全4420件 (4420件中 1-50件目)

ジムに行く時って、タオル・水筒・メガネケース (メガネケースはヨガやピラティスの時にメガネを外すための必須アイテム。) 細々したものが意外と多いんですよね。以前使っていたトートはポケットがなくて、 中でタオル・メガネケース・水筒がゴチャゴチャになってしまい、 毎回取り出すのがちょっとストレスでした。そんな時にアマゾンで見つけた1,000円しない黒のトート。 これが想像以上に便利で大正解でした。両サイドのポケットが優秀で、 片方には水筒、もう片方にはメガネケースがすっぽり。 真ん中にはタオルと除菌シートを入れて、必要なものが全部ひとまとめ。以前のジムではヨガマット用にアルコールとペーパータオルがありましたが、 今のジムにはないので除菌シートを入れておくと安心です。そして嬉しいのが、 中が濡れても大丈夫な作りになっているところ。汗を吸ったタオルや水筒の結露も気にしなくていいし、 運動後の湿ったタオルもそのまま入れられて本当に便利。軽くて扱いやすくて、 「これで十分じゃない?」と思える使い心地。 ジムの準備がちょっと楽しくなる、そんな小さな相棒になりました。今日は朝からジムへ。EJ-LightというJ-popを使ったダンスでしっかり汗をかいて、 その30分後にはピラティスで身体を整えて、 最後はシャワーでスッキリ。動いて、整えて、流して帰る・・この流れがとても気持ちよくて、 黒トートの使い勝手の良さも相まって、 ジムの時間が軽やかになりました。FC2・・はこちらから
2026/09/07
コメント(4)
金曜日のエアコン修理、約束の時間より30分早く来てくださって、 まずは早く済むとほっとしました。ところが・・ リモコンのスイッチを入れた瞬間、 あら不思議。ちゃんと動くじゃないですか。何度やっても正常。 そのときの私の心の声は マヂデェ━(゚Д゚;)━!? まさにこれでした。でも修理の方は落ち着いていて、 リモコンを新しいものに交換してくれました。その作業の途中で、本体のパネルが割れているのを発見。 そういえば、ずっと「なんかしっかり閉まらないなぁ」と思っていたけれど、 そんなものかと気にしていなかったんです。 割れていたから閉まらなかったみたい。部品は保証内で発注してくださるとのことで一安心。 「一週間ほどかかるので、その間停止ボタンの様子を見ておいてくださいね」 と笑顔で帰っていかれました。そのとき、ちらっと見えたスマホの待受。 めちゃくちゃ可愛い女の子で、 思わず 「お子さんですか?すっごく可愛い・・お嫁に行かせたくないですよね」 と言ってしまいました。すると照れながら 「そうですね・・」 と返してくれて、 そのやさしい笑顔にこちらまでほっこり。修理だけでなく、 心まで少しあたたかくなる午後でした。FC2・・はこちらから
2026/09/06
コメント(9)

一昨日のお昼前から降り始めた雨。 カラッカラだった畑にとって、まさに恵みの雨でした。 土が水を吸い込む音まで聞こえそうなくらい、 庭も畑もほっと息をついたように見えました。昨夜は、久しぶりにエアコンを使わず、 窓を開けて眠れるほどの空気。 涼しい風がゆっくり流れて、 気持ちまでほどけていくような夜でした。今朝、庭に出ると・・ イーマルリーが雨粒をまとって咲いていました。 薄桃色の花びらに小さな雫が寄り添って、 まるで「潤ったよ」と微笑んでいるみたい。雨上がりの光の中で、 花も葉も少し深い色をしていて、 庭全体がしっとりと落ち着いた表情。 季節の移ろいの中で、 こうした小さな変化が心を和らげてくれます。FC2・・はこちらから
2026/09/05
コメント(11)
9月2日から新しいジムに通い始めました。 少し遅れてのスタートでしたが、気持ちよく体を動かせています。2日はエアロビクスとヨガ、 3日はマシーンピラティスとフィータボディ。 フィータボディは主に足とバランスを鍛える運動で、 私にはけっこうきつく、終わるころには大汗をかいています。入口で会員証を認証すると、 すぐに最初のスタジオの番号札を取れる仕組みです。 着替えは1階、更衣室から2階のスタジオへ向かいます。 床の番号に合わせて立つだけなので、とても分かりやすいです。エアロでは後ろの方になり、トレーナーさんの足の動きが見えなくて、 前の方を真似しようとしても、その方も間違っていたりして少し困りました。 フィータボディでは前の札を取れたので、動きがよく見えて安心でした。 少しずつ、自分の立ち位置が分かってきました。更衣室の奥にはお風呂やシャワールーム、 サウナ、水風呂もそろっています。 私はシャワールームだけを使っています。脱衣所は少し狭く、そこで着替えようとすると 人に当たりそうになります。 一日体験の時、周りの方が更衣室でタオル地のワンピースに着替えていて、 「これは便利そう」と思い、私も真似して購入しました。 使ってみるととても楽で、パウダールームでもそのまま髪を乾かせます。混み合うときはシャワールームも順番待ちになりますが、 数があるので少し待つだけで大丈夫でした。 少しずつ、ジムでの動き方にも慣れてきました。 わからないことがあると、皆さんが親切に教えてくださるので安心です。そして、前のジムで一緒だった方とばったり再会。 思わず「わぁ」と声を掛け合って、 新しい場所でもつながりが続いていることが嬉しくなりました。このジムに変わって、よかったなと感じています。車で35分という距離が、これから負担にならずに通えたらいいなと思います。FC2・・はこちらから
2026/09/03
コメント(12)

リビングのエアコンが、電源は入るのに停止だけ不安定になりました。購入店でリモコンを確認してもらうと異常なし。2019年購入で、購入店の長期保証が残っているので、ひとまず安心しながら修理をお願いすることに。最短で4日(金)に来てもらえることになりました。昼間は茶の間のエアコンで涼しく過ごせますが、 夕方のキッチンは一気に暑くなり、調理がつらいほど。 そんな時こそリビングのエアコンが頼りなのに、 「使えるのに安心して使えない」微妙な故障が続いています。昨日は一度すっと切れたものの、また勝手につく不安定さ。 やはり本体側の制御の問題のようです。4日(金)の修理で原因がはっきりして、 気持ちよく使えるようになりますように。 暑さの中で、エアコンのありがたさをしみじみ感じています。ひとまず気合をいれてみたけど・・・・・FC2・・はこちらから
2026/09/02
コメント(10)
今日は、2年1ヶ月通ったジムの最後の日でした。 ヨガとエアロビクスでしっかり汗をかいて、 ここで過ごした時間を締めくくりました。突然「来年6月で閉館します」「月会費+5,500円になります」と聞いてから、 いろんなジムを見て回った日々。 お風呂がない上級者向けのジム、 駅前で駐車場がタイムス契約で3時間しか使えないジム。 しかも一般の方も止める場所なので、 時間帯によっては駐車するだけでかなり時間がかかりそうでした。 設備は整っているけれど初心者向けのジム・・どこも少しずつ違っていて、迷いながら探しました。そんな時、筋肉オタクのノブが 「運動はきつい・ゆるいじゃなくて、続けることが大事」 と背中を押してくれて、 そのひと言がぽんっと心を軽くしてくれました。そして選んだ新しいジムは、 明るくて元気なスタッフさんがいて、 人数は少なくても雰囲気がとても良くて、 お風呂・シャワールーム・プール・サウナまで揃っている充実ぶり。 女性専用のマシンピラティスも3台あり、 会費内で何度でも使えるのが嬉しいポイントです。今までのジムは車で13分の近さでしたが、新しいジムは車で35分ほど。少し遠くなるけれど、その道のりさえも新しい習慣になりそうで、気持ちが軽く弾む距離です。手続きも済んで、もう明日から通えます。 新しい場所で、またゆっくり、自分のペースで続けられそうです。最後の日の今日は、 先生にお礼を伝え、 仲良くしてくれた皆さんから「どこに行くの?」と声をかけられ、 名残惜しさが漂う時間になりました。 受付のスタッフさんとも順にお別れをして、 静かに、でも前向きに区切りがついた一日でした。ここからまた、明るいリズムで進んでいけそうです。FC2・・はこちらから
2026/08/31
コメント(8)

車の一年点検のお知らせが来ていたので、 担当者に連絡を入れて 8月28日の11時30分に予約を入れました。ディーラーへ着くと外壁工事の真っ最中。 店内に入ると担当者の姿がなく、営業の方も誰もいない。 少し不安になりながら受付を済ませて待っていると、 「飲みものはいかがですか」と声をかけてくださったので、 カフェラテをお願いしました。しばらくして運ばれてきたカフェラテには、 新潟・西盛屋さんの銅鑼焼きが添えられていました。私はラムレーズン、クマさんはつぶあん。 ひと口食べた瞬間、甘さがふわっと広がって、 点検を待つ時間が少しだけやわらぎました。しばらくすると担当者がやってきて、 「バッテリーが劣化しています。 今すぐではないですが、近いうちに取り替えないといけません」 と告げられました。バッテリー30,000円超え(まじ!?)。 その数字を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと痛くなって、 思わず「・・・( ̄  ̄;) うーん」と心の中で呟きました。エンジンオイルも交換して、 何もかもが1.5倍に値上がりしていて本当に高くなっています。クマさんの顔を見て「どうする?」と聞くと、 少し笑いながら 「どうせ変えないといけないんやから、変えてもらったら良いやん」 と、いつもの調子で。(お金の管理は私が全部しています)その言葉に嫌々背中を押されて、 「すぐに取り替えられる?」と担当者に聞くと、 「ちょっと待ってください」と奥へ。 しばらくして戻ってきて、 「部品がありますので、すぐに交換できます」 と言われました。ああ、もう逃げられない現実なんだ・・ と腹をくくって交換をお願いしました。作業が終わって会計へ。 一年点検とバッテリー交換で、 端数を切ってくださって結局 54,000円に。 少し安くしてくれたようだけれど、 それでも 54,000円は痛い。点検が終わったのは13時30分。 お腹も空いたし、気持ちを少しでも立て直そうと、 ディーラーのすぐ近くにある函館市場へ。 誕生日のお祝いに届いていた1割引のサービス券を使って、 ランチを楽しむことにしました。木のトレイに並んだ握り寿司はどれもつややかで、 大きな穴子一本握りは存在感たっぷり。 穴子一本握りだけで800円以上するのに、 ソフトクリームまでついて、 1人前1200円でお釣りが来るという嬉しい価格。美味しいものをゆっくり味わいながらも、 心の奥ではまだバッテリー交換の重さが残っていて、 気持ちは上がりきりませんでした。食後のソフトクリームは、 花びらみたいな器にふんわり盛られていて、 可愛らしくて、冷たさが心地よかったです。帰り道の車内で、 静かなエンジン音よりも、 予定外の出費の痛みばかりが響いていました。甘い銅鑼焼きも、 函館市場のランチも、 全部まとめて押し流してしまうほどの現実の重さ。帰ってからお金の計算しないと・・と頭が痛い。壁|〃´△`)-3ハゥーFC2・・はこちらから
2026/08/30
コメント(13)
今年の6月、通っているジムの経営者が変わり、 「今のままで続けます」と安心の通告がありました。 ところがそのわずか1ヶ月後ーー **来年6月閉鎖・会費5500円値上げ** の突然の知らせ。あまりの急展開に、ジム仲間の間では 「どうするの?どうするの?・・」という会話ばかりになりました。ジムは8月10日までに退会届を出すと、 8月はそのままの会費で利用できる仕組み。 私はもう7月のうちに退会届を提出していました。 安心させられた直後の閉鎖通告に、 気持ちが離れてしまったのです。それから近くのジムを調べてみました・・ 一番近いジムはお風呂なし・シャワー1つ。 聞きに行った方は「70歳以上の会員はいません」と言われたそうで、 上級者向きで年々辛くなりそうだと判断して断念。車で30分のホリデイは初心者向きで高齢者が多く、 設備は今のジムと同じく ・お風呂 ・シャワールーム ・サウナ が揃っていて安心。一日体験してわかったのは、会員さんは高齢者が多くて、 あまりきつくない内容で無理なく続けられそうということでした。ただし脱衣所が狭い。 服を入れる棚も小さく、 小物入れのように区切られたスペースで、 入れるには少し工夫が必要でした。スタジオは広く、 無理なく続けられそうという印象。キャンペーンも魅力的で、 紹介があれば事務手数料5500円が無料(紹介してもらいました)、 さらに8・9月の会費も無料。 お試し価格5500円で6ヶ月使えるという内容でした。姫路駅近にあるセントラルは新しくて魅力的。 ただし専用駐車場がなく、タイムズの契約駐車場を使う方式。・デイ会員は3時間無料 ・一般会員は4時間無料 とはいえ、タイムズは一般の方も使うので混み合い、 実際に見学しようと行った時も駐車場が行列で入れず断念。駅近で便利だけれど、 車利用の私にはどうしても無理がありました。この一週間、先生に少しずつお別れの挨拶をしてきました。 31日が最後の挨拶になります。仲良くなったジム仲間からは 「運動は続けないと駄目よ」 「遠いのは無理が出てくるよ」 と心配してくれる声も。そんな中、ノブが言ってくれた 「運動はきつい・ゆるいじゃなくて、続けることが大事・・」このひと言で、私の気持ちは決まりました。ノブは毎週日曜に筋トレを続ける“筋肉オタク” 見た目は色白で穏やかなのに、 幼い頃から空手をしていて実はとても強い人。 そんなノブの言葉だからこそ、すっと心に入ってきました。今回選んだジム(ホリデイ)は車で30分。 でも専用駐車場が広く、 初心者向けで無理なく続けられそうだと感じました。近さだけで選ぶと、 どうしても上級者向けでお風呂もなく、 年々辛くなりそうなジム。遠くても、 自分のペースで続けられる場所を選ぶことにしました。31日が最後の日。 大好きなエアロの先生にきちんと挨拶して、 長く通ったジムに感謝して、 新しい場所へ向かいます。このひと月、みんなが悩んで、 移籍する人、残る人、ゆっくり考える人・・ それぞれが自分の生活に合う形を探していました。私も、ノブの言葉を胸に、 また自分のペースで続けていこうと思います。FC2・・はこちらから
2026/08/28
コメント(12)

今年のスイカは7個だけの収穫でした。 去年は20個以上だったので、 この暑さと雨不足の影響が本当に大きかったのだと思います。ご近所さんの畑では早くから枯れてしまい、 ほとんど収穫できなかった様子。 そんな中でクマさんの畑は7個も実ってくれました・・それだけで十分ありがたい夏でした。クマさんはよく 「野菜は文句を言わない。世話したらしただけ応えてくれるから好きなんや」 と言います。 今年の厳しい暑さの中での畑仕事は本当に大変だったけど、 その言葉どおり、スイカたちは最後まで応えてくれました。8月に入った頃、ノブが 「今年はスイカ少ないの?スーパーでも見ないね」 と言っていたけれど、 ちょうどその時はまだ収穫前。 「もう少ししたら家のができるよ」と伝えていました。そして収穫が始まると・・ 毎晩の食後にスイカを頬張る幸せな時間がスタート。ノブはメロンは苦手でも、 スイカは本当に美味しそうに食べてくれます。 食べやすいように切って器に入れ、 冷蔵庫で冷やしておくと、 いつでも好きな時に食べられるのがいいところ。こうして毎晩の「スイカ時間」が続き、 残りはあと二個だけになりました。 今年は数が少なかった分、 ひとつひとつがより甘く、より愛おしい味です。クマさんの畑仕事の頑張りに、 今年のスイカは応えてくれたような気がします。FC2・・はこちらから
2026/08/26
コメント(12)

16日の日曜日。 ノブがいつものように出かけたので、運動に行ったのだと思っていたら・・ お盆のお供えにと、新宮まで大黒餅を買いに行ってくれていました。明治40年創業の老舗「大黒屋」 昔ながらの製法を守りながら、 和菓子・洋菓子を丁寧につくり続けている御菓子司です。 2013年には「大黒屋丹治」としてリニューアルし、 今も変わらない味を届けてくれています。買ってきてくれたのは “大黒餅” 賞味期限は当日限り。 お供えをしてから、みんなでいただきました。一つ食べ福来る 二つ食べ縁来る 三つ食べ幸来る創業以来守り続けられてきた大黒餅は、 七福神のひとり・大黒様(福徳の神様)にちなんだ縁起菓子。 杵搗き餅にこしあんを包み、小槌の焼印が添えられています。こしあんの上品な甘さが広がって、 思わず「美味しい」と声がこぼれました。老舗の静かな味わいと、ノブのやさしい気持ちが重なって、 お盆らしい穏やかな時間が流れていきました。 甘さの中に、やさしさが宿っているようでした。FC2・・はこちらから
2026/08/25
コメント(10)

加古川メロンとの出会いは、もう10年以上前のこと。 「美味しいから食べてみて」と、ご近所さんがお裾分けしてくださったのが最初でした。 そのみずみずしさにすっかり魅了されて、 翌年からはクマさんが種を取って育ててくれるようになり、 毎年の夏の楽しみになりました。加古川メロンは、加西市の農家さんが自家用に育てていたものを、 加古川市の宮脇種苗店さんが選抜して販売された品種だそうで、 果皮は緑白色、果肉は淡い緑色。 しっかり大きくて歯ごたえがよく、 熟すとほのかな香りがふわっと立ち、甘みも高い・・ そんなやさしい特徴を持っています。毎年、畑の片隅でぽんぽん実をつけてくれる子で 納屋の中がメロンの香りで満たされていたのに、 今年はたった7個で終わってしまいました。 こんなに早く枯れてしまったのは初めてで、 乾いた畑の土を見ながら、少し胸が痛みました。それでも、こうして収穫できた実を前にすると、 「また来年、元気に育ってくれますように」と 願いたくなります。ちなみにノブは、きゅうりやメロンが苦手で加古川メロンも食べません。瓜科がどうも合わないみたいです。でもスイカだけは毎日うれしそうに食べています。FC2・・はこちらから
2026/08/24
コメント(13)

