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本当にお久しぶりです。ブログを停止して、なんと1年以上たってしまいました・・・なんと早い・・・その間に、本当にいろんなことがありました。そんな私も、いまや一児の母です。そして、やっぱり毎日が感謝感謝の日々です。ホンモノ王子様として出会った主人にも。泣いて泣いて困らせる娘にも。支えてくれる両家の家族にも。孫を見れずに昨年逝ってしまった義父にも。今でも連絡をくれる前の職場の同僚たちにも。大切な友人たちにも。マタニティスイミングで出会ったママ友たちにも。ここまで助けてくれた、たくさんのひとたちにも。このブログがきっかけで出会えたひとたちにも。いままで経験した様々な出来事にも。これから出会う人たち、これからの出来事にも。全てに感謝です。生きていると大変なことばかりだけど、それを経験できていること自体が本当に奇跡のようなことだと思います。そして、必ずそれを受け入れ乗り越えていけるチカラがある。辛い時期は本当にたまらないけど、いつか必ず、あんなこともあったね、と笑える日がくるから不思議。そんな素晴らしき日常を、また少しずつ、綴っていこうと思います。
2009.05.15
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人生を旅に例えることが良くありますが、閉じこもっていた部屋から一歩を踏み出すために、旅のガイドブック(地図)を参考にするのは、とても有意義なことだと思います。楽しみ方のポイントや、歩き方を指南してくれるガイドブックは、より多くの経験を与えてくれるチャンスだと思うから。ただそこから先、アナタがちょっとずつ旅なれてきたのなら、ガイドブックや自分の経験を参考に、自分なりの歩き方を試してみることは、とても大切なことではないかと感じます。例えモデルコース通りに進んできたのだとしても、これまで、様々な旅を経験してきたアナタは、きっと自分が思う以上に成長し、強くなっているはずだから・・・自信を持っていいと思うのです。まだ自分が信じきれていないアナタは、もしかしたら失敗したり、計画通りの目的地へ辿り着けないかもしれない。だけど、そのプロセスは決して無駄ではないし、それならまた、反省を経験に変えて、新たな歩き方を模索してみればいいだけだと思うのです。だってアナタはもう、喜びや希望や幸せと同じくらい、悲しみや痛みややるせなさも、自分にとって必要なのだと、気付いているのではないですか?一歩を踏み出す勇気を持てたアナタなら。全てが自己責任だと覚悟を持てた時から、アナタの旅はまた、より多くの意味を持つものに変わるかもしれません。例えば、今までは、自分が幸せになることを第一に(これは絶対条件だけど)、旅の目標を設定していたけれど、その目標にもうひとつ、誰かを幸せにしたいという余裕が生まれてくるかもしれない。ずっと心に、ひた隠しにしていた子供のころからの夢に、可能性をかけてみたくなるかもしれない。そんなふうに、自分を信じて、自分を愛して、選んだ道に、後悔などないと思うのです。迷ったら、またガイドブックを広げてもいいのです。自分の目指す方向が見えてきたら、もう一度、自分の歩き方で一歩一歩進んでみればいいのです。アナタらしい人生の地図を楽しんで、鮮やかに描いていけますように。
2007.09.02
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本当に!!遅くなってしまいましたが(^ ^;前回お知らせしました通り、念願のshonanyoonaさんとお会いすることができました☆shonanyoonaさんには前回日記コメントで、優しい心遣いの言葉を頂いたのですが、やっぱりこの感謝の気持ちを、日記に残しておきたい!ので、書き込んじゃいます(*^ ^*)当日は、shonanyoonaさんにお会いできるだけでも充分だったのに、なんとshonanyoonaさんは、私のために素敵なお店を予約して下さっていたのでした!感激です~(> <)予約の時間まで少しあったので、新宿価格?の高価なコーヒーを、ご馳走して頂きながら、既にたくさんのお話に花が咲きました♪ブログへの自分自身の姿勢、考え方、表現方法、ブログ上で仲良くなれた方々との楽しい関係、近況、等々…ちょっと緊張気味ではありつつも、本番前?から、話が尽きる事がありませんでした(^ ^)そして、お店へ移動♪私のハンドルネーム!?が書かれたメニュー表にも感動してしまいましたが・・・お店の方が運んできた驚きのサプライズに、更に感動!!あたたかいメッセージのこもったロウソクに照らされた、お祝いのケーキが目の前にっ☆☆☆ホントにもう涙が出そうでした(; ;)笑顔が輝くようなshonanyoonaさん。本当にあたたかく眩しく花のような女性でした(*^ ^*)自分の心とじっくり向かい合う為と、自分の経験がほんの少しでも何かのヒントになれば・・・という想いで始めたブログですが、私の方が、より多くのことを頂くことになりました。素敵な方との出会い、新たな気づき、未来への希望。振り回されるのではなく、あくまで自己責任で、自分の軸をしっかり見つめた上で、謙虚に、素直に、柔軟に、受けとめ表現していくこと。それはブログに限らず、ヒトとの向き合い方や、ルールズや、たくさんのノウハウ本や助言に対しても、共通するのかもしれません。思いやりというフィルターを通して、導き出した想いや言葉は、結局は、指南本が示す行動に自然に繋がっていくものだと思います。まだまだの私も、冷静さと、自分らしさと、思いやりを、バランスよく表現していけるように、日々楽しんで訓練中です♪そんな話も、shonanyoonaさんとすることができて、やっぱり価値観が似ているのだなあと嬉しくなりました☆ブログに感謝、出会いに感謝、shonanyoonaさんに感謝、皆さんに感謝、人生に感謝、これまで出会った全てのヒト、ことに感謝、そして今を、明日を迎えられることに感謝です(*^ ^*)
2007.08.29
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おはようございますっ(^ ^)今日から、お盆休み!今年の夏も、通信教育で学ぶ東京の大学へ、11日~15日、生授業とテストを受けるために、スクーリングへ行ってまいります。猛暑に負けず、地方に散らばるたくさんの同じ生徒さんたちに、たくさんの元気とやる気を頂いてきます☆なんといっても、ぴちょんさんも応援してくれているし!(うう~、いつもありがとう~泣)それに、今日はshonanyoonaさんにお会いすることが出来るのです!と~っても楽しみです♪では、少しブログの更新ができませんが、昨日の日記の続きは、帰ってきましたら必ず書きますので☆いってきま~す(*^ ^*)
2007.08.11
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前回の日記に、あたたかいコメントやメール☆たくさんのお祝いのお言葉を頂き、ありがとうございました!今の感謝の気持ちを忘れずに、これからも私らしく一歩一歩、進んでいきたいと思います。本当にありがとうございます(*^ ^*)さて・・・順調に、ここまでの道のりを歩いてきたように見える私たちですが(^ ^;式の日取りが正式に決定する1ヶ月前・・・実は私、結婚を一旦保留にするという大事件を引き起こしているのです。それは私の中で、本当の意味での覚悟が、まだできていなかったことの表れでした。彼は神戸、私は大阪のはしっこに勤めていますので、プロポーズをお受けしてから(お受けする前からも)私の中で漠然と、今の仕事を辞めることになるのかも・・・という迷いがありました。会社を続けるという選択肢もない訳ではありませんでしたが、物理的にかなりの負担と無理があるのは分かっていました。職場で責任ある立場になったのも、大きな理由です。彼と生活を共にしたい、という想いは強くあったものの、具体的に将来を描く時点で、『今の仕事をどうするか』という避けられない決断を先送りにしていた私は、情けないことに、今更ながら躊躇してしまったのです。その迷いは、彼も同じだったようで、お付き合い1ヵ月後の即行プロポーズの後、時折、将来の話を持ち出しながらも、はっきりと「いつ」という言葉が、なかなか彼の口から出ませんでした。私が、現在の仕事に対してどれだけの壁を越えてきて、また、真剣に取り組んでいるかは、友人として過ごした一年間で、彼は痛いほど分かってくれていました。だからこそ、ふたりで必ず幸せになる!という想いはあっても、強引に話を進めることができなかったのだと、後から聞きました。その間、彼なりに本当に真剣にずっと考えてくれていたようで、今の仕事量や通勤時間増による、私の負担の心配や、ふたりで過ごす時間が大幅に減るであろうことへの想い。それでも、私の気持ちを何よりも尊重したいと考え、自分から大阪寄りに住むことを、具体的に検討してくれてさえいました。なのに私は・・・「結婚できないかもしれない・・・今は、答えられない。正式にお断りするか、少し考えさせてほしい・・・」と、目の前の迷いから逃げ出す言葉を、自分との約束を破る言葉を、彼に投げつけてしまったのです。辛い別れの後、彼からメールが届きました。『今日は辛い気持ちにさせてごめん。 バウちゃんの言うことは分かります。 だからこそ真剣に考えて欲しい。 ずっと、今日みたいに二人いろいろな想いで 向かいあうことがくると思うけど、乗り越えて行きたい。 バウちゃんも真剣だから答えが出ないと思う。 どうか素直な気持ちで返事が聞かせて欲しいのです。 私もあなたにはいままでになく素直になれる、 なりたい一番大切な人だから。 どんな想いも受け止めていくから。 どうか嬉しい返事が聞きたい。』彼の真剣な言葉に、涙が止まりませんでした。受け止める覚悟が、私にはまだできていなかった。そして、自分の心と今度こそ、真剣に向き合う時だと思いました。
