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日曜、はお休みの日だが、あたしにとっては、いつもの日である。土日、を意識するのはウチは電気料金が安くなる契約タイプなので、オーブンの料理とか、炊飯器を使うとか、は、心掛けている。で、今回の日曜の昼間、あることをしよう!と決めていた。それが、思い出せなかった。一定の体力と気力そして時間が必要な、何か。なんだったか、なんだったか、、逡巡しているうちに、そうだよな、、ココも何とかしなくちゃな、と、思って。だいどこの換気扇の壁である。玄関回り、から始まって、あらゆる隅っこ、グルグルちょこまか、少しづつやるんだけど、この換気扇の場所は雄大なる計画があり、ステンレスフードのオーダーと、排気システムのやり直し。もう、妄想が止まらなくなり、その空間を創造することを想像すると、同時に¥マークも数字がどんどん膨らんで、、えらい事になってしまい、、結局、状況に応じて、リフォームに使う予算を使っていくと、、優先順位が下がってしまって、、あたしのやりたい事は後回しになって、。。気がつけば、15年経っている。ああ、。(直近では、納屋の漏電対策。)でもこの換気扇周りに気が行くと、お金が、、となるので思考のスポットライトをすぐに移動していた。ところが、日曜にしよう、と思っていたことが思い出せない。何かしたかった、、んだけどそれが分からん。つまらん。しゃあない、換気扇周りか・・。もう、妄想は止めて、何とか少しでも見栄えよくならないか、、と決心して、ホームセンターと、百均に出かけた。購入したのは、モルタル面でもちゃんとつく、両面テープと、クッションフロアーのシート。計1400円ほど。ま、これなら、心置きなく作業ができるさ、と、始めた。自分の、これだけは、、の懸案は、表面モルタル中身土壁の、隅は外がチラっと見えること。隙間を塞ぐだけでも作業目的は達せられる。考えていることと、実際することは、この年齢になると、思い通りに行かない。やってみて初めて分かる。第一、作業場所が狭い。膝を曲げての動きとか、手を伸ばして抑えたりとかこっちをこうして、と同時にあっちをああして、、などのアクションが、思い通りに運ばない。ましてや、余計な物、、コントローラーとか、換気扇の紐とか、配慮が必要になるはずのものがある、後付け作業なので、あ、ココは前もってこうしておけば、とか後で思っても遅いので・・。結構、過酷な作業である。一時間ほどやったけど、誰が見るわけでも無し、もういいか、と、出来た事にした。あとは、コーキングでごまかす。毎日毎日、食べ盛りの子供たち、そして夫に、朝昼晩の食事を提供していた、、その家事のモードが思い込みに繋がり、十分な換気能力のピカピカのダクト!という映像が、脳にこびり付いていた。もう、いいのよ。それは・・。一抹の寂寥感。そして、大いなる感謝。これが、換気扇本体の汚れの掃除をして、そして回りをちょいとキレイにして、思ったことだった。
2024年09月30日
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放置資産がコミュニティを毀損する 地域社会に放置された家屋・農地・山林をどう管理するのか [ 片野 洋平 ]イギリスの政治家・外交官であるジェームス・ブライスは、彼の著者で「地方自治は民主主義の学校」と言いました。正確には、「地方自治は民主主義の最良の学校、その成功の最良の保証人なり」と表現したことに由来しています。だそうだ。関わり続ける、ことの大切さ。人類はどこで間違えたのか 土とヒトの生命誌 (中公新書ラクレ 819) [ 中村桂子 ]中身に何が書いてあるか、分かりながら、としても、新たな知識がまた得られる。飆風【電子書籍】[ 車谷長吉 ]読了。ハイ次は、、【中古】妖談 / 車谷長吉薄紙が重なり、光が澱んで、静謐な空間が出来上がっている。おそらく、二度と読むまい、と思われる方もひょっとしたらおいでになるかも。そこんところが、あたしは好みである。かつて読んだ時代小説で(作家は違う)、色の表現が素晴らしいと感じたのもあった。一方、ちょうっきっつあんは、色彩は、ほとんど表現されず、てか言葉にはしておられないが、極彩色、なんである。あたしにとっては。派手じゃない、ところがまたいいなあ。。水と清潔 風呂・トイレ・水道の比較文化史 (朝日選書1043) [ 福田眞人 ]ゴミと日本人、は図書館から借りて来て、汚してしまい、それを返却したら、これは、、(ダメ)と言われ、弁償のため新しく購入し、図書館にお渡しした。従って、よごれっちまった方の本がウチの本棚にある。図書館のハンコが押してあるので、なんだか、、返却してないように誤解されそう、と、その本の背表紙を見るたびに思う。ああ、見るたびに気になるのだったら、見開きにメモしておけばいい。そうだそうしよう。この、「ゴミと日本人」以来、水関連は多くの本を借りている。水、H2O、地球上の水分、、などに関心があるので。読書手帳は(シールを貼って記録とするミニノート)13冊目になった。このゴミと日本人は、読書手帳、というものがあるのを知らなかった時代の、数百冊のうちの1冊。10年前くらいに読んでいるかな?ごみと日本人 [ 稲村 光郎 ]
2024年09月29日
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ばいこんたっし、と読む??のは無理でも、まあそういう文字を一応、デザインしてみました。って感じかな?知る限りでは、京都の私立の小学校が、一番に掲げているキャッチフレーズ。当地のさる小学校が、一昨年、創立150周年を記念して、この4文字熟語を使い、グラフィカルに?マークみたいに作り、記念Tシャツにされたそうで。。校長先生のお背中をお借りし、撮影してみました。何事も、基礎が、大切。とのこと。
2024年09月28日
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飆風【電子書籍】[ 車谷長吉 ]読了。再読、読了。犬が3匹に風、で、ひょう、と読むのか。カッコイイなあ。あ、(装画)駒井哲郎や!(好きな版画家)実際、車谷さんは、絵も上手かったらしい。この本は、短編集であるが、その最後に「私の小説論」という講演の文章が入っている。私は、貧乏が、好きなんです。と、書いてあった。お金持ち、が好き、なのは、普通。やっぱり、作家さんは、違うのか。それとも、彼が変わっているのか。でも、この、貧乏が好き、には、惹かれる。そして、風が吹く。大場みな子(作家)の物言いに、「作家ってのは、公共の橋の欄干の上で、まっぱだかになって踊るようなものよ」というのがあるが、何やら、共通項があるような感じだな。人類はどこで間違えたのか 土とヒトの生命誌 (中公新書ラクレ 819) [ 中村桂子 ]併読はこれだが、こちらが今はメインになりつつある。耳が痛いので、つい、読み進めず、止まる。ときどき。プール再開。(長期休業、と言っても半月だが、)ホッとして、また行く。
2024年09月27日
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ピアノの置き場所、納屋である。こちらに来て、とりあえず、、納屋に。となってからそのままになって。岡本氏によれば、ココがいいです。というご託宣で、そのままステイ!というわけだ。エアコンのある部屋に移動、とかいろいろ考えたが、人のために室温を頻繁に変えたりするより、自然のままの方が、、いいでしょう。とのことで。。我が家で、移動の可能性(つまり置き場所)があるのは、エアコンのお部屋だったものだから、。。診ていただいてもう、15年も経過している。今回は、ちょっと間が開いてコロナ以前くらい。。と思っていたら家族旅行に北海道の話をしていたのを覚えていてくださったので、3年前だ。お嬢様が同行。弟子として。岡本氏は娘もお世話になった、原田宿命(さだめ)先生主宰の「リエール」という、フランス・ルネサンスの直前時代の音楽と舞踏(だから、古楽器と古舞踏ーフォークダンス)の研究会に参加しておられたご縁である。あたしは、PTAだったが、原田先生とは、ほさんの繋がりで、お親しくさせていただいた。彼女は、40歳を越えてから、フランス語を独学。フランス語の古語の一つである、ラングドック語も独学。かの地の図書館博物館に単身で乗り込み、ルネサンス以前の民衆の音楽と舞踏の研究に打ち込み、それを復元する、という営みを続けておられた。いつも、欧州に行く時でも、ショルダーバッグ一つだけで出かけて行かれる。あたしは、ひそかに、お手本としている。お手本を実行する、実行できるトシが過ぎてしまっている。岡本氏の作業中、お邪魔して、おしゃべりをするもんだから長くかかってしまった。(調律)悪かった。彼は、フェスティバルホールのピアノも診ておられる。フェスティバルホール、、なので、世界的なピアニストが演奏にやって来るが、彼らは、調律師も一緒に来て、その専属調律師が調律する。のですが、、彼らの調律に立ち会えるんですよ。と、岡本氏は言う。これが勉強になります。一流は、あくまで、謙虚である。もう一度言う。一流は、あくまで、謙虚である。ウチのピアノは、果報者だ。
2024年09月26日
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朝一で、ウチの自治会の、秋の、クリーン作戦という地域一斉お掃除のイベントのために、支給のゴミ袋を貰いに、市役所へ行った。あたしは、環境委員なんだそうだ。(いろいろお役が・・)手続きを済ませて、ホールで、バッタリ市長に出会う。なんと、お侍様のコスプレである。なんでも、「水曜どうでしょう」という番組のロケが、篠山城前であるそうで・・。(ああ、それで、、お堀前の広場、なにやら車だらけ、人だらけだった)(あたしが、インタビュー?してすぐ市長は、市民課の窓口に行ってしまわれた。)ふと振り返ると、そこには、また、お侍さん??あれれ、黄門様じゃないですか!するってえと、、助さんか?角さんか?市長が・・??市長さん市長さん・・と、思わず呼んでしまった。お揃いで。ハイチーズ!何やってるのかしら。あたし、。。県庁行って、この印籠が目に入らぬか!とかまして来てください!
