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2005年08月22日
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1977年のディスコシーンはといえば、それはそれは色々なことが次から次へと起こっていった時代でもありました。
本当にめまぐるしく変わる流行というか、錯綜するファッションというか、このあたりの時代からでしょうか、ひとつの流行を全員が追うといったパターンが崩れ始め、各自が自分の好みで流行を取り入れていくような個性らしきものが生まれ始めていったのは。

前半はロックンロール&ツイスト、俗に言うフィフティーズ(50’s)の何度目かのリバイバルブームからスタートして、ヨーロピアン・サウンドをベースにしたバスストップを真似たステップの流行、更にピンクレディーの大ヒットに合わせて振り付けそのものをディスコで踊ったりしてました。
従来のディスコで踊っていたSOULミュージックも、黒人音楽の枠を離れエレガントさやPOPさを取り入れた軽めのサウンドが一般的になっていきました。
いわゆるSOULからDISCOというカテゴリーに変わっていったのもこの頃です。
代表格というか時代の先端を走ったのがアースウィンド&ファイヤーでしょう。
グループの軌跡から言うとこれが第三期目にあたる変革期で、リーダー、モーリスホワイトが描いた構想の頂点に当たると思います。
第一期はCBSソニーに移籍後3枚目のアルバム「OPEN OUR EYES」でサウンド的にもコンセプトが明確になり、続く「That’s the way of the world」で更に洗練されました。
続く第二期ではライブステージでマジック・ショーばりの新しいパフォーマンスを取り入れたり、宗教、哲学そして宇宙観を見事に昇華させた過去の総括的アルバム「SPRIT」を発表。そして第三期、77年に発売された「All ‘n all」で遂に彼らの頂点を極めたのでした。とにかくこのアルバムは世界的にも大ヒットを記録したばかりではなく、あらゆるジャンルの音楽に影響を与えたと言っても過言ではありません。

このアルバムのリリース以降、色々なジャンルで、色々なアーティストがこの手法を取り入れたサウンド創りをしています。
委員長自身、個人的に言わせて貰えば、このアルバムで全てが完結したと思っています。
ちなみにEW&Fはこのあと世界的なブームを巻き起こしますが、実際にはこのAll ‘n all以降特別新しい変化はなく、すべてはこのアルバムの延長線上にしかないと思います。
黒人音楽からスタートして、JAZZとの融合、宗教的メッセージ=白人音楽への融合(商業的成功)、公演興行の改革、まさしく音楽史上に名を残すスーパーグループでありました。
よく比較されるグループに「パーリャメント・ファンカデリック」が上げられますが、実際にその対極に位置するスーパーグループでしょう。
徹底的にFUNKと黒人音楽にこだわったアナーキーさは、どう控えめに見てもPOPとは程遠く、一般人にとっては非常に難解な音楽とも言えるでしょう。
ちなみに彼らは77年にライブアルバムを発表していますが、ROCK、 JAZZ、FUNKとクロスオーバーしたその音楽性はEW&F以上に刺激的です。
モーリス・ホワイトの学者肌とも言える緻密な計算の上に成り立つ音楽性と宗教性は、鬼才ジョージ・クリントンのユニークな才能とはまさに対照的であり、明と暗、裏と表のように多数のアーティストに今も脈々と引き継がれています。
ただひとつ言える事は、両者ともに現役で活躍しておりますが、過去のヒットでライブをこなすEW&Fに比べ、ジョージ・クリントン率いるP-FUNK軍団は未だにあらゆるジャンルのアーティストと競演を繰り返し、今も融合を続けています。
EW&Fの計算に基づいてきちんと組み立てられたパッケージ・ショーと、生のフィーリングを重視したアドリブ主体のP-FUNKライブショーの面白さは、どちらもプロの最高峰に立つ貫禄があり、優劣つけがたい巨人グループと言えるでしょう。

委員長の好みで二大スーパーグループの話が長くなりましたが、77年は全日本ディスコ協会が主催するダンス・コンテストが行われた年でもあります。



つい最近までアフロ頭の全日本ソウルトレイン・ダンサーズなどというグループを引き連れて全国のディスコ巡りをしていたと思ったら、セクシー・バスストップのステップを広めるため奔走したりと、多忙な活躍をしていたディスコ協会でしたが、なんと今度はロックンロールで一大イベントの主催です。(やれやれ)

そしてその会場となったのが何を隠そう(誰も隠してねーだろ)、トゥモローUSAだったのです。ヤッターって喜んでる場合ではありません。
もう記憶が曖昧で、どこのレコード会社が協賛したかも忘れてしまったのですが、確か司会は我らがチーフDJジュリーだったと思います。
もちろん審査員は勝本会長以下ズラズラとお馴染みの顔ぶれ。
参加者を見てまたまた驚いた委員長でした。