2007.08.10
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忙しさと、書きたいネタの多さに更新がままならず(^^;要領の悪い私ですが、いつもお付き合い下さいましてありがとうございます☆先ずはお知らせです(*^ ^*)この度、ぴちょんさんと私の結婚式の日程が、正式に決定致しました!2007年11月23日 金曜 祝日 大安吉日となります☆応援していて下さった方々、ありがとうございます!ふたりが初めて出会ったのは、2005年12月正式にお付き合いがスタートしたのが、2006年11月その1ヵ月後の、2006年12月にプロポーズそして、2007年11月にハピ婚決定☆・・・ほとんど意識していなかったのですが、こう書くと、だいたい区切り毎に変化が訪れていますね(^^)私にとって、あっという間の約2年間でしたが、本当に深く、濃密で、意味ある時間でした。痛みも悲しみもやるせなさも、喜びも幸せも希望も、それまでの人生がプロローグなら、この2年間は、その全てに真正面から向き合えた貴重な機会でした。本当の意味で大人になる為に、必要な時間だったのだと思います。ここまで来るには、様々な壁をクリアする必要があったけれど、なにもかも一度に越えられた訳ではありませんでした。でも、それまでの私と明らかに違っていたのは、今までおざなりにしていた、ひとつひとつのことに、目をそらさず、投げ出さず、自分なりに納得のいくまで丁寧に答えを出して、一歩一歩、進んでこれたという点です。痛い経験の中から、一時的に問題から逃げ出しても、それは自然消滅するモノではなく、必ずまた、より大きな壁になって立ちはだかるのだと、知ったから。今日できないことは、明日もできないのだと思いました。どんなに涙を流しても、絶望しても、越えられない壁など、ないのだと、私にそのチカラがあるから、今、その壁の前に立つことができたのだと、思えるようになったから。 自分の人生に責任を持つこと 本気で覚悟を決めること大人になること(=自立すること)の為に、私に必要だったのは、このふたつでした。幸せ(=困難)を受け入れていく、責任と覚悟を持てたからこそ、今やっと、その前に立つことができたのだと思っています。変な言い方かもしれないけど、生きていればこれから先、喜びも苦しみも日常も、間違いなく、変わりなく、私の人生に訪れるでしょう。ひとりでも、誰とでも。どうせそうなら、ひとりよりは、愛するヒトとふたりで、過ごしていきたいと思ったのです。ひとりよりはふたりのほうが、学ぶ課題も多いでしょう。喜びは倍に、苦しみは半分に、ケンカしながら、笑いながら、これからも、様々な感情や経験を繰り返し、歳を重ねていくでしょう。それが、彼で本当に良かった。「ありがとう」心からそう思います。まだまだ、未熟な60点の私(^^)全ての方々への感謝の想いと最強の笑顔をチカラに、新たなチャレンジを、続けていきます!
2007.08.01
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人見知りで、あまりおしゃべりが得意ではないぴちょんさんが、初めての出会いから後日、偶然ジムで再会した時に、またもや自分から話しかけてきてくれた!ことは、今考えても快挙に近い出来事だったと思います。(例え話題がクライミングについてとはいえ・・・^^;)「ばう2ちゃんは、初めから誰に対しても気さくで、相手に気を遣わせないヒトだったから、自分でも驚くくらいオレは話しやすかったんだよ。」と彼は言ってくれました。その点に関しては、荒療治で出掛けた八重山ひとり旅がかなり影響していると思います。民宿しかない小さな離島は、知らないヒトと相部屋です。しかも夕食後は、ひとり旅や御夫婦連れに外人さんなど、様々な経歴と年齢の方が入り混じっての泡盛宴会☆気が合えば翌日は昼食を共にしたり、連絡先の交換をしたり、地元の方のお家に招かれたり・・・人見知りなどしている余裕はありません(^^;おかげで、「せっかくのこの御縁を、気負わずに受け入れていこう!」「行動するかしないか、迷ったら行動する!」というスタンスが身に付いた気がします。それまでの私は、心配性の取り越し苦労ばかりで、行動する前から一方的に気疲ればかりしているタイプでした。(つまりお相手にも、気疲れさせていたということですね^^;)そんな私に、まず、一番必要なモノを得ることができた、対人リハビリの、本当にいい経験だったと思います。行動すること。受け入れていくこと。このふたつを目標に言動を軌道修正していった過程でぴちょんさんと出会いました。そして、受け入れ態勢の入り口として心に決めたことは、「笑顔でいること」でした。いつもとにかくニコニコしていること。なによりも自分のために。それが、相手のために繋がることだと思ったから。ぴちょんさんは、お付き合いする前から、会話でもメールでもよく、「いつも、笑顔で元気があふれていて、バウ2ちゃんといるとこっちまで元気になるよ!」と言ってくれていました。・・・いえ、ひとりの時はめいいっぱい落ち込んだりしていましたけどね。まだまだ(^^;ジム帰りの車で運転しながら音楽聴いて号泣したり(笑)ただ、メリハリはつけるように心がけていました。ヒトと会う時は、元気を総動員して笑顔で楽しんで、泣きたい時は気が済むまで泣く。そういう意味で、適度に自分を甘やかしてあげるようにしていました。「涙を流すと免疫ができる」と友達にも聞いていたし、強くなる為には泣くことも必要なんだ!と。それは「強がり」の強さではなく、弱い自分も受け入れていく「しなやかな強さ」とでもいうのでしょうか・・・・だから、ヒトは「泣く」ことが必要なのかもしれないな、と思います(*^^*)こんな私が、ホンモノ王子様に見つけてもらえた背景には、まず受け入れる姿勢を持つこと、行動すること、の2点の目標の中に、具体的な3つのキーワードがあったように思います。それは、・どんな時も誰に対しても同じ態度で接すること・相手の話をきちんと聞く姿勢を示すこと・笑顔を絶やさないこと当たり前のことかもしれないけど、少なくとも以前の私は、これが全くできていなかったのです。ぴちょんさんが繰り返し褒めてくれる、という点と、自分自身の経験と周囲を見続けての結果、ホンモノ王子様にもホンモノお姫様にも、共通して言えることではないかなと思います。ただ、表し方はヒトそれぞれ個性があっていいと思うのですよ!社交的でアピール上手な発信型のヒトもいれば、控えめだけど、あたたかく受け入れてくれる受信型のヒトも素敵(*^^*)あくまで無理はせず、いい所はそのままで、自分らしくでいいんです。あなたにしかない素敵なところを、見つけてもらえるきっかけとして、3つのキーワードはチカラを貸してくれると思います☆次回は、ぴちょんさんとのその後を参考に、ホンモノ王子様を見つけるキーワードについてお話できたらなと思います。
2007.07.12
