聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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2011.10.25
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今、ここまで書いてメールを読み直していました。

本当に今の私の父母の元に生まれてきてよかったと思っているのだろうか?と考えました。
きっと今の母の所に生まれてきたのは、母と同じ嫌なところがあるとちゃんと自分が自覚し、そんな嫌な自分を直す事を望んできたからこそ、母から生まれて、天使の会に入る事を望んで生まれてきた私なんだと思いました。
でも私はずっとそんな自分はいない、母と同じ自分はいないと思っていました。だからなぜ母から生まれてきたんだろう?なぜそんな嫌な思いをすると分かっていて、今の母から生まれてきたんだろう?とずっと思っていました。
でも今の母から生まれてきたからこそ、今の母に産んでもらったからこそ、母が鏡となってくれて、嫌な自分を自覚し、天使の会で学ばせていただくことによって、嫌な自分を直そうと思いました。
そして母には愛が無いと勝手に思い、自分には愛が無いと思い、愛が分からないと思い、愛が分かりたいと思ってきました。
そして私は本当に母から生まれてきてよかったと思っているのか?ともう一度自分に尋ねると、母から生まれてこなければ、母の元に生まれてこなくて母が私の鏡になってくれなければ、私は自分の嫌な部分に気が付けなかった。
自分の嫌な部分を母から見せてもらわないと、私は自分を直そうと思わなかった。

今まで書いた事、前にmichaelさんが言ってくださっていた事です。感謝しか残らないと。でも私はなぜ感謝できるのか分かりませんでした。

でも今、自分が生まれてきたことに、生きてきたことに、家族がいてくれることに、天使の会にいさせていただくことに、感謝できているのではないかと思います。

正直、本当にそう思えているのか、不安というより、自信がありません。
今までずっと自分が言っていること、メールに書いていることに不安がありました。でも今回は自信がないと感じます。
前にmichaelさんが「不安ではなく、自信がないに留めておく」と言葉は違うかもしれないのですが、言ってくださっていました。
不安ではまだまだ自分のこと、分析できていないのだと思いました。
それから私は「そうなんだ!」という自信がある状態になってしまうと私は違うところに行ってしまうから、絶対に自信がないで留めておくこと、ずっと、そうなんだ!と思ってはいけないこと、こうかな?どうかな?と常に考え、自信がない状態にしておくこと」と言葉は違うかもしれませんが言ってくださっていました。

やっとここまで来たと思いました。
でもきっと私の愛はまだまだ小さな愛だと思います。やっと愛が分かったと思っているところなので・・・
もっと大きな、たくさんの愛が感じられる私になりたいです。そして愛を伝えられる私になりたいです。

さっきからメールを書いていて、私が娘を産む時に、母から言われた事が思い出されています。

そして3日後やっと陣痛室に入れたけど、まだ生まれそうになくてという時に、母から「今看護婦さんから聞いたけど、太っていると陣痛が起きにくいだって」と言われました。私はその3日間、自分なりに病院の中を歩いたり、効かないかもしれないと言われながら、早く退院して息子の側にいたいと思い、陣痛促進剤を飲み、と私なりに頑張っていたつもりでした。
今考えると、早く退院して息子の側にいたいと思っていたのも、息子の側にいたいと思ったという気持ちがゼロではなかったと思うのですが、人目を気にしてのこと、そして母やお医者さんから人からから「まだなの」と怒られないため、という気持ちがありました。
今は赤ちゃんが生まれる時にも意味があって、赤ちゃんが生まれたいときに赤ちゃんは生まれてくるんだ!と思えるのですが、その時は赤ちゃんが生まれてくることも薬を飲んだりすれば、コントロールできると思っていた(なんでも自分の思い通りにしたかった、思い通りにできると思っていた)私は「私だって早く産みたいんだよ!」と思い、確かに太っている自分が悪いんだ、でも今自分がどうしていいのか分からなくて、泣いていました。
すると看護婦さんが来て、「あなたがなぜ泣いているか分からないから、お母さんが泣いているよ、お母さん可愛そうに」と言われたのです。
私は、母は私にそんな酷い言葉を言っておきながら、私がなぜ泣いているのか分からないってどういうこと!!と思いました。


