小さな兎☆月の大きな物語:第二幕 0
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願いをかなえる事への対価。それは仏教で説いている仏の教えの数々の実践であったりする。 が、別に仏教徒でなくてもOKだ。 戸籍(宗教の違い)の違い、無国籍(無宗教)も関係ない。 ◆人の心が温かくなる事。 いや、人のみならず、生きるもの、生きていないもの(あくまでも生物学的)、見えるもの、見えないものに関わらず、情けの心をもち、実践する事。 ◆感謝する事。 モノを大事にすること。 人を大事にすること。 己を大事にすること。 ◆後一つ…。 これは申請を出した人により異なる。 上の2つは代表的な事だが、だからといってどうしても万人に適応した事ではない。ちょっと違う人の為にこの三つ目の項目があるようだ。 例えば、「しなくちゃいけない」と逆に心を縛り過ぎる者。それはそれで実は怖い事である。 水にぷっかりと水に浮くには力を入れたり、「○○しなくちゃいけない」と手足を動かすと逆に浮かぶ事が出来ない。 力を抜きる途中で顔にかかる水への恐怖に勝って、水と一体になるまかせ心になれてこそ、ぽっかりと浮かべて青い空を思う存分見る事が出来きるだろう。怒ってはいけない、嘘をついてはいけない、○○は身体に悪いから食べてはいけない、いい事だからこうすべき。いい事なのにこう出来ない私は悪い者だ。エトセトラエトセトラ…。そんな固い心は良き事を行い事を目指しながら、人や己自身をさばいてしまうかもしれない。もし心配なら、一回海にでも行って浮かんでみたらどうだろう。 身体は心を表す。どうしても力が抜けぬ処、己の心の何処かに通じるかもしれない。もしかしたらガチガチになっている処に気が付けるかもしれぬよ…。 ちと脱線したが、そういう訳で三番目はフリー枠というか、その人にあった課題が来るようだ。それらが「願いをかなえる為の仏への対価」である。 大きな事を頼めば、 それなりの対価が溜まるまで実践するしかない。 もし即座にかなったとしたら、 今までの人生かもしくは過去生で納めた量が見合っていたのだろう。 ある種、非常に合理的でシステマチックな面がある。 また、各市町村により市政が違うように、 仏像によっても出来る事に差があったりする。 作ろうと思いったった(発願した)者の心も影響する。 作りだした仏師の心も影響する。 安置された寺の僧侶たちの心も影響する。 そして参る信者や民によっても影響する。 ちなみに、大講堂の阿弥陀殿は各課に転勤転勤で、 薬師の冠を頂いたり、弥勒の冠を頂いたりしているので結構技が多彩である。 身体の浄化を願う。 スイッチが入ったように、ざ~っと抜けていく。 ****************************** 仏像という「形」から「形なき存在」を見出し、 その存在に意味を作り上げる。 もちろん、仏界からの承認もあるが、 木片が仏に姿を変え、そして真に「仏界の端末」として機能出来る存在になれるにはそれなりの「心」が必要なのだ。 しかし…、 それでも心と思いから「端末」を作り上げる「人」と言う物は本当に凄いな…。 麗珊に「市役所」の意味を語りながら、月櫻はそう思った時。 その時、こんな言葉が聞こえてきた。 ****************************** 実(げ)に強きは人心(ひとごころ)、 そは人の中に神あるゆえ。 人それに気付かず。 故に、形つくり「祈り方」を教える。 心のつくし方、教える。 心をむける方向を示唆する。 形である、仏に拝む姿のその奥は、 己の神に語るなり。 「行いすべき」その奥は、 己が神をば起こす事なり。 ******************************* なるほど…。 どうやって自分の中の神を見つけ出していいか判らない我々に、 手順や見本を見せてくれているのか。 瞑想が苦手な者は、 形あるものに祈るもいい。 それは目標と方向の手助けをしているから。 人導きし神の思いの一片。 耳視師月櫻、確かに伝えし候。 にほんブログ村←心優しき方々に感謝です。お手数かけて申し訳ありませんが良かったら押して頂けると続きを書く意欲になりまする。
2011.08.05
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大講堂につく。 そこはその名の通り、かつて学僧が講義を受け、各種の教義について論じあい、互いに研鑽に励む場所であったという。 ちなみに一般に「寺」には寺を守る信徒たち=檀家というものがある。 江戸時代などは寺は今の役所の様な働きをかねており、 そこに檀家として登録する事が義務つけられていた。 死亡すれば、過去帳に全て記入される。 戸籍係の様な感じだ。 そして、これがあるからお上は年貢(税)を取っぱぐれる事はない。 政治と宗教はいつの時代にも密接に絡み合っている。 引越をした時も必ず引っ越し先の寺に移転届けを出す。 出さねば「葬式」をしてもらえない。 村八分より恐ろしい。 なにせ許されている残りの「二分」は*火事の際の助けと*葬式だからだ。 嫌われ者でも死んだら罪は消え、仏にしてもらえる。 しかし、葬儀をしてもらえなければ死んでも浮かばれない事になる。 極楽地獄思想の中で、それは苦しい庶民の現実生活の中で「死後の國」の安らぎの可能性すら消し去ってしまう恐ろしい恐怖だったのかもしれない。 そうやって、寺は檀家により修復され守られていった。 しかし、薬師寺には檀家はない。 それは薬師寺の役目は時の政府の重要な「学校」であったからである。 その為に、必要な経費は全て公費で賄われていた。 しかし、今は平成の御代。 寺にお金を出してくれる世の中は遥かに遠くなった。 それでも、薬師寺がその数々の巨大な建造物を再建立したからくりは…。 是非、金堂の説明会で聞いて欲しいw。 苦労したのは人だけでなく、仏像もそうであった。 大講堂の「阿弥陀三尊」は、嘉永5年(1852)の時点では「弥勒」であり、 次に「阿弥陀」となり、明治以降は「薬師」となり…。 やっと最近「阿弥陀様」に落ち着かれたそうである。 ****************************** 「皆さん、これが阿弥陀三尊でございます。しっかりお願いごとを行って下さいね~。言わないと聞いてもらえませんからね~」 何処かの観光ツアーのガイドさんが、団体客にそう言っているのが聞こえた。 ~ナイス!。 なかなかツボをついた説明だ。~ 小耳にはさんだ月櫻は含み笑いをしながら横にいる麗珊にこう云った。 「麗珊(りーしゃん)、仏界はね、市役所みたいな感じだからしっかり願い事を頼むといいよ」 「?市役所ってなに?」 >市役所 それはかつて、月櫻の兄弟子の鬱金(うこん)殿が言った例えだ。 仏界は、衆上を救う為に役割分担が非常に良くできている。 大体が、浄化系であるがしっかりした仏像では、その名を冠した役割を即座にこなす。 例えば、薬師如来ではやはり健康や身体系の係り。 →『仏界庁浄課三(身)科願い処理係』 みたいな感じだろうか。 意外に役割分担が決まっており、 人の方もこれを頼むのは~仏様、という感じだ。 願い申請書の提出、 窓口受理、 そく交付。 みないな感じで、簡単な申請ならその場ですぐ行う、非常にスピーディーなシステムが出来てる。 そう考えると、日本神界はアバウトに感じる。 結婚や恋愛の神とされる島根の出雲大社は特例に値するのではないだろうか。 それさえも、10月に日本全国の神様が出雲に集まるから、そこにお願いしておいたら全国区で「お相手募集手配」が回るだろうという感じからである。 よもや日本の神様はなにも結婚相談所を開設するばかりに集まってはいない…と思うが:笑。 しかし、いくら仏界でも大事なのは、 「願う」という意思の発動があってこそ、受理されると言う事だ。 「言わなくてもやってくれ」と口を開けているだけでは何もしてくれない。 『己が願いを真意をこめて願う』。 申請書が判り易く、必要度が高く、熱意がある程、案件は通りやすいのは 一般社会でも同じ。 その代わり、役所が事を起こしてくれる代わりに我々が税金を払うように、 仏界も対価が必要である。続く。にほんブログ村←コメントでも押して下さっている方々、その他の方々、皆さまのお陰で2位になりました。向こうから来て下さる方もちょ~~っといらっしゃって。何か伝わる事があるといいのですがw。出会いにご協力感謝致しますです。
