旬 0
全70件 (70件中 51-70件目)
2022年11月24日(木) 晴れ一昨年にはじめて下関までとらふぐを食べに行き・・唐戸市場によったのが始まりでハマってしまった旅先です・・今年も行ってきました・・山陽道路から見えた風景・・モヤがかかってすごく綺麗でした・・高速道路を飛ばすこと約5時間・・まずは腹ごしらえ・・元祖ばりそば本舗 春来軒さん・・山口のB級グルメ!到着したのは12時35分・・店内は少し座席が空いてる状態ですぐに席につけましたAとBをオーダー・・するともうご飯が一人分しかないとのこと・・私は普通のばりそばに・・クマさんはBの普通のばりそば+おにぎり+餃子・・ばりそばの量が凄いです・・お出汁を飲んでみると鶏の風味がぷぅ~~~んと香る・・シャバシャバのお出汁です・・麺はパリパリ・・お出汁に浸して柔らかくして食べるって感じです・・いつも食べてるあんかけそばとは全く別物・・すごい量だったから食べきれないと思ったけどさっぱりしたお出汁で完食!ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆餃子もにんにくがよく効いてて美味しかったぁ・・餃子追加する?もうお腹いっぱいで食べられへんわ・・お腹もいっぱいになったところで移動です・・このあと山口を観光してホテルへ向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2022/11/28
コメント(19)
斎場御嶽を9時50分に出発しひめゆりの塔に向けて出発です・・みなさんは「ひめゆりの塔」と聞くとどんな印象をお持ちでしょうか?戦争にまつわる場所・行くのにちょっと勇気のいる場所・怖い場所・・私はちょっと怖い場所という印象を持っていました・・それでも沖縄に来たなら絶対に外してはならない場所だと思っています・・ひめゆりの塔10時30分到着・・第二次世界大戦中唯一国内で地上戦が繰り広げられた沖縄では迫りくる米軍の攻撃によって多くの人が命を落としました・・そんな尊い命をまつわる場所が県内にはいくつかあります・・「ひめゆりの塔」もその内のひとつです・・当時沖縄師範学校と沖縄県立第一高等女学校に通っていた女学生222名と彼女らの教師18名の総勢240名・・彼女たちが沖縄陸軍病院に動員され負傷兵の治療に尽力を注いだのが「ひめゆり学徒隊」・・その名にちなんで慰霊碑「ひめゆりの塔」が建立されました・・「ひめゆりの塔」が位置するのは那覇市から車で約30分の糸満・・敷地には石碑があるひめゆりの塔と平和祈念資料館の2つのエリアに分かれていて歴史的側面から当時の状況を知ることができます・・ひめゆりの名の由来は平和祈念資料館によると沖縄県立第一高等女学校を「乙姫」沖縄模範学校女子部を「白百合」と名付けられていたそうです・・その両方の名前を合わせて「姫百合」と名付けられ戦後からひらがなで「ひめゆり」と使うようになったそうです・・公園の随所に配置された石碑・・穏やかな雰囲気が感じられここでかつて戦火が激しかったことなど想像ができません・・そして奥に進むと現れるのが、「ひめゆりの塔」ひめゆりの塔看護要員として戦場に動員され亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔・・ひめゆり平和祈念資料館にはひめゆり学徒隊の犠牲者の遺品やガス弾によって多くの犠牲者がでた伊原第三外科壕が実物大で再現されていてひめゆり学徒隊について学べる場となっています・・献花台の奥に映っている岩は「ガマ」と呼ばれる自然でできた防空壕でじっさいに使われていたものです・・白くて四角いものが犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑でその右手前にある高さわずか数十センチの石が「ひめゆりの塔」・・沖縄陸軍病院第三外科壕跡慰霊塔の前に穴があいている洞窟が沖縄陸軍病院第三外科壕跡です・・洞窟や壕のことを沖縄の方言で「ガマ」と呼ばれています・・ひめゆりの塔がある「ガマ」(写真中央の穴)には当時ひめゆり学徒を含む病院関係者や住人など96名がいて解散命令後の6月19日に米軍のガス弾攻撃を受けて87人もの方が命を落としました・・当時薄暗い狭い壕の中で大勢の負傷した兵隊のうめき声が響く中必死に看病するひめゆり学徒・・そして必死に生き延びようとする住人がこの壕の中で共存していたのです・・ひめゆりの塔入口ひめゆり平和祈念資料館悲惨な沖縄戦を後生に伝えるために元ひめゆり学徒隊の同窓会と募金等により設立しました・・辛く悲しい気持ちになりますが当時の悲惨さを学ぶことができる場となっています・・ここから先は一切撮影禁止です・・展示室は全部で6つあり花畑のある庭を中心にぐるりと回るような構造です・・6つある展示室の中でも特に衝撃的だったのが第2展示室・・病院壕のジオラマや元ひめゆり学徒生存者の証言VTRが流れひめゆり学徒がじっさいに看護要員として配置された後の様子が分かります・・また第6展示室である「鎮魂」も忘れがたいところで・・壁面には亡くなった全227名の遺影がかかげられています・・最初にご紹介したひめゆりの塔のガマが実物大で再現され・・下から見上げて避難生活を送っていた当時者の気分を感じられます・・全展示室を見て回ると最後に現れるのは「回想」・・紙とペンが用意されこれまでの展示を振り返りながら各々の思いをつづるブースとなっています・・老若男女問わず多くの方がつづってらっしゃるのが印象的でした・・以前・・靖国神社に行ったとき資料館の中に入った途端徐々に気持ちが悪くなってきて首から肩にかけてずっしりと重みを感じ特攻隊の部屋にはいったときにはもう立っていられなくて廊下の椅子に腰掛けて座っていたことがありました・・ずっと心の中で私には何も出来ません本当にごめんなさいと謝りながらクマさんが出てくるのを待っていました・・クマさんが出てきて一緒に出口に向かうと同時に身体が軽くなり出口のところにあったレストランで海軍カレーを完食・・あれはなんだったんだろうと今でも思います・・そんな経験があったから怖いという思いを抱えての入館でした・・そんなこともありひめゆり平和祈念資料館ではあまり深い思い入れをしないようにできるだけ淡々と見て回ってきました・・11時「ひめゆりの塔」出発帰りの飛行機はスカイマーク596那覇発15時30分レンタカーは13時30分には返さないといけません・・ちょっと時間があったので瀬長島ウミカジテラスでお昼を食べようかと・・ウミカジテラスにつく頃には雨が本降りになってて・・行っても仕方ないねとドライブだけしてレンタカーを返しに行くことに・・レンタカー会社からバスで空港まで20分・・空港に着いたのが12時を回っていました・・空港でお昼を食べてクマさんは天丼定食私はカツ丼定食・・色々お店を見てまわったのですが食べたかったのはお蕎麦・・だったとさ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆この日歩いた歩数 11860歩 約8kmFC2・・はこちらから
2022/09/14
コメント(18)
2022年7月1日(金) 曇り時々雨・たまに晴れ・・昨夜コンビニで買ってきていたパンなどを食べて軽く朝食をすませ7時50分にチェックアウト・・Pに行くときに小雨が降ってきた・・今日はアウトかなと思いながら斎場御嶽へと出発・・1時間ほどで目的地に到着・・斎場御嶽には駐車場がないので初日に来たここに車を止めて徒歩で移動です・・チケットを購入して傘をさして徒歩で約10分・・ここが斎場御嶽の入り口です・・御嶽(うたき)とは南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で斎場御嶽(せーふぁうたき)は琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)伝説にもあらわれる琉球王国最高の聖地です・・また琉球国王や聞得大君(きこえおおきみ)の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り(あがりうまーい)」の参拝地として現在も多くの人々から崇拝されています・・御嶽の中には六つのイビ(神域)があります・・琉球国王はこの六カ所を参拝しながら国家繁栄・安寧・五穀豊穣・航海安全などを神に祈願しました・・はるかなる琉球王国時代国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島から特別に運び入れそれを御嶽に敷きつめました・・その祭事の中でも最も大きな行事が聞得大君(きこえおおきみ)の就任式である「御新下り(おあらうり)」でした・・斎場御嶽(せーふぁうたき)は沖縄本島の南東部にあり昔から神事が行われてきた琉球王朝の聖地で2000年の12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として世界遺産に登録されました・・日本国内では11番目の世界遺産で首里城跡や今帰仁城跡などを含む9か所が含まれています・・斎場御嶽は神々が降臨する場所として昔から礼拝が行われてきました・・中でも二本の巨大な鍾乳石がもたれかかりあい間に三角形の空間のある三角岩が有名です・・久高島遙拝所斎場御嶽は琉球王国最高の聖地とされている場所で琉球民族の祖と言われるアマミキヨが降臨したという神話の島「久高島(くだかじま)」を望むことができます・・斎場御嶽は南西諸島には広く分布する聖地の総称であり琉球開びゃく伝説にもあらわれます・・琉球王朝の聖地は琉球が統一国家へ向けて動き始めた14世紀後半から王国が確立した後の18世紀末にかけて生み出されたもので・・斎場御嶽は神々が天降りする社として祭祀を司る神女(ノロ)によって神拝行事が行われてきました・・かつては神女しか入れず男子禁制の場とされていました・・大庫理(ウフグーイ)御門口から登って行くと左手に見える最初の拝所です・・大広間や一番座という意味を持っていて・・前面には石畳の敷かれた祈りの場(ウナー)があります・・三庫理(サングーイ)6番目の拝所・・二つの大きな岩が絶妙なバランスで支え合っています・・この岩の隙間を抜けると左手に久高島が望める場所となります・・三庫理を抜けた突き当たり付近からは近年・勾玉が見つかりました・・とても意味のある場所だということが分かるのではないでしょうか・・コロナの関係で中に入ることが出来ませんでした・・この岩の隙間を抜けると久高島が望める・・見たかったなぁ・・と・・身を乗り出した時・・強い風が身体を通り抜けていきました・・風といっしょに身体の中の悪いものも一緒にもっていってくれたような不思議な感覚に・・チケット売り場のあるところに戻ってきて・・お店のお兄さんお勧めの黒糖饅頭やちょっとしたものを購入・・サンダーアーギーはできたてのものを売ってるこのお店で買うことに・・ドラゴン球???