2024年09月25日
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地軸が傾いていることに感謝である。心底、空に向かって、ありがとう!と、叫んだ。心の中で。起床後、半時間もするとおでこに汗!なので、ハンカチを探す。間に合わなければ、ティシュを2回折で横長にしておでこに貼り付ける。汗が出るのですぐに引っ付くのだ。とかしてると、コメカミからたらり・・と汗。首から上はこうして汗!の一日が始まる。立秋以前の定かな記憶がないが、いつもの夏だもの、同じようだったのだろう。汗が出るから、手当てして、おでこにハンカチ。これがすぐに濡れそぼつので巻きなおし。次いで、首の後ろ。これはタオルを巻いて、前でゴム止め。ゴム止めが無いときは、トップスの首周りからタオルを差し入れる。これで、シゴト開始。買い物に行き、汗した衣料を洗濯機へ。横になってる時以外は、上記スタイル一日中。汗が出るので、飲む。飲むから出る。残暑、というにはあまりに長かった。でも地軸はやはり、傾いていたのだった。今現在は、鉢巻しなくなり48時間経過。つまり昨日の朝は、ぐんと気温が下がった。手のひら返し、と表現できるくらい。なによ、汗、でえへん。涼しい。(おとついから24時間後には、すっかり秋だった!)買い物に行き、雨が降って来た。驟雨である。天から霧雨。勢いがあって、大きなシャワーヘッドが回転する。もう、思わず、、ありがとう!秋さん!やっと来てくれた!待っていたのよ。待って、待って、、まっているのよ、、♪と思い出す。身体は正直なもんで、汗?かいてたかしら?みたいに、サラサラである。洗濯機には、何も貯まらない。(だから今朝は空だ)いえなに、いつものだいどこのとかはありますけど。こんな変わりよう、って今まであったのだろうか。無かったと思う。2年前の今頃、曼殊沙華の写真を撮っている。庭にはまだ、咲いてないし。やはり、特別に暑かったのだろう。蚊、も少なかった。蚊取り線香は例年の半分しか使用せず。もっと少ないかも。24時間で、外気温ざっくり、7-9度、下がっている。変化、に体はついて行ってる、、と見えるが本当に順応しているのだろうか。無理してないか?身体に聞いている。暑いときは本当にだるかった。首から上が特に、汗が多い。一度、背中もひどいかもと、タオルを当ててからTシャツ着たことがあったが、取り出したりつけたりが必要で、背中に汗疹?みたいになり、これはすぐに中止。着替えることに専念した。背中も結構、汗が多かったんだな。。。ちゃんと、朝も明けるのが遅くなり、5時半になろうというのにまだ暗いじゃん。ありがたくありがたく、、、。生きた心地ぞする。
2024年09月24日
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テヘランのすてきな女 [ 金井真紀 ]読了。おススメ。女性対象のインタビュー集。必ず、著者の描いた対象者の肖像画が付いている。のほほんと軽い、と思っていたら大間違い。昨日は、武田砂鉄さんの書評がネットのメディアに掲載されていた。国を見るか、人を見るか。で全く違うよね。みたいな、素晴らしい書評だった。なんせ、レイプを裁判所に訴える、という場面があるとして、弁護士(女性)の方が悩む。どうして(訴える事)悩むのですか?と聞く。イランの法律では、レイプ犯は、死刑なのである。なるほど。ザ・ワールド。そうだよな。スカーフに関してだって、場合によればむち打ち30回とか、になるくらいだもの・・。以下引用→おわりに から。p308「イランの女性の話を聞いてきて、あなたはどう思った?日本と比べてどう?」 取材中よく、この逆質問を受けた。毎回うまい答えがスッと出てこなくて、しどろもどろになった。「ええと、日本も男と女は全然平等じゃないし、弱い者いじめする人も多いし、けっこう生きづらい国なんです。でもやっぱりイランの方が何倍もたいへんだと思う。だからって、イランの女たちは縮こまっているわけじゃない。パワーがあって、おおらかで、楽しい人が多かった。東京でぼんやり生きているわたしなんかより、テヘランで会った女性たちの方がずっと自覚的だと思いました。」 とかなんとか、もごもごとそんな事を言った。ぜんぶ本心だけど、なんだかいかにも模範解答っぽい。たぶんわたしはもっと経験し、もっと考えないと、イランの女性について語ることばにたどりつけない。いや、結論めいたことなんて永遠にいえないかもしれない。←引用ここまで。p308彼女のドロウイング(イラスト)が素晴らしい。多くを語る。この「おわりに」、の最後の方で泣いたので、小説よりドラマティックだった。と思う。
2024年09月23日
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本当に久しぶりに、友達から電話があった。シゴトの固定電話の方に。コロナ禍以前、奈良のハープ奏者さんとそのお連れ合いのギター奏者と、友人と3人で、田舎暮らしの我が家を紹介がてらに来てくれたのが直近という、、ポツポツ連絡のお付き合いだ。同い年、つまり団塊の世代同士。半世紀に及ぶお付き合い。一時間近く、電話で話した。彼と出会ったのは、1973年8月の欧州行きの飛行機の上である。すでに当時、あたしは、亡夫と恋愛中であったので、十数時間近くの席にいたことだけで、同じ大阪からの旅行者として、おしゃべりをしている。自己紹介から、出身から、旅の目的から、。など。彼の目的は、スペインのマドリッドに行き、ギターの事を研究したい、というものだった。すでにかなり演奏技術もありそうな、、(この時は聴いていない、ハナシだけ、後日聴くこととなる)感じの、好青年。シュッとしてね。でも、めちゃ大阪弁が、雰囲気を壊していたっけ。スパニッシュギター、のお勉強とは言え、欧州を回りたいとの話もあったし、あたしはあたしで、一か月の、建築関連の団体旅行に参加後、スピンアウトしてデンマークに行き、アカデミーの試験にチャレンジし、、とかの話もした。(この時点では、アカデミーに合格するかどうかは未定。)でだ。確か10月ごろ、、そのあたしが合格した王立アカデミーのキャンパスに、彼が突然、現れたのだ。驚く。持ち前の笑顔を振りまいて、たちまち、クラスメイトとも仲良しになる。大阪の下町、恵美須町の町工場の2代目さん。ということがその時、分かった。また、欧州の北から南にあてどもない旅を始める前、コペンハーゲンでは、クラスメイトのレオネルと特に親しくなって、ずっと寮に泊めてもらってた。そんな、共通の思い出のある友人である。以来、長いお付き合いとなった。彼のお父上が亡くなったときは、お葬式に夫婦で出向いている。神道のお葬式だった。お父さんの会社を継ぐことになり、社長になりと、、でまた、かなり神経を使い、特殊技術が必要な、そういう仕事を継いだもんだから、懸命に己がなりわいに没頭する日々で、取引先が北摂にあったので、よく我が家にも立ち寄ってくれ、ひたすらおしゃべりをして、子供たちとも親しくなり、、とわさん、という人は、、楽しい人だね、。などと、家では話していたものだ。彼が60歳になる前に大病を経験し、その時は電話で、お見舞い。篠山に来てからも何度か訪ねてきてくれて、こだわりのギター談義、クルマ談義、あたしが、自営業、ということもあり彼の仕事は製造業ではあるが、シゴトのことも沢山話した。で、直近の会合?は、その、ハープ奏者ご夫婦と来てくれた、コロナ以前、まだ、義母の介護中であったか・・。(と遠い目)なので、本当に久しぶりで。お互い、中年も忙しかったけど、老年の入り口も忙しかった、というわけだ。さて、後期高齢者になって、彼の言う事。もう誰もおらへんのんや。(現役として社会に参加する)あー、そうなんや。この辺は、農家のひとら(人たち)はまだまだ、頑張ってるよー。てか、、そういう人だらけやし。あんまり、周り見渡して、しんみりすることないわなー。とか、あたしは答える。そっちは、年寄りだらけやろ、そらそうなるわ。いや、真面目な話、ホンマにだあれもおらへんのんや。。もうぼちぼち、、(家業を)閉めよかと、思てる。(息子さんは家業を継いでないサラリーマン)そうでっか。。ま、お大事にねー。(電話のテーマは、熱中症にかかって、大変だった、という話)再会を約束し、(おいおい、はよせな)。都会のお仕事事情を勉強した日だった。しょうがない、そういう流れだものね。彼も、自宅併設の工場では、従来通りのアクションをすればいい、、のだろうが、それ自体がしんどくなってきているのかもね・・。お彼岸なのに、蒸し暑い。
2024年09月22日
