気まぐれな夢旅人【本館】

気まぐれな夢旅人【本館】

2010/12/02
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ほぃ!!
どぉも、奥さん。ToSでぇ~ございます。

ね。

青森県某所に居るちょる@弟くんより、
先日、青森県産長芋を箱いっぱいに送ってきてくれました。

ありがとう!

それを昨日いただきました。
芋を目いっぱい擦り込んで、減塩醤油を掛けて混ぜ、
それをお吸い物やご飯にかけたりしてね。



もぉね、粘っこい食べ物大好き人間ToSでぇございまして、
納豆やもずく、オクラや松前漬けとか。
ご飯に合う粘っこいものだけで、おかわりしちゃうもんねぇ。
ご飯の友みたいな感じでね。

あぁ~、
何も食ってないから、腹減ってきた・・・。




さて、本日も注目度ゼロの当ブログを管理するToS野郎がお送りする
風景印 兵庫南西部淡路篇 でございます。


毎度ありがとうございます。
U-RIさんのご提供でお送りいたします。

へば、見でけれぇ~。


22/08/16 「風景印」 兵庫・甲子園口局


JR東海道本線・甲子園口駅南口のそばにあり、
こちらも一方通行路が各所にございます。

さて、本日の図案意匠は、
阪神甲子園球場、甲子園会館

まずは、 阪神甲子園球場
「甲子園」といえば、高校野球のメッカ・聖地として大変有名であります。
そすて、阪神タイガースの本拠地でもあります。
その甲子園の起源をご存知という方はあんまり居ないのでは?

全国中等学校野球選手権大会(大正時代)は
豊中球場→鳴尾球場と時を経て行われ、
その流れの中で、大会の人気が急上昇。
球場の収容人員が収まりきらないことが一因となり、
一時は試合を中断せざるを得なかったこともあったといいます。

そこで、主催者の大阪朝日新聞と
鳴尾球場の所有者である阪神電鉄とが協議をし、
1924年に起工・竣工しました。
同年は十干十二支でいうと、
一番初めの「甲子」にあたる縁起が良い年であることから
「甲子園」と名づけられました。
当時は「甲子園大運動場」と呼ばれていました。

それから約10年、大阪タイガーズ(現;阪神タイガース)が誕生すると
甲子園を主に使用し始めます。近隣球場も同時に使用。

しかし、太平洋戦争が激化すると、
スポーツをしているどころではなくなり、
プロ・アマ共に一時、甲子園で行われることはなくなってしまいます。
そして、1945年8月甲子園は空襲を受けます。

敗戦した日本は色々とアメリカ軍に
接収(権力で所有物を奪うこと)されることとなり、
その一つに甲子園も含まれました。
そのため、甲子園での試合は困難となり、
近隣の球場を使用して試合をしていたそうです。

2年後にはその接収は一部解除、
球場全体の接収解除はそれから7年も経ってからでした。

甲子園には、
あのラッキーゾーンがあったことは僕も知っていましたが、
ホームランを増やす為との意図があったことは意外でした。
1947~1991年までの長きにわたり設置されました。

1948年の暫定的なフランチャイズ制導入に伴い、
大阪タイガースは甲子園を本拠地とします。

徐々に戦後からの復興の兆しもみえてくると、
それに比例するように野球界も盛り上がりを見せ、
高校野球も再開。
阪神タイガースに改名(1961年)した球団は関西圏の熱狂的な応援にも
応えていくことになります。
名称を「阪神甲子園球場」に変えたのは1964年のこと。


平成に入ると、阪神電鉄トップらにより、
ドーム化の話が持ち上がってきましたが、
バブル崩壊や阪神大震災の壊滅的な被害を受け、
ドーム化を含んだ事業計画を見直し、
白紙撤回することとなりました。
同時に構造の強度をはかるために
基礎部分を残した大改修に着手し、
今年の春にその工事が終了しました。

もし、ドーム化していたら、どうなっていたんでしょうか?
阪神ファンによる甲子園名物のジェット風船も
見られることは無かったことでしょうし、
炎天下での試合で汗を拭う高校球児もないことでしょう。
あの名場面も屋根つきで迫力が無かったのかもしれません。

死ぬまで一度は行ってみたい。
高校の時は野球をやっていませんが、
野球経験者ならば、誰もが行ってみたい憧れの地です。

経験無くても行きたい人は行きたいんでしょうけれども。



さて、続いては 甲子園会館
1930年に「甲子園ホテル」として竣工されました。
しかし、時は太平洋戦争に突入。
営業はたったの14年でありました。

その後はアメリカの接収→日本国の管理下と時代は流れ、
1965年、武庫川学院が「由緒あるこの建築物を保存したい」
と名乗り出て、国から譲り受けました。
そして、武庫川女子大学の学舎として現在も使われております。
正式名称は「武庫川学院・甲子園会館」。

造りは大変モダンであり、一部は改修してあるものの、
当時の建築されたまま大切に残されています。

棟造りやレリーフ、噴水や暖炉。
ホールの装飾にいたるまで、
内外観に「打出の小槌」の形を残しており、
洋式の建築でありながらも「和」を取り入れています。
そのモダンな造りから
『東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル』
と並んで称されたほどです。



ま、今日はこの辺でいいでしょうか?



それにしても、今日は頑張ったわぁん。
たまには、自分で自分を褒めたいと思います。

さ、カレー食うべ。


へばなッ






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最終更新日  2010/12/02 11:52:40 AM
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