ここ数年の暑さは、もう「異常」というより 暑さが本気を出してきたという感じで、 畑へ向かうクマさんを見ながら ずっと「空調作業着、買おうよ」と言っていた私。でも毎年のように 「いらん」 と、あっさり却下され続けてきました。ところが今年は雨もほとんど降らず、 畑のスイカも野菜も枯れてしまうほどの過酷さ。 そんな7月30日── ついにクマさんがぽつりと 「ほしい」 と言い出したのです。その瞬間、心の中で ほら見たことか! とガッツポーズ。とりあえずアマゾンで お手頃の空調作業着を購入してみたら、 これが思った以上に快適だったようで、 朝から嬉しそうに着て畑へ出発。帰ってくるなり 「いや〜楽やわ〜」 と満足げ。その顔を見ながら私は 「だから言ったのに〜」 と笑ってしまいました。FC2・・はこちらから
2026/08/23
コメント(14)

昨日、免許更新の前にいつもの眼鏡屋さんへ メガネの調整をしてもらいに行きました。帰ろうとした時に、Oさんが 「ポットさん、きゅうりいらない?」 と声をかけてきて、思わず 「えっ」 としてしまいました。するとOさんが笑いながら 「ポットさんとこは、きゅうりありますよね?」 と言うので、私は速攻で「今年は枯れてしまって、もうないの。欲しい!」 と返してしまいました。本来ならクマさんの畑で山ほど採れて ご近所さんにお裾分けしているのに、 今年は雨が降らず暑さも続き、 水不足で畑のきゅうりはすっかり枯れてしまっていたのです。だからこそ、この「きゅうりいらない?」が いつもよりずっと嬉しくて、 胸の中がぱっと明るくなりました。Oさんによると、 規格外のきゅうりを農家さんのお客さんがたくさん持ってきてくれたとのことで、 「どのくらい入ります?」と聞かれ、 「わさび漬けを作りたいから1キロほど」と伝えると、 大きな袋2つのうちのひとつを ためらいなく、さっと差し出してくださって。開けてみると、1キロどころか2キロ以上!しかも商売で作っている農家さんのきゅうりだから、 水気がたっぷりでみずみずしくて、 その気前のよさと一緒に、思わず笑顔になりました。帰宅してすぐに、きゅうりを1キロ量り、ざく切りに。 塩40グラムを混ぜてしばらく置くと、 きゅうりから水が上がってきます。水を捨てたら、 砂糖400グラム、チューブわさび1本、酒少々。 混ぜていると、台所に夏の香りが広がりました。容器に移して冷蔵庫へ。 2日ほどすると味がなじんで、 口当たりがさっぱりして本当に美味しいのです。畑のきゅうりが採れなかった今年だからこそ、 このいただきものが、 いつも以上に明るい気持ちを運んでくれました。眼鏡屋さんのOさんにも 「簡単で美味しいですよ」と作り方をお伝えして、 小さな夏の喜びを分け合えたような気がしています。FC2・・はこちらから
2026/08/21
コメント(10)

滝の涼しさをたっぷり味わい、 そのまま車に戻って次の目的地「梅花堂」へ。 知り合いから強く勧められていたお菓子があって、 それを楽しみにしていたのです。ところが、車のナビで検索しても 電話番号でも住所でもまったくヒットせず。 「えっ、出てこない…?」と少し戸惑いながら、 結局 iPhone の Googleマップで案内してもらうことに。旅先ではこういう小さなハプニングも、 あとから思い返すとちょっと楽しいものです。梅花堂に着くと、 店内には丁寧に並べられた箱菓子がずらり。 包装の色合いもやさしくて、 見ているだけで心が踊りました。購入したのは、宮城・塩釜の銘菓「藻なかさぶれ」。 宮城県産の米粉に塩竃産の藻塩、 ギバサ(海藻アカモク)を加えた生地はほろほろで、 そのままでは形が保てないほど繊細。 それを最中の皮で包んで焼き上げた、 最中菓子です。甘しょっぱさと香ばしさがふわっと広がり、 初めて出会う味に思わず笑みがこぼれました。店内には一人の女性客がいて、 「すっごく美味しくて、でも高いから自分用には なかなか買えないけど、たまに褒美用に買うんです」と 話してくださいました。 その言葉に、このお菓子が地元でどれほど大切にされているのか、 伝わってきました。自宅用にも買おうとすると、 店の方が「こちらは贈答用の箱代が入っていますから、 ご自宅用なら無料の箱がありますよ」と 声をかけてくださいました。 その気遣いに、東北の方のやさしさをまたひとつ感じました。そんな声や気遣いに触れながら、 自分もこのやさしい美味しさにすっかり惹かれてしまい、 友人へのお土産にも選びました。 「めちゃくちゃ美味しかった!」と喜んでもらえて、 旅の嬉しさがもう一度返ってきたようでした。梅花堂で藻なかさぶれを買ったあと、 もうひとつのお勧めのお菓子を求めて仙臺マコロンへ向かいました。 仙台では昔から親しまれてきた、 ちょっと駄菓子のような存在だそうです。店内は、どこか懐かしい雰囲気。 棚いっぱいに並んだお菓子たちが、 「ようこそ」と迎えてくれるようでした。仙臺マコロンは、 栄養豊富なピーナッツを主原料に、 宮城県産の卵、ミネラル豊富な甜菜糖を使って作られています。香ばしい風味とサクッとした食感を出すために、 気温や湿度に合わせて職人さんが微調整しながら、 昔ながらの製法で丁寧に焼き上げるのだそうです。店内では、マコロンを選んでいるときに、 まずは小さな小袋を一つすすめていただきました。 食べてみると、 外はサクッ、中はほろっとほどけるやさしい甘さが広がり、 素朴だけど美味しい。その味の余韻を感じながら御土産を選んでいると、 「自宅用なら、この大袋がお買い得ですよ」と 教えてくださいました。 気取らない案内が心に触れて、 ここでも東北の方のあたたかさを感じました。自分用にも、そして教えてくださった知り合いへのお土産にも 大袋をいくつか選びました。 知り合いからは「めちゃ嬉しい!」と喜んでもらえました。画像はお借りしましたさらに、空港へ向かう道を尋ねると、 「高速に乗ったほうがいいですよ」と お店の方が皆さんで話し合いながら教えてくださいました。 そのやり取りがとても穏やかで、 土地の人のやさしさが胸にしみました。梅花堂の藻なかさぶれ、 そして仙臺マコロンの素朴な甘さ。 どちらも宮城ならではの味わいで、 旅の途中に立ち寄った小さなお店が こんなにも心に残るものになるなんて、 やっぱり旅は楽しい。また宮城を訪れる楽しみが、ひとつ増えました。マコロンを購入したあと、レンタカー会社へ向かい、 返却前にガソリンを満タンにして車を返しました。 そのまま空港まで送っていただき、 空港では少しだけお土産を選ぶ時間もありましたので 色々と御土産も買ってきました。19時30分発のSKY157便で神戸へ。 夜の空気の中を飛んで、 神戸に着いたのは21時10分。 自宅に着いたのは22時40分でした。帰宅すると、ノブがお風呂を入れて待っていてくれました。ご飯も炊いてくれていて、その気遣いが旅の疲れを和らげてくれました。お風呂にゆっくりつかって身体をほぐし、そのあとは深い眠りに落ちました。歩いた歩数 8967歩 5.7kmFC2・・はこちらから
2026/08/19
コメント(13)

秋保神社を参拝したあと、 森の道を抜けて秋保大滝へ向かいました。鳥居をくぐると、 空気がすっと澄んでいくような静けさ。手水舎で手と口をすすぎ、 気持ちを整えて滝へ向かいます。秋保大滝を目指して歩いていると、 森の中に突然、赤い灯籠が見えてきました。それが秋保大滝不動尊。 滝へ向かう道の途中でふと出会った祈りの場所でした。堂内には力強い不動明王が祀られ、 赤い灯籠や供え物が凛とした雰囲気をつくっています。不動尊の由来 秋保大滝不動尊は、山寺・立石寺の奥の院といわれる真言宗智山派の寺院。 正式名は「滝本山西光寺」。 東北三十六不動霊場29番札所、みちのく巡礼第26番札所です。その起源は平安時代。 慈覚大師円仁が秋保大滝の壮観に心を打たれ、 この地で修行したことが始まりとされています。現在の不動堂と不動明王坐像は江戸時代、 中興の知足上人が大願を成就して造立したもの。 知足上人の御影像は境内の「開山知足堂」に祀られています。 不動尊を過ぎると、 森の奥にひっそり佇む小さなお堂が現れます。 それが開山知足堂。祀られているのは、秋保大滝不動尊を中興した知足上人。 不動堂や不動明王坐像の造立を成し遂げた人物で、 秋保の信仰を大きく支えた存在です。堂の名にある「知足」は、 “足るを知る”という仏教の教えを表しています。華美ではなく、 ただ森の静けさに溶け込むような佇まいは、 その教えそのもののように感じられます。知足堂の周りは木々が深く茂り、 風が通るたびに葉の音だけがやさしく響きました。 不動尊の荘厳さとはまた違う、 森に抱かれるような静けさが漂う場所です。木漏れ日の中を歩く参道は、 石柱が並び、森に導かれているような心地よさがありました。そして、目的地である秋保大滝へ。 木々の間から見えてくる滝は、 水の落ちる音が体に響くほどの迫力。秋保大滝は「日本の滝百選」に選ばれ、 国の名勝にも指定されている幅6m・落差55mの直瀑。 轟音をたてて流れ落ちる様は豪快そのもので、 華厳の滝・那智の滝と並ぶ「日本三大瀑布」の一つとも言われています。 滝壺まで行こうかなと思って階段の入口に立ったけど、 終わりが見えないほどずっと続いている階段を見た瞬間、 気持ちが変わりました。「今日はここまででいいか」と思えて、 無理をせず引き返すことにしました。 滝の迫力を十分に味わったあとだったので、 心にも体にもやさしい選択でした。これで、日本三大瀑布と呼ばれる華厳の滝・那智の滝・秋保大滝の三つをすべて訪れたことになりました。それぞれに違う水の音と空気があって、三つの滝の気配が、ひとつの旅の記憶になっていきました続く FC2・・はこちらから
2026/08/17
コメント(11)

8月7日(金)の15時頃、長男が帰省してきました。 以前から「親父、山に行こ」と誘っていた石鎚山登山。 その約束を果たすための、少し早めの帰省でした。帰宅するとすぐに荷物のチェックが始まり、 長男からは山登り用の半袖Tシャツを二日分。 そのやり取りには、どこか少年のような嬉しさと、 父と息子の静かな連帯感がありました。夕方には、山で食べる甘いものを買いに出かけました。 山へ向かう前の、ほんの小さな準備の時間。 その買い物も、ふたりにとっては登山の一部だったのだと思います。夜はすき焼き。 鍋の湯気がゆっくり立ちのぼる食卓で、 翌日の山へ向けてしっかりと英気を養っていました。ふたりは9時すぎには就寝。 その背中には、翌日の山へ向かう静かな決意がありました。翌日、私は二時にそっと起き出し、台所で珈琲をセットしました。 鮭と梅干しのおにぎりをふたり分。 山へ向かう人のために握るおにぎりは、 いつもより少しだけ気持ちが入ります。2時半を過ぎたころ、ふたりを静かに起こしました。 珈琲をひと口飲むとすっと目が覚めたようで、 ザックのファスナーが閉まる音だけが 暗い家の中に小さく響いていました。車へ向かうふたりの背中に、 私はそっと声をかけました。「いってらっしゃい。気をつけて。」ヘッドライトが暗い道を照らし、 車がゆっくりと走り出すまで見送っていました。実は、最初は信州の山を考えていました。 でも、クマさんは結婚してから50年、山に登っていない。 それまでは山男だったのに、 78歳という年齢もあり、 「もう登れないかもしれない」という気持ちが 心の奥に積もっていたのだと思います。だから私は、 「四国の登りやすい山にしてほしい」と長男にそっとLINEを送りました。 それがクマさんにとって、大きな後押しになりました。長男は石鎚山を調べていましたが、 実際の山は想像以上に厳しく、 麓から登ったことを後で反省するほどでした。そして・・石鎚山神社中宮・成就社までは階段はほとんどなく、 ずっと続く急な坂道を4時間半かけて登ったのです。踏ん張る力が必要で、息が上がりやすく、 高齢の身体にはかなり負担がかかる道のり。 それでもふたりは、ゆっくり確かめるように歩き続けました。石鎚山神社中宮・成就社の少し先からは 一気に急な階段が続き、 そこでクマさんの足がつってしまいました。「ここで待っとくわ お前は行け・・」その言葉には、悔しさと、 長男を送り出す静かな覚悟が重なっていました。長男はそこからひとりで山頂へ向かい、 険しい岩場や鎖場を越えていきました。成就社で待つこと4時間。 山の音に包まれながら、 長男の無事を願って過ごした時間。鳥の声、風の通り道、 登っていく人の足音。 そのすべてが、クマさんの記憶に静かに刻まれたようです。石鎚山の下りは、 ふたりともロープウェイで降りました。急な坂や階段を下る負担を避け、 窓から見える山の緑を眺めながら、 身体と心を落ち着かせる時間になりました。この選択が、翌日の剣山へ向かう体力を守ってくれました。石鎚山を降りたふたりは、 翌日の剣山へ向かうため、 登り口近くの温泉宿に泊まりました。温泉で疲れを癒し、 食卓で「おつかれさん」と乾杯する時間。 その夜は、山旅の続きを迎えるための休息となりました。翌日の剣山は、 石鎚山の厳しさとは対照的に、 景色が開けて、風がやわらかく、 歩くことそのものが気持ちいい山でした。稜線の向こうへ続く道を、 ふたりはゆっくりと歩いていきました。そして・・ クマさんは剣山の山頂まで昇り切りました。78歳。 50年ぶりの登山。 石鎚山では足がつったけれど、 翌日の剣山では最後まで歩き切った。その事実は、 ただの登山ではなく、 父と息子が一緒に歩いた時間の証そのものでした。FC2・・はこちらから
2026/08/15
コメント(13)

磊々峡を出て向かったのは秋保神社。 白い旗が風に揺れ、 木々の影がやわらかく揺れていて、 歩くだけで心がすっと澄んでいくような場所でした。秋保神社の始まりは、平安時代の大同3年(808年)。 坂上田村麻呂がこの地に神を祀ったことが起源と伝わっています。その後、室町時代には 秋保領主の祖・平盛房が戦勝祈願のため諏訪大神を迎え、 ここから秋保神社は「戦の神」「勝負の神」として 人々の祈りを集めるようになりました。長い年月の中で、 武家の守護神として、 そして現代ではスポーツや受験、商売繁盛まで・・人生の勝負を後押ししてくれる神社として 静かに愛され続けています。さらに、フィギュアスケートの羽生結弦さんも勝負の節目に訪れたことで知られています旅の予定を立てているとき、秋保神社が勝負の神様だと話した瞬間、クマさんの顔がぱっと明るくなって、「行く!」と迷いなく言いました。その素直な反応が面白くて笑っちゃいました。境内には、勝負の神社らしいものがいくつもありました。 勝石のまわりの石垣や、厄割玉の素朴な箱が 秋保の静けさとよく似合っていました。でもクマさんはこういうのにまったく興味なしで、 すたすたと先へ。 私は写真を撮りながら、その背中を追いかけました。せっかく来たのにお守りも買おうとしないクマさんに、笑いながら「お守りくらい買っておかないと、競馬の神様に見捨てられるよ〜」と言うと、クマさんは あ、そうか という顔になって、「そやな」と素直にうなずき、そのまま授与所へ向かっていきました。その後ろ姿がちょっぴり可愛かった。参道を戻る途中、 ふと目に入った「おもかる木」おもかる木とは、 樹木の幹が地殻変動や火山活動、水中での砕石作用などによって地中に埋もれ、 長い年月のあいだ圧力や熱を受けて変成し、炭化したものです。 「埋もれ木」とも呼ばれ、仙台はかつてこの埋もれ木の産地として知られていました。秋保神社の境内で見つかったこの埋もれ木は、 悠久の時の流れを偲ばせるものとして「神代木」に指定され、 見た目からは想像できない重さを持つことから 「おもかる木」として信仰されています。素朴な木の道具が、 秋保の静けさとよく似合っていて、 手を伸ばしたくなる佇まいでした。持ち上げてみると、 思っていたよりも軽くて、 ふたりで顔を見合わせて 「なんだか幸先いいね」って、 笑い合いました。ふたりで感じた穏やかな時間が、秋保の風に溶けて、心に残る思い出になりました続くFC2・・はこちらから
2026/08/12
コメント(12)

萬之助を出て、磊々峡へ向かいました。 車は秋保里センターに停めて、まずは周辺を少し散策。到着したのはちょうど13時前。 真昼の陽ざしの中、センター前の足湯では気持ちよさそうに浸かっている方の姿も。 木陰に入ると風が通って、ほっとするような涼しさでした。案内板を眺めながら、 「まずは名取川橋へ行ってみよう」とルートを決めて出発。 緑に囲まれた地図は、見ているだけでワクワクします。センターの横にはテントの休憩スペースもあり、 木漏れ日の中でひと息つく人たちの姿がとても穏やか。 旅の途中にこういう場所があるとホッとしますね。名取川橋へ向かう道は、車の往来がある道路で、 日陰も少なくてとにかく暑い・・ 照り返しの熱がじわじわと体にまとわりつきました。名取川橋に着いて、まずは橋の上から下をのぞき込みました。 そこには、まさに磊々峡らしい深い岩の割れ目と流れの白さが広がっていました。岩が幾重にも重なり、その間を水が勢いよく走っていく様子は、 迫力があります。 周囲の緑も濃く、夏の光が差し込むと岩肌がきらりと光ってとてもきれい。橋のそばにある遊歩道へ入ると、 車道の暑さとは打って変わって、峡谷の中はひんやりしてました。 頭上の緑が影をつくってくれて、本当に涼しい道でした。岩の層が縦に重なり、 その間を白い流れが走っていく様子は、 自然が長い時間をかけて作った造形美そのもの。 水の音と風の気配だけが寄り添ってくれるようで、 歩いているだけで気持ちが軽くなりました。同じような景色が続くのですが、 その変わらなさが心地よくて、 緑の影が深い天然のトンネルのようでした。岩の間を流れる水の白さが際立ち、 光と影が交互に揺れてとても美しい場所でした。游歩道を出ると、最初に車を停めた秋保里センターに戻ってきました。 ぐるっと一周したような形で、 ちょうどいい散策コースになっていたのです。緑の中を歩いたあとのセンターは、 なんだか帰ってきた場所のように感じられて、 ほっとしました。続くFC2・・はこちらから
2026/08/08
コメント(15)