2011.08.04
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金堂につく。 今日はもう遅い為人もまばらになっている。 16時前位なら僧侶による薬師寺の説明会が聴けるのだが残念。 この説明会、僧侶がなかなか絶妙な話術で話すので中々楽しい。 薬師寺に行かれる機会があればお聞きする事をお勧めする。 堂内の中央に薬師瑠璃光如来、向かって右に日光菩薩、 向かって左に月光菩薩が祀られている。 月櫻は軽く日光菩薩殿と月光菩薩殿に挨拶をした後、 薬師如来の前で祈る麗珊(リーシャン)の横に立った。 祈る麗珊の前に、もう一人の花仙・麗珊が現れた。 薬師如来殿が優しく声をかけた。 『目的を成しましたか?そろそろ…根を下ろしますか?』 花仙麗珊は首を振った。 麗珊は花仙時代で生じた課題や出来事、人生観などが今の人生に影響を与えているようだ。 ~何か目的があるらしいな… 最近月櫻が依頼されてセッションをした人物も花仙の過去生があった。 その方の場合は、人間と古代から関わっている植物で、関わった人々を助けたいとか、人としてこれをやってみたいとか…、花仙時代の出来事などが今の人生の目的に大きくかかわっていた。 麗珊も目的があるのだな…。 薬師殿にも御縁があったのだろう。 「なんか色々浮かんできたけど」という麗珊に薬師如来殿の言葉を伝えた。 そのまま如来像の後ろの方に回ると、釈迦十大弟子の像がある。 このお弟子様方、それぞれ得意技をお持ちである。 いわば十の学びの学歴一位表彰者の様な感じだ。 例えば、舎利弗(しゃりほつ)は「智恵第一」。 仏陀の弟子の中で美男で名高い阿難は「多聞第一」。 面白い事に、月櫻は参る度に「我に必要な師は?」と問うと違う像が答える。 今回は「神通第一」の目連が名乗りを上げて下さった。 ちなみにウキペディアの一節では、 『神通によって釈迦の説法を邪魔する鬼神や竜を降伏させたり、異端者や外道を追放したため、多く恨みをかったこともあり、逆に迫害される事も多かった。』という。 ・・・ ・・・ ・・・ 天河で何があるんだ?・・・。 ちなみに麗珊には「密行第一」の羅?羅(らごら)であった。 その時は、麗珊にある方法を授けてくれた。 ほんとに何があるというのだろう・・・?。 それぞれの師に礼をいい、 次に大講堂に向かった。 金堂と大講堂の間には蓮の鉢が多数並んでいた。 ちょうど花が咲く時期であった。 鉢の中で咲く蓮は一人一人がその鉢の主役であり、 池で無数に咲く蓮とはまた一風変わった趣で美しかった。 「あ…なんか呼んでいる気がする…」 麗珊はそういうと、鉢列の方に向かって言った。 ふふ、なかなかいい感をしているね。 月櫻はほほ笑みながら後をついていく。 ほら、蓮達がこぞって言っている。 『麗珊、りーしゃん、お久しぶり』と。 麗珊は数ある鉢の中から、ある鉢を選び出した。 「これ!!。これが何か凄く惹かれる!!!」 ああ、その花仙も凄く懐かしそうだよ。 確かにこの中で一番縁がある花流の様だ。 とても嬉しがっている。 しかもなかなかの美人だ…。 花仙麗珊とは又雰囲気が違うが、誠に花仙は美男美女が多い。 青丹(あおに)よし 奈良の都は咲く花の 薫(にお)うがごとく いま盛りなり 強い冬から緑萌え花咲く春に向かう喜びを表した歌だが、 実は歌人小野老朝臣(おののおゆあそみ)は、 その時見えた風景を歌ったのではなく、大宰府にあって都の春を思い偲んで歌ったと言う。 青丹(あおに)よし 奈良の都は咲く花の 薫(にお)うがごとく いま盛りなり 数千年の時をこえ、 友が向かい合う風景が今再現された。 その思いも又、遥かな時と場所を思い偲んで飛ぶのであった。 *金堂 http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_daikodo.html *大講堂 http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_daikodo.html **************************** 久々にぶっ飛び系の日記が続いているから、 コメント無いのもしょうがないよなぁ~と思いつつ、 ちょっと寂しかったり:笑。 けど、伝えてって云う事が多々あるから… だから月櫻を作って小説にしています。にほんブログ村←30数人のお陰さまで累計3位まで上がってまいりました。ありがとうございます!。良かったらぽっちり読んで下さいませw
2011.08.03
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再び東塔の上空に現れていた目玉は3月の時よりも小さくはあった。東塔の機能は停止している為、月櫻は手っ取り早く違う次元に繋いで移動してもらう方法を取った。しかし、このままでは定期的に薬師寺に来なくてはいけなくなる。…代わりのシステムを構築しろという事か?。月櫻は麗珊(リーシャン)に声をかけ、東塔の周りを回った。「何をしているの?」「一番効率のいいポイントを探している…」尋ねる麗珊に月櫻はそう答えた。麗珊は直感が鋭いがまだ使い切っていない。だが、一緒に来たと言う事には何か意味があるに違いない。~問題はどう使うか、いつ使うかだけどな…ふと月櫻が足を停めた。「ここだな」立った場所は東塔の入り口からわずかに外れた場所。金堂に向かう観光客からは東塔の影になり見えない。しかし一人観光客がいる。普通仕事をする時は人払されるはずだが、居ると言う事は『なるべく自然な形でやれ』という事だろう。薬師寺を守る僧侶は非常に勤勉で尊敬に値する。不審な態度は慎むに越したことはない。しかし、こう云う時月櫻は正直、躊躇する。まがりまちがっても人さまの敷地で術を使うのは、心理的には不法侵入感もある。そして以前も悩んだように「役目と勝手に決めて勝手にやってはいないか」「自分のフィルターで「良い」と思うというだけで行動していないか」という事だ。…だからこう云う仕事はちょっと遠慮し…と、考えかけて月櫻は目が見開いた。その目線の先には先程処理したはずの目玉がもう作成されかけているのがうつっていた。~早い!?それは先程に比べてもまだまだ小さかった。しかし巨大な川の強固な堤防が、小さい穴から決壊するように、もう次元に空いた穴に蓋をするすべは何処にもないのだと悟った。やるしかない。月櫻は呼吸を整えた。まずその地の地脈を探る。10m50m100…200…地下、約500m程の処で地脈をとらえる。東塔の心柱から相輪を座標ポイントに設定して、そのエネルギーの流れをぐっと持ち上げた。しかし何故か相輪上部で固定が出来ない。地脈のエネルギー以外の何かの要素が必要なのか?「あ…」月櫻は声を漏らした。なる程、そう言う訳か。