全17件 (17件中 1-17件目)
1
以前にも書いたが、もっとも就きたくない職業だった、「先生」。理由1は、人前で話すのが苦手。理由2は教え方がわからない。先生といっても、中学、高校、大学、進学塾、そしてビジネステーマのセミナーによって2つの理由の中身はかなり違うとは思うけれど。今は、ビジネステーマのセミナーを生業の一つとしていて、理由1は完全に克服。理由2も、長年の経験で得意分野になっていることを教えるわけだから、これも、まあ克服。大学での講義は2,30名の大学生を相手に一度だけした。また、新卒の新入社員教育も一度した。20代の男女の若者を前にした講義はやはりやりにくかった。人前緊張はないけれど、反応が多様で、理解しているのかしていないのか、伝わってこない。で、指名して質問してみるのだが、ほとんど正答が返ってこない。話していることが難しすぎるのか、自分が興味あること、話したいことを言いがちなのか。でも、学生、新入社員でなく、多様なビジネスマン相手の講演、セミナーでも、アンケートや、講演後の懇親会で、「共感できました!」って言われ、それがたとえ数人でも、理解して頂いたと、自己満足にひたり、いい気になっていたが、案外それは数%で、ほとんどは共感できていないのかもしれない。確かに、知人の聴講者に、「難しすぎる」とか、「話が飛躍していて理解できない」と率直な意見を言われたことがある。でも、聴講者も、学生、新入社員も、多様だから、全ての人が理解できるような話にすると、聞き手も面白くないと思ってしまうし、こちら話し手も話す気力、モチベーションが下がってしまう。テキストやプレゼン資料を作っていても面白くない。今回のテキストは、自分が納得がいくように、一般論ではなく、経験や、自分の考えを全面的に入れた。作成中は、かなり集中して、楽しく書いていた。講義は、2日後。相手は、20代の男女3名。話すテーマについては未経験者。Webではないので、反応はわかりやすいが、どうだろう?入り口でつまづくのも嫌だから、最初の10分は、専門的な話ではなく、経験談的なお話しをするよう、急遽追加。明日、一日、また色々、修正するだろうなあ。。。特に夜に書いたテキストは、朝みると、直したくなる。前日、徹夜にちかく書き上げたテキストは、直しようなないので、さぞかし、酷いだろうなあ。これは、激しく反省しないといけない。
2020年06月28日
コメント(0)
日記のタイトルを書き始めたその瞬間、大きなマイナスからプラスに揺れた。仕事をしてても、ジムでトレーニングをしてても、その移動の電車の中でも、揺れてる。自分が取るべき態度について。駆け引きとは全く違ってる。とことん相手を信じて、相手の立場で考えると自分に誓ったけれど、相手の立場というか、相手にとってプラスかマイナスかを考えた時、揺れる。 自分にとってのプラス・マイナスを無視したとしても。相手に対して思いやりの気持ちを持つことは当然。それと、相手の期待通りの言動をすることと両立しない。そこが揺れの最大の原因。もし、相手にとっての幸せとか、期待、希望について勘違いしていたとしたら。。。どれほど長く付き合っていたとしても、いまだ勘違いしていないとは限らない。自分にとってあまい勘違いをしているかもしれない。同じ人間なのに、どうして相手のことはわからないのだろう? 男と女の違い?夏目漱石や、宮本輝、五木寛之、渡辺淳一、村上春樹それ以上に司馬遼太郎、吉川英治を読んだ。必ず、男女が登場するが、みな男の立場だ。女流作家は。。。江國香織を2,3冊読んだが、難解だった。。。ちなみに、恋の領域ではなく、愛の領域。相手に幸せになって欲しい、生きててよかったと思ってくれること。なんだけど。。。
2020年06月27日
コメント(0)

読書メモの量がかなり多い著作。「先延ばし」にしない技術をほとんど実践してなく、「先延ばし」にしがちな理由、心の持ち方、習慣になるほど!とうなづくことが多い。習慣本は、試行的にせよ、実践してみて、よければ習慣にするのが鉄則だということも理解できる。で、自分が先延ばしにしていることをざっと書き出したら、9項目あった。書き出したのは、1,2ヶ月前。で、現在、今だに延ばしている項目は、7項目。78%!「先延ばし」にしない技術を実践していない、ということだ。。。「先延ばし」にしがちな理由も、この本にはちゃんと書かれている。最大の理由は、「将来の目標が明確でない」ということだ。