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赤目四十八瀧心中未遂 (文春文庫) [ 車谷長吉 ]読了。平野から、草原へ、丘へ、そして山に入り、いよいよ一つの高みへ、というわけで、この方(つまり著者)の書いた本を、ちゃんと読んでみようと、いよいよ、直木賞受賞の作品に入った。そして、一気読みだった。この本に登場するすべての地名、(東京都方面は除いて関西部分)は全部、アタマに入っているし、なんせ、書かれる人のセリフの関西弁はイントネーションに至るまで、読んで再現できる。なんという、、幸運。テーマとなっている、「アマ」ー尼崎。住む、ことは無かったけど、もちろん、何度も行ったことはある。しかも、小学生の時に、今でいう古物商取り扱い、昔はそういうのを骨董商、と言ったがお嬢、の母親が、趣味で始めたこのお商売のために、関西の、所謂、「市(いち)」ーオークションの場ーいうまでもないがリアル、、に、連れて行ってもらっていたので、その「市」の一つに、尼崎の下町があって、、(3のつく日か、8のつく日か、、だった)裸電球と、ほの暗さ、埃っぽさ、、人いきれ、、の空気を経験しているので(小さいとはいえ、強烈な印象)なおさら、臨場感あふれた。大阪府になるが、「じゅうそう(十三)」の商店街の(行政府はまたぐが、すぐ隣り町)魚屋さんの奥さん(苗字)という方から、母は、ブルドッグを買っている。奥さんの紹介だったのかもしれない。奥さんちには、ブリンドル(毛色)の、名前は忘れたがチャンピオン犬のオスが居たのだ。母はメスを買って、このブリンドルと交配し、子犬をゲットしようと思ったんだと思う。栗色の犬だったので、名前はクリ、になった。(今でいう、ブリーダー)。子犬は3匹生まれたが、クリは出産時に亡くなった。(ブルドッグの出産は難産)あたしが、中学2年のときである。(ちなみに、この3匹、家族総出で、哺乳瓶で育て、3匹とも大きくなった)小学校の時にさあて、4年か5年か、、アマの市(いち)に通って、イスやら、ピアノやら、壺やらの大きなものの競りの場所を知り、その市(いち)の帰途、犬の事を知り、、子犬が産まれたのは、中学2年生だから、すでに5年ほどは経過。”市”に出向くことはフェイドアウト。その時くらいから、母は宝飾品の商いをするようになり、業者が、ウチに来て、顧客のリクエストに、お答えしていたみたい。その宝石屋さんは、ウチで宝石を広げて、見せてくれる、、というのがその人のお仕事、、なのだから、あたしも同席であったが、(当時は母40歳くらい、47歳で亡くなるのだが)皮の袋から、チャラチャラと石を出すのではなく、ジャーン!と、一列に並んだ指輪が10列ギッシリあるような、四角いケースを開けるのだ。光が出ているように、思ったものだ。母の商売など、たかが知れているので、見せてもらっても、それはまたすぐに閉じられたが。。この本を読んでいる間に、断片的にいろんな思い出が浮かびあがり、それはそれは、至福のひとときだった。直木賞、という関門のなんたるか、が示されていると思った。そろそろ、ちょうきっつあん、は卒業か。しばらく。
2024年09月21日
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いざよいのお月さま。兵庫県知事不信任案可決の前日、つまり、一昨日の午後、芸術の秋だった。図書館で、うちの市の書道のサークルの一つが恒例の展覧会。いささか興味がある方なので、その書道サークルも2つまでは、傾向や、うまい下手の感じをつかむことが出来ている。毎年今頃に決まってされるこのサークル、みせていただく。見る人はまばら。図書館内のひそやかさ。一番目を引く場所に、一番大きな作品があった。字の大小で、値打ちが決まるわけじゃないが、やはり大きい字は難しいようだ。3メートル離れて、佇む。ふむ。と。作品は縦長で幅一メートル、長さが3メートル?くらいか。2文字。抽象に近い。右横の、作品中央部の付近に、黄灰色の賞状のようなものがあった。その賞状は、作品の縦線を侵している。5センチほど。賞状自体はB4くらいの大きさ。遠くから見ると、上に貼ったように。レイアウトはそんな感じ。その賞状のタイトルには、「知事賞」とあった。へえ、知事賞貰いはったんや。と思った。これが知事賞ねえ・・。ふううむ。あれれ?兵庫県知事 斎藤元彦の、名前の4文字が、ボールペンでバッテン!してある!あら、。いやな感じだった。あたしとて、兵庫県民である。このところの、騒動に関心が大いにあるし、なんでまた、。。意固地に地位にしがみつくのかとか、あり得ない!とかの、今の知事に対して評価しない方だから、バッテンを付けた(そういう人間が存在する)方の気持ちは理解するが、その行動は、あまり気持ちの良いものじゃない。そうして、そのまま、バッテン付けた賞状を掲げる、、掲げ続けることに違和感があった。知事賞貰いましたー!を言いたいからバッテンは気にしないです。という表現なのか?それでないと、この在り方は説明できないなあ、とか知事賞、がそんなにうれしかったのか、そうか、フラッグはどうあれ、やはり立てたかったのだと、思って。その場を去った。「この人には貰いたくない」、という意思表示?なんだね。貰いたい、貰いたかった、貰ったぜー、だけど、この人には貰いたくない。もらって欲しくない!そんな、アンビバレントな感情を受け取った。こうなると、作品は二の次三の次、知事名の上のバッテンがモノを言い始めて、その場所を去ってからも考え続ける。表現とは、自己顕示欲とは、などなどなど・・。最近は、自分の意見を伝えようとする意欲が萎えて来て、(うそ)その場で、カウンターに行けばよいのに思いを引きずり、帰宅。やっぱり看過できない。と思い、電話した。あたしの名前を言うと、図書館の方は、すぐ分かって下さる。ああ、あなたね。って感じ。だって、常連だもの。電話をかけて、イキサツを説明し、いかがなものか。でクロージング。ここで、衝撃の事実を知ることとなる。まさか、作者ご本人が、、そのバッテンを付けたのだとは!図書館員の方もご存じだった。ああ、あれですね。書を書かれたご本人が、つけられたようです。賞状は貼りたいが、名前が気に入らん、という事らしいです。(それでぺケ、した)はー、言葉が出なかった。いやあ、世の中には、いろんな事があるもんです。彼、あるいは彼女、マズイ!(そういう解決方法を自分の作品に対してするか・・)知事賞がそんなに欲しかったか。総理大臣賞、でも(状況が同じなら)バッテンするか。人はダメで、知事賞は見せたいか。これねえ、、結構、深い問題なの。あたしは、図書館の人に言った。バッテン付けてまで、賞状を見せたいのですか。知事賞貰いましたと説明書いておけばいいですよね。(この よね は同意を誘う表現だからよくないなあ)なんか、、デモクラティックじゃない、民主主義的じゃない感じだ。その人を支持しないならしないと横に書けばいい。バッテンは子供じみている。幼い。こんなに、雄大でインパクトのある作品が泣くわ。結局、バッテンの印象だけ残ってしまう。作品は、自分の子。愛しましょうね。ま、タイミングが良くなかったのだ。
2024年09月20日
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見苦しいと言うか涙ぐましいと言うか、はたまた情けないというか、、あたしゃあ、朝起きてからも楽譜立てに歌詞を置いて、youtubeを観ながら、最後のおさらいをしておった。あまり褒められたことじゃない。潔く、(楽譜を)離すことが出来なかった。電車に乗り、発車時間となり、瞑目した。数駅が過ぎて、、どやどやと声がした。気がつくと、大柄の老夫婦が前の席にいる。男性の方は、折りたたむ式の椅子?がおそらくついた、ステッキを持って、女性の方は、でっかいコロコロ。荷物と、大柄ペアで、目の前は一気に暑苦しくなった。(田舎の始発はいつもはスカスカ)女性、座るなり(電車は出た)、電話。4号車の一番前、、という自分の場所をかける相手に伝えたい、という事はすぐにわかったが、(前で聴いているあたしでさえ、すぐにわかる)その事を伝えるために、老夫婦間で交わされる会話の音量が、凄まじい。え?なんて?何号車?どこ?一番前、と言えばええやん。ホーム、見てて、手を振るか?そやな。(そうだね)次の駅、プラットホーム。旦那さんが窓側、奥さん(と思しき)が通路側。シェイドはとうの昔に全開で、(日差し強く全閉にしてた)あーおったおった。ココココ、、言っても聞こえませんが。ほほえましくもあり、御迷惑でもあり。持って他山の石としようにも、あたしにはすでに夫は伊豆、じゃなくて居ず。(そうそう、伊豆にたびたび同窓会にいっておりました)お年下、と思しき、、従妹さんのような妹さんのような、(奥さんにとり)女性が乗車。どうも、遠方に旅行?おそらく大安だろう、結婚式だ。名古屋方面だ、、(第三者のあたしの想像は当たっていた)予想通りの合流完了の電話も始まったし。。彼女は奥さんのコロコロの所に立つ。ここで、電車はほぼ満員。大声で、旦那さんの方が、自分のステッキを、椅子として使おうと、動き出す。それを止める、奥さん。もっと止める従妹さん。だいじょうぶ、オタクらより若いし。と本人が言う。見ても、大丈夫そう。トシの話から、運転免許返上の話から、まるで、、まるで、、隣人のような、、。その環境で、あたしは考えた。いつか来た道、これから行く道。(合ってるような違うような??)ま、感じはお分かりいただけると思う。しかしなんですな、幸いなことにあたしは、寝入ってしまった。次起きたときは、、彼らのか、の字もそこにはなく・・。恐らく伊丹で下車。みんな夢の中♬のようだった。
2024年09月19日
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いざよい(十六夜)、たちまち、いまち、ねまち、と続く。(月の出が日ごとに遅くなるので)今日が、中秋の名月、の日である。歌の練習、ヒマヒマにするが、途中からやる気が、、というか、練習の世界から、気持ちが引いてしまう。で、もちろん、用事はあるので、気晴らしに他の事をする。その用の途中で、あ、これもしないと、と気がついてそれに行為が移ると、その行為に結構時間がかかってしまって、はた、と正気に戻り、あ、練習だ。とかなるが、お腹がすいたり、喉が渇いたり、トイレに、、、などと、思い出して、。ダメなあたしだ。時間割の見通しは、基本楽天的に捉えて、こうしてこうしてこうして、、ととか思うが、結果は、半分程度の成果である。昨日の午後くらいからは、今日の落胆、失敗、敗北、がいよいよ現実のものとなって来て、しかしそれでも、予定はこなせそうなので、梅田行きをつもりした。(シャンソン歌い合い会)先週の火曜からプールがお休みとなり来週までスイミングはお休みとなるので、ジムに行こうとつもりしていたけれど、決算業務に始まり、そのあとも、予定が積んであり、結局、ジムにも行けずじまいである。幸福な老婆であることに感謝!