蔵王チーズ工房をあとにして、 次に向かったのはそば茶房 萬之助でした。萬之助に着いたのは11時23分。 11時30分の予約にぴったりで、 少し早めに着いた安心感がありました。住宅街の中にひっそりと佇むお店は、 静かな空気が流れていました。案内されたのは庭を真正面にしたカウンター席。 窓の向こうの緑がやわらかく揺れ、 町の中の静けさがそこにありました。席に着くと、 「そばは十割そばと二八そばがあります」と案内がありました。 せっかくなら香りの強いそばを味わいたくて、 私もクマさんも十割そばを選びました。私たちが席に着いたときにはすでに数組のお客さんがいて、 注文を終えてそばを待っている間にも、 住宅街の中のわかりにくい場所にもかかわらず、 次々とお客さんが訪れていました。「予約しておいてよかった」と 心から思えるほどの人気ぶりでした。私は十割そばの海老天おろし。 細めのお蕎麦がつるんと喉を通り、 薄味なのにしっかり旨みがあって、 ひと口で「来てよかった」と思える味でした。クマさんは肉そば+ゲソ天丼のセット。 温かい肉そばの香り、 サクッとしたゲソ天丼の食感に 満足そうな表情を浮かべていました。 十割そばというと粘り気がなくて少しパサつく印象があるのに、 萬之助の十割そばは違いました。ひと口食べた瞬間、 香りがふわっと広がり、しっとりとした食感で、 ふたりで思わず顔を見合わせて、 「美味しい!」と声がそろいました。最後にいただいた蕎麦湯もやさしい味わいで、そばの余韻をそのまま受け止めるように、残さずいただきました。食べ終わる頃、 オーナーさんが席までわざわざ来てくださり、 「遠くからお越しくださり、ありがとうございます」と やわらかい声で話しかけてくれました。私たちが「とっても美味しかったです」と伝えると、 オーナーさんは嬉しそうに、 「自分たちで育てたお蕎麦を使っているんですよ」と 穏やかな口調で教えてくださいました。山形県北西部にそびえたつ霊峰葉山の麓に所有する 約10ヘクタールのそば畑にて、 精魂込めて自家栽培した「山形県産100%」の玄そばを使用。霊峰葉山の麓に広がるそば畑で育てた玄そばを、 自家工房で石臼挽きし、 季節ごとに変わる風味の絶妙なバランスを追求して 独自にブレンドしていること── その丁寧な工程が、 あの“しっとり感”と“香りの深さ”につながっているのだと、 その言葉で腑に落ちました。忙しい時間帯だったのに、 わざわざ声をかけてくださったことが胸にしみて、 この土地の人のやわらかい温かさを感じたひとときでした。お腹も心も満たされた時間となりました。続くFC2・・はこちらから
2026/08/05
コメント(12)

霧の白い世界から抜けるように山を下ると、 緑が爽やかに揺れていました。 風もすっかり収まり、車の窓から入る空気がやわらかくて、 さっきまでの強風が嘘のようでした。緑のトンネルを抜けるように走っていくと、 蔵王チーズ工房に着きました。 思っていたよりこじんまりとしていて、 木のぬくもりが感じられる可愛らしい建物でした。中に入ると、木の香りとチーズのやさしい匂いがふわっと漂ってきました。 棚には地元のチーズやミルクの加工品が並び、 小さな工房ながら丁寧に作られた雰囲気が伝わってきます。冷蔵ケースにはチーズやミルクのスイーツがきれいに並び、 工房が受賞したチーズアワードの証書も飾られていました。店内を見ていると、 経営者さんらしき男性がとても丁寧に接客してくださいました。気になっていたチーズのことを尋ねると、 ひょうたんの形をしたカチョカヴァッロを 「これはぜひ食べてみてください」と やわらかい口調で勧めてくださり、 その言葉に背中を押されるように購入しました。● ブラータ ● リコッタ ● ゴーダ ● 工房オリジナルのフレッシュタイプ ● 経営者さんおすすめのカチョカヴァッロトマトを薄く並べ、その上にそっとブラータをのせると、 中のクリームがゆっくりとろりと広がっていきます。ミルクの甘さとトマトの酸味がふわっと重なって、 もうね、ほっぺが落ちそうなくらい美味しかった。ひょうたんの形をしたカチョカヴァッロは、 1センチ幅ほどに切ってステーキ風に焼くと、 表面はこんがり、中はとろり。ミルクのコクがふわっと広がって、 こちらも最高の一皿でした。工房は工事中で見学はできませんでしたが、 スタッフさんが 「トイレはすぐ隣で借りられますよ」 と丁寧に教えてくださいました。旅の途中で出会う、 こうした小さな親切が心に残ります。続く蔵王チーズ工房FC2・・はこちらから
2026/08/03
コメント(13)

2026年6月29日(金)晴れいつものように6時前には自然と目が覚めました。 すぐにカーテンを開けてバルコニーへ。 昨夜の雨はすっかり上がり、 雲の隙間からやわらかい陽が差し込んでいました。「これなら、御釜も行けるかもしれない」 そんな期待が胸に灯ります。着替えを済ませ、朝食に向かう前にフロントへ。 御釜の様子を尋ねると・・ 「かなり霞んでいます。山の天気は荒れやすいので・・」 とスタッフさん。ここが晴れていても、山の上は別世界。 その言葉に少し迷いながらも、 予定を30分遅らせて8時30分出発に決めました。その前に、しっかり朝食をいただいてからの出発です。 朝食を終えてロビーを抜け、 いよいよ御釜へ向けて出発です。外は少し陽が差していて、 「これなら御釜も行けるかもしれない」 そんな期待を胸に山へ向かいました。山道に入ると、 最初は薄かった霧が、 進むにつれてどんどん濃くなっていきました。前を走る車は白い影のようにしか見えず、ブレーキランプがかすかに浮かぶだけ。そのうえ、霧の中から突然降りてくる車が現れて、胸がぎゅっとなるような怖さでした。「これは本当に行けるのかな…」 そんな不安が胸に広がり、 クマさんに「運転、気をつけてね」と声をかけました。霧の中を慎重に進むと料金所に到着。 係のおじさんがすぐに 「今日は風も強いし危険だから戻ったほうがいいよ」 と真剣な表情で教えてくれました。その言葉を聞いて、 料金所を通り越してすぐの広い場所でUターンしました。車を停めて外に出てみると、 身体が持っていかれそうなほどの強風。 ガードレールにしがみつくほどで、 「この風なら落ちるかもしれない・・」 と心の底から思いました。山は寒いと聞いてウインドブレーカーを着ていましたが、それでも立っていられないほどの強風で、体の芯まで冷えるような寒さでした。風に押されて足がふらつくほどで、「今日は本当に危険な天気なんだ」と実感しました。そのとき観光バスも上がってきて、 料金所でしばらく止まったまま。 大型バスでさえ動けないほどの強風と濃霧でした。御釜は断念し、 少し下ったところにある駒草平展望台へ向かうことにしました。下るにつれて霧は少しずつ薄くなり、 道路の端や斜面が見えてきました。展望台の建物が霧の中に佇んでいました。しかし、展望台からの景色はほとんど見えず、 白い世界が広がるばかり。外に出てみると、 霧が薄い分、風が強く吹きつけてきて、 身体が持っていかれそうなほどでした。駒草平展望台でトイレを済ませ、ひと息ついたところで、次の目的地・蔵王チーズ工房へ向かうことにしました。続くFC2・・はこちらから
2026/08/01
コメント(7)

14時45分に浄土平を出発。 山を下りて東北中央道へ入り、 長い長いトンネルを抜けたあたりで、ぽつぽつと雨が降り始めました。最初はほんの小さな雨粒。 でも進むにつれて雨は少しずつ強くなり、 ホテルに近づく頃にはすっかり本降りに。ナビがまったく使えず、 名前でも住所でも電話番号でも検索できず、 最後は iPhone の Googleマップだけが頼りでした。無事にたどり着いたときの安堵感はひとしおでした。館内に入ると、 落ち着いた照明と静かな空気が広がり、 雨の中の移動で少し張っていた気持ちがほどけました。このホテルは、故・丹下健三氏が設計し、世界的プロダクトデザイナー・奥山清行氏が家具をコーディネイトしたグローバルなデザイナーズリゾート。館内に漂う凛とした静けさは、建築とデザインが生み出すものなのだと感じました。この画像はお借りしてきましたチェックインを済ませて、 夕食まで少し時間があったので部屋へ。予約した部屋は、 和室と洋室がひとつになった広々とした和洋室。角部屋のバルコニー付きです。 畳の香りが漂い、 旅の疲れを静かに受け止めてくれる空間でした。雨の音を聞きながら、広いバルコニーに出て見ました。バルコニーにはお洒落な椅子とテーブルがセッティングされておりお天気が良ければ椅子に座って風景を楽しみたいところです。でも今は本降りの雨でした。明日は無理かも・・夕食は春の美食フェアを予約していました。 旬の食材をつかった季節限定の料理です。まずは冷たいビールで「お疲れさま」の乾杯。外は雨で少し肌寒かったけれど、 グラスのビールはきりっと冷えていて、 その一口が体にすっと染み込むようでした。クマさんも嬉しそうにグラスを持ち上げて、 顔がほころんでいました。席には淡い桃色のメニューが置かれていて、 春らしい華やかさが広がっていました。海藻や山菜、春の海の幸が少しずつ並んだ前菜。 ひと口ごとに季節の香りが広がり、 旅の疲れがゆっくりほどけていきました。葉をそっと開くと、 湯気とともに春の香りが立ちのぼり、 やわらかいお肉と野菜が姿を見せました。続いて出てきたのは薬膳スープ。 薬膳と聞くと独特の香りやクセを想像してしまいますが・・飲みやすくてホッとする味で美味しかったです。体の奥にすっと染み込むような、 やさしい味わいでした。身体もぽかぽかしてきました。薬膳の内容はテーブルのカードに丁寧に書かれていました。どれも体をいたわる食材ばかりで、 印象に残る一品でした。天ぷらは衣がまだサクッと音を残していて、 揚げたての香りが広がりました。岩塩をすりおろして一口・・天つゆにひたして一口・・どちらもとても美味しくてついつい手が伸びます。季節野菜の陶板焼き。 温かいソースがとろりと広がる陶板焼き。 そして・・山形牛がすっごく柔らかくて 舌の上で静かに消えていくような食感でした。 肉好きにはたまりません。クマさんの顔がほころんだのも、 この山形牛のやさしい味わいが 旅の疲れをそっとほぐしてくれたからですね。春らしい彩りのデザートが並び、 軽やかでとても美味しくて、 食事の締めくくりにふさわしい一皿でした。最後のデザートもとっても美味しかったぁ… お料理はもちろん美味しくて、 クマさんの顔もほころんでいました。夕食の時間は旅の一日の終わりを やさしく包んでくれるようなひとときでした。夕食を終えて席を立つと、外はまだ雨。 フロントで御釜の天気を尋ねると、スタッフさんがライブ映像を見せてくれました。 「明日の朝またチェックしてみてくださいね」とやさしく声をかけられ、 部屋へ戻りました。部屋に戻ると、 浴衣に着替えて、ゆっくりと大浴場へ向かいます。その夜の大浴場も、私ひとり。 今回の旅ではどこのホテルでも大浴場を独り占めでした。扉を開けると湯気が立ちのぼり、 木の天井と大きな窓からの淡い光が迎えてくれました。蔵王温泉は開湯千九百年。 東北でも屈指の歴史を持つ温泉で、 ここ瑠璃倶楽リゾートの湯はその中でも特に強酸性。 まさに「天然の美容液」と呼ばれるほどの美肌の湯です。湯船に身を沈めた瞬間、旅の疲れがほどけていき、 湯上がりの肌はつるんとスベスベ。 指先がふっと滑るような感触に、思わず笑みがこぼれました。温泉で体が軽くなったあと、 部屋に戻って翌朝の御釜へ向かう準備を整えました。 雨音を聞きながらベッドへ横になると、 まぶたが静かに落ちていき、 旅の一日の終わりをやさしく包む夜になりました。続く FC2・・はこちらから
2026/07/31
コメント(12)

浄土平に着いたのは13時18分。 塔のへつりをあとにして山道を進むうちに、 空気が少しずつひんやりしていくのがわかりました。駐車場に着くと、 遠くの山肌から白い煙が立ちのぼっていて、 火山の気配が漂っていました。少しお腹が空いていたので、 ここでお昼にすることにしました。レストハウスの中は、 お昼のピークを過ぎていたこともあって静かで、 木のぬくもりが感じられる空間でした。席に座って、 浄土平らぁめん(1200円)を注文。見た目は丁寧で、 具材の彩りもきれいでした。 味は・・「普通」。 特別ではないけれど、 旅の途中で食べる温かい一杯はそれだけでほっとしますね。ラーメンを食べている途中、 外が急に暗くなったと思ったら、 雨が降り始めました。山の天気らしい、 予告のない降り方。しばらく店内で様子を見ることにしました。雨は幸いすぐに上がってくれました。 外へ出てみると・・地面から立ち上る水蒸気が一気に広がって、 あたり一面が真っ白。 空と地面の境目が溶けてしまったようで、 どこに立っているのかさえ曖昧になるほどでした。さっきまでの晴れた景色とはまるで違う表情。 霧の中に包まれた浄土平は、午後の時間がすこしだけ静かになったように感じました雨はすぐに上がってくれたものの、 外はまだ白い水蒸気がゆっくり漂っていて、 景色が霞んでいました。霧の向こうに石碑や道標が浮かび上がり、 その静けさがどこか神秘的でした。そんな中で、 クマさんが空を見上げて 「雲が流れていったから大丈夫や」と 言いました。その言葉に背中を押されるようにして、 私たちは登ることにしました。標高の案内板の前に立つと、 ここがもうずいぶん高い場所なのだと あらためて感じました。霧の中に立つ石碑は、 この場所の静けさを守っているようでした。木の階段を一段ずつ踏みしめながら進むと、 霧が流れて、 道の先が見えたり、また隠れたり。そのたびに、 山の中にいることを強く感じました。雨上がりの湿った空気と、 霧のやわらかい白さが混ざり合って、 午後の時間が静かに続いていきました。登り始めてしばらくすると、 霧がゆっくり流れていき、 足元の岩や草の色が少しずつはっきりしてきました。振り返って下を見ると、 水蒸気に包まれたビジターセンターが 白い世界の中にぼんやりと浮かんでいました。 さっきまで近くにあったはずの建物が、 まるで遠い場所にあるように見える不思議な景色。霧の流れが変わるたびに、 その姿がふっと現れたり、また隠れたり。 山の天気らしい、静かな揺らぎでした。さらに進むと、 岩が積み重なった場所に出ました。雲の流れを見ながら、 「今なら見えるな」とクマさんが言い、 火口のほうへ視線を向けました。その言葉に合わせるように、 霧がほどけていき、 火口の縁がゆっくり姿を現しました。火口の中からは、 白い蒸気が静かに立ちのぼっていて、 その奥はどこまでも深く続いているようでした。霧と蒸気が重なり合う景色は、 ただの「山の風景」ではなく、 地球の鼓動を覗き込んだような感覚。雲の流れを見て、 その一瞬を逃さずに撮った火口の写真は、 この日の中でも特別な一枚になりました。火口を撮り終えて、 ゆっくりと階段を降り始めました。 霧が流れるたびに、 山肌や駐車場が姿を見せたり、また隠れたり。 その変化がとても綺麗で、 歩きながら何度も足を止めてしまうほどでした。霧がほどける瞬間に見える景色は、 登ってきたときとはまるで違う表情で、 午後の山の静けさがそのまま漂っていました。階段を降りていく途中、 御夫婦が奥さまの写真を撮っている姿が目に入りました。 楽しそうに笑い合っていて、 その雰囲気が霧の中の静けさにやさしく溶け込んでいました。「お二人一緒に撮りましょうか」と声をかけると、 ぱっと表情が明るくなって、 とても喜んでくださいました。写真を撮り終えると、 「お二人のも撮りますよ」と言ってくださって、 私たちの写真も撮っていただきました。霧がゆっくり流れていく中で撮ってもらった一枚は、 その日の空気ごと閉じ込めたような、 とてもあたたかい記念になりました。霧の流れがつくる柔らかな光の中で、 人との小さな交流が生まれ、 旅の午後がやさしく彩られた瞬間でした。火口を見終えて階段を降りると、 霧がゆっくり流れていき、 湿原のほうが少しだけ見えるようになりました。木道が伸びていて、 本来なら散策する予定だった湿原が 遠くに広がっていました。けれど、上から見ても まだ緑が浅く、 花の気配もほとんど感じられませんでした。「どうしようか」とクマさんと話しながら しばらく思案していると、 湿原のほうから家族連れの方が戻ってこられました。その方が 「まだ花も何もなくて、行っても仕方ないですよ」 と教えてくださって、 その言葉で気持ちがすっと決まりました。湿原の散策はまた別の季節にゆずることにして、 私たちは今夜のお宿へ向かうことにしました。霧の流れがつくる静かな景色を背に、 午後の山をあとにしました。続くFC2・・はこちらから
2026/07/30
コメント(15)

