いまにして思えば、父は要介護老人になるかどうかの瀬戸際だった。
人工股関節の手術後に感染症を起こしてしまい、1カ月で退院できるはずが、入院が3カ月の長期に及んだ。通院治療に切り替えたものの、ある日、高熱で痙攣を起こし、救急車搬送で再入院となった。
容態が安定し、通院治療で様子を見ようということになったが、いつまでたっても手術したところの傷口がふさがらず、化膿と炎症がおさまらなかった。血液検査をすると、悪さをしている細菌の存在を示す値は中々ゼロにならなかった。
好きなお酒を断って炎症を防ぎ、希望を捨てずに治療に専念したのが幸いしたのか、手術後半年になろうかといういまになってようやく傷口が塞がりつつある。医師が慎重に処方してくれた抗生剤が効いたようだ。
今年75歳になる父は、「まだまだ子どもたちの世話にはならない」と言って、仕事を続けていた。勤め先の好意で療養中は休業扱いにしてもらい、正社員としての地位は保全されている。1日も早く職場復帰したいと父は焦り、温厚な人にしては珍しくイライラをぶつけることもあった。
「なにも悪いことはしていないのに、なぜ、治らないのだ!」
医療ミスだと医師を恨んでも解決する問題ではない。担当医は激務による過労とストレスで入院してしまった。代わりに受け持ってくれた若い医師は、「恐らく、筋膜を縫い合わせた糸に細菌が付いていて感染を起こしたのでしょう」と認めた。
ネットで調べてみたら、人工股関節の手術は感染症のリスクを防ぐため、医師が宇宙服のような防護服を着て行うらしい。それでも感染症の発生をゼロにはできず、病院によって1%~5%発生している。やはり高齢者の感染が多いようだ。
私にできることといえば、朝夕の食事を共にしてなるべく会話し、気持ちを受け止めるようにすることぐらいだった。
母は、父の願いを渋々受け入れ、父の代わりにパートで働きに出た。72歳。見た目は若いが身体は正直だ。腰が痛い、仕事が覚えられない、この年になって働かされるとは夢にも思わなかった、なんのための人生か……と怒り、悔しがる母を養えない甲斐性なしの私は耐えて聞くしかない。父はもっと辛かっただろう。
父は偉かった。体調が回復し、足が動くようになってからは、「何もしないで寝ているよりはマシだから」と、専業主夫の仕事を始めた。昼間のテレビの料理番組を見て、作ってくれる料理の美味しいこと。チキンのマスタードパン粉焼き、電子レンジで簡単にできる蒸し茄子、シシトウと茄子の甘味噌炒めなどは秀逸の絶品!
長年、魚屋で包丁を握っていたとはいえ、家庭料理などは作ったことがなかった人だ。さすがに、頭のいい人は違うと思った。なんというポジティブな姿勢!
朝食のあとで必ず「今晩のご予定は?」と聞かれるので、ここしばらくは夜遊びを控え、なるべく父の手料理をいただくようにしている私であった。
「もう年だから、このまま寝たきりになっても仕方がない」と諦めてしまったり、病気を苦にするあまりに思い詰めて「老人性うつ」を発症し、やがて認知症に至ることも十分考えられたが、父はそうならなかった。偉い!
そんなことを思いつつ、じっくり味わうようにして読んだ新聞記事がコレ↓
八百屋の息子に生まれて1世紀。東京都文京区の青果店「渋木商店」の2代目、渋木重太郎(じゅうたろう)さんは5月に100歳の誕生日を迎えた。戦争などで店を離れた時期を除き、いつも新鮮な野菜と果物に囲まれてきた。今も現役店主として元気に働いている。
「健康の秘訣(ひけつ)は働くこと。趣味は仕事」と言い切る。
(2008年9月12日 読売新聞)
男性のみなさん、ボケたくなければ、寝たきりの廃用症候群になりたくなければ、年をとってから「主夫」を始めてみるのもいいかも![]()
女性はもちろん、外の世界で美しく羽ばたきましょうね。仕事でもいいし、余裕があれば社会貢献活動でもいい。
何かの役割を担い、活動を通じて達成感や自己効力感を味わうことが、最良のボケ防止、介護予防になるのではないかなあと思うのでした。もちろん、心身の機能が衰える前から活動を始め、食事と睡眠、休養には十分気をつけ、長く機能を維持できるようにすることが大切ですね。