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2005年09月14日
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この頃のディスコも丁度転換期のような時期に入っており、いわゆる黒人音楽が引っ張ってきたディスコ音楽の幅も少しずつ広がり始め、SOULといった表現からディスコサウンドというような呼び方に変わってきた時代でもありました。
当時の委員長は、自分自身がポリシーとするSOULでDJを続けていくことをすでにあきらめていましたので、どのような形にせよもうひとつランクアップすることだけを考えていました。どういうことかといえば、高校生の頃から「踊り場」に通い出し、黒人音楽の洗礼を受けアフロまでしてのめり込んだSOULミュージックとダンス、その終わりを体験した委員長は、この今のディスコブームも必ず終わりが来ることを予感していたのでした。
そうなると、今更カタギの仕事にも戻れないし、かといって今更黒服になる気もありません。となれば、あとはこの業界でどう上手く泳いでいくかということに尽きます。
とは言うものの、ただ流されるような生き方はしたくなかったので、もう一度熱くなれることをやってみたかった、というのが当時の考えでした。それはバンドでも良いし、ダンサーでも良いし、もちろんDJでも良かったのですが、できれば今までの経験を全て生かせる仕事をしてみたい、それが本音でした。(カッチョイイ~)
でもねえ、たかだか高卒の22、3の若造ですから、結局は目の前にチラチラ現れるおねーちゃんの色香に釣られてふらふらしていたというのが現実だったわけです。
(それって結局流されてるってことじゃん)
そんなにしっかりとした意志があったら、いつまでもこんなことしてるわきゃありませんね。

というわけで、とにかく興味のあるものは手当たり次第に手を出しまくりました。感性の赴くままに何にでもクビを突っ込んでいったということですね。

確かに当時は何をやっても自分は成功すると思えましたから怖いですよね。
環境が良かったということもあります。

Tomorrow USAで一緒に仕事をしていた仲間の、米国ジョージア州出身黒人ミュージシャンのジョーからは「お前のダンスならアメリカでも通用するから俺と一緒にツアーに出よう」などと言われて益々天狗の鼻はぐーんと伸びます。
フィリッピン・ミュージシャン出身のリトからは、ロニーのエンターティメントはもっと他にも生かした方が良いヨと言われ、当然だろ、くらいに自信過剰は胡坐をかきます。
更にムラちゃんは、ダンスショーとバンドのパッケージなら今すぐにでも仕事取れるヨ、などと言われるに至っては道楽者ドリーム満開というほかありません。
まして、当時は仲違いしていたジュリーですら、委員長のオトボケ・キャラクターとダンスの腕はきちんと評価してくれていましたから、もう世界は自分を待っているみたいに思い込んでいくのも仕方の無いことだったと思います。
まあ、今にして思えばガキの突っ張りというか、背伸びと言うか、高慢な野郎だったんでしょうね。それでも皆にあんまり嫌われることもなく生きていたと言うことは、結構性格が良かったのかノーテンキだったのか、まあ持って生まれた性分ってヤツだったのかもしれませんね。(とにかく遊ぶことしか考えてなかったんですけどね)

そんなこんなの道楽を繰り返すうちにディスコDJもそこそこの人気者となり、バンドごっこという夢のある道楽にも目覚め、支援してくれる姉御達にも恵まれ、まさに絶好調の委員長は道楽街道まっしぐら、Enjoy Myselfの楽しい毎日を過ごしていたのでした。
そんな新宿界隈でも売り出し中の委員長のもと、それなりに慕ってくるヤツらなども現れはじめ、いつしか一丁前に兄貴風など吹かせるようになっておりました。

中でもトゥモローUSAの従業員、小鷹君は委員長に踊りの指導を受けるため歌舞伎町風林会館裏のアパートを借りたりなどして、まさに連日連夜休み無く道楽に精進する委員長でもありました。
この小鷹君のアパートには同店の増田君や田中チーフなども溜まるようになり、時にはおいちょかぶ大会なども開催されるようになりました。

しまいにはそれぞれの彼女たちも寝泊りするようになってゆき、ゴミの中にゴミが重なるようなアパートとなっていったのでした。ダーっと、布団が敷き詰められた6畳一間の木造モルタルアパートには小鷹君と彼女の他、その友達などが集い、踊りのレッスンをしたり、おいちょかぶをしたり、挙句の果てには疲れてそのまま布団の束に包まって寝てしまう、などという破廉恥極まりない生活ぶりでありました。