明確にした上で、毎朝、それを思い起こし、今日そのためになすべきことを最優先で実施し、「助走」のための他ごとをしない、とある。読み終わったあとも、「助走」が実に多い。自覚はあるが、少しくらいとか、朝は、血圧が高く、アイドリングが必要だとか、色々自分に言い訳をして、すべきことの着手が、遅い。でも、たしかに着手をすれば、集中できるのである。まず、始めてしまう!というのは、正しいと思う。それはさておき、昨夜、3時過ぎまで寝付けず、朝のテンションは非常に低かった。しかし、今日は、新規の契約ができるかどうかの重要な顧客との会議があった。きっと、疲れた顔を悟られ、会議中のテンションもお互いに下がると心配していた。けれど、会議が始まったら、スイッチは入った。いつも自分には、聞き手に回り、自説を主張することは、抑えなければと言い聞かせているのであるが、今日は、その心配もないと思っていたけれど、抑えているつもりではあったけれど、相手に、「相変わらずパワフルですね」と言われた。以前は、「マシンガントーク」と言われていたので、それよりはマシであるが。でも、結果としては、新規の契約はできそうである。スポット契約ではなく、定額、年契約。売り側にとって、これほどありがたい契約はない。起業したてのころは、定額、年契約は5件あった。それが、昨年春、起業5年目で、一時期、1件で、あとは、海外のスポット契約。先が見えない不安で、眠れない日が続いたけれど、今日ので、4件にまで戻った。戻ったのが、7月なので、持続化給付金は、満額受け取ることができた、これも、大変幸運だ。あと、家賃補助の方も、昨年の5月から12月までの売上に対し、今年、総額で50%減、もしくは、3ヶ月連続30%減の場合、給付される。後者の方の可能性はあるかも。。。今、給付金を投資に回す事業主がいると聞くが、投資先が、コロナバブルにはじけてる先だとすると、なんだか、おかしい気はするが、プロの投資家は、にわか投資家の動きで混乱させているというから、まあ、おかしくもないかもしれない。タイトルと、日記の内容が変わってしまった。。。
2020年06月25日
コメント(0)

特に目的地を目指すわけではなく、方角と、片道時間を決めて歩き始める。今日は、北方向、1時間と決めた。車でよく走る道であるが、目に留めたこともないお宮を発見。☆のマーク。神社ではなさそうだ。少し中に入ってみたが、鳥居らしきものと、社があった。 社の近くにはロープが張ってあって、入れず、すぐに出た。一応、マスクを持参して歩いたが、一度も使わず。「マスク着用はメリハリをつけて」と、TVで誰かが言っていた。マスクについては、あまりにいろんな意見があり、混乱するが、電車内と、買い物の時はするようにしている。以前は歩く時もしていたが、まあ、必要ないと判断。10キロのウォーキングは短いが、もし、毎日歩くとしたら、2時間、1.5万歩なので、日常的にはこれくらいがいいかも。今日は、スピッツを聴きながら歩いた。去年の春の東海道53次は、スピッツをよく聴いた。スピッツの初期の頃のものは、最初聴いた時は、今ひとつで、「君が思い出になる前に♪」くらいから、スピッツらしい、美しく、ちょっと切ないメロディーラインになる、って感じたけれど、何度も聴くうち、初期の頃のヒバリのこころ、夏の魔物、裸のままで、魔女旅に出る、惑星のかけらあたりも、なかなかいいなあと。東海道の18日間の一人旅と、周りの風景、心の中と結びついて郷愁とは違うけれど、懐かしい感覚なのかも。特に、今年の春は東海道を歩けなかったので、なおさらだ。来年の春。 まだ10ヶ月近くあるけれど。歩きたいと切に思う。いつも一人歩きだけれど、なぜか、寂しくない。来年は、寂しくないかと、少し心配してる。
2020年06月24日
コメント(0)
「先延ばし」にしない技術、という本を昔、といっても、1,2ヶ月前に読んだ。自己啓発本は、読みながらマーキングした部分をEvenoteに書き出している。以前は、エクセル日記に、「読書メモ」のシートを作り、読んだ本とリンクしていた。けれど、Evernoteは、パッドでも、スマホでもすぐにチェックできるので、今のベストな方法。 どの習慣本にも書かれているけれど、本を読んで、それを自分で実際にやってみないと意味がない。