2024年11月24日
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カテゴリ: 哲学研究室


 哲学とは「ナニ」であるのか?

 もちろん答えは決まっているので、それを概説したいわけである。
 オイラには正解の「無知の知」がある。
 それ以外には、客観的には「ありえない」と思うのだが。

 無知の知というこれは実践的学問なのである。
 詐欺にも宗教カルトにもオカルトにも、直には関わらない。
 (万人が哲学者だと認めるカント先生はオカルト好きだったんだが。)

 このカント先生の最も大事な論議に「コペルニクス的転回」というものがある。
 哲学とはナニカ、の論説なのである。
 これを認めない人も、なんと居るらしいんだが。

 そりゃ、哲学つうことを理解できん人だろと思う。
 つまり自己反省が出来ん人だと想像できる。
 哲学は反省でできているからだ。

 この<思惟の大転回>なくんば、哲学ではない。
 日常の思惟とは違うのである。
 なので、これを最初に上げておきたい。


 <思惟の大転回>

 これは哲学の思惟モーメントが、普通の日常の思考とは「逆向きである」ことを言う。
 一度納得していたものを放棄しての。
 自分と言う、因果の時空への再度の統一的逆転。
 先生は、「思惟の選び出した対象を思惟によってどうにかするんではなく、思惟の方を変えたんだ」、という言い方をしてる。

 科学的な客観思惟にムリヤリ主観的反省を持ち込んで解説しようとしたんではない。
 ましてや、パラダイムをとっかえたんでもない。
 (実は科学的思惟には、反省などは、一切なじまない。)

 科分離して理解してたことを捨てて無に還り、自分が無であることを確かめといてから、過去の時間・空間を日常とは逆に、過去へと辿るのである。
 結果的に見出すのは自己の自己性、つまり主観に戻るのだ。


 天動説、地動説を持ち出して、同じ宇宙論パラダイムの逆転を見せて説明することが多いようだが。
 あれは、哲学理論を根本から理解できない人による誤り解説なのである。

 カント先生の論議は、そもそも形而上学(宇宙論)ではないし。
 天動説、地動説といったパラダイムとも無関係。
 もはや科学的思惟でもなくて、むしろそこからの大ケ-レの主張なのである。

 科学というのは、あんたも私も「共有」の、客観的思惟だ。
 科に分離した思惟でもあるので。
 科学に思惟転回とか反省させようなんて、そんなん、ありえん行為なんである。

 そうではなくて。
 対象への思惟の方向、その「モーメント」を180度変える。
 何度も言うが、あんたのパラダイムは無関係。
 問題は「思惟」の、数学的モーメント方向の転回なのだ。


 カント先生は思惟の時空を、架空の場所から取り出して見せたんではない。
 思惟が、あらかじめ当然ある時空へ還った、というべきか。
 経験を伴わない、先験的な思惟となることで、これを可能にしたのだ。
 ウソの思惟になった、んじゃない。
 経験に先立つ思惟として、対象の客観ではなく、そこにある主観を選んだのである。

 非常に曖昧な思惟になるのは事実だが。
 経験に先立つ、あらかじめある、思惟にはなる。
 反省で、自分向いて、180度逆になったから転回なのである。

 だが、もちろんこれで科学的(手法による)思惟ではなくなった。
 超越したんじゃおまへん。
 哲学的思惟になったのだ。

 科学を思惟(反省)するものになったんでもないので、コレ、まちごうたらあかん。
 ここから科学哲学なんていうへんな一派が出て来るんだが。
 詐欺の類だとオイラは思っている。

 そもそも逆向きの思惟になったので、科学的な客観的思惟では、なくなってる。
 科学的な客観的対象認識の思惟を、明晰判明に辿れる「主観的思惟」に変え、しかもその「モーメントを逆向きに」したのだ。

 つまり大転回した。
 180度反対方向向いて、これによって、・・・で「ある」を忠実に辿れるようにし、心身統一的な、「思惟本来の姿」のものとなった。

 人の思惟はもともと、対象認識であると同時に、その対象から見られる認識でもある。 (これはデカルトが明らかにしていた、見る者は見られるものである、という論議。) そういった両面性の(本来の)思惟が実現したと考えるべき。
 もちろん日常の、普通の思惟ではないのである。

