大きな広場。広場には見所が集中。これはかつての裁判所。秤も彫ってある。秤は裁判の命、公平の象徴。日本の弁護士バッジも秤が描かれている。トロギールのシンボル聖ロブロ大聖堂。教会の塔の上から街を見下ろす。下に見えるのは時計塔。天井から偉い方が逆さに・・・
2013.07.09
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内陸部から海側へ移動します。今までお肉ばかりで体がおかしくなりそうでしたが、これからはお魚や貝が楽しみ。先ずはシベニク。ゴシック様式とルネッサンス様式が融合した教会は、どうも建築に永い時間がかかり、途中で建築様式が変わったもののようです。港に着いたら、ラベンダーと碧い海のお出迎えこの階段はかなり由緒あるものなのですけど、何だったかしら?飾りと柱の形状を見れば分かる人は分かりますかね?シベニックはやさしい街です。これは何かお分かりですか?街のあちこちにある犬や猫の水のみ場です。隣にその旨の説明がありました。聖ヤコブ大聖堂は世界遺産。保存状態だけでなく、外壁に71個の頭像があるのが評価されたそうですが、これがどういう人たちの像かは分からないのだそうです。お昼は山盛りのムール貝、オリーブオイルとワインビネガーだけをかけたサラダ、パン。幸せ。
2013.07.09
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クロアチアを代表する都市ドブロブニク。クロアチアの領土ですが飛地になっていて、陸路ではボスニアを通過しないと入れません。クロアチアを出るときにはパスポートコントロールもなく通過。ホテルで人と会う約束をしているので国境超えで手間取って遅れたらどうしようとハラハラドキドキ。でも全く無問題。アドリア海は紺碧。なんと美しい海!感動しっぱなしのバス旅でした。夜のドブロブニク翌日ゆっくり街を歩く予定なのに、夜来てくれるはずの人は約束の時間に来ず、電話しても電話にも出ない。イライラカッカ。早朝電話したら、都合が悪くなったですって。今日の夜も明後日の朝も時間を取れないですって。要するにすっぽかしドタキャン敵前逃亡。遊びのついでの用事でよかった。これが遊ばずに彼と会う目的のためだけに来たら切れていたかも・・・スルジ山からの旧市街の眺め街の美しいこと。近くで見ると瓦は古くキズがいっぱいあるのですが、遠くから見ると紺碧の海に赤い屋根、白い壁。瓦はまだらなのは、古い瓦を出来るだけ使おうという暗黙の了解があるから。古い瓦が手に入らず、新しいものを混ぜるのでまだら模様になります。フランシスコ会修道院。ここにはクロアチ最古の薬局が今も営業しています。スポンザ宮殿の後ろにスルジ山 総督邸は今はオペラなどのホール プラッツァ通りはかつては谷底。その中心にある広場を城壁の上から坂道が続く路地旧市街を取り巻く城壁 一部朽ちた建物が。砦ベネツィアを意識して、海に向かっては10mも厚さのある砦、街の方の壁は1m10ユーロでクルーズ1時間生まれたままの格好で泳いでいる人たちをみっけ。写真撮ったけど楽天が勝手に削除するからのせません。私はまるで先がないように、熱い中を日傘をさして城壁の上を歩いています。なにかに囚われたみたいに。どうしてそんなに頑張るのとでもいうかのように、のんびり泳いでいる青年が下の海に。
2013.07.08
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クロアチアやボスニアは、独立に反対するセルビア人との内戦が長引き、あちこちに内戦の爪痕を残していますが、スロベニアはユーゴスラビアから独立するとき、余り揉めずに独立を果たしています。スロベニアの首都 リュブリャナには2泊しただけですが、青空市場は近郊の農家が作った野菜が沢山。日本と同じく国産の野菜とりわけ有機野菜は輸入物より高いけど、多くの人が求めるそうです。所得の割に物価が高いと思ったけど、大事な支出は厭わない余裕。リュブリャナはリュブリャニツァ川の両側に面白い路地が広がっていて、散策を楽しめる街です。靴の橋という名が付いているかどうか知らないけど、橋の入口近くに靴を吊しています。なんじゃこりゃ。フランシスコ会教会は三本橋近くの広場に面していますが、その広場には詩人の銅像が。彼は本職は弁護士ですが、当時の上流階級はドイツ語を使い、スロベニア語は農民の言葉と蔑まれていた時に、スロベニア語で詩を書き、詩集を出した人です。それで人々の民族意識を呼び覚ました英雄と評価されています。弁護士たるもの本来そうあるべきでしょう。売買春が禁止されている国で買春を勧める弁護士はやっぱ変。フランシスコ会教会では結婚式をしていました。ジーンズはいて、リュック背負った私も最後尾で参列。楽しい一時でした。近くのホテルには日の丸が。秋篠宮ご夫妻がお泊まりだったそうです。リュブリャナ城跡からみた街。変わった建物はマンションですって。サンドイッチみたいなのは、スキージャンプ台マンションと呼ばれています。町中に旧火力発電跡も。見に行きましたが5時過ぎていたからか入れませんでした。お城に上がるケーブルの下には人形劇場があり、日本の文楽も上演されたそうです。その前の古い家。古い壁を遺跡として残すから壊したらいけないと規制されたら、逞しい人々は壊すことなく自分の家の壁として取り込んでしまったのでした。