今日は、それを書きたかったのではなくて、「先延ばし」にしない技術の中に書かれている、「成功するためには、未来から逆算して、現在の行動を選択する習慣をもつこと」「重要でないことに気持ちがとらわれてしまう3つの理由 ①目標がはっきりしない、②簡単で楽しい、③理由(一生懸命)を提供してくれる」について、人間関係(友情にしても、恋心にしても)に心が囚われているとき、過去に何度もあったけれど、先延ばしにしてはいけないことができない。①の目標が非常にはっきりしていて、強く達成したいと思えば、現在すべき行動ができるのだろうか?過去、心が囚われたのは、3度ばかり。昔は、勉強が手につかない。少し昔は、仕事が手につかない。その期間は、長くて半年。こうなるような人間関係は、気配を感じた時に断つべきかもしれない。自分の目標に向けてプラスになる関係を選択しなさい、って事だろう。しかし、元々は、プラスになると思って築いた関係も、変化することだってある。こういうとき、マイナスに転じると感じた時に断てるのだろうか? また、プラスに戻すよう、話し合うべきだろうか?けれど、人間関係だから、相手がいる話。相手にとって、自分がプラスか、マイナスかって、考えることも必要だろう。じゃあ、自分にとっては、プラス、相手にとってはマイナス。自分にとってはマイナス、相手にとってはプラスという場合はどうする?自分が選択するのか、相手が選択するのか。。。こんなことを考え始めたきっかけは、些細なことだけれど、きっと、急ではなくて、表には出ていないけれど、ゆっくりと進行していたかもしれない。それに自分は気づいていないとしたら、相手の思いやりや、がまんが大きかったのだろう。いずれにしても、堪える。けれど、先延ばしにしていない、大事な仕事がある。仕事はあるけれど、「目標」って。。。まずは10年先の目標は立てているけれど、本当にこれらが実現したら、その時、幸せだと感じるのだろうか?将来ではなく、数ヶ月前、本当に幸福感に満ちていたのだけれど。。。
2020年06月23日
コメント(0)
昔、といっても、2008年から10年頃、この日記に小学校、中学校の時の日記を見つけて読み返したことを書いていた。自分のことながら、面白い。おかしい、というのではなく、興味深いというか。。そこに、幼稚園時代や幼稚園前の事も、カテゴリーに追加して、いつかは書こうと宣言していた。 けれど、今まで書いてなかった。日記じたい、2012年から中断していたのであるが。。。で、幼稚園時代。もちろん日記は書いてなくて、記憶のみ。2,3の出来事を覚えている。一つは、幼稚園の先生のこと。好きだった。やさしくて、きれいだった。それで、大学生になって、アルバイトで、世論調査かなにかで、なぜ、わかったか、全く記憶にないが、その先生のお宅を訪問した。相変わらず、若々しく、きれいだった。そして、僕の事をしっかり覚えていてくれた。しかし、どうして、住まいがわかったんだろう?先生の名字すら、今は、覚えていない。もう一つは、学芸会?のこと。狼と七匹のこやぎの劇で、自分は時計に隠れるこやぎの役だった。最後に助かった時に、母ヤギの前で喜んでぴょんぴょん跳ねる様子が本当に真に迫っていて、良かったと幼稚園の先生やらに褒められたこと。さらにもう一つは、これも学芸会だったかと思うけれど、先生に「ピアノが弾ける人は?」と言われて、威勢よく、「はい!」と手を上げたこと。先生に褒められようと、一生懸命練習した。全て、先生がらみだ。。。今はもう、顔も全く浮かばない。。。
2020年06月22日
コメント(0)
自分のブログで、カテゴリー「夢」を読み返してみた。読み返すといっても、10年近く前の夢の事で、書いたことすら覚えていないが。奇妙な夢を見た時に書き残したと思うのだけれど、あまり尋常な夢ではない。ブログには書き残していないけれど、一時期、切ない夢をよく見た。最近は、夢じたい、あまり見ないが、奇妙な夢も、切ない夢もみない。現実的な夢だと思う。で、切ない夢は、いつもパターンが決まっている。誰かはよくわからないが、付き合っていた女性と長らく連絡を取ってなくて、はっきりと別れたわけではないけれど、いつの間にか、疎遠になっている。それをふと思い出して、それも、大きな後悔を伴って、「あの人は今どうしているんだろう?」って胸が締め付けられる思いになる。いつの間にか疎遠というところが、自分のせいらしい。そこがはっきりしないのだけれど、夢だから、寝てるまに距離ができてしまったような感覚。全く同じ夢ではないが、3,4度は見た。昔、フロイトの夢診断が流行ったけれど、自分の脳内で起こっていることなので、なにかを示唆しているんだろうなあ。心底、幸せな夢を見ないのはなぜだろう?