苦し紛れかわかりませんが、アーミースタイルというものの顔は黒塗り(ドーラン)、パンツは細身、いわゆる黒人アーミーですね。(うーん、これは新しいアイディアだと納得)
そー言われてみれば、フィフティーズ(50‘s)ファッションには黒人はまずいませんでしたね。(ラッツ&スターが出る前までね。あっキングトーンズがいたか)
というわけで、全国から(本当に全国から来たかどうかは知りませんが)アメリカン・グラフティみたいなダンサーが沢山やってきました。

はっきり言って、この間の事情はまったく忘却の彼方で覚えておりませんが、USAの江川店長と勝本会長は国士舘大学の先輩後輩の仲でした。(関係ないか)
でもって、会場の代表者がいないのはおかしいだろってことになりまして、常連の女の子でそれなりの格好をして来ていた娘がいたので参加させることになりました。
コンテストはペア・ダンスなので相手を探さなくてはいけませんが、そんなに都合よくそれなりの野郎が居るわけもありません。(嫌な予感がするなぁ)

「ロニーを呼べ、ダンサーなんだから何でも踊れるだろ」

糸数支配人の一言で指名された委員長は自身のアフロ頭を指差して言ったのです。

「でもこの頭、どうすんですか?それにカッコだって」

「おい誰かポマード持ってこい、ビン丸ごとでいいから。それとアー坊を呼んでこい」

アー坊というのは当時ツッパリ・ファッションバリバリのウェイターでした。
委員長のアフロ頭はとてつもなくでかいツッパリ・リーゼントに変身、ドッカーズの綿パンにBVDのTシャツ、革ジャンを羽織ってロッカーの出来上がりです。
更にワルノリする糸数支配人は真っ黒なレイバンのサングラスを持ってきて、
「これで優勝しなかったらダンサーの名折れだな」と一言。
そりゃあんまりでしょう。

しかし、ここでも協会系の参加者(ダンサー)はきちんと振り付けかまして、誰がどー見ても素人じゃありません。数ある参加者のなかに何人かは、間違いなく関係者のヤラセ組が潜んでいます。(お前もヤラセだろ)
こうなりゃメチャクチャ暴れてやるぞ、と開き直った委員長はパートナーの素人娘に耳打ちして、ジルバは踊れるか確かめました。
もちろん、だてに常連はやってませんから「大丈夫」のお返事。

「じゃ、一曲はジルバでいくからね。ターン3回転とか入れるから、オレのリードに合わせてね。もう一曲はソロパートでツイストにしよう。ここでオレは派手に目立つから、あなたは可愛らしく審査員にアピールしてね。オレのことは放っておいていいから」

ということでいきなりのぶっつけ本番ヤケクソです。
なぜかステージに上がると闘志みなぎる性格からか、黒人アーミールックのヤツらを見て更にエキサイトします。
なんと観客席にはイサムちゃんに混ざって顔見知りのDJがチラホラいます。
皆、この委員長の姿を見てニヤニヤとあざ笑っています。(よーやるわって)
見てろよ、思いっきり笑わせてやるからな。益々エキサイトする委員長。(笑わせてどーすんだって)

さあ、コンテスト第一次予選です。
ジルバはハッスル、サルサ仕込のダブルターンにトリプルターンの連増技。
(ロックンロールとはちょっと違うと思うんだけど、まっ、いいか)
参加者は大方がファッション重視で、あんまりマジで踊ってるヤツはいませんでした。
例のサクラ組以外はそれなりのカッコマンばかりで、これは踊りの腕を競うと言うよりもファッションと派手なアクションの競い合いみたいなもんでした。
さて、課題曲二曲目はソロパートで勝負。
常連女の子は可愛くフリルのスカート翻してツイスト、委員長はジャンプしてダウン、ファンキーブロードウェイで昔の踊り場ショータイム。
これは受けました。身内ウケ。イサムちゃんも大喜び。
一気に会場の笑いを取って、振り付けサクラ組の出鼻を挫く作戦です。

ということでシナリオどおり委員長は予選落ちで、特別賞を貰いました。
会場側は必ず何かの賞がつきますからね。
貰った賞状と副賞は女の子に渡してお礼を言うと、ポニーテール娘は嬉しかったのでしょうか、なぜかウルウル瞳で委員長を見つめます。
一瞬ドキっとしましたが、さすがに子供には手は出せません。タイプも違うし。
(ならタイプが合ったら手を出すんかい?って突っ込んでる場合じゃありません)

「いやー、良いモン見せてもらったよ。爆弾リーゼントには参ったぜ」
コンテスト終了後、イサムちゃんから労いの言葉を頂きました。(笑われてんだろ)
お決まりゴトとは言え、入賞もしましたから店の宣伝にもなって、糸数支配人への義理もきちんと果たした委員長でした。
祭りの後の余韻を引きつつ店の外にはアメリカングラフティさながら、ツッパリにーちゃん、ねーちゃんが屯しております。
ポマードべとべと頭の委員長は、いつものようにムラちゃんと喫茶店マジソンに入ると、そこには例のポニーテール娘とジュリーが仲良くゴハンを食べているではありませんか。
まあ、道楽者人生とはこんなものです。





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最終更新日  2005年09月22日 15時15分23秒
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