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2005年11月23日
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委員長はこの頃の数年間でやたらと楽器を買い漁ったおかげで、日本信販にはすっかり優良客としてリストアップされていましたので20万円の融資は一発で通りました。
(当時のキャッシングはことのほか厳しかったですからね)

アパートは赤坂シンデレラの今○支配人の紹介で近くの不動産屋さんを紹介してもらい、ユウジの名義で賃貸契約を結ぶことにしました。
候補地を幾つか見せてもらいましたが、家賃5~6万の条件では多少厳しい条件は仕方ありません。(一日中陽の当たらない2DKとかね)
そんな中から不動産屋さんお薦めという物件がひとつありました。
それは、赤坂から六本木通りに抜ける裏道の、首都高速に近い2階建て木造モルタル・アパートでした。部屋数は上下4つで建物の角1階は薬屋さんで、溜池付近でこの値段ならば贅沢は言えません。(ほんとは秀和レジデンスあたりに住みたかったんですけどネ)
ということで早速大家さんを交え契約を結びました。
大家さんは上品な年配のオバサマで、ユウジの顔を見るなり「坊やちゃんが借りるの?」と少々心配そうな顔をしましたが、委員長が二人で住むことを告げると今度は委員長の顔を見てふうんというような表情でハンコをぺたりと付きました。



「おーっ、こりゃちょっとファンキーじゃねぇか」

などと言って委員長は調子付いていましたが、本心は一体この先どうなることか不安で一杯でした。まさかこのまま何年もDJを続けていけるはずはないだろうし、かといって他に就職するにしても、学歴も経験もないこんな遊び人をそう簡単に雇ってくれるところがあろうはずもありません。更に過去のツケがどんどん回ってきている今の委員長では、今更業界にどかんと返り咲くわけもないので、いよいよ追い詰められた感は否めませんでした。

そしてここでまた新たなツケが回ってきました。
引越し先が決まれば今までシンジの部屋に預けておいた楽器や、母親の所に預けた衣類などをせっせとまた運び込まなければなりません。
引越し費用の借金で、きるだけ節約を強いられた委員長は何度かに別けて電車で荷物を赤坂まで運びました。
そんな往復を繰り返しているころ、母親のところに委員長宛に一通の通知が届いていたのです。
差出人は日本信販顧客サービスセンターです。
早速封を切ってみると8万円ほどの月賦未払い通知と請求書でした。
心当たりのない委員長は文面によおく目を通すと、なんとそれはヤスオが月賦で買ったステレオの請求書でした。

ヤスオは幼くして両親を亡くし、施設で育ったという悲惨と貧乏を不幸でかき混ぜたようなヤツで、成人してからは水商売を転々としながら、立川でシンジと出会いエスメラルダに入ってDJになったというホンモノのアウトローでした。
DJになってからも行儀の悪さが目に付いて、結局は満足な仕事もなく地方に回されるだけのようなヤツでした。

ガキの頃から母親に「保証人にだけはなるな」と口を酸っぱくして言われ続けていた委員長は、なんとか色々とごまかしながら断ったのですが、やっぱりな、という表情のヤスオが「もういいです。あきらめます」と引き下がったところで同情してしまい、ハンコをついてしまったのでした。

その時のヤスオの話では、近頃彼女ができて立川で一緒に暮らすことになったが金はすべて彼女が負担したので負い目がある。せめて部屋に置くステレオだけでも自分が買ってやりたいというようなことでした。
たぶんDJとして音楽だけは彼女にもプライドを見せたい一心だったのでしょう。
委員長もヒモのような生活をしていた頃でしたから、ヤスオの気持ちはよくわかりました。
もし委員長が断ったらコイツの頼るところはもうどこにもないのか、そう思ったら不憫に思えて渋々ながらも引き受けてしまったのでした。


悪いときに悪いことはしっかりやってきます。
勢いのある頃なら軽く乗り切れるようなことでも、弱り目に祟り目、落ち込んでいる時には普段の倍の精神的重圧となります。
すぐにシンジに電話をしてヤスオの行方を尋ねましたが、ここしばらく顔を見てないということでした。それでも店の常連から住所を聞きだしてくれたので、委員長はその住所を頼りに立川まで出かけて行きました。

