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ようこそ、お越しくださいました。 今シーズン4回目の台風休業となっております。 今年は、例年になく台風に気に入られているらしく?、毎週のようにおいで下さります。 せっかくのバケーションを網地島で過ごそうとされたお客様が、中止を余儀なくされて、とっても可哀そう。 キャンセルの電話をする時に、皆さんとっても残念そうで、日にちの変更でしのぐ方もいらっしゃいました。 でも、その変更日もまたもや台風で、船の欠航となり・・・ という事で、どたばたのシーズン後半となりました。 昨日は、台風10号が網地島付近を通過して行きました。 報道されていたほどの風雨ではなく、先程ぐるっと見回りをした結果、今のところこれといった被害はありません。 大量に降った雨も、速やかに海に流れ落ち、強風にも人も自然の木々も慣れっこです。 まったく、有難いことです。 本当に、この島は自然災害?に強い島です。 311でも一人の死者もなく、悲壮感を漂わせることなく過ごせました。 もっともっと、網地島の波動が上がってくれば、何の心配や憂いは無くなることでしょう。 さて、「日輪に向かって歩く」ということ。 先般、ある本を読んでいたら出てきた言葉です。 「あの日輪に向かって歩いて行け、さすれば己の影を踏むことはない。」 日輪とは太陽のことですね。 お日様に向かって歩けば、自身の影は後ろに回るので、その影を踏むことはありません。 この意味する所は、日輪は真理とか誠、愛とかの代名詞。 それに向かって生きれば、悔いや恐れを生むことなく真の王道を進める、ということかな。 「言うは易し、行うは難し」で、これって難しいですよね。 でも、完璧は無理としても、これに向かって歩けという事ですから、向かって歩こうとする姿勢が大切なんじゃあないかな。 今私達が生きているという事は、やるべきことがあるから生きている。 過去生からのやり残しがあるから生きているわけです。 やり残しが無ければ、過去からのカルマを解消したことになりますから、そういう人は生きる場所がこの次元の地球ではなくなります。だから、やり残しが無い人は、ここにはいないのです。 往生したという事、解脱に至ったという事ですから3次元の輪廻から解放され、その魂は次のより高い表現の場に昇華します。 私達の今生の生きる最重要のテーマは、そのやり残しをやり遂げることなのですね。 やり残しを完結させずに、生きて行かなくてはいけないという理由でその最重要テーマに手を付けずにいれば、また再び輪廻の輪からは出られずに同じことの繰り返しとなるようです。 どういう生き方でも、それぞれの自由な選択ですからね。 私の場合は、出来得ることなら3次元の世界から解放されて、食っていかなくてはいけないという制限のない世界で、より高次元の世界で生きてみたいな。
2016.08.31
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ようこそ、お越しくださいました。 今シーズン2度目の台風休暇です。 毎年のことですが、夏季シーズン中に3回くらい台風が接近し、連絡船が欠航もしくはその可能性があるということになって、島に行けることはできるけど、明日の帰りの船は出ないかもしれないと言われると、お客様も宿泊のキャンセルとなってしまいます。 楽しみにしていたバケーションが中止となって、大変可哀想です。 でも、天候のことですから仕方がないとあきらめているようです。 我がペンションも、満室状態だったのが一転して宿泊者ゼロ状態。 逆を言えば、そのおかげで私たちは予期せぬお休みがいただけて、のんびりできます。 まあ、経済的損失は否めませんが、これも世間にお布施をしたと思ってポジティブに考えております。 確証はありませんが、この経済的損失も、すぐに埋まる仕組みです。 今日以降の客数が大きく伸びるとかで、必ず補填されます。 プラマイゼロの調和に戻る。 それは、毎年のことで実証済みです。 マイナスがあればプラスがある、プラスがあればマイナスがある、これが宇宙の真理の一つですから。 だから、これが解っていると、ガタガタ騒ぐ必要はないのであって、騒げば騒ぐほどその仕組みが歪みます。 それは、「天」を信じていない証で、突発的なマイナスに対し、憤りや不遇を呪う想念を発してしまうから。 見た目や目先の状態を、その都度一喜一憂する癖がついている私達。 マスコミも、一つ一つの出来事に幸不幸、ラッキーアンラッキー、加害者被害者と色分けし感情をあおります。 それを見ている視聴者は、見事にそれに踊らされ、怒ったり涙したりと大忙し。 目の前に起こる出来事が、魂レベルの長い長い時の中で、良き方向に導かれて進んでいると認識できないでいる人が多い中、まず「天」を信じて、信じ切ることが大切と思うのですが・・・ 仏教で言う所の四苦、4つの苦しみの、「生老病死」(しょうびょうろうし)。 自分の居場所のない家庭や職場で、どう生きて行ったらいいのか。 老いて体が弱り、死ぬまでお金がいくらかかるのか。 病を抱えた体で、周りの人に支えられながら、どう生きて行くのか。 死んだら、死んだ後はどうなるのかという、四苦の極みはやはり「生」ではないか。 「諸行無常」(しょぎょうむじょう)という、この世で形あるものは時とともにその形を変えていくというこの世の摂理をお釈迦様が説きました。 人の生死も、人との出会いや別れも、お金や人間関係もすべてこの世は流れ流れて変化していくという事。 しかし、その変化は「天」を信じていれば、必ず「歓喜」、「弥栄」(いやさか)に向かって進んでいくと確信しています。 四苦の極みである「死」が、実は「終わり」ではなく、次のステージの「スタート」だと信じることが出来たら、どれほどこの人生が豊かに、尊厳を持って生きて行けることでしょう。 特に、人生の仕上げ時期に入っている50代以降の方は、現世利益に走るのもいいですが、来世をどう生きるかに焦点を絞った生き方を少しでもできれば、結果として晩年がより豊かな人生になることと思います。