洗濯物を干すために庭へ出た朝。 ふわっと目に入ってきたのが、 やわらかく咲いていた春かすみでした。思わず足を止めてしまうほど綺麗に咲いてて、 朝の光にとてもよく似合う咲き姿。 その一輪を見つけただけで、 一日の始まりが少し特別になるような気がしました。春かすみのそばをよく見ると、 静かに咲いていたモーリスユトリオ。深い赤と淡い色が混ざり合うような花びらは、 庭の空気に少しドラマチックな響きを添えてくれます。 今年の暑さや土の変更で咲きにくい環境だったのに、 こうして顔を見せてくれたことが嬉しくて、 そっと見入ってしまいました。そしてもう一輪、 ふんわりとした茶色のバタースコッチも 静かに咲いていました。やさしい色合いが朝の光にとてもよく似合っていて、 庭に柔らかい音色を添えてくれる子。 今年は少し難しい年だったのに、 こうして咲いてくれた姿が心にしみました。暑さの影響や土の入れ替えで例年の土が手に入らず、 別の土を使ったことで、 今年のバラはどこか今ひとつで心配していた年。それでも・・春かすみ、モーリスユトリオ、バタースコッチ。 三つの花がそれぞれの色で咲いてくれた朝は、 庭からそっと励まされたような気持ちになりました。FC2・・はこちらから
2026/07/28
コメント(8)

大内宿をあとにして向かったのは塔のへつり 塔のへつりとは 福島の自然が長い時間をかけてつくりあげた景勝地で、 川沿いに奇岩が連なる静かな場所です。 岩肌の模様や、緑の深さ、川の透明さが重なり合って、 どこか時間がゆっくり流れているような景色が広がっています。案内板の前に立つと、 この場所がどんなふうに形づくられてきたのか、 想像が広がりました。展望台へ登ろうとしたのですが、 そこは個人の持ち物とのことで、 「登れません」と声をかけられました。クマさんはTVで見てずっと行きたかった場所だったので、 その瞬間、がっかりしたように見えました。TVで見たイメージとはまるで違い整備が行き届いていなくて、 進む先は行き止まりばかり。 クマさんは思っていた景色に出会えず、 とても残念そうでした。でも、水辺の静けさは変わらず美しくて、 その場に立っているだけで、 旅の時間がすこしやわらいでいくようでした。岩の間にひっそりと佇む祠。 木の香りと岩の冷たさが混ざった空気が、 心を静かに落ち着かせてくれました。薄暗い洞の中に置かれた小さな像や供え物。 その静けさが、 クマさんの少し沈んだ気持ちを そっと癒してくれるようでした。岩肌の模様や川の流れを眺めながら歩くうちに、 クマさんの表情も少しずつ和らいでいきました。遠くに橋が見えて、 山の緑が重なる静かな景色が広がっていました。 塔のへつりの本来の美しさが、 ここでようやく姿を見せてくれたようでした。この日はどんどん暑くなってきて、 観光をざっと終えるころには汗ばむほど。 そんな中で食べたソフトクリームは、 ひんやりとした甘さがすっと体に染み込んで、 その日の中でいちばんほっとする味でした。思っていた景色に出会えず、クマさんは少しがっかりしていました。整備の行き届かない道に、ほんの少しだけ不満もこぼれていました。けれど、水辺の静けさがその気持ちをそっと和らげてくれて、私たちはゆっくりと次の場所へ向かいました。続くFC2・・はこちらから
2026/07/27
コメント(12)

この季節になると、 スーパーに行くたびに鮮魚コーナーを覗きます。クマさんは、豆アジがあるかどうかを まるで季節の合図を確かめるように見に行くのです。でも、ない日が続くと、 クマさんは分かりやすくしょんぼりする。 目尻が少し下がり、肩もほんの少し落ちて、 がっかりした様子がそのまま表情に出ます。その姿を見ると、 私の胸もきゅっとなります。だからこそ、豆アジを見つけた日は特別。 鮮魚コーナーで銀色の小さな体を見つけた瞬間、 クマさんの顔がぱぁっと明るくなって。目尻がきゅっと下がり、 口元がふわっとゆるんで、 本当に笑顔満載という言葉がぴったり。そしてすぐに私のそばへ駆け寄ってきます。「豆アジあった!」その声は報告というより、 嬉しさを共有したくて仕方ない気持ちそのもの。その瞬間のクマさんは、 豆アジよりも輝いて見えます。夏の台所は、ただ立っているだけで汗がにじみ。 油を熱し始めると空気がさらに重くなって、 揚げ物は本当はめっちゃ嫌。でも、クマさんのあの満開の笑顔を思い出すと、 「仕方ないなぁ」と自然に手が動きます。ぱちぱちと油の音が跳ねる中、 汗をぬぐいながら揚げていく時間も、 どこかやさしい気持ちに変わっていきます。揚げたての豆アジを箸でそっと持ち上げ、 甘酢の器に近づけて。そして…ジュッ。油をまとった豆アジが甘酢に触れた瞬間、 小さくて、でも確かに美味しそうな音が立ちます。 その音は、揚げ物の暑さや汗をすべて報いてくれるような、 ご褒美みたいな響きです。魚の表面が甘酢を吸い始めると、 揚げたての固さがゆっくりほどけていき、 角が丸くなっていきます。最後にクマさんの畑で収穫した玉ねぎの薄切りをふわりとのせます。 白い層が甘酢の上に浮かんで、 台所に「あと少しで美味しくなるよ」という気配が満ちていきます。玉ねぎは2〜3日かけてゆっくり甘酢を吸い、 ほんのり透き通ってくる頃が食べ頃。出来上がった南蛮漬けを器に移すと、 クマさんはもう嬉しそう。箸を入れる前から目が細くなって、 「これこれ」という気持ちが表情にそのまま出ています。ひと口食べると頬がゆるみ、 いつも少し早い食べ方なのに、 南蛮漬けのときだけは噛む速度がほんの少しゆっくりになります。そのゆっくりが、 台所の時間をちゃんと受け取ってくれている証のようで、 見ているこちらまで胸があたたかくなります。食べ終えたあと、 食卓にはほんのり甘酢の香りが残っています。クマさんは箸を置いて、 満足そうにふぅっと息を吐き。 その息が「今日も美味しかった・・」と 言葉の代わりになっているみたい。そしてぽつりと 「また作ってな」 と言う。その一言が、 暑い中で揚げた時間を 報いてくれます。クマさんの美味しそうに食べる顔を見ちゃうと、 暑い中で作った甲斐があったなぁって、 心から思います。最近の鮮魚売り場は、前より魚が少なくなりました。種類も量も減って、値段も高く、昔のように「今日はこれにしよう」と選ぶ楽しさがだんだん難しくなっています。豆アジもなかなか姿を見せず、以前なら何度も作っていた南蛮漬けも、今年はまだ三回だけ。だからこそ、豆アジに出会えた日は特別で、クマさんの満開の笑顔を見ると、暑い台所で揚げた時間も「作ってよかったなぁ」と心から思えるのです。FC2・・はこちらから
2026/07/26
コメント(12)

観光をひと通り楽しんで、 目的のみさわやさんへ向かいました。 朝の光の中で、建物は静かに佇んでいて、 その前に立つと、旅の時間がまた少し動き出すようでした。お店のそばには、 小さな石の置物がちょこんと並んでいて、 その姿がどこか愛らしく、 開店前の静かな時間をやわらかくしてくれていました。暖簾の横には、 小さな機械式の番号札発券機が置かれていて、 ボタンを押すと4番の札が出てきました。すでに、息子さんとお母さんの二人が 待っていらっしゃいました。 息子さんのお仕事でこちらへ来ることになり、 「せっかくだから一緒に行こう」と誘ってもらったのだそうです。「ここでお蕎麦を食べたかったから、朝食は食べずに来たんですよ」 と、お母さんが少し嬉しそうに話されていて、 その言葉に、 このお店が旅の中でどれほど楽しみにされているのかが 伝わってきました。開店前の静かな時間の中で、 同じお店を楽しみにしている人たちと並んで待つことは、 どこか特別で、 その後の一杯がより温かく感じられるようでした。ちょうどそのとき、 道路を挟んだ向かいにある 「みさわやさんのご自宅」 のほうから、 おばさんがすっと出てこられて、 にこやかに声をかけてくださいました。「突き立てのお餅ができあがったから、 よかったら買っていってね」お母さんと顔を見合わせて、 いっしょに道路を渡り、ご自宅のほうへ向かいました。並べられたお餅は、 手に取るとまだほんのり温かく、 指先に柔らかさが伝わってきました。 その場で食べたくなるくらいのやさしい温度で、 朝の空気に溶け込んでいました。干し柿も、 暮らしの中の手しごとがそのまま形になったようでした。お店の開店を待つ時間の中に、 ふっと生活の気配が入り込んでくるようで、 その温かさが、 みさわやさんでの時間をさらに特別なものにしてくれました。お店に入る前、まず目に入ったメニュー板。 どんなお蕎麦が出てくるのだろうと、 期待がふくらみました。店内は落ち着いた和の空気が流れていて、 朝の光が障子越しにやわらかく差し込んでいました。注文を取りに来てくださった店員さんは 海外の方のようで、 この和の雰囲気とのやさしい対比が どこか新鮮でした。一杯を二人でシェアしても大丈夫か尋ねると、 「それで大丈夫ですよ」と とても気持ちよく応じてくださって、 その丁寧な笑顔に思わず私の頬も緩みました。最初に小鉢が運ばれてきました。 れんこんのしゃきっとした歯ざわりと、 にんじんのやわらかな甘さが混ざっていて、 素朴な味わいが朝の体にすっと馴染みました。 朝はお弁当を食べていたので、 高遠そばは一杯を二人で分けることにしました。思っていた以上にたっぷりと盛られていて、 「一杯にしてよかったな」と 自然と笑みがこぼれました。つるりとした喉ごしと、 だしのやさしい香りがふわりと広がり、 本当に美味しいお蕎麦でした。クマさんのネギ挑戦 名物の長いネギで食べる姿が楽しそうで、 その場の空気が明るくなりました。クマさんの様子を見て、 私も少しだけ挑戦してみました。ネギの香りがふわっと広がって、 ひと口目は楽しくて思わず笑ってしまいました。 でも少し食べにくくて、 そのあとは箸でゆっくりいただきました。朝の光の中で食べるお蕎麦は、 それだけで旅の時間がやわらかくなるようでした。食べていると、番号札のところで出会った 息子さんとお母さんが声をかけてくださって、「美味しいでしょう?」 「ここ、本当にいいお店ですよね」そのやわらかい笑顔が、 朝の光のようにすっと心に届きました。ほんの短い会話でしたが、 気持ちのいい出会いだなぁと しみじみ感じる瞬間でした。大内宿の静かな朝をあとにして、次の目的地へ向かいました。続くFC2・・はこちらから
2026/07/24
コメント(13)

見晴台をあとにして、行きとは違う階段をゆっくり降りていきました。木々の間からこぼれる光が段差の影を静かに揺らし、さっきまで胸の奥に広がっていた静けさが、少しずつ足元へと降りていくようでした。階段を降りきったところに、圓城山若王子院が静かに佇んでいました。屋根の影はまだ朝の光を含んでいて、建物の前に立つと、見晴台でひらいた心がそっと落ち着いていくような、穏やかな気持ちになりました。若王子院をあとにして歩き出すと、どちらの階段から登ろうかと迷っている御夫婦と出会いました。地図を見たり、階段を見上げたりして、少し困っている様子が伝わってきます。「こちらから登るほうが楽ですよ」そうお伝えすると、その方はふっと表情をゆるめて、「助かりました」と静かに頭を下げてくださいました。朝のやわらかな空気の中で交わした、ほんの短い言葉のやりとりでしたが、旅の途中で生まれるこうした小さな出会いが、その日の歩みを温かくしてくれるようでした。さらに進むと、ぱっと視界がひらけました。そのとき、いちばん最初に目に入ったのは・・すぐそばを流れる、透き通った水でした。水は細い水路を静かに流れ、石の間で光を受けてきらりと揺れています。その透明さが、見晴台で感じた静けさの余韻を足元へ届けてくれるようでした。水路の音を聞きながら歩いていくと、お土産物屋さんがちょうど開店したところでした。店先には、色とりどりの飾りや干しものが揺れ、朝の光を受けてやわらかく輝いていました。その飾りは、ただ並べられているのではなく、ひとつひとつが丁寧に結ばれ、色の重なりや形の流れまで考えられているようでした。まだ人の少ない時間帯で、風の通り道にだけ揺れるその姿は、まるで朝の空気に溶けていくようでした。大根の干しものも手作りのもので、表面のしわの寄り方や、紐の結び目の小さな力加減に、作り手の時間が宿っていました。どれもとても可愛く丁寧に造られていて、思わず手に取ってみたくなるようなお品ばかりでした。店の方は、棚の上の品物をひとつずつ確かめるように並べ直し、その手つきは急ぐでもなく、ただ朝の空気に合わせるような静かなリズムでした。その手しごとが、大内宿の朝の空気にやさしく溶け込んでいて、歩いているこちらの気持ちまで自然と穏やかになって。店先には試食ができるように小さな器が並べられていて、その横のテーブルには冷たいお茶と湯飲みが置かれていました。湯飲みの白さと、お茶の淡い色が、朝の光の中で馴染んでいて、「どうぞゆっくりしていってくださいね」という声にならない心遣いが伝わってきました。ここでいろいろ試食させていただき、数種類のお漬物を購入しました。どれも味がやさしく、この町の空気と同じように、静かに身体へ染み込んでいくようでした。少し進むと、 大内宿町並み展示館(大内宿本陣跡)がありました。 外観は、町並みの茅葺き屋根と同じ静かな佇まいで、 入口の影がひときわ深く、 その前に立つと、外の光がそっと後ろへ退いていくようでした。中へ入ると、 ひんやりとした空気が身体を包みました。 外の賑わいとは違う、 時間がゆっくりすすんでいくような静けさがあります。展示棚には、 昔の生活道具が丁寧に並べられていました。 木の器や農具、旅人が使ったであろう品々が、 この土地で積み重ねられてきた時間を 語りかけてくるようでした。奥へ進むと、 続き座敷が広がっていました。 障子越しの光がやわらかく差し込み、 畳の上に淡い影を落としています。 その静けさは、 見晴台で感じた朝の余韻とどこか似ていて、 歩く速度まで自然とゆっくりになっていきました。さらに階段を上がると、 二階には蚕を飼っていた部屋が残されていました。 梁の太さや、置かれた道具の形に、 この家で営まれていた生活の気配が静かに宿っています。外の光が届きにくい場所で、 少し薄暗いその空間は、 人々が日々の暮らしを支えるために 手を動かしていた時間を思い起こさせました。展示館を出るころには、 外の光が少しだけまぶしく感じられました。 続くFC2・・はこちらから
2026/07/23
コメント(15)

2026年5月28日(木)晴れ5時30分にふっと目が覚めました。 まずカーテンを開けてお天気の確認。 会津の夜明けは早く、この日もすでに澄んだ青が空に広がっていて、 「とってもいいお天気」という確信が、光の中から自然に伝わってきました。クマさんも起きてきたので、ふたりでお風呂へ。 向かったのは最上階の展望露天風呂「遊月の湯」。 湯気の立ち方も、風の通り方も、昨夜とは違う静けさをまとい、 誰もいない湯を独り占めする時間が、 朝の空気とゆっくり溶け合っていきました。湯に身を沈めるたび、今日の歩みが自然と整っていくのがわかります。ホテルの朝食は7時30分からでしたが、 今日は7時には出発したかったため相談すると、 「では、お弁当をご用意しましょう」と 迷いのない、やさしい返事が返ってきました。7時に受け取ったお弁当を車に積み、ホテルを出発。 朝のひんやりした空気の中を走り、7時43分に目的地へ到着すると、 早い時間にもかかわらずすでに数台の車が停まっていて、 同じように朝の旅を楽しむ人たちの気配がありました。車内でお弁当をいただきながら、 ゆっくりと体を整えてから大内宿へ向かいます。入口には、静かに佇む大内宿住民憲章の看板がありました。 朝の光を受けて木肌がしっとりと浮かび上がり、 少しかすれた文字のひとつひとつに、 この土地を守り続けてきた人々の思いがそっと宿っているようでした。風が通るたびに草の音が足元でやわらかく揺れ、 その音が、書かれた言葉を静かに支えているようにも感じられます。 看板を読み終えたとき、 町へ向かう一歩が自然と慎ましく整えられていきました。ここから大内宿へ入っていきました。 道はゆるやかに村へと続き、朝の光が屋根や木々の影を静かに伸ばしていました。 その空気のやわらかさが、歩く速度まで自然とゆっくりにしてくれます。道を進むと、茅葺き屋根の家々が静かに並び、 その前を流れる細い水路が、さらさらと小さな音を立てながら朝の光を受けていました。さらに奥へ進むと、 広い道の両側に古い家並みが続き、 その向こうには緑の山がやわらかく重なっています。 この場所に流れる時間は、どこか懐かしく、 歩くたびに足音が静かに吸い込まれていくようでした。そして、町並みをひととおり眺めたあと・・道の端で、おばさんが自宅前に水をまいている姿を見かけました。ひしゃくをゆっくりと傾けるたびに、水が地面に落ちて、しっとりと濃い色へと変わっていきます。写真にはその姿は写っていませんが、地面の色の変化が、さきほどのその動きを残していました。乾いた砂の白さとは違い、水を含んだところだけが静かに落ち着いた色をしていて、朝のひとしずくの気配がまだそこに留まっているようでした。おそらく、砂埃が立たないようにという心遣い。その静かな手しごとが、この町で暮らす人の時間と、旅人として歩くこちらの時間を、そっと重ねてくれるようでした。町並みをゆっくり歩いたあと、 道は少しずつ上り坂へと変わり、 見晴台へ向かう静かな道がはじまります。 家々の影が後ろへ伸び、 朝の光が少しずつ濃くなっていくのがわかりました。鳥居の前を通り過ぎると、 山へ向かう気配が静かに立ち上がります。その先には、茅葺き屋根の家がぽつりと佇み、 屋根の一部が修繕されている様子も見えました。 この町が今も人の手で守られていることが、 歩きながら自然と伝わってきます。さらに進むと、 石碑の前に静かに立つ建物があり、 その周りの緑がやわらかく揺れていました。 見晴台へ向かう道は、 町の暮らしの気配と山の静けさが少しずつ混ざり合う場所です。階段のそばには案内板とお地蔵さまがあり、 赤い前掛けが朝の光に映えていました。 ここから先は、 見晴台へ向かう小さな山道がはじまります。山道に入ると、木々の間から光がこぼれ、 階段の石がところどころ濡れていて、 朝の山の気配が静かに満ちていました。その途中に、熊出没注意の看板がありました。 派手な色ではなく、木々の緑の中にそっと立つような佇まいで、 「この山は人だけの場所ではない」という 気配を伝えているようでした。看板を見た瞬間、 森の奥に続く気配が少しだけ濃く感じられ、 歩く足取りが自然と慎ましく整っていきます。階段を上りきると、 小さな社が森の中に静かに佇んでいました。 屋根の影がやわらかく落ち、 風が通るたびに木々がそっと揺れます。社のそばには、由来を記した木の板が置かれていて、 その文字の並びが、 この場所が長い時間を静かに守られてきたことを 語っていました。森を抜けると、 見晴台から大内宿の町並みが一望できました。 茅葺き屋根が並ぶ風景が、 朝の光の中でやわらかく広がっていました。見晴台に立った瞬間、 胸の奥がふわっとゆるむように広がって、 思わず「わぁ・・」という声にならない息がこぼれました。 その景色が見たくて、 人のいない静かな時間に触れたくて、 早朝に出発したことが、 その一瞬で報われたように感じました。誰もいない風景は、 ただ静かというだけではなく、 自分の呼吸の音がすこしだけ大きく聞こえるような、 そんなやわらかな孤独をまとっていました。茅葺き屋根の並びが朝の光に染まり、 その光が身体の内側まで届いてくるようで、 背中のあたりがすうっと軽くなるのがわかりました。 景色を見るというより、 身体がその広がりを受け取っていくような感覚でした。早朝の空気は、 肌に触れると少し冷たく、 その冷たさがゆっくり温度を戻していく間に、 心の奥のざわつきが静かに沈んでいきました。 その沈み方が、 「この景色がみたかった」という気持ちを さらに深くしてくれたようでした。続くFC2・・はこちらから
2026/07/21
コメント(12)

