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2005年08月21日
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Welcome to the Tomorrow USA disc.
My name is Ronny, DOKUSHIN KODOMO HITORI NIPPON-JIN .
And I’ll be coming to you with a lotta soulful sound.
Please keep me company for next hour.


1977年春、トゥモローUSAにDJとして復帰した委員長のオープニング‘MCです。
「独身子供一人ニッポン人」ってところは、日本のボードビリアン故早野凡平(ハヤノボンペイ)氏が使っていたフレーズでした。(パクリましたごめんなさい)
ということで、トゥモローUSAの遅番専門としてシコシコとまた業界に入り込んだ委員長は、毎晩10時出勤の翌朝午前4時までのパートをこなしていったのでした。
実際のところ、ダンサーズの解散で失意にあった委員長でしたが、不完全燃焼で終わったとは言え、その余韻とステージに立って観客の視線を浴びる快感を一度知ってしまった道楽者は、もはや麻薬患者のごとくスポットライトの魅力から逃れられずまたも業界に舞い戻ってきてしまったのでした。
とは言うものの、遅番の出勤時間10時~11時はおおよそ1日の最終ピークですから、遅番第一回目のパートを終わる頃には、お客はみな終電に遅れまいといそいそと撤収、帰宅準備に入ります。
あ~あ、って感じでズルズルと居残った客がちらほらする、がら~んとしたホールに虚しくディスコサウンドが響き渡ります。
ブースの相棒、照明係のムラちゃんは黙って委員長の手元のミキサー、ティアックM3のマスター・ボリュームを二目盛りほど下げて音量を閑散時用に合わせます。

さあこれから朝の4時まで、ムラちゃんと2人で頑張らねばなりません。
大型店の客がいないときほど寂しく虚しいものはありません。


このころのディスコは大型店の進出と共に、その形態も大分と変わってきていました。
今まではディスコと言えばソウル・ミュージックという具合に、ソウル一辺倒で走ってきたブームですが、この時代あたりからヨーロッパ系の軽いサウンドが入ってきたりして、従来の統一性はかなり薄くなってきていました。
そんな時代のニーズをいち早く察していたかどうかはわかりませんが、トゥモローUSAの江川店長は4人のDJに別々の個性を持たせるように指示していました。

まずは、早番専門のフィリッピン人リトは英語のMCで、アメリカっぽさを出させ、次の黒人ジョーには黒人特有のパフォーマンスで見せるDJを、同じくメインの時間帯を受け持つアイドル系とでもいうのでしょうか、新宿のジュリーこと鈴木しょうちゃんにはおしゃべりをふんだんに盛り込んだDJ、そして遅番専門の委員長にはダンサーズの経験を生かしてダンスマスターのようなDJを、といったような構想がありました。

リトはもともとバンマス(バンドのマスターですね)でしたから、お客の状況を掴むのが大変上手く、選曲もそれなりにバランスが取れていて、アメリカンDJというような英語でリズムのあるDJのスタイルが出来上がっていきました。
ブラザー・ジョーも同じくバンマス出身でしたから、これはステージアクションをふんだんに取り入れたサービス精神満点のパフォーマンスで結構呼び物になっていました。(一人バンドみたいな感じでしたね)
衣装をパートごとに毎回変えて、喋りというよりもブースの上で身振り手振りのアクションを繰り出していきます。かといってSOULばかりかけるかといえばそうでもなく、そこはバンドマンのアッピール精神で、リクエストなどにも応えたり、定番レアアースのゲットレディなどもタイミングを見計らってかけたりしていました。
大抵、リクエストをかけるのは次のDJジュリーに引き継ぐ時が多かったですね。
自分を一番上手く演出できる曲はメインで、結構どーでも良いヨーロッパ系とか軽めのディスコサウンドは引継ぎ間際で上手くごまかしたりしてました。
さて、チーフDJジュリー君はルックスが良かったのか(沢田研二っつーよりも布施明って感じでしたけどね)、やっぱりお客さんには人気ありました。
おしゃべりもそれなりに上手かったし、愛想も良かったから、いわゆるアイドル系みたいな感じでした。

ただ、基本的にはジュリーは踊りを踊りませんから、選曲は正直言って結構ばらつきがありました。勢いのある時は誰が何かけたって踊るってなもんですが、一旦場がしらけてしまうと引き寄せるのは中々にテクニックが要ります。