2013.07.08
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ブレッド湖はクロアチアの隣国スロベニアにあります。まづは陸路での国境越え。撮影禁止と知らずに、ついパチリ。パスポートコントロールでは私の顔も見ないで、顔写真のページも見ないで、スタンプ1個分の空白があるページを開いて差しだしたそこに、ポンと押しただけ。日本との国交20周年とかで、クロアチアとスロベニアに秋篠宮ご夫妻がこられていました。ブレッド湖には沢山の警備のパトカーと日本のマスコミ関係者が。負担をお掛けしてすいませんと、日本を代表して心の中で呟いた私でした。ブレッド湖の見所は勿論美しい湖。そして湖の中の小島に建つ聖マリア教会?(Church of Mary the Queen on Bled Island)とブレッド城。この湖の島は、スロベニアで唯一の島。お城からはユリアンアルプスも。最高峰トリグラフも姿を現しています。ああ、嬉しい!山と湖だけでも幸せなのに、古い教会とお城とお天気まで私を歓迎してくれて。湖のほとりにはチトー大統領の別荘が。今はレストラン兼ホテルとか。綺麗な所だけど、大津からは遠すぎるので私はくれると言っても要りません。
2013.07.08
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行った順番ではありませんが、印象が強烈だったので、プリトゥヴィッツェ湖群について。クロアチアで最大最古の国立公園で、世界自然遺産。16の湖と92の滝がありますが、小さい池が幾つか集まって一つの湖を形成するものもあります。標高差150mの地に、自然に湖が階段状にでき、水が滝となって落ちています。炭酸カルシウムの沈殿が美しさの元でしょうか?湖群は今も成長変化し続けています。エメラルドグリーンの湖、ミルキーブルーの湖、霧のような滝、逞しい滝、夢のような景観を丸一日半堪能しました。この地は9000年前から人がいたそうですが、16Cオスマントルコからオーストリアが奪取した後、オスマントルコ対策としてこの湖群を地図に記載しなかったところで、ユーゴスラビアからの独立当時は独立に反対したセルビア人との内戦が激しかったところでもあります。銃声が消えるまで危機遺産に。その後平和が訪れてやっと世界自然遺産に。おまけミニプリトゥヴィッツェ湖ことラストケ村は、プリトゥヴィッツェ湖群の近くにある小さな村です。2つの川が合流し、23の湖をつくっています。
2013.07.08
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とある用事でクレアチアにきています。用事は3時間もあれば終わるので、9日間早く到着、あちこち回って鋭気を養ってから。いうことで、只今クレアチアの首都ザグレブです。クロアチアは九州の約1.5倍の面積の小さな国。ユーゴスラビアから紛争の末に独立した国で、国民の平均所得8万円程度。レストランで野菜料理が出ないので結構つらい。果物やトマトは日本の半値程度。ザグレブの見所の中心は旧市街。旧市街の中に2つの地名が有ります。前は川を挟んで仲が悪かったそうですが、今は?宗教施設を中心にした街カプトルは、聖マリア被昇天大聖堂が代表的。マリア様が天に召されている絵がありますが、自分で上がっているのではなく天使たちに押し上げられていることから被昇天というのだそうです。何度か火災で焼失していますが、下の棚?だけは奇跡的に焼け残ったもの。真摯な祈りを捧げている方がいて、カメラを向けるのを躊躇します。天井や柱が祭壇側と入り口側で異なります。半分壊れたのを修復したからです。これは古い文字塔の一つは修復中。本来ならこういうのが見れた筈当初砂岩で作っていたので崩れ易く、今は大理石で作り直しています。左が崩落の様子、右が今の模型。左端の円盤は時計が落ちたものを落ちた時間を表したまま保存展示。朝市を通り抜けると、大きな逞しい表情の女性の像。クロアチア初の女性ジャーナリスト マリアユリチザコルカ。更に正義は必ず勝つということを表現しているという聖コライ像。馬の尻尾にご注目あれ。少し行くと旧市街の門で、現存する唯一の門。木造だった頃焼け、石門に作り替えてある。石門の中には火災でも焼けなかったマリア様。多くの人が祈っています。ろうそくの灯を守っている女性がいました。小さい路地を通り抜け、商業の中心地へ。聖マルコ教会の屋根に二つの紋章をタイルで書いています。国とザグレブ市の紋章です。入口も素敵。変わった名前の博物館、失恋博物館ナイーブアート美術館はガイドブックにも出てきます。農民が素朴な感性で思うがままに書いたものが世に認められ、ナイーブアートと言われるようになったそうな。日本人では原田泰司さんの絵が展示。世界一短いケーブルカー。下の路面電車が通るイリツァの手前まで。おお、大聖堂と聖マルコ教会の塔が同時に見えます。これは日時計。1時間狂っていますが、夏時間を導入する前は正確に時を刻んでいたそうです。人為的に時間を早めるのが時計の仕組みになじんでいないだけ。