なんだろうとお店の方に聞くと今揚げてるところだから少し待って下さいということで揚げたてを買いました・・一日100個限定のタピオカ粉を使用しサクッともっちりの絶妙な食感がする揚げ菓子琉球三矢ボール(通称:ドラゴンボール)すごくいいタイミングで買うことが出来ました・・美味しかったなぁ・・・・続く・・FC2・・はこちらから
2022/09/12
コメント(17)
今帰仁城跡を13時20分に出発し地元の食材があるという今帰仁の駅そ~れを覗いてみることに・・今帰仁の駅そーれの発祥は元々この地域に住む女性たちのサークルだったそうです・・女性メンバーのみで農産物の直売や地元名産品を使用した加工品の開発などを通じてこの今帰仁の駅そーれを立ち上げたそうです・・クマさんは野菜の種を・・レストランが併設されているということでなにか食べたかったのですが残念なことにレストランは営業していませんでした・・この後向かう「橋の駅 リカリカワルミ」で屋我地島と本部半島を結ぶワルミ大橋の絶景がみえるというのでそこで食べることにしようと思ったのですが今日は定休日でお店は閉まっているとのことでした・・雨が降ってきてましたが・・その絶景を見ることはできるようでしたので今帰仁の駅そ~れでお弁当を買ってそちらで食べることに・・沖縄の女性のパワーは凄かった・・南国の人って陽気なのね・・元気いっぱいもらいました・・リカリカワルミからみたワルミ海峡とやんばるの森・・古宇利大橋の大パノラマが望めます・・雨がまた降ってきたので車の中でお弁当を食べて・・(*゜ロ゜)ハッ!!凄く美味しいお弁当だったのに写真撮るの忘れた・・お腹が空いてたのでガッツリ食べちゃった・・(^_^;)古宇利大橋の入り口のところにたくさんの車がとまっていたので私達も止めて浜辺に降りてみました砂浜から見た古宇利大橋古宇利大橋(こうりおおはし)は沖縄県の北東部今帰仁村(なきじんそん)にある絶景スポット・・名護市北部の屋我地島(やがじしま)とそのさらに北に位置する古宇利島(こうりじま)とを結んでいます・・2005年2月8日に開通したこの橋は全長1,960m通行料金は無料です・・沖縄では通行料無料の橋としては2015年開通の伊良部大橋(3,540m)に続く2番目の長さ・・沖縄本島から気軽にアクセスできる距離感もあいまって人気のスポットと・・海の中を通る1本道左右に広がるエメラルドグリーンが通る人を魅了し沖縄の海の美しさを記憶に刻みつけるドライブコースです・・また古宇利大橋を通り抜けた先の古宇利島には名だたる名所絶景が軒を連ね訪れる人を魅了しています・・古宇利島は琉球神話の聖地であり神の島・恋の島と呼ばれ・・琉球人が最初に暮らしたとも伝えられています・・この心洗われる景色が広がる古宇利島へ通じるのが古宇利大橋・・ハート岩(ティーヌ浜)恋の島のシンボルであり恋愛成就の強い味方・・恋のパワースポット!透明度抜群の海に奇岩が2つ・・一見よくある風景ですがある角度から見るとハートが出現!通称ハートロック・・ちょっと小腹が空いたので「今帰仁の駅そ~れ」で買い求めたお姉様方の手作りのサンダーアーギーを・・お姉様方おすすめだけあってとっても美味しかった・・しかもお値段もお安い・・姫路でたまにイオンで売ってるけど高いんだよね・・今夜は那覇泊まり・・那覇に向かって約2時間の移動です・・ホテルパームロイヤル那覇に到着したのが17時10分・・フロントでお勧めのレストランを聞くと何が食べたいですか?と・・クマさん沖縄のあぐー豚のとんかつが食べたいと・・おすすめしてもらったお店の場所を地図に印を入れていただいた・・ここからが大変なことにホテルを出てすぐに左に向かって15分くらいと聞いていたのに歩いても歩いても繁華街からずれてしまって店らしいものはない・・どうも・・すぐ左ではなく国際通りに出てから左という意味だったみたい・・来た道を戻って地図通りに右折して・・どんどん進んでも店はない・・バスを待っていた女性に聞いてみると・・行き過ぎていたみたいで一緒について教えてくれました・・お礼を言ってお店に入ると満席で一杯ですと・・空いたら連絡しますが・・とのことでしたがもう二人共疲れてしまって(すでに1時間近く歩いていた)来た道を戻りながらクマさんがコンビニ弁当でも買ってホテルでゆっくりしようホテルの近くのコンビニでお弁当やビールを買って戻りました・・大浴場もあったけど行く気がしなくて部屋のお風呂に入って寝ちゃった・・今日は朝・ホテルで食べた朝食以外はお弁当・・なんか食事に縁がなかったなぁ・・(o´Д`)=з 疲れた・・・この日歩いた歩数 19668歩 13.3kmFC2・・はこちらから
2022/09/09
コメント(21)
備瀬のフクギ並木・・11時30分出発車で約30分の世界遺産の今帰仁城跡(なきじんじょうあと)にむかいます・・今帰仁城跡とは沖縄本島の北部・本部半島にある歴史的なグスクです・・世界遺産にも登録されたグスクです・・今帰仁城跡の歴史は古く13世紀までさかのぼるとされています・・堅牢な城壁に囲まれたその城は標高約100メートルに位置し・やんばるの地を守る要の城でした・・攀安知(はんあんち)時代に中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは監守(かんしゅ)が派遣されるようになり1665年に最後の監守が引き上げてからは祭りを執り行う場所として残されました・・外郭(がいかく)高さは2m前後と比較的低い石垣が延長数百m蛇行して続いています・・発掘調査で屋敷跡が確認されたそうです・・ここでチケットを購入して中に入ります平郎門現在見る門は昭和37年の琉球政府時代に修復されました・・琉球国由来記に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」として登場します・・大隅郭(ウーシミカク)戦時に備え馬を養い兵馬を訓練した場所として伝えられています・・最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です・・またここには場外に抜けることのできる抜け穴があると伝えられています・・本格的な発掘調査はおこなわれておらず今後の調査が期待される郭のひとつです・・平郎門から直線的に伸びる石階段は1960年代に整備された階段です・・旧道本来の登城道は平郎門から城内へ向かって石階段の右手側にあります・・曲がりくねった大きな岩盤の谷間を利用し道幅を狭く造り敵兵が攻め入っても一気に入れないように急なのぼり道となっています・・カーザフ城内でも一段と低いところで沖縄の方言では「川や湧泉」を・・ザフは「迫(谷間)」を意味します・・ここは自然の石が露頭しており岩盤に直接積んだ堅固な石積みはかつて城壁として鉄壁を誇ったものと想像することができます・・階段の途中のところに咲いていた赤い花・・フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑華)> 球状の花が風鈴のように風に揺れてハイビスカスの一種で別名「コーラル・ハイビスカス」アオイ科フヨウ属の熱帯花木原産地は東アフリカのタンザニア沖ザンジバル島やケニア・モンバサといわれるブッソウゲはハイビスカスの別名風雅な和名は真下に伸びた長い花柄の先の球状の花を風に揺れる風鈴に見立てたもの下に垂れ下がった長い雌しべが短冊などを吊るす風鈴の舌(ぜつ)のようにも見える大庭(ウーミヤー)政治・宗教の儀式が行われたと考えられる場所で首里城の御庭(ウナー)と同様の機能を有していた郭と考えられています・・七五三の階段を登ってきて大庭を取り囲むように正面には正殿(主郭)右側が南殿・・北側の一段高いところに北殿があったと考えられています北殿跡には建物跡とみられる礎石が今も残っています・・志慶真乙樽(シゲマウトウダル)の歌碑今帰仁の城 しもなりの九年母(クコブ) 