非生産活動推進委員会

非生産活動推進委員会

PR

×

プロフィール

RONNYジイ

RONNYジイ

コメント新着

バンドマン@ Re:昔の歌舞伎町スケッチ・フォーカス(笑)(03/29) 懐かしすぎる会話に感激しております、 こ…
沖縄県宮古島出身です、@ Re[21]:赤坂シンデレラの最後(08/18) 樋口 和彦さんへ 本当に、次郎さんと五郎…
アミちゃん@ ジョイの訃報😢 nikumaruさんへ 連絡有難う御座います。ジ…
マチャアキ@ 想い出 岸本さんですね 懐かしく読ませて貰いまし…
マチャアキ@ 岸本さんだよね このブログを読んで昔の記憶が蘇って来ま…

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2005年11月02日
XML


エスメラルダでは未だ六本木のハコが無かったので、なんとかこの機会に六本木進出を図るため、ここは一番委員長が出張ってオープンDJに入り込むという作戦が立てられました。
学生街の一角にあるこじんまりとしたお店は、何故か夕方6時から翌朝の5時までオールナイト営業といういささか強引な店でした。
もちろん委員長のパートは午後12時終電までで、深夜はテープをエンドレスで回すといった、始発待ち学生のための喫茶店代わりディスコのようなものでした。

そしてアシスタントに立川エモンからユウジがやって来ました。
ユウジの後釜は出戻りのヤスオがシンジのアシスタントとして入り、更に沖縄からやってきたコジャがその下に付きました。
そしてもう一人恐怖の張り付き男ニックが高田馬場に入り浸るようになりました。
ニックはこのリチャード三世のオープン時代からの常連で、後にジャパニーズとしてデビューしたインフォーメーションズを結成した頃のメンバーも皆この店の常連でした。
そんな縁もあってか、新しい相棒を見つけてきたニックは四六時中ここに入り浸るようになりました。(やれやれ、また馬鹿野郎が群れてきます)


たぶんこれでジュリーもこの土地とはこれで縁切りになるのだろうなあ、という漠然とした思いで葬儀の列に並んでいた委員長でした。

ということで、高田馬場が拠点となった委員長の生活はこのあたりから元来の道楽者根性が頭をもたげ始めてきて、エスメラルダとは少々縁の薄くなるような流れとなっていったのでした。
正直言ってこの頃の委員長は、もうすでにディスコとかDJへの興味や執着が薄れ始めてきていて、何か新しいことをしたいという漠然とした願望だけを抱えて毎日だらだらと暮らしておりました。
歌舞伎町を離れたこともひとつの原因でありました。隣町とはいってもやはり高田馬場じゃ都落ちですからね。
そうなると本業より遊びの方に傾いていくのも無理ない話で、毎週水曜日にはヨンタナやシゲル、シンジやユウジも加わって、亀屋マンションのミニスタジオでお茶の間セッションをしたり、ニックの仲間を集めてきてダンサーズの振り付けをしてみたりと試行錯誤しながら新しい道楽の道を模索していました。

とは言っても根っからの道楽者ですから人が集まれば遊びの話ばかりで、その日その日を面白おかしくただただ自堕落に遊んでいるだけのことでした。
エスメラルダは多少強引ともいえるヒロシの商才もあって順調に大きくなり、抱えたハコやDJの数もさることながらプールした利益もそこそこの額を示し、このまま行けばきちんと会社登記をして起業しなければならないほどになっていました。
エスメラルダが大きくなればなるほど、逆に委員長は醒めていき、自分がやりたいことが見つからない苛立ちや、無意味に過ぎていく毎日の虚しさをバカ騒ぎで紛らわせるような生活を送るようになっていきました。

今にして思えば、この時もうすでに委員長の時代は終焉していたのでしょうね。
ただ時代の余韻に流されているというか、もう一度あの栄光を味わってみたいというような後ろ向きな感性しか無かったといえます。(賞味期限は完全に切れていましたね)
ジュリーの父親の死やその後に続くジュリーの結婚話など、歳と共に迫り来る現実を目の前に突きつけられ、委員長はプレッシャーを感じるばかりでした。


この頃はとにかくヤケクソでバカなことばかりをしていたような気がします。
亀屋マンションには始終誰かが屯していて、そんな連中を引き連れてはあちこち繰り出しては騒いで、明日の不安を紛らわしていたのだと思います。
後輩が六本木のDJ連中にバカにされたと聞けば、すぐに軍団を召集して六本木のディスコになだれ込んだり、夜通し遊んだ後スケートボードを持って湘南海岸へ出張ったりと、頼もしい兄貴を演じてはいましたが、バカ騒ぎの後は決まって虚しさがこみあげてくるような閉塞感に苛まれていました。