2013.06.29
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昔の仕事仲間と2~3ケ月に1回近場の温泉旅行に行きます。今回はレイクフォレストリゾート。京都府下にあるのですが、奈良駅から送迎バスがでています。だれか車を運転できたら柳生の里を散策後いける場所です。道中の茶畑 あまりの綺麗さに思わずシャッターを押したのですが、風も通らぬほど密集して植えて大丈夫なのかしら?農薬が沢山要りそう。ホテルは奥深い森の中のゴルフ場の横、スパ・コテージ・別棟のプチホテル等、大きな施設です。スパの岩盤浴は有料。眺望の良さもさることながら、お料理が丁寧に心こめて提供されることに感動。出来たてを熱々のまま出して下さいます。料理人としては当然のことですが、前回の旅館で冷たい魚が出てきたので、当たり前のことでもうれしい。
2013.06.14
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ジョグジャに関する情報が少なくて、ネットで検索していたら、多くの人がフレッシュジュースが安くてうまいと書いています。実際には5つ星ホテルのレストランで出すものでも加糖・加水のジュースです。ノンシュガー・ノンアイスだけでなく、ノーアクアも遠慮しないで言わないといけません。ただ、どこでもメニューになくても材料があれば注文通り作ってくれます。遠慮を忘れた大和ナデシコ、フレンチのシェフにも「ノーソース!」 玄米ご飯出して「チーンして」 中々通じず、最後にやっとマイクロウェイブ チーンでOK,チーンしてもらい、持ち込みご飯を食べるなど、周りの注目を集めた旅でした。食事制限のある人は、図々しくレストランに要求するだけでなく、持ち込みで自衛すればなんとかやっていけ、それが許される大らかな街でした。タクシーをチャーターして回ることは誰でもできること、やはり現地の足を使いこなさないとその地を楽しむことはできません。ジョグジャの足は、自転車のベチャ・バイクのベチャ・バイクタクシー・馬がひく本物の馬車・バス・電車(汽車?)です。今回は汽車に乗らなかったのが少々残念。ソロに行く時最初からタクシーにせず、ソロまで汽車で行き、ソロで車をチャーターすれば完璧だったのに・・・事前に準備しすぎたかな?それにしても皆さん親切で優しかった。娘が高校生の頃、二人でバリに行った時には人々の押しの強さにぐっと疲れたけど、ここジョギジャではそれがない、むしろ逆。ここでは8割がイスラム教徒、残り2割がクリスチャン・ヒンドゥー教徒・仏教徒で、皆尊重し合って暮らしている。朝7時頃から働き学び、夕方には家に帰る、そういう生活スタイルって家族をするにはいいかも・・・
2013.06.11
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夜バリ経由関空行きの飛行機に乗ります。それまでカリウランのウレンセンタル博物館とトレッキングへ。車で40分位山に入っていきます。森の中に突如現れた博物館。中は写真禁止。歴代の王さま、王妃・プリンス・プリンセス等、王家の方々の写真や、ジョグジャやソロの織物等が展示してあります。バティックの美しさでは断然ソロと思いました。ソロでバティックを見に行かなかったことが悔やまれました。入口喫茶店受け付けのお姉さん中庭出口 京都と姉妹都市みたい カリウランはメラピ山の噴火で沢山の灰が降り、土石流に襲われ、甚大な被害が出たと言います。4~5年おきに噴火を繰り返すこの山は、登山中の若者が死んだり、結婚式に出席していた人たち60数人をのみ込んだりと、人々を苦しめています。土石流に傷つけられた木噴火直後清掃後噴火の後水枯れした滝噴火の後変わったのは滝だけではありません。気候も変わったのだそうです。本来は5月から乾季。6月に雨が降るなんてという感じだったのが、晴れ女の私がいるにもかかわらず、よく降りました。今日は残念ながら曇り時々雨。山に入っても頂上は見えないからと、ガイドの丸ちゃんはトレッキングを滝で打ち切り。近くの展望台でお茶を濁して早々と帰路につきます。本来ならこの景色が見える予定。実際の眺望はこの程度。早くホテルに戻り、チェックアウトした後だったけど、連日通ったスパで最後のマッサージ。毎日のマッサージのおかげで、二人とも疲れを翌日に繰り越しことなく元気に遊べました。スパの皆さん、有難う。二人だけ下手な人がいたけど、修行を積んでこの次会う時には上手になっていてね。今回ホテルは、5つ星の一番安い企画の部屋。でもチェックインのとき、7連泊してくれるからと無料でワンランク上のお部屋へ。キングサイズのベッドはクッションが良すぎて落ち着かないといったら、3日目からもっといいお部屋に無料で変更して戴きました。皆さんありがとう! フレッシュジュースを水で薄めなければもっとうれしかったんだけど・・・
2013.06.07