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本日、7月7日はこのブログを立ち上げてちょうど1周年です~(*^^*)いえ、本当に書き込み始めたのは11月の終わりの頃ですが・・・しかも、間にかなりの休止があり、掲載記事もやっとの20件・・・・・・いやいや!60点でも始めることに、続けることに意味があるのだ!それにこのブログをきっかけに素敵な方たちとお知り合いになることができました。たくさんの勇気と元気を頂いて、本当に感謝です。このご縁を大切にしていきたいと思っています。自分自身の心を客観的に見つめたり、整理したり、共感したり、考えさせられたり、気付きを頂いたり・・・この空の下で、みなさんがそれぞれに泣いたり笑ったり精一杯自分の人生を生きている。だから、私も誰でもなく、私の人生に責任を持って、生きて行かなきゃいけないと心をリセットできる。昨日、分からなかったことが今日は分かったり・・・やっぱり、歳を重ねることは素敵なことだと今は心から思います。そんなふうに日々を重ねていけることに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。どうぞこれからも宜しくお願いいたします☆気軽にコメント残していってくださいね(^^)さて、今日は七夕☆ですが、七夕といえば、私の大切なお友達夫婦の結婚記念日!ということが一番最初に頭に浮かびます。芦屋のハウスウェディングは、心に残る素敵な素敵な結婚式でした(*^^*)今でも二人は自然体のラブラブ♪で、かわいい男の子にも恵まれ、私の理想の夫婦です。私が失恋した時も、ふたりであたたかく元気付けてくれて、私がもう一度恋をして、結婚したいと思えたのも、ふたりのおかげだと思っています。なにより素敵だと思ったのは、理想の夫婦だと私が伝えた時、ふたりが声をそろえて「え~、普通だよ~!」と言ったことです。普通だと言えるそんな幸せを、私も誰かと作りたいと、心から思いました。大安吉日さんもおっしゃっていましたが、やっぱり、幸せなヒトたちとおつきあいして、その姿をリアルにとらえることは、ハピ婚をめざす過程でとても大切なことだと思います。ひとりで活動するより、自分自身の価値観を見つめなおすきっかけになったり不安になっても、目標と自信を見失わずに済んだり。なにより、幸せなヒトはあなたを心から応援してくれます。幸せの種は、そうやって、たくさんの花を咲かせていくのですね!私も、誰かに幸せの種を受け継いでいけたらいいな☆と思います(*^^*)頑張ろうね!ぴちょんさん。と、そのぴちょんさんは、只今、昇進試験に向けて論文に取り組んでおります。今は、ちょっと遠い大阪から、神戸のぴちょんさんに向けて応援の念を送っています。不器用で真面目で天然のぴちょんさん。なにはともあれ、プロセスを大切に、自分のチカラを出し切れるように見守るだけです。このブログが生まれた一年前は、まだお付き合いしていなかったふたり。そんなふたりが、来週末にブライダルフェアへ行く約束をしています。そこに至るお話はまた次回(^^)
2007.07.07
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ブログ上で私の彼のお話を書く時に、「彼」と表現し続けるのは限界を感じるので、今回から彼を「ぴちょんさん」と呼ぶことにしました。趣味ワル~って笑わないでね(^^;由来は、例のキャラクターに彼がそっくりなことと(特に口元)、私がそのキャラを大好きなことと、大切なお友達がその会社に勤務しているから・・・などです。(一応了解を頂いているので著作権はクリアしてるかな・笑)余談ですが、そのお友達は、会社の懇親夏祭りで、例のキャラクターの着ぐるみを着たそうなのですが(でかっ!)ちいちゃな女の子が目を輝かせて、「ぴちょ○くんって、ホントにいるんだあ・・・(キラキラ☆)」と抱きついてきた時、この会社に勤めて良かった(泣)・・・と思ったそうです(^^)というわけで、今日は私とぴちょんさんとのなれそめについてお話したいと思います。過去のブログにも書いたことはあるのですが、失恋後、新たな自分への第一歩として習い事を始めようと考えていた私は、偶然、アウトドア雑誌で『クライミングジムリニューアルオープン!』の小さな記事に目が留まりました。以前からクライミングに興味があったものの室内ジムがあるとは知らなかったので、これを機会に体験だけでもしてみることに決めました。私は大阪在住なのですが、そのジムは神戸にありそれも行ってみようかと思った大きな理由です。私は、昔から海と山に囲まれたこじんまりとした神戸が大好きだったし、なにより現状と違う空間で、しかも大好きな場所で、新しいことを始めたかったのです。正直、その当時は会社に行くのも家にひとりでいるのも辛くてしょうがなかった。歯を食いしばってる日常とは別の可能性が、あの時の私には必要だったのだと思います。未知の世界の、しかも知らないヒトばかりのクライミングジムへの入会は、正直ドキドキでした。でも、何かに導かれるように、押されるように、自宅から1時間以上車を飛ばして、神戸に通うことになったのです。10月に体験会に参加して、すっかりおもしろさにハマッた私は、12月に初心者スクールに入会することになりました。その日は、私を含めて3名の参加者で、私以外の2名は男性でした。そのうちのひとりが、ぴちょんさんだったのです。彼に出会った瞬間、ビビッ☆と体中に電流が走った!!・・・訳ではなく、正直、その時の彼の印象はあまり残っていません(^^;超不器用な私は慣れないロープワークに四苦八苦で、他の方に気を配る余裕などありませんでした。ただただ、足手まといにならないように精一杯で、「ああ~(泣)ごめんなさ~い(><)」という気持ちでいっぱいでした。そんな私のあまりの不器用さに、「このコは、このままだとクライミングで大変なことになるんじゃないだろうか・・・」と心配してくれたのが、優しいぴちょんさんです。思い返してみれば、慌てる私をフォローしてくれていたのも彼でした。もうひとりの方はイライラしていたのに、合間合間でアドバイスをしてくれていました。そんな彼に私は、「真面目そうなヒトだなあ~」くらいのイメージしか持っておらず(!?)顔もイマイチうろ覚えでした(ごめんなさいっ!)スクール終了後、帰り支度をしていた私に、「スクール内容のおさらいを、 先ほどのメンバーでするんですが・・・ ・・・一緒にどうですか?」と、ぴちょんさんが声をかけてくれたことが、ふたりのすべての始まりでした。
2007.07.04
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今日はちょこっと、仕事にまつわるカタイお話をひとつ。私は現在、品質保証の仕事に従事しているのですが、最近、食品や建築など多くの不祥事がメディアを騒がせているように、世間では企業の品質への不信感が高まっています。そんな流れを受けて、私の部署でも品質保証体制をより強化することを目的に、その道でベテランと言われるコンサルタントの方が顧問として就任されました。まだ数ヶ月なのですが、それはもう厳しく(^^;体制強化だけでなく、平行して業務改革、人材育成を目的とされている為、次々出される課題とプロジェクトに毎日、四苦八苦しております。自分の未熟さと甘えを痛感する日々ですが、思考と行動の両面を学べる絶好の機会なので、試され叱られ勉強し、なんとか踏ん張ってます!ところで、その顧問がよく口にされる言葉に、「完璧でなくていい、60点でいい」というのがあります。私はそれを聞いて、「なるほどなあ」と思うのです。ヒトもモノゴトも、100点じゃなくていいのです。失敗してもいいのです。とにかく行動することが大事なのです。失敗してもまた、そこから軌道修正して、始めてみればいいのです。行動をおこしたことが、すべて明日のアナタに繋がっていくのです。結婚だってそう。理想を求めて努力するのはステキなことだけど、理想ばかりを求めて現実の一歩を踏み出さなければ、夢物語で終わってしまいます。それでは、地に足の着いた喜びも苦労も味わえないまま、恐れていては触れることさえできません。アナタもワタシもアノヒトも、完璧なヒトなどいないのです。でも、始めなければ、いつまでも0点のまま、だけど、60点はいつか70点に高めていけるかもしれないのです。あのヒトもきっと、60点のアナタを受け止めてくれるはずです。だからアナタも、60点のアノヒトを認めてあげてください。それにね、完璧になるのを待っていたら、アッと言う間におばあさんになっちゃう(笑)人生は限られています。できる限り多くの機会を、取り越し苦労で逃してしまわないように、いっぱい、いっぱい考えていいんです。でも、そこで覚悟を決めたら、一歩を踏み出す勇気を持てますように・・・60点のアナタは、誰がなんと言おうと100点の勇気のあるヒトなのです。
2007.06.26
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「他人は自分の鏡」という言葉がありますが、最近それを痛感します。相手に対して「なんでそうなの!?」とイラついたり、腹を立てたりした部分を思い返すと、 『自分にもそういう部分があるよな・・・』ということがホントに多いのです。自分の意見を一方的に押し付けようとしたり、ヒトの話を聞かなかったり。そんな時、「他人は自分の鏡」と考えると、途端に頭が冷静になっていきます。主観から客観に切り替わるからかな?認めたくないけど(笑)だからこそ腹が立つのだなぁと。 その反対に、自分にそういう部分がなくなると、さらっと流せるようになるんですよね。不思議に気にならなくなって、一歩引いて見れるというか。ただ全てをそう考える必要はないと思いますけどね(^^)ヒトにはいろんな価値観があって当然だし、自分の思い通りにヒトを動かすことはできないのだから、そんな時は、小さな意地は捨てて、お互いにとって建設的な妥協点を見つけられるよう、譲れたほうがずっといい。「いろんなヒトがいておもしろいなぁ~」ぐらいのおおらかさで、自分のルールを他人にまで押し付けないこと。でもまあ、それでも腹の虫が治まらない時は、ほかに何か理由があるのでは・・・ということです。私はできれば楽をしたいと常々思っているナマケモノなので、イライラしたり腹を立てたりするのは、無駄な時間とエネルギーを使うし、と~っても疲れるので、なるべくしたくないのです。同様に悪口も。でも他人を自分の思い通りに変えることなんてできないから、後は自分を変えるしかない。それに、私は自分を好きでいることが第一目標なので、嫌いと思ってしまうヒトが自分を映す鏡なら、自分のことを好きになる為には結局『嫌いじゃなくなるしかない』ということもいえる訳です。他人は変えれなくても、自分は無限に変えられますものね、いいところはそのままで。そういった意味では、鏡である存在は、成長になくてはならないし、バロメーターにもなってくれるということですね。ああ、感謝です(*^^*)やっぱり出来事やヒトとの関わりの中に、ムダなものはないのだなぁ。反省ばかりの毎日ですが、昨日より今日、今日より明日、少しずつでいいから、自分なりに進んでいけたらいいな☆と思います。