2024年09月18日
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テヘランのすてきな女 [ 金井真紀 ]テヘランはイランの首都。さしずめ、日本だと、東京の・・となる。わけか。首都以外の地方に住むイランの女性の状況はどうなんだろう。ともあれ、すてきすてきすてき!ヤムヤム著者のイラストも素晴らしい。女性たちへのインタビューで仰け反ったり腰抜かしたり(文字通り)、精力的な文章と行動力に脱帽。鋭意読書中。わが国のジェンダー状況に悩む女性たち(あたしも含めて)には、ミントのそよ風である。さて、シャンソン。と、デスクの椅子を通り土間のコンポの前に移動し、楽譜立てを置いて、歌詞を広げ、楽譜を広げして、何度も聞く作業。一方、デスクの前には、応接用のやはり事務椅子を持って来て、パソコンの前にも座れるようにして、デスクと、土間を行ったり来たりする。昨日のランチ以後のあたしの動線である。敬老の日のランチ会が、町内会で開催され、ほぼ、いつものメンバーが集合。自治会メンバーが老人会メンバー。こういうことって、、いいのか悪いのか・・。一日で、2曲はなんとか。残るは、、残るは、あの、名曲”ミストラル・ガニョン”。計3曲をば、少しでも歌えるようにとの目標である。曲の1番、2番、と普通ありますでしょう?前に出て歌うのはその一部。部分、なので、それをば、何度も歌っているわけ。ミストラル・ガニョンの歌詞が、秀逸で、通して歌いたいほど。すでに、母子家庭になってしまっている娘さんに、(つまりパパは別れている)人生の、、なんちゃらを呟くパパ、という設定。ジンと来る。1番までが、宿題なので、ちと、不満。しかし先生に言わせると、フランス語会話上級者でもなかなか難しいと思いますので、、。それでも、あたしはやってみたかった。だから、先生とメールのやりとりをしたけれど、丁寧に、愛情深く説明してもらい、、納得である。あなたはまだまだ、、とは一言も書いてないけど、そういうこと。(一年やそこらではとても、、の意味)きっと先生、どうやってぼちぼちに伝えようかと悩まれたと思う。下手な人に、あなたは下手よ、とは言えないものね、。。高齢者の趣味に上手下手はまあ、関係ない。迷惑かどうか、という視点はあるにせよ・・。そうそう、そういえば、、こないだ、「大人のサロンコンサート」という音楽関係の発表会があって、行ってきました。やはり、厳密に上手下手はプログラムには現れる。トップバッター、それが、、大正琴だったのね。5人の老婦人。白のブラウスで。2曲演奏。兄弟船と、恋のバカンス。この、恋のバカンス、何がどうしたのか、、繰り返しの所で間違われたのか、、最初の演奏のところに戻るのだが、一向に終わらないのである。あの、ため息の出るような♪の歌詞の前のズンチャチャズンチャチャ、ってやつ。5人並んでおられるが、真中の方の手が動きを止めてしまっているよ、。もう、声には出さねど、お腹の皮がよじれる。(ガハハ・・)何がおもしろいって、観客の皆さん。じっと聴いておられる・・・。久しぶりに笑いの涙、でござった。。。これで、いいのかもしれないね。
2024年09月17日
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国民の35%が65歳以上という事になったらしい。3人に一人は、老人である。敬老の日のお祝い、して欲しいですか?と、女性高齢者に聞いたさるアンケートで、して欲しくない、まあまあして欲しくない、が7割、と結局して欲しくないが多数であったとの記事を見た。また、62歳女性が、職場で、「おばあちゃん」と、先輩男性に言われて、抗議をしたら、おばあちゃんなのに、おばあちゃんと言って何が悪い、と逆にいい返された、とか言う記事もあった。彼女はさるサイトに、私はおばあちゃんなのでしょうか?と、投稿してる。老、という字に反応する、それもマイナスの、、気分、時代の気分を感じた。アンチエイジング、の負の側面である。たしかに、老いる、のは、誰しも歓迎していない。皺、シミが、出てくれて、ありがとう、と思いますの、と樹木希林さんが言ったとか言わないとか、。なぐさめか、はたまた哲学か、はわからんが、。あるがままに、歳を重ねることのむつかしさよ。というわけである。今の時代でも、かなりの割合で、女性それも中年以上の女性に対し、公の場で、おかあさん、おばあちゃん、との呼び方がまん延している。今を去る、40年前、あたしが、当時住んでいた自治体(兵庫県)に我が子の通う小学校に学童保育の制度を導入せんとて、市役所に、鉢巻きしてママさん達と出向いたとき、役所の担当、(男性)が最前列にいる私におかあさん、、と呼んだことを思い出した。即座に私は、おかあさんは止めてください。私はあなたの母親ではありません!と、抗議した。こないだ、プールで、同じウオーキングのクラスで、ふさんが、(彼女は幼稚園の先生)おかあさん、とあたしに呼びかけた。彼女は、還暦を過ぎている。「やめてくれる?その、おかあさん」と言う。職業上、癖になっているのだろう、とは分かったけれど、あたしに言ったのが運のつきだ。彼女は、すぐに、ごめんなさい、と言ったけれど、。もっともっと、訂正を求めていい。女性たちよ。ここだけ、今だけ、自分だけだから、このひと言を流しさえすれば、このまま、ハナシは進むのだから、、と、役所で、学校で、銀行で、郵便局で、スーパーのサービスセンターで、ありとあらゆるところで、話しかけられる中高年女性は、異議申し立てをしないといけない。身内関連の呼称を、他人が安易に使うべきではないのだ。逆に男性がその立場に立ったらどう思うか。まだまだ、と自覚しているところへ、おじいちゃん、おっさん、オジサン、仕事の場で呼ばれたら、、ああ、呼ばれることは無いか、。。話は関連するようなしないような・・。あたしはこないだ、自治会の役員会で、おばはん、と言われて以来、その事がアタマから離れず、おばはんについて、調べている。自分事としては、こちらに来てほどなく、JAのスーパーの横のATMで振り込みをしていた時、(いらちのおじさん)突然ドアを開けて(そこのATMは定員1名ドアつき)大声で怒鳴られて、おばはん、と言われた。おばはん!の洗礼である。その顛末は数回このブログに書いたが、、それ以来の出来事だった。こないだのお盆休みに娘が帰省し、犬と一緒オーケーのホームセンターに出かけたときの事、店内で買い物した娘と孫、他の場所で買い物していたあたしは、店の入り口に車で寄せて、車のドアを開け、迎え入れようとした、。そこは買い物をするために入る入り口通路の手前、20メートル(ああ、20メートル歩かされた人、怒ってましたねえ)くらいで、丁度その時、クルマのドアは開けてる状態(つまり待ってる状態)で、反対側に高齢の母親とその息子さんが、歩いてきていた。おみ足が不自由なそのお母さん?を息子さんがサポートしている。結局、彼らの進むべき道を塞いだ状態で車を停めたのだった。あたしは彼らには気がつかなかった。気がつかなかったことは反省して、ああ、悪かった。とは思ったが、こちらも、娘孫と荷物を乗せればすぐに移動できる。その時間、数秒乃至、10秒いかない。ところが、その息子さんが切れて、おばはん連呼!他にもいろいろ。娘は、おばはんと呼ばれたのが、生まれて初めてだったらしい。こちらは、一切の抗弁なしに、すみません、すみません、、と2回ほど言ったと思う。車を発進させてから、娘が言う。こんなことだから、田舎に若い女性がいつくわけがない。ま、あなたも立派なマダム、なんだけど。と思ったけど口には出さず。プンプンと憤慨しておった、ねえ、。もともとの言葉が生まれたときは、おばはん(大阪の船場あたり?)は敬称だったのだろう。言葉の価値は堕落する。蓋し名言。名前で呼ぶ。職場の肩書で呼ぶ。など、考えてよネ。男性諸氏。心で思っても、口には出さないでね。。
