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2005年09月13日
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メンバーは寄せ集めで、お馴染み「腕は確か顔は肉まん」ドラムの石○君、ベースはムラちゃん(やっぱ自分でやりたいもんね)、そして強力な助っ人として、ムラちゃんが参加したセミナーで知り合ったという渋谷のヤマハ・エレクトーン・スクールの先生E氏、オマケにパーカッションのロニーというメンバーでデモ録音が行われました。
場所はまたまた三鷹の某音楽スタジオ。
当時はスタジオと言ったってまともな録音設備なんぞはありませんでしたから、4トラックが精一杯で、リズム(ドラム+ベース+ギター)と(キーボード+ギター)の2トラックを一発で録って、ソロパート1トラックとヴォーカルの1トラックというような非常に稚拙な録音方法でした。
でもって、助っ人のE氏は中々多彩な人で、アレンジはもとより、エレピ(エレクトリック・ピアノ)、ギター、パーカッションなどをこなしてくれて、ほとんどマルチミュージシャンのような大活躍でした。ただパーソナリティはどうみてもコミックバンドのおっちゃんって感じでした。(笑)テクと感性は良かったんですけどね。勿論本人も委員長たちに加わる気はなく、あくまでも助っ人でした。(黒ぶちメガネにYシャツ、ブレザーって、モロ先生タイプでした)
ということで3時間のスケジュールで2曲のデモ録りを無理矢理敢行しました。
売り込みデモは「紫の煙」(ディスコアレンジ)で、もう一曲「この街の夜景」(ボサノバ風スローバラード)をウン万円掛けて制作したのでした。勿論ワリカンですよ。3人で。

早速出来上がったデモテープはトゥモローUSAの深夜パートでご紹介しちゃいましたが、誰も踊らんわね、そんな聴いたこともない曲。しかもだみ声の日本語バージョン。
まあ、自己満足に近いノリだったわけですが、本人たちはもうすっかり出来上がっちゃってますから、下手にディスコで流してアイディアを盗まれたらいかんとか、業界の奴らに情報が漏れたらまずいとか、バンドごっこも究極の遊びへと転じて行ったのでした。



はい、ご想像の通りです。委員長のツテでレコード会社数社に持ち込みましたが反応なし。良いも悪いもなし。(相手にもされなかったってことですね)
「おつかれさまでした」
ムラちゃんは音楽的な問題点を色々とあげつらって反省などもしておりましたが、委員長は元々ミュージシャンじゃないし、根がいい加減極まりない性格でしたから、「こんな地味なやり方じゃなくて、もっとドカンと派手なことしようよ」みたいに全く落ち込みませんでした。(自分の出番が少なかったからつまらなかったってだけなんですけどね)

ということで、もう一度やってみようよってことになり、今度はトゥモローUSAの同僚リト君も巻き込んでしまいました。リトはなんといっても元プロですし、フィリッピン人のフィーリングでアッちゃんの曲がどれくらい変わるか試してみようということになりました。
更にムラちゃんは、当時出始めたばかりのシンセサイザーなどを月賦で買い込んできて、音的にも新しいことをしようと意欲的でした。(おもちゃが増えただけ?)
スタジオもグレードアップして、吉祥寺に出来たばかりのヤマハ音楽教室のスタジオを使うことにしました。メンバーも今回はシゲルのベースに石○君の知り合いの若手ギタリストを呼び込んで、バンド結成にもかなり本気になっていきました。
中でも一番悪乗りしたのがアッちゃんで、8ミリカメラを友人のカメラマンごと借りてきて、練習風景を撮影させたのでした。こりゃ画期的でしたね。今で言うプロモーションビデオの先駆けですよ。当時、アマでここまでやるヤツはいませんでしたからね。
でもって、演奏も前回に比べて見違えるほどプロっぽい仕上がりになりましたし、8ミリ映像がまた素晴らしかった。そりゃ、フィリッピン人だの派手な委員長だのが踊ったりする練習風景は、当時のアマチュアバンドの世界ではかなりな話題性を持っています。
(当時の8ミリは音声まで録れませんから、画像だけ見てる分には演奏技術はわかりませんね)

この日を境に委員長も益々道楽に磨きがかかって、早速クレジットの丸井で当時新発売のコルグ社製プリセット・シンセサイザー8万7千円を購入。(当時の8万円ですからね、ちょっと根性いりましたね。いきなりのお買い物としては)
更に、新発売のロート・タム(ドラムのパーツとして使用するタムの一種で、タムを回すと音の高低が調節できる優れモノ)を購入。ステージングなども考えて、パーカッションとシンセを担当するつもりで本気になりました。

しかしこの当時委員長は楽器貧乏というくらい、稼いだ金は手当たり次第に楽器に注ぎ込んでいましたから生活のメンドーはというと、二人の姐御がよく支えてくれました。ホント今にして思えばお二人には御礼の言葉もございません。ございませんので言いません。って、冗談じゃなく、この場をお借りして改めて懺悔、コホン、いや失礼、御礼申し上げます。その節はありがとうございました。

ちなみに委員長の楽器貧乏した中でも、特に思い出深い楽器が二つほどあります。
そのひとつが カリンバ です。これは委員長が尊敬していたアースウィンド&ファイヤーのリーダー、モーリス・ホワイト氏が愛用したアフリカの民族楽器です。約20cm四方の台形の木製箱の上に、金属の小さな棒板が鍵盤のように付いているだけの非常にシンプルな楽器でしたが、その音色は心の中に響くものがありました。結局使いこなせず、ハッタリと言うかアクセサリーというか、宝の持ち腐れでしたが、なんとアフリカから輸入したこの民族楽器は当時の価格で8千円もしたのです。しかも一番安いタイプで、知らない人が見たら、「おまえアホちゃうか?」みたいなシロモノでしたが、委員長にしてみればこれを持っているだけでモーリス・ホワイトに近づけると信じていた宝のような楽器でした。

そしてもうひとつが
この楽器は、78年当時歌舞伎町のコマ劇場の近くにオープンした楽器屋さんにディスプレーしてあったものでした。このお店は近隣のお店でお仕事をしているバンドマンのために夜の10時頃まで営業しており、委員長は休憩時間になるとよくここへ遊びに行っておりました。そんなある日ショーウィンドウの向こうから 「私を買って」 と委員長にメッセージを送ってきた楽器があったのです。
そうです。それがこの木魚だったのです。カウベルのスタンドに取り付けられた大中小3つの木魚と委員長の運命の出会いでした。
しかも叩く道具はドラムスティックではなく、棒の先に布が巻かれた特性のバチでした。
ポク、ポク、ポク・・・心に響くこの音色の虜になった委員長は、ボンビー生活をも省みず定価1万8千円の道具を購入したのでした。
さすがに面倒見の良い姐御からも、「なにこれ~、出家して坊さんにでもなるのぉ」と戒めのお言葉を頂戴いたしました。後日談として、とあるコンサートのさなか、この木魚ちゃんは真っ二つに割れて、委員長の道楽の行く末を暗示したかのようなお別れとなったのでした。





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最終更新日  2005年09月13日 08時28分19秒
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