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2005年10月15日
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世界ディスコダンス選手権日本大会出場を最後に、ダンサーとしての夢を吹っ切って一皮向けた委員長でした。

「所詮はダンサーもDJも人の褌でメシ喰ってるだけじゃネェか。どうせやるなら褌にならなきゃ本物じゃないね。ふん!」

要するに、ダンサーもDJも人の作った音楽で自分をアピールしているだけで、音楽そのものをクリエイトしているわけではありません。ということはどこまでいっても所詮はメインディシュにはなれないってことでもあります。

てなことで、俺はフンドシ目指して頑張るぞぉ~、とミュージシャンへの道に進む新たな決意を固めた委員長でもありました。
とは言うもののバンドのメンバー集めはそう簡単にはいきません。
個人的にはアチコチのアマバンドのコンサート・イベントなどに呼ばれては、パーカッション叩きながら踊ったりして注目を集めましたが、結局はゲストプレーヤー扱いでイベントを盛り上げる色物にしかなれませんでした。
いつまで経っても色物から抜け切れない委員長は、結局実生活でも色に捲かれてフラフラするばかりでした。

さてそんな頃、ジュリーの後援会RCAレコードのK部長の肝いりで新企画の話が持ち上がってきました。それは、一時ディスコDJ業界で話題になった小林克也さんのDJ入りプロモレコードを模倣した、ディスコヒットのオムニバス版を作ると言う話でした。
当時のヒット曲、サタデーナイトフィーバーやコパカバーナ、ビリージョエルのストレンジャーなど、ディスコで実際にプレイされる曲をそのまま選曲して、なおかつ小林克也さんのDJを入れてしまうといったまたも色物企画でした。


ディスコヒットをオムニバスにする売り方はどこのレコード会社でもやっていましたが、所詮は自社レーベルのヒットをつなぎ合せたものでしかなく、実際にディスコで選曲されているようにアットランダムにレーベルをつなぐことは当時の誰もが思い描いた企画でもありましたが、版権の問題や本国でのレーベル間の取引など複雑な問題も絡むので困難とされていました。
そこで登場したアイディアがカバーバージョンでした。
これも従来からある手法で、版権だけ借りてきて別のアーティストが演奏すると言うものです。ただ、これはやっぱりオリジナルヒットには及びませんから、せいぜいマクドナルドやショッピングセンターのBGMとして使う程度のものでした。
曲は同じでもアーティストが違いますから、ファンやマニアにはインチキ臭いと思われるのがオチです。
ところが、これにプロのDJ小林克也さんがMCを入れて、ディスコの実況中継版みたいなものだったらどうだろうか。
そんな発想で制作が開始されたのです。
確かに原曲は色あせますが、ノンストップでDJ入りのリアルタイム・ヒットが収録されているアルバムともなれば、同じ色物でもこれはちょっと面白い企画と言わざるを得ません。

さて、カバー製作に当たってはディスコバンドの「エクスタシー&イージー」というバンドが抜擢され、更にトゥモローUSAのフィリッピン人DJリトがヴォーカル&キーボードで参加することになりました。
アシスタント・プロデューサーに鈴木昇二、宣伝プロモーション・リーダーにロニー、このあたりからいよいよジュリー・ファミリーが形になり始めていきました。
レコードのアルバムタイトルは「ノンストップ・ディスコ・フィーバー」。
(ってそのまんまじゃん)

セールスは思ったほどではありませんでしたが、企画製作からプロモまで一貫してディスコDJのグループが携わった仕事はこれが業界で初めてだったと思います。
ディスコ協会でもここまではやれませんでしたからね。

これでジュリー・ファミリーが一気に業界の先頭を突っ走ることになりました。
プロモの仕事はもちろん、ライナーノートや制作サポートなど、ディスコ分野だけのこととは言え、レコード会社との関わり方も相当突っ込んでいくことになっていきました。
こうなってくると、その名声を頼って弟子入りしてくるような馬鹿者、いや失礼、若者もチョロチョロと出入りするようになり、所帯はますます膨らんでいきます。


