ある高齢者施設で目撃したシーン。食堂で朝食を終えた高齢者は、その大半が車いすの利用者であり、エレベーター前に行列を作って静かに順番を待ち、居室のある2階または3階フロアへ上がっていく。
自室に向かうかと思いきや、彼らは介護スタッフの詰め所のカウンター前のスペースに集まってきた。30人近い車いすの人たちがカウンターのほうを向いて整列し、お互いにおしゃべりするでもなく、笑顔もなく、怒りの表情もなく、ただうつろな目を向けてレクリエーションが始まるのを待っている。いつまでも。
この静けさ、整然とした秩序が私には恐ろしかった。
もちろん、お年寄りたちは丁寧にケアされている。床ずれを防ぐために、数分おきに車いすの座位を変えるのだという。低反発クッションなども使われている。
おしゃべりが聞こえてこないのは、認知症が進んでいる人が多いからだろうか。それにしても静か過ぎる。不満がないから問題行動がなく、おとなしいと見ることもできる。それでいいのか?
自分の老後について考えさせられた。私にとって、施設での秩序正しい集団生活は耐え難い苦痛を伴うだろう。自宅で孤独死したほうがましだと考えるかもしれない。子どもも配偶者もいない私にとって、孤独死はかなり高い確率で訪れるであろう未来だ。
高齢者の尊厳という言葉が使われる。以前に比べれば、虐待や拘束、放置がなくなり、どの施設でも高齢者は丁寧にケアされているように見える。身体状態の個別性に応じたケアもなされているが、精神状態についてはどうだろうか。
施設の中の高齢者は、それぞれに多様な人生を生きてきた。人生観、価値観、好き嫌い、得手不得手が全部違う。それなのに、施設の中の秩序に嵌め込まれて、息苦しくないだろうか。
管理という言葉を忌み嫌う私の特異な感性がそう感じさせるだけかもしれないが、施設の生活には救いがない、希望がないと私は思った。
ただ、海外に目を向けてみれば、希望の持てる道すじがあることを知った。それは、オーストラリアで行なわれている、ダイバージョナルセラピーである。
入居者が最後まで自分らしく生きられるよう支えているのが ダイバージョナル・セラピスト (DT、直訳すると気晴らし療法士)と呼ばれる職員たちだ。
施設は食事や排泄(はいせつ)など、ただ必要なお世話をすればいいだけではない。DTは入居者それぞれの人生観や、これまでの歩み、趣味などを尊重しながら生きがいにつながる活動をともに探すのだ。「どんな状態の人でも何かできる。老いて失われていた自尊心を取り戻してもらうのです」。DT16年のカリーン・ステントンさん(49)は話す。
(中略)
<入居者の権利と ダイバージョナル・セラピスト (DT)> 1985年に連邦政府が策定した「高齢者施設入居者の権利と責任の憲章」には尊厳と敬意をもって扱われる権利や、家庭的な環境を提供される権利など、22項目が明記されている。
この憲章に基づいた施設への認定監査で心身両面の全人的なケアが重視されるようになり、DTの役割が大きくなった。現在、ほとんどの高齢者施設に1~2人配置されている。
40年代、レクリエーションを専門とする作業療法士と赤十字とが共同で戦争の負傷兵に対する精神的なケアを行ったのが活動の始まりとされる。76年には オーストラリア DT協会設立。会員は約3千人。国の資格ではないが専門の教育機関で2年かけて養成する。
日本でも02年にNPO法人日本ダイバージョナルセラピー協会(大阪市、 芹澤隆子 理事長)が発足した。
以上、朝日新聞2006年12月7日大阪朝刊より
こちら の探訪記をご覧ください。
マーブルチョコレートの気持ち 2011年12月07日
10年日記をつけています 2011年11月01日
害のない話 2008年04月16日