武家屋敷をあとにして、今夜のお宿へ向かいました。 歩いた足に疲れが残り、 夕方の光がその疲れをやわらかく包んでくれるようでした。 車で短い距離を進んでいくと、 千代滝が迎えてくれました。千代滝に着くと、 私が予約していたのはワイドツインでしたが、 金婚記念の旅だとお伝えすると、 高層階の和洋室にグレードアップしてくださっていました。 その心遣いがとても嬉しかったです。部屋に入ると、障子越しの白い光が広がり、 窓の向こうの緑が、風に合わせて揺れていました。 畳とベッドが寄り添うように並び、 記念の旅にふさわしい、やわらかな静けさが満ちていました。まだ時間が早かったので荷物を置くと、最上階のお風呂へ向かいました。木の温もりが広がる湯船は、静かな空気に包まれていて、湯面がやわらかく揺れていました。人の気配がなく、湯気だけが静かに立ちのぼっていました。湯に身を沈めると、今日の歩みがゆっくりほぐれていきました。(※お風呂の写真はお借りしたものです。)夕食はバイキングでした。 歩いた一日の疲れをほぐすように、 まずはビールで「お疲れさま」と乾杯しました。 湯上がりの身体に、冷たいビールが静かに染みていきます。並んだ料理を少しずつ選びながら、 どれも彩りがきれいで、見ているだけで楽しくなるようでした。 天ぷらの軽い衣、煮物のやわらかさ、 小鉢にそっと盛られた山菜やおひたし。 どれも旅先らしい、やさしい味でした。再び料理をとりに行き席に戻ると、 クマさんが美味しそうに食べていて、 その表情を見ているだけで、今日の歩みが報われるようでした。 静かな館内の灯りが、ふたりの時間をゆっくり包んでくれます。少しずつお皿を重ねながら、 旅の夕食らしい、ゆったりとした時間が流れていきました。 どの料理も、ほんのりとした味わいで、 身体にやさしく馴染んでいきます。夕食のあと、無料のラウンジで少し休憩しました。 ソフトドリンクやアルコール、珈琲、紅茶、お茶などが自由にいただけて、 食後のゆったりした時間にちょうどよい場所でした。照明は落ち着いていて、 木の温もりが静かに広がる空間。 ふたりでソファに腰をおろすと、 今日の歩みがそっとほどけていくようでした。クマさんも、湯上がりの身体を休めるように座っていて、 その穏やかな表情を見ているだけで、 旅の夜がゆっくり深まっていきました。静かなラウンジの空気が、 ふたりの時間をやさしく包んでくれるようでした。ラウンジで少し休んだあと、部屋へ戻りました。明日の支度を整えていると、一日の疲れがゆっくりと取れていく気がしました。ベッドに横になると、その寝心地が思わず笑ってしまうほどよくて、身体がすっと沈み込むようでした。気づけば、あっという間に眠りに落ちていました。歩いた歩数 14023歩 距離 8.9km続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/19
コメント(13)

内部の見学をひと通り終え、 角を曲がると「順路」と書かれた案内が立っていて、 「この先へどうぞ」と示してくれます。会津歴史資料館の入口が見えてくると、 外とは違う、ゆっくりとした時間が そこから静かに始まっていきました。赤い布の上に横たわる刀は、 光を吸い込むように静かに佇み、 昔の人々の息遣いが残っている気配がありました。甲冑の前では、空気が少し重くなるような感覚。 紐の結び目、金具の細工、面頬の静かな表情・・どれも丁寧で、時代の重みがそのまま形になったようでした。陶器の並ぶ一角は、少し柔らかい空気。 器の丸みや釉薬の色がやさしく灯りを返し、 日々の暮らしの時間がそっと思い浮かびます。漆の器は、深い色をゆっくり返しながら佇んでいました。 黒と金の重なりが静かで、 見ているだけで心が落ち着くような気配。奥へ進むと、 木の香りがふっと濃くなる一角がありました。 そこには、長い年月を経た水車の仕組みが 静かに残されていました。大きな輪は今はもう動かないのに、 どこか「水の重さ」をまだ覚えているようで、 木の軸や歯車の一つひとつが ゆっくりと時間を抱え込んでいるようでした。水が流れ、輪が回り、 その力が奥の機構へ伝わっていく・・そんな当たり前の営みが、 この会津歴史資料館の中ではとても静かで、 昔の生活の息遣いが残っているように感じられます。会津歴史資料館を出ると、 光がふわりと広がり、空気が少し軽くなりました。 長い時間をまとった展示の余韻がまだ胸の奥に残っていて、 その余韻をやさしく受け止めるように、 外の景色が広がっていました。木々の緑はやわらかく、 門の向こうへ続く道が控えめに伸びていて、 「この先にも静かな物語がありますよ」と 知らせてくれるようでした。少し歩くと、案内板が立っていました。 そこには、この場所田中畑陣屋(旧中畑陣屋)の歴史が記されていました。 田中畑陣屋は、江戸時代に置かれた 代官所(陣屋)のひとつで、 地域の年貢や土地の管理、村々の取りまとめを行う 行政の中心でした。建物は、武家屋敷ほど厳めしくはなく、 かといって農家ほど素朴でもなく、 「公の仕事をする場」としての 静かな緊張感をまとった造りになっています。案内板には、 この主屋が当時の姿をよく残していること、 梁や柱の組み方、土間や座敷の配置が 陣屋としての役割を示していることが 丁寧に書かれていました。さらに進むと、 木の建物が静かに佇み、 開いた戸口からは畳の部屋が見えました。 内部の展示とは違う、 生活の気配がほんのり漂う空間でした。その先には、 昔の家屋が残されていて、 風が縁側を通り抜ける音が かすかに聞こえるような気がしました。道の脇には、 そっと置かれた案内板や、 木々の間に佇む像があり、 この場所が人々の祈りや願いを 静かに受け止めてきたことを感じさせます。展示を見終えて外の風景を歩き、 田中畑陣屋の静かな佇まいを味わったあと、 道の先に小さな御土産のコーナーがありました。棚には、赤い体に丸い目をした赤べこが いくつも並んでいて、 どれも首をゆらりと揺らしながら こちらを見ているようでした。赤や金の色が並ぶ棚は、 展示室の静けさとはまた違う、 少しあたたかい空気がありました。赤べこは、会津で昔から親しまれてきた赤い牛の民芸品で、赤い色には「災いから守ってくれる」というやさしい願いが込められています。そして体にある黒い斑点には、少し不思議でやさしい伝承が残っています。昔、会津で疫病が流行したとき、赤べこを持っていた子どもたちが病にかからなかったことから、「赤べこが病を吸い取ってくれた」と語られました。黒い斑点は、その吸い取った病の跡を表している・・そんな静かな物語が今もそっと受け継がれています。首がゆらゆらと揺れる素朴な仕組みは、木と紙を組み合わせた昔ながらの作りで、その揺れがどこかあたたかく、家に福を呼び込むと信じられてきました。その中から、手のひらにすっと収まる小さな赤べこをひとつ連れて帰ることにしました。木の台の上で、首をゆらりと揺らすその姿がかわいらしく、今日の旅の静かな時間をそっと閉じてくれるようでした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/17
コメント(10)

展示室をでると向こうに、 屋敷の入口が開いていました。 ここから、屋敷内の見学へと進んでいきます。中に入ると、まず台所がありました。 木の柱と白い障子がやわらかく光を受け、 昔の生活の気配がそのまま残っているようでした。 ここで靴を脱ぎ、廊下沿いの見学が始まります。台所には、 大きな石の道具や木の器が並び、 日々の営みを支えた道具たちが静かにそこにありました。奥には囲炉裏の跡や、 調理に使われた道具が整然と置かれ、 この屋敷で過ごした人々の生活が 思い起こされます。台所を抜けると、 長い廊下がまっすぐ伸びていました。 赤い敷物が続き、 右手には庭の光がやわらかく差し込みます。 左手には畳の部屋が並び、 緑の縄が仕切りをつくっていました。廊下を歩くたびに、 木の床がかすかに軋む音がして、、 外の風景と屋敷の静けさが 重なっていきます。 ここから、屋敷内の各部屋の展示へと進んでいきました。廊下を進んだ先に、 槍の間(玄関番の詰め所)と呼ばれる部屋がありました。 ここは玄関番が常時二〜三名詰めて、 敵の侵入や緊急の事態に備えていた場所です。中央の畳は「通り畳」と呼ばれ、 縁がないまっすぐな敷き方になっていました。 走ったときに足が引っかからないように工夫された、 武家屋敷ならではの緊張が漂っています。 甲冑と槍の並びが、 この部屋が守りの最前線であったことを 伝えてくれました。槍の間を抜けると、 式台玄関の裏側にあたる場所へ出ました。 白い幕が静かに揺れ、 外の光がやわらかく差し込んでいます。 ここは来客を迎えるための空間で、 屋敷の格式が感じられました。畳に座る人の姿が、 この場所が迎える側の静けさを持つことを 教えてくれます。さらに奥へ進むと、 使者の間と呼ばれる部屋がありました。 ここは城からの使者が家老と対面した場所で、 屋敷の中でも特に格式の高い部屋です。蒔絵の棚が置かれ、 金の意匠がやわらかく光を受けていました。 甲冑が佇む姿は、 武家の美意識と緊張が重なるようでした。部屋の静けさの中に、 迎える側の深い礼節が感じられました。さらに進むと、 簡素で静かな「鎖の間」がありました。 お茶の席で客を迎える際に使われた部屋で、 灯りがやわらかく置かれ、 控えの間らしい落ち着きが漂っています。鎖の間の奥には、 格式の高い「御成の間」がありました。 大名や身分の高い客を迎えるための特別な空間で、 座敷造りの部屋がいくつも連なっています。人形が静かに座していて、 当時の様子が再現されていました。御成の間を出ると、 庭の一角に古式の厠がありました。 木の壁と格子窓がやわらかく光を受け、 庭の緑と静かに調和しています。中へ入ると、 簡素な造りの古い厠が展示されていました。 木の床と素朴な器具が、 昔の生活の一端をそのまま残しています。厠を出ると、 視界がひらけて庭の緑が広がりました。 木々の影が揺れ、 屋敷の静けさと外の空気がゆるやかに重なります。建物の影と庭の緑が寄り添うように並び、 歩くたびに空気が少し軽くなるようでした。庭を眺めながら進むと、 小さな執務室がありました。 低い机と金属の箱が置かれ、 簡素ながら実務の気配が残っています。障子越しの光がやわらかく差し込み、 ここで誰かが静かに書き物をしたり、 細かな仕事をしていたのだろうと 想像しました。小さな執務室を抜けると、 家老の執務室の手前に、 部屋がありました。畳の中央には大きな火鉢が置かれ、 そばに座布団が添えられています。 黒い蒔絵の棚が光を受け、 部屋の静けさの中で浮かんでいました。ここは、 執務室へ入る前のひと呼吸の場。 生活の温度が残る、やわらかな空気がありました。控えの間の奥には、 家老の執務室がありました。畳の上に机や文箱が整えられ、 書き物の道具が並んでいます。 棚には刀や道具が置かれ、 この屋敷の中枢としての気配が漂っていました。障子越しの光がやわらかく差し込み、 この部屋で日々の決裁や連絡が行われていたことが 伝わってきます。執務室を出ると、廊下の向こうに庭が見えました。瓦屋根と木の柱が並び、屋敷の奥へと続く気配が流れています。この静かな景色の先に、「自刃の間」がありました。畳の上に小さな机と座布団が置かれ、 奥には屏風が立てられています。 部屋の光は淡く、 静けさが深く沈んでいました。ここは、 慶応四年(1868)八月二十三日、 西軍が会津城下への攻撃を開始した際、 西郷家の者が「足手まといになるまい」と 自ら命を絶ったと伝えられる部屋です。ただ静かに、 その場の空気が残されているようでした。 言葉よりも、 部屋の佇まいがすべてを語っているように感じられました。別の展示室には、 自刃の場面を再現した模型がありました。 白い装束の人形が深く頭を垂れ、 屏風の前で並んでいます。ここでは、 自刃の作法や葬送の習わしが わかりやすく示されていました。 遺体の胸に守り刀を置く 枕元に屏風を立てる 悪霊を払うための「壁」として屏風を使う 襟を逆に合わせる、湯灌で湯を注ぐなど 日常とは逆の所作(ささごと)そのため、 この展示では天地を逆さにした屏風(逆屏風/坂屏風) が用いられていました。 死者を悪霊から守るための作法であり、 武家の自刃の際にも行われたとされています。展示室の逆屏風は、 作法の背景を伝える役割を果たしていました。奥へ進むと、 家族の静かな暮らしを感じさせる「奥二の間」がありました。 祖母や女の子が過ごしたとされる部屋で、 外の緊張から少し離れた、やわらかな空気が漂っています。畳の上には琴が置かれ、 屏風には淡い山水が描かれ、 部屋の奥に静かに立っています。奥二の間の隣には、 家老の寝室として使われた「奥一の間」があります。 書院造の落ち着いた造りで、 格式のある静けさが部屋全体に漂っていました。奥の一角には、 家族が身を清めるための湯殿がありました。 木の桶や湯釜が並び、 火と水の気配が残る、生活の温度を感じる空間でした。湯殿のすぐそばには、身支度を整えるための「化粧の間」がありました。鏡台の前には、女中が使った化粧道具箱や鏡が置かれ、湯殿で温まった体を整えるための、やわらかな時間が流れていたのでしょう。化粧の間のそばには、 食事の支度をする「配膳の間」がありました。 かまどや鍋、木の器が並び、 屋敷の一日の始まりと終わりを支える場所でした。配膳の間を抜けると、 最初に屋敷へ入ったときに通った台所へ戻りました。ここは、 家の中心となる生活の場であり、 奥向きの静かな部屋をめぐったあとに戻ってくると、 よりいっそう「家の息づかい」が感じられる場所でした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/14
コメント(14)

中の口玄関を離れると、 木の香りがゆるやかに漂う一角に、 厚い木材で組まれた酒槽(さかぶね)が置かれていました。 ここで醪を搾り、酒が生まれていった場所です。側面の「第一號」の赤い文字が、 かつての作業場の空気を残していて、 ただそこに息づいているだけで、 人々の手仕事が思い起こされるようでした。酒槽(さかぶね)とは、 清酒を絞る際に使われた木製の槽で、 中に醪を入れた酒袋を並べ、 押しぶたでゆっくり圧力をかけることで、 底の孔から澄んだ酒が流れ出す仕組みになっています。 静かな作業の積み重ねが、 酒の「はじまり」を支えていた道具でした。展示室に足を踏み入れると、 木の壁と柔らかな灯りがつくる静かな空気が広がっていました。 左手には文書や絵図が並び、 その奥には大砲と衣装をまとった人形が控えています。 この一枚の風景が、展示室のすべての気配を伝えてくれました。その中に、 「会津戦争への道」と題された説明板が掲げられていました。 鳥羽伏見の戦いから奥羽越列藩同盟、 そして会津へ戦火が広がっていく流れが 静かな文字で記されています。説明板のそばには、 四斤山砲の展示がありました。 文書の静けさと武具の重さが同じ空間に並び、 時代の気配がゆるやかに重なっています。木の台座に重い砲身を載せた四斤山砲が静かに佇んでいました。四斤山砲(よんきんさんぽう)は、 四斤(約2.4kg)の砲弾を撃つことができる小型の山砲で、 険しい地形でも運べるように作られていました。 縄でしっかりと固定された姿は、 戦の時代の気配を静かに残していて、 そこに佇んでいるだけで、 人々の覚悟が思い起こされるようでした。展示室の外に出ると、 白壁と黒板の落ち着いた建物が並び、 木の柱が静かに影を落としていました。 手前には井戸屋形のような木組みがあり、 石の台座に支えられた柱が、 この場所の長い時間を伝えてくれます。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/11
コメント(13)

