野澤武史の議 ~鳳凰編~
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神戸のラグビー部には「責任ベクトルを常に自分に向ける」と言う約束がある。例えば、ディフェンスのある部分が破綻して、トライを奪われたとする。大学までの僕であれば、「誰が抜かれたのか、どのように抜かれたのか」を考えていた。そして、原因を追究することによって、組織として同じ様なミスが起こらないことを徹底する。 神戸に入った時、吉田明さんに言われたのが「誰がミスしたかではなくて、その時自分が何をしていたか、何ができたかを考えろ」であった。 ミスが起こる原因には、直接的な理由がある。先程のディフェンスシチュエーションであれば、誰かがタックルミスをしたからなのか、ポジショニングが悪かったからなのか、ドリフトでの内側のプレーヤーのプッシュが遅かったからなのか。しかし、それを指摘しているだけでは、自分の成長がそこで終わってしまう。グラウンドに立っている以上、何かやれたはずなのだ。 ミスマッチやタックルが苦手な選手が目に入った時点でスタートを切っていれば、もしかしたらバッキングアップで手が相手の踵にかかったかもしれない。そんな事をしなくても、一つ声をかけるだけで、そのミスが防げたかもしれない。 これを徹底することで、技術へのこだわりが生まれる。 入部して5年、その意識は、だいぶ僕の中で定着したものとなった。 それを今年は、少し突き放してみようと思う。 責任のベクトルを自分に向けることを意識し過ぎると責任があやふやになる。ミスを指摘することもまた、責任であると思うからだ。一つ問題が起こった時に、それを自分だけの問題としてしまえば、他者との間に一つの壁が生まれてしまう。それを話し合ったり指摘することで取り去ることも、責任のベクトルを自分に向けることと同じくらい大事だと感じているからだ。あやふやにして先に進まない、頭では分かっていながら、なかなか簡単なことではない。***************** 慶應大学時代の同期、藤井慎介がニューヨークへと転勤になる。その送別会が土曜日に開かれた。慎介は現在銀行マンだが、先の兵庫国体にウィングとして出場、見事優勝を収めたメンバー。兵庫国体には神戸の選手も参加していたことからこの日は、慶應時代の仲間、神戸の仲間入り乱れての送別会となった。こんな形でラグビーの輪が広がっていくなんて、思いもよらなかった。出会いとは、分からないものだなあ、とつくづく感じてしまう。 慎介、向こうでも頑張れよ!!! 三宮のお店の入り口にて。後輩が素敵な名前で会を演出。 慎介と筆者。酔ってます!
Jan 21, 2007
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