志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい今帰仁グスクの南にある志慶真ムラという集落に「乙樽」という美女がいました・・黒髪が美しい乙樽の噂は国中に広がり「今帰仁御神」と呼ばれ時の山北王も側室として仕えさせました・・なに不自由なく暮らす幸福な毎日を過ごしましたが高齢の王には長い間跡継ぎがなく王妃も乙樽も世継ぎを授かることばかりを祈っていました・・やがて王妃が子を授かりそのことを季節はずれの蜜柑が実ったことに例え・・子供のはしゃぐ声に満ちた平和な様子を謳っています・・ソイツギ(城内下之御嶽)今帰仁城跡内には御嶽のイベ(最も聖なる場所)が2つあります・・大庭(ウーミャ)の北西にあるソイツギは「琉球国由来記」(1713年)に「城内下之嶽」神名「ソイツギノイシズ御イベ」と記され旧暦八月のグスクウイミという祭祀の時・・今帰仁ノロが五穀豊穣等と祈願します・・御内原にあるテンチジアマチジ「城内上之御嵩」や神ハサギ跡と共に祭祀場として拝まれます・・御内原(ウーチバル)北殿跡の北側にある一段高いところを御内原と呼んでいます・・この場所は伝説では女官部屋があったとつたえられていて・・城内で最も重要な御嶽(イベ)があります・・特に御内原の北側からの眺望は城内でも最も開けていて今帰仁城跡の城壁のほぼ全てを望むことが出来ます・・また国頭の山並みや離島の伊平屋・伊是名島を眺めることもできます・・特に晴れた日には沖縄本島北端の辺戸岬の先22km洋上にある与論島を見ることが出来ます テンチジアマチジ(城内上の御嶽)御嶽とは琉球固有の祭祀施設・・琉球の信仰における聖域の総称で・・神が存在あるいは来訪する場所です・・テンチジアマチジは御内原(ウーチーバル)の南東側低い石で囲まれる御嶽です・・沖縄の古謡「おもろさうし」では「今帰仁のカナヒヤブ」と謡われ今帰仁グスクの守護神として崇められる最も神聖な配所です・・俗にテンチジアマチジと呼ばれ昔は御内原とこの地域は男子禁制で城内の女官によって子孫繁栄・国家安泰・五穀豊穣を祈願したとつたえられています・・旧暦七月のウブウイミ・八月のグスクウイミでは今帰仁ノロによって祭祀が執り行われます・・今帰仁里主所火の神(なきじんさとぬしどころひのかみ)この祠は第二尚氏(少子)時代の北山監守一族の火の神が祀られています・・琉球土着の信仰において火の神は火を司る神様です・・火は家とそこに住む人々を守ると信じられており今日でも多くの沖縄の家では台所に火の神を祀ったりしています・・北山監守は1665年に首里に引き揚げますがかつての根所(ねどころ・旧宅地)の火の神として崇められてきました・・旧暦八月十日には今帰仁ノロ以下の神人(かみんじゅ)が城ウイミの祭祀を現在も行っています・・この火の神の祀戦後に改築したもので城跡の整備事業に伴い現位置に移されました・・祀の中には香炉と火の神を象徴する石がおかれており・・今でも門中の行事である今帰仁上がりの重要な拝所として参詣者が絶えません・・修復中の所です・・ここまで入ってくる方はほとんどいませんでした・・カラウカー常時水をたたえていたと伝わる場所でかつて女官たちが髪を洗ったり水量で吉凶を占ったりした場所と伝えられています・・旧暦七月盆明けには今帰仁ノロ率いる神人たちが巡拝する場所となっていました・・平郎門平郎門の名称は1713年に編集された「琉球国由来記」に「北山王者・本門・平郎門ヲ守護ス」と記載され登場します・・1742年に描かれた「今帰仁旧城図」の資料にはこの場所が本門として記されています・・2つの資料から今帰仁城の重要な門がこの門で平郎門を呼ばれていたことがわかります・・しかし城としての機能を終え300年以上経った1900年代初め頃には既に門は大きく崩落していたことが分かっています・・1961年12月から翌年4月頃に現在の門の形に修理が行われました・・古宇利殿内(フイドゥンチ)沖縄の方言で古宇利(こうり)のことを「フイ」と言うことから「フイ殿内」と呼ばれています・祠は古宇利島のある北東の方位を向いていて今帰仁村の唯一の離島であるあ古宇利島の人々が旧8月に遥拝します・・また今泊の神行事の時には今帰仁ノロが拝みます・・平静22年に古写真を基に移築・復元されました・・レコーラウーニ今帰仁城跡外郭に二つの土盛りがあります・・船をかたどったもので一つは今帰仁ウーニ・・もう一つは本部ウーニと呼ばれています・・今帰仁城跡のある今泊集落(いまどころしゅうらく)では旧盆明けの亥の日をはさんで3日間海神祭(ウンジャミ)の祭祀が行われます・・その1日目がウーニフジ(御船漕ぎ)と呼ばれる行事でそれぞれのウーニに竹を3本ずつ立てて祈願をします・・その後竹を櫂煮見立て平郎門まで歩きそこでも祈願を行います・・現在の祭祀は簡略化されていますがノロと呼ばれる女性の祭祀者を中心として各一門から出される神人や区長や書紀など代表者とともに祈願が行われています・・たっぷり時間をかけて回ったあとPのところにあったお土産物屋さんで一休み・・私は黒蜜ミルクかき氷・・黒蜜が濃厚で疲れた身体にしみるぅ~~~~~クマさんは黒蜜ミルクぜんざい・・小豆のかわりに甘く煮た金時豆と白玉団子が入っています・・沖縄のぜんざいってかき氷なんだ!沖縄特有のぜんざいは砂糖や黒糖で甘く煮た金時豆と押し麦がトッピングされたかき氷を指すことが一般的で白玉団子が添えられていることも・・(*゜.゜)ホ・(*゜。゜)ホーーッ!!見た目はほとんど変わらないけどかき氷とぜんざいの違いがよくわかりました・・今帰仁城跡・・素晴らしいの一言でした・・写真を整理していると今帰仁城跡の風や香りが蘇ってきました・・ここでちょっとお勉強・・今回よく出てきたノロ・・ノロってなに?沖縄のノロについてノロとは?ノロ(祝女)は琉球神道における女性の祭司です・・地域の祭祀を取りしきり御嶽(うたき)と呼ばれる場所で祭祀を司っています・・琉球神道というのは琉球王国を中心に信仰されてきた多神教宗教です・・神話や自然崇拝のアニミズム的かつ祖霊崇拝的な宗教です・・ノロはこのアミニズム的な考えによる琉球の神々と交信ができる存在です・・祭祀の間はその身に神を憑依させ神そのものになると考えられており神人(かみんちゅ)と呼ばれることもあります・・ノロは15世紀の琉球王国で王が祭政一致により支配を目的として巫女組織を制度化する中で位置づけられた神職です・・そのため公的な祭祀者とされています・・続く・・・FC2・・はこちらから
2022/09/05
コメント(17)
13時16分・・やんばる学びの森・・着・・国頭村環境教育センターやんばる学びの森はやんばるの森を思う存分満喫できる豊かな自然環境が魅力の自然体験施設・・奄美大島・徳之島・沖縄島北部及び西表島が世界自然遺産候補地となっていて自然溢れるこのやんばる地方はこの辺り一帯が候補地になっています・・2020年はコロナのために世界遺産委員会が延期され今年・・2年分の世界遺産が決まるそうです・・ヤンバルクイナやリュウキュウヤマガメ・ノグチゲラなどこの地域固有で絶滅危惧種の生息地として重要な場所であることが候補になった理由です・・この素晴らしい森林も太平洋戦争で丸坊主になり戦後75年間で回復し育ってきた自然なのです・・今回私達が予約を入れたのはガイドツアーのみ参加できるコース・・リバーソングコースです・・14時の予約より早く到着したのですが私達の他にお客様がいなかったので早めにツアー開始してくださることに・・ガイドの大城和也さんから最初に説明を受けますリバーソングコースは①山を下るように自然の中を歩き②~③川のせせらぎに癒やされ④虹の滝から高低差のある山道を歩いて⑤ゴールまでの732mです・・⑤ゴールからビジターセンターまでは舗装された道を車で送ってくれます・・自然や生態系を維持するために自由に入ることは許されず・・ガイドとともに入ることが許されているコースです・・入り口は閉められています(画像左下)入り口に入る前に靴を念入りに消毒してから入ります・・歩きやすいように整備されているので快適に歩くことが出来ます・・山の中に入っていきましょう!クマさんが見つけたきのこ名前はわかりませんでした・・食べれるのかどうかも??????帽子をかぶらないと枝で怪我をしたり虫にやられたりしそう・・水の流れる音が聞こえます川のせせらぎがありました・・暑かったので手をせせらぎにいれると冷たくて気持ちよかったぁ・・所々にこんな仕掛けがおいてあります・・マングースの仕掛けだそうです・・リュウキュウノボタン(画像上)紫陽花(画像左)苦手な方もいらっしゃるかと思いますがカエルさんがお出迎えしてくれました・・リュウキュウキムラグモの巣です・・ガイドさんが蓋をあけて見せてくれましたが蓋が閉まるとどこに巣があるかわからない状態になります・・生物や植物の解説をしていただきながらゆっくり歩きます・・急な階段が目の前に・・よく見ると向こう側には上りの階段があります・・いったん谷に降りていくと素晴らしい光景が出てきました・・「虹の滝」です・・時間帯によっては日が差し込んで来て虹が見られるそうです・・クマさん(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪今度は反対側の階段を登ってゴールまであと一息・・約2時間のコースを満喫してきました・・出口を出てしばらく進むと道路に出ます・・その先に車が待っています・・車で建物のあるところまで約10分ほど移動しました・・結構移動してたんだなって思いました・・本来なら大城和也さんに案内していただく予定だったのですが女性スタッフさんが翌日・はじめてガイドをするので勉強のためにご一緒させていただいていいですか?