麟閣での一服を終え、外へ出ると、 まだ16時10分。 武家屋敷を見学する時間が少しだけ残っていました。 クマさんにどうする?と聞くと、 行きたいということで、 私たちは武家屋敷へ向かうことにしました。 石段の上に、黒い瓦の門が立っていました。 門の脇の石碑には「会津武家屋敷」と刻まれ、 ここから武家の暮らしの世界が始まるのだと 伝えてくれます。チケット売り場で 「閉館は17時ですが、時間は大丈夫ですか」と声をかけられました。 時計を見ると16時20分。 夕方の光の中を、少しだけ急ぎ足で歩くことにしました。 茅葺の屋根が大きく弧を描き、 白壁と木の梁が重なっていました。 庭の緑と花の色が、 武家の暮らしの時間を伝えてくれます。 格子模様の白壁が、 夕方の光を受けて影を落としていました。 厚い壁が、家財を守ってきた時代の重さを 声を張らずに伝えてくれます。庭の一角に、柔道の技を決める瞬間を切り取った銅像がありました。 西郷四郎。 講道館の初期を支え、「山嵐」の技で知られた人物です。像の背後には、 会津の武芸を支えてきた西郷家の気配を感じました。 剣や槍、柔術を家の柱としてきた家柄で、 屋敷の佇まいに、 少しだけ武の緊張が残っていました。庭の木々の影が揺れる中で、 動の気配を持つ銅像だけが、 景色を際立たせていました。 白い幕がかかった門をくぐると、 石畳が続いていました。 木の香りと土の匂いが混じり合い、 夕方の風が通り抜けていきます。もうひとつの門の白幕が揺れ、 武家の格式が伝わってきました。 案内板には、家老屋敷の歴史が記されていました。 家臣の役目や暮らしが紹介されていて、 屋敷の佇まいと重なり、 当時の気配が立ち上がってきました。西郷家の歴史 西郷家は、会津藩松平家譜代の家臣で、 代々家老職を務めた家柄でした。 千七百石取りの格式ある家で、 屋敷は敷地二千四百坪、建物二百八十坪、 三十八室もの部屋を擁していたと伝えられています。四脚門や式台玄関、 鬼瓦に付けられた九曜の紋章など、 格式の高い家老屋敷にのみ許された造りが その家の歴史を語っていました。その案内板を離れて歩くと、 光が少しやわらかくなる場所に、 式台玄関が見えてきました。式台玄関は、 身分の高い客を迎えるための特別な入口。 畳の上には控える人物が置かれ、 奥の屏風には金の景色が描かれていました。入口の札には 「写真撮影可」 「入室はご遠慮願います」 と記されていて、 外から眺めるだけで、 当時の空気を感じることができました。式台玄関を背にして歩くと、 木の影がゆっくり伸びる先に、 方長屋へ続く門が見えてきました。門の向こうの砂利道は、 静かに続いていて、 生活の気配が少しだけ漂っていました。門をくぐると、 白壁と木の梁が並んでいました。 薄い光が壁に寄り添い、 影が重なるところだけが、 かすかに時間の深さを伝えていました。方長屋は、 家臣たちの暮らしが続いていた場所。 ただそこに息づいているだけで、 当時の日常が立ち上がるようでした。木の色は少し深く、 長い時間を抱えているようでした。 白壁と梁が重なるだけで、 暮らしの気配が感じられます。方長屋の静かな外観を離れると、 影の重なりがすこし薄れて、 控えめな入口が現れました。畳の縁の手前に札が置かれ、 「DO NOT ENTER」と記されています。 中の口玄関は家臣たちが出入りした入口で、 式台玄関とは違う、 日常の気配が残る場所でした。障子の向こうには、 木と金具で組まれた道具が控えめに置かれ、 昔の役目が思い起こされるようでした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/09
コメント(13)

天守を見上げながら歩いたあと、 白壁の明るさよりも、石垣の影の深さが残っていました。 その影を背に受けながら、茶の世界へ向かう道へ進みました。表御座跡 芝生の中に、ふたつの木柱が静かに立っていました。 かつての建物の気配だけが、淡くそこに残っています。 城の時間が、やわらかくほどけていくようでした。歩きながらふと振り返ると、 天守が曇り空の下で静かに浮かんでいました。 その姿が、これから向かう静けさを 支えてくれているように感じました。麟閣の門構え 城の世界を離れ、茶の世界へ向かう道を進むと、 木の梁と瓦の影が重なる門がありました。 ここをくぐると、空気が少し柔らかくなりました。 寄付 門を抜けると寄付がありました。 刻まれた文字が、声を張らずに役割を伝えてくれます。 ここで心がひとつ、静かに整いました。 中門 背を少し屈めてくぐる低い門。 その控えめな高さが、世界をそっと切り替えてくれます。 腰掛待合 苔の緑が深く沈み、竹垣の影がやわらかく揺れていました。 ここで一度、心が静かに落ち着きました。 手水鉢 腰掛待合の先には、手水鉢のある一角が見えていました。 けれどその場所は立入禁止になっていて、 近くまで行くことはできませんでした。苔の湿りや、竹の影だけが静かに届き、 手水鉢は遠くに気配として感じられるだけでした。 それでも、その手前に立つだけで、 心がすっと澄んでいくのを感じました。 麟閣 露地を抜けると、麟閣が佇んでいました。 黄色い壁、木の梁、屋根の影。 どれも声を張らず、ただそこにあるだけ。 少庵の物語が、息づいていました。 茶室の内部 畳の匂い、障子越しの光。 道具の配置も控えめで、 「入ってはいけません」の札が静けさを守っていました。赤い毛氈の休憩所を過ぎ、案内に従って建物の中へ入ると、ひんやりとした空気がそっと肌に触れました。外の暑さがすっと遠ざかり、静かな涼しさが体を包んでくれます。クマさんには、冷たいお茶が運ばれてきました。暑さで火照った体に、その一杯がやさしく染み込んでいくようでした。私は、いつものように温かい薄茶を。涼しい部屋の中でいただく温かさは、湯気が淡く立ちのぼり、その静けさが心に寄り添ってくれました。お菓子の白さ、抹茶の緑、黒い盆の光沢。ふたりの温度が少し違うだけで、同じ時間がやわらかく重なり、旅の余韻を閉じてくれました。帰り道、もう一度天守を見上げました。 本来ならここで訪問は終わりだったのですが、まだ少し時間があったので、私たちは武家屋敷へ向かうことにしました。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/07
コメント(10)

天守の入口をくぐると、 石の壁が続く静かな通路に出ました。 外の光とは少し違う、 ひんやりとした空気がゆっくりと肌に触れてきます。石の壁は長い時間を経て丸みを帯び、 積まれた石の隙間には、 当時の職人の息づかいが残っているようでした。 この通路を進むと、城の内部へと気持ちが静かに切り替わっていきます。通路を抜けると、 鶴ヶ城の石垣がどのように積まれてきたのかを紹介する展示がありました。自然石をそのまま積んだもの、 表面を削って整えたもの、 さらに精密に加工されたもの── 時代とともに変わっていく技術が並んでいます。そして、 この展示の中に写っていた石積みの写真は、 このあと実際に見る塩蔵(しおぐら)の石積みそのものでした。 展示と実物がつながっていて、 歩くほどに理解が深まっていくようでした。展示を進むと、 ひんやりとした石室の説明がありました。ここは塩蔵(しおぐら)。 鶴ヶ城の中でも特に貴重な遺構で、 400年以上前の姿がそのまま残っています。そして、 その塩蔵の石積みがこちらです。石で囲まれた空間は一年中温度が安定していて、 塩や保存食をしまうために使われていたそうです。 戦の時にも、平時にも、 人々の暮らしを支えてきた静かな場所でした。さらに奥には、 照明に照らされた別の石室もありました。天守の中に、 こんなにも素朴で、 昔のままの空気が残っている場所があることに 少し驚かされました。階段を上がると、空気が少しだけ変わりました。石室や塩蔵のひんやりした世界から、戦の時代を語る展示へと移っていきます。上階の中央には、四つの兜が横一列に並んでいました。 家ごとの美意識が並び、静かな迫力が漂っていました。伊達家 長く伸びる金色の前立てが印象的で、 どこか華やかさを感じさせる兜。 戦場でもひときわ目を引いたのでしょうね。蒲生家 黒い羽のような飾りが高く伸び、 静かな迫力がありました。 武士の気迫が形になったような佇まいです。上杉家落ち着いた色合いの中に力強さがあり、 前立ての形が凛としていました。 静かな威厳を感じさせる兜です。加藤家 左右に大きく広がる黒い羽飾りが特徴。 山鳥の羽を思わせる形で、 武士の誇りと気迫を静かに伝えていました。四つの兜が横に並ぶと、それぞれの家の象徴が自然に比較でき、展示の奥行きがぐっと深まっていました。兜の展示は、家の歴史や美意識が形になったものばかりで、眺めているだけで時代の息づかいが伝わってきます。ガラス越しなのに、胸の奥が少しきゅっとなるような気持ちになりました。天守の上階へ進むと、 窓の向こうに広がる景色が明るく感じられました。 展示の静けさから、 外の光へと気持ちがゆっくり切り替わっていきます。眼下には、 やわらかく手入れされた庭園が広がっていました。 木々の緑が風に揺れ、 その向こうには町並みが続いています。遠くの山並みは薄い影を重ねていて、 午後の光の中でゆっくり溶けていくようでした。 天守から見下ろす景色は、 歩いているときとはまったく違う表情を見せてくれます。少し角度を変えると、 城郭の全体が見える場所がありました。白い天守、長い渡り廊下、 周囲を囲む緑と街並み。 昔の姿と今の暮らしが、 ひとつの景色の中で重なっています。高い場所から眺めると、 鶴ヶ城がこの土地の中心として 長い時間を見守ってきたことが 伝わってくるようでした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/05
コメント(12)

15時ごろ、鶴ヶ城の中へ入ると、 まずやわらかな緑に包まれた道が続いていました。 木々の間を抜ける風が少しだけ涼しくて、 歩くたびに気持ちが整っていくようでした。道を進むと、 石垣の上に鐘楼が静かに佇んでいました。鐘楼は、ふだんは城下に時を知らせる建物でしたが、 戦いの時にはその役目が一変し、 敵の影が見えた瞬間に鐘を大きく打ち鳴らして 城中へ危険を知らせる声のような存在でした。 その音が響くと、武士たちは一斉に持ち場へ走り、 城は瞬く間に戦の体勢へと変わったといいます。鐘楼を過ぎると、 大きな石垣がゆるやかに続き、 その向こうに白い天守がすっと姿を見せました。午後の光の中で見上げる天守はどこか凛としていて、 静かに心が整っていくような気持ちになりました。天守を眺めてから少し離れた場所に、 武者走りがありました。この石垣は、大手門の渡り櫓(矢蔵)などへ素早く昇り降りできるように造られたものだそうです。V字型の斜面は「武者走り」と呼ばれ、鶴ヶ城の石垣の特色のひとつ。地表面の専有面積を少なくしながら防衛の動線を確保するための、当時の知恵が感じられました。緊急時、武士たちはこの斜面を駆け上がり、城門の防衛や指示の伝達に向かったのでしょうね。荒々しい石の表情の中に、昔の武士たちの緊張と覚悟が残っていました。武者走りの荒々しい石の斜面を離れると、 空気がふっとやわらかく変わりました。 そのすぐそばに、赤い鳥居が静かに立っていて、 午後の光の中で影がゆっくり揺れていました。鳥居をくぐると、 細い参道の両側に緑が寄り添い、 風が通るたびに葉の音がかすかに重なります。 歩くほどに、城の緊張がほどけていきました。参道の途中には、 編み笠をちょこんと被った狐さんがいました。 稲荷の神さまの使いであるはずなのに、 どこか旅人を迎えるような、 やさしい表情をしていました。 その姿が緑の中で浮かび上がっていました。参道の先には、 石灯籠が並ぶ階段が少しだけ見えていました。 上までは行かなかったけれど、 鳥居の赤と木々の緑が重なる静かな入口だけで、 十分に心が澄んでいくようでした。続くFC2・・はこちらから
2026/07/03
コメント(14)

白虎隊自刃の地をあとにし、 高台からゆっくりと階段を下っていくと、 森の影が深くなり、風の音が変わっていきました。その途中で、 木々の間から姿を見せたのが さざえ堂(旧正宗寺・円通三匝堂)。三層の塔のような、不思議な木造建築。 どこか時代を超えて立っているような佇まいでした。1796年(寛政8年)建立。 内部は二重螺旋構造になっていて、 上りと下りが交わらないまま一周できる珍しい建築。かつては西国三十三観音の札所が並び、 ここを一周するだけで巡礼ができたといいます。龍の彫刻、しめ縄、木の香り・・寺と神社の空気が混ざり合う入口。急な階段を上ると、 壁や梁にびっしり貼られた千社札。上へ進むほど、 天井の千社札がさらに密になり、 文字の海の中を歩いているようでした。上層では、 小さな窓から光が差し込み、 木の床に柔らかな模様を落としていました。下りの螺旋へ進むと、 上りとは別の通路を歩く不思議さがありました。出口へ向かう最後の階段を降りると、 空気が変わり、 小さな祈りの空間が現れました。静かに座る仏像と賽銭箱。 木の香りと薄暗い光が重なり、 時間の流れがゆっくりになっていきました。さざえ堂の出口を出ると、 木の香りがふっと薄くなり、 森の風が頬を撫でていきました。二重螺旋の不思議な世界から、 再び現実の森へ戻ってくるような感覚。そこからは、 飯盛山の斜面をゆっくりと下りながら、 静かな祈りの場所がいくつも続いていました。森の中を少し下ると、 ぽつんと小さな覆屋が現れました。苔むした石を守るように屋根がかかり、 長い年月を静かに過ごしてきた気配が漂っています。この覆屋が、 この先に続く祈りの道の入口のように感じられました。覆屋を過ぎると、 白虎清水観音の由来が刻まれた石碑が立っていました。白虎隊士の霊を慰めるために掘られた泉から 清らかな水が湧き出たこと。 その水を「白虎清水」と名付けたこと。森の静けさの中で読む由来は、 どこか胸にしみるものがありました。由来碑のすぐそばに、 黒い扉の小さな祠が佇んでいました。しめ縄がかかり、 観音様が祀られています。湧き水と祈りが結びついた、 飯盛山らしい静かな空気が流れていました。さらに下ると、 森の中に小さな神社が現れました。その横には由来が書かれた案内板があり、 ここが厳島神社であることを伝えていました。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。 芸能や財福の神として知られ、 地域では「弁天様」と呼ばれ親しまれています。森の柔らかな空気が、 この小さな社を包んでいました。その横には、由来が書かれた案内板。神社を過ぎると、 水の音が聞こえてきました。ここは、 猪苗代湖から会津盆地へ水を引くために造られた 全長31kmの用水路の一部。そして・・ 慶応4年(1868)、戊辰戦争のさなか。 白虎隊の少年たちが敗走し、 この洞穴を通って飯盛山へ向かったことが記されています。歴史の重さが、 森の静けさの中で胸に落ちてきました。説明板の先へ進むと、 水が静かに流れ込む洞穴の入口が見えてきました。深い緑に包まれた水路は、 まるで時間が止まっているかのように静かで、 その奥にぽっかりと開いた洞穴が ゆっくりと呼吸しているように見えました。白虎隊の少年たちは、 この暗い洞穴を必死に進み、 飯盛山へと向かったのだと思うと、 胸の奥がぎゅっと締めつけられます。さらに下ると、 赤い鳥居が現れました。紫の幕がかかった小さな祠が森に寄り添うように建ち、 石灯籠が見守っていました。飯盛山の祈りの道は、 大きな歴史の碑だけでなく、 こうした小さな祠にも息づいているのだと感じました。続くFC2・・はこちらから
2026/06/30
コメント(13)

天鏡閣の白い洋館をあとにし、車は再び山の中へと進んでいきました。猪苗代湖のきらめきが遠ざかり、次の目的地・飯盛山へ。参道の入口に立つと、目の前に果てしなく続く石段が立ちはだかりました。思わず、胸の奥から小さなため息がこぼれました。「これ・・やばいね」 クマさんと顔を見合わせて、迷わず動く歩道へ。透明のトンネルの中を、 動く歩道がぐんぐん上へ伸びていきます。思った以上に急で、 手すりを持っていないと後ろに転びそうになるほど。 ふたりでちょっと怖いねといいました。最初の歩道を上がりきると、 さらにもう一つ、同じくらい長い歩道が待っていました。「まだあるんや・・」 そう思いながらも、 動く歩道があって本当に助かりました。更に階段を登ると 木々の間に白い案内板と大きな石碑が見えてきました。ローマ寄贈碑1928年、イタリア・ローマ市が 白虎隊の忠義と悲劇に深い感銘を受け、 「友情の証」として日本に贈った記念碑です。ローマの彫刻家ルテッリによるもので、 石材はローマのトラバーチン。 異国の石が会津の森に静かに立つ姿は、 どこか不思議で、しばらく足が止まりました。ローマ寄贈碑を過ぎると、 白虎隊隊士の墓所が木々の間に広がっていました。白虎隊は、戊辰戦争(1868)で会津を守るために結成された 16〜17歳の少年武士たちの部隊です。飯盛山に逃れた隊士たちは、 遠くに見える鶴ヶ城が燃えているように見え、 「会津は落城した」と誤認し、 この地で自刃しました。実際には城はまだ落ちておらず、 彼らの悲劇は後世まで語り継がれています。白虎隊だけでなく、 会津戦争で命を落とした少年武士たちを悼む碑です。森の静けさの中で、 誰かがそっと手を合わせた気配が残っていました。墓所の奥へ進むと、 木々がふっと開けて、 高台の空気が変わりました。ここが、白虎隊が最後の時を迎えた場所。 彼らはここから鶴ヶ城を見下ろし、 城が燃えていると誤認して自刃しました。高台から見下ろすと、 会津の町が木々の間から少しだけ見えました。白虎隊の少年たちが見た景色も、 きっとこのように霞んでいたのだろうと 胸の奥が締めつけられます。森の風がふっと頬を撫でていき、 その風がこの場所に眠る人たちを そっと包んでいるように感じられて、 しばらく振り返ってしまいました。高台のすぐそばに、 静かに佇む石碑がありました。会津藩主・松平容保(まつだいら かたもり)公が 白虎隊の少年たちの忠義を悼み、 自ら詠んだ弔歌を刻んだ碑です。弔歌の一節は、 「石にしみ入る涙は消えようとも その忠義は永遠に忘れられない」 という意味を持ちます。容保公は、 少年たちの死を深く悲しみ、 その忠義を後世に伝えるために この弔歌を残しました。森の静けさの中で読む弔歌は、 胸の奥に響きました。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/28
コメント(11)