立川駅から30分ほどバスに乗って着いたところは、田園風景の残る国道沿いのアパートでした。それでも鉄筋コンクリートの3階建てで、これから委員長が住もうとしている赤坂のアパートに比べれば贅沢な造りで、少々腹立たしく思った委員長でした。
なんだか、こんなシーンが昔にもあったなあ、などと思いつつ呼び鈴を鳴らした委員長。
(そうです、ジョイの時もこんな感じでした)

「だあれ?」とドスの利いた声はヤスオに間違いありません。

「ヤスオ、オレだよ、ロニー」

ガチャと開いたドアの向こうにぽかんとした顔のヤスオが立っていました。
ヤスオは何も言わずクビをすくめるように委員長を部屋に招き入れました。
万年床のような布団が一組ぽつんと敷かれたワンルーム、部屋の隅に見かけぬ男が一人腕組みをして座っていました。

「友達か?」

年齢は委員長と同じ年くらいですが、パンチ頭にゴルフウェア、どうみてもカタギには思えないこの男は委員長の顔を見てヤスオに尋ねたのです。

「いや、先輩です」

「何かあったのか?」

黙っているヤスオ。
その男が委員長に話しかけてきました。

「オレはコイツの先輩なんだけど、コイツがあんたに何か迷惑かけたの?」

そう唐突に言われても困りましたが、この際ですから率直に言いました。

「はあ、実は保証人になったんですけど、未払い分の請求が来たもので、ちょっとどうなっているのか聞きに来たんです」

委員長が言い終わると同時にその先輩はヤスオの頭をゲンコツで殴り、その場に正座させました。

「あといくら借金があんだか言ってみろ!」

「これが最後です」

「ホントか?」

「はい」

そこでその先輩は再び委員長に顔を向けて「いくらですか?」と聞いてきました。
委員長は請求書を取り出して「8万ちょっとです」と答えると、その先輩は大きく溜息をついて「もうオレには無理だな」と言いました。
委員長もこの部屋の状態を見れば大体の察しは付きます。
それにこの様子じゃどうやったって8万円もの大金が出てくるとは思えませんから、せめて現物でもあればそれを持ちかえって何とかする以外に手はなさそうでした。

「ステレオはどこにあんだよ?」

委員長はヤスオに尋ねましたが、正座したままうつむいているヤスオは答えません。
見りゃ分かるだろ、と言わんばかりの沈黙です。

「まあ、こうなっちまったもんはしょうがないけど、幾らかずつでも返してくれよ」

何のこたぁない、思った通りの結末です。
ここで先輩が再びヤスオにゲンコツを繰り出して「おまえ良い先輩持って良かったな。ちゃんと礼ぐらい言わねぇか、この野郎!」と叱り付けました。

「悪いねぇ、こいつも今どうにもなんないんで助けてやってよ」

そう申し訳なさそうに言う先輩は、委員長同様ヤスオの面倒を見ている良い人だったようです。

「ロニーさん、すみません。自分必ず働いて返しますから」

「ああ、分かったよ、とにかく連絡だけはつけてくれよな」

そう言ってあきらめた委員長は退散しました。
帰り際、先輩が大きな声で委員長に声をかけてきました。

「ありがとね。俺等施設育ちなもんで、頼れるヤツが少ないからさ、またヤスオのこと面倒みてやってよ」

そう言いながらまたヤスオの頭をゲンコツで小突きました。

とぼとぼと立川駅に戻ってきた委員長。
来月の生活費からこの金を工面しなければならない羽目になってしまいましたが、いくらヤスオに腹を立てたところで保証人のハンコを付いた自分が悪いのですからあきらめるしかありません。
馬鹿の親分には、それに見合うだけのツケがきちんと回ってくるのです。





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最終更新日  2005年11月23日 06時43分04秒
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