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2006年01月13日
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カテゴリ: カテゴリ未分類

昨日に引き続き今日は世田谷のお話をひとつ。
え~、私が生まれ育った井の頭線池の上駅前の家は借家だったため、祖父の死後数年して立ち退きを迫られることとなりました。
この時すでに私は父なし子であり、母親は年老いた祖母と弟(祖父母の長男ですね)を連れて小田急線の梅が丘というところに引っ越しました。
鼻タレ小僧の私が5歳になったばかりの頃でした。

当時は幼児を受け入れてくれるアパートなんぞは非常に少なく、結局私等没落一家の移った先は同じように幼児を抱える家族が寄り合った四畳半一間のアパートでした。
まさしく落語に登場する長屋そのもので、隣の部屋とは薄壁1枚で仕切られ、6世帯が一棟に押し込まれた縦長のアパートでした。
もちろんこの6世帯全部に子供がいるわけですから、それはそれは賑やかなものでした。
すでに鼻タレ小僧の先導役としての自覚を持ち始めていた私にとっては、ちょっとしたガキ王国の大将になるにはさほどの時間は必要ありませんでした。

もうひとつ、私がリーダーシップを発揮させる理由に、母親の弟、つまり私の叔父さんにあたるわけですが、この叔父さんが教育大学に行っていたことも大きく作用しておりました。そりゃ、なんてったって国立ですから、しかも学校の先生になるため大学で勉強しているんですから、こんな貧乏長屋にしてみればちょいとした立身出世物語、貧乏人の憧れ美談みたいなところがあり、その家族の子供という私は否応無く長屋の住民の勝手な期待を集める存在でもあったのです。

こればかりは両親に感謝しなければなりません。
この見た目の聡明さとか多少の品のよさとかは、その後トンコ修業に明け暮れた不良馬鹿時代にどれだけ役にたったことか、未だその顔も知らぬ父親や、苦労続きで年老いた母親に今更ながら感謝の念で一杯です。

ということでこの頃の話をしたら落語のネタ以上にリアルなバカ話満載で、話し始めたら止まらなくなりそうなのでこれはまた改めてということにしましょう。
さて、この長屋は小田急線梅が丘駅から徒歩十五分くらいのところにあり、そのアパートの前は都立明正高校があり、その高校の坂上には国士舘大学がありました。
そして私が通った世田谷区立山崎小学校、中学校は、その国士舘大学の通学路に面した場所に位置しておりました。

このように不良小僧を育成するにはまさに最適な環境で育った私が、小学校を卒業して中学に進む頃にはしっかりとアウトローへの道を歩まぬわけがありません。
なにせ登下校の際には蛇腹の制服を着たガニ股歩きのお兄さんやら、もちょっと年上のやたら長い丈の学生服を着たお兄さんやらが、あたり構わず「押忍!」「オスッ!」「おっす!」の怒号とも思える挨拶をしまくる姿は、軍隊というか、縦の社会というか、子供心にもがんじがらめの教育の一種独特の恐怖を垣間見たものでした。
対する都立明正高校の自由で軟派な生徒を見るにつけ、すでにこの頃から公立、私立、男子校、共学校の違い、如いては世の中の矛盾をはっきりと認識したものでした。
昭和四十年代後半の頃です。

更に、私の住んでおりました長屋の近くにはバタ屋部落と呼ばれた一角があり、さすが長屋の住民である、おっかさん、おとっつぁんは子供たちにここへの出入りは固く禁じておりました。
ダメと言われりゃ尚更やりたがるイケイケ小僧は、近所の悪童を引き連れてこの秘境に探索に出かけ、そこで知り合った秘境の悪童たちと親交を深めることになり、これらの仲間は後に地元の不良軍団として一緒に育っていくことになったのでした。


小学生くらいまではこの身分差は認識こそあれ、さほど強調される意識までにはなりませんが、思春期を迎え、自分の生活環境や人生上の自分の将来などを漠然と描き始める頃には屈折した感情となって現れ始めます。

昔は一緒に野球をしたりサッカーをして遊んだ奴らが、義務教育を終了する頃にはきっちりと別の世界で生きるようになっていきます。
同じ不良の道を志す地元の中でも更なる色分けが進みます。
商店街グループは将来その商店を背負って立つプレッシャーを意識し始め、不良というよりはいち早く大人への道歩み始めていきます。
中流家庭組の不良グループはバイクとかバンドとか、多少の経済的ゆとりからホビー系不良の道を実践していきます。

ご存知の通り、これが一番タチの悪い不良となっていくわけですね。

当時の不良の一世一代の見せ場はなんといっても「お祭り」です。
世田谷もあちこちに八幡さまがあり、新宿方面から順を追って縁日が始まります。
梅が丘の不良グループもお祭りには徒党を組んで出かけますが、必ず近隣の学校の不良たちといざこざを起こします。
というよりはいざこざを起こすために出張っていくわけですから、ここらが不良の一番の晴れ舞台になります。そして近隣の不良グループを押さえ込むことが地域の不良勢力を束ねることになります。