2016.08.18
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ようこそ、お越し下さました。 前回のブログで、来世が無くては辻褄が合わないと書きました。 でも、証拠というか、科学では証明されていないし、来世から今世に戻って来世の事を現代の人に詳しく説明した方もおりません。 リーディングで高次元の存在と交信したと言っている方はけっこういますね。 でも、そこにははっきりとした第三者が認められる確証というものがありません。 それは、高次元から3次元に積極的に介入することはできないからです。 あくまでも現代人の本人の意思で、この混迷した世の中で気付いて行かなければならないから。 間接的な気付きのヒントみたいなものは、けっこうたくさんあると思います。 でも、高次元からそのヒントが下りてきても、そのヒントを受け取る受信能力が乏しく気付かないで過ぎてしまうことがとても多いと思われます。 高次元からの波動を受信するために、その能力を高めなければなりません。 自らが高い波動を有しないと、受け取れないのが普通とされています。 荒々しい波動の中で生きている人には、その精妙な信号に感応できないのですね。 荒々しい波動の中とは、競争社会の只中、争いを好む、言葉が乱暴、相手を思う心が少ない、敵対心競争心が強いなどですね。 そういう世界をなるべく避けて、まずは喫煙や薬物は勿論NG、口に入るものはなるべく添加物の少ないものを選び、ピュアな体を目指さなくてはね。 魂が発する波動を高めるために、怒りは最もいけません。 どんなに努力して高めても、一瞬の怒りですべてがなし崩しになるかもね。口や表情に出さなくとも、心に思う事でもNGです。この辺りが、私のテーマでもあります。 鮭が生まれた川を目指して何千kmも泳いで、きちんと産卵をする帰巣本能なんか、「天」と一体となっている証ですね。 実際の生活の中で、いらいらすることも多いでしょうね。 ニュースを見れば、なんでこんな理不尽なことが起こるのか、怒りとも悲しみともつかぬ感情に流されることでしょう。 私の場合は、少し世俗から離れていますので、皆さんとは少し違うのかな。 でも、それが出来なくとも頭で解っているだけで、言動がそれに伴っていなくとも、いいんです。 先ずは、頭で解ることが第一歩です。 こうじゃあ駄目なんだ! と自分を叱りながら、3歩進んで2歩下がる。 私なんかもいつもこれです。 この努力というか、目指す光があるのは来世があると思うから出来るのです。 今の生きている環境は、今までの過去生を含む自分が蒔いた種の結果です。 自分が思い描いた人生と違っていたら、そうなるような原因を作ってきたからに他ありません。 親のせいでも、世の中のせいでも誰のせいでもありません。 この宇宙の揺るぎない絶対的真理である「因果応報」という不変の営みが支配するこの宇宙で、なに一つの例外はないと思われます。 だから、たった今以降の人生は、大いに「来世がある」という前提で生きてみたらいかがでしょうか。 今までの人生は、過ぎてしまった時間を戻すことはできません。 でも、これからの人生は自分で開けて行くんです。 今生は、ここまで来ちゃったんだからしかたがない。 だから、「来世に賭ける」と心に誓って生きてみるのも一興ではないでしょうか。 世界中の人がそうすれば、数パーセントでもいい、世界はどうなるのでしょうか。 戦争や紛争が少なくなり、自殺はなくなり、犯罪が少なくなりと、素敵な世になるのでしょう。 むやみに「肉体の死」を恐れず、延命治療の必要もなくなり、美しく生きた結果がどうであろうと、何も不安や恐れを抱くことなく末期を迎えられます。 でも、そういう訳にはいきませんね。 私達が住む3次元は、低い波動の人から高い波動の人まで、渾然一体となったカオスの次元です。 低い次元の金銭に対する執着に囚われていたり、人と争う愚かさを学ばなくてはならない途上の人もたくさんおります。 そういう人はそういう人で、本人の選択に任せて、好きなように生きてもらって、高い次元を目指そうと気付いた人は、周りはさて置き自分がどんどん高く上り詰めることが大切です。 マザーテレサさんがノーベル平和賞受賞の時、「幸せでない人たちが大勢いるのに、私がこういう賞を受けるのは本意ではない。」と言って受賞を辞退したとかそうではないとか。 そういう考えも立派だと思いますが、今は「天」はカツオの一本釣りのように、気付いた人をスパッと引き上げて下さります。 一人の波動が上がると、その周辺の人達やその地域そのものの波動も上がると聞いています。 だから、冷たい言い方かもしれませんが、他人の選択はその人に任せて、自分は自分の信じる道を進むしかないのですね。 愚かと思える生き方も、その人にとっては気付きの一環なのでしょう。 だからそういう人に対し、軽蔑したりすることはないのです。 私は、そういう人との付き合いは、一定の距離を保った状態で接しています。 まあ、あまり私の周りにはそういう人はおりませんけどね。 そういう意味では、世間との距離を保てる環境にいることは意味あることですね。 島に移り住んだそもそもの理由は、そこにある訳です。 誰しもが高次元に向かうという方向は一緒でも、そこに行き着くスピードと方法はまちまちで、それは仕方のないことなのですね。 まず頭で理解し、出来る所から少しずつやるというのがいいのかもね。
2016.08.09
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