2020年06月21日
コメント(0)
学時代と、会社に入って25年目までは、自分が「先生」として人に教える立場になることは全く考えもしなかった。 というか、もっともやりたくない職業の一つだった。「教える」ということと、大勢の「生徒」の前でしゃべる、ことと、2つの要素があるが、特に後者は、絶対に向いていないと思っていた。なので、教員資格を取得しておこうとかも、全く考えず。それでも、相手が一人である家庭教師は、貧乏学生で、しかたなくというのと、人とのコミュニケーションに慣れるため、修行的な意味合いでした。しかし、家庭教師の成果としては、今ひとつ。自分自身、塾の経験がなく、我流で受験勉強をしてきたのと、その受験勉強も、理系の大学に絞っていたけれど、興味は、世界史や国語で、数学や物理の勉強はほとんどせず。高校受験までは、特に数学は、勉強は学校で授業を聞くだけで十分だと思ってた。大学受験の時は、数学や物理の勉強もしなきゃと思ったけれど、「定理」や「公式」の意味を考え出して、深入りし、塾で教えてくれるであろう受験のための勉強法はまったくせず。前置きが長くなったが、「受験」が目的で家庭教師を雇うのだろうけれど、その目的での教師としては、まったく資格がなかったのである。教え子もそこを悟ったのか、受験勉強は独学や塾でして、家庭教師の僕に求めるのは、「雑談」というか、受験と関係のないこと。それでも、数学の問題集くらいは解かせた。でも、教え子が解けない時、例えば図形の問題で、補助線をどこに引くかがポイントだけれど、それをどう教えたらいいのか?「直感」で引くのだけれど、「直感」の説明ができない。どんどん話がそれるが、「教える」と「大勢を相手にしゃべる」のどちらも適性なしと強く思っていた。それが、今では「先生業」が本業に近い。ただ、その先生業が、「大勢相手」ではなく、「カメラ1台」に代わってしまっている。今日は、180人がWebセミナーに参加。質疑は、Q&Aに書き込んで、それをあとでまとめて回答。よって、90分×2テーマ中、一方的にしゃべり、相手の反応もわからず。「大勢相手」が苦手というか、不可能だった頃は、逆にありがたいと思ったかもしれない。今は、相手が数100人でも、悪い意味での緊張はしなくなり、カメラ相手ではやりにくいと想像していたが、意外にもやりやすかった。聴講者を前にすると、熱心にメモをしたり、うなづいている人も見えるが、寝ている人も見えてしまう。きっと、Webセミナーだと、相手側にカメラもマイクも殺しているので、全くこちらから見えないがゆえに、きっと、半分寝ている人も居るに違いない。主催者からは講演料を頂くが、聴講者は無料なので。。。ということで、想定に反して、初回のセミナーはまあまあやりやすかった180分。次回からは、人数を2,30人に絞って、同じ内容で。6時間のセミナーを9回。これはさすがに間に質疑をいれないと、聞く側がたまったものではないと思う。先生業として、Webは、いろいろ試行錯誤して、自分なりにいい形を作っていくんだろうなあ。
2020年06月20日
コメント(0)
大学時代、一時期、精神安定剤を飲んでいた。21か22の頃だったと思う。青春真っ只中。自分には兄がいたが、「思春期はなかった」と言い放っていた。一方、弟の僕は、モラトリアムあり、春を思う気持ちはあるけれど、行動はせず、自分の勉強部屋の外に植えてあった沈丁花や、誕生月に植えてもらったさつきを眺めて、空想の世界に飛んでいた。大学の授業は、本当につまらなかった。1時間以上、席でじっとしているのが耐えられず。そのうち、大学の授業もほとんど出なくなったが、出ているときも、一人で、誰とも話さず、一人で弁当を食べていた。安定剤を飲み始めたのは、15歳の少女との淡い、プラトニックな関係が終わってからではなく、その最中。 お互い、何も経験がなく、いろいろ起こってくる感情に対処できず、何気ない一言で傷ついたり、傷つけたり。大学の授業に意味を見いだせなく、もっと何かすべきことがあるのでは、と悶々とし、閉じこもっていった。精神安定剤を思い切ってやめた時にわかったのだけれど、薬は、鋭敏すぎる感覚を鈍らせていた。鈍るから、対人的にすごく楽になっていた。人と話をするときに、落ち着いていられるから、自分からあいさつをしたり、人と関わることが苦でなくなり、饒舌になった。親からは、「僕らしくない、おかしい」と言われつつ、楽だったから、薬を飲み続けた。けれど、少女の言葉によって、傷つき、精神安定剤を大量に飲んで、ガス栓を開けたこともあった。電話がかかってきて、起きて、電話に出て、ガス栓を閉めた。先生には、たいそう怒られたが、それ以上の何もアドバイスはなく、その後、異動で新しい先生を紹介されることもなく、自分で新しい病院へ行った。そこでも、「自分で判断して病院に来た野ですか?」と聞かれ、「そうです」と答えたら、「じゃあ、大丈夫ですね」と。その病院も自分の意思で行くのをやめた。そして、薬をやめた。そのときの感覚は今でも覚えている。すごく鋭敏で、感じやすい感覚になった。それは、人と接する時は、辛かったけれど、外の風景や、音や、すべてのものが新鮮で、鮮やかに感じられた。自分らしさが戻った気がした。対人的な恐怖感は、時間がかかっても、なんとか、自分で直していこうと決心した。