とのことで今回は4人で回ってきました沖縄の女性は元気で明るくて楽しくて2時間があっという間でした・・その後「くいなの森」に行く予定だったのですが休館日のようでホテルに戻ることに・・15時55分・・やんばる学びの森をあとにしてホテルに・・ホテルまで車で約2時間・・今夜は早めにホテルに戻れそうです・・昨夜は夕食を食べるところに困ったので昨日見かけたときにかなり混んでいたステーキハウスへ行こうということに・・ステーキ88ハウス・・17時47分着・・クマさんはテンダーロインステーキの200グラム・・私は130グラム・・これにライスかパンが付きます・・とっても柔らかくて美味しかったぁ・・v(○´∀`●)σ ゚+。:.゚ゴチソウサマ゚.:。+゚ここのお支払いにホテルでいただいた5000円の金券使わせていただきました・・足らずは100円でお釣りが・・イエーイ(∇^*d)(b*^∇)イエーイホテルに戻って来たのが18時28分クマさんは早速大浴場へ・・私は夕日が撮りたかったので後で行くことにお部屋のテラスから撮った夕日・・待った甲斐がありました・・クマさんがお風呂から戻って来てお風呂行くのにエレベーターで上がったり下がったり一体どこにあるねん?!ってくらいあちこちいかされて迷ったわ・・2階って書いてあるけど1階から行ったらいいんちゃうか・・私・・クマさんの言う通り1階から行ったら・・突き当たって・・お風呂は2階からでないといけませんって言われ2階に戻って廊下をどんどん進んで・・曲がってエレベーターで1階に降りてまた上がって降りて・・もうね迷う・迷う・・やっと行き着いてここめちゃくちゃわかりにくいですね・・もう迷って・迷って・・とかかりの女性にいうと皆さんにそう言われるんです・・だって・・それあかんやろ・・って突っ込みたくなったのを我慢・・大きなお風呂にゆっくりはいって比較的空いていました・・今日の疲れを取って部屋へ・・お部屋で持っていっていたコーヒーを淹れてしばしまったり・・21時過ぎには寝ちゃってました・・朝まで爆睡・・o(*^▽^*)oあはっ♪本日歩いた歩数・・13943歩 約9.5km・・FC2・・はこちらから
2022/08/04
コメント(24)
大石林山を12時前に出発して次の目的地「やんばる学びの森」へ向かいます海沿いを走っていると営業中のノボリが目に入って・・お昼を食べるために寄ることに・・まるひら食堂さん・・店内にはいると懐かしい昭和の歌がCDから流れています・・女将さんにお勧めを聞くとにんみんライスがここのオリジナルだそうで小さいソーキそばもついてるセットをクマさんがニンニクとお肉のそぼろ丼のようなものでした私はソーキそばを・・にんみんライスのお味は思ったより薄味でちょっとご飯に乗せるには物足らないお味人生で初めてのソーキそば・・ソーキそばを食べたのが初めてだから美味しいのかどうかわからない・・意外とあっさりしてるな・・一番美味しいと思ったのがゴーヤのピクルス・・凄く美味しかったので作り方教えていただきましたスライスしたゴーヤを沸騰したお湯の中で3分ほど茹でるんだそうですそれをピクルス漬けにする・・これがめちゃくちゃ美味しかった・・女将さんの手作りだそうです・・ゴーヤ苦手な私でも美味しく食べれました・・o(*^▽^*)oあはっ♪結局沖縄で食べたソーキそばまるひら食堂さんのだけ・・この後も食べることがなかった・・今思うとちょっと惜しいことした・・美味しいと評判のソーキそばを食べて・・味比べするべきだったよね・・...... ( 〃..)ノ ハンセイFC2・・はこちらから
2022/07/30
コメント(16)
11時33分・・無事バスを降りたところまで来ました・・簡易事務所のエアコンの効いた部屋でバスを待つことに・・5分ほどするとバスがやってきました・・家族連れや高齢者の方などが次々とバスを降りて・・バスに乗り込んだのは私達だけと思っていたら出発直前にカップルが乗り込んできました御願(ウガン)ガジュマルを見るために途中下車します・・バスを降りるときドライバーさんが先週ノリさんと安田成美さんがきたと・・バスにサインを貰っています・・6月21日・・私達の結婚記念日は6月20日・・最初は6月20日に出発する予定でした・・そうするとここを訪問するのは21日ということに・・ノリさんご夫婦とは御縁がなかったようですね・・o(*^▽^*)oあはっ♪大石林山は安田成美さんが大好きで年に2~3度訪問されるそうです・・御願(ウガン)ガジュマルまで50m・・ここから入っていきます・・暫く進むと赤いロープが張られていますロープを外して中に入り・・ロープをもとに戻しておきます御願(ウガン)ガジュマルまで30m・・道標ガジュマル・・ガジュマルロードの7ヶ所の神木が皆様に癒やしとやすらぎを与えこれからの未来への”しあわせの道しるべ”となってほしいとの願いから「道しるべガジュマル」と名付けました・・と書いてありました・・いよいよご対面です・・デカっ!!なんと大きすぎてカメラにおさまりません・・階段があったので上に登って(-p■)q☆パシャッパシャ☆クマさんがちっちゃく見えますね・・その存在感に圧倒されます・・せっかくだからもう一枚・・クマさんはどこにいるでしょうか?アガリメー/東前大石林山にはいまだに解明されていない謎の石積みや石垣が沢山あります その中の一つがアガリメーです・・アガリとは太陽又は東・・メーとは前又は場所を指します・・すなわち「太陽の入る場所」と言う意味です・・ 造りは3000年〜5000年前にヨーロッパで多く造られたドルメン(テーブル)型です・・これとよく似た物で日本には支石墓(しせきぼ)が有ります・・が・・どちらも「墓」と言うことで大石林山のアガリメーとは意味合いが違うようです・・アガリメーは両サイドの柱や祭壇・中央の三角の石は全て根石で・・天井部分は浮き石です・・ですから遺体を埋葬する事は出来ません・・興味深いのは車が入れない場所に数トンもある石をどのようにして上に乗せたのかまた中央の三角の石が真東の位置にある事です・・これは自然(偶然)にできた物なのか?それとも太陽信仰の祭事の場所として造られた物なのか!?大石林山ブログ↑から拝借いたしました・・イルカンダ通り(血藤大道)何気なく通ったイルカンダ通り(血藤大道)ってなんだ???気になって調べてみました・・もっと知りたくなって大石林山に電話をかけて色々教えていただきました・・画像をお借りしましたイルカンダとはヤンバルに生息するマメ科の植物で沖縄の方言でイルは「色」カンダは「カズラ」を指しそれが和名になっているそうです・・湿度が高く日陰になっている場所を好み周囲の木にツルを巻き付け成長・・ブドウの房のようにぶら下がる花は大自然のパープルシャンデリアと呼ばれるほどだそうです3~4月に咲くお花だそうで私達の行ったときには花を見ることができませんでした独特な香りも特徴のひとつだそうでゴムを焼いたような匂いという方もいるそうです・・南海日日新聞さんから画像はお借りしましたお花が終わると鞘が出来てそら豆のような実がなるとか・・大石林山では2022年3月19日(土)~4月17日(日)の期間中「イルカンダ花めぐり」を開催していたようです・・機会があればその季節に自分の目でイルカンダのお花を見てみたい・・な・・戻ってきたのはお昼前・・約1時間30分かけての聖地巡り・・体内にたまった汚れたものが綺麗さっぱり洗い流されたような清々しさを感じました・・中には沖縄石の文化博物館がありました・・次の目的地ではガイドさんを14時に予約しているので文化博物館は簡単に見学して移動です・・続くFC2・・はこちらから
2022/07/20
コメント(24)
美ら海展望台コースに入るとまず見えるのは悟空岩・・西遊記の孫悟空が閉じ込められた岩に似ていると言うことで悟空岩と名付けられたそうです・・美ら海展望台コースはその名の通り展望台を目指すので山を登っていくコースになっています・・クマさん普段から足腰鍛えてるから軽い足取りで登っていきますかなり登って来てるのわかりますか?パワースポットと言う看板があるので進んでいくと・・大きな岩の下にカゴで囲った大きな黄色い石が・・これは大石林山で取れたパワーストーンでイエローカルサイトです・・カルサイトは石灰岩からできた半透明な成分・・心身のバランス・浄化・円満な人間関係を保ちトラブルを避けると言われている石です・・特に黄色いカルサイトは成功や繁栄の象徴とも言われています・・この場所にパワーストーンが置かれているのは後ろの岩に太陽の光が当るようになっていてその波動を吸収する位置だからそうですよ・・このパワーストーンに触ると波動によって精神を安定させパワーを受けることで邪気を払って運気を向上させてくれるそうです・・しっかりとパワーを受け取ってきました・・クマさんの背中を見ながらどんどん上に登っていくと岩の隙間から海が・・目の前のソテツの向こうに広がるやんばるの森の深い緑・・奥に広がる東シナ海・・・この雄大な景色にしばし見とれてました・・その先にはハイ!サイ!沖縄の方言でこんにちわ・・石中のお願い所骨盤石よく見ると骨盤に見えるような・・弱っている部分を石に触れさせると血行が良くなり体調が整えられると言われています・・輪廻 生まれ変わりの石骨盤石とセットにすると子宝祈願となるそうです・・生まれ変わりの石は中がくぐれるようになっていてこの石を3回くぐることで・・・1回目で悪い過去(失恋・失敗・病気)を捨てて・2回目でリセット・3回目で新しく生まれ変わると言われています・・クマさんも私もしっかり3回くぐってきました・・悪い過去を捨てて新しく生まれ変われたかな・・もうすぐ大石林山「美ら海展望台コース」のハイライト美ら海展望台はすぐそこ・・大石林山「美ら海展望台コース」で1番高い場所・・眼下にPが見えますね・・朝一番に訪問した辺戸岬・・そして辺戸岬の奥に広がる東シナ海・・遠くにはぼんやりとですが与論島が・・・たくさん登って歩いてこの風景に出会えたことに感謝・・海風がすっごく気持ちよかったぁ・・さて工事中でなければバスで来れた精気小屋に向けて下って行きます・・アシムイの山を眺めながら下るルートです・・なんだか沖縄にいるとは思えない光景・・後先になりますが精気小屋でこんなポスターを見つけましたアシムイのことが載っています・・皆さん覚えていますか?辺戸岬に行ったときの画像・・この画像はおかりしました画像の向きは逆ですがわかりやすいですね少し下ったところでなにやら修復作業をしている方が・・クマさん声をかけて何をしているのかと尋ねています・・イノシシよけの石垣の修理をしているとのことでした・・何にでも興味のあるクマさん・・しばらく男性といろんなお喋りをして楽しんでました・・どんどん下って行くと土の道が終わりデッキで舗装された道(バリアフリーコースと合流)に・・こちらは銭加那志(じんがなし)と呼ばれています・・加那志というのは沖縄の言葉で「~様」というような敬称を現すそうです・・銭加那志とは「銭様」ということですね・・石にある丸い穴はお金・円満・平和を表しているそうです・・精気小屋が見えて来ましたここで自動販売機で冷たい飲み物を買って飲みました・・これが冷たくて凄く美味しかったぁ・・一息ついたところで徒歩でバスを降りたところまで向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2022/07/18