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ジョグジャの世界遺産はボロブドゥールとプランバナンが中心。今日はプランバナンへ。先ずはバス(トランスジョグジャ)に。今日は祝日で学校がお休みだからか、バス運転手さんは娘さんを隣に乗せています。前に足が見えているのが娘さん。バス停で先にお金を払うのでこのとき行き先を伝えるとバスが来たら「これに乗りな」と係員が教えてくれます。バス賃3000ルピア(30円)冷房が利き、祝日なのにガラガラで快適なバス。約45分街を走り、プランバナンバス停に。車体が高いので何回も走った道路だけど、見えるものが違います。空港の手前でオカマのお兄さんが信号待ちの車の人に、お尻ふりふり、しなを付けて声をかけています。歌を歌ってお金を貰うのだそうです。バス停から遺跡まで歩かなきゃいけないと覚悟していたのですが、ベチャや馬車が待機していてうるさいほどの客引き。まだ馬車に乗っていないので馬車でプランバナンの周りの寺院も回って貰うことに。10万ルピア1,000円。ホテル近くのベチャの10倍。先ずはソジワン寺院。広大な遺跡だったらしいのですが、度重なる地震で被害を受け、修復されたのはほんの少しだけ。客は誰もいません。受付簿を見たら私たちは数日ぶりの客。プラオサンは、立派な遺跡。祝日なので学生さんらしき人たちが沢山来ています。建物の中には仏像が2体。壁画もあります。もう一つの方には仏像の頭がありません。本日のメイン目的地、プランバナン。9世紀のヒンドゥー寺院の遺跡です。遠くから一見するとアンコールワットに似ていますが、近くで見ると全然違います。歩き疲れた頃、遺跡内を回るバスをみっけ。外国人はフリーと書いてあります。国民は7500ルピア。すわって心地よい風に吹かれながら、緑の中の遺跡を見て回ります。きちんと降りたいところでは5分停車。帰りのバスが満員。運転手は音楽をがんがんかけ、リズムをとりながら運転しているそうです(私の席からは見えない)。おおらかな街です。
2013.06.06
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カーチャーターでソロへ。ソロと言えばブンガワンソロ♪ しかしソロ川の水は茶色で見るとがっかりするよとガイドさんに言われて中止。博物館と王宮へ。博物館は武器や紙幣等、あまり関心のわかないものが展示。マンクヌガラ王宮は今も王様と家族が暮らしておいでで、プライベートゾーンは立ち入り禁止。オランダの香りが残るソロの王宮でした。ここでは週1回音楽が演奏され、踊りの練習があります。丁度その時間に訪問。ジョグジャの王宮の音楽に比べるととっても静かで優しくて、いい気持になります。踊っていた人たちの中に日本人が二人いました。声をかけたら名古屋から来た女性はすでに2年半滞在し踊りの勉強。もう一人の東京から来たかおるさんはもっと長いそうです。こんない優しい音楽に浸って好きな踊りに夢中になり、幸せな人生だなと感じさせました。ソロの近くにサンギランがあります。ジャワ原人の故郷です。博物館があるはずなので行こうと言ったら、ガイドさんがびっくり。バティック見に行かないの?と聞きますからジャワ原人の方がいいといったら変なおばさんという表情。日本の明石原人は誰かさんに持ち去られ、まだ返してもらえないと聞いた記憶がありますが、インドネシアの原人は少なくとも全部は持ち去られなかったのですね。左端がホモサピエンス。左から3番目がホモエレクトゥス。場所はジャングルみたいな山の中
2013.06.05
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外で飲むジュースがどうにも薄いので市場にお買いもの。部屋でジュースを作ります。カボスみたいなカラマンシーみたいなのが1キロ100円。ミカンも2キロ200円。店のおばさんとのやり取りに苦労していたらお向かいのお兄さんと遠くの店のおじさんが応援に来てくれてやっとお買い物ができました。おじさんは親切すぎて薬草やら色んな商品の解説をしてくれます。ホテルにミカンを置いて、王宮まで歩いていくつもりがあまりの暑さにベチャに乗ります。王宮と動物園とレストランを回ってホテルまで帰って20000ルピア200円でいいよというので交渉成立。今日の人は若いのでスピードがあります。王宮ではガムラン演奏中。日本の雅楽みたいなものなのでしょうか?暑くて歩いての見学は結構大変。そうそうに引き上げます。ベチャで30分以上も走ったような。やっとグンビラロカ動物園に。ここに本物のコモドドラゴンがいるのです。これはオランウータンいたいた。これがコモドドラゴン。見るもの見たし帰ろかと思っても、池の周りを回らないと帰れない。沢山歩いて木陰でお昼寝中のベチャのお兄さんを起こして帰ります。レストランはお兄さんお勧めのガーデンレストラン。綺麗なところで今までに行ったレストランで一番安い!味も悪くない。満足満足。暑い中沢山走ってくれてありがとうと、契約の倍額の支払いをしてホテルへ。ホテルでジュース作り。ディエンで買ったバナナ・マンゴウ・パパイア・朝市場で買ったミカン等を、ジューサーとミキサー両方使って2種。うまい!