2020年06月19日
コメント(0)
自分史は、毎年、1年を通しての最大のイベントを、そして、毎月のイベントは、2010年頃から書き始めたけれど、ここ数年は、それが非常に充実して、月に10イベントくらい書き残している。イベントは、内容によって、分類し、色分けしている。そして、年の終わりに全体を総括し、年の初めに1年の計画を立てる。1年の計画の前に、10年先の目標を設定し、それに向けて、1年の計を立てる。これらはエクセルに残しているけれど、突然、世を去るかもしれないし、認知症で、なにもわからなくなってしまうかもしれない。その時は、消滅してしまっても、いいというか、逆に消滅させた方がいいかも。 でも、読み手知らずの公開ブログにそのままではないけれど、残しておきたいような気持ちも起こってきた。決して波瀾万丈ではないけれど、振り返ってみると、あまり普通でもないように思う、大学の頃だったか、普通は嫌だと強く思っていた時期がある。普通の人、常識的な人を見ると、なんだか、嫌悪に近い気持ちが起こった。ひどい話ではあるが。。。けれど、普通の道を外れようとすると、親、特に母親が引き戻した。自分も、反抗しつつも、大学の途中までは、普通の道に戻っていた。両親は、自分を理解していないことはよくわかったけれど、家を飛び出すことはせず、せいぜい、家から通える大学だったけれど、下宿するくらいだった。離れた大学へ行って開放されよう、とは、なぜか、そこで親の気持ちを考えてしまった。。。親は、むしろ、子供を突き放すくらいのことはあってもよかったかもしれない。話がそれた。今、自分史の2003年元旦の「変化点」を振り返った。17年半である。 17年。。。48歳だった。一通のメールがきっかけで、その後17年の普通でない人生が始まった。そして、今、17年半前に戻るのか? 決して戻らない。その時、思った、というか、言い聞かせていたのが、「何もしなかった後悔より、行動した後にする後悔の 方がずっといいはず」ということ。今思うに、そのとおりだ。ずっといい後悔ではなく、後悔は全くない。但し、自分のことだけを考えれば、である。巻き込んだ人のことを考えると。。。でも、結局、自分なのだ。喪失感を味わう時に思うのが、「もともと何もなかったのだ」ということ。そう、17年半前、さらに、20歳のころは、何もなかったのだ。20歳で、ゼロってのは、いかにも寂しい青春だけれど、ほんと、何もなかった。自己嫌悪のかたまりで、なんとか45歳までは生きようと思って、終わりがあるから、ほっとしているようなところがあった。20歳までは戻らないけれど、17年半までは戻れるのか?戻れないだろうな。けれど、もともと何もなかったのだ、という気持ちには戻したい。
2020年06月18日
コメント(0)
筋トレは大学時代から。家トレと、大学の研究室トレ。研究室トレは、下宿が四畳半一間で、風呂もシャワーもなく、トレーニング後に銭湯に行くのもおっくうで、大学の研究室の会議机の上にマットを敷いてそこでしてた。終わったら、大学の古びて、誰も使ってそうにないシャワー室でさっぱりして、深夜に下宿に帰る日々だった。会社に入ってからは、基本、家トレ。大体30分。当時、ジムはなかったような。で、55を過ぎた頃、会社帰りにジム通い。通いはじめは、仕事は22時頃終わるので、それから行ってた。多くて週6,少ない時でも3回。体重はぐんぐん落ちたが、体脂肪というか、おなか周りに不満。それで、食生活も変えねばと、FINCを始める。当時、ライザップも開業してたけれど、サラリーマンにはちょっと、無理。今から振り返ると、FINCは、トレーニングは、契約したジム任せ。そのうち、オンラインというか、ビデオを見て、家トレ。食事も、完全な糖質オフではなく、3:2:1でタンパク質、脂質、炭水化物を摂取するので、白米とか、パンも、そこそこ食べてた。ここも、「結果にコミット」だったけれど、体重だけで、体脂肪は、大樹刑の精度が悪いからと、記録すら取らず。あと、酵素と、スムージーと、野菜ジュースの朝食が満点! 野菜ジュースは、糖質高いのに。。。結局、体重は、目標クリアしたけれど、体脂肪というか、おなか周りはすっきりせず、やめたらリバウンド。 筋トレ不足で、筋肉も育たず。そして、退職後、会社員時代の愛知のジムと、武蔵小杉のジムと、それから、自由が丘のライザップ。ライザップは、3年目。自主トレや、FINCとはやはり違う。マンツーマントレーナーの能力と、自身が素直であることに依るだろうけれど、確実に効果が出ている。厳しい糖質制限期もあるかえれど、今は、1ヶ月間。増量期になると、昼は何でも食べられるので、期間限定我慢なので、なんとか続いている。ライザップも、先行き不安だけれど、ノウハウはしっかり吸収せねば。でも、同じベンチとダンベルを使った家トレをしても、トレーナー指導のもとでするのと、筋肉の疲れがまるで違う。高いけれど、また更新するかな。。。