2024年09月16日
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【中古】女塚 車谷長吉初期作品輯/作品社/車谷長吉(単行本)読了。すでに亡くなっているので、お顔を見に、サイン会とかには行けない。彼の、極若いときの作品集。この年で、こういう風か!(老成)とびっくりするやら、唸るやら。特に、最後の、天皇制と私、に関したエッセイは、秀逸。安全に狂う方法 アディクションから掴(つか)みとったこと (シリーズ ケアをひらく) [ 赤坂 真理 ]アディクションをテーマに。こういう、自分とは離れたところにいる方の文章をば、時々読むのも、またいいかもと思いながらの読み進み。テヘランのすてきな女 [ 金井真紀 ]図書館の係の方が、あたしが新刊書のコーナーに居ると、これなどいかが?と、小声で、勧めて下さり、ありがたく、借りてきた。イラストがいいので、楽しく読み進む。日本が、ジェンダーの哲学に大いに後れを取っていることも、あらためて、考えさせられている。
2024年09月15日
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おとといの夜、戸締りをしているときに、一羽の小鳥が舞い込んだ。スズメより小さいが、ちっちっち、と鳴くので、スズメ、、しか知らんし。。はて、昆虫じゃあるまいし、明るいところを目指してきたのか?(もう夜だった)と、思い、しばらく追いかけて、通り土間に追いやる。本当は、戸外に行くまで、しつこく追えば良かったが、上ばかり見ていて、肩が凝った。諦めて、、土間だけを周りを閉めて孤立させて、就寝。あくる日、起きて探すが、いなかったので、さすが土間だけのことはある、壁と屋根の隙間から外へ出たのだ、、と一人合点。とにもかくにも、法人決算20期を迎え、朝一でデータ送付。ポストに、待っている税務署からの申告書を確認に行くが、まだ着いていない・・。はてな。一通の普通郵便の茶封筒に目が行く。ああ、もう、あの、表ばかりの紙の申告書は送ってこないのだ。納付書だけだ。と分かって、レターパックを調達に近くの郵便局へ。取って返して送るべき書類を入れて住所を書いて、投函に。税理士にメール書いて、、なんせ生きていれば来年は喜寿。などと、。。思いがけない20期、である。税理士の先生は、お一人で始められた事務所も今や、押しも押されもせぬほどご立派になられ、なんだか、そちらの方が、、ずうっと誇らしい。今はこちらが、お一人である。出会いのイキサツ、、もメールだったなあ・・、と遠い目。さて、昨夜、また戸締り、、と思って納屋に行こうとすると、、金属の敷居の上に黒い塊があるじゃん。ネコはこの場所にはお土産を置けない。命からがら納屋からの匍匐前進を数メートルもするかよ、、カブトムシか?と、近寄ると、、なんと、コウモリじゃありませんか!!もう死んでるみたいだ。動かない。あたしゃあ、コウモリを間近に観るのは数十年振りである。この距離は、数十年どころじゃない、70年以上だ。亡き父が、六甲山を勤務地として、キャンプ場を作る仕事をしていた時、(ボスはYMCA)いろんな、生き物を持って帰ったものだ。その中に、コウモリが居た。それは羽を広げると60㎝か70㎝くらいあって結構立派な。何を隠そうあたしは、3歳のときから野外キャンプとスキーに駆り出されている。そうか!昨日の小鳥はお前さんだったんだ。鼻先に蜘蛛の巣をつけてるところをみると、一日、土間の屋根裏、風呂場の上に居たんだねー。。すぐ始末、となるはずがやはり、、怖いので、ウロウロした。そうだ、ここは、、ゴム手袋、消毒、だよねー。。などと、用意するものを集めてと。ついでに、動物図鑑で調べた。あたしなりの、判断だが、、アブラコウモリのようだ。別名イエコウモリ。動かないのが救いだった。然るべく処理して、ゴミ袋に投入。そのゴミ袋は、、決算資料整理のためにデスク傍に置いてあったもの。ところがところが、、このゴミ袋の中の更にレジ袋の中の殺虫剤で満たされたさらに小さなレジ袋のキッチンペーパーの中が、、、ゴソゴソ動くのだ!あちゃー、生きてたの?悪かった。。とは言え、もう死刑確定であるからして、今更どうにもこうにも・・。こうしてあたしは、、プレデター、となった。動くのを眺めるのは気持ちよろしくないので、袋のまま外へ。みないことにしよう。多くの生き物の命を頂いて、食べることにより自分の命がつながっている。かわいそうとか、そういうのじゃなくて、。それなのに、、快適な暮らし、っての?そういう環境のために無知にも、多くの虫や小動物を排除しているあたしである。罪深い自分。
2024年09月14日
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空に浮かぶ雲が、このところ、美しい。(と感じる)美しい、、というよりは、ダイナミック、と言うべきか。証拠はないが、毎年、秋のお彼岸が近づくと、一面の鰯雲とか、茫洋と曇り空とか、空がこんなに高く大きく、そして、雲海というより大海原に点在する大島小島の群れ、みたいに、それぞれの雲が伸びあがって歌い出しているような、そんな空、、って、見たことがないような気がする。。などと。上ばかり見て、ドライブ。クワバラクワバラ・・。こないだも、上ばかり見て、、一時不停止の罰金を食らい!7000円、。アー悲しい。気をつけましょう。と、データ入力を終えて、スーパーに行ったときに、パシャ。さあ、ヒト仕事終わって、自分へのご褒美。何にしようか。そうだ、果物にしよう。と思って、、梨を1個買った。350円!である。通年、沢山マーケットに出るときは200円行かない。それがあーた、350円ですぞ。。倍!ダブル、である。見る見るうちに、年金額の価値が減っている。これとて、怖い事だ。チャージを2000円から1000円にしないとだ。それくらいしか、思い浮かばない。雲よ!来週のシャンソン歌い合い会に向けて、稽古を始めなければ。暑いけど、頑張るぞ!
