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2025年01月21日
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カテゴリ: カテゴリ未分類


享年97!もう本当の大往生と言って差し支えないだろう。
非常に寂しいことではあるが…。

NHKやテレ東の歌唱映像を見たり、SP盤を集めたりしていた私が
生で歌謡ショーを見るようになったのは、2003年以降のこと。

その頃で、大ベテランの位置にいたのがが田端義夫と青葉笙子。

昭和20年代デビューのベテラン歌手が岡本敦郎・三條町子・
久保幸江・安藤まり子・初代コロムビアローズ。

その下の「昭和30年代スター」の中で中心的な位置にいた歌手が
「Wこういち」のお一人、三浦洸一さんだったように思う。


出なくなって久しく、近年は見に行くこともなくなった。正月の
12時間放送も、所々しか見ていない。大津さんも体調を崩されたと
聞いたし、こまどり姉妹も妹さんがソロで歌うようになっているし。




昭和30年代前半の大スターだった三浦さんだが、当然デビューは
昭和28年。2月にNHK・8月に日テレが開局した、テレビ元年の
ときのデビューである。

お生まれは昭和3年(1928)の元日。神奈川県三浦市のお寺の三男。
東洋音楽学校(今の東京音大)を卒業後、吉田正門下生となる。

昭和28年にビクターから「さすらいの恋唄」でデビュー。芸名の
由来は当然生まれ故郷からで、本当は「三浦光一」にするはずが、


「さすらいの恋唄」は小ヒット…という感じだったみたいだが、
次の「落葉しぐれ」が大ヒットしてスター歌手の仲間入り。
その後は「弁天小僧」「あれが空似というものか」「東京の人」
「あゝダムの町」「踊子」「街燈」「釧路の駅でさようなら」など、
数々の大ヒットを飛ばした。


東京12チャンネル「なつかしの歌声」に多数出演。
大晦日「年忘れ大行進」には、昭和45年「第3回」以降、ほぼ毎年
出演されていた。

ところで…今回の訃報の中で、日刊スポーツとデイリースポーツに

見出しが
書いてあったが…そんな括りは聞いたことがない(笑)。

これ、だいぶ昔に歌手協会の現理事長と銀座で飲んだことがあり、
そのときに 「『春日・三橋・村田』で『三人の会』だけど、本当に
昭和30年代前半で人気があった並びだと『春日・三橋・三浦』か
『春日・三橋・若原』じゃないの??」 という話題で盛り上がった
ことがあったのだが、それをどこかで誰かが書いたか、又聞きで
書いちゃったんじゃないか?とも思ってしまった(笑)。

まあ確かに、人気は「春日・三橋・三浦」だったかもしれないが、
それを「トリオ」「御三家」と呼んだ活字は見たことがない!
誰が書いたんだ?この見出しは。

…話がズレた。元に戻して…。

私は小さいころで記憶が曖昧…というか殆ど覚えていないのだが、
昭和58年には「笑っていいとも!」にレギュラー出演!おもしろい
おじさん枠(?)での出演だったみたい。どういうこっちゃ??

2011年ぐらいまでは、歌唱力が衰えつつも舞台に立たれていたが、
2012年7月の靖国神社での「みたままつり・奉納歌謡ショー」が
最後の舞台になられたようだ。




三浦先生の他界で、日本から「折り目正しく真っ直ぐに歌う
歌手」は絶滅してしまったのかもしれない。まあ、こう書くと
一部で炎上するかもしれないが、そう思う。

私は後年の舞台しか見ていないので、やや衰えた歌唱の印象が
あるのが残念ではある。それでも生で数々の大ヒット曲を聴けた、
生の舞台に多く間に合ったことは、財産である。

個人的に好きな三浦さんの歌だが、やはり「街燈」は外せない。
レコードでは勿論知っていたが、平成9年の「第28回・夏祭り
にっぽんの歌」で初めてテレビ歌唱バージョンを聴けて、より
好きになったのを覚えている。

あとは「弁天小僧」だろうか。私が昭和歌謡ファンになった
キッカケの1つは春日御大の「お富さん」だが、平成2年の
大晦日「第23回・年忘れにっぽんの歌」で、「お富さん」と
「弁天小僧」が立て続けに聴けたのは嬉しいものだった。
このときが「弁天小僧」の初聴きで、まだ小6だったからか
一発で覚えて、よく歌っていたのを思い出す。

渋いところだと、手拍子ものの「あれが空似というものか」も
捨てがたい。十八番の文芸ものだと、やはり代表曲のひとつの
「踊子」になるだろうか。

テレビ東京では、大体メジャーな歌しか歌わなかった(歌わせて
もらえなかった?)三浦さんだが、昭和49年1月の「なつかしの
歌声」では、珍しく「釧路の駅でさようなら」を歌っている。
この歌も好い。

この歌は、確か2005年か2006年の「歌謡祭」で歌っていて、
目の前で聴けて大感動して、小声で歌っていた…ゆうぽうとの
客席で(苦笑)。

あと「東京の人」も好きなのだが、この歌はあまり目の前で
聴けなかった記憶がある。この歌は昭和46年大晦日の歌唱が
素晴らしい。折り目正しいステージマナーも含めて。

「落葉しぐれ」は、大晦日初登場の昭和45年の歌舞伎座の
テークがいい。歌いだしで客席から拍手が来ていて、まだ
この時点では、あまり「懐メロ歌手」ではなかったことが
伺える。

あとNHKの「ビッグショー」で、高島忠夫をゲストに招いての
ワンマンショーがあって、この回も凄かった。滅多にテレビで
歌わない「流転」(上原敏と別曲)や「舟唄」(八代亜紀と別曲)も
歌っていて、感動したのを思い出す。

歌は最高!でもトークが…(苦笑) | 日日是口実 - 楽天ブログ

今になって読み返すと酷い文章だが(笑)、確かに全然フリーの
トークが出来なくて、高島忠夫が進行していたんだった。




1月11日に老衰で亡くなられたという。97歳になったばかり…
ということだ。ここ2年近くは入院をされていたようだし、
ご家族は、さぞ大変だったかと思う。

本当なら、NHKもテレ東も追悼特別番組を編成するほどの
スター歌手なのだが…まあ、多分やらないだろうね(嘲笑)。
BSテレ東の「プレイバック~」ではやるだろうけども…。

とにかく日本歌謡界の大きな大きな星が、また消えた。
三浦洸一さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。





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最終更新日  2025年01月21日 22時16分01秒
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