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2005年05月30日
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クリスマス篇PART<1>

ということで、新宿ビバヤングは12月に入ると、クリスマス~師走~新年に向けて、色々な模様替えが行われました。
まず、新しいバンド・サウンドウェーブスがフィリッピンからやって来ました。
これで毎日2バンドが出演し、その合間にDJが入るという豪華絢爛、大型パブディスコの面目躍如と言ったところでしょうか、南口あたりのディスコシーンの話題を独占したようなものでした。

従来のバンド・リップヴァンウィンクルは、まあ並みのバンドというか、ギター、ベース、キーボード、ドラムスにサックスとヴォーカルが入ったコンボだったのですが、サウンドウェーブスは当時では非常に珍しい、トランペット2、サックス1の管セクションが入った大型バンドでした。
ユニフォームもビシッと揃え、かなりショーアップしたバンドだったので、対バン(対抗バンド)はやたらと影が薄くなっていってしまいました。
委員長のお気に入り、ゲバラ・シスターズはこの二つのバンドとうまくセッションして、かぶったレパートリーをうまく使い分けながらステージに花を添えておりました。

しかし、このSOUND WAVESのコピー技術は本当に素晴らしかったです。
委員長も当時はBANDに憧れ、ちょっとはギターなどもかじっておりましたが、それでもシンプルなロックバンドのコピーでさえ、中々うまいと思えたバンドにお目にかかったことはありませんでした。

となると不思議なもので、それまで結構イカしてると思っていたリップヴァンウィンクルが、何だか汚いフーテン上がりのバンドのように見えてきて、お客のウケも次第に歴然としてきます。バンドのバロメーターは、ダンスフロアにどれだけのお客を動員できるかってことですから、結果はありありと見えてきてしまいます。ちょっと可愛そうだったですね。

DJの方はというとN観光専属のマチャアキこと立石君と、週末だけ立川ベースからやってくる黒人のウィリーが受け持っておりました。
ブラザー・ウィリーとはあまり親しくなかった委員長ですが、彼と初めて挨拶を交わしたのは、なんとビバヤングのトイレの中でした。
委員長が用足ししているところに後からやってきたウィリー、委員長の頭を見て仲良しと判断したのでしょう、となりに来てジャンプスーツのジッパーを下ろしました。
当時の委員長、英語なんぞは中学以来喋ったこともなければ、外国人と二人っきりになった経験もありませんでした。しかもトイレという限られた空間の中のことですから、必要以上に緊張は高まります。
ウィリーは気軽にハーイってな感じで話しかけてきて、勝手にベラベラと話し続けます。
一体何を喋っているのかチンプンカンプン、ただただ愛想笑いをして、早く用足しが終わることを祈るばかりでした。
しかしこの時委員長は、重大なる教訓を得たのです。

「人間が一番無防備なときは用足しをしているときだ」

そうです、もし用足し中に襲われるようなことになったら、用は止まらん、一物掴んだ手は離せん、ズボンは汚す、こんな状態では応戦不可能です。
だから危なそうなトイレに入るときは「大」用を使うか、一人では入らないというのが不良の心得第一条なのです。(ほんとかよ)


それでもウィリーのジャンプスーツが気になっていた委員長は、そっと視線を彼のジッパーに向けると、彼のスーツの中央、胸の辺りから下半身にむけて一直線に伸びたジッパーは、ダーっと一気にご開帳、胸の辺りからは縮れた胸毛なども見え、へその下の更に黒い茂みまで肌けて、なんとそこにはSHAFT黒いジャガー(アイザックへイズですね)が顔を覗かせていたのでした。ジャンプスーツでの用足しは、かなり情けないカッコになるのだということも学んだ委員長でありました。

DJのマチャアキは博多出身の九州男児、プロのJAZZドラマーを目指して上京、N観光のDJ見習いに応募、数ヶ月のDJ研修を受けてビバヤングに配属となりました。
この時の同期生に、後のディスコ業界で一旗上げた新宿のジュリーこと鈴木昇二氏がいて、彼は姉妹店の歌舞伎町Q&Bに配属されました。
もうひとつの姉妹店、西口ブイワンは誰が行ったのか知りませんが、後年委員長も各店をめぐることとなり、更にマチャアキ、ジュリーとも深く関わっていくことになるのですが、今考えると、このビバヤングとの因縁は運命的なものさえ感じてしまいます。(でもないか?)

さて、イベント的にはこんな模様替えがありましたが、ホールの方もかなり忙しくなってきて、入れ替わり立ち代り色々なヤツが出たり入ったりの毎日でした。

開店時に新人社員です、と紹介されて、翌日にはもういなくなってるなんてことがザラにありました。ただメシ喰いにきただけですね。
中でもこいつはスゲーって思ったのは、昼頃来て今日から働かせて下さい、ってメシ喰って、マネージャーにクリーニングの引き取り頼まれて千円だかそこらもらってそのまま帰って来なかったっていうヤツ、これは良い仕事しましたね。
半日給1000円メシ付き。
まあ3日持てば良いほうで、大抵が1日か2日で消えていきました。それだけシゴトが大変だったってことでもありますが、どちらかと言えばバイトの方がしっかりしてて、正社員として入社してくるのは流れ者みたいなヤツが多かったですね。今思い出しても、あの忙しさは尋常じゃなかったですね。人ごみの中でボトルやグラス運んで、テーブル片付けて、また案内して、片付けて、って休む間もなく終電時間まで延々と続くわけですから。ほんと人ゴミですよ。人のゴミの中で泳いでるボーフラみたいな感じ。あるときなどは製氷機の製氷が間に合わなくなって、近所のキャバレーに氷もらいに行かされたりしました。寒空の新宿の繁華街をデカいバケツに山ほどの氷を入れて、ヨイショ、ヨイショと運ぶアフロのにーちゃんを想像して下さい。
しかも赤いちゃんちゃんこみたいなベスト着て、かかとの高い靴はいて、まるで漫才師ですよ。おぼんこぼんじゃないんだから。

ホンモノのSOULマン目指して飛び込んだ業界ですが、期待していた世界とはかなりかけ離れた目の前の現実に、世の中の厳しさをあらためて知った委員長でありました。
しかしそこはそれ、なんと言っても気合の入った道楽者ですから、なんでもかんでも楽しんでしまおうという旺盛な好奇心と、全て自分の都合が良いように解釈できる得意技を駆使して、冥府魔道の道楽道を歩んだのでありました。
このあともバカな話はまだまだ続きますよ。





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最終更新日  2005年05月30日 12時54分53秒
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