聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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2022.07.24
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カテゴリ: スピリチュアル
前回、「人は皆、課題に取り組むためにこの世に生まれてくる」「魂を磨くために生まれてくる」と書きました。

では、これらをクリアできなかった魂はどうなるのか?
再チャレンジしにまた生まれて(戻って)くるでしょうね。(笑)
それを望んでいるいないに関係なく、解決できなかった魂は、解決するために設けられたこの場所に、何度でも引き寄せられるようです。
地球に引力があって、上に投げたものが自然と地球に向かって落ちてくるように。
それが定められた法則なのでしょう。

「だったら、わざわざ今辛い思いをして解決しなくても、あとででいいんじゃない?」と思う人も当然出てきますよね?
あなたはその苦しみのループにずっとはまり続けるつもりですか?

肉体と切っても切り離せないのがこの世なので、病気やケガに置き換えて考えてみましょう。

ウィルスが悪さをしているのにそれを放置したり、適切な処置を施さなかったりした場合です。

魂の曇りも、曇りの原因がわかる早い段階で消しておけば、自分も納得した上で行いを振り返って反省し、人のせいにせずに消すことができます。
しかし、放置してしまうと、放置した時間の分だけ記憶があいまいに、あるいは消えてしまって、なぜそうなったのか、理由がわからなくなってしまうのです。
この場合の「時間」とは、「過去世(前世)」にまでさかのぼります。

すると人はどうするか?
「人のせい」にするのです。
「こんなひどい目に遭う理由がわからない」と言ってね。
つまり、そもそも記憶がないので「自分がこんなひどい目に遭うはずがない」と思っているのです。

さあ、こうなると厄介です。
今回安倍晋三氏を銃撃した犯人も、母親が洗脳されて全財産を失った時、きっと同じように思ったでしょうね。
私も自分がひどい目に遭った時、同じ思いに駆られていましたから。


あれはアメリカから帰国してまだ間もない頃、「モーゼの十戒」をたまたまテレビで観ていて、迫害する場面が出てきた途端、申し訳なさから涙が溢れ出て止まらなくなってしまったのです。
そこにあったのは「罪悪感」と「自責の念」でした。
私にも何が何だかさっぱりわけがわかりません。
でも、「ごめんなさい」と何度も謝っている自分がそこにいたのです。
自分が今理不尽な目に遭っているのは、自分が人にしたひどい仕打ちのせいだと悟った瞬間でした。


しかし、記憶がなくても自分が犯した罪や過ちは消えてなくならないのです。
だから今の状態があるのだと悟ってください。
そうすれば人のせいにしなくなり、自分自身と向き合えるようになるので。
「謝罪の言葉」も自然と出てきます。

謝罪の言葉が出てくるようになると、自分につらく当たっていた人にも優しくなれます。
それが本当の「優しさ」です。
自分に優しい人に優しくするのは簡単ですし、優しくできて当たり前です。
でも、自分につらく当たってくる人にも優しくできたら、それこそが「本物の優しさ」なのです。

人間関係に摩擦が生じたら、自分の至らなさを素直に告白して謝りましょう。
許してもらえなくても諦めてはいけません。
それも自分が過去に犯した罪や過ちのせいなのですから、許してもらえるまでその人のために尽くしてください。
見返りを期待せずに尽くし続けていると「与える力」とつながり、与える力が和解させてくれます。

トラブルは、大きければ大きいほど、乗り超えた先で手にする賜物は計り知れません。
全くの別人に生まれ変わる人もいます。
自分が新たに生まれ変わり、人との摩擦が消えてなくなると、穏やかで豊かで幸せな日々がやって来ます。
皆さんに、そのような日々が訪れますように。

Seraphim





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Last updated  2022.07.28 20:38:43
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