2020年06月16日
コメント(0)
スーパーのレジでのやりとりは会話に入らないとして、今日は誰とも会話せず。だからといって、声に出しての独り言も言ってない。食事の時、録画は見た。大学の頃、山ごもりしたときは、TVもラジオもなかったから、本を読むか、日記というより、書き物をするかだけ。読むより書く時間の方が、だんだん長くなり、ついには書いてばかりになった。今日は、Webセミナーのテキストを書いていた。講演やセミナーは、聴講者の顔を見ながらするから、時には、寝てたり、無関心そうな顔を見つけると逆効果だけれど、うなづいたり、メモしたりする反応を見るとやる気は出る。Webはどうなんだろう?聞き手には一度なったことがあるけれど、話し手は初めて。でも、その後、年内は、講演も含め、すべてWeb開催。 主催者は、Webならではの会にしたいとは言われるけれど、いろいろ経験して、Webならではを見つけていきたいけれど、すでに先生方のいろんな感想がアップされているだろうなあ。「チャットをうまく使う」とかもあるけれど、講演中にチャットを見る余裕なんてあるだろうか?それより、2台、モニターがあって、1台は、プレゼン資料で、もう1台は、聴講者の顔とか。。。しかし、受講者が200人も居たら、どうなんだろ?休憩を入れるとしても、2時間くらいが限度ではないだろうかって思う。まあ、聴講者は、画面から離れてても、寝てても、わからないから、適当にお付き合いしてるかもだけど。そういう人が大半として、長時間の講師って、モチベーション保てるかなあ?
2020年06月14日
コメント(0)
日めくりが、書斎とトイレに一つづつ。書斎のは、「日記の日」、トレレのは「恋人の日」と。6月12日。 どちらも語呂合わせのようでもないけれど。今日は金曜日。 自分自身には曜日はあまり関係ないけれど、やはり、世の中が平日と休日で動きが違うので、関係ないともいえない。今日、特別なことといえば、6月1日に自粛営業が解除された、東京のジムと、神奈川のリラクに1ヶ月ぶり以上に行ったこと。ジムは、入場時の検温と、部屋は個室だけれど、開放、そして極力マスク。これはリラクも同じ。ジムでは一瞬だけれど、記憶が飛んだ。トレーナーによると、普通に体は動いていたと言うけれど、記憶がない。初めての経験。リラクでは、150分の疲労撃退コース、プラス、ハンドマッサージだったけれど、2時間くらいは、話続けたけれど、その後、寝た。こちらは、記憶ではなく、普通に寝てしまった。一瞬の記憶喪失は、ちょっと気になるけれど、そのときはマスクを外していたし、ラットプルダウンの最中。不思議な感覚。。。今日は、ハイボールを飲んでない。これから風呂に入って、そのあとに、録画でも見ながら飲もうかな。
2020年06月12日
コメント(0)
ハイボールといえば、ちょっと贅沢だけれど、白州や山崎の12年を外では飲んだ。家飲みは、一時期、サントリーの角。時々、バランタイン。海外出張土産に木箱入りのバランタイン30年とか、奮発。今日はバランタイン12年。 「味なんて、区別着かないでしょ?」とよく言われたが、いや、ウィスキーの味はわかる。と、お酒の話ではない。 今日は、約10日ぶりに茅ヶ崎の家に来た。だいたい1週間おきに愛知と神奈川を行ったり来たり。仕事の関係とはいえ、先月は、県外移動自粛で、少なくとも仕事の出張での移動はなかった。茅ヶ崎の前は、武蔵小杉だった。タワーマンションの50階から、多摩川や、新幹線、東海道線、東横線が見渡せた。国内外の移動の拠点としてもすごく便利だった。今は、茅ヶ崎駅まで徒歩15分の閑静な住宅街で、海岸までも歩いて15分ほど。戸外にシャワーがあり、土間まである、サーファー仕様の戸建て。湘南の風を計算して、小窓が多く、季節によっては風が快適。武蔵小杉を出ようと決めて、鎌倉、辻堂、逗子、大船と現地を歩きまわったが、マンションは避け、戸建てか、テラスハウスを探し、そして、ここに一目惚れ。まだ建築中であったが、契約した。 去年の11月。同じ、2LDKの新築であるが、武蔵小杉の半額。駐車場つき。そこに10日ぶりに戻って、寝酒をきめこんだ。天涯孤独ではない。けれど、独りの時間はかなり好きで、自分には必須だと思う。社会との関わりはしっかりあるからだろう。社会との関わりは、真の信頼関係があるとは言えないけれど、まあ、それくらいの距離があっても、大丈夫。 と思ってはいるが、天涯孤独まではいかなくても、外の世界と遮断されたら、1ヶ月はもたない。 というのは、大学時代に実験済み。昨今は、オンラインでつながるから、当時とは事情が違うかもだけれど。読み手が見えないブログも、まあまあ「救い」になってる。1週間ぶりのお酒で、1杯目で酔いが回ってきた。そしたら、なんていうか、心地よい寂しさというか、このままある人と、永遠の別れになるかもしれないとふと思うと、決して心地よいわけはないのだけれど、相手はどうなんだろう?って 相手も心地よい開放感を感じていれば、まだ救われるかも。どちらが引き金を引いたことになるのか、今のところわからない。。。