コメント(19)
辺戸岬を10時13分に出発し大石林山(だいせきりんざん)へ向かう・・大石林山まで約10分大石林山とは2憶5千万年前の古生代に海の中で形成された石灰岩が地殻変動によって地表に現れさらに数百年という長い歳月の間雨や風などで浸食をされてできたのが大石林山です・・このような地形をカルスト地形といい大石林山は世界最北端に位置する熱帯カルスト地形として有名です・・大石林山の出発地点のビジターセンターここでスタート地点やコースの説明や注意点を・・大石林山憲法大石林山には大石林山憲法というものが存在します・・大石林山を散策する中での禁止事項などが記されていますので事前にチェックしておきます・・ 動植物の採取は自然環境保全の為禁止しております。 大石林山内は禁煙です・・ご指定の場所にて喫煙してください。 ゴミは必ず所定の場所に捨てて下さい。 食べ物、飲み物の持ち込みはかたくお断り致します。 可燃性の物の持ち込みはかたくお断り致します。 所定の通路以外での事故等は一切責任を持ちませんチケットを購入して目の前から出ているシャトルバスで本来なら「精気小屋」と名付けられた建物まで向かいます・・が私達が行ったときは工事中で途中までしかバスは行きませんでした・・バスに乗り込んだのは私達二人だけ・・大石林山の散策コースは4種類①巨岩・石林感動コース1000m、所要時間約35分。2憶年前の石灰岩が隆起してできたカルスト地形を存分に楽しむことができます。精気小屋を通らずに他3ルートとは反対側から始まるコースです。縁結びの岩へはこちらのコースから行けます。②美ら海展望台コース700m、所要時間約30分。沖縄本島最北端である辺戸岬や北部の大パノラマを望むコース。生まれ変わりの岩や石林の壁があります。③バリアフリーコース600m、所要時間約20分。ご年配や車イスの方でも安心して楽しむことができるウッドデッキのコース。屋根付きの休憩所もあります。④亜熱帯自然林コース1000m、所要時間約30分。沖縄のヤンバル(山原)の森を楽しむコース。こちらは①~③を楽しんだ後、帰りのシャトルバスには乗らずに、歩いて麓まで帰るコースです。6万本ものソテツや御願ガジュマルを見ることができます。バスを降りてすぐのところに奇岩・巨岩コース(巨岩・石林感動コース)がありました・・私たちは①巨岩・石林感動コース~②美ら海展望台コース~③バリアフリーコースと周り帰りのシャトルバスで途中で降りてガジュマルを見るコースを回ることに入るとすぐに天の声?それとも空耳?これはまだ大石林山がオープンしない前の平成7年頃のお話ですその頃・大石林山ではインドネシア産のトラジャコーヒーの木を数千本栽培し・やっとコーヒーの実を収穫できるまでになっていましたその日も朝から現地の職員と畑にいるとウガンサー(参拝者)の女性二人が奇妙ないでたちをして私達に話しかけてきました彼女たちが言うには・ユタ(霊能力者)から教えてもらったウガンジュ(拝所)でウガミ(祈り)をしようとすると 少し離れた場所から「クマ~アランド~・クマ~アランド~」と声が聞こえてくるんですすみませんが一緒にその場所に来てもらえませんか?とお願いをしてきました私たちは好奇心もあり一緒について行くことにしましたそこには他のウガンジュに比べても見劣りしない立派な祠がありましたが・特に変わった風ではないので大丈夫そうですね私たちは側にいますのでどうぞウガンをして下さいと促しましたその時・一人の女性が「あっ・また聞こえた」と言って藪の方を指さしました私たちには全く聞こえませんがと言ってもほっておけないので藪の中を調べてみるとありました!全く似たウガンジュが!!天の声は間違いを教えてくれていたのですネ・・その声が聞こえたとされるのがこの場所です・・他の観光客の人もいなくてクマさんと二人っきり・・耳を傾けると声が聞こえてきそうな静けさ・・でも怖いという感覚は全くありません・・心が穏やかになる空気感でした・・この先は行き止まり?この岩の間を通り抜けていきます岩の間をくぐるとその向こうにも道が広がっています・・この日はとても暑い日だったのですがこのコースはほぼ森の中なので木陰で涼しかったです・・道順に従ってすすみますここからは登り道ですが階段状に整備されているため歩きやすいです・・その先にあったのが巨人の腰掛け・・画像ではわかりにくいかもしれませんね・・この岩の間を通る道は「精霊道」と呼ばれています・・縁結びの岩クマさん写真撮ってあげよか?縁結びの岩だって・・( ̄ー ̄)ニヤリええわ・・ヾ( ´( ェ )`)ノ フッだるま岩現在地点・・私達が歩いたコースは白い線の部分です・・石林・・で・でかい!地中から隆起した岩の壁がまるで林のように見える場所です・・天神橋を渡って・・イグアナとラクダ美ら海展望台コースへ向かいます続く・・FC2・・はこちらから
2022/07/17
コメント(16)
2022年6月29日(水) 晴天目が覚めたのは5時半・・クマさんはまだ寝ています・・そっと窓を開けてバルコニーに出ると目の前に海が広がってます・・ちょっと霞んでる感じ・・クマさんもおきてきたので・・着替えをして朝食をする「シーサイドレストラン北谷ペイ」へ・・このホテルかなり大きくてレストランの場所がわからなくて困りました・・フロントに聞きに行こうと思っていたとき一組のカップルが・・そのカップルについていって無事(シーサイドレストン北谷パイへ・・かなり遠かったです・・私たちは旅に出ると朝食はしっかり食べます・・本当はバイキングが苦手だから決まったセットのほうがいいんです・・が・・仕方ないですよね・・バイキングってたくさんあって上手に回れないんです・・で・・目の前にあるものを取ってしまうから代わり映えのしないものばかりになります・・食べ終わってホッとしていたらお隣の席に座ってらっしゃる奥様が美味しそうなもずく酢を食べてらして・・思わず・・美味しそうですね・・それどこにありました?沖縄料理のコーナーにありますよ・・ほら・・あそこ・・・行ってみると沖縄料理が沢山並んでいました・・ちっとも気づかなかったわ・・もずく酢だけ頂いて席に戻りました・・そんなことがきっかけで同年代のご夫婦とちょっとお喋り・・コロナワクチンを3回打った話になって・・私達・ワクチン接種3回の書類を見せたら5000円分の金券いただいたわよ・・そうと聞けば後でフロントに行って貰ってこなくちゃ・・ちゃんとコロナワクチン3回接種の書類を持ってきてますから「恩納村景気回復支援観光商品券」はキャンペーン対象宿泊施設で2泊3日以上の宿泊をする方を対象に村内対象施設(飲食店・観光施設・遊び体験・土産店や小売店など)で利用できる商品券を1室につき5,000円分(1,000円分×5枚)進呈するものです・・恩納村でしか使えない5000円ですが有効活用させていただきましょう・・このホテルには2泊するので荷物は簡単に片付けて出かけることにホテル・・8時19分出発・・ナビを辺戸岬(へどみさき)に設定してo(゜▽゜ヽ)(/゜▽゜)o レッツゴー♪車窓から見える海は霞んでいたのがどんどんクリアになって綺麗・・辺戸岬(へどみさき)に着いたのは9時52分・・約30分・・辺戸岬(へどみさき)は沖縄本島最北端の絶景岬・・ 隆起したサンゴ礁の断崖絶壁から一望できる太平洋と東シナ海の紺碧の海・・雄大な海の先には晴れていれば与論島や沖永良部島を望むことができるそうです・・冬は北風が強く海が荒れた日が多いので海の底まで見える日は少ないそうです・・私達が行った日は海のそこまで透き通って見えアオブダイが泳いでるのも見えました・・向こうの方に四連の岩山が見えています・・この山々は「安須社(あしむい)」と呼ばれ神話によると琉球開びゃくの神様アマミキヨが一番目に創造した聖地といわれる重要な場所です・・遠くから見ると観音様が仰向けに寝ている横顔にも見えるといわれています・・高い鼻と唇が分かりますか?