もう完全に気分はディスコってなもんで、いっそのこと店全部任せるから、みたいに言われてしまい委員長も後に引けなくなってしまいました。
しかし道楽者ってのは匂いを嗅ぎ付けるのが早いっていうか、なんの因果か巡り合せか、そんなグッドタイミング、上手い具合にとある男が委員長の前に現れたのでした。

チャーリーです。
そう、あの幻のダンサーズ(笑)バッドチルドレンのメンバー、チャーリーがひょっこりと委員長を尋ねてやってきたのでした。
髪の毛もばっさりとショートカットにし、一丁前な社会人に変身していた彼は、仕事を探して委員長の所に辿り着いたようでした。
彼の話によると、ダンサーズ解散後、数年付き合った彼女と結婚するためレストランに就職し、こつこつと貯金などもしながら社会復帰を目指したらしいのですが、いざ結婚と言う段になってお互いの親に反対され、結局は泥仕合になってしまい、挙句の果てはその彼女とも仲違いするハメになってしまい、全ては御破算という悲惨な結果を迎えた傷心のチャーリーでした。

「ディスコやってみるか?」

「やるって、何をですか?」

「なにをって、店だよ、店。ディスコの店長」

「て、店長って、そんないきなり言われても・・・・」

「場所は立川なんだけどさ、こじんまりした店だけどやりようによっちゃ面白いと思うんだよな」

「立川ですか?」

「ああ、その気があればすぐにでも連れてくけどどうする?」

相変わらずお調子者の委員長は、後先考えずに何でも行動あるのみって感じで、動き出してから考えるタイプでしたから、こうなったら毒を喰らわば皿までもってことで一気に突っ込んで行ったのでした。
本当のハコ取りになってしまった立川「スタジオ5」は新○社長も喜んでくれて、チャーリーの他トゥモローUSAのウェイター二人を引き抜いてきて1軒丸ごと本格的なディスコ経営に乗り出した委員長でした。

しかし今にして思えば、24~5の若造に店一軒任せた社長も無茶な人だったと思います。雇われ店長とはいえ、たいした経験もなくいきなり営業全部を取り仕切るんですから、こんな無謀な話もありませんよね。
(もちろんご想像の通り長続きするわけがありません)
そんなこんなでジュリー・ファミリーはどんどんと勢力を拡大していき、本人たちも知らず知らずのうちにそれなりの組織となり始めていました。

特にレコード会社のプロモに携わった関係で、ジュリーは地方都市のディスコにも顔を売るようになってネットワークは全国的に広がっていきました。
このあたりから、地方を活動の中心にしていたディスコ協会と肩を並べるようになっていったのですが、現役のDJ、しかも新宿歌舞伎町で名の通ったジュリーの方に傾いてくるのは道理と言うものです。地方にしてみれば、イベントひとつ行うにしてもわざわざ東京からレコード会社の販促スタッフが、試聴盤や宣材を持ってやってきてくれるのですから、こんな心強いことはありません。しかもタイアップなどと称して、メディアにも名前が出たりすればどこの経営者だってジュリーさん、ジュリーさんと崇め奉るのも無理はないと言うものでしょう。更にご希望とあらば、DJでもダンサーでも派遣しますってことになれば、ほっといても勢力は広がっていきます。

まあ、とにかくこのジュリーって人間は、こういった人脈作りにおいて天才的な才能を持っていたと思います。リーダーとしては確かにカリスマ性があったのかも知れませんね。
その割にはまとめる力がなかったんですが、物事を切り開いていく力は本当に素晴らしいものがありました。委員長とはパートナー的に相性が良かったのかも知れませんね。
ということで、バンド道楽の夢は今ひとつ捨てきれない委員長ではありましたが、当面は事業家を気取ってビジネスに打ち込んでみる気になっていました。





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最終更新日  2005年10月15日 06時52分26秒
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