 日常と言った日頃のしがらみに囚われない、経験とも無縁な、あえて間違えて言うなら、「純粋思惟」みたいなもんとなった。
 しかし「時空なしの純粋思惟などありえん」ので、これは間違いなのだが。

 「エポケー」を介在させて、時空を中途半端に立たせておいて。
 むりやり実現、実践させた。
 カント先生は「先験的思惟の哲学を主張」したのである。
 (実際には図式のポジ・ネガの力が働いており、見えてない部分があるので、これも十全には正しくはないとは思うんだが。)

 先生は、対象認識の大転回、「ケーレ」、という言葉を使っている。
 だが、客観認識のままでの、対象へ向けての思惟ではないのである。

 客観的に、その逆の、対象(知性)から客観知の方へ向かってケーレは、「できない」はず、なのだからだ。
 なぜかというと客観は、「ネガチブな図式」の支配下にあるからである。
 (これは常識知識からはちょっと難しくて、複雑なオルガノンの法則なので、いずれ解説したい。)

 ともあれ、対象(感性)から主観へ向けての反省的ケーレなのであるのは間違いない。
 思惟が、まるっきし逆転しているのである。
 しかもすでに、お客さん抱いていない。
 客観的認識指向消えうせている。

 主観も客観も、同じく、ともに、もともと「オイラの思惟」である。
 享有でポシティブな・・・である図式を辿るのか、
 共有でネガチブな・・・でない図式を辿るのか、の違いだけでもないのだ。
 (統一的な時空の絡むナニカはあるが、それは見えてない。)

 要は、「現実の時空で」立ち止まって「自分を振り返って、反省するかどうか」なのだ。
 その「反」も実は「享有」についてしか、可能ではない。
 共有については、そもそも反省しても、まったく見えてこないからだ。

 客観は、オイラの代わりに客を立てる、ネガチブな思惟。
 なので、「繰り返す」ことはできるが、「反省」はできないのだ。
 反復はできても、反芻的には決して辿れない。

 つまり科学的認識だと、客を差し置いて「受け取り直しできない」のである。
 (この問題はたいへんな哲学問題、オルガノンの法則が絡むので、短い言葉で説明しても、何のことかわからんだろう。)


 ともあれ、思惟の大転回とは、つまり。
 何かを客にして時空基準をおいて、他の「対象」計量に向かうのではなく。
 思惟のモーメント方向を、その根本から変えて、自己の「本質」に向かうこと。

 転回後の今度は。
 自己の「本質」に向かう自己の自己性、つまり自己の「誠実さ」が命になるのだ。

 自己に何かでも僅かにひっかかりがあれば、それは「事故原因」となる。
 自己の自己性は、「無知」でなければ困るのだ。
 へんな知識が、わずかでもあれば、そいつが邪魔する、ってことだ。

 (だからオルガノンの特異点は、必ず数学的かつ「空虚」だし。)
 (自己反省の転回点は、誠実そのものの「無知の知」、なのである。)


 つまりカント先生のコペルニクス的ケーレは。
 「自己反省による、自省的な(倫理的)思惟なんだ」、ということである。
 これが哲学の始まり、なのである。

 そしてこれは「哲学の本質」由来、なのである。
 科学理論なんぞとは、ぜんぜん馴染まんもの。
 ミコワイ・コペルニク(銅屋のミコワイ)は、カント先生と同郷の先輩である。
 天文扱う科学者というよりは哲学者であり、優れた数学者でもあった人物。

 詳細は本文のつもりで序を始めたが、しょっぱなからつい、ふくれてしまった。
 が、言葉足らずである。
 オイラの哲学史を読んでいただければ、そこにも書いたつもりだが。
 いずれ一節を設けたい。

 **多分、序は延々と続く。








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最終更新日  2024年11月24日 07時10分27秒
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