2007.06.21
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今日は、またまた今だから笑えるお話を書いてみたいと思います(^^)私が新部署に移動になったことは、以前書いたとおりですが・・・実は、その新部署というのが、以前の彼と同じフロアなのです(^^;それまでは、全く畑違いの部署で働いていたので、同じ会社ではあったけど顔を合わせないで済む日もまれにありました。しかし、まさか想像もしていなかった業務に異動になったうえ、別れた彼と同じフロアで毎日顔を合わせることになるとは・・・友人からキング・オブ 前向き☆と言われる、さすがの私もこう思いました、「神様、まだ試されるのですか・・・(泣笑い)」私にとっては衝撃の事件から一年たち、ようやく全てにおいて前向きに笑顔で取り組むことが自然にできるようになってきた矢先の、絶妙なタイミングでした。『はいっ!次、行ってみよう!!』みたいな・・・(笑)私が一年間、自分に課していた目標は、素直に教えを請うこと、感謝を知ること、自分を好きになること、でした。そしてもう一方、相手が存在したうえでの最大の目標は、赦すこと、でした。それは、驕った想いからではなく、自分に課した目標と繋がることでした。相手との関係に対して、まずは現実を受け止めること反省し内省すること感謝すること前を向いて歩き出すことその全てが出来ないと、赦すことなど到底出来ないからです。だからこそ、自分の醜い部分(自惚れ・傲慢・憎しみ)から目をそらすことを禁じ、歯を食いしばって会社を辞めず、彼と私、彼と彼女、彼女と私、の関係を見つめ続けました。あの時私は、今逃げたら自分は本当に何もかもから逃げ続ける人生になってしまう、と思いました。そして、これを自分なりにクリアできたら、必ず私はホンモノに近づける、と信じていました。本当の意味で、大人の女性になることが必要だと思ったのです。心がえぐられるような言葉を投げつけられたこともありました。それは想像以上に困難で、毎日が葛藤の日々でしたが、少しずつ、少しずつですが、周囲の温かさを知るにつれ、『私の人生は、彼だけじゃないんだ、そして全ての出来事が今の私を作ってくれているんだ』と思えるようになっていきました。目をそらす彼と彼女に、笑顔で挨拶ができるようになったのは、そんな頃でした。でも、本当に心の底から、二人の幸せを願えていたかといえば・・・それは、正直まだ出来ていなかったと思います。だから本当は、異動の内示があったときも、途方にくれながらも、どこか苦笑しつつ、「きたか・・・」という想いがありました(笑)まだまだ、大人の女性になる本当の覚悟が、私には出来ていなかったんだと思います。そして、さまざまな段階を経て、その準備が整ったということなのだろうと・・・だから私は思うんです。越えられない壁など与えられることはないんじゃないかと。自分にはそのチカラがあるから、この壁の前に辿り着いたのではないかと。もう一歩も歩けないと言いながらも、その重い足をだまされたと思って一歩前に出してみたら、その先を確かめたくて顔を上げることができるから、そうしたらきっと、雲の切れ間に見える小さな光に気付くことができるから、だから、信じて歩いてみよう。過去の痛みも喜びも、全てが今の自分に繋がっている。その足跡は、確かな明日に繋がってる。流した涙の数だけ、それは誰かを守れる強さに変わり、幸せの花が咲いていく。だれでも、必ず幸せになることができます。彼女も、彼も、私も・・・そしてアナタも。自分だけの幸せの花を、たくさん咲かせていきましょうね!
2007.06.10
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最近、仕事上の悩みや恋愛について、お話を聞くことが多くなっています。と言っても、まだまだ発展途上の私ですから、的確なアドバイスができる訳もなく、耳を傾けることが中心です。というか、アドバイスをするつもりは正直なく(^^;例えば、「風があちらの方から吹いてくるようですよ~つかまえるにはこんな方法もありますよ~」とは言えても、その風をつかまえてみるのも、そしてどう使って進むかも、本人次第だと考えているからです。それに、大安吉日さんもおっしゃっていましたが、私も基本的にヒトがヒトを変えることはできないと思っています。誰かの言動がきっかけになったとしても、そこに自発的な意思がないと変化は起こらないし、最終的な判断も価値観もすべて個人に委ねられているのではないでしょうか。だからこその、自己責任と自由だと思っています。ただ、自分の経験からも、これは真理だと感じるのは、『ヒトはへこんだ時にしか、色んな大切なことが身に沁みない』ということです。自分自身も、周囲も、順調な時には見えない、全てが良くも悪くも隠しようもなくリアルにつき付けられてしまう時、どん底まで落ちて初めて気付くことがあります。痛い痛い一歩から、普段、何気なく歩けていることの意味失ったモノの大きさから、小さな自分の存在の意味孤独を知った時から、求めることの意味与えてもらうこと、与えることの意味独りではないことの意味でも、手にしては忘れる気付きは、まるでホンモノになる時まで試されているかのように、繰り返し困難として訪れているようにさえ感じます。それは、驚くほど絶妙な正確さで。以前にも書きましたが、誰の人生にも幸福と不幸(と定義するならば)は、同等の分量だけ与えられていると思うのです。その配分やタイミングは人生選択によるだろうけど、繰り返し訪れるそれぞれは、合計するとちょうど半分ずつになるのではないでしょうか。だとしたら、覚悟を決めて、どちらもとことんまで味わいつくしていけたら、と思っています(^^)いっぱい泣いて、いっぱい笑って、いっぱい吸収して、たくさんのチカラに変えてイケ!いつも、いつも、声の限り応援しています。アナタにそのチカラがあるから、その壁の前にたどりついたんだと思います。いま、悩むチカラのあるアナタなら大丈夫。降っても、晴れても、アナタはアナタだから。疲れたら休んで、また少しずつでも歩き出せますように・・・
2007.05.29
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前の彼氏との痛い別れから約半年がたった頃、2回の石垣島ひとり旅を終えて、私の心は、徐々に落ち着きを取り戻し始めていました。それまではまず、信じられない想いに、ただ痛くて痛くて涙がとまらない生傷の状態から、現実を認める鈍痛のような段階を経て、前向きな感情を奮い立たせるのに必死なリハビリ期間、という感じだったでしょうか・・・。なげやりと希望の中で葛藤していた日々でしたが、何故かその日は、自分でも不思議なくらい肩のチカラが抜けて、意地も強がりも泣き言もない、本来の素の自分でいるのを感じていました。特になんてことのない日曜日の午後、3月の初旬にしては穏やかな日差しの中、のんびり車を運転していた私は、いつもは聴き流していた曲に、ふと耳を奪われました。それは、ちょうどその頃ロングヒットを続けていたグループ、レミオロメンの『粉雪』のシングルに挿入されていた、『3月9日』オーケストラVr.でした。曲が作られた経緯から結婚式に多用されているということもあり、その時の私には全く興味がない曲だったのに、何故かいきなり、しみ透るように心に響いてきました。*******************************************瞳を閉じればアナタが 瞼の裏にいることで どれほど強くなれたでしょうアナタにとってワタシも そうでありたい********************************************からっぽの心に水が満ちるように、「ああ、そうだ・・・。私は今度は、ううん今度こそ、こんなふうに誰かを愛したい。そして誰かにとって、そんな存在でいられる自分になっていきたい。」そんな想いが涙と共に、まるでずっと探していた答えのように、胸に湧き上がってきたのです。穏やかな、それでいて深い愛情に満ちた、日常を綴ったコトバそして同時に、その時初めて、私は心から「自分の家族をつくっていきたい・・・結婚しよう!」と決意しました。私の一度目の結婚は、家族になるという覚悟もなく、恋愛の延長線上でしかありませんでした。