今回旦那様が会社を辞めるかもしれない、と思ったときに、私は少し前と言っていいのか分からないのですが、旦那様に対して思いやりがなかったと自覚しました。ずっと娘を産む時の母の態度をどう表現していいのか分かりませんでした。でも今、メールを書いていて、「思いやり」なのだと思いました。「思いやり」ってどういう意味?と思い、辞書を調べました。私って愛のある言葉の意味が分からないんだなあ・・・と今、思いました。前のメールでも「かけがえのない」を調べていたなあ・・・と思いました。
思いやり=人を考える気持ち、とあります。
娘を産む時に母が私に思いやりがないと感じたのは、私に本当に相手を思いやる気持ちがなかったから、母が鏡となって見せてくれていたのだと思いました。
でも前の私は自分は思いやりのある人だと思っていました。でも私の持っていた「思いやり」は相手のことを考える思いやりという気持ちではなく、自分がいい人だと言われたいための思いやりだったのです。私が私は思いやりがあると思っていた思いやりは、本当の思いやりではなかったのです。
だから母から思いやりのない言葉を言われたのだと思いました。

前にmichaelさんが言われていました。
すべて自分の責任であると・・・どこまで理解できているのか分からないのですが、娘の出産の件もそうだと思いました。

本当にちゃんと今、メールに書いた事が思えているのか自信がありません。そしてここに書いたように母の愛を手にとれているのか、そして本当に今の父母から生まれてきてよかったと思えているのか、自信がありません。
でも思えているような気がしています。
思えているのか、また自分に聞いていきます。

この前から、もし旦那様が会社を辞めたと実家に報告したときの状況を、自分なりにシュミレーションしています。
すっごい怒るんだろうな・・・と思います。でもその怒りは私達を心配するあまりの怒りだと感じます。
だからちゃんと今の旦那様の状態を話し、住宅ローンや貯蓄の事もきちんと話して、父母が納得できるまでちゃんと話せる私でありたいと思っています。
その場で苦手意識がでるかもしれないと思っています。でもグワーッと怒られ始めたときに、とにかく「心配してくれるのは分かる!」とさえ言えることができれば、ちゃんと話ができるのではないかと思っています。
って簡単に考えすぎなのかな・・・と思いながら・・・

まだまだ旦那様が会社を辞めることも想像で、現実になっていないので、どうなるか分かりません。
旦那様が会社を辞めようと思っていることも、旦那様が会社を辞めてから書こうと思っていました。
でも前に言わないでおこう、隠すのはやめようと前に書きました。
そして今の私を書いていくと、旦那様が会社を辞めようと思っていることを隠してはメールは書けませんでした。

旦那様は私達のことを考えてくれて、ものすごく考えてくれています。
本当にどうなるか分かりません。
でも震災があってから、私はどうやったら旦那様は原発から離れる事ができるのだろう?と思っていました。やっぱり定年まで離れる事はできないのだろうか?それでいいのだろうか?と思っていました。
Y美ちゃんがメールから
「前の会社を辞めた時は、会社に対しての不満があり、見返したい一心でがんばったそうです。だから、家族は後回しになりました。その問題は、残っていると思っていたので、そのような気持ちがあるかどうか主人に聞いてみました。
主人は、「今の会社には、感謝しているし、前の会社の様な気持ちはない」と言い、納得して辞めたそうです。」
と書いてくださっています。
この事も考えていました。私は今、旦那様が働いている原発に対してどう思っているのだろう?と・・・

だからと言って、原発に対してうーん・・・どう言っていいのか分からないのですが、原発を怨むという言い方もおかしいのかもしれませんが、怨んでいません。今の私達があるのは原発というものがあり、そこからお給料をいただいてきたからこそ、私達家族があります。だから感謝なのです。
前にmichaelさんが言ってくださっていたように、震災が起きた事によって、原発が危ない教えていただいていると、原発が人間の手に負えないものだと教えていただいたのであれば、手放すべきだと思っています。
でもまだここにいる私なのですが・・・
今はとにかく旦那様に従おう、旦那様の決断を待とうと思っているのですが、待っていてはダメなのかな?と思いながら、考えています。

「不安ではまだまだ自分のこと、分析できていないのだと思いました」と書きました。
今回メールに書いたこと、ちゃんと思えているのかまだまだ不安があります。
旦那様が会社を辞めることについても不安がないわけではありません。
でも旦那様が一生懸命家族の事を思い、考えてくれている事に従います。     Cーこ









 感動しました。

 C-こは、しっかりとした足取りでちゃんと歩いています。

 家族みんなで力を合わせて旦那様の一生懸命に合わせていけば、必ず道は開け、良い結果が待っているでしょう。

 H田家がみんなのよいお手本になるかもしれませんね。^^

 がんばれ~!

 天にまします我らの父よ、
 父の豊かさと愛と可能性が
 全ての人に必ず届き、必ず活かされますように、アーメン。michael





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Last updated  2011.10.25 16:44:05


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