聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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熾天使4444

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2022.11.04
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カテゴリ: スピリチュアル
私はロザリオの祈りが好きではありませんでした。


どこがかといえば、神は人に楽園を与えて下さったのにそこを出たのは人間です。
人間の勝手を今更悔いるのか?
人間にとって都合よすぎる祈りが嫌いでしたし、そもそもそんなことを祈らなくても神は全てを赦し、与えてくれています。
そのことに気づけないのは、ルシフェルの光によってできる人間の闇ばかり見ているからです。

祈るのであれば闇を見ずに光を見て祈ってください。
人間によってできる闇を背にして光を仰ぎ見るのです。
イエス様が十字架を背負ったように。


肉の世界に住んでいれば、闇に身を投じる人間も霊も、悲しいかないるわけですから。

では、何のために祈ればいいのか?

自分も含め、その人達を光へ向かわせるために祈ってください。
それが祈りの本来あるべき姿です。
その際、決して闇を見ないこと! 闇に焦点を当てないこと!
必ず光を見て光に焦点を当てて祈ってください。

罪悪感がある場合、スタートは自分の罪の赦しを請うためであっても仕方がありませんが、いつまでもそのままだと闇から抜け出せません。
自分がしたことは必ず自分に返ってきます。
天に鍔を吐くと自分に返ってくるのと同じです。
その時人のせいにせず、自分が悪かったのだと受け止めて反省し、二度と同じことを繰り返さなければ罪は消えてなくなります。
罪は神が消すのではなく自分で消すのです。

関われない次元におられるので。

私たちは誰のために祈るべきなのか?
全人類のためにです。
決して自分一人のために祈ってはいけません。
みんなのために祈ること。

これを守ってください。

Seraphim





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Last updated  2022.11.11 09:06:20
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