しかし、この部屋でみんなして喰った吉野家の牛丼は本当に旨かったですね。
仕事終わって疲れてんのに、皆何故か朝方までギンギンになって遊んでましたから、夜が明ける頃は当然腹が減ってくるわけで、昔はコンビニみたいな便利なもんはありませんから、そうなるとじゃんけんで誰かが牛丼を買いに行くことになります。
でも、一人で行くんじゃ寂しいだろうからって、先に男同士でじゃんけんして負けた野郎の彼女は必ずついて行く、ってなルールができました。
で、委員長が負けた場合、当然そこには彼女は連れてきてませんから、踊りを習いに来てる小鷹君の彼女の友達とかがついて来ることになります。


ちなみにこの時の小鷹君の彼女はとっても個性的でした。
踊りもそこそこ上手くて、どちらかというと小鷹君の方が彼女に夢中になっていたみたいだったのですが、なんと彼女、寝る前に化粧するんですね。なんでも、夢の中でも美しい自分でいたいからだそうで、要は夢の中でも素晴らしい出会いに備えておこうってことらしかったんですが、じゃあ一体化粧はいつ落とすんだろうって、不思議な女の子でした。
委員長はそういう個性的な子が大好きだったので、このアパートに集うゴミ仲間は皆個性的でとても面白かったですね。
このアパートの主小鷹君は当時、トゥゲザー~トゥモローUSAのマスコットだった身長3メートルの巨大ゴリラの着ぐるみによく入らされていましたが、気ぐるみ脱いで出てきた彼の顔がこの着ぐるみと同じ顔をしていて(ちょっと失礼ですね)、結構身内ウケしてたりして、彼もそれなりに結構な人気者でもありました。

また、ある日などは小鷹君と増田君と委員長の三人だけが部屋にいて、たまたま朝のテレビで再放送していた「俺たちの朝」という確か神奈川県鎌倉を舞台にした青春ドラマを見ていたことがあったんですが、その時増田君が目を潤ませながら言ったのです。

「ほのぼのしてていいなぁ~、こういうの。田舎思い出すなあ」

そう言って、増田君は三人で甲府に行こうと言い出したのです。(ドラマの設定も三人の若者のお話ですね)
甲府は増田君の郷里で、とてものんびりとしたよいところなので、是非この三人で行きたいと言い出したのでした。
自分の話に酔い始めてしまった増田君が突然歌いだしました。

「はっちぃじ~ちょうどの~、あずさ2号で~、私は、私は、私は~」
(こらこら、なんやんねんそのオチは)

ということで、新宿駅8時発のあずさ2号松本行きに乗って行くこの甲府の旅は、とうとう実現されることなく月日は流れてしまいましたが、委員長は新宿駅のホームであずさ号を見るたびに、あの頃のほのぼのとした増田君、小鷹君の顔を思い出さずにはいられませんでした。ディスコだ、祭りだ、花だ提灯だと馬鹿騒ぎしていたあの頃のことですが、ゴミはゴミなりにこんな素朴な想い出もあったのです。

さて、そんな当時絶好調の委員長の前に現れた本命彼女のC子が、またまたこの道楽人生の展開に新たな刺激を加えました。
音楽学校一年目を終了した3月、C子は共に上京した友達と杉並区高円寺にアパートを借りて住み始めたのでした。
国鉄(JR)中央線高円寺駅南口亀屋マンション5階の2DKに、C子と委員長、C子のルームメイトKと彼氏のS、4人の奇妙な生活が始まったのです。
ちなみにこのC子の友達Kの彼氏SはトゥモローUSAで働いていたアー坊の兄貴でした。これも本当に偶然の話です。
そしてこの亀屋マンションが、更に新しい数々の道楽者ストーリーを生み出していくことになるのです。(今でもこのマンションは電車から見えますヨ。当時このビルの屋上にはLAXの看板が出てました)

新大久保のアジト~東中野の別宅~小鷹君のアパート、加えて高円寺の溜まり場、次々と遊び場を確保した道楽者は、この年一気に道楽の頂点を極め、道楽者の王道を行くことになるのでした。





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最終更新日  2005年09月14日 08時17分10秒
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