その後の恋愛は、わずらわしい責任から逃げた上、結婚なんて二度とするもんか、このままの方が楽じゃない!と思い続けて失いました。どちらも、自分から与えることはあまり考えず、相手に求めてばかりいた私だったから当然です。でも、全てを失って初めて、大切なヒトが傍にいることは当たり前なことじゃなく、持続させることは本当に困難で、でもだからこそ感謝に満ちたことなのだと、気付くことができました。そして、感謝の想いと覚悟を持てた時、ちょうど絶妙なタイミングで、大安吉日さんのメッセージに出会ったのです。それから私は、自分の生き方・考え方・恋愛観をすべて正直に見つめ直し、いわゆる「私はこうなんだから仕方ない」という思い癖を一切排除し、もう一度自分の人生のビジョンを立て直すことを始めました。進んでは戻りを繰り返しながら、自分が本当に心地よいと思える、想い・言葉・行動を実践し、自分が5年後・10年後どうなっていたいのか、その為には今をどう生きて行けばいいのか試行錯誤し続けました。それは、言葉でいうほどスマートなものではなく、みっともなくもがきながら、情けなくてかっこ悪くて、反省しきりの毎日でしたが、そこには今までにない自由がありました。全てが自己責任であるということは、全てを自分で選択する自由があるということ。それは逆説的ではあるけれど、経験を以って私が学んだことでした。それから一年以上がたち、いま私の傍には勇気と強さを与えてくれる大切なヒトがいます。彼がいることで私は、迷いながらも日々の責任を精一杯果たしていくことができる。彼も、私が傍にいることで、強い自分に近づいていると言ってくれます。出会ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。そんな言葉にあたたかな涙がこぼれます。そして、私たちはもうすぐ家族になります。いま、何も見えず、もう歩けないと泣いているアナタ。自分の本当に求めているものが、分からなくなっているアナタ。大丈夫。モノゴトはアナタにとって一番いいタイミングで訪れるから。悲しい結果がおこったとしても、それはもっと最高のタイミングで訪れることへの準備段階だったんだと、必ず後から思えるから。その痛みは、必ず癒える時がきます。アナタにはそのチカラがあるから。あきらめないで、自分と自分の想いを大切に、少しずつでも準備をして、その時を迎えて下さい。そして、今を作ってくれたあの時の想いを忘れずに、これからも歩き続けていきましょう。
2007.05.24
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昨日、彼のご両親に初対面して参りました。彼から聞いていた通り、お父様は寡黙、お母様は話し好きで、楽しい時間を過ごさせて頂きました。直前まではさすがに緊張しましたが、実は私は本番に強いタイプなので(あきらめると?肝が据わる)、お会いしてからは、何故か私より彼のほうが固まっておりました(^^;あまりおしゃべりが得意ではない彼ですし、なにより本当に真面目な人柄なので、リラックスするまで時間がかかるのです(顔合わせというシチュエーションに)。私は根がいい加減な性格なので(基本、なんくるないさ~♪のタイプ)、彼の真摯な態度にはいつも新鮮な感動を覚えます(笑)私の両親に挨拶にきてくれた時も、両親に聞いた彼の印象は「こちらの目をまっすぐに見る若者だ」というものでした。でもその真面目さゆえに、昔から友人に「石橋を叩きすぎて壊すタイプ」と言われてきたらしく、なるほど、初めて二人が出会ってからはっきり気持ちを伝えてくれるまで一年近くかかっていますものねえ・・・しかもその間、完全に自分の片想いだと思い込んでいたそうです(^^;クライミングジムの後、二人で食事に行ったり、休日に遊びに行ったこともあるのにね。「バウ2ちゃんは、優しいヒトだから、オレを思いやって時間をくれているのかなと思ってた」そうです。自分に自信がないと言えばそうなのでしょうが、私の友人はそんな彼を「傲慢なところのないヒトねえ」と言ってくれました。正直、不安になったり、イライラした時も多々ありましたが、会えた時の彼の心底嬉しそうな笑顔や、思いやりに満ちた態度やメール、ネガティヴな自分を変えようと時間はかかっても懸命に努力する姿勢が、彼の誠実さや純粋さを表していると信じ、じっくり彼と向き合い続けました。何事にも慎重すぎて機会を逃しがちで、とにかく不器用な自分が嫌いだから変えたい、と願う彼に、私は自分が思ったままのことを言いました。「その言葉の奥にどれだけの責任があるか分かっているからこそ、簡単に言葉にしたりできないということじゃないですか?口にしたことは時間がかかっても、ひとつひとつカタチにしていかれてるじゃないですか。それはとてもまっすぐで真摯な生き方だと私は思います。そんな自分を嫌いだなんて言ったら、かわいそうじゃないでしょうか?世界中で自分がいちばん自分を認めて、応援してあげないと!」それは私が、たくさんのヒトたちから受け取った自分へのメッセージでもありました。不器用に微笑んでいた彼が、いつからか声を上げて笑うようになった頃、私にとって彼は、たったひとりの王子さまになりました。いまでも彼は、「オレはまだまだだけど、それでも少しずつでも変われていると思う。でもそれは、バウ2ちゃんのおかげなんだよ」と何度も言ってくれます。でもね、それは私も同じなんですよ。私にはない素敵なところがアナタにはたくさんあるんです。アナタがプロポーズの時に言ってくれたみたいに、「これからも色んな困難があるだろうけど、お互いに素敵なところはたくさん褒めあって、いけないところはちゃんと叱って、足りないところは補い合って、互いに成長していこう。そしてふたりらしい幸せを作って、いつまでも笑っていよう」と、私もアナタだから思えるんですよ。女性がとてもパワフルで輝いている昨今、気弱で地味な男性はイマイチ目立たないかもしれませんが、ホンモノ王子さまを見つけようとする目(心)があれば、不器用でも、ちょびっとネガティヴでも、素敵な原石は隠れているものだと思います。どうか、そんな男性の小さな輝きに気付いてあげてくださいね。そして、自分も一緒に成長して、もっと輝いていけたら素敵ですね。
2007.05.14
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お久しぶりです。はあ~、本当に久々の更新です。毎日チェックはしているし、ネタは山ほどあるのですが(^^;書き込めないまま日々が過ぎておりました。覗きにきてくださっている方、ごめんなさい。そしていつもありがとうございます。相変わらずの忙しさですが、ここ最近のめまぐるしさは、ちょっとした環境の変化が大きく影響しておりました。実は最近、ちょっと響きが笑えるのですが(笑)、係長の辞令を受けました。昨年9月から新部署に異動になり、今までとあまりに畑違いの業務に毎日が勉強で四苦八苦でしたが、なんとか分からないなりに新たな課題に前向きに取り組み始めた矢先の驚きの辞令でした。専門性の高い部署なので、装置の扱い方や細かい実務については全くといっていいほど知識がなく、そんな状態で上司として部下を指導できるのだろうか・・・正直かなり悩みましたが、ジタバタ考えに考えた結果、私は、私のアプローチ方法で、私らしい上司像を目指していけばいいのではないか、という結論に達しました。もともと、その部署にはなかった新たな業務を、本来あるべき部門で行っていくという、会社としても新しい試みで配属された人事でもあったので、求められているのは旧体制のカタチではなく、変化ではないだろうかとも考えました。私が仕事をしていく上で、経験と、あるメッセージから自分なりに考え続けてきたのは、専門的な知識は、もちろんあると大きなチカラになるとは思いますが、40歳までに身につけておきたいのは、ごく狭い範囲での技術や知識だけでなく、それ以上に、どんな職種であれ社会人として総合的なプロ意識を持ち続けること、新規の案件や予測のつかないトラブルに対応できるだけの仕事の「基礎筋力」ではないかということです。仕事に対する自分なりの考え方、方法論、成功体験、失敗から学ぶ術、そういった経験を自分の強みとして認識し、自信を持ってこれまでの自分の仕事を語れること。それらを意識しながら、日々の業務をこなしていくこと。全てが、今と未来の自分を創っていると信じること。難しいことを言ってますが(笑)、なんだかこれって、ハピ婚へ続く出会い活動にも似てますね。とすると、生き方そのものにも繋がっていくかもしれませんね(^^)という訳で、社会人と大学生の2束のわらじを、よろめきつつ履いている発展途上の私ではありますが、今度は新たにハピ婚への第一歩を踏み出すことになりました!先月、彼が私の両親にお付き合いの報告と結婚の挨拶に来てくれたので、今週の日曜日に今度は私が、彼のご両親に初めてのご挨拶にいくことになったのです。はあ~、今からドキドキですよ~(^^;でも、なんといっても今の彼を育んできてくださった方たちなのですから、私にとっても感謝感謝なのです。とにかくなにより、私らしくリラックスして臨みますよ!