野口英世記念館をあとにして、次に向かったのは天鏡閣でした。猪苗代湖のきらめきを離れ、 車はどんどん山の中へ入っていきました。 木々が深くなり、空気がひんやりして、 「本当にこの先に洋館があるの?」と クマさんと顔を見合わせたほど。そして突然、木々の切れ間から 白い天鏡閣が姿を現しました。そのすぐそばには、 空に向かってすっと伸びる石造りの塔のような記念碑。 近づいてみると、それは 天鏡閣を建てた有栖川宮威仁親王の銅像でした。森の奥にひっそりと立つその姿は、 この場所を静かに見守っているようでした。天鏡閣は明治41年(1908年)、 皇族・有栖川宮威仁親王の別邸として建てられた洋館。 のちに皇族の静養地として使われ、 湖畔の離宮と呼ばれるようになりました。本館に入り扉を開けると、 柔らかな光と、静かに整えられた家具が迎えてくれました。赤いクロスの大きなテーブルが置かれた食堂は、 当時のもてなしの空気をそのまま残していました。花柄の椅子と白い暖炉のあるサロンは、 やわらかな時間が流れていました。天鏡閣の魅力は、 すべての部屋に暖炉があること。廊下にもありました。暖炉を巡るだけで、この建物の美意識が伝わってきます。大きな窓から光が差し込み、 緑のランプが静かに揺れるビリヤード室。ここは皇族の社交の場。 静かな館内に、球の音が響く様子が目に浮かびました。文箱、紋章の入った箱、青い壺、掛け軸、金の工芸品。 ガラス越しに眺めるだけなのに、 そこに人の気配がふっと立ち上がるようでした。緑のカーペットの階段を上がると、 三つの窓から光が差し込む明るい空間に出ました。二階はどこか余白のような静けさがあり、 旅の時間が深くなる場所でした。最後に訪れたのは、 暖炉のある畳の部屋。和と洋が自然に混ざり合い、 天鏡閣という建物の時代の重なりを語っていました。本館の華やかさをあとにして外へ出ると、 木々の間にひっそりと別館が見えてきました。本館とは違い、 どこか控えめで、働く人たちの気配が残る佇まい。別館はお付の方や準備の方のための建物です。入口には案内板があり、 別館が使用人や準備をする人のための場所であることが書かれていました。本館のような装飾はなく、 静かで実務的な空気が漂っています。別館に入ると、 まず目に入ったのは調理室でした。木の床、壁の蛇口、 小さな窓から入る光。ここで食事の準備がされ、 本館へ運ばれていったのだろうと想像が広がります。別館の奥には、 二つの窓から光が差し込む小さな部屋がありました。家具はなく、 ただ光と風だけが通り抜ける静かな空間。さらに進むと、 畳が敷かれた和室がありました。本館の洋風とはまったく違う、 素朴で落ち着いた空気が流れていました。別館には暖炉もなく、 華やかな装飾もありません。けれど、 そこに残る静けさや光の入り方が、 当時の生活の気配を伝えてくれました。静かな部屋をあとにすると、外の風が旅の続きを促してくれました。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/26
コメント(18)

志田浜をあとにして車を走らせると、 ほどなくして野口英世記念館に着きました。駐車場に降り立つと、 目の前には大きく広がる磐梯山。 朝の光を受けて凛とした姿が迎えてくれて、 ここからまた新しい旅の章が始まるような気がしました。敷地の奥へ進むと、 英世が幼い頃を過ごした生家が残されています。木の香りがほのかに漂う家屋は、 どこか懐かしく、 英世がここで走り回っていた姿が 浮かんでくるようでした。生家の中央には、 幼い英世が誤って落ちてしまい、 左手に大やけどを負った囲炉裏があります。囲炉裏の前に立つと、 当時の暮らしの音や匂いまで感じられるようで、 英世の幼い日の痛みや、 お母さんの必死の看病まで想像してしまいました。囲炉裏のある部屋の奥には、 19歳の英世が家を出る前に刻んだ 決意の言葉が残されています。志を得ずしては 再び此地を踏まず細い文字は少し震えているようにも見えて、 若い英世の強い覚悟と、 その奥にあったであろう不安が そっと伝わってくるようでした。生家を出ると、 すぐ前に小さな祠が静かに佇んでいました。その横を、 さらさらと細い流れの小川が通っています。ここは、 英世のお母さんが洗い物をしていた場所。水の音、苔むした石、 光が揺れる水面・・ どれも昔から変わらず、 家族の暮らしを支えてきた風景でした。先ほど見た決意の言葉と、 この静かな水辺の風景が ひとつの物語としてつながっていくようでした。祠と小川をあとにして、 記念館の建物へ戻りました。入口を入るとすぐの場所に、 英世の胸像が置かれていました。その表情はどこか柔らかく、 けれど芯の強さを秘めていて、 生家で見た決意の言葉と 自然につながっていくようでした。胸像の横を通り、展示室へ進むと、 英世の研究資料や写真が丁寧に並んでいました。ガラスケースの中には、 手書きのメモや標本、医療器具、書籍などが並び、 研究者としての英世の姿が 静かに立ち上がってくるようでした。奥には、 英世生誕150年を記念した展示もあり、 映像やパネルで彼の功績が紹介されています。生家の小さな囲炉裏から始まった人生が、 世界へと広がっていったことを思うと、 胸の奥が熱くなりました。時間を見ると、ちょうどお昼前。 記念館のすぐ隣にあった レストラン バンショウ に入ることにしました。注文した 10割そば が出来上がるのを待つあいだ、 ふと目に入ったのが、お土産コーナーの味噌。色がきれいで、 どこか手作りの気配が漂っていて、 思わず店員さんに 「甘い味噌ですか?」と尋ねてみると、「しょっぱくないですよ。 これは、このレストランで働いている若奥さんの実家で作っている 完全手作りの味噌なんです。」 と教えてくれました。その言葉を聞いた瞬間、 なんだか急にその味噌が欲しくなって、 迷わず買って帰ることにしました。お蕎麦は素朴で、 旅の途中の一杯としては十分にほっとする味。そして、おすすめされた ずんだ餅 は、 枝豆の香りが広がって、とても美味しかったです。FC2・・はこちらから
2026/06/23
コメント(16)

2026年5月27日(水)曇り後晴れいつものように5時30分頃には目が覚めて、 まずは窓の外をそっと覗いてお天気の確認。空は少し曇っているけれど、 どこか明るさがあって、 「今日はいいお天気になりそう」 と思える静かな朝でした。クマさんも起きてきたので、 ふたりで朝風呂へ。お湯につかってまったりしていると、 身体の奥までじんわり温まって、 気持ちもすっきりしました。7時になり、朝食会場へ。 バイキングには和食も洋食もずらりと並んでいて、 どれも美味しそうでついつい手が伸びてしまいます。おかゆも焼き魚も、 小鉢のひとつひとつも丁寧な味で、 朝からしっかり元気をもらえる食事でした。ヨーグルトやパンも少しだけ。 旅先の朝は、どうしてこんなに食べられるんだろう。朝食を終えて部屋に戻り、 もう一度窓の外を見ると…松島が霧にふんわりと包まれていました。島々が淡く浮かび上がって、 まるで水墨画のような景色。 晴れでも曇りでもない、 旅の朝だけが見せてくれる表情に しばらく見とれてしまいました。8時17分にホテルを出発して、 猪苗代湖の志田浜へ向かいました。浜に着くと、 静かな湖面の向こうに堂々とそびえる磐梯山。 別名「会津富士」と呼ばれるほど美しい山で、 湖と山が重なる景色はまさに福島らしい風景でした。ラムサール条約湿地・猪苗代湖猪苗代湖は日本で4番目に大きい湖で、 透明度が高く「天鏡湖」とも呼ばれています。- 磐梯山の噴火でできた湖 - 冬には白鳥が飛来する - 2021年にラムサール条約湿地に登録 自然の豊かさが世界的にも認められた湖です。湖畔に立つこの像は、 猪苗代湖が白鳥の湖として親しまれてきたことを象徴する白鳥像。台座に立つ姿が印象的で、 志田浜のランドマークのひとつになっています。浜から見える大きな山は 磐梯山(ばんだいさん)。会津の象徴ともいえる山で、志田浜からの眺めは特に美しいことで知られています。湖の青、山の緑、そして静かに糸を垂らす釣り人の姿。そのすべてが朝の光の中でひとつに溶け合って、とても穏やかな時間が流れていました。旅の途中で出会う、こうした静かな景色が好きだなぁとあらためて思った志田浜の朝でした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/21
コメント(11)

一日の終わり、 海沿いの道を抜けてホテルへ向かう頃には、 空はすっかり曇っていて、 夕焼けの赤い光はもう望めないと あきらめる気持ちが胸に広がっていました。ホテル大観荘は、 山道を登った先の高台に建っていて、 その立地のおかげで景色がとても良い場所でした。扉を開けた瞬間、 大きな窓いっぱいに松島の海が広がっていて、 その眺めに思わず息をのみました。遠くには、 さっき歩いた福浦橋と福浦島が 小さく見えていて、 「今日ここを歩いてきたんだなぁ」と 余韻が戻ってきました。畳の香りと、 高台からの景色のやわらかさが 旅の疲れを吹き飛ばしてくれました。その日は修学旅行生が泊まっているとのことで、 夕食は少し早めの18時に。ホテルに着いたのは17時26分。 荷物を置いて、 ほんの少しだけ休んでからレストランへ向かいました。料理を取って席に戻り、 「さあ、いただこうかな」と思った まさにその瞬間・・スタッフの方がそっと近づいてきて、 「お写真お撮りしましょうか」 と声をかけてくださいました。そのタイミングが本当に絶妙で、 ちゃんと私たちを見ていてくれたんだと胸が温かくなりました。お刺身は新鮮で、 他のお料理も薄味なのにしっかり旨味があって、 どれもとても美味しくて、 「来てよかったね」と自然に思える食事でした。ホテルからは 金婚記念にスパークリングワインのプレゼント。 その心遣いがまた嬉しくて、 胸の奥がほっこりしました。クマさんはビールが飲みたいと言うので、 スパークリングワインは お部屋に持っていっていただくことに。 日本酒もいただいて、 スタッフさんの丁寧な接客が さらに夜を心地よいものにしてくれました。食事が進むと、 クマさんは相変わらず食べるのがとても早くて、 私がまだお料理をゆっくり楽しんでいるあいだに・・気がつくと、 デザートをたくさん抱えて戻ってきていました。まるで宝物を見つけたみたいに、 少し誇らしげな顔で。その姿がなんとも可愛らしくて、 思わず笑ってしまいました。食事を終えて部屋に戻り、 窓から外を眺めると、 やはり夕焼けの赤い空は見られませんでした。でも、 高台から見下ろす松島の景色は、 曇り空の下でも静かで美しくて、 その淡い景色が 一日の終わりに寄り添ってくれました。ふたりで撮ってもらった写真を眺めながら、 「いい夜やね」と 言葉にしなくても伝わるような、 そんなあたたかい時間が流れていました。修学旅行生が入る時間を避けて、ふたりで大浴場へ向かったのは 21時を過ぎた頃。廊下はもう静かで、夜の空気がゆっくりと流れていました。露天風呂に出ると、そこにはお部屋と同じ、松島湾が目の前に広がる景色 がありました。湯気の向こうに浮かぶ島影、静かな海、高台ならではの広がり。昼とも夕方とも違う、夜の松島の静けさが湯船の温かさと一緒に心の奥までしみ込んでいきました。「今日一日、よく歩いたなぁ」そんな気持ちが自然と湧いてくる、やさしい締めくくりの時間でした。その夜は、朝 2時30分に起きた私 と、その少しあと 3時に起きたクマさん。ふたりとも、一日じゅう歩き続けた疲れがどっと出て、部屋に戻った途端、身体の力がふわっと抜けていきました。ベッドの寝心地が驚くほど良くて、横になった瞬間、まるで柔らかい雲に沈んでいくように深い眠りへ落ちていきました。気がつけば、朝まで一度も目を覚まさず、ふたりともぐっすり。今日歩いた歩数 16339歩 10.5km続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/18
コメント(13)

五大堂をあとにして海沿いを歩いていくと、 静かに佇む「東日本大震災の慰霊碑」が目に入りました。 昼間はあんなに明るかった空が、 夕方になるとゆっくりと雲に覆われていき、 光が少しずつ薄くなっていくのがわかりました。その前でそっと手を合わせると、 波の音だけが、 胸の奥にやわらかく届いてきました。福浦橋は、 松島湾に浮かぶ福浦島へ渡るための 252メートルの赤い橋。 昔から「出会い橋」と呼ばれ、 良縁や願いごとを結ぶ橋として親しまれてきました。赤い色は“縁を結ぶ色”。 福浦島の「福」と重なって、 この場所全体が “福を招く島” として大切にされてきました。橋の入口に着いたのは16時43分。 閉門の16時30分を過ぎていて、 チケット売り場の窓口はすでに閉まっていました。空はすっかり曇っていて、 本来なら夕日で赤く染まるはずの空は 灰色のまま広がっていました。「今日はもう夕日は見られないかもしれない」 そんなあきらめの気持ちが 胸の中にふっと広がりました。 本当は、 今夜泊まる部屋の窓から夕日を見るつもりだったのに。どうしようかと立ち止まっていると、 橋の方から来た方が 「裏側からなら入れますよ」 と教えてくださいました。その言葉に導かれて、 海沿いの道をゆっくりと回り込みました。裏に回ると、 小さな入口がひっそりと開いていました。 そこから橋へ足を踏み入れると、 曇り空の下でも赤い欄干だけは 静かに浮かび上がって見えました。波の音が遠くで揺れていて、 足元の感触がやわらかく響きました。橋を渡ると、 島の中は音が消えたように静かでした。 弱くなった光が木々の間をすり抜けて、 足元に淡い影を落としていました。階段のような坂道、 木々の隙間から見える海、 遠くに小さく見える橋の赤。 どれもが、 曇り空の静けさとよく馴染んでいました。帰り道、 橋の真ん中で立ち止まると、 雲の切れ間からわずかに光がこぼれて、 海の上に細い帯のように落ちていました。夕日が沈む時間にはまだ早かったけれど、 空の色はもう変わる気配を見せず、 今日の夕焼けはもう無理だと あきらめムードになりました。福浦橋は、 “縁を結ぶ橋” といういわれの通り、 淡い光の中で 一日の最後を結んでくれる場所でした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/16
コメント(11)

観瀾亭から五大堂に移動です。 海の向こう、小さな島の上に 五大堂の屋根が浮かんでいました。 千年以上前からこの場所に建つお堂は、 昔から海を行き交う人たちの無事を見守ってきたといわれています。 曇り空の下で輪郭だけが淡くうきあがり、 そこへ向かう道が続いていました。 道の先に現れた最初の橋は、 朱色が緑の中に浮かんで見えました。 足元はしっかりとした板張りで、 木の板を踏む音だけが、 夕方の空気にやわらかく響いていました。 この橋を渡る人々を、 五大堂はずっと静かに迎えてきたのでしょう。最初の橋を渡りきると、 もうひとつ、赤い橋が奥に見えてきました。 その橋に、札を下げようとしていたお土産物屋さんのおじさんがいました。時間を見ると16時30分を過ぎていました。 五大堂は17時で閉まるらしく、 その札は “そろそろ終わりだよ” と 知らせる札でした。その橋は、 板の隙間から海がのぞく造りになっていて、 踏み出すたびに、 足の下で水面がゆらりと揺れて見えました。夕方の光が海に反射して、 欄干の赤が淡く揺れていました。 急がなきゃと思いながらも、 足元の海を覗き込む時間は どうしても捨てられませんでした。2番目の橋を渡りきると、 五大堂へ向かう小さな道の手前に 石の碑がひっそりと立っていました。海を背にして佇むその姿は、 ここから先は特別な場所だよと そっと告げているようで、 歩く足が自然とゆっくりになりました。五大堂 このお堂が最初に建てられたのは、 平安の頃、まだ松島が今よりずっと静かだった時代。 その後、伊達政宗が桃山の香りを残す姿に整え、 今の五大堂が生まれました。海の音に包まれながら、 ただそこにあるだけで 時間がゆっくりとほどけていくようでした。木組みの影の中に、 龍の姿が浮かんでいました。 海辺に建つお堂を守るための 水の神さまとして刻まれたものです。五大堂の欄間には、 十二支がひとつずつ刻まれていました。 ぐるりとお堂を囲むように配置されていて、 昔の人が 「どの方角から来る人も、どうか守られますように」 と願いを込めた、静かな結界のようなものです。その中に、 花に顔を寄せるようなうさぎの彫刻がありました。 東の方角を守る卯は、 “飛躍” や “成長” を象徴する存在。 やわらかな姿のまま、 旅人の進む方向を見守っているようでした。十二支の仲間たちも、 それぞれの方角で静かに佇んでいて、 勇ましい寅や、災いを払う申、 家を守る戌など、 みんなが五大堂を囲むように息づいていました。その中で、 うさぎはとくにやさしい気配をまとっていて、 海風の中で微笑んでいるように見えました。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/14
コメント(10)