この山々の裏側に沖縄の代表的なパワースポット「大石林山(だいせきりんざん)」が・・岬の中心に建てられているのは「日本祖国復帰闘争碑」アメリカの統治下にあった沖縄が日本に返還され沖縄県になった証として1972年に建立されたものです・・統治下にあった頃は日本復帰を願ってのろしを上げる式典もおこなわれていたそうです・・辺戸岬は平和を祈る場所でもあったのです・・辺戸岬は沖縄海岸国定公園に指定されていて遊歩道が整備されているので高齢者やベビーカー・車イスでも安心です・・が・・柵がない岩場のほうには近づかないほうがいいです・・クマさ~~んこっち向いて・・(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪名残惜しいですがそろそろ移動の時間です・・(゜O゜;アッ!変なバッタがいる・・どれどれ・・撮っとこか・・パチ /■\_・) カメラ オキナワモリバッタ・・かな?よくわかりません・・辺戸岬(へどみさき)全体にはえてる植物はクサトベラクサトベラ科クサトベラ属の常緑低木別名 「テリハクサトベラ」分布は・・小笠原・沖縄・台湾・オーストラリアなどの亜熱帯・熱帯地域・・トベラに似た葉を有し高さ1~4m程になり海岸の岩場や砂地に生え群落を作っています・・扇のような花びらとその上に蛇口のように突きだした花柱が特徴的です・・木の形がモンパノキに似ていますがモンパノキより葉が滑らかで光沢があります・・葉の形は靴べら状の形をしています・・春から夏にかけて下半分にだけに5枚の白い花弁を付けた変わった花を咲かせます・・下半分しかお花がないでしょう・・こんなお花始めてみました・・ちょっと調べてみるとこんなお話しが・・ナウパカの伝説:火山の女神ペレの話ある村に見知らぬ美しい女がやってきた。女は村の若い男に恋心を抱いた。若者はしばらくはその女と仲良くしたがやがて昔の恋人のところに戻った。実はこの見知らぬ女の正体は恐ろしい火山の女神ペレ(Pele)だった。怒り狂ったペレは二人を追いかけて二人の仲を引き裂いてしまった。ペレは溶岩流に乗って若者を山に追いつめた。ところが他の神々が若者を哀れに思い彼の姿をナウパカ・クアヒヴィ(マウンテン・ナウパカ)に変えた。怒りが冷めないペレは今度は男の恋人を海岸まで追いかけた。ここでやはり神達が彼女の姿をナウパカ・カハカイ(ビーチ・ナウパカ)に変えた。こうして恋人同士はペレに追われる心配はなくなったが再び一緒になれることもできなくなった。ナウパカになった男は山で女は海岸で互いを思慕しながら現在でも半分の形の花を咲かせているのだという。ナウパカの半円型の花を二つ合わせて円型にすると雨が降るという言い伝えがある。これは再会を喜んで泣いている恋人たちの涙の雨だと云われている。続くFC2・・はこちらから
2022/07/13
コメント(24)
玉城城跡から今夜のホテルに向かって出発したのは18:30・・ナビトラブルで行かされた同じ高速に乗って同じ許田で降りて・・ここからホテルまで10分ほどでした・・ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネホテルに着いたのは19:55・・画像は公式ホームページからお借りしましたリザンシーパークホテル谷茶ベイチェックインしてホテルのフロントの男性にどこか美味しいお店はありませんか?彼のお勧めのお店はホテルまで迎えに来てくれるお店だそうです・・ほかにもホテルまで迎えに来てくれるお店が数店あるそうで地図をいただきました・・お部屋はシービューのデラックスツイン・・かなり広くて快適です・・とにかくお腹が空いたのでフロントお勧めのお店に電話・・満席で☓でした・・3件目の「三線の花」が迎えに来てくれるということで予約をいれて・・左側の画像はお借りしました右は私が撮った画像派手な車でお迎えに来てくださって・・お店に到着すると席があくまでしばらく待ってくださいとのことで店の前にあったイスに座って20分ほど待ちました・・店内もテラス席もいっぱい・・グループや家族連れが多かった・・私達のあとからもお客さんが・・テラス席で良かったらご案内出来ますと言われ左上のテラス席へ・・まずはオリオンビールで(〃^∇^)oお疲れさま~上右がてびち煮付け・・トロットロでヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ 左下もずくの天ぷら・豆腐よう・・もずくの天ぷらはサックサク・・豆腐ようは・・なんていうのか今まで食べたことのない豆腐・・プリンみたいにトロントロン・・激ウマ!右下画像がアグー豚ホルモン中味イリチャー・・これはちょっと独特の匂いがあって微妙・・なにか頼む?ご飯系とか?うーん・・食べたいような食べたないような・・結構脂っこいからお腹にきてるしいいわ・・会計をして車でホテルまで送ってもらってコンビニでアイス買って帰りました・・大浴場もありますがもう疲れてしまってお部屋のお風呂で済ませてベッドイン・・速攻で爆睡・・Zzz・・o(__*)。。oO28日に歩いた歩数 12531歩 8.7km続く・・FC2・・はこちらから
2022/07/08
コメント(23)
2022年6月28日(火)~7月1日(金)まで結婚46回目の記念に沖縄に行ってきましたクマさんは結婚前に一度沖縄へ行ってるのですが全くと行っていいほど記憶に残ってないそうです・・私は沖縄には一度も行ったことがなかったので一度は行ってみたいと海外旅行でたまったマイレージもたくさんあるのでマイレージで神戸から沖縄のスカイマークを予約・・結婚記念日は1976年6月20日ですが沖縄の梅雨が開けてから出発しようと28日から出かけました神戸発593便10:55--沖縄着13:10予定より10分早く到着・・着陸体制に入りますのアナウンスのあと飛行機が旋回・・眼下には滑走路が見えています・・滑走路に飛行機が入り込んでいたためだったそうです・・一瞬・・??????案内を聞いて一安心・・お天気は快晴・・めちゃくちゃ暑い!!レンタカー会社の迎えのバスを待ってレンタカー会社に到着したのが14時私達の借りたのは日産のノートeパワー早速ナビを平和記念公園に設定して出発・・・平和記念公園まで約30分・・なのに高速に乗らされて30分以上たってもつきません?ヾ(゜ー゜ヾ)^?。。。ン?恩納村に向かってました気がついて高速を降りてナビを設定し直そうとしたのですが取説を見てもできません・・レンタカー会社に電話して聞いても調べて折り返し電話しますでモタモタともたついて結局2時間近くの時間ロス・・目的地の平和記念公園についたのは16:30・・本来なら14:30到着予定・・クマさんがどうしても見たかった平和記念公園・・車を止めて向かった先は平和祈念堂・・(゜ー゜?)(。_。?)(゜-゜?)(。_。?) アレ?アレレレレ???時間もないので受付にいた女性に尋ねることに・・とにかく資料館に行きたいというと17:00までです・・とのこと資料館はこの下にありますから急げば間に合うと思います・・あと30分弱しかない・・長い階段・・大急ぎで資料館に向かって走りました・・ε=ε=ε=ε=ε=(o;´ρ`)o-3ハァハァ~中はカメラ禁止・・大急ぎで見て回って・・クマさんが一番見たかったのは護郷隊のこと・・探したのですが護郷隊に関することはありません下に降りて男性に聞くと少しだけあるというところへ案内して頂いてそこだけカメラで撮っては駄目ですか・と聞くと駄目だと・・そこへ中年女性の方が来てくださって写真を撮らせていただきました・・以下ウィキペディアから拝借しました護郷隊(ごきょうたい)は、太平洋戦争末期の沖縄戦時、10代半ばの少年兵により構成された日本軍のゲリラ戦部隊である。隊長は、諜報や秘密作戦を専門とする陸軍中野学校出身の将校が務めた。第一護郷隊、第二護郷隊の二隊が組織され、沖縄本島南部で日本軍の組織的抵抗が終わった後の1945年7月中旬に解散するまで、北部山岳地帯に拠って活動した。約1000名の隊員のうち160人が戦死したが、秘密部隊であったため軍人恩給などは支給されなかった[1]。防衛召集は1944年9月から1945年3月にかけてで、その多くが14歳から18歳の沖縄の少年たちだった。元護郷隊の上原さんの証言(飛んでみてください) ↓10代の少年 兵士に仕立てた戦争 元護郷隊・上原さんクマさんが護郷隊にこだわったのは13歳~14歳の幼い子供を使ったことにかなりの怒りを持っていてきちんと知りたかったからなのです・・が・・実際には資料館の殆どの方が護郷隊のことを知りませんでした・・お一人だけ写真を撮ることを許可してくださった中年の女性の方だけだったことにクマさんはかなりのショックを受けてました・・石版に亡くなった方の名前が刻まれていました・・その石版の数に圧倒されながら見ていました・・ある石版の前に花を供えている方がいらっしゃいましたし・・ところどころにお花がお供えしていました・・広くてとても回りきれません・・時間を見ると5時・・行く予定だった斎場御嶽(せーふぁうたき)までここから30分・・最終入場5時30分までなのでとにかく行ってみることに・・またまたPまで汗だくで走って・・続く・・私はauからUQモバイルに変えて使っています・・昨日から通信障害が起きていて電話がつながったのは今日の16時過ぎ・・旅行中だったらと思うとゾッとしました・・FC2・・はこちらから
2022/07/03
コメント(21)