2024年09月13日
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あたしの通うプールが、長期休館となった。ほぼ半月。毎年の事だけど、今年はいつもより少し長い。設備関係の修繕をするらしい。それが、10日からだ。しさんから、早速、プール休みの間に、ランチはいかが?とLINEが来た。あいてる日を言ってください。何日と何日、この日は何時まで。何度かのやり取りの後、11日しかない。となった。なんやそれ、休みになったあくる日だ。4人の予定をすり合わせると、なかなか、適当な日が無いのだなあ・・。あたしは、決算業務で、いつもよりデスクにベッタリ。と言うのがここ数日の行動。だけで、ランチの場所にもよるが、ひょっとして、一番ヒマ、かも。近くの、公的施設の付属食堂に決まる。亡き夫の、金曜日の昼食場所だったところだ。そのおかげで、早く行かないと、日替わり定食が売り切れる、と知っていた。(この施設で働く公務員の方々がどっと押し寄せる)当時は、600円だったが、。11時に入り、午後1時まで。4人の女性だと、静かに、、と言うのとは程遠く、理想のお食事だ。つまり、会話が途切れることがない。幸運なことに、耳の遠い方が中にいないので、普通に話せる。(従いまして、周りにはあまり御迷惑ではない)一番奥のテーブル席で、おしゃべり三昧。2時間ぶっ通しである。もうしばらくプールのお休みは続くから、また今度はこちらからランチのお誘いしてみようと思った。ここには、ソファ席も、和室もあるのだ。ティータイム用?お昼過ぎになるとほぼ満席である。帰宅後、小休止の後、シゴト。昨年は、14日に開始してるので、今年は少し早い。書類の仕分けと別に、過去の紙類の整理をタスクとした。だから、ほぼ例年通りの動きが出来るか?といったところ。
2024年09月12日
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都道府県知事・市町村長の解職選挙権のあるもの(有権者)の3分の1以上(有権者総数が40万人を超えるときは、40万を超える数の6分の1と40万の3分の1を合計した数以上、80万を超えるときは、80万を超える数の8分の1と40万の2分の1を合計した数以上)の署名を集めて選挙管理委員会に請求できる(地方自治法第81条第1項)[注 1]。例:(有権者数-80万)×1/8+40万×1/6+40万×1/3[1]署名募集期間は都道府県及び政令都市の場合2か月、その他の市町村の場合は1か月に限られる(地方自治法施行令第92条第3項)。請求が有効であれば、請求から60日以内に住民投票が行われる(地方自治法第81条第2項)。投票の告示は、都道府県知事については少なくとも投票日の30日前に、市町村長については少なくとも投票日の20日前にしなければならない(地方自治法施行令第116条の2)。解職投票において有効投票総数の過半数が賛成すれば、その首長(都道府県知事・市町村長)は失職する(地方自治法第83条)。ただし、投票前に対象の首長が職を失い又は死亡した場合は解職投票を行わない(地方自治法施行令第116条の2)。その首長の選挙から1年間(無投票当選を除く)又は解職投票日から1年間は解職請求をすることができない(地方自治法第84条)。(以上ウィキより引用)兵庫県の場合、有権者数が約450万人。すると、概算では、、(450万―80万)×1/8+40万×1/6+40万×1/3=462500+66667+133334となり、662501人、(請求に必要な署名数)期間は2か月以内、が有効となれば、請求から2か月以内に住民投票、告示にも制限がついて、都道府県知事については少なくとも30日前にしなければならない。住民投票の結果、過半数が賛成となれば、その首長は失職する。こういう絵を眺めて居る人、あるいは組織が既に存在するとしても、リコールの署名から、住民投票に至るまで、相当の時間が経過する。一方議会解散で、議会議員選挙となれば、メディアの情報では16億円の費用とか。(論調は高くつくんだよみたいな感じ)しかしこの場合は、有権者一人当たりの費用は、356円だ。コスパと、時間とを考えると、こちらの方が安くつくなあ、。県民のうちの一人だが、もう、消え入りそうな有権者の一人だが、計算機片手に事務してるばーちゃんは、自分のシゴトとは離れて、朝からこんな計算だ。
2024年09月11日
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稲刈りの季節が、会社の決算期と重なる。田舎暮らしして、そういう感じとなった。すでに15年以上だ。一日の暮れ方、明け方が、暗い。9月の初旬となり、白露を迎えて、。夜の会合も時々。(自治会)時間に合わせて出向いて、小一時間も話題に集中して、話すと、、眠りが深い事にも気がつく。ちょっと、体力的にはきついなあと思うこともあるが、そうか、。寝る前に、フランス語(はいつも明るいときにする)で歌えばいいのだ。と思った。決算業務に必要な下準備と事務を開始。まず、棚卸。通帳のコピー、など。20期を迎えるので、保存資料を整理しようと決めていた。7年間は置いといてね。とあった。じゃあ、13期までは、廃棄でいいのか、と、ピックアップ。これが、涙腺を刺激した。予想外。すぐには、形容詞が思いつかない。脈々と、(何やら万博っぽい)かな?ひたすら、、かしら。知らず知らず、歩いてきたらこうなった。か。(川の流れのように)あんなこと、こんな事あったでしょう(これも歌である)段ボール箱に詰めて、、(バスを待つ間に♬)じゃないか。ざっくり、2000年からは、血みどろの闘いだった。経済的に。匍匐前進、という言葉をこのブログに何度か使用している。借金返済一途の山登りである。とにかく、生き延びて(文字通り)決算業務にかかることが出来る。感謝。ちなみに、廃棄、、予定で棚の上からおろしたが、しばらく、(いつになることやら)置いとこう、と思った。(この資料の基となる領収書類は捨てます。ハイ。)ハコを眺めて、動かない。さてと。去年9月からの発送伝票の整理から始めようか・・。
2024年09月10日
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我が家の前に、バス停がある。といっても、ウチは旧道に面しているので、すたすたと坂を下りたところ。国道は20年ほど前に新しくなり、幅広くなってる。だからバス停からは、ウチは見上げる形。その坂下のバス停から3歩(大げさ)で、ポストと電話ボックス。そして、、コイン精米所。便利。ポストも、電話ボックスも、リストラ対象。風前の灯。娘からダイキチの写真が来た。ぐんとシーリハムらしく(って、、元飼い主だったあたしには)なった。このひょうきんな、まなざしよ!レンコンが安かったし、いっちょこういうのを、、と思って作ってみる。挟み揚げのようにした。オイル少し。中身は、鶏もももミンチと、マシュルームと玉ねぎ。サラダと頂きます。ごちそうさまでした。夜は、10月の隣り村との合同の秋祭りの打ち合わせ。両村の役員会。初めて参加した。もちろん、女性は一人。亡き夫は、どういうわけだか、、神事関連が大好きだった。どうも、DNAらしい。初詣に気が向けば出向くくらいのあたしとは大いに違った。町会について、という本を読んで勉強しようと図書館から借りてきて読んでいるがこれは、、主に、都市部の事を書いているので、外れだった。とにかく、、田舎の自治会は神事関連のことが多い。檀家関連、、はさすがに最近当該お寺の檀家が全員でないためこの場をお借りして、、という言葉が会の時に入るが、神事は否応なしである。あたしは、、伝統文化継承、と言い聞かせて、参加する。人さまのお世話をする役になったと思えば、それで、平和にコトが進むのならいいですよ、って感じか。(会計は、ちゃんと別です)なんせ1000年もの間、いやもっとか、、毎年のお米の収穫があったのだ。天候に左右されるという事は、人間のチカラの外。いくら真面目に植物の世話しても、降るものは降るし、フラン物はフラン。敬虔な祈りの対象がどうしても必要となるのだろう。恨むのではなく、お願いする。そして、感謝する。悪い事ではない。God Bless You!
2024年09月09日
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癲狂院日乗 [ 車谷長吉 ]ミニシミテ [ 田中 泯 ]共に読了。く氏の場合は、御連れ合いの高橋順子さんがおられなければ、日の目を観なかった。た氏の場合は、オドリ、が彼に無ければ日の目を観なかった。でも、結果、一読者に届いている。コメが買えない、となれば、必死のパッチで子供の所に送ろうとする。母は、母というものは、自然とそうなるのだ。昨夜、コメを炊こうとして、ウチのコメが全くない事に気がつく。所望すれば、すぐ手に入るので、それはそれでいいのだが・・。売る方も、おそらく、お分かりだろう。衣服を買わない暮らしになって随分となるが、こないだ、ワンピースを作ろうと思って、(手持ちの生地を探して、息子が、高校時代に、知り合いの大学の先生に勧められてインドに、木彫体験をするために旅をしたことがあり、その、お土産に、かの地のショールを(大判)あたしにくれたのがあり、)これで作ろうと、決めて、内職しているしさんに声掛けした。しさんは、プールのお友達。あたしは、すべて端折って言ってしまうので、ちょっと、着いてくるのが??だったしさん。結局、ウチのダイニングテーブルに、その生地を広げて彼女の制作したパタン(紙)を広げて、話し合う事になった。彼女の質問は、あたしをブティック時代に引き戻してくれる。いろいろやってると、、ネクタイ2本で作ったベストが出て来て、それは、あたしが9号体型の時に作ったのだが、そして、自分でも気に入って思い出に取っておいたものだったけど、今ではとてもじゃないが着ることが出来ない。(前が合わない)差し上げる、というと、今度の作成費は要らない。と、感激してくれた。要らない、などとは到底受け入れられないので、なんとか収めようとは思うが、評価してくださったことにはこちらが、感激した。でも、しさん、早速次回、洋裁学校に着ていく!とはしゃいでいる。それはそれは、、光栄なこってす。上記2冊の本もそうだが、表現というものは、、(人間の表現、この場合は芸術的、としても、)伏線の、結果、しか見えないものだが、まことに、氷山、そのもので、表に出るのは、一割、みなそこ(水底)が、9割、なんだよねー・・。昨日は白露。白露だぜ。朝夕には、こちらの方では、その片鱗を伺うことが出来る。。だけだけど。