月櫻は一人合点がいくと、横で静かに立っている麗珊に声をかけた。「力を貸してくれ」「え?私何にも出来ないけど」「大丈夫、出来る。ただ東塔の相輪を見つめてくれるだけでいい」「訳わかんないんだけど…」合点が行っている月櫻の横で、合点がいかない麗珊はそれでも一心に相輪を見つめ出した。~さて、現れるか?麗珊の心が一点に集中し、エネルギーが相輪に向けられる。その瞬間ふわりと艶やかな桃色の大輪をこうべに抱く、麗しき芍薬の精が現れた。花仙麗珊であった。~いよ、お久しぶり笑う月櫻に花仙はほほ笑みの挨拶を交わし、相輪の横に立った。~後は音楽だな月櫻は過去生の自分の分身の中から、神楽(かぐら)と呼ばれる精霊を召喚した。<東塔の相輪の上部の水煙には24の飛天。それらは『笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿』である>花は地脈のエネルギーを集め、統合し、そして美しさと香りと共に放出する。音楽は風であり、花のエネルギーをより生かし、引き上げる。なんて美しいシステムだったんだろう。『凍れる音楽』とこの東塔を最初に命名した人物はよほど直感に優れているか、「判る」人物であったのではないだろうか。遠慮することはない!月櫻は再び地脈のエネルギーを思いっきり引き上げた。エネルギーの光の流れは心柱に沿い、滝を駆け上がるかの様に天に向かう。花仙が舞う。神楽が歌う。地と花と風の饗宴。エネルギーの波は最初の軸を中心により太く循環し始めた。現在立っている東塔の中に、循環するエネルギーで作られた東塔が出来あがった。完了。月櫻は大きな息をつき、「終わったよ」と麗珊に声をかけた。「何?何が一体どうなったの?判んないわ~。私何やったの?おしえてぇ~」びっくりして尋ねる麗珊に月櫻は笑いながらこう答えた。「さ、時間がないぞ、次行こうw」「え~~~~???、ちょっとぉ~~~」進みだしている月櫻を麗珊が追いかけていく。さあ、次は「金堂に行け」だな。本当に薬師寺は面白い。追伸>頂いた黒竜は月櫻の兄弟子であり心友である鬱金(うこん)に手渡された。3月、大震災の爪後がまざまざと痛々しい中、その地奥深くに黒竜は役目を成す為に。つづく**********************************東塔の巻き終了ですw。けど、実際では「花」と「音楽」と「エネルギー」が必要ってのが判っただけで、水煙の24飛天と『凍れる音楽』の事は全く繋がってませんでした。というか飛天の事は、今回小説書くのに東塔を調べて初めて判った次第で…。凍れる音楽の別名も、薬師寺に行く時に麗珊さんから聞いて初めて知ったのです。…ヒントは貰ってたんだねぇ…。てか、わからんし←アホ。書きながら、「あああああああああ、そう言う意味だったのか~」とやっと理解したという…ま、こんな行きあたりばったりな人ですよ(遠い目。ついでに、知った当初から「凍れる」がどうしても「こーらる」(何で訛ってるんだw)に聞こえちゃう瑚月。今調べてみたら、「こーらる」って「コーラル」で「珊瑚」って云う意味なんですよね(モノ知らず)。瑚月の瑚は心友の鬱金さんが珊瑚から命名して下さったのですが、「珊瑚の音楽」=「神楽(瑚月の過去生の上分身)の音楽」とまでくっつけちゃったら…。やめよ、幾ら偶然でも胡散臭すぎですよね、どこの3流小説だよ←爆。にほんブログ村←こんな小説でも続きをと思って頂けたら、宜しくお願い致しますです。(お陰さまで2日間で関西エリアで20位から5位にアップしましたです。今日の37人の心優しき方々に感謝致します)
2011.08.02
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薬師寺の東塔を訪れたのは23年3月21日の事であった。それまで何度か行こうとしたのに、ふと見えない手で回される様に寸での処で機会を失っていた。それが急に行ける運びになったのがその日だった。初めて。その日は東塔創建以来初めて一般の人が内部に立ち入って拝観できる21日間の最後の日であった。この日も昼遅い時間の参拝となった。何も調べもせずに行った為、東塔の参拝が一日3~4回で時間が決められている事も知る由もなかったが、ちゃんと最終参拝時間30分前に到着していた。この辺も見えない方々に上手くスケジュール調整されているものだ。その有能なマネージャーぶりを是非うちの奈桜に…イテっ。話を戻そうか。東塔内部に入った途端、次元のゆがみに似たようなエネルギーの大きなうねりを感じた。「大地からか?」奈良の古い寺は古代シャンバラ(地下帝国)との繋がりも深く、以外に地下に何かしらあるので、ここもか?と思ったが、一瞬にしてそれは違う事に気がついた。ば、っと上を見上げる。「天、空か!?」他の客は伽藍の天井の色彩画を見ているが、月櫻は伽藍内部で中央の心柱の上方に見えない天を診る。目玉?巨大な目玉だ。邪気の塊の様な、怨霊の塊の様な、ただただ破壊とむさぼりの慾の塊の様な存在。『こちらにこられよ…』月櫻を引き戻すように頭の中に声が響いた。声の主を求め、伽藍を進む。「貴方様ですか、私をお呼びになられたのは…」そこには「釈迦苦行像」が居られた。http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_toto.html『この塔がここにありしは意味ある事。役目ありてここにありし。』地脈のエネルギーを奥底に感じる。先程の時空の歪みは天であったが、今度は地下に感じる。やはりこの伽藍の地下にも何かあるのか。古き寺院や神社は日本の重要なエネルギーラインに建っている事がままある。単に良い気を発している処に立てたら偶々そうだったという建物もあれば、巧妙な術式の元にそのエネルギーを利用している処もある。薬師寺は後者の様だ。『これを』釈迦像がそういうと共に、地底から巨大な黒竜が姿を現した。この地脈のエネルギーが形をもったものだろうか。~使え、と言う事で宜しいのですか?~月櫻がそう尋ねると、釈迦像はほほ笑んだ。YESの意味だろう。しかし、次の瞬間、釈迦像はこう続けた。『だが、人が始めし事は人が成せ』どうも竜と目玉は別件らしい。人が始めし事は人が成せ。そう人が始めし事による数多の禍根は最後に人が支払う事になるのだ。竜は消えていた。東塔の外にでる。巨大な目玉を今にも突き刺さんばかりに東塔の相輪がそそり立つ。古代からの人の念。一つの理想の為に踏みにじまれるか、うとまれる多くの理想。多くの欲望。ここはそんな負のエネルギーの吹き出し口か?そして、東塔はその地のエネルギーを利用してここを封印する剣の役目をしているのか?。もう答えてくれるモノはいない。やるべき事は告げられているからであろうか。強い呪と巨大なエネルギーによるその防御システムは、1300年余り都を守って来た。しかし、どんなシステムもメンテナンスをせずに永久機関の様に動くモノはない。有限の存在たる人が作りしものは、いつか有限の終わりを迎えるのだ。最後にメンテナンスを受けたのはいつだろう。広大な薬師寺の建造物の中で、唯一創建当時より現存している建物。1300年の悠久の時を重ねてきた歴史は同時にシステムの鍵としての強固な「守りの呪」によるものであったのかもしれない。しかし、その呪も切れかけ…。いよいよ、修復の名のもとに解体されようとしている。人が始めしモノは人が対応するべし。しかし動くは人なれど、人のみにあらじ。人、本願を発っし祈る時、神仏の加護ありし。意思を発し、行動する。人にしかできず、また、人が天に求められるのは突き詰めればただそれだけなのだ。発願の祈りと共に、守護をたまわりし方々の援助をもとめる。かつて法隆寺でたわまったかぶら弓を心の中で構え…次の瞬間、目玉に光る矢が突き刺さった。声なき絶叫があたりにこだまし…。目玉は消えた。********************************「しかし、不十分だった…ってことか。」月櫻はそうつぶやいた。現在は7月16日。6月25日は大修理着工奉納がなされていた。大勢の人の手で、大勢の人の法要の祈りで薬師寺東塔はその機能を停止したようだ。つづくにほんブログ村一週間お休みだったのに押して下さった心優しき38人の方、ありがとうございます。ちょっとお手間をお掛けしますが、押して頂けたら明日も頑張る元気が出ますw