2021年12月10日(金)晴れいつものように早朝に目が覚める朝食の予約は7時30分・・朝食は和食か洋食かの選択・・クマさんも私も和食に飲み物は自分で取ってくる方式です・・食事が終わると・・コーヒーをカップに入れて部屋に・・ゆっくりコーヒーを飲んでから唐戸市場へ一年ぶりの唐戸市場・・ワクワクします・・まずは奥にすすんで漁師の奥さんが開いているお店へ・・慣れた手付きで次々に綺麗に捌いてかごに乗せていきます鯵・・1盛り500円・・2盛りにおまけを入れてくれて1000円に・・赤い開いたお魚も500円・・去年も買ってフライにしたらとっても美味しかったのでこれも買いました・・あと・・画像にないのですが揚げて南蛮漬けにするといいというお魚ももちろん開いて綺麗に処理されています・・その後とらふぐを買いに昨夜食事をした「市場のよこ」で教えていただいた勇次商店へ・・勇次商店今年は養殖があまり良くなくて去年に比べて量も少ないしお値段も高かったです・・それでも大きなとらふぐが6800円・・刺し身・あらと鍋用のぶつ切り・皮と綺麗に捌いてくださいましたしかも6500円におまけしてくれました・・とらふぐはすぐに食べちゃって画像を取り忘れました・・(≧▽≦;)アチャー真ふぐは天然物なので毒をもっています毒を取り除いて綺麗に処理されて冷凍されていました・・大きなのが二匹入って3800円・・真ふぐは初めて食べましたが美味しかったぁ・・しかもトラフグの半値近いでしょう・・すっごいお買い得です・・買い物をしていたらそろそろ10時・・活き活き馬関街が始まります・・好きなのをパックに入れてもらいます・・マグロの頬肉とか食べたことのない部位がたくさん・・18個入れてもらっても2000円くらいだったと・・あと丼とかいろいろ夕食用に買いました・・唐戸市場をあとにして向かったのは防府・・私の学生時代からの親友が住んでいます彼女のお嬢さんが去年の3月に癌で亡くなったことを知り・・どうしても彼女に会いたいと思ったからです・・お嬢さんは我が家の長男の1つ上の45歳・・5年の闘病生活を過ごしたそうです・・癌が見つかったときにはすでにステージ4だったそうで・・小柄でとても可愛い人だった彼女が一気に老け込んでいて・・かける言葉が見つかりませんでした・・滞在時間は2時間もありませんでしたが色んな話しができてよかったと思います・・帰宅したのは19時30分ころ・・混むこともなくスムーズに帰れました夕食は買ってきたお寿司・・お味噌汁だけ作って早速いただきました( ̄ー ̄?).....??アレ??握りと海鮮丼の画像を撮ったと思っていたのにない・・美味しくて食べるのに夢中で取り忘れたか?!(/≧◇≦\)アチャー!!ノブも相当に美味しかったと言ってました・・ノブには18個の握りと雲丹丼を買っていたのですが握りだけでお腹いっぱいだったけど勿体ないから雲丹丼も食べちゃった・・って言ってました・・ノブは口が綺麗というか子供の頃からお腹がいっぱいになったらそれ以上は絶対に食べない子・・長男は逆で少々お腹が一杯でもあとから美味しそうなものを見るとガッツリ食いつくタイプです・・長男は食べることが大好き・・少々美味しくなくても食べちゃうタイプ・・次男はあまり食にこだわらない・・食べたくないものだったら何も食べずに済ませてしまうタイプです・・だからお腹がいっぱいになったら絶対に無理して食べることはしないのにもったいないからと食べちゃったって・・本当に美味しかったんだねぇ・・買ってきた甲斐があったわ・・ヘ( ̄▽ ̄*)ノ・ ・.♪ヒャッホーイ♪.・ ・ヾ(* ̄▽ ̄)ノFC2・・はこちらから
2022/02/11
コメント(24)
秋芳洞の観光のあとは早めにホテルへ行くことに・・今夜のお宿は去年と同じ下関グランドホテル・・16時過ぎにチェックイン・・お昼を食べ残っていたのでお腹が空いたぁ・・荷物をおいて外をウロウロしてみるもどのお店も5時オープン・・時間つぶしに唐戸市場正面にある亀山八幡宮へ・・手水も亀さんなんだね・・貞観元年(859)創建豊臣秀吉ゆかりの蘇鉄や伊藤博文が妻と出会った茶屋跡が残っています境内には大きなふくの像がありフグ漁解禁日に安全を祈願する祭りが行われるそうです・・おかめ明神神社地は古くは島でしたが江戸時代の始め頃毛利藩によって街の発展のために陸続きにする埋め立て工事がおこされました。しかし海峡の潮の流れはひと岩沈めればひと岩を流す急潮であり工事は多大の工費と人の命を犠牲にするのみでなかなか成し遂げられませんでした。時に、江戸の「吉原」・京の「島原」につぐ三大遊廓の一つであった稲荷町(現・赤間町)の疱瘡を病み顔に「アバタ」のあるお亀という遊女が町かどに立った人柱募集の高札を見て「我が身を滅して功あるならば」と人柱に立ち月夜の海に白衣に身をつつみ海に身を投じて埋立の礎石となりました。その後急潮に悩まされる事もなく難工事も無事に終わり時の人は境内にイチョウの木を植えお亀さんの功績を讃えました。これがお亀イチョウです。お亀イチョウは先の戦禍にあい焼失しましたがお亀さんの遺志を継ぐかのように新芽が成長し今なお母なる木の面影をしのばせています。お亀さん頌徳の記「境内は島であった 今を去る五百年の昔 馬関(下関の古称)開発のため わが身を滅して功あるならと 人柱になり海底に消えたお亀さんは下関の街づくりの功労者であった 時の人はお亀さんの功績を称え記念に銀杏の木を植えた 木は年輪を重ねて名木となりお亀銀杏と称えられた 木は昭和の戦禍にかかったが お亀さんの遺志を継承するかのように 焼け跡から新芽を出し 年々生長して母の木の面影をしのばせている 実はお亀ぎんなんといい 不思議にも無数の斑点があり お亀さんの顔のあばたが現われたものといい伝えられている お亀さんの功績により開作された広い埋立地を八丁浜といい 毎年3月1日から3日間 五穀祭に八丁浜エラヤッチャとはやし“ぼんち可愛いや寝んねしな”と唄い シャギリ 山車を出し 下関の町は八丁浜を重ねるごとに大きくなった 八丁浜エラヤッチャはお亀さん頌徳の賦である 平成元年 氏子崇敬者の厚い御奉賛により 亀山八幡宮御鎮座1130年記念事業として境内を整備し お亀明神社を再建し池を整え玉垣をめぐらす ここに亀山八幡宮亀笑会創立30周年にあたり 頌徳の記を更新し お亀さんの功績を永く称える」と書いてあります・・落ちていたお亀銀杏・・亀山八幡宮からみえた夕景・・時計を見るとまだ5時までに20分ほどあります唐戸市場に入ってみました上から見た唐戸市場・・広いねぇ・・そろそろいい時間になったので唐戸市場の横にあるカモンワーフに移動・・いろんなお店が入っている中で私達がはいったのは・・唐戸熱血食堂いちばのよこまずはビールで(^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪喉が乾いていたからめちゃくちゃ美味しい”(*>ω
2022/02/04
コメント(18)
今更ですが2021年12月9日(木)~10日(金)にかけて行った山口の続きを・・秋吉台を観光したあと向かったのは秋芳洞・・ナビ通りについたのはここはどこ??チケット売り場があったので聞いてみました3箇所ある出入り口の一つだそうですエレベーターに乗って下へ・・秋芳洞まで80m下に降ります・・・エレベーターに乗ってる時間も結構かかりました・・真ん中より左寄りのエレベーターのあるところです・・傘づくし天井に傘をぶら下げていた昔の傘やのようにつらら岩が伸びる景観から名付けられたそうです・・空滝(からたき)大黒柱(だいこくばしら)広庭(ひろにわ)百枚皿の先はドーム状に開けた大空間中央には石灰分を含んだ水が堆積した高さ5mの「洞内富士」がそびえたいます・・千町田(ちまちだ)百枚皿と同じ過程でできた岩で皿1枚当たりの面積が大きいのが特徴です・・百枚皿(ひゃくまいざら)皿状の平たい岩が段々畑のように重なる洞内一のみどころです・・皿の数は500枚以上にのぼりこれほど大規模のものは国内では珍しいそうです・・クラゲの滝のぼり黄金柱岩壁を流れる水により成長したフローストーンとよばれる鍾乳石・・高さ15m・幅4mの巨大な岩が黄金に照らし出され秋芳洞の大黒柱のようにそびえ立っています・・身代観音クラゲの滝のぼり秋吉台には400を越える石灰洞窟があるそうです・・秋芳洞はその中でもひときわ規模の大きな巨洞で全長は約8.8キロメートルあり鍾乳洞としては日本最大規模の大きさです・・洞窟の入口は広谷ポリエに開口し高さ20メートル・幅8メートルありここから多量の地下水が溢れ出ています・・洞内の空間は規模が大きく「千畳敷」では高さ30メートル・幅100メートル・・最も幅の広いところは200メートルの巨大空間をなしています秋芳洞の探検は明治の頃から進められ今も続けられているそうです・・いやぁ・・凄かった・・全体に照明が暗くて足元が見えにくく・・しかも濡れてるから滑りそうで怖かったです・・秋芳洞・・[ゴクリ]゚ω゚;)凄い…行ってよかったぁ・・続く・・FC2・・はこちらから
2022/02/02
コメント(19)
12月9日(木)~10日(金)にかけて下関へ行ってきました・・去年の同じ時期にGO TO キャンペーンを使ってとらふぐを食べに下関まで去年泊まったのと同じ下関グランドホテル泊唐戸市場まで徒歩3分の距離です・・唐戸市場で購入したとらふぐ・お魚・・朝漁師さんが獲って来た新鮮なお魚が買えます・・とってもお安くて美味しいお魚の味がわすれらてなくて今年も行ってきました・・今回は私がまだ行ったことのない秋吉台へ・・ナビ通りに行くと・・(@'ω'@)ん?何もない・・クマさんが来たときとは全く違う場所みたい・・山登りをしていた男性に聞くと2キロほど下って右に行くと展望台があると・・前を走っていた観光バスが入って行ったところでした・・岩がゴツゴツしてるところだってクマさんが話してくれた場所です・・秋吉台(あきよしだい)は美祢市の中・東部に広がる日本最大級のカルスト台地・・1955年に国定公園(秋吉台国定公園)に1964年に特別天然記念物に指定されたそうです・・この秋吉台の雄大な景観を作っている石灰石はおよそ3億5千万年前に南方の海でサンゴ礁として誕生しそれから長い年月を経て現在のようなカルスト台地を形成したそうです・・広いカルスト台地の他にあったのは展望台とお土産物屋さん・コーヒーショップがあるだけお昼を回っていたのでなにか食べたかったのですが食べるほどのものがなくて我慢・・途中でコンビニのおにぎり食べておいてよかったぁ・・o(*^▽^*)oあはっ♪続くFC2・・はこちらから