2007.05.08
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少し前の私は、人を好きになること、ましてや愛することについてそんなに深く考えたことがありませんでした。いろんな経験を経て、自分なりに懸命に日々を過ごしてはきたけれど、結局は自分のことで精一杯で、心からは感謝を知らず、本当には強くなろうとはしていなかったと思います。そんなツケがまわって、自分と向き合わざる得ない壁が次々と現れたこの一年半、人生でこんなにも深く正直に自分自身を考えたことはありませんでした。これまでの自分、これからの自分、考えに考えた末、辿り着いたのはあきらめではなく、希望でした。本当に強い自分になりたい。自分を好きになりたい。そのうえで、今度こそ本当に大切な人を心から愛せる自分になりたい。お互いが自立しながら、深く想い合うことができる、そんなふたりで人生を共に歩いていきたい、初めて心からそう思いました。だけど、きっと自分と同じように想う人がいるはずだとは信じていたけれど、そんな人と出会い、お互いがそのことを知って、好きになれるなんて、本当に奇跡のような確率だと思っていました。そして、今の彼と出会いました。彼も言っていたのですが、人は決してひとつにはなれないけど、だからこそふたりでいることに意味があるのだと思います。自分のこと以上に、誰かを大切に想えること、その人を想うことで自分が強くなれること、それが愛なのだと、彼と出会って知ることができました。結局、求め合うのではなく、自然に、赦し与え合うことができる、そういうことなのだと今は思います。いろんなことを回り道したこれまでだったけど、今の自分に辿り着く為に必要な時間だったのだと思います。今でも、本当にまだまだの自分だけど、少なくとも、恋だけじゃなく愛の意味を知ることができただけでも、価値ある時間だったと思えます。なげやりになりかけていた私に彼が言ってくれたように、「いませっかく生きているのだから」、痛みも悲しみもやるせなさも、喜びも幸せも希望も、全てが自分を作っていると思えるから、今はなにもかも感謝できます。私は本当にまだまだで、これからも成長していかなきゃいけないけど、彼はそんな私をいつも励まし見守ってくれていることを、本当に心から感謝しています。そして私も彼にとってそうでありたいと想い続けています。だれでも、そんなヒトと出会うことが必ずできます。持続させていく努力は絶対に必要だけど、それは必ず報われる努力です。どうか、あなたにも、ふたりで繋げる努力をし続けられる、そんなたったひとりのヒトに出会える日が訪れますように・・・私も応援し続けています!
2007.02.10
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明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。どうか、あなたにとってこの一年が心に残る素晴らしい年でありますように。怒涛の12月、年末、お正月が過ぎ、やっと一区切りつきまして久々の更新です(ホ~・・)また、なんてことない日常や想いを、もにょもにょ書き込んでいこうと思います。お暇なときにどうぞお立ち寄りください。昨年は本当に心に残る大切な大切な一年でした。自分を包むたくさんの愛に気付いた、どんな高価なモノより価値ある時間でした。誰の人生にも、平等に嬉しいこと悲しいこと(あるいは幸福、不幸?)が、同じ分量だけ与えられているのだと思うのです。そのステージやパターンは人生それぞれだろうし、どう受けとめるかも自由だろうけれど、きっと乗り越えられないほどの苦難なんて与えられないのだと思うのです。そのときはもう一歩も歩けない、自分にはもう無理だと途方にくれてしまうこともあるだろうけど、あなたにそのチカラがあるから、その壁の前に辿り着いたのだと思います。誰にでも、陰の部分は必ずあるし、後悔もあるだろうけど、みんなそれぞれにもがきながらも時には笑うことさえできて精一杯踏ん張って生きている。あなたも私も、自分らしい人生を自分らしい生き方で、今日も生きていけたらいいですね。さて、今年のお正月には、彼から手作りの年賀状が届きました。色鉛筆と水彩絵の具で、二人が出会ったきっかけのフリークライミングで使うカラビナ(2つの輪をロープで繋げた命綱のようなもの)を、優しく味のあるタッチで描いてありました。理系で絵心がないと言っていた彼なので、とっても驚きました。まだまだ私の知らない彼がたくさんいるみたいです。いやはや、やっぱり奥の深いヒトです(笑)そこに彼からのメッセージも書かれていました。『 あけましておめでとう 楽しいときも辛いときも いつも一緒 一本のロープで繋がっています 出会ったあの日に感謝して 想いが通じたあの時を忘れずに 降っても晴れても大丈夫 これからもずっと傍にいます 今年もよろしくお願いします 』一年前の今頃は、こんな同じ気持ちでいられるヒトの傍にいれるなんて思いもしませんでした。出会えるとは信じていたけど・・・。大丈夫!あなたも必ず出会えます。全ての出会いに感謝して、笑顔でその日を迎えてください。そしていつまでも、笑顔と感謝を忘れないように、私も歩いていきます。
2007.01.05
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本当に久しぶりの更新です。12月に入って怒涛の忙しさです。そのせいか、何年かぶりにひどい風邪を引いてしまいました。でも、なんとかやっと体調も回復してきました。今日から東京に向かいますので、本当によかった。明日から26日まで、朝晩みっちり大学の講義を受けて最終日は単位認定試験です。クリスマスも関係ないですね・・・でも彼も応援してくれているし、自分で選んだ事なので精一杯チカラを尽くしますよ!今日も自分との約束を果たすために。
2006.12.22
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約1年前の11月頃、初めての石垣・八重山諸島一人旅から戻った私は、自分のなかに新しい小さな種が生まれたことを感じていました。別れを迎えて初めて、自立していたようで、実は彼氏(との背景)に完全に依存していた自分に気付き、一体これからどうしたらいいのか、私は最初途方にくれていました。彼との事件のちょうど少し前に、会社で上司とぶつかり退職を考えるまで思いつめていたことも、仕事の無理がたたって体を壊し、聴覚の異常とめまいの発作が後遺症として残ってしまったことも、これからの人生の方向性への迷いも・・・人間ほんとうに軌道修正が必要な時っていうのは、それまで先送りしていた問題がすべて隠しようもなく表に現れ向き合わされるものです。それをチャンスと捉えるか、不幸と嘆くのか。選ぶのも自己責任、そして自由です。友人から教えてもらった言葉が今も私を動かしています。「壁を乗り越えずに、やり過ごしたと思っていても、壁と平行に歩いているだけで、いずれまた壁にぶつかる」とにかくひとつずつでいいから、ひとりで自分のチカラで、出来るようにならなければ!という思いと、狭い人間関係のなかで萎縮してしまった自分の世界をぶち壊したい!という思いから、荒療治として一人旅にでかけました。行き当たりバッタリでコースも目的も決めないホントの一人旅は、すべて新鮮でカルチャーショックの連続でした(笑)初めてひとりでダイビングした石垣の青い青い海。様々な年齢・職業・事情の、一人旅の人たちとの交流。静かに正直に自分と向き合い、なにも手にしなくても満たされていく、のんびりとした島時間。そこには、社会的背景を必要としない人間としての交流と、今日はまた新しい一日と思えるワクワク感がありました。なにより強かったのは、あまりに狭い自分の世界と価値観に気付いたこと、そして自分のなかの生きるチカラでした。旅から戻った私は、ほんの少しの自信を手にしていました。なぜなら、私は自分との約束「自分で行動し、世界を広げる」ことを、小さいけれど果たせたからです。信頼を裏切りたくないから、約束を守ろうと思う、今の私にはそれが自分を大切にするということに繋がると思いました。約束を果たし、信頼し、自信へ繋げる。自分を裏切って、自分を苛める。本当はそんなことはしたくないのに。自分を信じて、自分を大切にする。本当にしたいことをしたい。悪口も愚痴も投げやりも人を責めることも不幸を願うことも、時にたまらなくこみ上げてくるけれど、本当にそうしたい?それならなぜこんなに嫌な気持ちになるのかな?こんな気持ちが残るなんて、まるで自分を苛めてるみたい。自分は本当は、そんなことはしたくないのかな。シンプルに自分の気持ちが正直に気持ちいいと思うことをしたい。それが自分を大切にすることに繋がるのなら、マイナスの感情が湧いてきても、自分を責めたりせず「ああ今、自分を苛めそうになってる。もっと大切にしてあげなきゃ」と気持ちを切り替えることができます。そんな思いに後押しされるようになった私は、また新たな挑戦を自分に約束しました。前から興味があったけどきっかけがなかった、『クライミング(フリークライミング、岩登りともいう)』をはじめてみようと決心したのです。あえてありえない未知の世界へ自分を踏み出させてみたかった。だから、クライミングジム(室内)の入会も、わざわざ隣の県にしました。そして、そこでホンモノの王子様と出会ったのです。
