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アップアップ(いっぱいいっぱい、とも言う)の状態の人がいる。切羽詰っていて余裕が無い。走り回っていて、立ち止まれない。親や、兄弟が、友達や、同僚が「おい大丈夫か?こうしたほうがいいぞ!」と言っても、聞く余裕がない。目を白黒させて走っているばかりだ。もっとも本人は冷静に、ひとつずつ処理しているつもり。本人は、ちゃんと責任を取って、しっかり業務指導しているつもり。でも、同窓会には行かない。帰省もしない。彼は、毎日夜遅くまで、休日も返上して、一生懸命にやっているつもりなのだ。もちろん、回りにいる人も一生懸命やっているのは知っている。だから、大きい文句は言われない。でも、今日の仕事は片付いても、長期的な仕事の準備は手付かずのままだ。夢を追う仕事も後回し。どころか、それを考えている人間を叱責する。そして、今日も忙しい。アップアップだ。また次の仕事に取り掛かる。大きいプロジェクトだ。数年前からそうなるだろうとわかっていたプロジェクトだ。でも彼と彼の部下たちは、何も準備していない。今日も、アップアップおぼれながら、仕事をしている。記:とらのこどもps かつて、わたしもそういう時期があった。今は違うと思っている。 だからこそ、そういう人を見ると、無性に助けたくなる。
2008.01.12
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毒のある人毒のある人がいる。神経毒もあれば、肉体的な毒もあり、環境を汚染する毒もある。どの毒も、周囲に迷惑をかけることには変わらない。私が一番、困るのは、やる気を阻害する毒だろうと思っている。その人といると、どうしてもやる気がおきない。。。そういう人がまれにいる。その人自身は、やる気の無い人かと思えば、逆にやる気満々。声もでかいし、態度もでかい。頭もすごくいい。そういう人は、目と額が異様に大きく、逆三角形。仮面ライダーにちょっと似てるかも???下の人間への配慮も行き届けば、顔も下膨れの福顔になってバランスがとれるんだろうなあって思う。毒は周囲を毒して、毒を持つ者の身を守り、そこそこ成功すれば、今度は自分の身を毒で苦しめる。毒自体には罪は無い。要は、毒の使い方、タイミングにありというべきか。ネコの爪は、収納自在。毒を持つ人は、ネコの糞を煎じて飲めば、良いかも知れぬ。記:とらのこどもPS さて女性にとっての毒のある人はとみれば、男らしい憎い奴。心を奪う憎い奴。かもしれないが、毒抜きすれば魅力も半減。できれば、自然のまま鑑賞がよろしいかと。いかがでしょう?毒にも薬にもならぬ男に、魅力はないでしょ??
2008.11.27
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山に行き、林に入る。木々がうっそうと繁っている。木の向こうに木があり、さらに奥の方に、左右に林が広がっている。目の前には、木々の壁ができて、林の先のほうは見通すことができない。ところが、夜の空には星々がまたたいているけれども、星の壁では無い。全天、星に蔽い尽くされていない。黒い部分がいっぱいある。即ち、宇宙が有限であることを夜空が教えてくれている。これから先はなんとなくの感想なのだけれど、宇宙がひとつだけ、というのはあり得ることだろうか?ひとつあるなら、もうひとつあってもおかしくないような気がするのだ。50個も、100個も、それこそ無限の宇宙があって良さそうなものだ。ぶどうの房は、ひとつだけより数十個固まってこそぶどうらしい。きっと宇宙もそうだろう。親宇宙があり、子どもの宇宙があり、孫の宇宙もある。大きい宇宙もあれば、小さくってかわいい宇宙もあるに違いない。植物人間状態が、人と呼ぶのに残念ながらふさわしくない。それは、意識の有無だろうと思うのだけれど、思念というものが、宇宙のどこかからか、この宇宙の、この太陽系の、この地球の、この日本の、この私に宿った。この奇跡に感謝したい。あらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がりは、この私の思念のなかにもある。この相対性こそ、思念の故郷を示している。なんとなく、そんな気がする。その世界も、きっと黄金比の世界なのかなあと。。。奇跡に気付く「インプリント」が、人の思念の中にあるのだ。欲望ばかりの世界にいてはいけない。そうササヤイテイル。記:とらのこども@休日再掲シリーズ さて、その宇宙。科学的には、有限で丸いブドウの房ひとつのようなもの。 が常識だ。本当にそうなのだろうか? 宇宙って、もしかして、たくさんあるんじゃないの?という考え方もある。 その考え方を、多重宇宙論というらしい。 参考/多元宇宙論:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%85%83%E5%AE%87%E5%AE%99
2008.11.08
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生きるとは、生き抜くことだ。憐れみなぞ、かわいそうなぞ、思われても、死んでしまえば何にもならぬ。世界中を全て敵に回しても、生き抜くのだ。正しいだけでは意味がない。強くなくては。上記の元の言葉は、ユダヤの格言より。 さすが、ユダヤは違う。 日本人にも同じ凄みがある。少し忘れかけているだけ。 めだかも同じ、たんぽぽも同じ。 まして、人において思いや如何。 記:とらのこども
2008.11.30
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