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2005年10月17日
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H君のグループとジュリー・ファミリーの合体は次のステップへと進められました。
ここで、ジュリーは後援会の長である日本フォノグラムの渡部ピカイチ氏を紹介することになりました。
第二回ミーティング会場は六本木でした。
もちろん皆夜の仕事に携わっている人間ばかりですから、集合時間はお昼過ぎの夕方近くとなります。
そして早くもこの合体話にひびが入ります。



そうです。ジュリーの遅刻癖はそう簡単に修整が効きません。
H君グループは集合時間には全員が雁首揃えてお茶を啜っておりました。
そんな緊張感漂う待ち合わせ場所に、いつものようにファミリーを引き連れて登場したジュリーにY君から厳しいお言葉が発せられました。

「俺達のルールは時は金なり、時間厳守が鉄則だよ」



いつものジュリー節です。
H君、Y君以下全員が冷たい視線をジュリー・ファミリーに浴びせてきます。

「じゃあさ、取りあえずピカイチが待ってるから挨拶に行こうか」

相変わらずマイペースのジュリーです。
全員渋々ながらフォノグラム社の渡部氏のもとを訪れます。
渡部氏は会議室を用意してくれておりましたが、話の内容はまったく伝えられておらず、ジュリーも何処から話し始めて良いものか迷っているような状態でした。
これはジュリーの良い点でもあり同時に欠点でもあり、とにかく人と人とを会わせれば勝手に話が進んでいくと考えていたようで、思惑通りに進めば良いのですが、時としてとんでもない方向に進んでしまう場合もままありました。
あまり深く考えず人と人を繋いでいくやり方は幅広い人脈を作るには有効ですが、反面軽薄と捉えられるリスクもあります。
H君グループのようにある程度理詰めで動くようなタイプの人間は、ジュリーのしょっぱなからの遅刻が軽薄さという先入観を抱かせたようでした。

渡部氏とのミーティングは双方にとってメリットがあるということは理解していますが、果たして今後どのような具体的展開をしていくつもりなのか、あるいはDJグループの合体にレコード会社の人間がどう関わっていくのか、誰もが内容をきちんと把握できるはずもありません。
なんとなく焦点ボケしたミーティングはY君を更にイラつかせたようでした。



「いや、これから色々と彼(渡部氏)を通じて力を借りることになるんで、まずは顔合わせみたいなもんだよ」

多少しらけましたが、彼らにとっても渡部氏の威光は今後の展開のためにも必要ですから、たいした内容のミーティングではありませんでしたが無事顔合わせは終了しました。
別れ際にY君から「時間厳守はお互い最低限のルールだと思うから、次回からはきちんと守ってくれよ」とクギを刺されました。

あの夜、あれだけ夢見て盛り上がった道楽者たちですが、ささいなことから亀裂が入り始めます。もともと社会のルールに合わせられなくて(ついていけなくて)、道楽の世界に入った奴らばかりですから、頭を押さえつけられるようなプレッシャーを感じると反骨精神がムラムラと沸きあがってきます。(元々協調性の無い奴らだからね)

「時間厳守とか言うけどさ、お前らがどんだけの仕事してるんだっての」



「あとは池袋だし、それにしたってディスコはアダムスだけだろ」

はいはい、所詮ゴミ野郎の集まりなんてこんなもんです。
昨日まではスゲー奴らだの、ビジネスライクに付き合える奴らだのと褒め称えていたくせに、自分たちの欠点をちょっと指摘されればこの始末です。
だいたいワンマンでここまでやってきたジュリーですから、人のペースに合わせて足並み揃えるなんてことが出来るわけがないわけで、サラリーマンさえ勤まらなかったどーらくもんが丸っきりタイプの違う人間と協調して行く事自体が無理と言うものです。

さてこの頃のジュリーは西武新宿線の田無に住んでいたことから、後輩チームもみな田無に住むようになりました。
何故田無だったかというと、ジュリーの彼女(後に奥さんになります)の実家が田無だったからで、後輩連中もできるだけ師匠の近くにいた方が便利だろうというようなことで、何故か田無グループと相成りました。
片や委員長はと言えば、中央線高円寺駅亀屋マンションに在を構えておりましたので、必然的にトモミやシンジなども沿線の西荻窪あたりに住むようになり、路線別人脈図のような形ができつつありました。ちなみにこの時期赤シャツのみつぐ君も高円寺に住んでいたようですが、街で顔を合わせたことは何故か一度もありませんでしたね。
まあ、他店のDJとは仕事以外の付き合いってほとんどありませんでしたから、皆がどんなところに住んでいたのかもまったく知りませんでしたね。殊更興味も無かったし。
しかし今にして思えば、この頃の新宿のDJって西武新宿線沿線と中央線沿線(杉並区あたり)に住んでるヤツがやたらと多かったですね。





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最終更新日  2005年10月22日 22時50分14秒
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