2013.06.04
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カーチャーターでディエン高原からパンダワ寺院群、シキダンクレーター、パンチャワルナ湖へ、12時間の旅。ディエンに一番近い町ヲノソブは昔避暑地。ディエンは高原なので野菜を沢山作っています。お米は作っていません。水が足りないからだそう。途中の村で巨大バナナを売っていました。ここでしかできないとガイドさん。角バナナという名前です。汚い感じのお店で熱いお茶を飲んでいたら(冷たいものはとても飲めないと行間に書いています)、表をアヒル飼いが歩いています。慌てて飛び出したら棒一振りでアヒルを2列に並べて行進させるというサービスを。私の興奮が伝わったのかおじさんにこりと笑って更に一振り。有難うね、おじさん、あひるさん。すごい段々畑が。ディエンです。パンダワ寺院群に行く途中の道ががけ崩れで車が走れないそうです。バイクタクシーに乗り換えていくことに。3か所回ってくれて500円。写真はバイクタクシーのお兄ちゃん畑の真ん中に寺院遺跡群がありました。いろいろ解説を聞いたのですがメモしなかったので全部忘れました。あっという間に雲海が。シキダンクレーターは要するに熱い温泉が湧き出るところ。私の生まれた町にも似たようなものがありました。地獄と呼んでいましたがクレータというより地獄の方が夢?があっていいかな。パンチャワルナ湖の色は7変化。オレンジに染まることもあるといいます。今日はとっても綺麗なグリーン。ため息が出るような美しさです。
2013.06.03
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世界3大仏教遺跡の一つボロブドゥール。ジョグジャのシンボル。先ずは壁画から。一番下から動物の世界、欲望の世界すなわち現世、解脱の世界、天国と、下から上に書かれているものが異なります。ブッダの一生も書いてあります。ジャングルの中で、火山灰に埋まっていたものを掘り起こしたものです。ジョグジャ周辺では今でも時々畑や田んぼの中から遺跡が出てきます。ストゥパーが沢山ありますが、この一つ一つの中に仏像があります。2つだけ上部を取り外し仏像が見れるようになっています。これに朝日が当たると大変美しいと、サンライズ鑑賞ツァーも毎朝開催されています。ボロブドゥールの近くにあるパオゥン寺院。一つだけポツンと。メンドゥ寺院
2013.06.02
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ジョグジャ初日。昨夜到着したので疲れるといけないから今日は近場でのんびりのつもりが、王宮の隣にある水の宮殿へ。自転車の前に作られたシートに座り、前が見えるように後ろの運転席を高くしてある自転車人力車ベチャ。100円でいいから乗ってくれとしつこく誘われ、乗りましたが、おじいさんは力がなくて、みんなに追い越されてばかり。ただの一度も追い越したことがありません。王宮に行ってと言うのにバティック屋に行こうよとうるさい。とうとう王宮は飛ばされ、水の宮殿へ。理由はひとつ、バティック屋に近い。后や側室が遊ぶプール。奥の建て物は王様の部屋。王様はここから品定めをしてお気に入りを選び自分の部屋またはプールに呼びます。建物を隔てた先には王様専用のプールがあります。王様はお船で移動されますが、王妃や子供は地下道を歩いて移動。この建物は地下道に風と明りを取り入れるためのもの。建物の周りは昔は水。今は人々の家。水が窓から入るほど増水したことはないのだそうです。この後、銀製品のお店、バティック屋さん、影絵のお店とあちこち連れまわされ、帰るときには大雨。でもおじいさんは雨の中を一生懸命自転車をこいでくれました。おかげで私たちは雨に濡れることもなく無事ホテルへ。500円払ったらとっても喜んでくれましたが、こちらは気の毒で申し訳ない気持ち。夜はジャワ伝統舞踊ラーマヤナを見にレストランへ。バリでも同じストーリーの踊りをみたことがあるような。近場でのんびりの予定が、けっこう忙しい初日になりました。
2013.06.01
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綺麗な人がいるものですねぇ
2013.05.29
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ジョグジャはインドネシア、ジャワ島にある古都です。日本からのツァーもありますが多くは1泊か2泊でボロブドゥールとブランバナン、王宮に行く程度で、さっさとバリに移動というものばかり。従って個人旅行しかジョグジャを堪能する術がありません。ドクターの強いお勧めもありましたので、食事療法(大量の野菜ジュース、減塩食・発芽玄米食・野菜料理と少しの魚、砂糖禁止)をしている姉も同行します。しかしインドネシアでは生野菜を食べることは結構危険。現地のタクシーを予約したので、その会社に安全なジュースを飲ませる店を探しといてとオーダーしましたが、田舎でもあるかどうか多少不安です。ホテルで自分でジュースを作れるようにとジューサーも貸して下さるとありがたい提案を戴きました。それにヒントを得て、野菜や魚のスチーマーもトランクに入れ、お粥や野菜ジュース玄米のチンご飯も用意しました。料理に関するインドネシア語も少し勉強しました。更には天然の抗生物質プロポリスは勿論のこと、万一食あたりで細菌性の下痢に襲われた場合に備えてお医者様に薬も貰ってきました。ところが戴いた薬を調べてみたら、細菌性の下痢には使えない、胃腸の過活動を抑える薬です。安全な国で仕事している医者は甘いなぁ。自分でも十分気を付けて、プロポリスで衛生管理して、あとは神様のお加護と皆さんの暖かいエールで、無事に帰ります。世界遺産の仏教寺院、ヒンドゥー寺院、ジャワ原人の古里やソロ、火山のディエン高原、カリウラン高原など、食事に気を付けながら楽しんできます!