松島を歩く午後、 海からの風が少しだけやわらかくなってきたころ、 観瀾亭へ向かう石畳の道をゆっくりと上がっていきました。午後の光に包まれて、静かな時間がゆっくり始まります。門の横には、観瀾亭の歴史を伝える案内板が立っていました。 古い文字の奥に、ここで過ごした人々の気配が残っているようでした。階段をのぼるたびに光が揺れ、 心の奥が静かに整っていきました。石段を上がりきった瞬間、 松島湾が一気に開けて、 遠くの島影までやわらかい光が流れていって。茶室の前まで進むと、 金地のふすま絵がやわらかく光を反射して、 閉ざされた奥の世界が息づいているようでした。 庭を歩くと、竹垣に囲まれた三千万年の眠りが、庭の静けさに寄り添うように佇んでいて。庭を抜けて少し歩くと、 海を見下ろす小さなベンチがありました。16時20分。海は夕暮れへ向かい、時間がゆっくりながれていきます。 出口へ向かう道の脇の木に、 瑞巌寺で見たばかりの石斛が 同じように木の幹に寄り添って咲いていました。その姿に胸の奥がそっと温かくなります・・その先に、観瀾亭の出口となる門が静かに立っています。 この門をくぐると、観瀾亭の時間が静かに背中を押してくれ、門を抜けると、竹垣に囲まれた石碑がありました。どんぐりころころの碑童謡「どんぐりころころ」を作詞した青木存義は、松島を深く愛した人でした。その想いをそっと残すように、観瀾亭の庭の片隅に小さな碑が置かれています。木漏れ日の中で、幼い日の歌が静かに息づいていました。観瀾亭は、 豊臣秀吉が伊達政宗に下賜した伏見桃山城の一部を移築した建物と伝わっています。江戸時代には松島に再建され、 藩主や姫君が月を眺める「月見御殿」として使われました。 また、幕府巡見使の接待にも使われた格式ある建物で、 その静かな佇まいには、当時の気配が今も残っています。昭和初期には松島博物館として整備され、 現在は 宮城県重要文化財・国登録文化財 として大切に守られています。観瀾”は「波を観る」という意味で、 その名のとおり、松島湾の穏やかな景色を楽しむために造られた建物です。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/11
コメント(13)

次に向かったのは円通院です。 瑞巌寺のすぐ隣にある、小さな静けさの庭。 参道の賑わいからほんの数分しか離れていないのに、 門の前に立つと、空気が変わるのが分かります。茅葺きの山門やわらかな茅葺き屋根の山門をくぐると、 光が少しだけ柔らかくなり、苔の匂いがふわっと立ちのぼりました。入ってすぐ、小さなお地蔵さまが静かに並んでいました。 供えられた花の色が、庭の静けさの中でそっと灯るようでした。円通院の庭は、 一面に広がる苔がとても美しい場所です。苔の上は踏むことができないので、 歩けるのは石畳の参道だけ。それでも、 参道のすぐそばまで寄り添うように広がる苔を眺めていると、 ふかふかとした質感が伝わってくるようで、 庭の静けさが身体の中にゆっくり入ってくる感じがしました。白砂と石の庭は、動かないのに動いているような静けさ。 瑞巌寺の壮大さとは違う、 ひとりの時間に寄り添う静けさがありました。丸い窓が印象的な小さな東屋。 竹の屋根と木の柱が庭の緑に溶け込んでいて、 窓からのぞく景色が額縁の絵のように見えました。風がそっと通り抜けて、 歩き疲れた心がふっと軽くなる場所でした。苔の参道を抜けて少し歩くと、 木々の間から静かに本堂が姿を見せます。道の両側には一面の苔が広がっていて、 近くを通るだけで、 ふかふかとした緑の質感がそっと伝わってくるようでした。木漏れ日がゆっくり揺れて、 風が枝を揺らす音だけが聞こえてきます。本堂の前に立つと、 庭の空気がさらに深く沈んでいくようで、 思わず背筋がすっと伸びるような感覚になりました。三慧殿(厨子)三慧殿(さんけいでん)は、円通院の中でももっとも大切な場所で、建物と厨子は 国の重要文化財 に指定されています。ここには、 伊達政宗の嫡孫・光宗(みつむね)公が祀られています。ガラス越しに見える厨子は、 金や緑、朱色が繊細に重なり合い、 まるで小さな宇宙のような輝き。この厨子には、 日本最古級の西洋バラの文様が描かれていると言われています。なぜバラなのか── それは光宗公がヨーロッパ文化に強い関心を持っていたから。若くして亡くなった光宗公を偲び、 その想いを形にしたのが、 この美しい厨子であり、 後に作られた円通院のバラ園なのです。厨子の前に立つと、 装飾の細やかさに圧倒されるだけでなく、 光宗公を想う人々の祈りが 積み重なっているように感じられました。円通院のバラ園は、 ただの花壇ではなく、 ひとりの若い命を想うための庭。白いアーチをくぐると、 静かな祈りの気配がふわっと漂っていました。池のほとりでは、水面に映る緑がゆらゆら揺れていました。 庭の中でいちばん“呼吸”を感じる場所でした。支柱に支えられながら大きく枝を広げる古木。 苔むした地面、池のほとりの静けさ、 そして長い時間を生きてきた木の姿。円通院の静けさがすべてここに集まっているようでした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/09
コメント(13)

14時の便に合わせて桟橋へ向かうと、 海の匂いが風に混じって流れてきました。 朝の 2時30分に起きていた疲れがピークで、 デッキに立つ元気はもう残っていませんでした。船着き場の桟橋には観光客がすでに並んでいて、 午後の光が海にきらきら反射していました。船に乗り込むと、 冷房の効いた船室は少しひんやりしていて、 その涼しさが疲れた身体にちょうどよかったです。窓越しに何枚も写真を撮ったけど、 いま見返すと「これだ」と思えるものはほとんどなくて。そんな中で、漁船がすれ違った瞬間の一枚だけが、 なぜか心に残っていました。観光の景色とは違う、 松島の海で生きている人の姿が写っていて、 その一瞬だけは、 船室の静けさの中で時間が止まったように感じました。船を降りて桟橋を歩いていると、 横に五大堂が見えて、 海に浮かぶようなその姿が 午後の光の中で静かに佇んでいました。最初に訪れるのは瑞巌寺です。総門をくぐって数歩進むと、 木々の間にひっそりと座る仏さまが見えてきました。 やわらかい表情で、 訪れる人をそっと迎えてくれるような佇まいです。その向かい側には、 苔むした石灯籠が静かに立っていました。 長い時間をここで見守ってきたような、 落ち着いた存在感がありました。石灯籠の横を抜けると、 まっすぐに伸びる参道が続いていました。 木陰が心地よくて、 歩くだけで瑞巌寺の静けさに包まれていくようでした。参道を進むと、左手に宝心窟が現れます。 岩をくり抜いた小さな空間の中に供養塔が並び、 瑞巌寺の長い歴史を静かに語っていました。観光地のざわめきから一歩離れたような、 しんとした空気が流れていました。宝心窟を過ぎて本堂の横へ進むと、 落ち着いた佇まいの庫裏が見えてきました。白壁と木の柱が並び、 瑞巌寺の中でも特に呼吸が深くなる場所のように感じました。内部は撮影禁止で、 静かに歩くだけで木の香りが漂い、 瑞巌寺の静けさがさらに深まっていくようでした。庭の撮影はできましたので撮ってきました。帰り道、参道の反対側に広がる洞窟遺跡群に立ち寄りました。苔むした岩肌に祠や石塔が寄り添うように並び、 瑞巌寺の時間の深さを感じる場所。風の音がやさしく聞こえるだけで、 人の気配がすっと薄くなるような静けさでした。洞窟遺跡群を離れて本堂の前へ歩いていくと、 木々の間から差し込む午後の光が、 境内の空気をやわらかく照らしていました。人の声もほとんど聞こえず、 ただ風だけがゆっくりと通り抜けていく。 瑞巌寺の中心に近づくほど、 時間が静かに流れていくようでした。本堂の前を離れて帰り道へ向かうと、 ふと頭上の木の枝に、 淡い色の花がそっと咲いているのが見えました。石斛(せっこく)。 中門手前の右の杉に着生している日本蘭の一種です。 かつては松島湾の島々に自生していましたが、 乱獲により絶滅の危機に瀕したため、 現在は増殖も行われているそうです。大きな木の幹に寄り添うように咲くその花は、 静かな境内の空気の中で ひときわやさしい色をしていました。旅の終わりに、 こんな小さな花に出会えるなんて。 瑞巌寺の静けさが、 最後にそっと手を振ってくれたような気がしました。瑞巌寺ってどんなお寺?創建は平安時代の828年と伝えられています。現在の壮大な寺院は、仙台藩祖の伊達政宗が1609年に完成させました。禅宗の一つである臨済宗妙心寺派のお寺です。政宗公は戦乱の世を生き抜いた武将でしたが、平和な世を築く象徴として瑞巌寺を大切にしました。そのため、建物には武家文化と禅の美しさが見事に調和しています。本堂は国宝に指定されています。現在の本堂は政宗公が建立したもので、桃山文化を代表する豪華な建築です。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/07
コメント(13)

お昼前に大崎八幡宮へ到着。 鳥居の前に立った瞬間、背中に日差しが当たって、 「今日は暑いね」と思わず言いたくなるような暑さでした。参道を歩くと、木陰の中に手水舎。 屋根の下に入った瞬間、暑さがすっと引いていきました。柄杓の冷たさが指先から腕に広がり、「よし、参拝の準備ができた」と気持ちが整いました。手水舎を過ぎて少し歩くと、赤い提灯がずらりと並んだ入口が現れます。赤い提灯の入口に入ると、その中に、なんと鶏がちょこんと。 この神社ならではの光景で、思わず足を止めてしまうほど可愛らしい。 棚の上に鶏が一羽、のんびりと座っていました。「ここが涼しいんだよ」と言っているみたいで、この神社の穏やかな空気を象徴するような存在さらに進むと、 国宝の黒漆と金箔の社殿が太陽を受けて輝いていました。絵馬が風に揺れてカラカラと音を立て、 木の香りがふわっと漂います・・まさに“大崎八幡宮の空気”そのもの。参拝を終えて時計を見ると、 予定より時間が押していることに気づきました。本当は仙台城跡にも寄るつもりだったけれど、 12時30分のすし哲の予約に間に合わせるために、ここは潔く断念。「次に来る理由ができたね」と前向きに切り替えて塩竈へ。車ですし哲さんまで車で約1時間。予約時間の12時30分に間に合います。すし哲さんでどうしても食べたいものがあったので予約をいれたんです。すし哲さんの駐車場に車を停めて、 さあ行こうと思ったら・・お店がどこにあるのかわからない。ちょっとウロウロしたけどわからなくて方向が合っているのか不安になって電話をすると、 「今、外に出ますね〜」と優しい声。数秒後、お店の前から女性が手を振って 「こっちですよ〜!」 と迎えてくれました。塩竈の町の人の温かさを感じる瞬間でした。「座敷とカウンター、どちらがよろしいですか?」 と聞かれ、迷わず即答。「カウンターでお願いします!」カウンター席に腰を下ろした瞬間、 クマさんが目の前の職人さんにすぐ声をかけました。「震災の被害はどうでしたか」その問いかけには、 この町のことを思う気持ちがにじんでいました。職人さんが 「ここまで水が来たんですよ」 (壁の白いテープの印まで)と静かに話してくれました。すると奥から女性店員さんが、 震災当時、水浸しになった店の写真を持ってきてくれました。その写真には、 あの日の塩竈の現実と、 そこから立ち上がった強さが写っていました。クマさんも深く頷きながら話を聞き、 そこから会話が一気に弾んでいきました。お勧めを聞いて出してくださったのがつやっとした赤身が美しいカツオ。 お店で仕込んだポン酢をたらして。ひと口食べた瞬間、 「えっ、こんなに美味しいの…」 軽やかで香りがよくて、 最初の一皿から心を掴まれました。そして、いよいよホヤ。 人生で初めての味。 透明感のある身、海の香り。ひと口食べると、 「初めての・・どう表現したらいいんだろう」 そんな不思議な感覚。 でも食べ進めるほどクセになる。そんなとき黙ってお寿司を握っていた大将が とびきりの笑顔で「初めてのホヤどうですか?お口にあいますか?」「どう表現して良いのかわからない初めての味です。食べ進めるとくせになりそうです」「ホヤを食べたあとに水を飲むと甘く感じますよ」 と言うので試してみると・・本当に甘い。お酒だともっとまろやかになるそうです。最後にいただいた握りは、 どれも端正で美しく、 シャリの温度もネタの香りも完璧。クマさんは職人さんと笑いながら、 私はその横で頬をゆるめて時々会話にはいって とても楽しいランチの時間になりました。続くFC2・・はこちらから
2026/06/05
コメント(13)

今回の旅で、最初に向かったのは瑞鳳殿でした。 まだ朝の空気がひんやりと残る時間帯で、 車を降りた瞬間、森の香りがふわぁ~と漂ってきました。伊達政宗公が眠る場所を最初の目的地にしたのは、 旅の始まりに“静けさ”を迎えたかったからかもしれません。 深呼吸をひとつして、ゆっくりと参道へ足を踏み入れました。瑞鳳殿へ続く参道は、背の高い木々に囲まれ、 風が葉を揺らす音だけが静かに響いていました。 まっすぐ伸びる道の先に、歴史の深さがそっと潜んでいるような・・参道を進むと、やがて石段が姿を現します。 一段一段がしっとりと苔むし、 長い年月を静かに刻んできたことが伝わってきました。木漏れ日の中を上っていくと、 心が少しずつ整っていくような、不思議な静けさがありました。石段を上りきった先で、ふっと視界が開けました。 森の緑の中に、黒漆と金具、極彩色の彫刻が重なる唐門が立っていました。 静けさの中に突然現れるこの華やぎは、 まるで「ここから先は特別な場所ですよ」と告げているようでした。旅の最初に訪れた瑞鳳殿で、 この唐門が最初に迎えてくれた“華やぎの瞬間”でした。唐門(黒漆と極彩色の彫刻が施された瑞鳳殿最初の門)唐門をすすんでいくと、空気がさらに澄んでいきました。 その先に現れるのが中門。 黒漆の静けさの奥に、本殿の極彩色が浮かび上がります。門をひとつ越えるごとに、 華やぎが少しずつ深まっていくこの構造は、 瑞鳳殿ならではの美しい参拝動線です。旅の始まりに選んだ場所で、 この“門越しに見える本殿”の景色は、 心に残る印象的な場面になりました。中門をくぐると、いよいよ本殿が目の前に現れます。 黒漆の深みに金箔が静かに輝き、 龍や鳳凰の彫刻が壁面を彩る姿は、 まさに桃山文化の粋そのもの。旅の最初に訪れた場所で、 こんなにも重厚で美しい建築に出会えるとは思いませんでした。 静けさの中に、確かな力強さが息づいています。本殿に近づくと、軒下の装飾が目に飛び込んできました。 龍・鳳凰・牡丹などの吉祥文様が細密に彫られ、 その上に丁寧に彩色が重ねられています。光の角度によって表情が変わり、 まるで生きているかのように見える瞬間がありました。 ここに宿るのは、ただの装飾ではなく、 政宗公への敬意と、職人たちの祈りそのものです。本殿の脇へと歩みを進めると、 静かに並ぶ供養塔が目に入ります。 石の質感は長い年月を物語り、 その前には色とりどりの花が供えられていました。華やかな本殿とは対照的に、 ここには深い静けさと穏やかな祈りが満ちていました。 旅の始まりに訪れたこの場所で、 時を超えて続く祈りの重みを感じました。本殿を後にして石段を下りると、 木々の間から差し込む光が柔らかく揺れていました。 行きに見上げた階段を、今度はゆっくりと振り返りながら降ります。 その一段一段に、政宗公の時代から続く祈りの時間が重なっているように感じました。赤い柵の向こうに並ぶ石灯籠、 苔むした石の質感、そして風に揺れる葉の音。 どれもが、瑞鳳殿という場所の静かな呼吸を伝えてくれます。階段を降りた先にある供養塔の一角。 石碑の前には、色とりどりの花が供えられていました。 その姿に、今も誰かがこの場所を訪れ、祈りを捧げていることを感じます。風が通り抜けるたびに花が揺れ、 その柔らかな動きが、長い年月を静かに語っているようでした。階段を降りてくる若い二人の姿が、 この場所が今も多くの人に親しまれていることを教えてくれました。石段を降りた先にある門をくぐると、 行きとは違う光の色が迎えてくれました。 朝にくぐったときの静けさが、 帰り道では穏やかな満足感に変わっていました。木の香り、風の音、そして門の影。 そのすべてが、旅の始まりと終わりを静かにつないでくれるようでした。門の向こうに広がる森の緑が、 まるで「また来てください」と語りかけてくるようでした。瑞鳳殿を歩いた時間は、 華やかな装飾の美しさだけでなく、 その奥にある静けさと祈りの深さを感じるひとときでした。森の緑、石の冷たさ、木の香り、そして光の柔らかさ。 それらが重なり合って、 「美しさとは静けさの中にあるもの」だと教えてくれるようでした。続くFC2・・はこちらから
2026/06/03
コメント(10)
全4420件 (4420件中 1-50件目)