2021/12/17
コメント(25)
2018年7月20日(金) 曇り目の前が海だからか風が強い・・一晩中テントがバタバタと音をたてていました寝れなかったの????って思いました?爆睡・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆いつもなら毎晩夢を見るのに今回のテント生活では一度も夢を見なかったぁ・・いつものようにHOTTAさんが淹れてくださった美味しいコーヒーを頂いて撤収・・向かった先は増毛唯一の天然温泉・・夕陽荘単純酸性泉で皮膚病やリュウマチなどに効果あり貸し切りのお風呂から日本海が広がる絶景・・最高!!クマさん・・ひとっ風呂浴びて気持ちよさそう・・途中で入ったレストラン海幸で特選海鮮丼(酢飯)ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ ここでHOTTAさんからエビの食べ方を指南・・エビの角をもって足をすべてつまんで引っ張るこれ・・凄いです・・こんな食べ方初めてやぁ・・お腹もいっぱいになって・・さらに日本海沿いにどんどんすすむ・・石狩灯台1892年(明治25)の開設以来100年以上の歴史を誇る石狩のシンボルだそうです灯台はかつて白と黒の縞模様だったそうですが1957年(昭和32)に松竹映画「喜びも悲しみも幾年月」の撮影の舞台となりカラーのはしりの作品だったため色彩効果を出すために赤白模様に塗り替えられたそうですよ・・灯台の建つ砂丘地帯一帯ははまなすの丘公園として整備されていてハマナスの開花期には群落がピンクに染まるとか昭和40年に無人化され平成11年に海側へ14m移設されていますが明治時代に建てられたまま現存するのは道内で唯一・・昭和32年に公開された映画「喜びも悲しみも幾歳月」(木下恵介監督・佐田啓二・高峰秀子主演)のロケ地ともなっていて古き映画ファンには懐かしい場所・・遠い昔の記憶をたどるとおいらみさきのぉ~~~灯台も~りぃ~がぁ~~~~♪の歌が・・昔はテレビがなくて映画だったねと3人で話が盛り上がって・・この後は札幌へ向けてひたすら走ります札幌につくとまずホテルにチェックイン荷物を置いてHOTTAさんの奥様と合流して向かった先は札幌ビール園・・広くてお洒落ぇ・・・今回は奥様がカニ食べ放題をご馳走してくださいましたまずは北海道限定生ビールのサッポロクラシック・・この日の札幌は暑くて冷えたビールが美味しい”(*>ω
2018/07/27
コメント(27)
2018年7月19日(木) 曇り北海道の夜明けは早い・・4時10分過ぎには明るくなって・・テントから出るとひんやりした空気が心地良かったな・・曇ってて山の上はみえない・・深呼吸をしてみる清々しくて気持ちいい・・山に登る方はすでにテントをたたんで・・起き出してきたHOTTTAさんがモーニングコーヒーを淹れてくださる奥様手作りのパンを一緒に食べて・・幸せだぁ・・・・・・その後・・みんなで温泉に・・先客が一人・・その方もすぐにでて独り占め・・脱衣所で先客の方と話をしているとなんと・・私の実家の近くから来てらしてた・・ちょっと嬉しい・・テントをたたんで9時44分出発車を走らせて暫くするとせっかくだからとよってくださったのが望岳台園地・・晴れていたら最高の風景が広がっていたと・・ちょっと残念・・白鬚の滝自然岩の間から染み出た地下水が勢いよく渓流に流れ落ちコバルトブルーにきらめく美瑛川がしぶきを上げている様子を間近にみられるコバルトブルーに見えなかったよく見ると左奥のほうがちょっとコバルトブルーに・・この画像ではわからないね・・青い池すでに観光客でいっぱい駐車場も満車状態でしたが幸運にも出る車がありすぐに止めることができましたHOTTAさんおすすめのコースを歩いて・・コバルトブルーの池が美しい・・クマさんとHOTTAさんの後ろ姿を(-p■)q☆パシャッパシャ☆ラベンダーが満開の富田ファーム急な上りをゼィゼィ言いながら登る足元は小石が多く滑りやすい・・何度か滑って転びそうになりました・・怖ッ!!!Σ(ll||д゚ノ)ノ上まで登ると眼下に列車がカメラを構えていると目の前に中国人が立った・・エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?マナーの悪いのは相変わらずだね・・下に毛虫の画像がありますお嫌いな方はとばしてねでも・・とっても綺麗なんですよ途中で見つけた5センチはあろうかという巨大毛虫・・長い毛がふわふわしていましたこれ・・なんだ?調べてみるとこれかな・・クスサン(楠蚕)別名:シラガタロウ(白髪太郎)・クリケムシ(栗毛虫)・クリムシ(栗虫)繭の別名:スカシダワラ(繭)学名:Caligula japonica 鱗翅目ヤママユガ科違ってたら人( ̄ω ̄;) スマヌ一通り回って下に降りてきてお土産物屋さんを覗いてみたけど・・ラベンダーの香りが凄い・・香りに圧倒されて何も買わず・・富田ファームの中はソフトクリームばかりラベンダーソフトはラベンダーの香りがしっかりついてました・・画像がない・・(*・・)ヾ⌒☆しまった・・・・・やっと見つけたカフェでコロッケがトッピングされたカレーをゲットラベンダーのラムネ・・( ̄。 ̄)ホーーォ。ラムネはかすかなラベンダーの香りがしましたがラムネ・・だね・・暑かったので冷たい飲み物が最高!この後・・日本海に沿ってドライブ・・国指定重要文化財 旧花田家番屋建造物では最北端の国指定重要文化財平成13年には北海道遺産にも認定されています明治38年頃に建築され道内で現存する番屋では最大の規模を有し当時雇い人が200人を超えた大鰊漁家17時・・初山別村みさき台公園キャンプ場着 道北留萌地方の日本海に面した初山別村の金毘羅岬にあるキャンプ場です晴れた日には利尻島が眺められ日本海に沈む夕日が美しい事でキャンパーに人気があるそうですHOTTAさん綺麗な夕日を見せたくてここに連れてきてくださったのですがあいにくの曇空で利尻も夕日も見えませんでした早速テントを設置・・風が強くて煽られて大変でした・・昨日より気温はちょっと高いかな・・ブランコなどもありました私達がテントを張った場所はバイクや自転車の一人旅の方ばかりでした話し声一つ聞こえない静寂のなかでコーヒーを飲みながらお喋りしているとキタキツネが・・こんな素敵な時間を過ごせるなんてHOTTTAさんに感謝です・・その夜も寝袋で朝まで爆睡・・続くFC2・・はこちらから
2018/07/26
コメント(23)
去年のことブロとものHOTTAさんに会いに北海道へという話が持ち上がりHOTTAさんとは電話で数回お話をしていました特にクマさんとは話が弾んで・・クマさんもじっくりお話がしたいと・・また・・北海道は新婚旅行で行ったきりでもう一度行きたいねと話をしていたときでもあり話をすすめようとしたのですがこちらの都合で行けなくなって・・それが今回・・実現したのです7月18日(水)自宅を出発・・神戸空港から新千歳まで飛行機で一気に空港ではHOTTAさんが迎えてくださって・・ブロともさんって不思議なご縁・・初めてお会いしたにもかかわらず旧知の仲のような・・車にはテントの道具がいっぱい積み込まれていて・・向かった先は・・十勝岳山麓の吹上温泉傍のキャンプ場心配していたお天気も晴れて絶好調・・HOTTAさんとクマさん体格もよく似ているよね・・HOTTAさんのほうが背がたかい・・早速・・二人でテントの設置・・設置が住むとHOTTAさんが途中で買ってくださったメロンにかぶりつく・・気温が下がってきて涼しい・・クマさん上着をきてしばしまったり・・夕日がとっても綺麗・・思わず(-p■)q☆パシャッパシャ☆夜はバーベキュー冷えたビールを温泉宿に買いに・・HOTTAさんが準備してくださっていたジンギスカン途中で買い込んだホタテの刺し身・おにぎり・・暗闇の中LEDランプの明かりで食べるバーベキュー最高!話も弾んでキャンプの夜の時間を楽しむ・・そろそろ片付けにはいり缶ビールの缶を捨てに行こうと温泉のある建物に向かうと狐だぁ・・出会った男性から・・我を食べにキタキツネがでてきてると・・上手に我をキャッチして食べる姿を始めてみました白っぽいのと黒っぽいのが二匹・・夫婦なのかなぁ・・親子なのかなぁ・・ちょっと近づくと白っぽいほうは敏感に逃げます黒っぽい方は悠然として・・近くにいた若い親子連れにキタキツネがいますよぉ・・と声をかける・・クマさんが旦那様に狐は雑食だから何でも食べますね・・狐は肉食だから蛾なんて食べませんよ・・その目の前で蛾をキャッチして食べた・・旦那さま・・・・・・・・・お子さんが狐のそばに行こうとしていたので病気をもっていますので触らないほうがいいですよ・・と声をかけテントに戻るテントにもどるとHOTTAさんが美味しいコーヒーを淹れてくださった・・気温は15度位までさがっていたかと・・温かいコーヒーが美味しい・・空には星・・静かに流れる時間のなかたわいのないお喋り・・大自然のなかで過ごす貴重な時間・・夜は私にとって人生初の寝袋での就寝・・寝心地が良くて朝まで爆睡・・続く・・FC2・・はこちらから
2018/07/25
コメント(26)
全70件 (70件中 51-70件目)