2011.08.01
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「ぎりぎりになったな」月櫻の古い友人と合流しちょっとした渋滞に巻き込まれて到着したのは、薬師寺の駐車場係りが片付けを始めるようなそんな時間だった。古い友人と一言に言うが、どれだけ古いかと言うと…3000年位かな←。月櫻は風(竜)仙だった過去生を持っているが、彼女はその当時花仙であり、月櫻とは仙人仲間であった。柔らかなピンクの大輪の芍薬。それが彼女だった。月櫻は過去生を思い出すのが余り得意ではないが、彼女はいつも遠くを眺めているような目をして、「何処にも行けないから…」とさびしく笑っていた。香りと共に、花弁と共に参ろうぞ。そう言って風に乗せた。本体はその地にあるが、貴女の心は何処にでも飛んで行ける。何処の景色も視る事が出来るだ。芯の強い美しい花仙だった。その当時の名を取って、彼女の事を麗珊(リーシャン)と呼ぼう。奈良見物をしたいと言う彼女に、せっかくだから連休を利用して遠くに行こうかと提案し天河村へ行く事になっていた。遠方から来てくれた友と今回は昔の様に旅立とう、そんな気で予定を組んだのが始まりだった。しかし例の夢の一件と年に一度の御開帳と重なるとなれば…。きっと何かあるのだろう。そして村に向かう前日に『薬師寺に行け』と守護から言われたのだ。何があるかいつも言わないのが困りものだが『加護を頂く』という事とか色々あるようだ。閉門まで時間は無い物の薬師寺に入る前に露払いとして休ヶ岡八幡宮に参る。ここで参拝の挨拶をすると、ざっと浄化してくれる。上手いシステムだ。浄化後に初めてそこの神社のおみくじが「花みくじ」である事に気がついた。薬師寺には何度も来ているが、これに気がついたのは始めてであった。内容は…ばっちりな接待御籤であった。とだけ言っておこう。薬師寺の南門をくぐる。その途端、「これもまた目的の一つか…」と月櫻はつぶやいた。薬師寺の南門をくぐってすぐに足を運んだのは金堂ではなく、横にある東塔であった。東塔は三重の塔が六重の塔に見える特異な形をしており「凍れる音楽」という愛称で国内外でも愛でられている。東塔の先にある相輪の頂上に付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天が透かし彫りにされている。ふと、奈良は24に縁がある都だな…と月櫻は思った。言霊では24は「女性」「智恵」などの性を持っている。奈良に縁の非常にある女性の一人が『持統天皇』である。父は天智天皇。夫は天武天皇。第41代天皇。実際に治世を遂行した女帝である。他に正倉院で有名な光明皇后といい、奈良には歴史的にも有名な女性が多い。ちなみに奈良市の重要なメインストリートは国道24号線と来ていれば、はいはい、女性性に関わりの深い場所なんですね…と思ってしまう。しかしそれだけではない。持統天皇は又、稀代の術者でもあった。都を守る為に容赦のない女帝であった。この薬師寺を初めとして秋篠寺などを作り上げたが…いつもながらダイナミックな術式だ。しかし「…また出来ているか」空を見上げ月櫻はそうつぶやいた。月櫻の目線は東塔の先の相輪に向けられていた。言葉なきもの、世に存在せぬとされるものを “耳で視、目で聴く耳視師”月櫻には天に向かって刺す相輪の先にある物を見ていた。それは、見開かれた目玉。つづく *********************************久々の更新です。いや~、ここ一週間はリアル仕事持ち帰りの忙しさだったので流石に更新できませんでした。今回は薬師寺~天河~下呂と一続きになっており、今までとはちょっと毛色の違った白昼夢が多く…、色々考えさせられる事が多々ありました。けど、あくまで一個人の白昼夢(孟宗)を元にした「小説」ですので、宜しくお願い致しますです。ぼっちらぼっちらと更新していきますので宜しくお願い致しますですwにほんブログ村←押して頂ける心優しき方々募集中w。更新しないからランキングは落ちてるんですが、見に来て下さる方は増えているみたいで、なんか嬉しいですw。お休みしている間も押して下さったいた方々、本当にありがとうございました!
2011.07.31
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耳視師の名を師匠から賜ったとはいえ、 「絶対正しい」という言葉はないと思う。 その為に、仲間どうしで確認をしあったり、己だけで成しているなどという心を戒めるなど、「暴走」しないようなセーフティーは何重かにかけている。しかし、究極、全ては「自分のフィルターで見聞きした事」に過ぎない。 雲の形が変わったとか 印あっても、 自分のフィルターで見ている事には変わりない…。 だからこそ、 気をつけなければならない事が多々あるのだ。 九重の重ね重ねた垣根の様な扉を作りだしたもの…、 確かに何万人と訪れたヒーラーや宗教家の中には、 間違った者もいたのかもしれない。 弁財天を商売繁盛の神として信奉している方々もいる。 パワースポットとして幸運を求めに来たものも多々居ただろう。 いや…、 宗教家よりも、パワースポットを求める人たちよりも、 遥かに古来より奉納し続けてきた音楽家達の心だったのかもしれない。 富を求める気持ち、 人より幸せになりたいという気持ち、 成功し、名声を得たいという気持ちが、 他の者をはねのける扉になったかもしれない。 そこまで考えて、月櫻は首を振った。 本当の正解はだれにも判らないのだ。 そう、私が行っている事も含めて。 ふと、最近みたTVドラマのワンシーンを思い出した。 「JIN~仁」というそのドラマの中で、自分の行為が未来に影響を与えるかもしれないと悩んでいた主人公が佐久間象山に叱咤された台詞。 「もしお前のやったことが神の意に沿わぬことであったら、神は容赦なくお前のやったことを取り消す。神はそれほど甘くない。ならば、救え! その心のままに救え!」 不覚にも、その台詞を聞いた途端、 滝の様に涙が頬を流れ落ちた。 心の奥底の何処かに眠っていた疑問を、 見抜かれたようであった。 そう、神はそんなに甘くないのだ。 そして、人は神の真意を測り知るには余りにも幼いのだ。 やるしかないのだ。 責任を取る覚悟で。 しかし、最善の注意と敬意を払ってだがな…。 そう、月櫻は自分の心に一区切りつけた。 しかし、 ちいさい弁財天に対しては、 大勢の参拝者に対して、特に音楽家やアーティストに対しては 『純粋に、純粋に貴方を祈る心で接すればいいのにな…』 と月櫻は思った。 神に奉納する時に、 ただただ、聞いて下るに値するかだけを心に思い。 「世のしがらみ」から離れ、 「売れる曲」 「うける音楽」 「評価される恐怖」から離れ 「会社や周囲の思惑や商業戦略」から離れ、 ただ神だけ向き合って己の音楽を奉納する。 修祓(しゅばつ)で神と人との垣根を払えば、 そこはもう神の庭。 この世を抜けて、 かの世と楽しむ。 