最近の縁日にはテキヤさんなど居ないようですが、当時はテキヤさんが良い味を出していましたね。ダボシャツに腹巻、雪駄で鉢巻して、彫り物もチラチラ見えて、結構粋でした。中には中学校の同級生なんかが混じってたりして、妙に大人に見えたりしたものでした。
さて、お祭りのメインイベントである不良同士のケンカは神社の境内の裏とか、縁日夜店の路地とかで繰り広げられます。
選手代表は大概中学時代の番長の因縁を引きずっていますから、ここで頭を押さえれば地元で一躍有名になれるわけです。

当時の私の地元では、梅が丘中学、若林中学、世田谷中学、太子堂中学、桜ヶ丘中学、緑ヶ丘中学、富士中学、このあたりを制すれば十分地元の顔役になれました。
まあケンカといっても可愛いもので、バカ不良小僧がぐるりと輪になってファイターを囲み、中では素手で殴りあうという単純なものでした。
しかも殴りあう前に、空手のカタとかボクシングのポーズとかのハッタリも十分にアピールされ、時には柔道のような投げ技で押さえ込まれて終わりなんてのもありました。

ところが、ここで名前を売っていくことが更なる危険を招くということに気がついた頃には、当人も逃げられないほどのバカの袋小路に入りこんでいて、無責任なギャラリーの手前、したくもないケンかを本気でさせられることになるのです。
我町内の番長Y君もバタ屋部落出身のファイターでしたが、実際にお兄様は本職のヤクザでありまして、ハッタリも十分に効いた中々のヒーローでした。
事実近隣の中学校の番長を数人支配化に置き、それなりの地位を保っていたのですが、中学を卒業と同時に高校に進学、もちろん彼が行けるようなトコですからツワモノ揃いの学校なわけで、世の中はそんなに甘くないということをすぐに悟ったY君でした。

ところが地元ではすでに神格化された番長ですから、地元のアホ連中が待ちに待ったお祭りの夜、大名行列のように引っ張り出され、更なる強敵と一戦を交えることになってしまったのです。
とにかくきっかけを作るのが大好きなバカ舎弟のような小僧が、見慣れぬ猛者に因縁つけて「ちょっと待ってろよ」の捨て台詞を残してY君の下へひた走ったわけです。

「兄貴ぃ、ちょっとみかけねぇツラしたツッパリに因縁こかれたんすよぉ~」

早く修羅場を見たい無責任なアホ小僧のギャラリーたちは、「どこのどいつだ!」ぐらいに場を盛り上げ、いざ大将のご出陣となります。
しかし、この頃のY君はすでに世の中には上には上がいるということを高校生活で多少は学んでおりますから、見知らぬツッパリを相手に一戦交えることがどれだけリスクのあるケンカであるか察しているわけです。

「Y君だったら一発だよ」
「ここらでイキがるとどーゆーことになるか教えた方が良いっすよ」

更に逃げ道をふさがれたY君は担がれた神輿のように相手の前へと誘われていきます。

「なんだてめぇ、こんな大勢つれてきやがって」

先手を取られたY君、それでもギャラリーの手前恰好だけはつけます。

「心配すんな、俺が相手してやっからよ」

と啖呵を切って相手を裏道に連れて行きます。
跡に続く金魚の糞たち。
ところが路地に入った途端、ギャラリーたちは思いがけない光景を目の当たりにして言葉を失います。
Y君の後ろを歩いていた猛者は、いきなりY君を背後から羽交い絞めにしてそのままバックドロップ、脳天逆落としを食らわせたのでした。
ゴンッと音を立ててコンクリートに頭から落とされたY君は、道路に転がったまま頭から血を流して声も出ません。
猛者は更に出血した頭を踏みつけるように踵で蹴り飛ばしました。
またしてもゴンッと音を立ててもんどりうったY君の鼻からおびただしい鮮血が噴出し、大の字に転がったY君は白目を剥いています。

猛者はギャラリー一同を見回して、ケンカの発端を作ったY君の舎弟を見つけ出すと、さほどきつくない目で睨みました。

「次はおめぇか?」

言った途端に舎弟は一目散に逃げ出しました。
ギャラリー一同は今目の前の事態を理解するほど余裕もなく、ただ黙って立っているだけで精一杯でした。

「誰か救急車でも呼んでやれよ」

そう言って猛者は縁日の人ごみに消えて行きました。

この事件の数ヵ月後、首にギプスを捲いたY君は親戚を頼って大阪に旅立ちました。
聞く所によると、関西一のY組系のどこぞの組に就職したとのことでした。
もちろん、それ以来地元のアホ連中は彼の姿を見ていません





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最終更新日  2006年01月13日 10時07分32秒
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一家4人殺害・犯人は成城署?  
これ絶対変だよ、警察怠慢だし近所の人も

(2006年05月13日 01時45分33秒)

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