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2022.08.02
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カテゴリ: スピリチュアル
ブログを始めてから「盗み」や「不倫」の話を聞くことがあり、突き詰めていくといつも見えてくるのは「寂しさ」でした。

「寂しさ」は誰にでもあります。
盗みや不倫に走る人とそうでない人との違いとは一体何なのでしょう?

不倫している人からよく聞かれる言葉に、「私は愛されてこなかった」というものがあります。
誰から?
「母親から」とある女性は言いました。
「母親から愛された記憶がないから自分はこうなったのだ」と。
つまり彼女の目には「母親が愛したのは自分以外の兄弟姉妹で、自分はその兄弟姉妹に母親を奪われた」と映っているのです。

この時、彼女の中には「人のものを奪って(盗んで)もいいんだ」という自分勝手な価値観が出来上がっていて、その価値観を使って悲しむ自分を慰め、納得させようとしたのです。

自分の中に「他人のものを奪うに値する正当な理由がある」と思っているから、不倫した彼女には罪悪感も反省する気持ちもありません。
それどころか、不倫相手がどれだけ素晴らしい男性かを自慢して歩き、優越感に浸っていました。
「母親以上の存在が見つかった」と。
「母親以上」というのは、「母親の愛情を上回る」という意味です。

もちろん、女性が一方的にそう思い込んでいるだけで実際は違います。
男性からすれば責任など取るつもりもなく、単なる遊びなのですから。
責任の伴わない優しさなど愛情とは呼べません。
まやかしです。

では、その男性と縁ができてしまった理由は何なのか?
1つ目に考えられるのは、女性と同じく男性も「寂しさ」を抱えていた可能性です。


彼女がこの時出会っていた女性の1人である可能性もありますし、同じ業により惹かれ合い、つながった可能性もあります。

3つ目は、単純に男性が女性の寂しさにつけ込み、結婚する気もないのに大勢の女性をもて遊ぶプレーボーイ気質だからというのがあるでしょうね。

盗みや不倫をする人たちを探って行くと、盗みを働く人にも、浮気をする側される側にも、過去に「母親の愛情に恵まれなかった」という同じ理由があるようです。
更に、「母親に愛されなかった」という「恨みの念」が強過ぎて、皆自分の行いを振り返って反省することができません。
「悪いのは自分ではなく母親だ」と、全てが「母親のせい」になっているからです。


差し伸べられたたくさんの救いの手を、自ら振り払ってしまうのです。
そしてついには、まやかしの救いの手を取ってしまう。
人から奪うという形で。
「欲しかった母の愛を奪われた(盗まれた)可愛そうな私。今度は私が奪って(盗んで)やる! 」
そうやって仕返しをしないと気が済まないのです。
心の底に恨みがあるのでね。

では、その悪行のもとになっている「母への恨み」を手放すにはどうすればいいのか?
「母の愛」もしくは「与える力(愛)」に気づくしかありません。

続きは次に書きます。

Seraphim





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Last updated  2022.08.08 11:05:58
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