そこにはたまには天啓も受けて帰ってくるかもしれないけど、 それはあくまでオマケ。 音って それだけ純粋で、 神聖なんだなと…。 月櫻は思った。 「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」 突然の奈桜の声に、月櫻はいきなり現実に引き戻された。 「なんだ!何があったんだ!!!???」 「これ!これ見て!!!」 ◆◆◆例 大 祭◆◆◆ ■宵宮祭7月16日(土) ■例大祭7月17日(日) 例大祭(れいたいさい)とは、天河神社年中行事の中で最大のお祭りで、普段は見る事が出来ない、天河神社本殿に祀られている弁財天像が御開帳される貴重なイベントです。http://tenkawajinja.blog120.fc2.com/blog-entry-18.html ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ まったく何にも考えずに選んだ日にちが、ずばりこれか??? しかも 御開帳?。 扉が開かれる日だと? 先程のドラマのセリフが再び脳裏に読みがえった。 「もしお前のやったことが神の意に沿わぬことであったら、神は容赦なくお前のやったことを取り消す。神はそれほど甘くない。ならば、救え! その心のままに救え!」 …夢でも扉、現実でも御開帳か。 けど私の場合は「救え」ではなく、 「行え」だがな。 『ならば行え!その心のままに行え!』 月櫻は深呼吸を一回すると、 のんびりとした参拝を予想している旧友に電話をかけたのであった。にほんブログ村←明日は日記をアップ出来ないと思います。すみません。けど今日は37人の心優しき方によりランキング保持が相成りましたw。ぽちを押して下さっている方がいて下さると楽しいですね←ゲンキン
2011.07.16
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ふと気がつくと、神社の社(やしろ)の中に立っていた。 視た事があるこの風景は…、 「…ああ、天河神社(天河大弁財天社)か…。一足先に呼ばれたか?」 月櫻はそう呟いて右手で髪をかきわけた。 ホントは遠方から来る旧友と共に連休に行く予定であった。 それが寝ている間に、引き抜かれて呼ばれたらしい。 天河には若き頃に一回行っており、 挨拶をしているから霊体的(アストラル体的)に行きやすいのは判るのだが、自分の意図とは別にこんな呼ばれ方をしたのは初めてであった。 『さて、確かに世に多く居られる下位の弁財天殿はかなりマイウェイだが…。それにしてもいきなりとは御無体な。 あと二日もすれば、生身で参内するものを…』 眉をひそめつつも、それは神ごとゆえ仕方ないか…と、 見覚えある御神殿に向かって参上の旨を伝えた。 しかし、かの主をお呼びしても返事が無い。 その代わり、招くように御簾(みす)がなびいた。 『はて、来いと申されるか?』 礼をし、失礼しますとばかり、御神体の前に参上すると「扉」が見える。 城門ようなその扉をゆっくりと開けるとそこには…。 また扉が… 。 そのまた奥に又扉が…。 白き道に数多くの扉が立っていた。 その扉の量たるや、伏見稲荷の鳥居の参道のごとし。 しかも坂を上がるように繋がっていた門の道は、そのまま上に行くのかとと思いきや、 ある処からは逆にずんずん下の方に降りていく。 どんどん どんどん かなり深く降りていくと… 最後の最後に扉ではなく、 ふすまが現れた。 『ここが終点か?』 正座し、静かにふすまを開けると…。 小さなお座敷に、 小さな女神様が居られた。 座敷に上がったのは月櫻の守護者。 女神様をそっとその手に抱きかかえ、 「そなたが弁財天か? どうしてこんな奥まった処に居るのだ?」と尋ねた。 すると… 『色々な者が、色々な事をしますたびに、扉が増え… わらわは囲まれていったのです』 そこで月櫻の目が覚めた。 ****************************** 「ふ~ん?。色々な者が色々な事って何かしら?。 ていうか、天河弁財天って何の神様?」 奈桜が尋ねる。 「そうだなぁ~。厳島、竹生島と並ぶ日本三大辨財天の一つと言われていて古より水の神として崇められてきた。近くに名水もあるしな。 室町期より能楽にも縁深く能楽資料も多数所蔵し、才智、芸能の神としても篤く信仰され、多くの芸能関係者も参拝している処だ」 奈桜が入れてくれたコーヒーを飲みながら、月櫻はそう答えた。 どうもしっかり寝た気がしない。 「で、ここ数年はパワースポットとしても有名で、色々なヒーラーとか宗教家も訪れたりしているな」 「ああああああああああ、思いだした!。うんうん。聞いたことあるわ。 全国から来るヒーラーさん方が「○○ワーク」だとか「光の○を下ろす」とか 「女神を光臨させる」だとか…、そんなの読んだことある」 治療室の朝の掃除をしながら、奈桜はそう言って手を叩いた。 「夢の女神様がいったのって、その事かしら?」 「…わからん」 そう、月櫻は答え、もうその事は言うなと言う風に今日の診察予定者のカルテの準備を始めた。 たしかに… 己の色をつけたり、 色々な行いの中にある「思考」が檻になったり、 次元をいり込ませたり、 各々が善として思う、それぞれの行いが、フィルターや色になり 本来の「天河弁財天」をどんどん遠い彼方に追いやってしまっている可能性はない事もない。 まだ若き頃、行った時の天河弁財天(神社)は 天河の周囲はシャンバラ系にゆかりがあり山や河からエネルギーが噴き出している場所で、その場所が穢れないように露払いをしている神社…という印 露払い用の、トラップも幾つかあったしな…(ように見えた)。 しかし、その可能性を思うと月櫻の表情は硬くなる。 怖いな…という思いも。 自分も昔、呼ばれる神社をめぐって託された仕事を行っていた。 いや、今もそれはある。 しかし、ある時から託された仕事は「託してもらった」のだと言う事を改めて認識するようになった。 ~神は人を育てようとしてくれている。~ 「初めてのお使い」というTV番組があったな…。 小さな子供が用事を言われ、初めて一人でお使いをしにいくという過程を放映した番組だった。 子は自分で全部やっているつもりだが、 その実、大勢のスタッフが陰になり日向になり、導き、見守っている。 そして「出来たね」と笑顔で迎えてくれるのだ。 「ほんと、あれとまるっきり一緒だ…」 どんなに神はハラハラしているだろう。 それは今も一緒だろうがな…。 【九重深き宮の奥に…つづく】昨日は39人のご声援のお陰で関西カテゴリー2位。奈良県カテゴリー1位を維持。全登録ブログ(546983サイト中)最高が825位となりました。押して下さった皆さまありがとうございます!。この一週間で50人程、ランキング表から来て下さったみたいです。御縁を結んでいただいて感謝申し上げますです。にほんブログ村←絵でもここでも、押して頂けると明日も頑張る気力が?(おい
2011.07.15
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言葉なきもの、世に存在せぬとされるものを “耳で視、目で聴く耳視師”月櫻の表の仕事は治療師である。 そんな現場からの話で候。 神経は気を通す道でもあり、 生体電流の道でもある。 月櫻の治療の方法の一つに、その電流異常を整える…というものがある。身体で痛みや運動異常を起こしている部位に関わる場所で生体電流異常をサーチする。 正常電流値を正常値を5として、過剰・停滞・虚欠のどの阻害状況かで処置を選ぶ。 異常値ケース1. 【虚欠の場合】 生体電流をしかるべき2方向から虚欠地点に向かって押し出し、流合させ流れを結ぶ。 そは『溝に詰まった泥を水の力で押し流すごとく。』 異常値ケース2. 【過剰の場合】 同様にしかるべき2方向に拡散し、流れを通す。 そは『土をならし、命が芽生える畑を作るがごとく。』 異常値ケース3. 過剰・虚欠値に対して電流値の調整を行ったように実施しても、 値に変動が起きない=【停滞の場合】 その異常値には霊的要素が関わっている。 生体電流の『時空的停止状態』と判断。 霊的な要因が作用している場合、そこについているモノは己と同じ状況や己が望む状況にさせたい為に、「時間軸を固定」してしまう事が多い。時間軸を固定されてしまった場合、治療をして一時的に回復しても、すぐに元に戻ってしまうなどの「リターン=復元」が行われてしまう。大体、彼ら自体が「恨み」や「怒り」「悲しみ」などの感情の渦の中で、固定されているのだから、「回復」への前進方向のベクトルを方向転換させてしまう。じゃなかったら、何十年、何百年も「怨み続ける」なんて普通は出来ないであろう。こう云う場合は話し合いの後、しかるべき次元・道を開きて導き手にゆだねる。 しかし、訓練後改善しても、『リターン作用』とは別で、次回の訓練時には低下している場合がある。 電流値は変化させる事が出来ても、 生体の主である人の精神=気の流れや特質・恐れ、生活習慣、生き方・考え方、を自身によって変更しなければ、結局は一時的な回復になってしまう。 こんな例え話がある。*****************河から毎日赤子が流れてくる。それを毎日助け出す者がいた。けど本当の意味で子らを助けたいなら、その河の上流で赤子を河に投げ込んでいる者を止めるべきであろう。*****************昔のCMで言う「くさい匂いは元から断たなきゃダメw」という奴だ。改善した事による、生活の質の向上やそれに伴う喜びなどなどが生じる時、 「感情」と「感覚」を伴う事により「強い感謝」や「反省」のチャンスは誰にでも等しく与えられる。 しかし、気をつけるべきは、それは無限ではないという事だ。 いつまでも与える事は出来ない。 しかし、その逆に、見守り、成長させようという存在が望んでいる変化量は、それほど多くを求めてはいないようだ。 そう、却って人格変化するような奇跡は通常を逸脱すらする。 ささやかな感謝。 悪習慣を行いそうになったときにちらりとでも脳裏を横切る辞めようと思い出す事が出来る位の反省。 自分を大切にする心。 三日坊主でもいい。 究極の三日坊主を7回続ければ、満願21回を成就するだろう。 出来なかったと後悔する事も必要な場合もあるが、 なお それよりも重要なのは、 再びそれを思いだした時、思い出させるチャンスを貰った時「どうせ」ではなく、「また始めよう」とする、己自身を生み出す勇気と明るさだと そう 思う。 しかし、ここに書きしはほんの一部の方々の事。 まだまだ不肖月櫻。 未熟者にて、生を旅立つ方々も多々見送り候。 苦しみを、不自由の中で生きし方々の姿に頭を垂れる事、 誠に多々ありし候。 人、病に伏す。 その理。 ひと筆で書けぬ様々な要因、流れがそれを導き出すという事は、 探求すればするほど判れども、 手が出せぬ我が手の無力さに『命』の重さを感じる。 動けず、食べる事も出来ず、下の世話も全て他者が行わなければならない者が、ただ手を合わせる事のみで、何故か介護し、看護する者の心を癒す事もある。 それでも生き続け、生に感謝する姿に心打たれる。 時に、その中で生きる事により人に伝える使命を持つ方の生き方に、人が手を出せぬ領域を感じる時もある。 『生』のあらゆる面での強さを感じる。 7月某日、生きる事の尊さと人の強さ。 耳視師・月櫻、我がもう一つの日常の覚書したためし候。追伸>40数人の方々のお陰さまで、関西カテゴリー2位になりましたw。ランキングから来て頂ける方はわずかですが、日記のアクセス数は500を超えるようになりました。同じ方が何回もご覧になられているので、実際に来られている人数自体は少ないと思います。けど、継続って大切なんだなぁ…と思わせて頂きました。にほんブログ村←画面がランキングに飛ぶので、面倒をお掛けいたしますが、ここを押して頂けたら明日も頑張る元気が出ますですw(オイ
2011.07.14
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言葉なきもの、世に存在せぬとされるものを “耳で視、目で聴く耳視師”月櫻。 天に想いを馳せた後、地を思い出す。 4月某日の事。 今年はどうしてもとことん桜を愛でたく…。 法隆寺の後、もう一回何処かに行きたいと思いつつ、 時間がとれたのは、もう4月も中旬を過ぎてからであった。 平年であれば、もう桜も終わりを告げし頃だが今年は違っていた。 地のエネルギーを応援するがごとく、 人々の浄化を応援するがごとく、 奈良でも山ぞいの南の方はまだ桜を愛でる事が出来るとの事だった。 何処に行こうかと、ネットで検索していると…。 『ここに来られよ…』と、呼ぶ声がする。 そこに映っていたのは仏隆時の千年桜であった。 http://www.guitar-mg.co.jp/title_buck/29/butsuryuji/sennenzakura.htm 訪れたその日は晴天であった。 千年桜は奈良県下最古の桜であり、 その一つの根元からは11本の枝に分岐し、まるで地から噴き出したかの様にみえる。 桜を愛でに来たのだが、 愛でる前に「来い」と言われた処に先にまいる事にする。 『空海の高弟・賢恵が創建したと伝わる古刹』の小さな山門をくぐる。 境内に入ると、すぐ横に神社があった。 神仏習合の現れであろうか。 神社の方にいくと、寺に上がる道とは別に、まっすぐに小高い丘を登るように階段があった。 寺の道と神社の道。 「二本」の道に心が惹かれた。 階段を上ると、神社の入り口には巨大な切り株があった。 「私を呼んだのはお主か?」 月櫻はそうつぶやくと、そっと切り株に手を置いた。 『…つ…なぐ…』 かすかに聞こえる声はしかし、か細く、多くを語る力ももはやつき果てそうな感じであった。 「何かをつなぐのか?」 耳をそばだて、声を視る。 『…み…た・・・・す…』 満たす? 木や花は、己の為の養分や水分を吸収するほかに、根でその地のエネルギーも汲み上げる。 そして、桜を代表するように、花が咲く時にそのエネルギーを放出するようだ。 花の名所や巨木がある場所に神社仏閣が多いのは、 神域にて人によって守られている以外に、古き神社仏閣は、地脈を読んで建てられている…という事も影響しているのだろう。 ここにも、どうも龍脈の様なエネルギーラインがあったようだ。 それがこの木が切られる事によって寸断された形になったようだ…。 満たして繋げろという。 「はてさて…、いつも彼の方々は気軽におっしゃるものだ」 月櫻は苦笑しながら、 古株に両手をあてた。 流れ込む、木の哀しき思いを浄化する。 切り株は直径は1m以上あるであろうか。 かなりの巨木であったと思われた。 それこそ千年桜と対になるであろう木であったに違いない。 切り株は千年桜を求めていた。 寺と神社。 二つの道。 二種の古木。 二つが一つになる場所。 それがここか? … … 「で、上手く行ったの?」 奈桜が尋ねる。 「やったつもりだが、「上手に」かは判らん」 月櫻は苦笑しながらそう言った。 「さぁ、仕事も終わったみたいだから桜を愛でよう」 奈桜が、花見にはあそこがいい!と行った場所は、 ちょうど寺の丘の向かいにある丘の中腹であった。 大勢のカメラマンがいると言う事は、 いいアングルがとれると言う事だろう。 二人は丁度奇麗に桜と山が見える場所を得て、そこに座った。 空は青く。 雲は白く。 穏やかな日差しは気持ちを清々しくさせていく。 山の空気を味わいながら、ぼ~っと見ていた月櫻の目にある物が浮かび上がってきた。 それは今までただの雲だったものであった。 みるみる形をなし…。 そして、 くっきりと二本の膝が現れた。 歩いている? その巨大な姿。 もしや… おい。 だいだらぼっち様か? そうだ、 という声が響いた。 なんと、地脈が繋がった証を見せてくれたのか。 なんと彼の方は読者思いか。 見事な具現化に言葉もなかった。 昔、 「もののけ姫」という映画を見た。 不覚にも号泣した。 泣いた理由は、主人公の二人の事はそっちのけで「だいだらぼっち」の姿が具現化されなくなった事であった。 こうやって、 こうやって、 また一つ、大いなる自然霊が消えていったのだ。 消えていった。 消えていった。 そして、後には「野」だけが残る…。 その刹那さに、失われたものが二度と戻らない悲しみが胸に湧きおこり、 どうやっても涙と嗚咽を停める事が出来なかった。 しかし、今…、彼は再び立ち上がった?。 そして進んでいく。 何処へ? ふと、頭の上の太陽を見ると見事な内暈が…。 欠けのない完ぺきな環であった。 月櫻と奈桜はしばしその環に見惚れてしまった。 そう言っている間に、ゆっくりとだいらだぼっち雲は進み。 「え・・・・・????」 太陽は彼の頭になった。 4月某日の思いでを、日本の精霊に敬意を表し 耳視師・月櫻、ここにその姿をしたためし候。追伸>楽天から「にほんブログ村」バーナーが簡単に付けられるようになってる…(どきどき。つ、付けてみようかな。誰か押してくれるかな(がくがくぷるぷるにほんブログ村←「ここをぽっちりじゃw」(何様?追伸2>オイルリーディングお申し込みのN県o様。2週間前ほどに順番が参りましたの確認メールを出させて頂きました。心当たりのある方はご確認くださいませ。今週中にお返事がない場合は、いったん次の方にご連絡させて頂きますです。すみません。
2011.07.08
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言葉なきもの、世に存在せぬとされるものを “耳で視、目で聴く耳視師”月櫻。 どうも頭が重い…。 そう思って、頭上を探ると石の矢じりの様なものが頭に数本ささっている。 ? どこから来たんだ? いぶかしく思い、その出先を探ってみる。 こんな仕事をしていると、 けっこう呪を受けたり、式神を飛ばされたり、念が来たりと実はなかなか忙しい。 仕返しをするような子供じみた事もあまり趣味ではないが、 相手を知るのも防御の手のうちである。 相手が何か判らないうちに、 相手の出方が判らないうちに手を出さない方がいい。 それが出来るのは、よっぽど強大なパワーをぶち返せる者だけだ。 そう、仕返しで生殺しくらいのダメージをくらわせても、それによってさらに闘志を仰がせるくらいしか出来ない半端な処理が一番始末にわるいのだ。 今度仕掛けたら、命がけし飛ぶ。 そんなくらいの恐怖心を相手の生存本能に湧きあがらせる強烈な一発が一番なのだろうが…。 あいにく今の私のパワーではまだ無理だな。 ふう…、とため息をつき、 矢じりの出先を探る。 出先は人ではなく…。 魔性でもなく…。 宇宙(そら)から? 星が見えた。 その星から鋭い巨大な矢じりの様なものが次々とふってくる。 これは何だ? 今までにない光景に目を奪われていると、もう一つ星が現れた。 その星は、氷の様なモノを吹き出している。 『星には、その星にすむ者達によって作り出される波長というモノがあるのだよ』 と声がする。 そして二つの星の話を語った。 二つの星に住む者たちは、元々は他の星から来た同じ起源の者たちだったのか互いに交流があった。 しかし時が進むにつれ、大きな文化的・思想的な差異が生じて行った。 強い思考と固執する文化・思想は文字通り、 それに反するものに対して刃となる事がある。 最初の始まりは、ほんの小さな一つの傷であったであろう。 それは、我々でいうなら「カルチャーショック」というものであろうか。 「お前らの星が悪い!」 「なにを!お前らのせいで我々が被害を被っているのだ」 理解と協調へと歩み寄らない二つの流れは、 それ以後、互いを傷つけあうつぶてとなった。 方や、矢じりとなり、 方や、氷弾となり、 長い長い間、 互いの波動で互いを傷つけあった。 そして、相手の思想を憎む心・受け入れない心は己の真の心の柔らかさをもそこなっていったのであった。 互いの星、いや、人々の心が崩壊するのではないかと言う時…。 外にばかり原因を求め、 糾弾し続ける事に疑問を持つ者が出始めた。 そして 「自分の心を冷静に見つめる為に」 「外ではなく、内に目を向ける為に」 壊れかけ、 固くなった心に目を向けよう…。 そういう思考が生まれた。 それは地球で言う100匹の猿現象の様に、 互いの星で、それぞれ連絡もとらないもの同士が一定数その考えを持った時に星全体を包み込み始めた。 矢じりの他に、その星から水の様な波紋が流れだし始めた。 氷弾の他に、その星からも水の様な波紋が流れ出し始めた。 それはやがて、二つの星を繋げる河となった。 ******************************* ・・・・ ・・・・ なんだ?この七夕もどきは??。 おい?と尋ねると、 こんな言葉だけを残して、声の主は去って行った。 『星が星に住む者によって波動を出すと言うのは本当なのだよ。 貴方の星は宇宙に迷惑になる波動を形成しようとしているか。 宇宙を温かくなるような波動を形成しようとしているか。 星の子らよ。 そろそろ、宇宙の一人としての責任も自覚されよ』 なるほど…。 みなの意識が星に向かうこの時期に伝えたもうとの事か。 7月某日、宇宙(そら)より賜いし言葉、 耳視師・月櫻、それを宇宙(そら)の願いとし短冊と共にしたためし候。 追伸> 「今日も雨だな」 朝、窓を見上げて月櫻はつぶやいた。 「そうね。けどこの数年、ずっと七夕って雨じゃない?」 マネージャー兼友人の奈桜(なお)が言う。 「ねえねえ。節句って1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日。 奇数月の奇数日にあるって前に行ってたわよね。」 「ああ、奇数は陽の数とされて、陽が重なる日は陰が強くなるから、 厄払いや無病息災を祈る行事がされるというな」 「あのね、私思うんだけど、最近の世の中ってつねに忙しくて、つねに陽の気があふれてるじゃない。テンション高くないと流されちゃうって云うかな。だから逆に雨が降って陰の気で押さえるとかあるんじゃないかしら、どう?」 奈桜は目をくりくりさせ、笑いながら月櫻に問いかけた。 「おいおい、それじゃ、他の節句の日はどうなるんだ?雨だったか?」 「え?え~~~~と。…調べれば判るかもwww」 「それは面白いかもしれないが…。私はやらんぞ」 ええ~~???という奈桜をしり目に、 月櫻は一人こう思っていた。 浮世の空は曇れども、高天の原は晴れどおし…ってか、 雲の上のおそらは、年中無休で晴れてるよ。 年に一度しか逢えねぇんだしよ。 せっかくの日に、「わ~~頑張れ~~」って毎度毎度ギャラリーがうるさかったら、そら、うっとおしくもなるだろうよ。 七夕の雨は逢引を楽しむ為に、人目をはばかる傘のごとしってか。 ふと、口元に笑みを浮かべ、雨空を眺めるのであった。
2011.07.07