まあ、言ってみればメインDJ2人がアイドル系みたいなもんですから、上手くその日の流れに乗ったときはドッカン、ドッカンノリまくるのですが、流れが少しズレると中途半端なノリになってしまいます。
ジョーはもちろんFUNKY系が自分の見せ場ですから、この手の客が多いときは6割以上がSOUL・FUNK系になりますが、ステップ系の客が多いときは一気にフロアから客足が引いてしまいます。
さあ、こうなるとあせってタバレスのディスコ天国あたりを流してステップ組を引き戻します。安心したジョー、次はブラスコンストラクションのチェンジンで自分のペースに戻そうとしますが、またフロアは引きます。
あせったジョー、レアアースのゲットレディなどをかけだします。

続いてドナサマーのトライミー、ステップ組と一般組が入れ替わります。
あーー、ドツボにはまったとはまさにこういうことですね。

代わってジュリーはと言えば、相変わらずレコード会社のプロモートを請け負ったりしてましたから、パート中少なくとも3曲はプロモがかかります。
もともとディスコというか踊り自体にポリシーはありませんから、流れが引いてくれば適当にリクエストかけたりして繋いでいきます。踊り場に集める曲は熟知していますから、いざとなれば何でも良いわけです。その日の客層で、それがソウルであろうがステップであろうが歌謡曲であろうが、基本的には踊らせれば良いわけですからね。
実際のところ、これがごくまっとうなディスコのDJじゃなかったかなという気がしないでもありません。要はお客が喜ぶものをうまくかける、当たり前のことです。
ただ、これは客が主導権を握っているようなものですから、土日の混雑時になると結構殺気だってきます。ブースの周りに各ジャンルごとの常連が張り付いてきて、自分たちの好みがかかるまで威嚇されたりします。
主体性が無い分、リクエスト争奪戦みたいな感じで、八方美人はこういうとき結構辛いもんがあります。
とまあこんなことを続けているうちに、大体の選曲のパターンが生まれてきて、個性と言うよりはDJの色分けのような状態になってしまったのでした。
しかし、ジュリーは女の子にはもてましたね。よーくもてた。特に若い子にね。遊び人系はダメでした。やっぱそーゆー雰囲気ではないもんね。俗に言う素人っぽい娘が結構イカレマシタ。ゴホン、失礼。

さあ、そうなってくると委員長はどのような出番でオツトメしたらよろしいのでしょうか。
試行錯誤、結局当面はジョーのパフォーマンス系でダンサーズの衣装着てブースで踊りながら、ジュリーのおしゃべり系でベシャリをかます、って、そのまんまですね。今にして思えばなんだかバラエティ系ですよね、これって。
まあ、深夜番は客も少なかったし、土日を除いたら結構遊んでたみたいなもんでした。
あとひとつ特筆しておかなければいけないのは、トゥモローUSAのDJブースはステージ風に一段高いところにあって、DJは皆立ってやってたということです。
これも江川店長のアイディアで、DJのパフォーマンス性をもっと前に出して、個性を売るという目的でした。これは従来のブースの中の黒子的存在だったDJを、スポットライトの当たる表に引き出したってことではかなり画期的だったと思います。
だから全員ブースの中でスポットを浴びて立ってやってました。
これってやってる方も結構その気になるんですよね。注目されてるって実感が湧き上がって来るから自然と自身を演出するようになっていきます。
本人が意識するほど客は見ちゃいないんですけどね(笑)

とまあ、こんな具合で毎日が過ぎていきましたが、この委員長の充電期間というか潜伏期間の大きな収穫は仕事の後の始発待ちでした。
午前4時閉店。その後は目の前のジョイパックビルの1階にあった、マジソンという喫茶店で始発が動くまで待ちます。
マチャアキの代わりに入った委員長は、以前にマチャアキがそうしていたように照明係のムラちゃんと喫茶店で過ごす毎日となりました。
まさしくマチャアキの代わりと言うべく、ある時は麻雀などにも誘われますが、残念ながらマチャアキほど委員長は弱くなかったので、鴨ネギというわけにはいかず、マチャアキほど頻繁に狩り出されることはありませんでした。

さて、ムラちゃんとはたった一度でしたがバンドも経験した中です。ムラちゃんも結局はバンドを解散して、今はこうしてシコシコと照明係などをして食い繋いでいるわけです。
お互い志半ばにして倒れた同志のような共感も生まれ、この不完全燃焼したやり場をお互いにポツポツと話し出したのです。
控えめな性格のムラちゃんでしたが、それなりにバンドという閉鎖された中での人間関係を体験してきただけあって、委員長にしてみれば随分と大人に見えました。
確かに2つ3つ年上でしたが、年齢以上に委員長の知らない音楽の世界を色々と教えてくれたのも彼でした。





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最終更新日  2005年09月22日 15時08分21秒
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