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いろんな塾のホームページを眺めていたある日、ふと、僕が中学生の頃に通っていた学習塾を見つけました。画面に映し出されたその塾の様子に、懐かしさと、少しの誇らしさが胸をよぎります。今の自分の立場から見ても、「いい塾だったなあ」と素直に思える。そう感じられるのは、きっと、そこに僕の“原点”のようなものがあったからだと思います。思い返せば、中学3年生のあの頃は、僕の人生における一つの大きなターニングポイントでした。自分で言うのも少し恥ずかしいのですが、それなりに要領もよくて、勉強もがんばっていた方だと思います。テストの点数も悪くなかった。100点を連発するような天才タイプではなかったけれど、日々の積み重ねを大事にしていました。当時の僕の生活は今思うと、かなりハードスケジュールだったかもしれません。朝は5時か6時に起きて勉強。6時からは仲間たちと1時間サッカーをして、そのあと朝ごはんとシャワーを済ませて、学校へ。放課後は生徒会、部活動、塾、そしてゲーセン。何かと動き回っていましたが、23時にはちゃんと寝ていた記憶があります。志望校判定はずっと「A」評価で、公立も私立も順調に見えました。でも、最後の2回でランクが「B」へ落ちた。ほんのわずかな差。それでも、当時の僕にはその変化が意味するものを、正確には受け止められていなかったのかもしれません。そして迎えた、本番の入試。結果は、私立も公立も「不合格」。学校の先生も、塾の講師も、「大丈夫、受かるよ」と言ってくれていました。それだけに、落ちたときのショックは大きかった。あのとき、自分の中にあった“甘さ”を、思い知らされた気がしました。公立高校の不合格が発表された日。周りの友達が歓声を上げている中、僕は一人、無言で公衆電話に向かいました。母に「落ちた」と報告するあの瞬間の、受話器の冷たさと沈黙の重みを、今でも忘れられません。その後、かろうじて「1.5次募集」で合格をもらえた私立高校へ、母と手続きに行きました。制服の採寸、教材の購入。そして、初めて母と二人で外で昼食を取りました。そのときに食べたとんかつ定食。どこにでもあるような、普通の定食。でも、僕にとっては、生涯忘れられない“味”です。店内のテレビでは、地下鉄サリン事件のニュースが流れていました。画面の中の非日常と、目の前の現実が、妙に交差していたあの瞬間を、僕は今も時々思い出します。家に戻ってから、学校に電話をかけて担任の先生に不合格を伝えました。すると「今から来なさい」と。その日、初めて“誰かの胸で泣いた”日でもありました。先生の胸に顔を埋め、こらえきれずに泣いたあの時間。その涙は、悔しさだけでなく、なぜか少し安心するような、そんな不思議な温かさも含んでいました。さらにその日は、生徒会でお世話になった先生の退職日でもありました。最後は笑顔で「ありがとう」を伝えたかったのに、目を腫らしながら花を手渡した自分の顔を、今も心の片隅にしまっています。あの頃の僕は、もしかしたら「理想の自分」を無理に演じていたのかもしれません。まわりから期待されるイメージに応えようと、がんばる“ふり”をしていた部分もあったのかもしれません。でも、すべての入試に落ちたことで、初めて“素の自分”と向き合うことができた気がします。だからこそ、僕は誰よりも知っているつもりです。「15の春」に不合格になることの重みを。傷つくことの意味を。もちろん今になって思えば、あの不合格は“通過点”にすぎません。でも、当時の僕にとっては「人生最大の事件」でした。だから、僕は今、誰かが失敗したときに、簡単に「気にするなよ」とは言えません。その人の中でしか感じられない痛みがあることを、僕は知っているから。そして思うのです。あの春の、とんかつ定食の味。あれは、悔しさとあたたかさが、両方つまった味でした。あの日の味が、僕の中の「がんばる理由」の一つになっている気がします。失敗の記憶は、決して無駄じゃない。むしろ、それはいつか、自分自身を支えてくれる“芯”になる。そう信じられるようになった今の僕がいます。
2007.05.21
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授業をどう持っていくかは、講師の腕次第です。同じ内容でも、伝え方ひとつで生徒の反応はまったく変わる。うちの塾では、集団授業が90分。この90分という時間は、長いようで短い。だからこそ「メリハリ」が大切になります。話すテンポ、間の取り方、内容の切り替え。どこで笑って、どこで集中してもらうか。そのバランスをとるのが、教える側の仕事でもあります。ありがたいことに、「先生の授業はおもしろい」「説得力がある」そんな声をもらうこともあります。でも、それ以上に私が大切にしているのは、**“心に火を灯すこと”**です。今日の授業では、こんな話をしました。題して「道徳(どう解く?)モチベーショントーク・ハイライト」。想像しながら聞いてほしい。これは、ただの例え話ではなく、“君自身の物語”かもしれないから。あるキャベツの葉の上。2匹の青虫が、のんびりとおしゃべりをしていました。そこへ突然、バタバタと風を切る音が聞こえ、2匹は上を見上げました。そこには、1匹の美しい蝶が舞っていたのです。その姿を見て、1匹の青虫がもう1匹に言いました。「僕らには、あんなまねはできっこないね。」この短いお話、どう感じましたか?一見、ただの童話のように思えるかもしれません。でも、ここには深い“気づき”があります。青虫は、自分がやがて蝶になるということを、知らないんですね。「僕らには無理だよ」なんて、冗談みたいなセリフを本気で言っている。でも、事実として、彼らはいつか、必ず蝶になるんです。これって、みんなにも当てはまる話だと思いませんか?今、「あの人みたいにはなれない」「自分には無理」と感じている人。それ、本当にそうでしょうか?もしかしたら、“変化のタイミング”に気づいていないだけかもしれません。やらなきゃいけないときに、何もやっていない。そのうち…では、間に合わないこともある。私たちの集団授業は、ただの一方向の講義じゃありません。先生と生徒、両方が一緒につくりあげる空間です。でも、もしその中に“変化しようとしない人”がいるとしたら──どうなるでしょう?そういう人のために、扱う問題が簡単になったり、授業のスピードが遅くなったりすることがある。つまり、頑張っている他の仲間の足を引っ張ってしまうことになるんです。これは、誰かに責められることではないけれど、気づいてほしいことです。僕たちの目指すところは、「その先」にあります。だから、みんなにも「自分の成長」を本気で信じてほしい。宿題をやってくるかどうかも、本当は先生には関係ない。だって、それはみんなの一人ひとりの人生だから。でも、頑張る人には、先生も全力で応えたい。それが僕のスタンスです。この授業も、ある意味、僕の“趣味”です。好きでやっていることだからこそ、妥協はしたくない。だから、贔屓はしないけれど、区別はする。本気の人には、本気で応える。そうじゃないなら、まずは“本気になること”から始めてほしい。青虫は、蝶になります。それは、生まれ持った運命のようなもの。でも、その“蝶になる日”を、早めることはできる。“どんな蝶になるか”を選ぶこともできる。みんなは、どうなりたいですか?変化のときを、見逃していませんか?「僕らには、あんなまねはできっこないね」そんなことを言う青虫で終わらないでほしい。今、動き出すその一歩が、未来の羽ばたきを決めるのです。
2007.05.17
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