それでもこの頃のバカさ加減とブラックジョークは冴えていましたね。
特に六本木DJと新宿DJの確執のようなものは歴史的(笑)な因縁もあったせいか、随分と手の込んだ悪ふざけもしました。

更にそこら辺にある菓子の箱とかを風呂敷に包んで持たせます。
委員長を筆頭に、シンジ、ユウジ、ヤスオ、コジャ、ニック他数名を引き連れタクシーをぶっ飛ばして六本木スクエアビルへなだれ込みます。
ビルの前のキャッチにわざとつかまり割引券などを貰い、シンジの清水訛りで入り口で金を払います。当時の六本木は男ばかりのグループは断れることもありましたが、どうみてもおのぼりさんにしか見えないタキシード軍団ですからすんなり入店します。

店内に入れば風呂敷包みをぶら下げてあたりをキョロキョロしながら、わざわざダンスフロアーを突っ切って客席に向かいます。
もうこの時点で結構な笑いものになっているのですが、更にDJブースに行ってマイケルジャクソンの「今夜はドントストップ」なぞをおねだりします。しかも丁寧な清水訛りです。
DJ氏は「ったくしょーがねぇな、田舎もんが入ってきちゃったよ」などと思いつつも、タイミングを見てバーンとかけます。

マイケルの奇声が聞こえるや否や全員でフロアーに飛び出します。
それまで楽しく踊っていた常連の方々は、ダッセーっよ!とか吐き捨てながらフロアから散っていきます。
そしてここでユウジがリカちゃんマイクを取り出し、マイケルの物真似で登場です。
このユウジってのがマイケル似で、オフザウォールのジャケットと同じタキシード姿でフロアに立つと、回りはジャクソンズ風に一列に並んで首振りダンスを踊ります。
回りの観客は一体何が起こったのか理解できぬまま、この軍団のショータイムに引き込まれていきます。
最初は笑いながら「馬鹿じゃねーの」とか言って見ていたやつらも、結構マジな踊りに圧倒されていきます。
更にここでシンジがDJブースに向かい、「バスティンルーズ」や「ZAPP」をリクエストします。DJ氏も今目の前に展開されている出来事を理解できぬまま言いなりの選曲が続きます。(誰だよこいつら、みたいな)

さあこうなってくるともう軍団の独壇場、ショータイムです。
トドメはニックのバック転などかまして大爆発。
さすがに収拾がつかなくなったDJ氏はスローダウンして幕引きです。
途端に軍団は風呂敷包みを手に再びフロアを横切って一気に撤収です。

とにかくこんなバカをすることがとてつもなく楽しかったですね。
でも裏を返せば、そんなことでもしていなきゃ毎日の閉塞感を紛らわすことができなかったのも事実でした。

また、夜通しディスコで遊んだ後、イケイケのヤスオにバンを借りてこさせ、深夜の246をぶっ飛ばして一路湘南海岸へと出張ります。
全員にスケートボードを持たせた委員長は、砂浜にサーフボードを刺して身支度をしているサーファー達の隣でスケボーを砂浜に刺してそこに全員で寝転がります。
サーファーのにーちゃん達は委員長たち軍団を胡散臭い目で見ます。

「このあたり良いウェイブが来るって聞いたんだけど本当?」ヤスオが声をかけます。

「ウェイブですか?」何言ってんだこいつらって感じです。

「良い波来る?」ユウジが聞きます。

「サーフィンやるんですか?」

「いや、寝に来ただけ。がははは~」

全員大笑い。
あまりに異常なズレ方の委員長達に恐れをなして移動するサーファーにーちゃん達。

「なんだよう、見学させてくれよ、波乗り~」

サーファーの後を追うようにスケボーを持って移動する軍団。

いい歳コイて兄貴風吹かせてこんなバカなことばかりしていたわけです。
もうすでにこの頃の委員長は壊れ始めていましたから、彼女のC子もそんな委員長を情けないと思ったのか、本人もこのままじゃダメだと思ったのか、夜の世界にどんどん突っ込みはじめて行きました。
クラブ勤めも新宿じゃダメだから銀座に出る、みたいな話にもなってきて、JAZZヴォーカルの方も中々芽が出ずに委員長共々精神的には相当追い詰められていました。
次第にお互い家を開ける日も増え始め、顔を会わせる時間も減ってくれば殊更焦燥感はイライラへと転じていきます。
そんな空虚な気持ちで意味の無いバカ騒ぎを繰りかえしているうちに数ヶ月が瞬く間に過ぎて行きました。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年11月02日 09時03分36秒
コメントを書く
[1980年頃のディスコのお話] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: