辞書も歩けば
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「有する」の不思議「有している」なんて、おぞましい日本語を書く人がいる。 もともと、「有する」というのは特殊な場合にかぎって使われるものである。「この物質には~の特性がある」と言ってもさしつかえないところを、それでは日常体の謗りを免れないと思うのか、もう少し格好をつけたいと思っていきがるのか、「この物質は~の特性を有する」と書くことが多い。 本来、「有する」という表現がなくても、困ることはない。もちろん、使いたい人が使うのは別にかまわないが、「有する」はもともと、活用の不自由な動詞である。「ある」の否定は何か。「あらない」ではなく、「ない」である。(大阪語では「あらへん」と言う)「有する」の否定も「有しない」、「有さない」と活用できなくはないけれども、どうも美しくない。ムリヤリ活用させた印象がある。 スペイン語などには、活用に空白のある動詞があるが、日本語の「有する」もそれと同じように、「有する」という活用にかぎって使うのがいいと思う。「有しない」とするくらいなら、「持たない」とする方がまだしもよいと思えるほどである。たとえば、「書く」のいわゆる進行形は「書いている」である。「持つ」には「持っている」という形があるが、それは日本語の「持つ」には掴むという動作を表す意味があるからで、それと区別して所有の意味を表すためには「持っている」という活用が必要になる。ところが、「ある」、「有する」はもうそれだけで所有の意味を表している。「ある」を進行形にするとどうなるか。「あっている」なんて無様な形になってしまう。 ここまで言わないと、「有している」がありえないことがわかってもらえないのだろうか。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。
2007年03月04日
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