2006.12.09
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私はスキマスイッチが好きです。シンタさんの優しいピアノと、タクヤくんの透明なボーカルが重なって、澄み切った水のように乾いた心に沁みこんで行く気がします。あんまり身構えすぎないでいい感じも好きです。ニューアルバムの『夕風ブレンド』を聴きつつ、また透明感を増した二人の音色に「ノーミュージック!ノーライフ!!」などと(笑)、『ボクノート』に涙しながらフワフワした気持ちでパソコンに向かっています。しかし、今でこそ生活のかなり重要なウェイトを音楽が占めている私ですが、一年前の私は、そんなに音楽を聴くほうではなかったのです。と言うより、遠ざかっていたと言うほうが正しいかもしれません。昔から、絵を描くのも見るのも好きで、リズム感はゼロだけど音楽全般も好きで、本を読んだり映画や舞台を観たり、月や海や、とにかく自然も含めて美しいもの、心をふるわすものが大好きでした。でも、ずっと、そんな自分の好きなものを素直に感じることを忘れていた。いや、感じないようにしていた気がします。自分の内側を認めることなく、閉じこもっていくと、心は鈍感になっていきます。本当は誰の内側も限りがないくらい自由で広大なのだけれど、曇った目には1メートル先しか見えない窮屈な出口のない暗闇に感じられる。鈍感な心を埋めるために、人はどこまでも欲深くなっていきます。自分のなかに答えを求めるのではなく、他人に全てを求めようとするからかもしれない。求めて求めて、飢えて、乾いて、奪って、満たされない想いに与える余裕なんてない。満足しても、また苛立って、刹那的な喜びで毎日を凌ぐ、思い通りにならない相手の、状況のせいにして、誰も本当の自分を分かってくれないと、他人を羨んで終わる。陳腐だけど、答えはすべて自分のなかにあるのに。自分を認めることも、自分を信じることも、自分を励ますことも、自分を幸せにすることも、自分の人生に責任を取ることも、すべて自分次第。選ぶも選ばないのも自分の自由なのです。必要なのは、覚悟。必ず変えられると信じる想いと行動、言葉。言い訳はしないこと、自己責任の自分の生き方に言い訳などできないのです。そんなものは、誰も聞いてくれません。失うことを恐れなくなった心は、自由で、与えることを惜しまなくなります。たくさんの愛情に敏感になり、いつも心は感謝でいっぱいで、誰かの笑顔を見ることが何より嬉しくて、そこからチカラを分けてもらえるから。自分で自分を満たすことができると、他人に求めることより、与えることが幸せに感じられるから不思議です。もらった愛情を少しでも返したいという想いでしょうか。求めることが強い人は、実は自分をいじめている人かもしれません。甘えているようでいて、本当は自分を認めていない厳しい人。これまでの自分の人生にすべてオッケーを出してあげましょう!生き抜いてきた自分に「頑張ったね、ありがとう」と言ってあげましょう。それでも笑えてる自分を認めてあげましょう。そんな私も、最近まで人生のほとんどを人を羨んで、人と比べて、劣等感のなかで生きていました。何十年も重ねてきた、「自分はこうなんだから仕方ない」という思いグセをすっぱり捨てる覚悟を持った時、人は訓練次第で心を、考え方を変えることができるのだと実感しました。そのお話はまた今度。先月は、レミオロメン。今月は、HYのライブに行くのです♪大好きなもの、大好きなひとに、囲まれた私は今、本当に幸せです。
2006.12.01
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昨日の日記のコメントに、まりあさんからご質問を頂いていたのですが、長くなりそうなのでこちらに書き込みますね。連絡がこなくなって1ヶ月になりますとのこと。気になるヒトから連絡が途絶えるとへこみますよね。ときめいていたぶん自分に自信をなくしてしまったり・・・実は私も同じようなことがありました。旅先でお話して、不思議なくらいあたたかく穏やかでいいヒトだなあと感じ、遠方の方でしたが友人として何度かメールの交換をしていました。好きな映画や本の話、旅先の風景をスケッチするのが共通の趣味であることを発見したり、お互いの好きなことに興味を示したり。私が怪我をした時は心配して電話をくれ、長期休暇には会いに行きますと言ってくれたり、はっきり恋とまでは行きませんが、ときめいてドキドキしたりしていました。でも、ある日突然メールが途絶え、私もあえて連絡をしませんでした。当初はがっかりして、見当違いに腹を立ててしまったり、自分に自信をなくしかけて落ち込んだりしましたが、二人で何かを共有した訳でも、創りあげた訳でもないヒトとの時間は、以外に早く整理がつきました。自分から追いかけることはしない、と決めていたせいもあります。当時も考えてみたのですが、彼には誰か他に大切なヒトがいたのかもしれないなあと思ったりしました。だとしたらあの時点で終わって、お互いに良かったのだなとも思います。それに、自分自身、実感していることなのですが、相手があなたの本当の人生のパートナーであれば、何があっても彼はあなたを追いかけてきます。もしこのまま、二人の関係に進展がないのであれば、それはただ、彼があなたの人生のパートナーではなかったというだけのことです。まりあさんに魅力がなかった訳でも、彼に落ち度があった訳でもなく、彼にも、まりあさんにも出会うべき本当の人生のパートナーがこの先に待っているということだと思います。どんなにステキでも、好みでも、惹かれても、長く時を過ごしても、繋がらないヒト。偶然の出会いでも、続いていく理由がないはずでも、これから先ずっと繋がる努力を二人で続けていけるとお互いに信じられるたったひとりのヒト。それが、不思議だけど縁というものだと思います。自分がひとりぼっちのような気がして寂しくて仕方がない時、自分を過小評価してしまう時、小さな可能性の光に、感情が大きく揺さぶられてしまうことがあります。でもそんな時こそ、冷静に、自分と未来を信じて、心を励ましてあげてください。相手を軽んじるということではなく、なによりも自分を大切にすること。連絡がなくても取り乱さず、相手を責めることもせず、ただ冷静に「これで切れてしまうヒトなら縁がなかったということだな。縁があれば、また繋がるだろう」というくらいの割り切った気持ちで新たな出会いに心をゆったり向けて下さい。この出会いも無駄ではないのだと思います。そこで感じた様々な感情も、まりあさんにとって財産になっています。結果よりプロセス、何もかもが糧になっていくのですから。全ては、本当のパートナーとの出会いに繋がっていると信じてください。大丈夫。必ずあなただけの本当の王子様が存在します。あきらめず、落ち込んでも、また元気になったら、笑顔でその日を迎えてください。私がへこみそうになった時、大安吉日さんのブログから書き留めた言葉があります。「幸せな恋は、それを迎える準備ができたヒトに順番に訪れる。 幸せな恋は、グチや、不満や、妬みや、自暴自棄や、あきらめが嫌い。 ニコニコしていて、素直で、自分を大切にしていて、希望を捨てないヒトのもとにやってくる」まりあさんが、全ての頑張る女性たちが、自分らしい幸せを見つけられますように。ステキな出会いはもうすぐです。私だって恋愛初級者です(笑)でも、ヒトは経験と覚悟次第で、心を、周囲を、運命を変えることができます。私にも本当の王子様が現れたように、あなたにも必ず現れます。その日を、私も楽しみにしています。
2006.11.27
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それから様々な出来事と葛藤がありました。食べれない、眠れない、泣いてばかりでただ生きているだけで精一杯の一日。胸にこびりついた焼けるような痛みを感じるたび、永遠にこの痛みは消えないのだろかと途方にくれ絶望していました。全てが夢なら、出会ったことさえ夢だったら、この記憶を消せるなら、どんな犠牲を払ってもいいと思った。それでも私は、その時点で自分にとって一番厳しい選択をしました。辞めずに会社を続ける。逃げない。今、現状から逃げたら私はまた同じことを繰り返す。全てを受け止め、乗り越え、本当の強さを身につけた時、私は誰にも依存せず、自分の人生に責任を持って立つことができる。考えに考え抜いた末、そう決断しました。それがどんなに辛いことだとしても。それからが本当の自分の弱さとの戦いでした。毎日、顔を見て声を聞く。二人でいる所を目の当たりにする日々。二人が付き合っている事実より、それを見て私がどう感じるのか、思い至らない彼への絶望感の方が大きかった。それ程に、私は彼を信頼していたから。やり直そうと言う、あまりに私にも彼女にも無責任な言動。あんなに長く時間を共有していたのに、私の全く知らない彼の一面。分かっていても、どうしても感じてしまう男性への不信感。会わずに済めば、もっと早く忘れることができるのに、平気になれるのに・・・そう思う日もありました。かさぶたを何度もはがされる出来事が重なるたび、「それでも私は逃げないと自分自身で決めた。全ては自己責任だと認めてみせる。負けない、逃げない、今日も笑顔で生きる。」そう自分に言い聞かせ続けました。でもやはり、なによりも大きかったのは、周囲の支えと優しさでした。事実を知っても何も言わず受け止め、あたたかく「あなたに対する信頼は、なにも変わらないよ」と微笑んでくれた友人達。「なんでもっと頼らないの!甘えなさい!」と怒ってくれた家族。正直、私は彼と付き合っていた7年間、どちらかというと友人をないがしろにしていました。だからとっても驚いた。もう私にはなにも残されていないと思っていたから。彼と付き合う一年前に、4年間の結婚生活にピリオドを打ち、古風で厳しい両親に勘当当然を言い渡されていた私は、家族とも疎遠でした。全ての責任から目を背け、彼との無責任なモラトリアムの中に逃げ込んでいた7年間。それでも、無条件でボロボロの私を受け入れてくれた周囲の優しさ。だから今日も生きていける。笑顔を取り戻せる。人をもう一度信じようと思う。今度は私が、優しさを返していこうと、心から思った。