2024年09月08日
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共感ベース社会の陥穽(というタイトルで、今年7月の終わりに書かれたものを全文コピーです。) 先日、ある文学賞の選考にかかわっている編集者からこんな話を聴いた。この文学賞では投稿されてきた作品を編集者たちがまず「下読み」をして、候補作を絞り込んでから選考委員会に上げる。何百本も応募作が届くのだから当然である。その「下読み」の時に、若い編集者がある作品について「これは落としましょう」という低い評点を付けた。理由を訊ねたら「主人公に共感できないんです」とこともなげに言ったそうである。「驚きました」と私に話してくれた人はため息をついた。「主人公に自分が共感できるかどうかが文学作品の質の判定基準なんですよ・・・」すごいですね、と私も応じた。その基準だと『悪霊』や『変身』はたぶん一次選考で落ちてしまうだろう。 共感できるかどうかというのは個人の気質の問題である。「自分と近い」ということはその作品に「価値がある」ということを意味しない。そんなのは自明のことであるだと思っていたが、いつの間にかそうではなくなっていた。自分とケミストリーが近いかどうかがある時期から「価値」の基準に採用されるようになった。 今回の都知事選を論じたものの中に、二位になった石丸候補について、「若い人たちの共感を集めた」という分析を多く読んだ。そうだろうと思う。攻撃的で冷笑的であることが生き延びる上では力強い「ウェポン」になるということを経験的に習得してしまった若い人たちが、石丸候補のうちに「自分と同じケミストリー」を感じることに不思議はない。 左派系の人たちは「若い人たちは情報が不足しているから、こんな選択をしたのだ。事実を開示されたらこんな投票行動をしなかったはずだ」という「啓蒙主義的」総括に傾きがちだけれど、私はこれには容易に同意することができない。投票行動が共感ベースなら情報の多寡は問題にならないからだ。共感ベースなら、石丸候補がいかなる政治的立場を取っているかも、公約が何であるかも関係がない。動画を見て、街宣を聴いて、自分と「同じ生地」でできている人間らしいと感じたら、投票行動を決定する情報としてはそれで十分である。 でも、「共感」ベースで政治的判断を下すことについては、それがいかに危険なことかはしっかりとアナウンスしなければならないと思う。「共感」ベースで政治的判断を下すということは、理解も共感もできない人たちとのコミュニケーションは初めから放棄するということだからである。 ただ、このリスクについては左派の人も決してそれほど神経質であるようには見えない。ずいぶん前から「市民目線」とか「生活者視点」ということを左派の人々も言うようになった。それに基づいて公約の適否を判断してよいということなのだとすると、それは要するに「自分にとっての損得」を基準にして政治的に行動してよいということである。しかし、自己利益の増大が集団全体の利益の増大に結びつくわけではない。部分最適と全体最適はしばしば背反する。当たり前のことである。だとしたら、どのあたりが「おとしどころ」かを思量するのが、政治的に成熟した市民のなすべきことではないのか。それをあっさり「自分目線で」と言い切ってしまう人が右派の共感ベースの投票行動を批判することができるだろうか。 不安なことに、共感ベースの政治に対するつよい懸念や批判を私はこの20年ほど目にした覚えがない。それどころから人々は久しく「理解でき共感できる身内」がどこからどこまでか精密な境界線を引くことを「アイデンティティーの確立」と称して、その不毛な仕事にひたすらうちこんできた。そうやって「身内」とはわずかな目くばせや符牒だけで身内認定できる技術を磨いてきた。みごとな達成だと思う。けれども、そうやって孜々として共感の輪を創り上げていたら、気がついたら「身内」以外とは意思疎通が困難になってきていたということはないのだろうか。 その「身内」認定にしても本人が「あいつはオレと同じケミストリーの人間だ」と思い込んでいるだけで、一種の関係妄想に過ぎない。非正規雇用の若者が「経営者目線」を内面化したり、年収200万の人間がIT長者に喝采を送ったりする光景は珍しくないが、先方は別に「貧しい身内」を内輪のパーティに呼ぶ気なんかありはしない。 近代市民社会がそれまでの部族社会から脱却できたのは「共感ベース」を廃して「社会契約ベース」にしたからである。共感ベースではある程度以上の規模の集団を維持することができないからである。 旧ユーゴスラビアはかつて「六つの国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」から成る混成国家だったが、「政治単位は共感ベースであるべきだ」というイデオロギーが支配的になったせいで内戦の果てに六つの国に分解した。 ホセ・オルテガ・イ・ガセーは今から100年近く前にこう書いている。「文明とは何よりもまず共同生活への意志である。他人を考慮に入れなければ入れないほど非文明的で野蛮である。野蛮とは、分解への傾向である。だからこそ、あらゆる野蛮な時代は、人間が分散する時代であり、たがいに分離し敵意をもつ小集団がはびこる時代である。」(『大衆の反逆』) 今世界は再び野蛮に退行しているように私には見える。(『週刊金曜日』、7月17日)(上の記事は、、今の世相をよく表していると感じたので、引用しました。)昨日、ネットでニュースを見ていて、かねてより、兵庫県民であるあたしは、現在の兵庫県知事の百条委員会での発言に興味があったので、衝撃を受けた。というのが、、知事の、「道義的責任、が何かわからない」という発言である。知事は、息子と同い年だ。いつもお米を分けてもらってるなさん、昨日、稲刈りだったそうで、(それは知らなかったが、いつものようにお米を所望した)刈り立てホヤホヤだよ、と、分けて下さった。やったー!新米だ!早速、娘と、息子に送ってやろう。
2024年09月07日
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癲狂院日乗 [ 車谷長吉 ]日記。その日の出来事を書く。これは一年間、書かれて25年後に出版された。事細かに人間をも描写。あさん、いさん、、(名前のアタマ文字)と、敬称、というあたしの書き方と、同じ方法を取っている。(文中は〇氏として。これは後書きで知ったことだが、もともとは実名)ので、びっくりしたわ。ただ、その、アタマ文字(ひらかな)に、傍点がつく。以下引用p141-142 九月三十日・水曜日。雨、午後、陰、夜、雨。(この行のみ前p) 中略ーー 夜、十一時半帰宅。嫁はんに留守番電話を聞かされる。も氏から抗議の電話。声が慄えていた。ほとんど泣き声だった。悲鳴だった。私が新潮社「波」十月号に書いた「意地っ張り文学誌」第三回の原稿に対する抗議である。平成四年秋、も氏、よ氏に神田小川町の「円居(まどい)」で私の『〇壺の匙』の出版記念会を催してもらった時の、も氏の発言をそのまま、「波」に書いたのが、氏をうろたえさせたようだ。「車谷、これできみも処女小説集を出したわけだが、問題は第二作品集で、第一作品集をいかに超えるかだ。人はともすればマナリズム(自己模倣)に陥りがちだがね。俵万智の歌など、その典型だろう。一遍うまく行ったら、そのうまく行った自分の作品を、次ぎの作品で、も一遍なぞるんだ。」「それから、小説家の場合、だんだんに作品を多く書いて行って、もう書くことがなくなったら、だいたい苦し紛れに伝記小説に手を出すね。高井有一が立原正秋の伝記を書いたのなど、その一番よい例だ。」文士は悪人である。悪(わる)である。悪である事の苦しみに堪える辛さを忍ばなければならない。しかるにも氏はそれが忍べない。従って善人として生きようとする。弱い。抗議の電話は泣き声だった。己れのけちな体面ばかりを考えた声だった。酒を呑んだ席の私的な話を、いきなり公の場に発表されたので、あたふた、じたばた、おろおろ。泣き声で抗議してきたが、要するに人間が弱いのだ。文学者というのは因業なものだ。因業に堪えうる人だけが、文学者として生きて行けるのだ。その点では、も氏は自分ではいっぱしの文学者づらをしているが、到底文学者の器ではない。阿呆な奴だ。も氏の言は世の中のどこへ出しても、恥ずかしくないものだ。にも拘らず、それに自信が持てなくて、ぎゃあすか言うのは、ただ肝ッ玉が小さく、小心、度胸のない男だということだ。文士は悪に堪える苦しさを忍ばねばならない。分かったかッ、阿呆ンだら。順子ちゃんが「また友達を一人失った。」 手紙3通。引用以上。(引用文中、〇は難し過ぎて出ませんでした、監、に似ている字)読む方は、10月の30日くらいまで来た。引用文のようなものは、時々しか出てこないが、、その時々が、、豪華絢爛である。これじゃあ、、25年後(出版)、ってのも、納得できる。
2024年09月06日
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【中古】 灘の男 / 車谷 長吉 / 文藝春秋 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】三篇の聞き書き仕様小説(と言っても、、実名?目白押し)最後の、御姫様、、のお話は、あたしの亡母がほぼ同じ世代で、ほぼ同じ境遇であったこともありなんだか、、不思議な気分で読み進んだ。読者(あたしのこと)がすでに後期高齢者である。癲狂院日乗 [ 車谷長吉 ]一年間の日記。出版までのイキサツを、妻である高橋順子さんが後書きに書いておられる。この後書き、読んで、、納得。ご本人は、なくなって久しい。(実は知らなかった)こうして、世の中に出る(出版される)まで、25年もかかった。時間軸が、びょーーーんと伸びた感じの昨日今日。