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これは小説である。 小説なので、文中に実在した人物や実在する建物等が出て来ても それは全てハクション…。 …もとい、花粉症でね…。 今年のヒノキ花粉は一味違うね。 では改めて。 …小説の中の話ゆえ、それは全ては白日夢(はくじつむ)の中のたわごととご理解いただたく候。 私の名は月櫻(つきお)。 耳視師である。 耳視師?、聞いた事ない? そうだろうね。 【耳視目聴】 《列子・仲尼篇》:「老?之弟子有亢倉子者。得?之道。能以耳視而目聽。」 もともとの意味は、文字通り、 「老子の弟子に亢倉子という者がいて、(常人にはできない) “耳で視、目で聴く”わざをマスターしていた。」 という。 耳視師がどんな仕事をするか、それはまた追々わかるだろう。 ****************************** 今年の桜は深々と胸に響いた。 それはまだつぼみの時から。 奈良市の桜の名所である佐保川の両岸の桜並木は、その蕾がほころぶ前から薄っすらと染まり、淡いピンクのトンネルのように見えた。 まして、咲き始めると…。 今年は天候が不順だった為か、陽のあたる場所と日陰では花の開きが半月ほど違っていた。 満開に近い桜と3分咲きの桜の風景が混在した。 その為か、いつもより桜の季節が長く感じたのだった。 桜をゆっくりと愛でたい…。 一年かけて樹の中までピンクに染まって生まれ出でた生命の息吹、 そして散る時までも心打つ自然の声なき声の美しさ…。 天災が人知を超えたものなら、自然の美もまた人知の向こうにあるもの…。両極ゆえに又それを深々と感じたい。 月櫻にしては珍しくそう思った。 いつもは日常の仕事の忙しさに、あわただしく過ぎ去さる季節に想いを馳せるだけだったのだ。 仕舞い込んでいたリコーCX2を引っ張り出す。 半年前に一カ月近く悩んだあげくに決めて購入したというのに、ほとんど手を付けてなかったが、コンデジとしては接写と色が奇麗な事で定評がある(http://www.ricoh.co.jp/dc/cx/cx2/point2.html)。 型が古いのは、コストパフォーマンスと使い手の腕を考慮したものであった。 なにぶん、月櫻は機械モノに関しては全く猿同然なので この決断はしごく妥当だと思われた。 ゆっくり桜の木々を歩きながら、 説明書とコンデジを片手にその姿を愛でようか。 さて何処に行こうか…そう考えた時、 『…法隆寺に来られよ…』 まるで桜の花を揺らすそよ風の様な優しい声が聞こえた。 はたと手を止めた月櫻の顔に笑みが浮かんだ。 法隆寺か…そうだな、友人も呼ぼうか。 連絡を取ると「行く」という返事が返って来た。 【法隆寺】 別名を斑鳩寺(いかるがでら)といい、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山である。聖徳太子ゆかりの寺院でユネスコの世界遺産にも認定されており、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 一般の見学ルートを外れ、先に月櫻とその友人が訪れたのは聖徳太子を宗祖とする聖霊院であった。 聖徳太子像は非公開だが、納められている逗子はお堂の中から祈る事が出来る。 畳の上で正座し深々と頭を下げた後、月櫻は逗子に向かって手を合わせた。 世界が切り替わる。 『桜は一年かけて大地のエネルギーを貯めて、花として咲き、冬を乗り越えた者たちにそのエネルギーを注ぐのですよ…』 再び、あのそよ風の様な優しい声が聞こえた。 その人の目は堂の外の桜が咲く遥か世界に注がれていた。 月櫻はその声の主の名を呼んだ。 「太子殿…」 桜の花を優しく揺らすそよ風の様な声の主は今、聖徳太子と呼ばれているその人であった。 太子は言葉を続ける。 『散る桜は浄化の役割もするんですよ…。冬のいでたちを換えるように、 寒く硬くなった心と身体を解き放つように…』 「しかし、貴方の居られた時はこんなに桜は在りませんでしたでしょう?」 月櫻はそう尋ねた。 太子はゆっくりと振り返ると、その顔に柔らかなほほ笑みを浮かべるとこう云った。 『だから、今は本当に「いい時代」ですよ…』 白昼の夢が終わった。 世界が戻ってくる。 …太子殿、その言葉しかと承りました。貴方様の思いと共にお伝え致します…。 月櫻は心の中で挨拶をすると、目を開け再び深いお辞儀をした。 「月櫻さん、何か仕事してたでしょう?。月櫻さんが手を合わせたら、前にある蝋燭の炎が揺れ始めたんで、あ、仕事してるなと思って黙ってたんです」 堂の外に出て次の場所に向かう月櫻に友人はそう言った。 流石、友人。とその観察力と機転に感心しながら、 一方で「この話は夢まぼろしではないのですよ」と太子がちゃんと証拠を表したなと、月櫻は心の中で思わず舌を巻いた。 聖徳太子は様々な謎と説に包まれたご仁である。 死後、一族郎党皆殺しにされたとも言われる。 聖徳太子自身、架空の存在ではないかという説すらある。 ある説では…、これは歴史家の説ではないが… 太子は強い能力者であったともいう。 いや、 「あった」ではなく、 「ある」だな。 聖徳太子であれ、厩戸王子であれ…彼はここにいる。 その優しい波動は、正に「和(やわらぐ)を以て貴しとす」とのうたもうた心そのものであった。 この有名な言葉には続きがあり、 「忤(さか)ふることを無きを宗(むね)とせよ。…」と続く。 ******************************* 和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。 人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。 ここをもって、あるいは君父に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。 何事か成らざらん。 【大意】 人はえてして偏った、かたくなな見方で派閥や党派などを作りやすい。そうなるとそのこだわりゆえに、見るべきものが見えなくなって他と対立を深める結果になる。 それを避けて、政治家は互いに理解し合い、人々は互いに和らぎ睦まじく話し合いができれば、そこで得た合意は、おのづから道理にかない、何でも成しとげられる-というのだ。 ******************************** 春 日の本の人々は桜になんとも言えない心の動きを感じる。 それは郷愁とも、焦がれるような切なさとも、胸打たれる感動ともいえる。 そして、桜の元に集い皆和して語り楽しむ。 太子の言葉は桜の力を伝えていたが、 その奥に、桜の力を借り、和して再び新しき一年を作りだしていた日の本の民の心を伝えたかったのだと思う。 東日本大震災の時の、人々の行動を見てこう言った人がいた。 日本人には誰か命令者が居なくても「和して」「自ら判断して」行動出来るDNAが含まれているのだと。 政治も、 日々日常を営む我々も、 この時にこそ、この言葉をもう一度胸に刻むべきではないだろうか。 「福島県民お断りの店教えて」 http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20110416/Techinsight_20110416_51310.html4月某日、和(やわらぎ)の桜の白日夢(はくじつむ)。 耳視師・月櫻確かに皆さまにお伝え致し候。 舞い散る桜、今一度、その胸におさめたまえ。 第一話 終わり
2011.04.16
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