2013.05.29
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5月12日から台湾に行っておりました。エバー航空で関空・台北往復、決して悪くないホテル5泊、朝昼夕食各4食、バス・新幹線、特急電車代全部入れて二人分で10万8000円(サーチャージ込!)のツァー。行かなきゃ損々と、衝動的に参加を申し込みました。この安さの仕組みが今もって理解できません。観光地は既視感のあるところばかり。でも桃園から台中までの新幹線は、初めての経験でわくわく。バスで空港から15分でついた桃園の駅。ここから台中へ向かいます。台中の逢甲夜市を雨の中散策。私は晴れ女なのだ、梅雨くらいで雨降るな!この声が天に聞こえたのか、その後歩くときには原則雨は降りません。原則とは例外があるという意味。その例外は九份。台湾の夜市で整形の看板 普通の男がかなりの美形に仕上がる。町のあちこちに造形工作室という看板があったけど、そちらは美容院。 2日目はまず日月潬へ。私の好みでいうなら文武廟でお金儲けの神様に参るより、深い緑の湖の周りを歩きたいのだけど、レイクサイドはバスから感嘆の声をあげるだけで少々不満。湖底の沈殿物の影響で綺麗な緑に見えるところがあったけど、バスが早すぎて写真を撮れない。日本統治時代に作ったダムの下に沈んだ2つの寺院を合併して新たに建てたのが文武廟。因みにガイドさんは、オランダは台湾に来て台湾人から税金を取り、台湾の鉱物をとった。ただ侵略されただけだった。日本は台湾に来てダムを造り、ジャポニカ米を持ってき、サトウキビの根をインドネシアから竹かごに編みこんで見つからないように持ち込んで台湾の農業を劇的に発展させた、更に北投石温泉の病気治癒力も見出したと、日本贔屓の理由を説明。でも私たちは台湾として独立したいのと牽制球。漢民族が来る前から住んでいた原住民は今では少数民俗。台湾政府は少数民族保護政策をとっている。軽減税率の適用、大学までの授業料免除・奨学金、出産時の助成金、雇用補助金等々。感動したのは貧困政策。たとえば子どもがお腹がすいたのに食事をするお金がないとき、コンビニにいって、「腹がすいた、金はない」と言えばコンビニは無料で食事を提供する。そして福祉に情報提供。報告を受けた関係役所は食事もできないほど困っている原因を調査し支援策を考える。これは貧困対策だけでなく虐待対策にも使えそう。台湾ではホームレスを見たことがない。台湾に居住されている日本人が、政治だけでなく、民間レベルでも裕福な者は貧しいものを助ける伝統が根付いているからだというが、親族関係がなくても助けると言うからうれしい。
2013.05.18
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台南の赤かん楼は17世紀オランダが建てたもの。鄭成功がオランダを追い出し、首府にした。鄭成功とその家族を祀っているのは延平郡王祠。鄭成功の母は長崎平戸の田川マツ。鄭成功も確か日本で生まれ、幼少期を日本で過ごしていたような(昔、日経新聞連載小説で読んだ記憶)。国籍法によっては日本人になることもあり得た人。 高雄の蓮池潬。どこの寺院もお金か健康の神様。縁結びとか家内安全とかはお目にかからない。 龍成宮 昔の高雄河、今は愛河という。夜のクルーズ。明日は昔陸続きだったのに開発で島になったという旗津にいくのでまたお船に乗る。お船や鈍行列車にのるのはとっても楽しい。 旗津フェリーで行った旗津の旗後天后宮。3級古蹟。かなり古い感じ。他の寺院と異なり、派手さがない。神様に向かって左に控えているのは順風耳。どんなに遠くで叫んでも聞きつけ駆けつけてくださる。右に控えるのは千里眼。どんなに遠くでもきちんと見えて助けて下さる。お宿は一番の楽しみだった知本温泉。前にも来たことがあるけど別のホテルだった。部屋は広い。しかし部屋の湯船が大きすぎて入りにくい。洗面所の蛇口からも温泉が出ている。露天ぶろは水着着用。
2013.05.18
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4日目は知本温泉から三仙台を経てタロコ渓谷へ。タロコはがけ崩れで一部通行止め。川沿いの道を散策。台湾は深層崩壊やがけ崩れが多い。 花蓮に向かう途中、農家直売の店でアップルマンゴウを購入。小振りだけど3個で100元(370円)。花蓮のホテルで夕食前に食べたけど、おいしかったなぁ。幸せ。ホテルも広くて満足。翌朝花蓮からは特急電車で瑞芳へ。瑞芳は九份への入り口。九份には千と千尋の神隠しの湯屋のモデルと言われる建物が。そこで散策の後お茶をいただいたけど、あまりの高さにびっくり。1服1000円を超える中国茶。味はgood。日本様式の建物も。反核の意思を示すお店もあった。 台湾で最初の映画館最後の夜は台北泊。ホテルに行く前に駆け足で故宮博物館へ。
2013.05.18
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沖縄から帰ってすぐ、桜と桃を見に信州に行きました。経費節減でバス旅行、腰痛の気配。寝る前の腰痛体操でなんとか腰痛は回避。行く先々で殆どの桜が散っていましたが天竜川沿いの桜は少し残っていました。飯田の天竜川沿いに沢山の品種の桜があります。一番多いように感じた関山という桜。白とピンクの花笠紅笠永源寺普賢象御衣黄八重紅虎の尾最後に鬱金(うこん)天竜川とくれば天竜峡白馬にも桜は残っていましたが寂しい感じで・・・お宿はグリーンプラザ。食事はgood! 薄味で野菜も豊富で、何よりリーズナブルで。
2013.04.28
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2日目は光前寺のしだれ桜と昼神温泉の花桃。白馬を出るときは雪。途中から雨。昼には綺麗な青空。光前寺への道は水仙道路。土手いっぱいに白や黄色の水仙が。光前寺のしだれ桜は満開。日本に生まれたことを心から喜べる瞬間。花桃は、5分咲き程度。この花桃は福沢桃介さんが海外から3本持ち帰ったものを、彼が経営する電力会社の敷地に植えたものの子孫。1本の木に白・紅・ピンク3色の花を付けるものもある。もちろん単色のものも。お花が続いたついでにおまけのお花。現在の我が家の花々
