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2006年06月03日
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道楽者の皆様お元気ですか。
非生産活動を開始してはや1年が過ぎ、更に道楽に磨きがかかる委員長でございます。

さて今日は、以前お話したお調子者の正体の後編、お調子者がその絶頂期にどのようなデタラメな生活をしていたかという自爆的体験談です。
歌舞伎町の「Q&B」というディスコで一気に盛り上がってしまった委員長は、群れを成していったアフロ小僧たちの神輿として担がれていくうちに、ダンサーズなどという生意気な仕事をするようになっていきました。

70年代中期当時、歌舞伎町のど真ん中にあった東宝会館7階に新装開店する超大型ディスコ「トゥモローUSA」でデビューを飾り、その後そのまま居ついてDJなどもするようになっていきました。
70年代後期はディスコが一気にメージャーにはじけていった時代で、それまでのSOULやR&Bと呼ばれる黒人音楽も少しずつ洗練されたダンスミュージックとして生まれ変わりつつありました。

まあ、委員長のようにアフロヘアで黒人音楽にかぶれ切ったSOUL小僧にとっては、少々面白くない流れではありましたが、それでもまだSOUL系のファンやダンスマニアも生き残っていて、ディスコの中身も多少色分けされていった時代でもありました。

ダンスフロアは時間交代制(笑)、あるいはDJの持ち味交代制のような感じで、ソウル&ファンク~いわゆるディスコサウンド~ミーハー系ダンスミュージックみたいな三色が基本でした。FUNKで従来のダンスマニアが踊っているときは、若年層ステップ系はじっと我慢、ドン、ドン、ドン、ドンとバスドラのワンツービートが流れ出すとジワジワ、ゾロゾロと踊り手選手交代みたいな感じでした。


とは言っても、営業的にはやはり主力はミーハーグループでしたから、必然的に委員長の持ち場、DJパートは深夜番が中心でした。

ということで今回も当時の日課を簡単にまとめてみました。

午後5時起床。
風呂など入ってメシ喰って午後9時出勤。
すでに盛り上がっている店で40分ほど黒っぽい音楽をかけて、踊りもご披露する。
(注)トゥモローUSAの場合、社長の意向で、DJブースでサラ回しながら踊るというのが条件でしたので、ブースの上でロボットとか踊りのカタをご披露します。
まあ、これが結構ダンスマニアにはウケて、これ見に来てた常連も少しいました。

10時前後で、当時の花形DJジュリーの最終パートが始まり、その後はフィリピン人のリト君、ソウルブラザー・ジョーと引き継がれていきます。
はい、そうです。私のパートは9時からの40分以降は11時過ぎまで回ってきません。
ではナニをしているかというと、彼女が来ているときは歌舞伎町近辺をウロウロしながらウダウダします。
特にアポのないときは、店の常連と踊りますが、他DJがヤキモチを焼くのであまりお好みの選曲はしてもらえません。

まだこの当時はDJという職業はバンドマンとならんで、ちょっと特殊なカテゴリーだったので、結構夢見がちな若いおねーちゃんたちが一緒に踊ると喜んでくれました。

そんなこんなで楽しくウダウダしているうちに段々フロアの客も減っていき、2回目のステージ(笑)に上がる頃には半分以上は居なくなっています。
やたらデカイ箱でしたから、客の引けた後はがらーんとしてかなり寂しくなります。
それでも頑張ってFUNKYとか言いつつ踊って見せますが、時間と共に更にフロアの人数は減っていきます。

午前12時を過ぎ1時近くなると、ホールは居残り組だけになり、ダンスフロアはほぼガラガラになります。

深夜はもうとにかくテキトー、デタラメ、やり放題って感じで、時々夢見がちなおねーちゃんが「一緒に帰りたい」などと言って待っててくれたりしますが、客もまばらなデカイホールでサラ回すのは結構辛いものです。
ドナサマーのLP盤一面に入ったロングヴァージョンとかジャイアン・トシングル・ロングヴァージョンとか、そんなものばかりのオンパレードになります。

たまにSOULファンみたいな常連が残ったときは、他の客ほったらかして踊りを教えたりして夜が明けます。
午前4時閉店。
後は深夜喫茶に行くか、吉野家でメシ喰ってビール飲んでウダウダしながら始発待ったりして朝帰ります。

拘束時間は午後9時~午前4時で7時間チョイですが、実働は4時間~5時間といったトコでしょうか。こんな感じですから、ナニかしなきゃいけないと思ったりしたわけですね。
でも、こんな楽な生活してるとぬるま湯にドップリみたいな感じですから、よっぽど強い意志がなければ何もできませんね。

70年代後期から80年代に入る頃は、DJなんてのはもう日陰の存在になっていきましたから、こんな楽しい時代を生きれた自分はシヤワセ者だったのかもしれません。
もちろん、この楽をしたばかりに後半のDJ生活はかなりキツイものになったというのも事実です。
DJさま、なんて持ち上げられてた時代は、回りもよくわかりませんからテキトーなハッタリが通じたんですけど、後年はね、もうみいんな実体が見えてたから、その待遇はかなり変わって行きました。





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最終更新日  2006年06月03日 10時48分43秒
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