2020年06月11日
コメント(0)
去年の秋頃から、神社巡りを始め、神棚もまつり、寝る前に一日の無事を感謝、そして、朝には一日の無事をお願いする。神社の方は、今年は、新年に伊勢神宮の外宮と内宮を2日がかりで、全ての神様に感謝とお願いをした。でも、基本、神社は感謝につきる。僕の神様は、小学生の頃から、僕の中に居る。高校くらいから、しばらくご不在であったが、数年前より、毎晩寝る前に、感謝と、誓いと、そして最後にお願い。小学生の時のお願いは、2つ。もし、叶えてくれたら、毎晩、お礼を言いますと誓った。毎晩は、中学生のころのどこかで、中断してしまったし、今の感謝は、全く別のこと。で、2つのお願いは。。。「リレーで転びませんように」と、「授業中にトイレに行きたくなりませんように」だった。2つとも、叶えてくれた。大人は、小学生の気持ちって、あまり理解していないのではないかと思った。たとえ母親であろうと。父親は、全くわかっていないことが小学生でもわかった。母親ですら、理解してくれていないと思っても、言葉では伝えなかった。リレーやトイレで悩んでいた事はもちろん、例えば、ズボンの補強で、お尻のところに白く丸い縫い目がくっきりだったこと。これが嫌でたまらなかったけれど、言えなかった。あとは、痩せていたけれど、やせほせだと言われたこと。これもかなり傷ついたけれど、言えなかった。これらが、蓄積し、突然、呼吸できなくなることも。口を開けて、空気を吸おうとしても吸えず、パニックになった。母親に訴えても、大丈夫!を繰り返されるだけだったけど。一方、僕は小学生のころが、人生で最もませていたと思う。社交的で、気に入った女の子の隣に座りたいと主張し、一番前の席で、いちゃついてた。小学1年生。三編みの子が好きだった。ピアノを弾いて聞かせてあげた。人前でしゃべるのもへっちゃらで、弁論大会にも出場した。生徒会長にも立候補した。しかし、中学の頃、そして、高校になって、対人的には真逆になった。で、社会人になって、20年くらいして、小学生返りしたような。。。しかし、社交的ではあるけれど、ふと内向的になるところも小学生と同じだ。。。僕の神様がいてくれないと、心の平静さを保てないような気がする。
2020年06月11日
コメント(0)
独り言は、過去にさかのぼったり、今日のことであったり。頭の中のことであったり、出来事であったり。一日の始まりは、「アウトプット大全」特典でダウンロードした「究極のTO DOリスト」に手書きで書き入れるところから。でも、その前に、ベッドを出て、カーテンを開け、EAA-SHOTを一口二口飲んで、トイレに行って、体重計にのる。6月1日より、1ヶ月の減量期に入ったが、順調に減っている。ただ、寝起きは水分が抜けているのか、体脂肪率は高い。この体脂肪率は、体重計によって全く違うし、体水分量によっても違うから、あまりあてにならない。そして、糖質制限の朝食をとり、一日の活動の始まり。コーヒーを飲んだり、ちょっと、ipadで遊んだりするから、開始までに1時間はかかる。ベッドから出るのも遅いし、活動開始までも遅いし。会社勤めのころは、ベッドから出て30分後には家を出ていたのであるが。。。「朝活」手帳を買って、朝活を試みたこともあったが、3日も続かず。また、1.5の倍数睡眠時間で、長くて6時間睡眠だったけれど、最近は、短くて7時間。締め切りに追われていないときは。だから、一日のうち、食事とトレーニングと、ジム往復の時間を除いた活動時間は非常に少ない。今日なんかは、3時間くらいしか、仕事をしていない。。。その時間は、6月下旬にする講習会の資料作成。よく講習会の前日に徹夜に近い準備をしていて、これは精神的ダメージが大きく、受講者に講師の疲れ切った顔をさらすのも悪いし。。なんとか、この先延ばしの生活を直さねばと、悪い習慣を断ち切ろうとはしているのだが。やはり、朝の立ち上がりの早さと、すぐにやるべきことに着手することが必須なんだろうな。それには、まず早寝が必要。会社通いのころは、ベッドに入った直後にバタンと寝ていたが、最近は、寝付きが悪い。。。「睡眠戦略」の本も色々読んだが、守れていない。これも先延ばしの一つ。寝る前、風呂も含めて2時間の「リラックスタイム」そしてその前、2時間の「勉強時間」としたけれど、本当は「リラックスタイム」は読書や、日記ではなくて、音楽を聴くのがよいだろうな。しかし、先延ばし。。。もう、先延ばしができる年齢ではないのだ!