2013.04.28
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素敵なごみ箱水牛?本来のシーサーシーサーは、元々は集落の安全を守る魔よけ。だから集落の入口に置かれるべきもの。瓦を焼いた土の残りもので魔よけを作って飾ったのが、今の屋根の上に飾るシーサーさぁ。とドライヴァーさんの説明。
2013.04.28
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沖縄トップの聖域斎場御嶽。聞得大君の就任儀式初め琉球の大事な神事を執り行うところです。聞得大君は琉球王の身近な女性が務め、国王と神様をつなぎます。宝石屋さんでパワーストーンを見ていたら、斎場御嶽で石を清めると言っておられました。この奥から金の勾玉等が見つかり、まだあるかもしれないと聞きました。神の島久高島もみえました。聖なる場所です。沖縄決戦のとき、この中に隠れていた人たちは無事助かったそうです。上の鍾乳みたいなのから落ちてくる水を下に2つ置いてある甕で受けています。ご聖水です。
2013.04.28
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陸軍のがま(壕) 入口は狭いが中は広い、しかし暗闇。多くの兵士がここで過ごした。海軍の壕・司令部跡。海軍関係者が自決した場所。占領時代ずっと立ち入り禁止で荒れるにまかせたまま。復帰後生き残った人々が集まり、入り口も分からなくなっている状況で遺骨を拾った。健児の塔 沖縄戦で亡くなった学生を悼む慰霊碑師範学校生だけの健児の塔神風部隊の慰霊碑姫ゆり部隊に駆り出された女学生の学びやの跡、男子学生は戦争が終わったら学校に帰れたが女子学生はアメリカがつくった教会に入れられ、戦争孤児の世話に従事。多くの名前を覚えていない子、名前を覚えられる年になっていない子どもの名付け親になったという。平和の礎 全てが焼き尽くされ名前も分からない遺体がある。
2013.04.24
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沖縄の県花はデイゴ 赤い花は今から咲き時を迎えますが葉があると花を付けないと言います。しかし、葉と花が同居している樹がありました。デイゴの花が咲いて1週間すると梅雨入りすると言われ、植え付けを急いだそうです。月桃の花風鈴ハイビスカス花が開かないハイビスカス 男性に求愛されて断るときに女性が送る花これは何?
2013.04.24
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雨に降られなかったことに感謝すべきか?お天気がもう一つで海ももうひとつ。真栄田岬・万座毛・新原ビーチ、更には海中道路を渡って平安座島経由宮城島まで行ったのですが、宮古島で感動したような海が現れません。空が綺麗でないとどうにもならないか海中道路通過中、もうじき海の駅あやはし館。ドライヴァーさんは海の駅で水槽に入れるための海水を汲みに。宮城島の塩製造工場の裏にパワースポットが平安座島には石油基地ができています。島の皆さんは雇用が生まれると期待して先祖伝来の土地を売却し、墓まで一緒に一つの集落にまとまって土地を明け渡したというのに、機械化がすすみ、住民からの雇用は10人だけだといいます。微量の石油が海の表面を汚しているそうですが、隣の島にはギネスブックにものったという塩工場があるのに、大丈夫かしら?
2013.04.23
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沖縄の25パーセントは基地だそうです。基地の入口前で反対する人たちの抗議行動。多分オスプレイに反対していると思うのですが、聞こうとしたら警察官が車をとめるなというので聞けませんでした。普天間基地は住宅街の中。嘉数の丘から中を覗くことができます。オスプレイも飛行準備中街中に基地があるので事故があると被害が大きくなります。以前近くの大学に落ちたことがあります。これはその残骸、樹が焼けています。これは燃料保管庫ですって。基地の中にお墓が残っています。すぐ近くでは畑を耕していました。通行券をもって基地に中に行くそうです。嘉数の丘に残っているトーチカ普天間基地に隣接して反戦美術館が。こちらは嘉手納基地。中が見えないように高い塀が設置してありましたが、安保の丘のすぐ前に道の駅が出来ました。そこから基地の中丸見えです。飛行機の収納庫 手前の立派なのが日本の予算で作ったもの。ちなみに事故の補償金はアメリカが払うのではなく、日本政府が払っているのだそうです。ドライヴァーさんは米軍兵士に車をぶつけられ、国に請求したら損害額の証明なしに払ってくれたといっていました。沖縄ならではの看板
2013.04.22