2024年09月05日
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コメ不足、とはいえ、いよいよ実って来た。すでに、稲刈りが始まっている田もある。今日は、シャンソン教室の日で、田舎から遠路はるばる大都会へ。教室に着くまで、と、帰りは電車に乗るまで、、3-40分は歩く。あたしの、ルーティン。途中で、一服と、カロリーメイト。がお約束。最高気温は、こちらでは、今日は31度とちょっとだけ、涼しくなった。相変わらず、都会は、暑い。昨日、あまりの勉強不足に思い切って先生にメールした。その後すぐにお返事が来て、的確なアドバイスを貰った。それで、、(こんなブログ書いたんです。とリンクを送った)ブログ読まれて、10年(教室歴)ちゃいますよー、とお返事いただく。20年ですよー!長いメールだった。誠実な、確実な、フランス語の先生、に出会えたことに感激した。そのあとは、いろいろやりとり、、(個人的に)して。レッスンは、、常日頃の怠け者の体たらくはどこへやら、集中出来ましたのです。感謝。
2024年09月04日
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こちらの教室はすでに10年以上も続いているとか、前回のレッスンの後のおしゃべりで、知った。スイミングを10年以上、ひょっとしてもっと?続けている彼らと、同じだな。と思った。そうだよね、あたしだって、、ジャズヴォーカル、そんな感じで続けているもの。同好の士、自分の思い、というか、、こういう事を趣味としている人、って世の中にいるのかしら、教えてくれる人はいるのかしら、という希望が叶って、飛び込んだのが去年。飛び込んでみてから、違う、なんか感じが、、というのが普通なわけだ。想像と違ったのは、まず、歌唱力。この教室は、あくまで、フランス語をシャンソンと言う紐を辿り、詩を素読し、文法まで行かないけど意味を把握し、歌詞の理解と正しい発音を目指す。フランス語のお勉強には楽しくかつ充実した勉強法だ。だから、歌唱力はあまり問われない。どこで勘違いしたか、ジャズライブなどやってみようか、という段階になってるあたしは、やはり声が基本、大きいので、皆驚かれる。(他は全くの初心者です)エンディングなどで、盛り上がると、ああ、長い間の修練の賜物なのだな、、と、前で歌う方は実感する。だって、同好の士同士だと、こうはならないもの。(ふーん、てな感じだもの)その点は、心配はないわけさ。(歌う事については)英語については、読んで理解し、まあまあ歌える、、が、これが、フランス語、となると話は別。まるでよちよち歩き。レッスンのために、そして、3か月に一度のピアノ伴奏でのお披露目、のために、しこしこ仕込まねばとてもじゃないが、ついていけてない。この、仕込み、夏中、気持ちが動かない。ピザでもラウンドケーキでも宝物の山でもなんでもいい、、自分がその周りをグルグル回り、眺めて居るだけ、、って感じ。そんな日々を送っていると、もう、今月第3周目は、3か月タームの最終日となる。さあてえへんだ。フッ、とため息をついている。今期の課題曲は、「巴里祭」「ある日恋の終わりが」そして、「ミストラル・ガニョン」巴里祭は、聴いたことがあるので、楽譜はすぐに読めた。ある日・・は、ゆっくりなので同じように歌詞を追うことが出来る。ところがこの、「ミストラル・ガニョン」は、、日本で言う、、さだまさしや、井上陽水的な、郷愁を含んだ一人語り的な、ちょっと毛色の変わったシャンソン。なんだけど、メチャ、メジャーらしい。らしい、というのは、あたしが知らなかったからで、。。ブツブツ呟きで、曲も早い。所謂シャンソンという感じじゃない。けどレッキトシタ、シャンソン。日本人の持つシャンソン、のイメージが、非常に偏っているから、致し方ないのだけれども、普遍的にバラードは、どこの国でもあるんだね。このルノー(シンガーソングライター)は、今でも、人気歌手だそうです。Mistral gagnant腰据えて、聴き、言葉を追って、少しでも歌えるようにしよう、ってのが、今日のミッション。
2024年09月03日
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市の補助金は、議会承認が必要で、9月に提出すると、12月の市議会にかかる。市内各自治会の会員数にもよるが、こちら丹波篠山市では、公民館関連の設備に関しては、半額の補助が(期間と総額がある)認められている。いずれも、範囲内であったので、いよいよ、エアコン設置に向けて動き出すことになった。今日は、その申請を支所にしようと、他の予定の中に時間割を組んだ。プール、銀行2行、口座3個、先月末決算の仕事関連も始末をつけて行かなくちゃ。買い物も。支所に出向いて、さてと、、と手続きをしようとすると、、さっき、自治会長さんが来られて、書類は提出して頂いています。と、担当課長。え?彼は、指示出しておきながら、自分で出来るとなると、これかよー・・。手間が省けて、良かった。とは素直にいえない自分がいる。この噴火を納めるには、一日かかった。救いは、自治会会員のかなりの方々が、エアコン導入に積極的な事。それが、会長一人の意向で、長期にうやむやになっていて、不満が鬱積してきていた事、を受けてのお世話であった事。それにしても、年末に(予算が)通り、翌年の年度末、つまり3月末までに設置、という悠長な事ではあるが、ほぼ実現することになったので、オッケー、としよう。我が家に帰る途上に、会長の家があり、怒鳴り込んでやろうか、とも思ったけど、いやいや、、ここは辛抱辛抱、。と、静かに前を通り、帰宅した。あたしに指示を出したこともひょっとしてお忘れかも知れない。あたしが、(申請に)行きますよ、と言ったことも聞こえてなかったかもしれない。女性の役員、ってのが、この自治会開闢以来、初めてだし、どの程度のコミュニケーションが必要なのかがお分かりでないのだろう。ま、それこそ、、ぼちぼちでんがな・・。こちらは、、有難い事に、複数以上の、お遊びツール(シゴトを含めて)を持っている。自治会の事はあくまで、ワンノブゼム。なるようにしかならないし、時間もかかるのだろう。などと、、結構、カームダウン、出来ました。えらいよ、自分。でも言いたい。「ひとこと言うてよね!」
2024年09月02日
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台風は迷走を続けていた。ウチは逸れているがよその地で大雨になったりする。湿気が強い。従いまして、気持ちと体調が、悪い。何より、前の晩の役員会での驚きが、尾を引いている。さて、金曜日夜の役員会、。席について、前の書類を見ると、アーラ不思議。あたしの推薦した会社の見積もり書と、キッチリ同じ機種での見積書、しかも2社。揃っている。同じ機種、メーカー、品番まで!A・B・C社としよう。(ちなみにB社は現場にも来ていない!)なぜなら、見積もり打ち合わせの際に、C社は家庭用エアコンの提案だった。相見積もりが常識、と思っていたので、当て馬前提?かもしれないけど、一度、現場みて欲しいと、A社にお願いした。ええよ、というわけで、来てもらったが彼は、ココなら業務用がいいでしょう。との判断。あたしも、同意した。で、本来、見積もりして価格を比較するという流れだと、同じ仕様でないと、比較はできない。次の段階、じゃあ、と、揉んで、状況をもう一度、議論しないといけなかった。(そのつもりで、会議に臨んだのである)ところがところが、、何度も言うが、同じ機種での見積書が前にある。秘密主義の会長は、あたしの渡そうとした見積書、A社の見積もり書、役員会のときでええよ、と、受け取りを拒否。ま、それなら、、と、あたしも、他の役員さんにはコピーを渡した。(当然、C社の見積書は見せてもらえず)もちろん、B社の存在など、知る由もない。ふたを開けてみると同一機種で見積もった工事費ともで、価格が、、C、B、A、の順に安い。A社の社長(だけが出席)、太刀打ちできません。安いです。後出しジャンケンもいいところである。ひとこと、経過説明が欲しかった。ええけど。。。(と苦い顔)(以下、回想場面→)見積もり、って必要ですよね。なんで?だって、いくらの事業か皆さんに説明しないとでしょ。相見積もりって必要ですよね。なんで?だって、一つの会社だけだと、相場、ってのが分からないでしょ。いやいや、、この前に。公民館にエアコンって、今の時代必要でしょ。なんで?ってのがあった。(のですぞ!)ああ、思えば、長い道のりの数か月であったー。なこと、思えば、金曜日夜の役員会、ええ感じやったがな。。後は、、A社(地区の有名設備会社)の社長にごめんやった、とひとこと挨拶をする。という仕事が増えただけだ。ジムに行こうと装束整えたが、挨拶の方を優先。(ちなみに、あたしは、どうしてもこの業者さんに、とは、思っておりません。単に、ご協力をお願いした、という事だけで、あちらもそんな感じは理解してくださっておったと思います)どうかすると、誤解を招きかねない状況だったので、。。次いで、さる長老に電話。(逐一のエアコン問題に関しては、彼には経過説明をしていたので、3社見積もりが出そろい、同じ機種で見積もられて居た、のは言っておかないと、総会で、また、ややこしくなる)後回し根回しで、疲れた。しかし、大局を眺めると、ほぼ、思い通りの展開である。多としよう。この年になると、噴火も命がけとなる。クワバラクワバラ・・。というわけで、(かどうかはしらんけど)ラーメンが食べたくなり、作成。夕食にはポテトサラダが食べたくなり、作成。と、ばーちゃん、どや顔。
2024年09月01日
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