2020年06月10日
コメント(0)
結局、ここに戻ってみた。書き始めは2007年12月28日、2012年4月26日に引っ越し、2017年7月21日にふと立ち寄った。そして今日は2020年6月9日になったところ。きっと、どこかで書いたと思うけれど、日記を書いたのは、大学生の頃。大学ノートに万年筆でほぼ毎日、いや、一日に何度もノートに向かうこともあったように記憶している。典型的なモラトリアム時代。おそらく誤診で運動禁止とされ、大学のバトミントンクラブを退部し、引きこもった。もっとも、その前から、引きこもりがちで、対人、対女性恐怖症だった。恐怖症は、関心が大きすぎることの裏返しだったと今は思う。その頃、向かったのは人ではなく、大学ノート。それでも、なんとか8年かけて大学を卒業し、社会人となり、学生時代は「変人」だったのが、「少し変わっている」くらいに進歩した。対人恐怖症で、セールス実習ができるのかと、周囲はみな心配していたようであるが、大変な好成績を残した。それは、全く理由がわからないが、セールス実習前の社内教育中のロールプレーイングのあと、教師が、「あなたは非常にセールスに向いている。きっと売れる」と暗示をかけられたせいだと思う。 ロールプレーイングは客観的にみても、惨憺たるもので、自己嫌悪に陥っていた時である。きっと、惨憺たる姿をみて、暗示をかけてくれたのだと思う。でも、実際、売れた。お客様は、「セールスらしくない」とか、「信用できそう」とか、言ってくださった。家にあげてくれて、コーヒーや、ケーキを振る舞ってくれた方も結構いた。そして、夏のセールス実習が終わるころ、日にも焼け、表情もめっきり明るくなったように思った。そして、結婚。日記はもはや無用になった。それが、2000年に復活。今度は、えいっと公開日記を始めた。まだ、「ブログ」という言葉もなかった。そして「オフ会」なるものが誕生した頃。この2000年の前の1年ちょっとは、全くの非日常、非常識な生活だった。その生活に入ったきっかけは、会社の変革ごっこのメンバーのリーダーになってしまったこと。自分は、なんとか、日常と非日常をいったりきたりしていたが、ごっこメンバーの多くは、メンタルで休職したり、会社を辞めたり、離婚して、消息しれずになったりした。公開日記のメンバーとのオフ会から始まったつきあいも、非日常。しかし、いったりきたりできる世界ではあった。その後、また「事件」が起こり、公開日記から抜ける。そして、ここに来たのが2007年。この時も、非日常世界はあって、やはり行ったり来たり。それが長く続き、2015年に会社を定年退職して、同時に起業した。ふと、ここに立ち寄った2017年は、起業後2年の時。会社の立ち上がりは非常に順調というか、順調すぎて、また、日々が非日常の世界になってしまった。退職金と、会社の売り上げて、実力もないのに、宝くじに当たってしまったような感覚。退職金は、自分の努力で得たもののはずであるが、それ以上の売上で、おかしくなった。おかしくなって、顧客の信用もなくし、2019年には会社が大ピンチに。赤字である。今から1年ちょっと前。日々、大反省しつつ、しかし、まだ神頼みというか、「チーズはどこに消えた?」の、悪いパターンが続いた。車を売り、タワーマンションを出た。神社を巡った。そして、2020年になり、過去の柵ではなく、新規の顧客をつかみ、復活の兆し。不安定ではあるが、春を迎えた。そして、コロナ禍。持続化給付金も満額頂き、生活苦には至っていない。でも。。。こうして、日記に戻っている。昨夜も3時まで寝付けなかった。それで、日記のプロフィールに長々と書いていたが、文字数オーバーでコピペも失敗し、消滅。今書いていることとは全く別の二十歳の頃の出来事を書いていた。さてさて。今日も、睡魔がやってこないが、生活のリズムを壊さないためにもそろそろ寝ようか。
2020年06月09日
コメント(0)
全17件 (17件中 1-17件目)
1

![]()
![]()