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首里城は、14世紀末に創建されたもの。何度も戦で焼失し再建を繰り返してきた城です。中国から尚の名を貰い、琉球王として任命され、明治に日本に組み込まれるまで尚氏が琉球王として支配しています。ドライヴァーさん曰く「第1尚氏と第2尚氏に血縁関係はない。尚と名乗れば中国は王として任命してくれる。」任命式では琉球王は中国の使節の下座に立っておられます。中国の影響を色濃く残す首里城ですが、江戸幕府・薩摩藩への配慮も欠かさず、日本の様式も取り入れています。関係各国に気を使いながら交易を進めた琉球ですが、そのために犠牲になったのは武家の若い娘です。技術者を琉球に招くと、武士の娘が差し出されたのだそうです。中国の使節団にも若い娘が差し出されます。一度使節団に差し出された娘は実家に帰ることも許されず、親と離れて施設(?)で暮らすのですが、年に1度のお祭りで彼女らが踊り歩くのを親がそっと見に行ったと、昔聞いたことがあります。第2尚氏の時代、それまでの抗争に心痛めた琉球王は、人を殺す武器は要らないと刀狩をし、自らも武器を放棄したそうです。17世紀初頭薩摩が侵攻してきたとき、武器のない国に勝ち目がないことを悟った王は部下に「戦うな、王だけが殺されればいい」と言って民と部下を守った、これを勝海舟が学んで江戸城無血開城につながったのだと、琉球の平和の歴史に誇りを持つドライヴァーさんは日本の平和憲法の改定の動きに憤りを隠しません。首里城は再建されたものですが世界遺産に選ばれました。原形が少し残っているからだそうです。この石積は強度を保つための独特の工夫をしています。首里城の前にある園比屋武御嶽サミット晩さん会は首里城で。ペルーは日本より先に4回も琉球を訪れ、種子島の鉄砲と同じものが種子島よりおよそ100年早く琉球に来たそうですが、武器を持たないと決めた国には不要のものでした。
2013.04.21
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坂道が石畳で、大変風情があるのですが雨の時には滑りそう。昔は長い石畳の道だったけど、車が走るのに不自由で今は一部しか残してありません。周りの住民にとっては生活道路なのに観光客が来るので迷惑なんだと観光客の私に言われます。静かに歩いているのですけど・・・
2013.04.21
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10時半関空から沖縄へ。ラウンジは国際線でしか利用できないと思っていたら、セキュリティチェック前に、カード会社のラウンジとKALのラウンジが使えました。ANAのエコノミークラスに乗るのにKALのラウンジに入れるのはプライオリティパスが使えるから。カード年会費を1万少し払うだけで無料でプライオリティパスが手に入り、世界各国の主だった空港のラウンジで、無料で休憩・飲食ができます。国内線でも使えるとなるとかなりの優れ物。12時半、沖縄に着きました。上着をリュックに押し込み、お迎えのタクシーで首里城周辺に。先ずは識名園、ここは琉球王の別邸で、中国の使節団を接待した場所。海に囲まれた沖縄ですが、ここでは海が見えません。中国のお客人に琉球は広いと思わせるため、わざとそのように設計してあるのだそうです。庭には中国風のアーチ橋や六角堂。しかし造園形式は回遊式庭園で日本風。色んな植物を楽しませてくれる庭。王家の別邸なのに建物が小さく見えますが、全部で195坪。敷地が広いからせまく見えるのかしら?12000坪強。こんなに広いと草ひきが大変だから私要りません。今は観光客にも開放し、結婚式にも貸しています。今日も一組の結婚式がありますが、沖縄では昼間の早い時間から結婚式はしないそうです。なぜか?早い時間だと2次会でたらふく飲めないから、招待客に気を使って多くは夕方からするのだとドライヴァーさんの説明。
2013.04.21
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姉の腫瘍マーカーが連続で低下し、定期健診も2カ月おきでいいことになりました。腫瘍が消えたわけではないので油断はできませんが、それでもひと安心。安心した途端に遊び心がむくむくと。4月 Mさんと沖縄本島に遊びに行きます。二人とも車の運転ができないので4日間タクシーをチャーターしました。42000円。安すぎるから一人分だったりして。ツァーでは行かないようなところで旅程を組みました。楽しみ。そのあとYさんと信州に桜を見に行きます。楽しみ。5月連休明け 元夫の姉と台湾に行きます。大気汚染大丈夫かしら?不安。昨年末に余命6カ月と宣告された姉が5月終わりに満期を迎えます。満期出所を記念して二人で世界3大仏教遺跡のひとつボロブドゥールを見にジョグジャカルタに。私にとっては唯一行っていない世界3大仏教遺跡。ジョグジャだけをゆっくりみるツァーがありませんでしたし、食事にこだわりがあるので個人旅行です。沖縄同様タクシーをチャーターし、日本語ガイドを付けてもらい、ボロブドゥール・ソロ・ディエン高原等を回ります。市内は馬車やベチャとトランスジョグジャバスで。遺跡だけでなくブンガワンソロ・ジャワ原人の古里も楽しみ。あ~ 胸が高鳴る!クーポンを買ってサーカスを見に行ったのに満席で入れず、しかもカメラを落として壊してしまいました。二重の損害ですが、新しいカメラを買うか、川に転落しそうになった時濡らしたカメラ(ズームがどうもおかしい)を使うか、重いけど一眼レフを使うか、悩んでいます。旅にカメラは必需品だし・・・あ~悩ましい!
2013.04.06
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もうすぐ台風並みの風が来ると言うので、叶匠寿庵に桜を見に行きました。元気になった姉の運転で。桜は八重紅しだれ?他は少し遅かったのか終わりです。 でもかたくりが残っていました。更にこれはしょうじょうばかまと いかりそうかしら? こりゃなんだ? 我が家では、親の仇のように抜かれる庭の雑草。生まれるところに恵まれればこんな芸術先品に。花見につきもののお茶とお菓子は受け付けでごちそうになりました。桜が少なかったので南郷洗堰近くの水産センターの桜を見に車を走らせます。満足。
2013.04.06
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南郷洗堰の歴史が紙芝居で展示。分かりやすいですね。軍事的理由で治水が左右されるなんて、当然と言えば当然だけど、へぇと思いました。
2013.04.06
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