2006.11.26
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あれは、一年前の8月某日。7年間付き合っていた4歳年上の彼氏に久しぶりに電話をしました。その約1ヶ月前に、いろんな想いの末、少し距離をおこうと私のほうから提案していました。ほぼ会わない日はなかった二人だし、私の突然の申し出に激しくうろたえていた彼。彼がちょうど2週間の海外出張にでかける前だったせいもあり、なんとか納得してもらい、お互いの気持ちを見つめなおす時間をとることにしました。職場も同じで、あまりにも長く自分の一部であった彼との別れは、身を切られるように辛い選択だったけれど、お互いの為にも私は「旅立ち」の選択を自分に納得させようと必死でした。これからの人生を一緒に添い遂げる二人ではないのなら、お互いにけじめをつけて、それぞれの道を歩き出すしかないと、泣きながら決めた。彼に頼るのではなく、自分の足で立てるようにならなければ。せめて二人の出会いを、大切な思い出として心に残したいと願いながら。ひさしぶりの電話に、ぎこちない二人・・・これからのことを相談しようと会話を続けるうちに、彼の態度があきらかにおかしいことに気づく。あんなにも別れを激しく拒んでいた彼が、別れにも続けることにも言葉をにごそうとする。「まさか、もう他に誰かいるの?」気が弱いのに、調子がよくて、優柔不断な人ではあったけれど、彼を信頼しきっていた私は、まさかと思いながらもその言葉を口にしました。言葉に詰まる彼。人は本当に信じられないことを目の前に突きつけられた時、混乱と衝撃に寒気とめまいが走るのだと初めて知りました。見栄も建前も吹き飛んで、ただただ呆然とする瞬間・・・別れは覚悟していたけれど、こんな結末は一片も想像していなかった。過去の恋愛から、人の心変わりは仕方のないことだとは知っていました。ただ、私自身の価値観の中では、他に好きな人ができてしまっても、きちんとけじめをつけてからはじめることが、過去の人にも現在の相手に対しても最低限の誠意だと思っていたし、そんな私の考えは当然彼も知っているはずでした。それだけでも衝撃だったのに、彼は言い訳を繰り返しながら、結果的に既にその人と関係を持ってしまったと告げました。あまりにも自分本位に彼を信頼しきっていた私は、全ての価値観が崩れ落ちるのを呆然と眺めていました。たった1ヶ月、出張の期間を差し引いたら、日本に帰ってきてたったの2週間弱。その間に、二人の7年間は幕を閉じました。「別れを口にされたことがあまりにもショックで、混乱して、自分でももう何をしているのか分からなかった。辛くて苦しくて、でもそんな気持ちは俺だけで、君はもう他に好きな人ができたから俺を捨てるんだと思った。俺だけがこんなに辛いんだと思っていた・・・」そんな言葉を泣きながら繰り返す彼に、かける言葉は私にはもうなかった。彼の相手は、私の会社のひとつ年下の後輩だった。私は前日もその彼女と昼食をとっていたのです。笑いながら、何も知らずに。「なんでそんなひどいことするの・・・」そんな言葉しか出てこなかった。たくさんの思い出が詰まった7年間、たくさんのことを乗り越えてきた7年間、それさえ汚れていくような、めまいに襲われながら。「だって、そうなってしまったんだよ」それが彼の答えでした。
2006.11.19
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・・・昨日の続き『知識は経験を伴って初めて生かされる』ということは、来たるべき実体験の時を意味あるものにするために、やはりできる限り知識は身につけておいたほうが良いということだと思います。本や講演や音楽、テレビ、映画、会話、仕事、遊び、勉強・・・どんな場面からでも知識は無限に得られます。ただ、知識そのものだけでは、その意味の一部分しか理解できていないことを心にとめておかなければいけませんね。知識を得、体験・実践して、初めてその全てが自分の糧になるのだと思います。私は現在、自分の夢を実現するために社会人を続けながら、通信教育で大学の勉強をしていますが、そこで得た知識も実生活で実践してこそ、初めて本当のチカラになるのだと日々実感しています。そういえば先日、仕事関係で出席したセミナーで、講師の方が、『経験と体験の違い』について興味深いお話をして下さいました。「体験とは、日々と出来事の積み重ねでしかないが、 経験は、その日々の出来事から何かを学び取り、次のステージへと 繋げていく真のチカラに変わる」つまり、体験を経験に高めていくことは、自分自身の向上心にかかっているのだと、おっしゃっていました。なるほどなあ・・と思います。これも本当に実体験から「あれもそういうことだったのだなあ」と納得してしまった事柄のひとつです。どうしてそう思うのかは、おいおい経験談として書き込んでいこうと思います。ちょっとした?昔の恋バナにて(笑)
2006.11.16
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昨日に引き続き、歳の話になってしまいますが(笑)最近よく今まで耳にしたことや、感銘を受けて心に残っていた言葉などについて、「なるほど。こういうことだったのか」と納得する場面が本当に多くなりました。今までも多分、頭では納得していたし、理解もしていたんだろうけれど、目の前の曇りが晴れるようにストンと心に落ちてくるような繋がり方はなかったように思います。歳を経ての実体験というのも大きい原因かとは考えられますが、それ以上に今までは、私にそれを素直に受け入れる受け皿がまだなかったということなのかなあと。なので、いわゆる「器が大きくなる」というのは、私のうぬぼれや思い込みではなく、こんな私でも誰にでも訪れる時期があるのだなあと思うのです。知識は経験を伴って初めて生きてくる、と実感しています。そう考えると、歳を重ねることも生きることも、そんなふうに生きてきた人生の先輩方も、なんだかとても素敵に思えてきませんか?発見が連続の毎日に、退屈している場合ではないなと今日も笑えた一日でした。
2006.11.15
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はじめまして、あなた、そしてブログの世界(笑)設定方法も分からぬまま、登録だけはしたものの、設定をどうしていいのか右往左往・・・日々だけが過ぎ、悩んでる暇があったらとにかく始めてみようとなんとか本日書き込みです。お見苦しい点が多々あるとは思いますが、『やったらできる子』のはずなので、あたたかく成長を見守ってやってください(笑)ブログタイトルの「SUBARASHIKI NICHIJYOU」は、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、アンダーグラフのアルバムタイトルと同じです。感動した友人から半泣きで薦められたのですが、確かに素敵な楽曲でした。三十路も半ばとなり、様々な経験を味わってきた私が今感じるのは、日常とは何よりも素晴らしく、その素晴らしい日常を造りだしていくのは、自分自身の心だという当たり前なシンプルな答え。見栄や嘘や弱さなんかが、なんだかややこしくしてしまっているけれど、実は芯にあるのはシンプルな大切な不動の愛でないかなと思うのです。こんな気恥ずかしいことが言えるのも、歳の功かなあ・・・でも嫌な気分じゃないのです。とすると、歳をとるのも素敵な日常の一部かな?あんなにうんざりしていた「生きること」が、味わえるようになった今、変わったのは心のあり方だけなのに、まるで全てが変わったみたい。やっぱり自分だけの持ち物で最高の財産は『心』なんだなあ。これさえあれば、どこでだってどんな状況でだって幸せでいられる!これって、これ以上ないくらい自由を手にしているなと思います。そんなわけで、なんてことない素晴らしき日常についてこれから、もにょもにょ書き込んでいこうと思っています。お暇なときは立ち寄って味わってくだされば嬉しいです。どうぞよろしく。
2006.11.14
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